2007年12月30日日曜日

忘年家族ライブ

 昨夜は早く寝るつもりでいたが、何気なくチャンネルを合わせた「アメリ」というフランス映画がやたら面白い。2時間半の長い映画だが、ぐいぐい引きつけられ、つい最後まで見てしまった。
 今日になって妻に話すと、「私、それ以前に観たわよ」。見損ねたが、以前に衛星放送でもやったようだ。

 調べてみたら、フランスでは大評判の映画だったらしい。以前からフランス映画は好きだが、CGを一部使った画面構成や、目線が低く、ズームを多用するダイナミックなカメラアイに、これまでのフランス映画にはない新しさを感じた。
 ラストで老人が「人生はガラスのようにもろいものじゃないよ。勇気を持っていきなさい」と、若いヒロインを励ますシーンでは涙がこみあげた。


 そんなわけで昼近くに起きたら、いつの間に戻ったのか、予備室で息子が寝ていた。深夜バスで明け方近くに函館から札幌に着いたらしい。
 独身なので特急を使えばよいものをと思ったら、車の調子が悪いので、来春買い替えるとか。それでまずは節約、というわけだった。
 夕方、息子と二人で忘年家族ライブの音合わせをする。ユニットで歌うのは2年振りくらいで、二人とも一部のアレンジを忘れていたが、何度かやるうち徐々に勘を取り戻した。オリジナルも含め、あれこれ10曲近くも歌う。
 まだリハの段階だが、聴いていた妻から拍手喝采をいただく。ハーモニーがビタリ決まるとなかなか爽快な気分で、これがソロでは絶対に得られない面白さだ。

2007年12月29日土曜日

天然無動力冷蔵庫

 昨日に引続き、1階の大掃除をやった。まず2階で唯一残っていた照明器具の清掃を、1階と同時進行で片づける。
 栄養を補給しつつ作業を続け、午後4時で一段落したので、妻と二人で車で買物にでかける。暮れとはとても思えないグズグズの雨で、道路はひどいぬかるみ状態。長靴をはいていってよかった。

当面の食材と年末年始の食材とをあれこれ買う。一般食料は値上がりしていたが、不思議なことに酒類は値下がりしている。あちこち見繕って一番安い品を早めに買ったのだが、完全なる失敗である。
 妻に今日の天気のようにグズグズと愚痴ったら、「差額分をあげようか?」と嗜められた。そーゆー問題ではないのだよ。

 教訓:暮れの酒類は29日過ぎてから買え


 家に戻って食材を一部外ムロに移す。写真のように車庫端部の屋根下に作ってあり、今年から断熱材を上蓋だけにし、食材はビニール袋に入れて土に直置きとした。
 数日前、外がマイナス9度のときに測ってみたら、ムロの中はプラス3度だった。ほぼ冷蔵庫の温度に近く、外気温に関係なく安定している。
 野菜にはちょっと低過ぎるかもしれないが、いっしょに入れている。リンゴはこのまま春まで傷まずに持つ。
 大きさは内寸で幅600×奥行き500×深さ400、およそ120Lあり、ちょっとした天然無動力冷蔵庫である。
 すでにかなりの量を詰め込んであるが、まだまだ入る。年末年始に急増する食材や飲物の一時待避所としては絶好。作るのにかかった費用は、たぶん3000円くらい。

 大掃除は5時過ぎにすべて完了。幸いに腰痛の再発はなかった。小分けしてやると掃除もかなり楽で、こうして毎年自ら学びながら、少しずつカシコクなっている。

2007年12月28日金曜日

暮れの猥雑

 昨日は終日、暮れ特有の雑事処理に没頭したので腰がダルく、今日は昼近くまで寝ていた。以下、昨日やったこと。

・ユーティリティ内に木製のバーを設置
 これは来客が入浴中、別の誰かがトイレを使うことができないという問題を解決するためのもの。脱衣室やトイレ、洗面所、洗濯乾燥室が一室となっている我が家特有の空間構成の、数少ない欠点である。
 ユーティリティの浴室側とトイレ側の境界にバーを設け、来客が入浴するときだけカーテンを臨時に吊す。「仕切りはあまりないほうが好き」という妻の意向も尊重し、普段は木製のバーそのものも外せるように工夫した。
 冬にシーツ等の大物を大量に洗濯した時に、臨時の物干としても利用可能だ。

