2011年7月31日日曜日

被災地支援ライブに参加

 以前にブログでも少しふれたが、「ALIVEミュージックフェスティバル」という音楽イベントに参加した。東日本大震災被災地支援系のイベントだが、参加条件が「復興に向けたオリジナルのメッセージソングを歌う」という、私にとっては非常に難しいものだった。
 偶然だが、公募を知った直後に完成したオリジナルがあった。大震災以後に初めて出来た曲で、内容的にも公募の主旨にピッタリ合う。運命的な巡り合わせを感じ、急いで仕上げて応募。粗削りだったが、締切までの時間がなく、音源送付がエントリーの必須条件だったので、やむを得ない。
 締切をはるか過ぎても何の連絡もなく、やはり急ごしらえでは無理かと諦めかけた頃、事務局から音源審査を通過したとの連絡があった。担当の方の話だと、イベント要項が新聞掲載になった直後に応募が殺到し、けっこうな倍率だったらしい。
 過去に音源審査は何度か出したことがあるが、通ったり通らなかったり。受け入れ側の好みもあり、なかなかハードルは高いのだ。


 ともかくも予選大会に出る権利は得た。当日は妻に休暇をとってもらい、写真撮影係を強制指名。会場は札幌都心にある音楽ホールで、入ってみるとオープンスタジオのような不思議な造りだった。
 出演は17組中の3番目。リストによると、やはりここでも突出した最高齢参加者で、一番近い方でも50代前半が2名。大半が20~40代の若手で埋まっていた。

 順番からして大して期待はされていない印象だったが、いざ舞台に上がるとけっこう緊張した。エントリー曲は「雲や風と共に」という、やや難解な切り口の内容。
 調整はうまくいったので声はまずまず出ていたが、(暗譜にすべきか、楽譜を見るか…)で最後まで迷ったすえ、念のため楽譜を置く、という中途半端な選択が裏目と出てしまった。
 かなり最初の部分で一瞬歌詞を見失ってしまう。「幸せに…」というごく短い歌詞だったが、ほぼ致命的なミスで、この瞬間に予選通過の目はなくなった。
(後の祭りだが、楽譜ナシで歌っていれば、このミスはなかったかもしれない)


 しかし気持ちはこれで逆に落ち着き、以降は普通に歌えた。終了後に合計7名の審査員のうち、2名の方から講評をいただいたが、「年齢に似合わぬ美しい声」「少し上がってましたが、完成されています。最高でした」と、おおむね好評。
 しかし、こうした場では美辞麗句が並ぶのが通例で、それを真に受けていては勘違いのドツボにはまる。失敗だったのは自分が一番よく知っている。
 心配していた妻の動画撮影は一脚固定がうまくいって手ぶれもなく、おおむね映っていた。しかし、ズームを使わなかった(使えなかった?)関係か、ライブが始まると目まぐるしく動く強烈な照明に翻弄され、カメラの露出が追いきれず、顔が白く飛んでしまっていた。
 始まりの部分だけがバランスよく写っていたので、ここを静止画として切り取り保存。音声はスレテオでクリアに録れていたが、歌詞の欠けているものをネット掲載する気にもなれず、こちらはお蔵入りである。
(気分が変わったら、応募音源をアップするかもしれない)

 細かい問題点はあるにせよ、動画、静止画像、音源の情報が一度に得られるデジカメでのハイビジョン撮影は、記録手段としては悪くないことを今回知った。


 ほぼ全部の出場者の歌を聴いたが、非常にレベルが高い。そして多くの方が暗譜して歌っていた。終了後の講評でも、「決勝大会出場者は、必ず暗譜してきてください。譜面台使用者はそれだけでマイナスポイントです」とあり、この種のイベントはオリジナルは当然として、暗譜もまた常識であるらしい。
 譜面を見て歌うことがアタリマエのようになっていた我が身にとって、非常にショッパイ場であった。
 延べ6時間に及ぶイベント終了後に発表のあった決勝大会進出者6名の中に、当然ながら私の名はなく、多くは20代の前途有望の若者だった。歌った直後の司会者インタビューでも答えたが、60代として参加できたことに意義のあるイベントだったといえよう。よくぞ音源審査が通ったものと感心する。
 しかし、チケットノルマとして負担した費用の一部が被災地に届けられるようだし、イベントそのものが完全に被災地を向いた内容だったので、(オリジナル曲はすべて直接的、間接的に被災地を歌ったもの)その点でも充分に意義があり、満足できるものだった。

2011年7月28日木曜日

早足の夏

 昼前から30度を突破。暑い盛りの午後2時に、どうしても郵便局に行く用事ができてしまい、休暇で家にいた妻から買物を頼まれたりし、ちょっと迷ったが、車や自転車は使わずに帽子をかぶって歩いて出かけた。
 昨日も5キロ近く歩いたが、やはり歩くと体調がよくなる気がする。人は歩く動物である。


 とは言いつつ、歩き始めるとちょっと後悔した。予想以上に暑い。じりじりと歩道に照りつける強い陽射しに、少年時代の暑い夏の一日をふと想い出す。

 ゆっくり20分歩いてたどり着いた郵便局は、ほどよく冷房が入っていて、まるで天国。帰路はこれまた涼しいスーパーに寄り、頼まれた食材を調達した。


 昨年は全く咲かなかった自宅庭のタチアオイが、今年は何とか花を咲かせた。濃いピンクが強い陽射しに映える。
 タチアオイを植えている家は北海道では少なく、多くは街路樹の根元で自由に繁殖している。どこにでも咲いて生命力が強いところが、逆にマニアックな花好きには嫌われるとみたが、どうでしょう?

