2016年12月24日土曜日

賀状が生き方を反映

 昨日から準備し始めた年賀状、妻の事前チェックも無事に通過したので、一気に印刷にとりかかった。
 用紙設定を「インクジェット郵便はがき」にすると印刷は早いが、仕上がりは微妙に劣る。「フォトマット紙」「きれい」で印刷すると速度は遅くなるが、仕上がりは最も美しい。そこで今回は画質重視で、じっくり時間をかけてこの設定でやることにした。
 エプソンプリンタだけの問題かもしれないが、30分も続けて印刷すると、速度が極端に低下してしまう。なんでも高温による内部損傷への保護回路が働くそうで、これを避けるには途中でプリンタをオン状態のまま、30分ほど休ませてやればいいらしい。
 いろいろ試して、だいたい8〜10枚印刷して20分休憩を繰り返すと、普通に印刷できることが判明。一気にやれないのはタルいが、結局はこの手法がトータルでは早い。


 調べてみたら、今年は出す枚数がかなり減ることが分かった。理由はさまざまだが、通常の喪中のほか、当人の死去、取引先の廃業、何らかの理由で返信が途切れた、等々。来年からは買う枚数を少し減らす必要がありそうだ。

 仕事をバリバリやっていた時期は、仕事関係だけでかなりの数があった。年賀状をDM代わりに使って仕事に結びつけたこともあり、大事な営業手段のひとつだった。
 仕事をじょじょに減らし、代りに増えたのが趣味の音楽関係のつき合い。こちらはいまでもかなりの比重を占める。
 サッカーや物書き、パソコン同人活動を盛んにやっていた時期は、そっちの人脈が増え、関連する賀状も相対的に増えた。賀状はその時期その時期の自分の活動を反映させたものだと、つくづく思う。
 日々の生き方はブログで日々発信し、挨拶やら連絡も気軽にメールで済んでしまう昨今。賀状を出す意味があるとすれば、この種の情報交換をあまりしない間柄での、年に一度の安否確認となろうか。

 どちらからといえば、受け取るよりも発信するほうに喜びを見出すタイプなので、我が好奇心が続く限り、賀状作りをやめることは、おそらくないだろう。