・以前に作った麻雀卓に脚をつけた
 そこらの椅子を臨時の台にしようかと迷っていたが、自宅コンサートに使ったコーヒーテーブル&増設テーブルの脚が、そのまま使えることに気づく。
 それぞれに鉛筆でマークをつけ、ビスの取り外しでいつでも相互に利用可能なようにした。両方が同時に使うことはあり得ず、両方使わないときはそれぞれバラしてしまい、ベットの下などにしまっておく。


 腰の様子をみつつ、大掃除もいよいよ本格化。今日はまず2階から攻めた。ホコリは上から下へ落ちるので、吹き抜けが多い我が家では、上から順に掃除するのが鉄則。
 2階天井を走っている梁の上には、かなりのホコリが積もっていて、毎年この時期にしか掃除しない。脚立を組み、掃除機を左脇に抱え、右手でハタキを持ってホコリを落とし、間髪を入れず掃除機で吸い取る。
 これが今年思いついたやり方だが、ホコリの多くは空中で吸い込まれ、かなり有効なやり方だと分かった。

 狭いと思っていた家も、掃除を始めると結構な広さがある。ほとんど休みなしで働き、合間には台所で包丁を3本研ぐ。
 包丁は結婚以来、ずっと自分で研いでいる。先日の地元新聞や、今日のNHKテレビでも「自宅で研げる包丁」の特集を組んでいたが、要は慣れである。数百円で買った砥石だが、30年近くもよく働いてくれている。
 研ぎ方は大工だった父がいつもやっているのを見て、自然に覚えた。最近では腕も上がり、切れ味が1年近く持つようになった。
 ちょっと動き過ぎて、夕方6時にダウン。腰痛の再発が怖いので、1階は明日やることにし、郵便物を出しに近所のスーパーまで行く。
 あちこち下見をし、妻から頼まれていた正月用のお供え餅を2個買う。1階居間と2階の仕事部屋の分で、開業以来25年、欠かさず飾ってきた。ひとつ295円だが、こればかりは省くことは出来ない。

 今年からミカンは生ではなく、樹脂製のマガイ物。あのノシ袋も本来はノシアワビを使っていたが、いまや単なる紙のマガイ物と化した。縁起物なので、徐々に形骸化してゆくのは仕方がないことだ。肝心なのは「飾る」という具体的行動だろう。

2007年12月27日木曜日

カナダからのカード

 3日前のクリスマスイブに、今年もカナダからクリスマスカードが届いた。贈り主は21年前に我が家にホームスティしたカナダ人のお母さん。
 当時、子供たちの通う小学校が国際交流をやっていて、雪まつりに合わせてカナダの子供が二人、我が家に1週間滞在したことがある。そのとき、引率してきたのがたまたま我が家に来た子供のお母さんで、一晩だけ我が家に招いて家族パーティをやった。

 記憶に残るとても刺激的な一夜だったのだが、以降ずっとクリスマスには忘れずにカードを贈ってくれる。
 こちらもそれに合わせ、12月上旬には近況を手短にまとめ、カードにして贈ってきた。(クリスマス時期の国際郵便は極度に混むので、3週間前には送る必要がある)英語はそう得意ではないが、要は誠意である。
 途中、何度かやめようと思ったこともある。だが、21年間、一度も途切れることなく送られてくるので、こちらから一方的に打切るわけにはいかない。


 今年のカードには、2枚の写真が同封されていた。当時12歳だった子供もいつのまにか30歳を越え、すでに結婚して子供もいる。今年の手紙には、「二人目の子供が生まれました」とあった。月日の流れをしみじみと感じる。
 去年からは先方から届くカードをまず読み、その感想と同時にこちらの近況を「新年カード」としてまとめて暮れに発送する、という手順に変えた。互いの近況がより詳しく把握できるし、「クリスマスに間に合うように」と気持が急かされることもない。
 カードの体裁は日本むけの年賀状をベースにし、ハガキの2倍の大きさの見開きカードに編集し直している。
 左半分は年賀状の体裁とほぼ同じで、俳句には日本文の下に英文の訳を入れた。右半分には今年の家族写真を1枚だけ選んでレイアウトし、近況を数行で記す。

 切手は和風の記念切手をあらかじめ買っておき、貼る。これは先方のスタイルに合わせたものだ。ありきたりの切手が貼られてきたことは、過去に一度もない。本当に細かい気遣いのする方で、いつも感心させられる。
 先方の家族は西海岸のバンクーバー在住なので、案外近い。
「いつでも遊びに来て、泊まってください」と言ってくれているが、未だ実現していない。