 家に戻って今年初めてショートパンツにはきかえ、冷たいニワトコソーダを飲む。生き返った気分になったとたん、暑さ疲れからか、夕方まで予備ベットで寝てしまった。先週末の疲れも溜まっているのかもしれない。冬物洗濯は、またしても出来ずじまい。
 夏が早足で過ぎてゆく。

2011年7月26日火曜日

YouTubeと著作権

 YouTubeにアップ済みの動画「瀬戸の花嫁」に、数日前から妙な広告が表示されるようになった。アップした人間だけが閲覧可能な管理画面で確認すると、「サードパーティのコンテンツに一致」「あなたの動画に、次の組織が所有または管理しているコンテンツが含まれている可能性があります」などと、これまた見慣れぬ警告文。
 同時に、「あなたが何らかの措置を講ずる必要はありません」「あなたの動画は、まだ全世界で見ることができます」「動画の横に広告が表示される場合もあります」ともある。動画に急に広告が表示されるようになった訳は、まさにこれだ。いったい、何がどうなった?

 調べてみると、どうやら動画に著作権に関わる内容が含まれている可能性がある、との警告文らしい。しかし、「瀬戸の花嫁」はアップロード後1週間、「オー・ソレ・ミオ」に至っては、2ヶ月も経ってからの警告で、そもそも2つの動画とも、カバー曲を歌ってはいるが、何ら著作権にふれる行為はしていない。
 参考までに、YouTubeに自分で演奏したカバー曲をアップする行為は、JASRAC管理曲や、著作権の切れたクラシック曲などに限ってOKである。
(2008.10にYouTubeとJASRACとが包括利用許諾契約を締結)
 上記の2曲はいずれもJASRAC管理曲で、この点では問題ない。歌も演奏も私自身で、使っている写真や映像は、すべて私が撮影したもの。著作権に関わる音声、画像等は一切含まれていない。それではなぜ?

 さらに調べを進めると、「サードパーティのコンテンツに一致」とは、既存のCDやDVDの内容と、アップした動画の音声や映像が一致してますよ、(または、限りなく近いですよ)という警告らしい。
 写真や映像は全く問題ないので、疑われているのは音声データだ。つまり、私の歌が市販のCDやDVDの何かと酷似している、との指摘のようだ。

 最初は痛くもない腹を探られたようで気分を害したが、調べを進めるうち、だんだん面白くなってきた。疑われた2つの曲をYouTubeで検索してみたら、多くの人が歌っている。この中で、私と同じように広告が表示される動画はないか調べてみた。
 すると、「オー・ソレ・ミオ」でひとつだけ発見。こちらはアマチュアらしきグループによるライブ映像だった。
「瀬戸の花嫁」はアマチュアでカバーしている人はなく、もちろん男声のギター弾き語りなど皆無。そして、小柳ルミ子本人の歌では、音源をレコードやCDから録ったと思われる動画には、広告が表示された。しかし、本人の歌でも、テレビ映像を使った動画には、なぜか広告は表示されない。全く不可解な話である。
 真相はいまも定かではないが、音楽会社によってはYouTubeに自社の所有する音声データを提供し、検索ロボットのようなものでアップされる音声データと逐一比較を行っているらしい。「完全一致」と判定された場合、その場で警告が出され、消去されることもあるとか。
 ロボットの精度はまだ100%ではなく、ある確率で一致すると、(疑わしい…)という判定になるようだ。おそらくはカラオケの採点マシンのようなアルゴリズムなのであろう。

 一時は曲を削除することまで考えたが、面白いので、しばらく様子を見てみたい。「瀬戸の花嫁」は偶然、小柳ルミ子の音源とキーが全く同じだった。チェックマシンが騙された所以はそこか。こうなればいろいろカバー曲をアップしてみて、マシンとの騙し合いに励むというのも一興である。

2011年7月25日月曜日

晴れのJRタワー展望室

 札幌の街は初めてという息子の友人を伴い、いい機会だと、札幌駅上にあるJRタワー展望室に昇った。エレベーターは有料だったが、60歳を過ぎるとシニア割引で100円安くなり、600円。だんだんこんなふうに社会から庇護される立場になってゆく。

 直通エレベーターは無音で、しかも速い。あっという間に到着。一気に広がる地上160mの大パノラマに驚く。同じ都心にある札幌テレビ塔よりも高くて広く、そして美しい。実は札幌在住の私も展望室に昇るのは初めてなのだった。


 札幌の東西南北が均等に見渡せ、我が家周辺はもちろん、はるか遠くの暑寒別岳までがくっきり鮮やかに見えた。好天に恵まれて幸いだった。

 ぐるりと一周したあと、こちらも評判の「スカイトイレ」なるものを息子やその友人と共に探索。なぜ「スカイトイレ」なのかは、写真の通りで、これ以上ない開放感に満たされる。


 次回はぜひ夜景を見ましょうよ、冬の雪景色もよさそうと、同行した妻も大喜びであった。平日とあって、人はほとんどいない。札幌都心で観光客を案内する穴場かもしれない。
 その後、いったん1階に下り、別のエレベーターに乗り換えて今度は35階にあるスカイレストランに行く。たった3階下がるだけだが、途中で降りることはできない。ここがちょっと不便だった。
 しかし、こちらも地上150mの高さにあり、大パノラマを眺めつつ、優雅に食事が楽しめる。ランチは1,800円からあり、デザート付き。人気があって混んでいるので、いきなり行っても昼食時には座れず、今回は前日に予約して行った。

 私たちにしては珍しく散財したが、こんな「晴れの日」がたまにあるから、また明日から日常をつましく生きて行ける。

2011年7月24日日曜日

ライブの当たり外れ

 友人を伴って帰省した息子の接待と、ぴったりスケジュールが重なった近隣の町内会夏祭りイベントへの出演とに忙殺された2日間だった。
 諸事情で4時間ほどしか眠らぬまま、午前中から慌ただしくライブ会場へと向かう。場所は徒歩20分ほどの近隣公園だが、機材の関係で車で出かけた。

