2011年8月30日火曜日

PAの軽量化

 札幌駅地下歩行空間で来年3月まで歌う「チカチカパフォーマー」の権利を得たので、使うPAの軽量化をいよいよ真剣に考える必要がでてきた。場所は提供してくれるが、機材等一切は自前調達がパフォーマンスの条件である。

「30分で100円、最大限度600円」という格安駐車場に車を停めるとして、問題はそこから会場までの距離だ。先日のオーディションでは、地上から地下へと延々20分ほど歩いた。推定距離2キロ。機材は軽ければ軽いほどよい。
 キャリーカートを買って運ぶことも考えたが、積み下ろしやセットに手間がかかりそうで、使わないときは邪魔なだけ。手持ち機材の軽量化が先決である。


 まずはアンプ用のスタンドだ。これまではマイクスタンドの下半分を使っていたが、ちょっと重い。量ってみると1.8Kg。ひょっとしてカメラの三脚が代りに使えるのでは?と考え、一番大型の品でさっそくテスト。
 写真のように、ヤマハのVA-10(電池式で3.2Kg)をぶら下げても、びくともしない。高さも110cmと手頃。重さは0.8Kgで、マイクスタンドより1Kgも軽い。これは使える。
 次にアンプそのものを検討した。電源のない場所でずっと使ってきたヤマハのVA-10はよく働いてくれたが、10年前の古い製品。もともとギター専用なので、ボーカルの音があまりよくない。パワーも不足がちで、いまならもっと優れた品がある気がしていた。
 交流電源専用だが、昨年買ったRoland CM-30が非常に使いやすく、パワーも抜群。同じRoland製を探していたら、「MOBILE CUBE」というアンプの評判がなかなかよい。単3電池6本で長時間動き、パワーもありそうだ。

 重さが2.5Kgと軽いのも魅力。マイクとギターのラインが独立していて、それぞれボリューム調整も可能だ。もしミキサーも不要となれば、ここでさらに0.5Kg軽くなる。あわせて2.2Kgの減量。これは大きい。
 価格がちょっと高く、16,000円ほど。仕事の薄い今年は節約に努めたいところだが、気持ちが揺れる。

2011年8月28日日曜日

ライブの浮き沈み

 自宅近くの農園倉庫で実施された「篠路チョボラ農園収穫祭」の余興に出演。6月末に近隣の地域センターで実施した震災復興支援ロビーコンサートの折、声をかけてくれたOさんからの依頼である。
 Oさんは町内会長のほか、地域の高齢者や施設の子供を対象に「チョボラ」(ちょっとだけボランティア)という名の支援活動を精力的に続けている。

 外は快晴でしかも30度近い暑さ。収穫祭には絶好の天気で、この日は町内会の草刈ボランティア作業の日でもあった。しかし、時間が完全に重なっていて、掛け持ちは無理。代りのいない余興出演を優先とした。
 収穫祭には畑作業に関わった地元の中高年のほか、同じく地元にある児童養護施設の小学生24名も参加している。イベントは10時開始で、役員や来賓の挨拶がまずあり、その後トウキビやジャガイモを収穫し、その場で調理して食べつつ、私が歌うという段取りだった。
 あいにく電源が使えず、広くて天井の高い倉庫に、電池駆動のPAを持ち込む。閉鎖空間でならまずまずの力を発揮するが、この種の容積の大きい空間では非力を感じた。だが、そんな泣き言は言ってられない。
 11時からライブ開始。「中高年と子供の両方が楽しめる内容で」という、難しい注文に頭を悩ませつつ、リクエストを交えて以下の8曲を歌った。

「カントリー・ロード」「憧れのハワイ航路」「ピクニック(イギリス民謡)」「大空と大地の中で」「マル・マル・モリ・モリ」「高校三年生」「となりのトトロ」「上を向いて歩こう」


 結論を先に書いてしまうと、悩んだ割にはまるで手応えのないライブだった。わずかに盛上がりを感じたのは、中程の「マル・マル・モリ・モリ」とラストの「上を向いて歩こう」くらい。
 理由はいろいろ考えられるが、聴き手の大半が子供たちで、しかも小学校低学年。中高年の聴き手は来賓として招かれた方々4~5名だけで、他の大人は少し離れた場所で調理に忙しく、歌どころではない、といった状況。
 大人の補助なしで低学年の子供を30分も引きつける力量は私にはない。時間がお昼近くで、作業と暑さに疲れた子供たちは、歌よりも食べるのに夢中、といった印象である。
 高齢者対象のライブでも、「空腹時にはやらない」「食事をしながらやらない」という鉄則がある。人間、年に関わらず、まずは食欲なのである。

 救いは「マル・マル・モリ・モリ」で6~7人の子供たちがトウキビを置いてその場で踊ってくれたこと。それだけこの曲がいま、子供たちの間で強い、ということだ。
 もうひとつは、調理を続けていた数人の大人がラスト曲になってようやく宴に加わり、手拍子で場を盛り上げてくれたこと。「上を向いて歩こう」の曲の強さにも助けられたが、おかげで最後だけはにぎやかに終えることができた。こうした周囲の大人たちの支えが最初からあったなら、宴はまた別の形になっていたであろう。

 ともかくも、私を買ってくれたOさんへの義理は果たした。「お祭り系イベントに弱い」「子供相手には弱い」という私の弱点をさらけ出してしまったが、もはや克服は困難のようにも思われる。
 かなり落ち込んで帰ってきたところへ、昨日参加した「チカチカ☆パフォーマンススポット第1期公開オーディション」の合格通知がメールで届いていた。全員合格かと思いきや、合格率は70%前後。公的な場、しかも札幌都心に完成したばかりの晴れやかな場なので、そんなに甘くはなかったということだ。
「引率」してくれた妻からは、終了後に「難しいかも…」と言われていただけに、パッと気持ちが明るくなった。このところライブの浮き沈みが激しく、まるで人生のようではないか。

2011年8月27日土曜日

チカチカオーディション

 札幌駅地下歩行空間、北三条交差点広場にて実施された「チカチカ☆パフォーマンススポット第1期公開オーディション」に出場。札幌駅地下歩行空間で歌うのは最初にここを歩いたときから閃いていた思いで、このことは以前にブログでもふれた。