2007年12月25日火曜日

賀状が語る一年

 昨夜未明に納品した仕事に、あっさりOKがでた。CDに焼いて明日発送すれば、今年のライン業務はすべて終りとなる。越年の覚悟でいたので、何だか拍子抜け。ま、これはこれでいいでしょう。
 ということで、今日は年賀状の宛名書きに没頭した。といっても、パソコンソフトで印刷するだけですが。

 賀状を買う数は例年70枚と決まっていて、このうち、年前に出すのは60枚前後。商売を長年やっている割には、少ないほうだと思う。
 人間関係の幅を広げ、名刺や年賀状の枚数を誇示する考え方もあるが、私の場合は暮しも人間関係もシンプルでコンパクトを心掛けている。どちらもごく少なくて済むし、無闇に増やす気もない。
 いわば成行き任せというわけだが、不思議なことに「ひとつ増えて二つ減り、二つ増えるとひとつ減る」といった案配で、絶妙の平衡をずっと保っている。


 年賀状に一番時間をかけるのは、文章を含めたデザイン。だいたい10月あたりから、(今年はどんなスタイルでやるか?)をボチボチ考え始める。いちおうはデザイナーであるので、全体の美学にはかなりこだわる。
 昔から年賀状にはあるパターンを作り、それを微妙に変化させつつ数年続け、時期がくるとコロリと変える、を繰り返してきた。
 今年はブログを本格稼動させたので、どこかにその匂いのするデザインとなった。その年を象徴する俳句をまず書き、それに見合う写真をセットにする手法は去年から始めた新パターンで、しばらくは続けるつもり。
 その年の心境を夫婦毎に数行にまとめて記す手法も、数年前から始めた。こうすると読み手に何かが伝わりやすいし、添書きをあえて書く必要がなく、作業時間が短縮できる。

 この「心境を数行でまとめる」という作業が、実は結構時間がかかる。長々と書くほうがむしろ簡単なのだ。今年は妻の心境を取材し、まとめるのにかなりの時間を費やし、都合3度も修正した。それでも一昨日には裏面をすべて印刷し終え、乾燥させておいたものを今日、一気に仕上げた。

2007年12月22日土曜日

オシリでしょ?

 腰痛のバクダンを抱えつつ、どうにか今年最後の訪問ライブを乗り切った。過去に何度も訪れている近隣のグループホームなので、職員や入居者の方々とは、強い信頼関係がすでにある。先月の自宅コンサートにも、4名もの方々が参加してくださっている。
 先方に無用な心配をかけてはいけないと、腰痛のことはずっと隠し通したが、歌っている間は不思議に痛みは全く感じなかった。

 クリスマスの食事会なので、家族の方々も多数来ていた。会場は座る場所を探すのが難しいほどの混みよう。30名を超える過去最大の人数である。


 多くの参加者が相次いだ余興のトップが私。30分ぴったりのステージだったが、場の気分を高める役目は充分に果たした。
 体調は万全ではなかったが、場の声援に随分助けられた。調子が悪いといいつつ、初披露の曲が4曲。特筆すべきは、出かける30分前の自宅リハで、ふと思いついて歌ってみた「おしりかじり虫」。
 遊び半分だったが、なんだか楽しい。急きょネットで歌詞を調べ、適当にギターのコードをつけてメモし、楽譜の間にはさんだ。時間が迫っていて、いつものようにソフトに入力してプリントする暇がない。もし去年のようにホーム長さんのお孫さんがきたら、歌うチャンスがあるかも…。その程度の軽い気持だった。
 本番の5曲目は「北風小僧の寒太郎」で、いわゆるNHKの「みんなのうた」ソング。これを歌った直後のMCで、会場の雰囲気をさり気なく探った。

「実は今年もうひとつ、とんでもないタイトルの歌がこの『みんなのうた』で流行ったんですが…」
 するとすかさず会場から、「オシリでしょ?」との声が複数。
「そぉ~なんですよ」

 しめたとばかり、すぐさま続けて歌った。時間の都合で半分くらいに縮めたが、これが老若男女にバカ受け。歌の持つ勢いなのだろう。ほんの思いつきだったが、何でもやってみるもの。

