2009年3月29日日曜日

ジタバタな一日

 前夜、録画しておいた「水の中のナイフ」という映画を半分だけ見るつもりが、ついつい最後まで見届けてしまう。見るのは2度目だが、前回は前半の20分を見逃したので、はっきりしなかった事実が明らかになった。

 最初に見たときは非常に面白く、映画に関連するオリジナル曲まで作ったほどだったが、2度目の「ショック度」はやや治まっていた。
 これはおそらく映画の質の問題ではなく、ストーリー上、一度あらすじを知っていると、ドキリと驚かない部分があるせいだ。その点で、あらすじを知っていても、観るたびごとに新しい発見があるイタリア映画の「道」とは少し違う。


 友人と深夜のフットサル場にでかけた息子は、明け方5時に戻ってきた。昨日、どうしても墓参りに行きたいと言っていたのを思い出し、霊園に電話してみると、まだ雪はかなり深く、墓参には除雪用のスコップと長靴が必須だという。
 天気もよいので行く腹を決め、線香やロウソクはもちろん、長靴やスコップ、熱いお茶などの準備を手早く整えた。
 息子を起こし、妻が勤めから戻るのを待って、13時半過ぎに車で出発。およそ1時間で霊園についたが、なるほどまだ墓は先端部がようやく確認できるほど。事務所でスコップをもう1丁借り、息子と二人でセッセと除雪をし、かなりかかって墓を掘り出した。
 ところが墓の構造をよく把握してなかったせいか、除雪の際、備え付けの花立てとロウソク立ての片方をスコップで壊してしまった。本体は墓石も含めて問題ないが、固定してあるモルタルのような部材がはがれたようで、うまく立たない。
 ひとまず雪で固定して墓参りだけは済ませたが、雪が完全に解けたら、補修しに再度行かねばならない。

「マヌケな息子と孫であるわいな」と、墓の下で父が怒っているか、はたまた「この雪のなか、よくぞ会いにきてくれた」と喜んでいるか?その両方であるような気もするが、行かなかったよりはマシと自分を慰めたい。


 あっという間に1時間が過ぎ、ただちに自宅にトンボ帰り。今夜はなじみのフォーク居酒屋で定例ライブがある日で、リハも何もやっていない。しかも、出かける前にカレーライスを私が作る約束になっていた。
 カレーはこれまた「チチの作るカレーが食べたい」と、息子のリクエスト。カレーライスに限れば、腕は妻よりも私が上で、そのことは子供たちもよく知っている。
 しばらく里帰りは叶わない様子なので、ここは希望に応ずるかと、自宅に戻るや否や、休憩なしですぐに材料の刻みにとりかかる。手慣れているので30分ほどで出来たが、煮込んでいるわずかの間に、今夜の歌のリハーサルを手早く済ませ、そのまま用具一式を車に積み込んだ。

 時計を見ると17時45分。できたてのカレーを1杯だけかきこみ、すぐに出かけようとしたら、あまりにあわてて食べたせいか、急な腹痛。2度もトイレに駆け込む羽目に陥った。ともかくも出発したが、途中で免許証を忘れたことに気づき、再びUターン。
 居酒屋「ありがとう」での定例ライブ「MJ」は、今回が区切りのいい20回目で、歌う歌もそれに相応しいものをかなり前から準備した。切り口は「最初」と「雨」で、「雨が空から降れば」と、「雨が降っても」(オリジナル)。
「雨が空から降れば」は、居酒屋「ありがとう」に5年前、初めて行った際に最初に歌った曲で、「雨が降っても」は、36年前に作った記念すべき初めてのオリジナル曲である。

 この夜はこのほか、シングアウトにオリジナルの「ありがとうforever」を特に歌わせていただいた。PAの調子もよく、歌の手応えもバッチリ。常連客のYさんの転勤に伴う送別イベントなどもからみ、20回にふさわしい印象的な一夜であった。