 会場ではすでに音楽仲間のチロリンさんがスタンバイして待っていてくれた。実はこの日はチロリンさんが所属する町内会のお祭りで、二人で臨時ユニットを組んで歌う予定だった。ところが、10日ほど前にチロリンさんが持病の腰痛を悪化させ、歩くのもやっとの状態。ギターの音合わせは不可能となり、やむなく私のソロステージとしてやることになった。
 結局、チロリンさんは今週手術をするらしい。私と同い年だが、ご両親の介護と町内会の世話役、経営する介護施設の仕事などが重なり、身体のあちこちに軋みが出ているようだ。全く人事ではない。


 いつもふれているように、お祭りイベント系ライブは苦手。なにせ「叙情歌シンガー」と自らうたっているのだ。酒を伴うドンチャン系イベントは、どのような形でも気持ちが先に引いてしまう。
 しかし、非常事態なので、そんなことは言っていられない。かねてから準備したプログラムを基本に、一人で30分を歌い切る覚悟を決めた。
 11時過ぎからPAのチェックをかねてマイクテストを行う。まだ町内の人は集まっていず、回りは関係者だけだが、なぜかこのマイクテストの評判がよく、つい調子に乗って5曲ほどを歌ってしまう。
(あとで考えてみたら、準備段階なのでアルコールはなく、聴いてくれる条件が整っていた)

 12時から祭りは始まり、屋台での飲食をしつつ、12時45分からイベント開始。最初は町内の子供太鼓だったが、この種の鳴り物はお祭り系イベントには強く、音を聞きつけて集まってくる人も結構いた。聴き手はざっと150人ほど。盛況である。


 太鼓は15分間で終わり、すぐに私がステージに載る。スタンバイは完全に済ませてあったので、1時過ぎからライブは始まった。
 この日のセットリストは、好評だった先日の障がい者施設イベントでの構成を基本にし、30分で以下の8曲を歌った。

「上を向いて歩こう」 「涙そうそう」「手のひらを太陽に」「北の旅人」(南こうせつ) 「ソーラン節」「さくら」(直太朗)「ピクニック」「真珠貝の歌」

 結論から書けば、不満の残る手応えのないライブだった。子供太鼓の派手なパフォーマンスに「食われた」面もあっただろう。太鼓終了を潮に、開始1時間で飲食の終わった聴き手が、かなり席を立ってしまったこともある。
 そんな悪条件下でも聴き手を場に引き止める魅力が私にあればよかったが、それは無理な相談だった。
 歌っていて手応えを感じたのは、「上を向いて歩こう」「北の旅人」 「ソーラン節」くらい。特に後半が冗漫に陥ってしまった印象だ。
 見かねてチロリンさんが最後の3曲にアドリブでリード伴奏をつけてくれた。(予備ギターの用意はあった)おかげでいい感じで歌えたが、それが聴き手に伝わっていたかどうかは、はなはだ疑問。歌い手だけが気持ちよくなっても、ライブとしては全く意味がない。

 そんな中、叙情系フォークの「北の旅人」は本番でもマイクテストでも手応えを感じた。おそらくいまの自分に合っている歌なのだろう。
 反面、先日の障がい者施設で好評だった「涙そうそう」はノレンに腕押し。全く歌は場によってコロコロと評価が変わる。だからライブは面白く、そして難しいのだが。

 当てたり外したりがライブの定めだ。ずっと「当たり」のライブなど、プロでもあり得ないこと。冷静な自己分析なくして、成長など望めない。
 最近「当たり」が続き、ともすれば増長し、「勘違い」しそうになっていた自分をいましめる、よいクスリとなったステージであった。

2011年7月23日土曜日

サブカメラ購入

 ふと魔がさして、新しいデジカメを買った。きっかけは5月末に実施の自主企画ライブ「叙情歌暦」。手持ちのデジカメで最も高性能のキャノンPowerShot S95で全編の動画を三脚撮影し、ライブ中の静止画スナップは、別の古いデジカメOptio E50で妻の友人に撮ってもらった。

 ところが、このデジカメの能力がいまいち。私が好む陰影が深く表現できるノーフラッシュ撮影は論外で、フラッシュを使っても、表現力はPowerShot S95に遠く及ばない。
 今後、この種の本格ライブは増える傾向が強く、暗闇に強い動画用と静止画用の2台のカメラを備える必要性に迫られた。


 いつものことだが、悩みに悩んだ。一時は動画専用のカメラを買おうかとも思ったが、問題は予算面である。たかが趣味に、湯水のように金を使うことはできぬ。動画撮影能力として、現状のPowerShot S95に不満はなく、全く同じカメラを2台そろえることも考えた。
 結論として、夜間撮影に優れているキャノン製デジカメのうち、廉価版だが特に夜間の撮影能力には遜色ない、IXY210Fを買うことにした。
「価格com」のサイトで最安値のショップをチェック。ただ安いだけでなく、ユーザー評価や送料の有無、入金手段などを慎重に調べたすえ、送料無料で、振込手数料が無料で済むゆうちょ銀行がOKの店を最終選択。
 調べるうちに価格がじわじわ下がり始め、13,000円になった時点で購入した。最短で月末に2台を同時に使うので、いまが買い時である。

 まだ数枚しか試してないが、静止画に関してはPowerShot S95とほぼ同性能で、暗い場所にも強い。マニュアル撮影やRAW撮影はできないが、価格がPowerShot S95の半分以下なので、サブカメラとしてはこれで充分である。