 ところがいろいろ調べてみると、この空間で歌うのは容易ではないことが判明。場所自体は格安で一般提供されていたが、弾き語りに限定すると、希望する小さなスペースでは個人はもちろん、団体でも借りることは不可だった。
 理由ははっきりしないが、狭い空間なので、騒音の問題が発生するのを管理会社は恐れたのかもしれない。無許可で歌うのは通常の路上よりもはるかに難しいと思われ、状況が変化するまで歌うのは諦めざるを得ない状況だった。


 そんなとき、「チカチカ☆パフォーマー」なるものがこの空間で公募されていることを知った。大道芸が中心だが、問い合わせてみると、音楽でもよいという。
 ただ、「地下空間を通じて街づくりに参画する」という大前提があるらしく、公開オーディションに合格すれば、管理会社の意向に沿って、決められた場所と時間に定期的にパフォーマンスをする義務が発生する。平日開催も多く、商業利用はもちろんできない。

 自由に歌うスタイルを好む私なので、応募するか否かは迷いに迷った。だが、最後は好奇心が勝った。合格しても活動期間は半年限定なので、自分に合わないと判断すれば、以降は止めてしまえばよい。そもそも、合格以前にあれこれ悩んでもしょうがない。
 公募も応募もすべてネットで、合格後のエントリーや告知もネットでやるのだという。時代はみるみる変わっている。経歴書を始めとする書類一式をメールで送り、まずは書類審査の結果待ちだ。今年はこれで3度目の公募イベントへの応募で、そういう年の巡りなのだろう。
 なかなか結果が届かず、ほぼ諦めかけた頃の公開オーディション3日前になって、ようやく書類審査通過のメールが届いた。


 私の出番は全18組中の6番目。3部に分かれたうちの第1部ラストだった。どういうわけか、弾き語り系は私を含めて2組だけで、大半がジャグリングやダンス等の大道芸だった。
 
 当日は妻に休暇をとってもらい、撮影係を強制指名。今年はこんなシーンがやたら多い。開始は10時で、私の出番は11時50分から。入替えを含めて20分の枠がある。
 考えたすえ、「内外の叙情歌」という切り口で、以下の4曲を選んだ。

「赤い花白い花」「夢路より(フォスター)」「ブンガワンソロ(インドネシア民謡)」「サンタ・ルチア(カンツォーネ)」
 地下通路なので静かな空間とばかり思い、静かな曲を並べた。事前調査でもそんな環境のはずが、いざ歌い始めてみると、まるで私の歌に合わせたように、会場の真正面にある携帯D社のブースから、騒音防止条例にふれそうなヤカマシイ呼び込みの声が響き出した。
 負けじと声を張りあげようにも、選んだのは静かな曲調の歌ばかり。それでもめげずに歌い続けたが、中高年の女性を中心に、聴いてくれる人はちゃんといた。あたりが静かであれば、この路線は間違っていないと思う。

 PAのギターのバランスがいまいちだったが、ボーカルの返りはまずまず。リハなしの一発勝負なので、ぜいたくは言えない。


 自分の出番が終わったあと、全体の半分ほどを見届け、15時ころに撤収。結果はメールで連絡がくるそうで、ここでも媒体はネット。実に徹底している。
 どんな結果となるかは分からないが、ともかくも札幌駅地下歩行空間で歌う願いは叶ったので、よしとしたい。

2011年8月26日金曜日

熱いコンサート

 取り立てて仕事がなく、真っ昼間から弾き語りの練習に励む。実は予報にはなかった雷雨に突然襲われ、ネットもパソコンもしばしやれなくなった、というのが本当のところ。この2つがやれないとなると、残るは歌か本を読むことくらい。
 うまい具合に明日から午前中のライブが続く。喉を調整するには絶好の機会であった。

 夕方、都心の渡辺淳一文学館で渋谷文太郎さんのコンサートがあるので出かけた。発起人(主催者)が音楽関連で長年お世話になっている方なので、かなり前からチケットは予約してある。
 発起人のお二人は私と同年代の女性だが、好きなシャンソン歌手のソロコンサートをぜひ札幌で開きたいと思いたち、ご本人に直接交渉されたようだ。短い準備期間だったが、会場に入ってみると固定席だけでは足りず、30席ほどの予備席を設けてあったほど。ざっと100人近い人で会場は埋まっていた。盛況である。


 聴き手は大半が中年女性。渋谷さんはシャンソン、カンツォーネを主に歌っている方なので、さもありなん。男性客は極端に少なく、数えた限りでは、私を含めて6名。そんな事情からトイレはすべて女性客専用となり、男性は多目的トイレを指定されてしまった。

 18:30からコンサートは始まった。全く初めて聴く歌だったが、伸びやかな声と多彩な表現力、場をつかむ巧みなパフォーマンスに引きこまれた。視線や指先の動きにまで細かい気配りを感じる。
 歌だけでなく、ルックスもまた甘く、スタイルも抜群。そして若い。(おそらくは30代半ば)いい意味でセクシーな魅力に溢れている。MCにも嫌味がなく、中年女性が押し寄せるのもうなずける。歌い手はただ歌うだけでなく、見た目や話術も重要な要素であることを再認識した。
 やや長めのMCのあと、2~3曲のメドレーが進行の基本だが、随所にノーマイクの歌を入れたり、時には歩きながら客席を回ったりと、全体の構成が非常に巧みで、聴き手を飽きさせない。プロだから当然かもしれないが、同じ歌い手の立場として、非常に参考になった。
 前半9曲を50分で歌い、15分の休憩ののち、後半の50分へと続く。休憩が入っているのも、中高年むきの配慮かもしれない。大変ありがたかった。
 歌はシャンソンとカンツォーネがベースだが、時にはジャズやフォークがあったりと、ジャンルにこだわらない自在な選曲である。私が最近目指している「ノージャンルの叙情歌シンガー」と、大きな隔たりがなく、ここでも共感を持った。

 ピアノ伴奏は大和秀嗣さんという方だったが、アンコールで渋谷さん自らがピアノの前に座り、尾崎豊の「アイラブユー」を朗々と弾き語ってくれた。これがまた秀逸。本当に上手い人は、たとえカバー曲でも独自の世界を構築できるということだ。
 あっという間の2時間余。主催のお二方も、得難い感動の時間を共有できたことと思う。人生、死ぬまで新しいことを目指し続けていたいもの。