2009年3月28日土曜日

春の味

 このところの忙しさで運動不足気味なのか、体調がいまひとつすぐれない。腰痛はいまのところ治まっているが、問題は昨年からずっと続いている不整脈だ。特に寝つきのときや明け方、一時的に動悸が激しくなる。
 10代からずっと抱えている持病だが、ひどくなったのは父の死後で、以来断続的に続いている。親の死というものは、やはり子にとって大きなストレスなのだろうか。


 さまざまな手続きに奔走しつつ、それらが一段落すれば治まるかと思いきや、今度は100年に一度の金融不況。新たなるストレス元の勃発である。
「忙し過ぎる」のも「暇過ぎる」のも駄目なタチで、ほどほどの忙しさがよろしいのだが、そううまく事は運ばず、浮いたり沈んだりする日々のなかで、気持ちに折り合いをつけるのが非常に難しい。
 積雪がほぼゼロになったので、久しぶりに買物以外の散歩をした。川向こうから眺める我が家は、まだ寒々とした佇まいだが、冬はともかく終わった。まだ風は冷たいが、気分転換としては絶好だった。

 家に戻り、昨夕近所の空き地で採ってきたフキノトウの味噌あえを妻に作ってもらい、晩酌の酒の肴にした。今年初めてのホロ苦い春の味である。

2009年3月27日金曜日

キャッチャー役

 首都圏で働く長男が、木曜から帰省中。上旬には娘が帰省したばかりで、不思議にこの種のことは重なるものだ。
 就職してからずっと本社勤務だったが、4月から九州某支店に転勤になるとかで、会社から休暇をもらい、故郷とのしばしのお別れにきたということらしい。

 社会人として家を出るときに、すでに「今生の別れ」の覚悟はしているつもりなので、以降、たまに子供と会うたびに、(今回が最後…)という気持ちで接している。この世は誰しもが明日をも知れぬ命といえるので、これくらいの覚悟をしておいてちょうどよい。
 息子の場合、あまりに本社勤務が長かったので、風光明媚で人情も厚い九州は、人生における絶好の気分転換になるに違いない。最初は気がすすまなかったらしい息子も、いまではすっかり腹をくくった様子。
 私もサラリーマン時代、26歳のときに本社から突然四国の現場勤務を命じられ、いろいろと戸惑った。しかし、8ヶ月後に見事やり終えて再び本社に戻ったときには、「菊地さん、一回り人間が大きくなったね」と、複数の人から言われた。人間万事塞翁が馬である。

 長男とはよく読んだ小説や観た映画の話をする。あまり帰省せず、私も妻のように旅行はしないので、そう頻繁には会えない。そこで、「この本は面白いから読め」「あの映画はいいよ」と、互いにメールで情報交換をする。3人の子供のなかで、一番この種の会話が弾む。
 昨夜は私の得意料理「納豆チヂミ」と、妻が作った「豚キャベ」(タレは私の手製)で、少しばかり飲んだ。最近読んだ「インストール」や「乳と卵」の話をしたら、息子はどちらもすでに読んでいた。さすがに「田村はまだか」は読んでなかった。
「インストール」は小説も映画もほぼ感想が一致したが、「乳と卵」の意見はまっぷたつに別れた。おそらくこれは「乳と卵」の中で繰り返し描写される女の生理の記述が、独身者には感覚的に理解しづらいせいではないか。時を経てもう一度読んでみると、また読後感は変わってくる。

 長男とはこうした創作の話を、長女とはデザインや宇宙の話を、次男とは人生の話をそれぞれよくする。三者三様、それぞれの顔で対処する。子供に対しては野球のキャッチャーのような役割をいつしか果たすようになっていて、どんな速球や変化球でも受ける用意と覚悟はある。

2009年3月24日火曜日

田村はそこにいる

 朝倉かすみの書いた小説、「田村はまだか」を読んだ。数ヶ月前、市立図書館に予約しようとネットで調べたら、話題作のせいか、市内の全図書館に数十冊の在庫がある。しかし、すべて貸し出し中で、先行予約者の数が100人近い。
 厳しい金融不況下なので、本は読みたいが、買う余裕はない。そのままネットで予約をし、辛抱強く待つことにした。