 楽しい2時間を共に過ごし、帰り際に手作りのクリスマスカードとペアのマットをいただく。カードに添えられた暖かい言葉がありがたく、うれしい。

2007年12月20日木曜日

ギックリ

 秋から冬にかけて決まって現れる不整脈の症状がようやく治まったと思ったら、このところずっと腰の具合が悪い。きっかけは先週末のドカ雪の除雪で、準備体操をせずに一気にやったせいだ。
 ピリピリと予兆がし始めたので用心していたが、今朝台所ゴミ箱の下に置いてあるマットの汚れを落とそうと屈んだ瞬間、脳天に突き抜けるような激痛に見舞われた。「魔女の一撃」、そう、ギックリ腰の再発である。

 初めてギックリ腰にやられたのは、マンションに住んでいた頃のやはり冬。取引先の打ち合せに、這うよにうにして行った記憶がある。調べてみたらちょうど10年前の冬で、48歳だった。
 同じ頃、示し合わせたように妻もひどい腰痛に襲われ、近隣の整形外科にかかった。除雪の必要のない住まいだったから、不安定な冬道を歩くのが、腰に負担をかけたのか。以来、決まったように冬になると腰痛に襲われる。
 ずっと医者にはかからず、市販のシップ剤で対処していたが、3年前にとうとう我慢できず、病院に行った。腰の骨が少しズレ気味だとかで、無理は禁物と言われた。飲み薬を勧められたが断り、大きめのシップ剤と妻から借りたコルセットで何とか凌いだ。

 今回の症状も似ているが、これほどひどいのは久し振り。今年は秋から冬にかけ、仕事や私事雑事でいろいろ動いたツケが出たのかもしれない。午後にオークションで落札された商品を発送する大切な用事があり、歩くのは断念して車で行ったが、アクセルを踏んだだけでもビクビク痛む。
 明日夕方には越年の仕事が入る予定で、明後日は今年最後の訪問ライブがある。どうやら歌うには支障がなさそうなので、何とかライブはこなせそう。だが、腰痛とライブが重なったのは初めて。

2007年12月19日水曜日

ゲームソフト売却

 仕事が暇になるこの時期、遊ばなくなった古いゲームソフトを、例年ネットオークションに出す。1週間前に3品出したが、すべてほぼ希望金額で売れた。
 中には買った時よりも価格が上がっている品もある。20年近くも前の物だが、息の長いゲーム人気のおかげだろう。まだかなりの数が手元にあるが、とっておいてももう遊ばないので、買い手がいるうちに売ってしまう。
・まず売りたい商品の相場をネットで調べる。
・出品する品の写真を撮り、画像を入念に調整。
・商品の説明文を考える。
・オークションサイトにアクセスし、出品の手続きをする。

・入札の状況をネットで逐次チェック。
・落札されると、なるべく早く落札者に案内メールを出す。
・振込口座や送付手段、金額や送付住所などの情報を互いに交換。
・入金されたことを金融機関で確認。

・商品を安全に梱包し、トラブル防止のために写真を写してから送付。
・送付したことを先方に連絡。(追跡番号がある場合はそれも)
・到着が確認されたら、オークション運営サイトに相手の評価を送る。
 ざっとまとめると以上のようなプロセスで、かなり、いや相当面倒である。しかし不要品が結構なお金になるので、やるとなかなか面白い。
 これまで出品と落札の両方で10数回も利用したが、幸いなことにトラブルは皆無。出品でのコツはいろいろあるが、「適切な価格設定」「問題のある箇所を写真で詳しく説明」、この2点が特に大切。つまり、買う側の立場に立ってみればいいのです。

2007年12月18日火曜日

どすこいコート

 父が新しく暮す施設に、入居費自動振込の手続きをしに行った。衣類整理用の新しい段ボール箱も2個置いてきた。いつまた病院に入院するか分からない状況なので、大袈裟な衣装タンスではなく、小回りのきく段ボール箱がよいと施設から言われている。
 帰り道、すぐ隣にあるイトーヨーカ堂に寄る。秋からずっと妻の冬コートを探していて、そろそろ安くなっているのでは?と妻が言うのだ。

 やれ丈が短いだとか、色が白過ぎて汚れが目立つとか、はたまた黒過ぎて老けて見えるだとか、あれこれ一緒に見繕ううち、ようやく手頃なものを探し当てる。値札は1万円だが、翌日まで限定の年末特価で24%引。これ以上ない条件で、ようやく買った。
 お金は妻のパート先から支給されたボーナスの一部で調達。近頃はパートでもちゃんとボーナスが出る。