2011年7月22日金曜日

取引先からの頂き物

 午後から昨夜見繕っておいた材料で、木製のベッドスタンドを作った。すべて端材の再利用で、ケーブルは壊れた電気製品のコードを再利用している。
 これまで同様のスタンドを2個作り、今回が3個目。その時点での端材を活かして作るので、デザインはすべて異なる。しかし、ナチュラル&シンプル&リユースを旨とする我が生活デザインコンセプトには、ぴたりハマっているのだ。


 しばらく仕事の依頼がない取引先から、「暑中伺い」と称した封書が昨日届いた。いぶかりつつ封を開けると、3等のお年玉当選ハガキと商品カタログが入っていて、「日頃のご協力に対する感謝のキモチです」とある。交換期限は7/25で、ギリギリ。
 お中元の一種かとも思ったが、そもそも相手はお得意様である。しかし、今年は震災後にピタリと注文が途切れ、前半期実績で昨年同期の1割強という状況だった。
(ひょっとして別の業者に流れたのかも…)と半ば諦めの境地でいたが、どうやらそうではなく、単なる震災不況だったらしい。
 その3等賞品がかなりのもので、40種類ほどの食品から好きな品が選べる。悩んだが、20歳のときに自転車放浪旅行で口にし、味が忘れられない「長崎ちゃんぽん12食セット~特製スープ付」に最終決定した。
 さらに悩んだのは、「果たして頂きっぱなしでよいのか…」という問題。一時は同等品をお返しとして送ることも考えたが、妻の意見も参考にし、単に封書でのていねいなお礼状に留めることにした。
 期限ギリギリの当選年賀ハガキのいきさつがよく分からないこともあるが、これまでのお付き合いの経緯から考え、この結論に至った。

 前代未聞の「取引先からの頂き物」、この判断が果たして正しかったのかどうかは、時が結論を出してくれる。

2011年7月21日木曜日

動画の切り出し

「撮影した動画から静止画を取り出す」という難問にずっと取り組んでいたが、ようやく簡単な手法にたどり着いた。きっかけはライブがらみで、自分のライブを資料として残す場合、音源は手持ちのICレコーダーをPAに直結して撮る方法を確立した。

 しかし、画像をデジカメで残す方法が案外難しい。妻をマネージャー代りに撮影してもらえるのは、全ライブのごく一部。機械に疎い妻にあまり無理もいえず、そもそも妻が不在のライブが大半なのだ。
 介護施設等ではこれまで職員の方に撮影を依頼してきたが、施設側も資料として写真を写すのに忙しく、人手が少ない場では頼みにくい状況がある。
 いま考えているのは、1台のデジカメで動画と音源、静止画のすべてを得る方法だ。30分以内のライブが多いので、手持ちのデジカメを三脚等で固定し、最初からハイビジョン動画で撮ってやれば、人手を一切借りずにすべての情報が手に入るはずだった。
 音はすでに高音質のステレオ音源を取り出すのに成功。ライブCDにも使った。動画も問題なく、すでに一部をYouTubeにアップ。ライブDVDも焼けた。
 残っていたのは静止画の切り出しだけだったが、こちらも「QuickTime Player」というソフトで再生し、必要な位置でポース、その後コピーで取り出して画像ソフトにペースト保存すれば、ほぼ満足できるものが得られることを知った。

 QuickTime PlayerはMacとWinの両方に存在するが、なぜか旧バージョンの7でなければ作業不可能。ここに至るまでに時間がかかった。
 三脚固定だとひとつのアングル画像しか得られないが、ブログ用資料としてならこれで充分ではないか。早い機会に試してみたい。

2011年7月19日火曜日

木製ドアの調整

 雪解けの頃から玄関ドアの閉まりが悪くなった。毎年春先には起きる現象なので放っておいたが、夏がやってきても一向に改善されない。
 我が家の玄関ドアはフィンランド製の木製断熱ドアで、もともとが物置用に作られたもの。見てくれは粗いが丈夫で、断熱性能は抜群。しかし、木材の特徴で狂いやすく、数年毎に閉まり加減を調整している。
 最初は購入した直売店の担当者に来てもらった。(ドアは自分で購入して、取付だけを工務店に依頼。おかげで格安で済んだ)そのときはいったんドアを外し、蝶番の固定部分をノミで削っておさめていた。
 その後、3-4年毎に閉まりが悪くなり、原因はすべて湿気によるドア本体の膨張である。雪解け時期に決まって調子が悪くなるのも、おそらく湿度上昇によるもの。今回は例年よりもしつこい梅雨の影響もありそうだ


 購入して月日が経つと、そうたびたび業者を呼ぶこともはばかられ、かといって施工した工務店に頼もうにも、すでに倒産して会社が存在しない。
 他に知り合いの工務店がないわけでもないが、タダというわけにもいかず、結局人はアテにせずに自分で調整することにした。

 2回目は枠がこすれているドアの下の部分を電動ノコで2ミリほど切断して対処。3回目はドア下端の縦の部分をカンナで削って凌いだ。
 そして今回が4回目。こすれる部分が下か横かはっきりせず、薄い紙を間に挟んで調べた結果、3回目と同じくドア下端内側がわずかに膨らんでいるためと判明。前回同様、カンナで削ったあとに紙やすりで均した。このあと、自然系塗料で仕上げる。
 ドア本体と枠の隙間は削って広げたほうがドアの開け閉めは楽になるが、虫が入ってきやすくなるし、気密断熱上もマイナス。バール等でこじ開けられる可能性も高くなる。ぎりぎりにきついほうが防犯上も好ましいのだ。

 今回も紙1枚がようやく通る程度にしか削っていない。金属製のドアならこんな苦労はおそらくないだろうが、冷たい肌触りが好きではないので、人様の家を設計した分も含めて、一度も使ったことはない。
 現状の木製ドアは独特の温もりがあって、とても気に入っている。今後もこうしてダマシダマシ使い続けることだろう。