2011年8月25日木曜日

長崎ちゃんぽん届く

 1ヶ月ほど前に取引先から3等のお年玉当選ハガキをいただき、恐縮しつつも、しっかり商品として長崎ちゃんぽんセットを申し込んだことは書いた。その商品が先日届き、どんなものかとさっそく作ってみた。

 乾麺を3分ゆで、ザルにいったんあける。付属のスープを300ccのぬるま湯で溶かしておく。フライパンに野菜を適当に刻んで付属の油で炒め、これら3つを再度鍋で3分煮こむという、ちょっと面倒な手順。
 最初はレシピ通りに作ったが、鍋やらフライパン、ザルなど、汚れ物が多くですぎる。そこでザル以外を全て大きめの鍋ひとつでやるようにしたら、短時間で作れた。


 スープにコクがあって、なかなか美味。40年前に食べた懐かしい味そのものである。箱にある製造会社は福岡県だが、同じ九州、細かいことは言うまい。
 妻もすっかり気に入って、全部で12食あったが、すでに3食が胃袋に消えた。夫婦とも麺好きなので、なくなるのは時間の問題か。
(写真にはチクワが入っているが、野菜だけで充分)

2011年8月24日水曜日

「上を向いて歩こう」の謎

「上を向いて歩こう」の歌をライブでよく歌う。マニアックなライブハウス系イベント以外では、ほとんど場を選ばず、いわゆるハズレがない。数えてないが、今年もすでに数回歌った。
 先日、ふと思いついて元祖・坂本九の歌う「上を向いて歩こう」をあらためて聴いてみた。音源はYouTubeで簡単に見つかったが、冒頭でいきなりショックを受けた。これまで自分が歌っていたメロディと違う…。

 具体的には出だしの「上を向いて~♪」の「…いて」の箇所だ。音階で書くと、これまで私は「ソソラシソミレ~♪」と、「…いて」の部分を「…ミレ」と一音下げて歌ってきた。それが当たり前だと信じこんでいた。
 しかし、九ちゃんの歌を聴くと、明らかに「ソソラシソミミ~♪」である。「…いて」の部分を「…ミミ」と、下げずに歌っている。なぜだ!?
 気になって、YouTubeに星の数ほど存在する「上を向いて歩こう」の歌を、片っ端から聴いてみた。すると、カバー曲はプロもアマチュアも例外なくすべて前者、つまり私と同じ一音下げて歌う歌唱だった。
 あの徳永英明も岩崎宏美もしかり。何と、サントリーが東日本大震災被災地支援のためにCMで多数が歌った音源も、すべて一音下げて歌っていた。

 この事実を知って以来、練習では元祖・坂本九スタイルで目下歌っている。たかが一音の違いだが、合計8カ所も同じフレーズが繰り返し登場するので、歌の世界観が微妙に異なって感じるのは、私だけか。
 この曲はかなり暗い内容だと私は思っているが、元祖・坂本九版で歌うと、その暗さが少しは改善され、気持ちが前向きになれるような気がするのだ。もしそうなら、やはり本来のメロデイで歌うべきではないのか。
 問題は聴いている人が逆に、(メロディが違う…)と感じてしまわないか?という懸念。それほどこの亜流メロディは、深く日本人の心に浸透している。
 本来のメロディといつの間にか変わってしまった理由を調べてみたが、いまのところ全く不明。一音下げたほうが一般人には歌いやすく、いつしかそれが定着したのではないか、というのが私の推測。真相をご存知の方がいましたら、ぜひ教えてください。


さらなる謎解き》〜2014.7.30追記
 記事を書いてから3年が経過したが、同じ疑問を持たれた方が複数いたようで、この記事が検索されたり、別サイトにリンクされていることを知った。
 そこで再度調査を試みた。その結果である。

1)YouTube音源で調べると、ある音源では坂本九自身がフレーズによって「ソソラシソミレ~♪」と「ソソラシソミミ~♪」とを混在させて歌っている。それぞれに決まったルールはないように思える。

2)発売時のレコードと思われるYouTube音源を見つけたが、ここでは「上を向いて~♪」のみ「ソソラシソミレ~♪」と下げて歌っているように聞こえ、次の「歩こう〜♪」は「ソソラシソミミ~♪」と下げずに歌っているように聞こえる。
(ただし、間奏後奏の口笛はいずれも「ソソラシソミレ~♪」と下げている)

3)グーグルの画像検索で「上を向いて歩こう」「譜面」で調べると、表示される全楽譜が「上を向いて~歩こう♪」の2箇所とも「ソソラシソミレ~♪」と記されている。
 中には相当古い楽譜をスキャンしたものもあったので、元祖の楽譜は「ソソラシソミレ~♪」であったと思われる。
 以上により、本来の楽譜は全て「ソソラシソミレ~♪」であった可能性が高いが、坂本九本人が歌い込むなかで、自己流アレンジとして、「ソソラシソミミ~♪」と下げない歌唱法を、特に晩年は採用していたのではないだろうか。
 この推測が当たっているとすると、どちらで歌っても間違いとは言えない気がするが、少なくとも坂本九アレンジで歌う場合は、そのむねをMC等で聴き手に告知すべきではないだろうか。

 歌い手の立場としては、「ソソラシソミミ~♪」と下げない歌唱のほうがイメージの広がりを感じて、オシャレである気がする。すでに確かめようがないが、本人が晩年で自己アレンジした背景も、案外そのあたりにあるのかもしれない。

2011年8月23日火曜日

ツイッターに消えた人

 今年の春あたりから、ブックマークの「Always」と名づけたフォルダに入れてあるいくつかのサイトが、ほとんど更新されなくなった。そもそも「Always」のフォルダに入っているサイトは、個人的に面白く読めるサイトばかり。
 毎日チェックするサイトは10サイト前後で、基本的に生き方、暮らし方、考え方に同調できることが条件で、まずこの時点で大半が消え去る。毎日かそれに近い更新頻度となると、さらに対象は絞られる。
 実は理由ははっきりしている。どのサイトも、「最近はツイッターにはまっていまして、ブログの更新がすっかり滞っています」と、忘れた頃にふれてくる。つまり、ブログからツイッターへの大きなナダレ現象が一部で起きつつあるらしい。
 この私自身も最近ツイッターを始めたことはすでにふれた。しかし、まだハマるまでには至っていないし、いまのところはブログの補完的役割程度。頻度も1日1ツイートがせいぜいだ。
 ブログの文字制限2000字に対してツイッターの140字では、私のような長文派の書き手にとっては、最初から勝負にならない。