 これまで着ていた真冬のコートは写真右の重くて分厚いもの。当時すぐ近くにあったダイエーで買ったが、こちらもバーゲンで数千円だった。
 東京から北海道に越してきた最初の冬に買ったものだから、かれこれ25年も経つ。これだけ着るとあちこち傷みがひどいが、毛糸の裏地がついているので暖かく、それが延々と着続けてきた大きな理由。
 このコートには特別な名前がついていて、「どすこいコート」という。命名者は私で、着膨れして力士のように太って見えるというのがその由来だが、このコートには脱サラや子育てに伴う、いろいろな思い出もぎっしり詰まっている。つまり、「どすこい、どすこい」と事業の手伝いや子育てに奮闘する妻の姿をなぞってもいたのだ。

 今日はゴミ収集日なので、他の不要な古い衣類と共に、とうとう捨てた。左の新しいコートは着脱式のボア付きフードがついていて丈が長く、厳しい風雪にも耐えられそうだ。何より素材の進化で、軽くて暖かい。暖色系の色も、六十路が近い妻によく似合う。
 はてさて、新しいコートが新たなる家族の歴史を、いつまで見守ってくれるだろうか。

2007年12月17日月曜日

家族の歴史

 昨日からずっと、古い8ミリとビデオの映像をDVDに変換する作業にいそしんでいる。すべて家族の記録で、一番古いものは義兄が撮ってくれた私たちの結婚式の映像。ここから始まった。
 他のほとんどは私自身が8ミリで撮った子育ての記録である。最初にコンテを書き、ていねいに編集したあとでBGMやナレーションを加えた本格的な作品。家族フィルムにしては珍しく、起承転結をきちんと考えて作ってある。イベントや日々の生活を定期的に撮っていたので、続けて見ると家族の成長ぶりが手にとるように分かる。

 8ミリの機材はすでに処分してしまい、フィルムはすべてビデオに変換して保存してあった。しかし、いまやそのビデオの命も風前の灯。再度DVDに変換する必要がでてきた。時代の急激な変化についてゆくのも、結構しんどい。


 作業はほぼうまく運び、高画質を保持しつつ、DVD1枚(2時間)にぴったり収まった。あとはオリジナルのラベルを作ってDVDに貼る作業を残すのみ。
 タイトルは「家族の風景」、これしか思い浮かばない。懐かしいシーンの連続で、作業中につい見入ってしまう。32年余の家族の歴史は切なくて重く、そして愛しいのだ。作業の傍らで画面を見ていた妻が、ポロポロと涙を流していた。

 全く同じ物を4枚作り、全国に散っている3人の子供たちに、この家に生まれ育った「しるし」として渡す。いつか同じ思いで映像を眺める日がきっとあるだろう。

2007年12月16日日曜日

温度湿度の管理

 昨夜から断続的に雪が降り、あっという間に積雪量が30センチに達した。この冬初めて除雪車も入った。気温は終日氷点下。我が家の北側の屋根にも、20センチほどのツララが何本か下がった。ごくフツーの北国の冬景色である。
 風は冷たいが、午後からは強い陽射しが窓から差し込んだ。暖房は朝9時に自動でオフになるが、室温はみるみる23度まで上がった。
 写真は仕事部屋の本棚に常時置いてあるセンサー式のデジタル温湿度計。温度と湿度が1秒間隔で交互に自動表示される仕組みである。
 室内では丸めて使っているが、本体につないだ1メートルほどのコードの先端にセンサーがついていて、本体を室内に置き、センサーを外に出して計測することもできる。
 貰いものだが、以前にある工務店の社長が持っている1万円近くもしたというデジタル温湿度計と同じ場所で測ってみたが、数値にほとんど違いはなかった。信頼度は極めて高い。温度湿度をあれこれ議論する場合、やはりこれくらいの機器は備えておくべきだろう。

 左側にある黒い物は、時間確認のために置いたデジタル時計。16:37現在で、22.5度ある。暖房が再びオンになるのは17時なので、陽射しさえあれば無暖房で8時間は過ごせることになる。


 最近、ふと思いついて、毎日入ったあとの浴室のバスタブに蓋をせず、換気扇も1時間だけのタイマー運転に変更した。

 暖房は深夜も20%負荷で微少運転し続けているので、どうしても湿度が下がってしまう。40%を切ると明け方に喉がカサつき、咳き込むこともあった。建物にとっては湿度は低いほど好ましいが、人間にとっては低過ぎると時に健康を害する。かといってエネルギーと経費に負担をかける加湿器を買うのは、たとえ中古であっても論外。
 浴室の蓋を開放してからは、労せずして夜の湿度は45%くらいまで上がった。このあたりが建物と人間の両方に具合のいい中間的数値だろう。