2011年7月18日月曜日

見届けた

 女子サッカーワールドカップ決勝戦を見届けた。「優勝確率60%」と前回ブログで予想したが、だいたいその通りの結果。しかし、試合は圧倒的にアメリカに支配されていて、勢いと執念で勝ったというのが冷静な分析だろう。
 パワーやスピードなど、実力的にはまだアメリカがかなり上だが、必ずしも実力通りの結果とはならないのが勝負の妙味。その味を充分に堪能させてもらった。


 それにしても眠かった。昼間に遠方で神経を使うライブをこなしたあとで、夕方に昼寝して備えたが、深夜3時過ぎに強い睡魔に襲われた。紅茶や珈琲を飲んでがんばったが、いざ試合が始まると眠気は消し飛んだ。
 ただ観ているだけで胃の痛むような苦しい試合展開だったが、PK戦になった段階で勝利を確信した。アメリカ側には勝ちゲームを追いつかれた心理的な焦りがあり、日本はその逆。PK戦はパワーではなく、細かい技術が勝利を分けるデリケートな勝負である。精神面でも技術面でも日本に一日の長があった。

 プロなどといっても、サッカーだけでは食べてゆけないのが、多くの女子選手の悲しい宿命。企業の手厚いバックアップのある女子バレーや女子バスケットとはそこが異なる。
 今回の優勝で少しでも彼女たちの待遇が改善されることを祈る。

2011年7月17日日曜日

聴き手の涙

 今年1月にクラシック・シャンソン等の洋楽を中心に歌わせていただいた市内の有料老人ホームから再度の出演依頼があり、今日がその当日。今回は日本の歌を少し多めに、という新たな要望をもとにあれこれ準備した。
 場所は札幌の最南端で、幹線道路沿いではあるが、札幌の北端にある我が家からはとにかく遠い。ライブは12時開始だったが、プロ歌手の高橋真樹さんのライブで、「起きてから4時間以上経たないとまともな声は出ない」という話を最近聞き、休日だったが8時には起きて備えた。

 10時くらいから自宅でリハを始めたが、(介護施設系ライブの場合、リハのたぐいはまず不可能)このところの不順な天候のせいか、声の調子はいまひとつ。3曲目に歌う予定の「丘を越えて」の最高音部がうまく出ず、不安が募った。
 本番でも調子が悪ければ半音下げて歌おうと腹をくくり、ともかくも終了。すぐに機材一式を積んで家を出た。
 冬よりは10分ほど早く、およそ1時間で先方に到着。開始20分前だったが、前回と同じ場所に機材を早めにセットしてスタンバイした。
 予定ぴったりの午後12時からライブ開始。30分で10曲を歌った。内訳は日本の歌が6曲、洋楽が4曲。「震災以後、入居者の元気がない」という先方の要望から、明るめの曲を中心に構成した。

「高原列車は行く」「サンタルチア」「丘を越えて」「真珠貝の歌」「ここに幸あり」「お富さん」「瀬戸の花嫁」「カレンダー・ガール」「夏の思い出」「アニー・ローリー」


 前回同様、いや、前回以上に手応えのあるライブだった。歌詞カードは一切配らなかったが、多くの方々がいっしょに口ずさんでくださった。日本の歌と洋楽とのバランスも程良かったと思う。心配していた喉の調子は、いざ始めてみるとあまり気にならず、全曲いつものキーで歌った。
 ライブは昼食直後に行われたが、この施設は余興に対する強制はなく、興味がなければ自室に戻ってもよい、というルール。しかし、席を立つ姿は皆無だった。
(担当の方の話だと、他の余興では結構あるらしい。ボランティアもすでに選ばれる時代に差しかかっている)

 初披露は「サンタルチア」と「アニー・ローリー」。両方ともうまくおさまってくれた。2度目となる「カレンダー・ガール」は、今回唯一外した曲。オールディズなのでいけると思っていたが、前回のライブハウスのようには受けなかった。洋楽でも馴染み深い叙情系の曲ならOKだが、テンポの早い曲はこうした場では難しいことを悟った。
 施設系では初めて歌う「真珠貝の歌」では、歌に合わせてフラダンスの身振りをする方が数名いらして、予想通りの手応え。ハワイアンは意外に受けることを再認識した。今後レパートリーを増やしたい。
 7曲目に歌った「瀬戸の花嫁」は、過去に実績のある曲だったが、曲名を告げただけで場内から歓声が上がった。歌っている間も強い手応えを感じる。あとから施設長さんが、「あの歌で涙を流している方がいた」と教えてくれた。
「聴いていると昔のことが思い出され、自然に涙が流れてきた」とのことで、歌い手冥利につきる。

 先日の地域センターにおける震災支援ライブでも「北の旅人」で涙を流してくれた方がいた。「聴き手の心にそっと寄り添う」を当面の目標にしている私にとって、聴き手の涙はこの上ない評価である。
 昨年あたりから、いろいろな曲で泣かれることが急に増えてきた。今回の「瀬戸の花嫁」もそうだが、自分の感情に流されず、技巧に走らず、聴き手をねじ伏せようとせず、しかし媚びることもせず、そんな姿勢をうまく貫けたときに、聴き手は静かに涙を流してくれるような気がしている。
 頂きには限りがないが、もしかするとひとつの場所にたどり着けたのかもしれない。

2011年7月16日土曜日

譜面台転用三脚

 かなり大きいホールでのライブイベントに出ることになったので、客席から的確に動画や写真を妻に撮影してもらうべく、カメラや機材の準備を始めた。「自分で適当な場所にカメラと三脚をセットして撮影」という手法は、この場に限っては無理である。
 カメラは普通のデジカメなら何とか操作してくれるが、2つ持っている三脚はどちらも妻にとって扱いやすいものとはいえない。まず、カメラを取り出して三脚に固定することが難しい感じで、手持ち撮影となるとブレの問題がある。