 忘れたころ、「貸し出しの順番がきました」と、メールが入った。在庫は遥か離れた地域の図書館だったが、近隣の図書館まで搬送してくれる。便利な世の中である。
 すぐに借りてきたが、あいにくネコの手を借りたいほどの忙しさ。「嵐」が去るまでひたすら働き、ようやく一段落したので、妻と交互に読んだ。


 この小説は先頃、吉川英治文学賞新人賞に輝いている。前評判もよい。かなり期待してページをめくったが、正直いって拍子抜け。直近に読んだ川上未映子の「乳と卵」と比べると、読後のカタルシスはかなり落ちる。
(あくまで私の場合である)
 まず第一に、長過ぎる。全6話、400枚近いが、せいぜい半分もあれば同じことが書けたはず。初稿は別の月刊雑誌に何号かに分けて掲載した関係で、こういう構成になったのかもしれないが、一冊の単行本として読み進むには、冗漫過ぎた。

 妻は最初は、「歯切れのいい文体ね」などといって読んでいたはずが、ふと見ると途中で読むのをやめて寝ている。目覚めたあとに「どうしたの?」と尋ねると、
「何だか飽きちゃって」
 あらすじとしては、小学校の同窓会の3次会で集まった5人の40代の男女と、似たような年代のマスターが繰り広げるスナック内での会話が中心。会話の中から、それぞれの過去に話題がフィードバックしてゆくという仕掛けで、小説の手法として、取り立てて目新しいものはない。
 最も目新しいと思われるのはそのタイトルで、「おや?」「なんだろう?」と気を引かせ、あるいは驚かせるには充分な効果を与えている。このタイトルと斬新な装幀でかなり得をしている。

「田村」は同じ小学校時代の同級生の名で、交通事情のせいで同窓会に遅れてくる彼を、深夜までひたすら待ち続けているという設定だ。
 この「田村」という存在は、人生の先がほぼ見えてしまい、生きること、暮すことに疲れを覚え始めている40代の男女にとっての、ある種の「希望の星」「ヨスガ」のような位置づけになっている。
 なぜ「希望の星」「ヨスガ」なのかは、本を読めば分かる。
 読み終えたあと、話題作なのに、なぜ私たち夫婦はそれほど感動しなかったのかね?と、妻と話し合った。いわば「読後の合評会」のようなもので、こうしたことは我が家ではよくある。
 あれこれ意見がでたが、結論としては、「この小説は、同窓会に出席するような価値観の人のために書かれているのではないか?」という推測である。私たち夫婦は、まるで示し合わせたように同窓会の類いには縁がない。(そもそも、案内がこない)二人とも宴会は基本的にキライなのである。

 つまり、40歳を過ぎて大昔に卒業した学校の同窓会に足を運ぼうかと考える人は、とりあえず食うには困ってないが、自己の現状には何かしらの閉塞感を懐いているのではないか?ということ。スナックで田村を待ち続ける6人は、まさにこの階層の人々である。
 生きること、暮すことに日々追われ、貧しくとも優雅にヒタムキに生きている(と自負している)人々には、「田村」を待つ必要などなく、「田村」は生活のそこかしこにすでに存在するということだ。
 身近に「田村」が見当たらない方には、お勧めかもしれない。「感動のラスト」とやらを「感動」と捉えられるか否かの分かれ目も、同じ基準点にあると思われる。

「田村」はいつでもそこにいるよ。

2009年3月21日土曜日

納得できん

 すでに製本が終わり、梱包も済んでいた記念誌を、土曜も営業している集配郵便局までゆうパックとして出しに行った。先方には月曜の午前中に着く。
 納期はひとまず守り、本文は写真も含め、美しく仕上がっているのだが、問題は外観の仕上がりである。ご覧のように、納得できないものになってしまった。

 階段上に載っている分の表紙の一部が、引きつっているのがお分かりだろうか?本文全体がプリンタの印刷熱でそってしまっているため、製本のノリづけに無理が働き、どう調整しても一部がこうなってしまうらしい。