_ツイッター開始後、そのツイッターに消え去った何人かの方を検索し、苦労して探し当てた。そして過去にさかのぼってかなりの数のツイートを読んでみた。

 どなたも「ブログにはないスピードと簡便さが魅力」と異口同音にふれていたが、なるほど日に10を超える精力的なツイートであふれている。しかし、どれもが面白さに欠ける。ブログ時代に感じた深みや輝きが失われているのだ。メール交換して互いに知っている間柄だったので、当初はツイッターでもフォローするつもりでいたが、考えたすえにやめた。
 以前に書いたが、日に10ツイート以上も書く人をうかつにフォローしてしまうと、いろいろ支障がある。

 ツイッターはやっている本人、つまり書き手は充分に楽しいかもしれないが、「読み手の満足度」というものを基準にすると、ブログを超えることは難しい気がする。ツイッターとブログの分かれ目は、おそらくそこだ。

2011年8月22日月曜日

函館探訪記~後編

 函館滞在2日目。夕べはエアコンの調整がうまくできず、(使ったことがないので…)厚めの布団に悩まされて熟睡できなかった。昨年夏のユースホステルはエアコンがない代り、高窓に網戸があって開けて寝た。寝具も薄めが2枚と調節が容易で、よく寝られたが…。
 縄文的暮しを心がけている我が身には、文化的エアコンは肌に合わないようだ。宿の選び方は難しい。


 7時に起き、9時にホテルにやってきた息子と合流。予定通り、まずは五稜郭に行ってタワーに昇る。函館在住6年になる息子も初めて昇るそうで、観光スポットとは得てしてそんなものだ。

 ガラスが足元ギリギリまで迫っており、しかも上部が外側に向かって傾いている。窓辺に立つと高所は気にならないはずの私でも、めまいを感じた。しかし、五稜郭の様子は手に取るように分かり、市内も昨夜の函館山とはまた違った感じでよく見える。


 再び中心街に戻って、港沿いにある金森倉庫群を見てまわる。100年以上も前に造られた赤レンガの美しい倉庫で、いまは内部を改装して土産物店や洋品店、ビアホールやカフェなどとして観光客むけに開放されている。
 一部にパティオ(中庭)のようなレンガ壁に囲まれた何もない空間があったり、デザインを似せた新しい建築で結婚式場が造られたり、港から直接船を横付け可能な運河とそれをまたぐ新しい木製ブリッジがあったりと、古い歴史の流れとそれを尊重した新しい建築との融合性を感じた。非常に落ち着ける空間である。
 妻の勤め先への土産などをここで買い、そこからさらに歩いて、JR函館駅近くの「星龍軒」で塩ラーメンを食べる。人気店だそうで、11時半でも店の前には10人近い行列。ひたすら待って15分ほどで中に入る。
 530円と安いが、あっさり味で中高年向き。具はチャーシューとみつば、シナチクとネギとシンプルで、スルスル食べられる。応対もていねいだ。


 13時に息子の社員寮に停めてあった車に乗り換え、荷物をすべて積み替えて、息子とはここでお別れ。会社関連以外では初めての「接待」だったそうで、好奇心旺盛な親に2日間振り回され、息子はちょっと疲れた感じだった。
 しかし、こんなふうに息子の拠点で楽しい時を過ごせるのは、もしかすると今回が最初で最後かもしれない。そんな貴重な記憶を確かに記せた2日間でもあった。
 帰路は妻が青春時代に行ったという大沼公園湖畔を1周。建物は変わっていたが、当時泊まったユースホステルが同じ場所にまだ残っていて、妻を感激させた。
 寄り道した関係で、帰宅は19時40分。この2日間の走行距離は548Kmで、昨年の道東ドライブの6割弱。行きも帰りも同じ単純なルートだったので迷うこともなく、高速も一切使わずに効率的に終えることができた。

 自宅近くのGSで給油した数値から逆算した実質燃費は、脅威の23.0Km/L。(満タン時の走行距離と給油量から計算)21.5Km /Lだった昨年の道東ドライブ数値をさらに更新した。ほとんどハイブリッド車なみの数値ではないか。
 高速は使わず、エアコンもそれなりに使い、峠道もかなりあったが、全くハンデにはなっていない。いまどき貴重な軽のマニュアル車、格安でも本当によく走ってくれる。

2011年8月21日日曜日

函館探訪記~前編

 朝8時10分に自宅を車で出発。国道230号をひた走り、中山峠から太平洋岸に抜け、初めて走る噴火湾沿いの道。海の青が美しい。
 途中、4度の休憩をはさみ、265kmを走って14時10分に目的地の函館に着いた。高速ナシで6時間ちょうど。まずまずのペースである。

 社員寮で息子と合流。息子の車に乗り換えて、市内をあちこち散策した。


 函館は夫婦とも40年ほど前に一度訪れたきり。今回は遅い夏期休暇をとり、息子の案内で青春の足跡をたずね歩く、という趣向だ。
 二人とも元気なうちに、できる限り楽しい思い出を作っておきたい。人生は儚く、そして短いのだ。

 トラピスチヌ修道院から啄木小公園、立待岬と、二人とも見損なっていた場所を中心に回る。あらかじめ希望地を連絡してあり、息子がスケジュールをコーディネイトしてくれたので、ほぼ予定通りに回ることができた。


 17時少し前にホテルにチェックイン。車を置いてそこから徒歩で函館の古い建物を見て回る、40年前はあまりゆっくり見た記憶がなかったが、小樽に似た美しい坂の街である。

 息子の組んだタイムテーブルに従い、日没少し前にロープウェイで函館山に上る。夫婦とも40年前に夜景は観ているが、時間帯が微妙に異なり、月日の流れで光の色や量もかなり変わっていた。周辺施設も驚くほど立派に変貌している。