 蓋を開放すると湯気と共に、バスタブのお湯の熱も効率的に室内に開放されることになる。そのせいか、夜の室温が下がりにくくなった気がする。
 理論的にはそうなるが、たかが風呂の蓋が室温にまで影響するかどうかは、まだはっきりしない。もしこれが事実だとすると、湿度と温度の両面で効果のある画期的な手法ということになるが。

2007年12月12日水曜日

冷えて暮れる

 施設側の都合で、先月末から父の暮す施設が変わった。この2年で重複を含めて7度目の移転である。入退院を繰り返しているから、ある程度はやむを得ないが、それにしても多い。
「身元引受人」として指名されている私も、その都度煩雑な諸手続きに忙殺されている。我が親なので、ただ粛々とやるのみ。
 今度の施設は自宅から車で15分ほどで、大幅に近くなった。仮に歩いたとしても1時間で着く。部屋も広く、入居者一人あたりの職員数も以前より多い。経営が同系列なので、転居に伴う費用も不要。入居費も変わらない。
 まるでいうことなしの条件のようだが、施設そのものが出来てまだ3ケ月しか経ってなく、受け入れ体勢がまだ充分整っていない。前の施設も出来てまもない時期に入居し、慣れるまでに半年かかった。

 長期療養型の病院ベットをどんどん減らすという国の大号令があるので、受け皿としての民間有料老人ホームは、今後も次々と開設されるだろう。しばらくはこのような状況が続く。居る場所があるだけで、幸せと考えるべきか。


 面倒な契約書類の変更はすでに終え、今日は区役所で介護に関わる住所変更の手続きをしてきた。
 その足で家具店に寄り、父の部屋のカーテンを買う。今回、唯一変わった条件が、部屋のカーテンの自己負担で、あちこち見繕って手頃な価格と品質の物をようやく探し出す。

 妻と二人で、さっそく部屋にかけに行った。ちょっと手こずっていたら、「どうだ、うまくいったか」と父がベットから声をかけてきた。「はいはい、うまくいったよ」と応じると、まんざらでもなさそう。耳はかなり遠くなったが、ちゃんと分かっている。
 明るいグリーンのカーテンを吊すと、とかく沈みがちな部屋の雰囲気が明るくなった。あとは諸経費の自動振込の手続きを年内に済ませばよい。まずは一段落である。

2007年12月10日月曜日

冬よ来い、再び

 かなり前のブログで、「冬よ来い」という曲が出来たことを書いた。その時にどこかに投稿するようなことを匂わせたが、実は書いたときにはすでに投稿ずみで、その結果がようやく出た。

「ヤルヤル」といって結局やらない人もいるし、すごい事をやっているのに、ほとんど世間には告知しない人もいる。ホンモノは黙っていても、周りが放っておかないのだろう。だから、あえて自ら語る必要がない。
 限りなく「ニセモノ」に近い私は、せめて「まずやってから告知」を心掛けるくらいが関の山。そしてまた、あれこれクドクドと書き記す悪あがき。


 で、その結果ですが、地元の北海道新聞・日曜文芸に入選とでました。選者は詩人の藤田民子先生。ただし一席ではないので、詩自体は掲載されてなく、名前とタイトルのみ。「うれしさも中くらい」でありますか。
 かなり以前に二度、この欄に投稿したことがあって、いずれも入選した。一度だけ一席として掲載され、その時も高く評価していただいた。藤田民子先生とは相性がよいのかもしれない。

 今回も含め、3作とも自分で曲をつけてライブで歌っている。過去2作はまず普通に詩を書き、その後歌うための歌詞として書き直すという一般的なプロセスを経たが、今回は全く逆の手法をとった。
 つまり、あくまで歌の歌詞として書いた詩を、そのままほとんど手を加えずに一般詩として投稿したのである。私としてはかなり実験的な試みだったが、ひとまず文学的評価は得たので、よしとしたい。

 ネットで調べてみたら、藤田民子先生は創作活動と併行し、ご夫婦でジャズ喫茶を経営なさっているとか。おそらく詩を読んだ瞬間、すでに曲がついていることを直感的に悟られたのではないか。