 狭い客席でブレなく写すなら、脚がひとつだけの「一脚」が使いやすいと思ったが、結構な値段がする。そこで例によって手持ちの機材をやり繰りし、手作りすることにした。


 使っていないスキーのストックや単純な木の丸棒や竹竿など、いろいろ考えたが、軽くて丈夫で折りたためる、という条件から、マイクと一体化して上半分だけを使っている譜面台の、使っていない下半分を転用することにした。
 カメラの三脚固定穴は1/4インチのネジ。譜面台のパイプ上端に1/4インチのボルトを固定してやれば、三脚として使えるはずだった。

 ホームセンターで1/4インチのボルト(L=20)を15円で購入。譜面台のパイプ内径は10ミリで、ボルトの頭の部分がこのままだと大きすぎて入らない。そこでネジ部分をテープで保護したあと、ペンチで挟みながらヤスリで頭の部分を丸く削っていった。
 ほどよいサイズになったあと、穴に差し込んでネジ固定。写真のように三脚として使え、脚をたためば時に応じて一脚としても使える。高さは最大で100センチあり、重さは450gと軽くて扱いやすい。
 いろいろ試してみたが、撮影を妻に頼む場合は最初からカメラをこの「譜面台転用三脚」に固定してしまい、カメラ保護ケースはそのままの状態で装着。使用時はケースを外し、脚の部分を延長すれば即撮影スタンバイ、という状態が望ましいようだ。
 今後使い方を妻に「徹底指導」し、ライブ記録係としての技を会得してもらう予定。

 本日のDIY難度、5段階中の2。ボルトの頭を丸く削る作業が、やや難しいかもしれない。

2011年7月14日木曜日

美しいゲーム

 菅首相が「脱原発社会をめざす」と発言した。「現実的ではない」とか、「党のコンセンサスを得ていない」とか、「政府の見解とは異なる」だとか、あちこちで利害関係に基づく醜い「もみ消し騒動」が予想通り起こっているが、仮にもサミット主要国首相の公式声明である。そう軽いものではない。
 少なくとも多くの国民の側に立ったものであることは確かで、その一点だけでも党利党略政略でしか物事を考えられない無頼の輩とは一線を画す、マトモな政治家の発言である。
 なにがダメなのか私にはさっぱり理由が分からないが、世間は菅首相を辞めさせる方向で一致しているらしい。しかし、現時点で菅首相を凌ぐ政策を進められるトップが、果たしてこの日本国にいるのだろうか?
 首をすげかえてはみたが、高支持率は最初の数ヶ月どまり。政策は現状維持か、おそらくそれ以下。以降の支持率は下降の一途を辿り、はては「やっぱり辞めてもらいましょう」を懲りずに繰り返すのは目に見えている。

 以前に「道民の側に立った原発政策をとり続ける限り、私は高橋知事を支持する」とブログに書いたが、同じ理由から、こうした国民側に立った政治姿勢を貫く菅首相を私は支持したい。
 そんなおぞましい政争劇をあざ笑うかのように、全日本女子サッカーチームが予想通りに会心の勝利。今回も眠い目をこすって朝まで観たが、見届けたかいがあった。
 一言で言えば、「美しいゲーム」である。流れるようなパスワークと、前線から中盤にかけての徹底したプレスディフェンス、そして自由で大胆な監督采配で、これらが選手の勝利にかける執念とうまく融合し、勝利につながった。
「決勝まで進む可能性70%」と4日前のブログに書いたが、ミスパスから先制点を許してしまった分がマイナス30%といったところ。調子に乗って決勝は、「優勝確率60%」と予想しておく。

 アメリカには男子なみの身体能力を持つFWがおり、失点をゼロにするのは難しいかもしれない。ディフェンスにはスピードがあり、ドリブルによる局面打開は簡単ではない。しかし、流れるような早いパスは通用するだろう。これにロングパスとドリブルを時に応じてうまく混ぜ、攻撃の単調さを消すことだ。
 何より、日本には勢いがある。直前の練習試合でアメリカに2敗しているのも、心理的には逆に有利とみる。歴史が変わる予感がする。

2011年7月12日火曜日

震災支援ライブ再び

 午前中と午後にそれぞれ、新規のライブ依頼があった。午前中の電話は、昨年新規開拓した近隣の百合が原地区センター内の社会福祉協議会支部から。9月下旬の「敬老の集い」への出演依頼で、まだかなり先だが、9月の依頼はすでに2件目。最近はとにかく出足が早い。
 昨年同様、数曲を歌ったあと、シングアウト形式で歌う2曲をリードする役割。「懐メロのシングアウト」という依頼に当初は面食らったが、いざやってみると、これがなかなか盛り上がった。選曲は先方の指定となるが、懐メロは何がきてもそう難しくはない。
 午後の電話は、実は先月下旬に提出した音源審査の結果連絡だった。「震災復興支援」をコンセプトにした大規模なライブイベントで、このテーマに沿ったオリジナル曲がエントリーの必須条件。
 新聞記事で知ったのが先月下旬だったが、まるでそれを予知していたかのように、「雲や風と共に」という、震災以後の世界観をテーマにしたオリジナル曲ができたばかりで、そのことはブログでもふれた。