 夜は息子のセッティングした海鮮居酒屋「函館山」で夕食。観光客にはあまり知られていない穴場だが、どの食材も新鮮でうまい。写真は皿が透けて見えるほど生きのいいイカの活け造り。足がまだピクピク動いていて、とろけるような舌触りだ。
 ここの支払いは息子がするというので、素直に甘えた。こうしてだんだん庇護する側からされる側に変わってゆく。これもまた時の流れ。
 函館の旬の景観と味を堪能し、ホテルに戻る。コンクリート打ちっ放しの斬新なデザインで、朝食付6,000円と安い。部屋にはインターネット端子が標準装備で、使い放題。観光地にも近い。
 ネット検索で条件を絞り込み、ユーザー評価が高かったので選んだが、評判通りだった。このブログはホテルで記している。


 明日は五稜郭から金森倉庫と回り、そして函館名物塩ラーメンを食べて帰る、楽しみはもう少し続く。

2011年8月18日木曜日

ツイッター試行錯誤

 ツイッターのフォロー(他のつぶやきを自分のホームに表示すること)に関し、忙しい動きがあった。朝起きてチェックすると、見知らぬ人から2つのフォロー通知が届いている。さっそくその人のプロフィールやつぶやき内容をチェック。
 すると、一人は明らかにイカガワシイ営業系で、「時給5万円稼ぐ方法を伝授します」などと、意味不明のつぶやきを記し、自分のサイトに導こうとしている。すぐにこの相手をブロック処理。(フォローされないようにする)
 もう一人は震災支援系サイトだったが、過去のつぶやきやメインサイトでの活動をよく調べると、偏った考えでついて行けない部分があった。しかし、ブロックする相手でもないので、「フォロー返し」はせず、そのまま放置。

 忙しさでバタバタしているうち、夕方自分のツイッターサイトを確認すると、いつの間にかその相手のフォローが消えていた。
 以前にも似たようなことがあったが、見知らぬ相手からフォローを受けたまま、フォロー返しをせずに放置すると、(失礼なヤツ)と相手は思うのか、フォローを消されることがけっこうある。そのガマンの限界が、およそ1日ということか。
_すでに退会したmixiでも似たような経験がある。「ぜひお友達に」と申し込まれ、受諾したのはよいが、いつの間にかその相手が「お友達解除」をして消えている。
 一方的に申し込んでおきながら、勝手に解除するのも随分な話だが、ネット上で起こることは実社会でもそのまま起きること。交友関係はよくよく目玉を開いて見極めないと、とんだことになる。

 実はそんな私も、ツイッターを始めた直後には、「自分でフォローしておいて、自分で解除」という行為を数回やった。いずれも相手はマスコミ関連組織だが、あまりにもツイート数が多く、見るたびに自分のホームが同じ相手のツイートでびっしり埋まっていることに辟易してしまったのが原因。
 以降はそんな失礼がないよう、ツイートの数が程良い相手に絞ってフォローするよう心がけている。数からいえば、一日10ツイートが私の限度。それ以上になると中身が全体的に薄くなり、読む必要もない気がする。

 HPとブログとの折り合いをつけるのにしばしの時間を要したように、ツイッターとブログとのバランスをとるのにも、まだまだ時間が必要のようだ。

2011年8月16日火曜日

mixiを退会

 以前に少し書いたように、予定通りmixiを「脱会」した。(要するに、アカウントを消した)日記も写真もつぶやきも一度も投稿したことがなく、写真はプロフィール用のみ。「お友達登録」も先方から申し込まれたものばかりで、その数わずか10人ほど。
 日記はヤフージオログとの連携を指定してあり、mixi経由で読んでも直接読んでも、内容は全く同じだ。
 入っていたいくつかのコミュニティ(グループ)もずっと活動が停滞したまま。MacやDIY関連のコミュニティに時折投稿したことはあったが、新しい情報を得ることはなく、もっぱらこちらが教える側。欲しい情報はmixiではなく、開かれた普通のネット上にふんだんにあるのだった。もはや所属する理由はない。

 ところがいざとなると「抜け方」がよく分からない。どの組織もそうだが、会員はたとえユーレイ状態であっても、なるべくたくさん置いておきたいようで、退会の方法は極めて目立たず、簡単に見つけられない仕組みになっている。
_私の入っているプロバイダのヤフーに、「プレミアム会員」というのがある。月額346円の付加料金がかかるが、入会するとヤフーオクションの入札(賞品を売る)が自由にできるようになる。
 たまに売りたい商品があるので、ある程度たまると一時的に入会し、売れるとただちに退会、を繰り返しているが、このプレミアム会員も入るのは簡単でも、抜けるのは容易ではない。
 何度やってもやり方を忘れてしまうので、いつもネット検索で方法を伝授していただく。

 今回のmixiも最終的にネット検索でその方法を知った。「mixi」「やめ方」で検索すると出てくるが、いざ抜けてみると、長年イヤイヤ持っていた貧乏株をきれいさっぱり売り払ったような爽快気分。
 退会手続きの過程で、その理由をネホリハホリ問われたが、「閉鎖的なイメージが性に合わない」と端的に書いた。ツイッターやFacebookは会員登録などせずとも自由に閲覧でき、ネット検索にキャッシングもされるが、mixiはそのどちらも不可。
 ネットは本来広く世界に開かれているべきで、そこが大きな魅力のはず。最近は是正されたが、以前は会員の招待(推薦)がなければ、mixiは入会すらも叶わなかった。
(いまは入会は自由だが、「お友達ゼロ」が続くとアカウントが停止されるらしい。いやはや…)
 まずはすべての門を開けることです。

2011年8月14日日曜日

ツイッターを始めた

 必要に迫られ、遅まきながらツイッターを始めた。
 仕事関連の知人に勧められ、事業拡大をもくろんで(何も効果はなかったが)4年ほど前に始めたmixiと経緯は似ているが、今回は「金モウケ」が意図ではなく、純粋な道楽のためだ。それが何であるかは、時期がくれば公表したい。

 手探りで進めつつ、およそ1週間が過ぎたが、いちおうの方向性が見えたので、いよいよ本気でやろうかと思う。すでにメインサイトHPのトップに、専用のリンクアイコンも設定した。
(登録してない方でも、自由に閲覧できます)
 いい機会なので、ほぼ放置状態にあり、システムがどうにも肌に合わないmixiは、近々退会の予定。