『冬よ来い』  詞/曲:菊地友則

  冬よ来い 微睡みのこの街に
  雪よ打て 私の眼差しに

  闇の中で誰かが 私に誘いかける
  風が哭く 閉じてゆくこの空に
  凍り付く あなたの言葉さえ

  冬よ来い 戯れのこの街に
  雪よ打て すべてに隙間なく

  月の出る前に 私はきっと旅立つ
  風が哭く 沈みゆくこの土に
  消えてゆく 私の足跡も

  冬よ来い 仮染めのこの街に
  雪よ風よ 街よ闇よ
  私はもう すべてを怖れない

2007年12月8日土曜日

報われずとも節水

 先日、今年最後の水道料の検針がきた。2ケ月で16m³で、相変わらず少ない。日々節水に努めているので当然ともいえるが、我が家の節水のノウハウは以下の通り。

・風呂は夫婦二人とも毎日入るが、使う水は合計180L程度。
・食洗機は電気代がかかり、節水量基準が疑わしいので使わない。
・洗濯は3日に一度程度だが、常に「お急ぎモード」で使用。
・洗車はほとんどしない。(たまに風呂の残り湯でやる程度)
・家庭菜園に水は一切やらず、雨まかせ。


 実は札幌市の場合、月に10m³以下の使用水量では、いくら使っても料金は同じという不思議な料金体系となっている。検針は2ケ月毎なので、20m³以下だと常に4,032円の一律料金。(2007年12月現在)
 試みに、夫婦二人暮しとなった2005年4月からの月平均使用水量を調べてみた。

・2005年:10.1m³/月
・2006年:9.8m³/月
・2007年:8.3m³/月

 1年目はほぼ基準値だが、2年目以降は年毎に使用水量が下がっている。環境保護全般や二酸化炭素排出削減に、かなり貢献したことは間違いない。
 水道1m³あたりの年間二酸化炭素削減量基準を0.46Kgとすると、(「環境家計簿〜北海道編」より)我が家が減らした二酸化炭素は2005年に比べて、

・(10.1-8.3)×12×0.46=9.9Kg/年

 これは樹齢50年のトドマツ(直径20cm、高さ20m)が1年に吸収する二酸化炭素量(4.2Kg/年)のおよそ2.4本分に相当するらしい。
 もし水道の料金体系が使用水量に単純比例したものであったなら、同時にかなりの金額を節約したことにもなるが、残念ながら現状の札幌市の料金体系は、そうした節約に報われるものとはなっていない。
 今度はその「報われなかった金額」を試算してみよう。(2ケ月での最低料金を単純に20m³で割って試算)

・(4,023円÷20)×(10-8.3)×12=4,103円/年

 1年でも結構な額で、これが5年10年と積み重なると、かなりの額になる。これらの矛盾点は先日、地元紙の投書欄にも書いたが、改善される日は果たしてやってくるのだろうか?
 しかし、報われずとも、節水は今後も粛々と続けられるだろう。
「よりマシな環境と、それを支えるココロを後世に残し、伝えたい」という志しがある限り。

2007年12月7日金曜日

デッキシューズ

 最近、家の中でよくデッキシューズをはく。1階の床は無垢材なので靴下か裸足で年中過ごせる。ところが2階の床に使ったOSB合板はコストが安く、構造的にも強いのだが、冬になるとやや冷たいのが唯一の欠点だった。

 これまでは冬の間はスリッパをはいていたが、ふと思いついて今年はデッキシューズに替えてみた。これがなかなか暖かく、具合がよろしい。スリッパと違って足首全体を覆っているせいだろう。
 体感温度が1度くらいは違うように感じる。間違いなく省エネにもつながる。


 これまでデッキシューズは、主に車庫屋根の工事や修理をしたり、ウッドデッキでDIYの作業をする時に使っていた。軽くて底がすべらず、脱ぎはきが容易。何せ元は船の甲板で使われていたものだ。布製なので、むれない。
 何足かはきつぶしてきたが、体育館通いをしていた末の息子と共用だった一時期もある。ホームセンターなら700円前後で買える。以前はヒモつきだったが、最近はヒモなしでゴム式の物に替え、さらに手軽になった。
 以前にカナダの子供が1週間ホームスティしたことがあり、その時に二人の子供が家の中でデッキシューズを常時はいていた。わざわざ旅行鞄の中に入れて持ってきたのだ。
 不思議に思って聞いてみると、カナダではスリッパをはく習慣がなく、家の中では常にデッキシューズでいるという。外靴は玄関ではき替えるそうで、何のことはない、日本に似た習慣なのだ。