 その時点で曲はまだ荒削りだったが、運命的な巡りあわせを感じ、数日で仕上げた。ほぼ一発録音だったが、「火事場の馬鹿力」というヤツか、これがそれなりの出来栄え。すぐにCDに焼いて郵送した。
(月末必着が条件で、ギリギリの日程)
 結果は、どうにか審査を通過したとのこと。自分の直感を信じてスケジュールを空けておいたかいがあった。先方の話では、締切り直前に応募が殺到し、かなりの競争率だったらしい。あくまで予選会に出られるだけのことだが、ここを突破すると、その先もある。
 そもそもオリジナル曲で音源審査を通過したのは、今回が初めて。(以前にNHKのオヤジバトルに一度応募したが、落ちた)まずはそのことを素直に喜びたい。

2011年7月11日月曜日

くびれ型無線マウス

「昨年は7月9日に新規の仕事が1ヶ月ぶりに入った」と先日記したが、ほぼ同じ時期にあたる今日、予想通り1ヶ月ぶりに仕事が入った。マウスを操ってCADソフトをいじるのも久しぶりで、(勘が鈍っているかも…)と心配したが、まあ普通にやれた。

 先日新しくしたWindowsの無線式キーボードとマウスを使って仕事をしたのも、たぶん今日が初めて。使い慣れたロジクール製なので、ストレスなく作業できる。(写真左から2番目)


 メインで使っているMac-miniのマウスも同時期にロジクール製の無線式に換えたが、これまでのマウスとは形状が変わり、最初はかなり違和感があった。しかし、慣れとは恐ろしい。先日、いまは妻が使っている以前のマウスをちょっと使ってみたところ、逆にトンデモなく違和感を感じた。(写真左端)
 交換しておよそ2週間ほどだが、以前はシックリこなかった新マウスのくびれが、いまはなぜか心地良いのだ。(写真右端)

 常用する4台のパソコンのマウスはすべてロジクール製。うち3つが無線式のくびれ型。(写真の右3つ)このタイプが世の流れではないだろうか。
_思うところがあって、坂庭省悟の「別れのうた」を日々練習中。難しい歌だが、歌い込むうちにじょじょに馴染んできた。情に流されず、歌詞から広がる世界をかみしめつつ歌うのがポイントか。
「来るべき日に備えて」と言いたいところだが、そんな日は永遠にこないかもしれない。しかし、それでもいい。ただ一人で歌っているだけで、充分に満足できる歌だから。

2011年7月10日日曜日

眠れぬ夜

 朝6時30分まで女子サッカーワールドカップを観ていた。眠気もすっとぶ会心の試合展開。起きていたかいがあった。女子サッカーは小学生チームを5年間指導し、教え子からLリーガー(プロ選手)も生まれた。(現在は引退)以前から思い入れが強い。
 予選リーグ3戦目のイングランド戦は完敗で、内容も悪く、あのイメージを引きずるとまず勝てない、と予想していた。結果としてあの負けで、気持ちが前向きに引き締まったようだ。全体的に落ち着きと強い気合を感じた。延長戦に入ったあとは、観ていて負ける気がしなかった。


 個人的に好きなのはボランチの阪口選手で、彼女は20歳からすでに全日本のレギュラー。若いが、落ち着いている。3年前から注目し、当時のブログでもふれた。地味なポジションだが、そこが彼女に向いている気がする。
 今回もう一人動きが目立ったのは、ストッパーの熊谷選手。こちらも弱冠20歳だが、長身を活かしたヘディングで、何度も危機を救っていた。今年からドイツチームに移籍する逸材だが、地元札幌市出身ということもあって応援したい。

 やってみないと分からないが、決勝まで進む可能性70%とみた。次の試合もキックオフは明け方3時45分。眠れぬ夜が続く。

2011年7月6日水曜日

驚異の節電効果

 今月分(7月請求分)の電気代請求書が届いたが、日が長くなったので前月より減ったのは当然としても、驚いたのは前年同月分との比較。今年の分が186kwhで、(写真の青線部)昨年同月分が232kwhである。(写真赤線部)その差がマイナス46kwhもあり、実に20%もの驚くべき削減量である。
 昨年と今年とで家族構成や暮らし方に大きな違いはないから、この差は何らかの節電対策による効果と評価してよいことになる。

 参考までに、過去5年間の7月請求分電気代は、順に以下の通り。(単位はkwh)
 228→225→218→230→232→186(今年)


 今年の分が突出して少ない。(いったい何がそんなに…?)と、自分のことながら、すぐには考えつかなかったが、あれこれ資料を繰ってみて、ようやく次のような結論に至った。

1)常夜灯ナツメ球のLED化による効果。
 この節電対策は昨年8月から始めたので、今回の削減数値に関わってくる。
2)待機電力削減による効果。
 この対策も昨年10月からなので、同じく削減数値に関わってくる。
3)メインパソコン買い換えによる効果。
 今年5月末から、メインパソコンを省電力型に換えた。サブパソコンの故障がきっかけだったが、当初の試算通りの節電効果があったことになる。
4)電気釜買い換えによる効果。
 今年6月上旬に、電気釜をIH式5.5合炊きからマイコン式3合炊きに換えた。こちらも故障によるやむを得ない事情からだったが、結果として消費電力がそれまでの1kw強から、440wに半減した。毎日は使っていないが、予想を超える節電効果があったようだ。
 これらの対策は決して一時的なものではなく、今後もずっと続くものだ。3ヶ月前のブログで、日本の一般家庭月平均電気使用量と我が家のそれとを比較検討したことがあった。
 その際に「平均値の55%」という試算値が出たが、この調子だと1年後には50%を切るかもしれない。いよいよ原発無用のシンプルで身軽な縄文的生活の実現と実践である。