 現時点での感想を一言で記すと、あっさりストイックなオトナのシステムといったところ。あくまで私個人の印象で、人によってさまざまな評価があると思う。

 140字以内という制限は少なすぎると当初思っていたが、慣れると逆にこの文字数で書くべき内容がちゃんと存在することに気づいた。私の場合なら、これまでブログのラストに記していたちょっとした思いや「語録」の類い、ブログには書ききれない短い記録、たとえばその日のライブスケジュールなどがそうだ。
 心に残ったニュースやコメントなどは「引用」「リツイート」などで簡単にアピールできる。写真や動画の貼付けも可能。基本的には、ブログとは異なる内容を記してゆこうと考えている。
「フォロー」というシステムは、HPならリンク、mixiならお友達のようなものだが、かなり気楽な印象で、見ず知らずの方からフォローされたりしてみたり…。その「お返し」も特に強制力はない感じで、いったんフォローした相手を、後日気が変わって解除するのも自由。そのベトつかないアッサリ感が、いたく気に入った。
 どの世界でも同じだが、明らかに営業目的でフォローをかけてくるユーザーがいる。時にそれがアヤシゲな相手だったりもする。その場合、「ブロック」という形で受入拒否ができるのもありがたい。

 不満はブログと違って、後で文章の修正ができないこと。(全文削除は可能)調べてみたが、コメントはグーグルなどの検索キャッシュには残っていないようで、ここが大きくブログと異なる。
(その後の調べで、かなりの時間を経てキャッシングされることが判明。数分でキャッシングされるブログやHPよりは、やはり弱い)
 ブログも所詮は「消えモノ」と常々思っていたが、つぶやきはもっと刹那的であると悟るべし。検索で強い力を発揮するのは、やはりHPだ。
_ユーザーの平均年令はかなり高いそうだ。著名人も多数いて、私のフォロー相手にも多い。さすがにウンチクのあるつぶやきが多く、読むだけでも面白い。
 ある方がここでなら一人で生きていけそうな気がすると評していたが、言い得て妙。我が道を粛々と歩いてゆくストイックな方には、ぜひお勧めしたい。

2011年8月13日土曜日

以前は出なかった声

 市内西区の有料老人ホームにて訪問ライブを実施。今日も札幌は30度を突破し、暑い中で準備したが、つい最近始めたばかりのツイッターの管理に熱中する余り、ふと気づくと出発時間が迫っていた。
 休暇で家にいた妻にそうめんをゆでてもらい、5分で流し込む。麺類とはいえ、いくらなんでも早すぎるが、とにかく時間がない。箸を置くや、ただちに機材を積んで出発した。

 妻を誘ったが、日々の疲れが蓄積しているようで、暑いさなかに出かけたくないという。まあ、そうでしょう。「妻から完全自立した弾き語り活動」を心がけているので、ストイックに一人で出発。


 今回も依頼はネット経由で、先方はライブレポや音源で私の情報を事前に得ている。いまやネットは安定した依頼ルートである。
 初めての施設だったが、他のライブ等でよく行く地域なので、下調べはグーグルマップでやっただけ。迷わず30分で着いた。すぐに機材をセットし、ちょっとだけマイクテスト。予定より5分遅れてライブは始まった。
 実はここ数日、いまひとつ喉の調子が上がらなかった。身体的な問題より、このところ続けて不本意なライブが続いたことによる、気分の問題だったかもしれない。
 室内がやや暑く、出掛けの慌ただしさもあって、不安を抱えた中でのスタートになったが、いざ初めてみるとなぜか気分は一気に乗った。

 施設側の方針で聴き手は自由参加だったせいか、20名強。しかし、音楽好きな方が集まったようで、1曲目から一緒に歌ってくれる方が多数いた。歌いながら強い一体感を感じ、相乗的に歌はますます乗った。


 この日歌ったのは順に「高校三年生」「バラが咲いた」「お富さん」「ここに幸あり」「真珠貝の歌」「宗谷岬」「瀬戸の花嫁」「浜辺の歌」「二人は若い」「上を向いて歩こう」の10曲。
 このところ2度続けて「外れ」が続いているので、冒険はせず、実績のある曲を並べた。嗜好がいまひとつつかめず、しっとり系とニギヤカ系を取り混ぜたが、始めてみるとしっとり系を好む傾向にあり、やや反応の弱かった「お富さん」と「真珠貝の歌」は短めに切り上げた。

 予定通り30分で終えたが、誰一人席をたとうとしない。機材をさっさと撤収する雰囲気ではなく、職員の方も遠慮がちに会場を見回すだけなので、「どうしましょうか?」とこちらから声をかけると、期せずして「もっと聴きたい」「アンコール!」との声。
 施設系ライブでアンコールは久しぶりだったが、ありがたく「丘を越えて」を歌い納めとした。
 ライブ中も会場からは「いい声だ」「上手だね」とささやく声が耳に入っていたが、ずっと一緒に歌ってくれていた車椅子の女性が終了後近寄ってきて、直にお礼を言ってくれたうえ、「ぜひ握手を」と手を差し出された。
 これまたあまり例のないこと。この日は本当に会心の出来だった。玄関まで送ってくれた担当のHさんが、「実は私も泣いてしまいました」と打ち明ける。
「ひょっとして"瀬戸の花嫁"ですか?」と問うと、そうです、なぜか自然に涙が流れました、と言う。
 ライブ中も会場からそんな気配をあちこちで感じていて、この歌では先月の施設に続き、連続の涙ということになる。

 最近、以前は出ていなかった声が出せるようになった自分を感じる。うまく言えないが、高い低いではなく、「響く」イメージである。それが聴き手の涙とリンクしているような気がする。
 問題はその正体が何であるか、まだ自分でもはっきりしないこと。持続して出せるか否かは、もうしばらく様子を見なくてはならない。

2011年8月12日金曜日

クズという踏み台

 続いていた真夏日がついに途切れた。つまり、最高気温が30度以下だった。数日前に強風で外れて落下したが、暑さで修理する気がせず、放っておいた2階西窓のスリット壁の取付工事を夕方からやる。
 脚立を自作の延長ハシゴで伸ばし、慎重に作業。つかまる場所がないので、難しい作業だったが、何とか無事にやり終えた。