 HPでのセルフレポでもふれたが、自宅コンサートの時もデッキシューズをはいて歌う。踏ん張りがきいて、こちらも具合がいい。ホームスティでの体験が、ちょっと活きているのかもしれない。

2007年12月4日火曜日

体力勝負

 構造偽造問題に端を発し、6月に建築基準法が改正になってから、住宅業界もまた極端に冷え込んでいる。戸建住宅に限定しても、前年度より50%前後の減少というひどい数値が延々続いている。体力の弱い業者はとてももたないだろう。

「構造偽造はケシカラン」→「それでは法律を変え、審査を厳格にします」→「確認申請が厳密になり、これまでより何倍もの日にちがかかる」→「着工できないので、設計者を含めて業界全体が暇になる」→「さらに原油高騰が追い打ちをかける」→「じわじわと不況に陥り、税収が減る」→「法律を厳格化した国や地方団体財政もまた、苦境に追い込まれる」


 簡単に書くと、このような図式だ。得をするのは、構造計算を主業務とする設計者と末端ユーザーくらいか。厳格な審査を通り抜けた住宅が手に入るわけだから。
 しかし、「風が吹けばオケヤがもうかる」の論理と同じで、一見得をしたように思える末端ユーザーでさえ、廻り廻って結局は不況のアオリをくらうという不条理。やはりこの世はすべて、「ぐるり」とツナがっているのだな。

 悪循環はいつまで続くのか見当もつかない。いち早く身軽な体勢に切り替え、影響は少ないはずだった私も、この一ケ月は満足な仕事がない。仕事のある時期に調子に乗らず、節約に励んでおいて賢明だったと心底思う。最後は体力勝負(つまり、事業資金の備蓄)である。
 昨日から2日続けての真冬日だったが、いわゆる快晴で、陽射しは終日強かった。おかげで暖房ボイラは朝8時〜夕方5時まで完全オフだったが、室温はずっと21〜22度をキープしていた。ありがたき太陽の恵み。

 タンクに灯油を満タンにして30日が経過したが、目標通り、灯油消費量は給湯を含めて120L前後。油量計がデジタル式ではないのでアバウトな数値だが、真冬なみの寒さが続くなかで、一日4Lという立派な数値。
 他力本願でなく、自力で何とかヤリクリ可能な部分がまだ残っていて、良かったよ。

2007年12月3日月曜日

プラスチック溶接

 1年ほど前に、「プラスチック溶接」という技術をDIYレベルではあるが、会得した。簡単に書けば、割れたり欠けたりしたプラスチック部材を、ハンダゴテを使って修復する技術である。

 最初にやったのは、古いゲームソフトのプラスチックケースの修復だった。ネットオークションで売るつもりだったが、ケースにあちこちワレがある。
「多少の難があります」という注釈つきで出品するから、ワレなどはそのままでも構わない。しかし、きれいに修復してあれば、落札もよりスムーズではないかと考えた。
 道具は普通のハンダゴテのみである。(写真上の背後)息子が中学生のときに授業で使ったものを、そのまま利用している。
 ハンダゴテは普通は金属を相互にくっつける際に使うもの。それをプラスチックにも使えるのでは?と考えたのだ。


 やってみると、実にうまくいった。割れた部分に尖ったコテの先を少しずつあてて溶かし、溶けたプラスチックで割れた部分を埋めるようにする。そのまま手で押さえておいて少し冷やせば、自然に固まる。
 余分なバリはあとでカッターで切除。修復したとはほとんど分からないほどの仕上がりで、オークションではすぐに売れた。送付後のクレームも皆無。

 これで自信を持ち、その後、大掃除で壊してしまった窓のブラインドを修理した。(写真下、赤丸部分)回転する部分なので、かなりの力がかかる。これまではガムテープや瞬間接着剤でやってみたが、どれもすぐに壊れて、うまくいかなかった。
 しかし、こちらも大成功。その後1年使ったが、何も問題はない。
 ごく最近、DIYで酷使している脚立の脚カバーが1箇所ついに割れてしまった。こちらもガムテープで応急処置をしていたが、具合があまりよろしくない。
 そこでまたまたプラスチック溶接である。かなり柔らかい材質で、技術的には一番難しかったが、何とかうまくくっついた。(写真上、赤丸部分)

 欠けて全く部材がなくなってしまうと不可能だが、部材さえ残っていれば、ほとんどのプラスチックは修復可能だと思う。会得すればかなりの経費を節約し、モノの寿命をトコトンまでまっとうさせることが叶う。