2011年7月5日火曜日

カップで変わる珈琲の味

 お気に入りだった珈琲専用のマグカップが欠けてしまい、飲むには支障がないので、そのままずっと使っていた。しかし、都心に映画を観に出かけた妻が、「いいのがあったわよ」とかナントカ言いつつ、新しいマグカップを買ってきてくれた。
 趣味嗜好には特別ウルさい私だが、結婚以来、自分用のマグカップはすべて妻の見立てで買ってもらっている。湯のみや飯茶碗は必ずしもそうではないが、なぜか珈琲カップに限ってはそうだ。

 前回の記録を調べてみたら、ちょうど1年前にやはり妻に買ってもらっていた。今回は割れる間隔が短いが、食器洗いは私の家事分担なので、おそらくは私のミス。


 今回のカップはガラリと雰囲気が変わり、基本が白で外側に緑色のアーティステックな模様が施されたもの。ずっと縄文土器風のカップを使ってきたので、最初は違和感があったが、もう慣れた。
 これまでのカップは捨てるに忍びなく、窓辺に置いてツタの水栽培に使うことにした。まだカップが大きめだが、今後ツタが育てばいいバランスになるはず。

 以前も書いたが、カップが変わると不思議に珈琲の味も変わる。同じブレンドなのに、なぜかマイルドに感じてしまう。
「歌は場によって変わる」という持論をかねてからもっているが、「珈琲の味もカップで変わる」というTOM論理もつけ足そうかな。

2011年7月2日土曜日

媚びないシンガー

 先月中旬の「フォークうたごえまつり」に参加した際、「童神」を切々と歌う姿に琴線を揺さぶられた児玉梨奈さんのソロライブがあるというので、近隣のカフェに出かけた。
 車で25分ほどの場所だが、行くのはこれが2度目。私同様、以前は技術系の会社でエンジニアをやっていたマスターが脱サラし、奥様と二人で切り盛りしている店だ。
 入口には大きなウッドベースが陳列してある。飾り物かと思っていたら、ジャズバンドに所属しているマスター自身が弾くそうで、装飾と演奏楽器の両方をかねているようだ。
 ライブは16時からだったが、15名の予約で満席という会場は、開演が迫っても半分ほどしか埋まっていない。開演を少し遅らせるというので、セルフサービスの珈琲をカウンターに注ぎにいったら、「《フォークうたごえまつり》に出てましたよね」と、スタンバイを終えた児玉さんから話しかけられた。
 よく覚えてますねと感心していたら、ちゃんとラスト演奏まで見届けたそうである。実は途中で児玉さんに声をかけようかと迷ったが、初対面なのでためらって、今日のライブを聴きにきたのですと告げると、それはありがとうございますと喜んでくれた。


 席もほぼ埋まり、5分遅れでライブ開始。スローな曲から入り、徐々にテンションを上げて中盤あたりでロック系の曲で盛り上げる。すべてオリジナル曲だが、フラットピックによるストローク奏法が主体だ。
 MCの英語から入る全編英語歌詞の曲があり、これが「みんなで手拍子、握手しましょうよ~♪」といった内容。歌詞の通り、歌の途中で会場を回り、歌いながら聴き手と握手して回るという演出だ。PAなしなので、これが簡単にできる。
(ちなみに、彼女の英語はカンペキな発音で、只者ではない印象)

 一転してこの日唯一のアルペジオ奏法で、あの子守唄を歌う。メリハリの効いたうまい構成だ。相変わらず胸にこみあげてくる歌唱である。個人的には、こうしたバラード系のしっとりした歌をもっと聴きたい気がした。


 後半に差し掛かったとき、かなり遅れて入ってきた客がいた。あいにく児玉さんは歌の真っ最中。小さな店なので、ステージは入口の正面だ。しかし、あわてず騒がず、咄嗟に歌詞を「いらっしゃいませ~♪」と変更して歌い、その場をおさめた。
 その後、その方に珈琲を注いでサービス。ついでに、他の聴き手にも珈琲のお代わりを聞いて回っていた。(珈琲はお代わり自由)
 予期せぬことがライブではあり、それをいかにしてさばくかが、歌い手の大きな技量のひとつ。若いが、実に機転の効く方である。感心した。
 アンコールを含め、合計14曲を1時間20分余で休憩なしに一気に歌い切る。底知れぬパワーで、私にはとてもできない芸当だ。
「PAは使わない」「楽譜は見ない(譜面台は置いてあるが、ページは一切めくらず、見た様子はない)」「カポは全曲使わない」「愛だ恋だの歌はなく、大半が人生や生活の情景を歌った曲」「完全ノーメイク」「ステージ衣装は作務衣」「足元は下駄履き姿」等々、他にも驚かされることばかりだった。
 彼女のコアなファンの方がブログで「媚びないところが好き」と記していたが、言い得て妙である。

 ご本人は自身を「ノージャンルシンガー」だと宣言している。フォークだロックだと枠にはめられるのがイヤなのだろう。娘、いや孫のような世代の方だが、ジャンルにこだわらず、「叙情歌シンガー」と自らを名乗る私とどこか重なる気もする。

2011年7月1日金曜日

ツタがピーク

 気温は低いが、カラリと晴れた。相変わらず仕事はなく、ライブその他の雑事も一段落。周辺空き地の雑草がまた伸び始めたので、これはいタイミングと電動草刈機を取り出し、今年2度目の草刈りをした。
 半分ほどを済ませて、作業終了。モーターと腰の負荷の両方を考慮すると、作業時間は40分前後が限度だ。

 南壁から屋根を覆うツタもピークを迎えつつある。東側を剪定しすぎ、一部欠けているが、新芽で覆われるのは時間の問題だろう。
 1本の挿し芽からツタを育て始めたのが、入居翌年の2000年春から。よくぞここまで育った。節電の至上命令で、全国各地でツタ類の苗が売れまくっているとか。近隣の住宅で壁にツタをはわせている家は皆無だが、結果として先見の明があったことになる。