 最近になってDIYで設置した木製スリット壁は、今回で2度目の補修である。木製の枠に2ヶ所穴を開け、単純にビスで窓枠に止めただけだが、普通のビスではやはりダメらしい。
 今回は太さと長さが充分にある「タッピングねじ」という、下穴にねじ山を刻みながら固定するタイプの特殊ねじを使用した。今度は大丈夫のはず、たぶん。


スタージョンの法則」というシロモノがあることを最近知った。「マーフィーの法則」はよく知っていて、「仕事はなぜかまとまって依頼がくる」「出かける直前に限って、長い電話がかかってくる」「大事なプリントをしようとすると、インクが切れる」などが代表例。
 最近ではこれを逆利用し、「天気の悪い日に出かけると店が空いている」「ひとつ買ったらひとつ捨てよ」など、自ら「逆マーフィーの法則」と称して生活に役立てている。

 ところが「スタージョンの法則」は「世の90%はクズである」という、トンデモナイ内容なのだ。元々はSF小説の世界で使われた言葉らしいが、文学全般でも同様の話はあって、「文芸賞投稿作品の90%は取るに足らないもの」とは、よく言われる言葉。
 文学と音楽には共通点が多いから、おそらくは「世の音楽の90%はクズ」ということにもなるのだろう。残る10%が何らかの形で評価される作品、ということか。
 文学にも音楽にもかなり長くしがみついてはいるが、文学賞投稿、出版社持込み、ネット掲載、傍迷惑な路上ライブなど、何らかの形で世に問うた作品の多くは、やはり「クズ」と言われても仕方のないものだった。しかし、幸いなことに10%、いや5%くらいはある程度の評価を受け、どこかで誰かの琴線にふれたと確信する。
 それもこれも自らのクズという踏み台があったからこそ。クズを恐れてはいけない。

2011年8月10日水曜日

細く長く

 7月末に参加した「ALIVEミュージックフェスティバル」のステージを客席で観ていた、という見知らぬ方からメールがあった。
 私の歌に感激し、ネットで調べてYouTube音源なども多く聴いてくださったそうで、「私の介護施設で歌っていただけませんか?」という。札幌から車で2時間弱の街に住んでいる経営者の方だが、身に余る言葉がうれしくてありがたく、すぐに快諾のメールを返信した。

 セルフレポでもふれているが、あのライブに出た直後は、ちょっと落ち込んでいた。自分には不似合いな「上を目指す歌い手の場」であったとしても、落選は落選。まあ、音源審査を通っただけでもいいかと、自分を慰めていただけに、客席でそんなふうに聴いていた方がいたとは驚きである。
 どんな場であっても、魂をこめて歌っていれば、どこかで誰かの心に届いている。そう信じて歌うべきなのだろう。


「普段は介護施設や障がい者施設、地域センターを中心に活動しています」と、ステージ冒頭で短く自己紹介しただけで、配布されたプログラムには名前以外の情報は一切記載がない。
 それでもネットで素性を調べてくださった。ブログやHP、YouTubeなどで素早くこまめに自分の情報を率直に発信し続けてきたが、最近になって、いろいろな形で結実しつつある。あくまで自分の趣味の領域だが、何事も長く続けることに意義があるようだ。
「長く続ける」に関連するが、昨夜、久しぶりに自分のブックマーク(お気に入り)サイトをチェックしていたら、昨年春にシャンソンライブに参加させていただいた近隣のカフェが、8/9付で閉店と告知していた。1年余の短い期間だったが、オーナーの体調不良が直接の理由だとか。
 実は一昨年ソロコンサートをさせていただいた都心のカフェも、同じくオーナーの健康上の都合で閉店している。こちらも1年余の短期間で、この種の話は最近あちこちで耳にする。それだけ世情は厳しいのだろう。

 開業前にいろいろな本を読んだり経験者の話を聞いたりしたが、あちこちで耳にしたのが「開業1年目を乗り越えよ」という警句である。規模の大小や業種を問わず、まずは最初の1年を何とか乗り越えること。現実には、ここで90%が脱落するという。そして次なる山は、ずばり10年である。
 仮にこの2つの山を何とか乗り越えることができたなら、経験や人脈などのノウハウの蓄積を活かし、どうにか残りの人生を歩んでいけるのではないだろうか?

2011年8月7日日曜日

夏祭り墓参り

 またしても30度を突破。繰り返すが、こんな日はじっと家にいるに限る。しかし、午後から母の暮らす施設で夏祭りイベントがあり、私は出演しないが、家族同伴が原則である。昨年もそうだったが、ついでに早めの墓参りも済ませてしまおうと、あれこれ準備して出かけた。


 途中で花や菓子などを買ったので、開始時間に少し遅れて到着。お目当てのボランティアライブはすでに始まっていて、すぐに母を迎えに行こうと思ったが、念のため会場をうかがうと、中程に母らしき姿が。
 昨年と異なり、すでに席に座ってライブを聴いていた。どうやら職員の方が連れてきてくれたらしい。
 出演バンドは昨年と同じで、8人の中高年で編成されている。メンバーが昨年とは微妙に異なっているが、推定平均年令70歳のバンドだから、いろいろ事情があるのだろう。
 バンマスは昨年お話しをうかがった際、82歳と聞いていたから、今年は83歳ということになる。全く変わらぬ卓越した演奏を聞かせてくれた。私より21歳も上だが、全く老いを感じさせない。「ボランティア音楽活動」という形で、創造的で充実した日々を送っているせいだろう。見習いたい。


 母にはカステラケーキとオレンジジュースを買っていった。なにせお祭りである。好みの生演奏を間近で聴いて上機嫌の母と、演奏終了後も食堂に戻ってしばし雑談。施設はほどよく冷房が効いていて、推定室温28度あたりか?我が家より快適かもしれない。
 結局1時間半近く施設にいて、その後墓参りに行く。お盆には少し早いが、混雑を避け、いつも早めに済ませる。遅れるのはまずいが、早いのは問題ない。

 今日は初めて隣の墓の方と墓参が重なった。さすがにいつもよりは混雑している。母に持っていったのと同じケーキとジュースを墓前に供える。定番の供え菓子はほとんど買わず、ごく普通の品を使うのが我が家流。
 墓の前に座り、私も同じケーキを食べつつ麦茶を飲み、父の魂とあれこれ心の中で歓談。良き一日であった。

2011年8月5日金曜日

デザインのサジ加減

 北海道にしては珍しく、ムシムシする暑さ。午後イチ番で大事な仕事の打合せが都心であり、車のエアコンをつけたり切ったりしつつ走る。
 最近見つけた駅そばの格安駐車場が満車だったので、2番目の候補に回ってみたら、5台分しかないが、「60分100円」という超お得パーキングが、運良く1台だけ空いていた。

 この駐車場で、不思議な光景を見た。駐車スペースに止まっているボンゴ車の後部ドアが開けられ、たこ焼きかクレープのようなものを売っている。そばではハチマキ姿のお兄さんが客待ち姿。
 つまり、都心で駐停車違反をせず、合法的に屋台商売をやっているのだ。60分100円の駐車料金なら、8時間連続営業しても、経費は800円。札幌駅と札幌ファクトリー(大規模商業施設)の中間地点なので、それなりに客はくるのかもしれない。


 2時間以上もかかったが、難しい打合せは無事に終了。空腹だったので、その足でカエルヤ珈琲店に向かう。駐車場から店に向かう途中、またまた不思議な建物を発見する。
 古い民家を改築した花屋さんだが、設計者のセンスが光るデザインバランスが、ちょっと雨模様の街並みに映えていた。
 まず全体の色構成が実にうまい。モノトーンでまとめた外観に、手前に張り出した木製パーゴラ?の赤茶色と、それと視覚的に直交するツタの緑が効いている。
 2階窓枠にあしらった緑も、すべて計算済みだと思う。外壁の円を取り囲むように配置されたパーゴラの四角。多すぎず、しかし少なすぎることもない。そのサジ加減が絶妙。やりますな。

 カフェならば、思わず入りたくなる店だったが、花にひとまず用はないので、通り過ぎてカエルヤに到着。定番のチリドッグとマイルド珈琲を美味しくいただく。

2011年8月3日水曜日

カエルのカズー

 学生時代の友人夫婦が富良野にラベンダーを見にいったそうな。とある小屋?に、不思議な木作りの笛が並んでいたそうな。吹けば、たちどころにカエルに変身できるのだとか。
「TOMさんに買ってゆきましょうよ」と、奥様がいい、言われるままにダンナ様(私の学友)は金を払ったそうな。

 というオトギ話風の不思議なメールと共に、(本当はもっと面白く書かれていたが、丸ごと引用は著作権のカラミで不可)アヤシゲな箱に詰められたその笛が送られてきた。


 カエルの刻印のあるその笛をTOMさんは喜んだが、吹いても吹いてもまともな音は出ない。困り果てて友人にSOSメールを送ると、「口にくわえて歌いなされ」とのお告げ。
 その通りにしてみると、確かにカエルになれた。めでたし。
 調べてみると、「カズー」という神様的サッカー選手のような名の民族楽器であった。弾き語り系のプロ歌手もけっこう使っている。YouTubeでは、「Kazoos」という作品が見事な演奏を繰り広げている。
 いきなりこのレベルは無理としても、ハモニカホルダーに装着し、コミカルな味の曲の間奏には使えるかもしれない。ケロケロ。

2011年8月1日月曜日

ショッパイ場所

 昨日の音楽イベントに関し、いろいろと感じたこと、考えさせられたことがあったので追記したい。
「被災地支援」をうたいつつ、内情は上(プロかそれに近いポジション)を目指すシンガーの厳しい選抜の場であった、というのが参加しての実感である。趣味道楽としての音楽を追求するだけの還暦シンガーにとっては、やや場違いなイベントであったかもしれない。

 文句なしで抜けた4組の演奏者が、いずれも20代かそれに近い若手であったこと。5位が同点で並び、審査員の話し合いでも決着がつかず、急きょ決勝枠をひとつ増やして2人とも選抜、という結果だった。
 その後の調べで、この2人がそれぞれ45歳と47歳だった。やはり上位は若手、という審査結果はゆるがない。
(ちなみに、審査員は7人中5人がプロの音楽関係者である)


 好みの問題はあるが、冷静に全体を見渡して、決勝選抜者とそうでない人とに、大きな実力差はない印象だった。すると選択の基準は、粗削りでも傑出した何か、たとえば抜群の声量であるとか、個性豊かな歌唱法とか、楽曲の個性的なメロディラインなどがまずあっただろう。
 このほかに大きな基準があるとすれば、それは若さ、すなわち年齢である。つまり、同程度の実力ならば、将来の可能性で若い人を選抜するという、年長者にとっては冷酷な事実である。

 この基準は音楽界に限らず、文学の世界でも同様である。たとえば芥川賞で同レベルの作品が並んだ場合、間違いなく若い方が選ばれる。理由は簡単で、若いほうがその業界に長く関わり、より貢献してくれる可能性(あくまで可能性である)があるからで、音楽でも文学でもいまや背景には商業主義が固く張りついているから、それは仕方がないことだろう。
「まだまだ若い者には負けない」などと粋がってみても、よほど抜きん出た力がない限り、年長者に勝ち目はない。
 こうした事実がイヤであれば、最初から選抜を伴うイベントには一切参加しないことだ。あるいは、「応募条件は40歳以上」などと、年齢制限が明確なイベントに絞って参加する。
 私は根が意地っ張りなので、あえて年齢制限のないフリーな選抜イベントにエントリーする傾向がある。
 音楽や文学本来の姿を突き詰めてゆくなら、年齢など何の関係もないはずだ。しかし、今回も上記のような結果だった。単純な年齢以外に、年長者はおしなべて発想が固く、古いものに縛られる傾向があり、それも間違いなくマイナス側に働く。

 今回のイベントでも音楽的なスタイルが古く、「いつかどこかで聴いたサウンド」といったパターンは、たとえ演奏はうまくて歌唱が優れていても、すべてふるいにかけられてしまった感じだ。
(若手でも古いパターンを踏襲している印象の人は落ちている)
 くやしいが、私もその一人。だから痛みを伴う勝負を避け、自分を甘やかしてくれる場所に逃げ込むのか、はたまた新しいスタイルを追求しつつ、ショッパイ場所に挑み続けるのか、頭を冷やしてしばらく考えてみたい。