 問題のあるのはおよそ1割で、その分をハネると、約束の100冊に足りなくなる。余裕を見て112冊分を製本業者に持ち込んだのだが、それでもカバーしきれなかった。
 やむなく、難のある分に注釈つきの帯封をかけて梱包。その後、おわびのメールを先方に送る。
「こちらでやり繰りしますから、ご心配には及びませんよ」とすぐに返信をいただいたが、一番納得できないのは、自分自身である。本文の用紙をもっと吟味するなり、表紙をもっと厚いものにすれば、もう少し何とかなったのではないか…、という後悔ばかりが走る。

 現物を見た妻は、「心配するほどひどくないわよ、あなたはカンペキ主義者だから…」と慰めてくれたが、やっぱり納得できんです。

2009年3月20日金曜日

欲望を捨てよ

 カードを使った本格タロット占いを初めて試みてから、はや1ヶ月が過ぎ去った。前回の占いで、「未来の状況」に出現した「運命の輪~正位置」のカードが暗示した未来を検証してみると、
「運命的な流れにより、状況や関係に良い影響が訪れる。思いがけない事件により、状況は改善される」といった予言は、「あるクライアントから、2年半ぶりに思いがけず依頼された大きな仕事」。そして、その大元の依頼主が、高校時代のクラスメイトが経営する会社であった、というふうに読み解ける。
 つまり、タロットの示した運命は今回に限れば、ほぼ当たっていたことになる。
 1ヶ月が過ぎたので、そろそろ新規の占いをしてもよい時期である。精神を統一し、いつもの机でいつものルールに従い、むこう1ヶ月の新しい運気を占った。
 以下、その結果である。(占い結果は《きつねのタロット占い館》を参考)


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過去の状況Justice:正義~正位置
 自分の行動や意見が認められ、人々から評価された。望みと現状が一致していた。

現在の状況The Devil:悪魔~逆位置
 将来が見えずに不安や焦りばかりが募る。全てのこだわりや関心を捨て去ることで、状況に終わりが見えてくる。自信を取り戻すためには、欲望を捨てよ。

未来の状況The Lovers:恋人~正位置
 状況に応じて適切な判断と対応をすることができる。自分への好意を大切にすることで、成功が訪れる。将来につながる出会いや人間関係が築き始められる。
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 過去と現在に関しては、今回も怖いほどよく当たっている。ここでいう「過去」とは、数ヶ月前のことで、実際に去年の秋あたりは、このブログでも強気の発言がまだ多かったころだ。
「未来の状況」に出た「恋人」のカードは、タロットの中でも1~2を争う良いカードで、恋愛面はもちろん、家族、仕事、人間関係など、どのジャンルの占いに出ても良いカードだ。
 反対に「現在の状況」に出た「悪魔」のカードは、1~2を争う悪いカード。出口の見えない現状を端的に示すが、「逆位置」として出たのが大きな救い。株でいうなら、「いまが最悪のどん底」と考えてもよいだろう。
「欲望をまず捨てよ」という暗示が、なぜか心に染みるのです。

 結論として、「未来の状況」に出た「恋人」のカードに、今後おおいに期待したい。もしもこの占いが当たっていたら、しばらくはタロット占いを休んでもいいくらいだ。

2009年3月19日木曜日

自分でやれること

 上旬から延々と続いた長い長い「闘いの日々」がようやく収束した。午前中までに合計14点のCGイラストを、修正まで含めて完全納品。製本が終わって昨夕受け取ってきた記念誌のうち、裁断ミスを見つけた11冊を午後から再度修正してもらいに行く。
 夕方、完成した100冊の本を段ボールに詰めて梱包した。明日から3連休になるので、先方に月曜に届くよう、土曜に発送予定。ともかくも、面倒な仕事が同じ日の、ほぼ同じ時間に片づいた。

 この1週間、ブログも満足に更新できずじまいだったが、訪問カウントの伸びはいつも以上というフシギ。「クリックしてみたけど、更新されてない」という数が、多かったようでして…。


 納期の厳しかったCGイラストの仕事は、睡眠時間を削って対応し、きっちり予定通りに納めた。画像はその一部に使った、「プールで泳ぐ男」。その孤独な姿、モデルはひょっとして私自身かもしれない。
 水とか樹木、人間の質感をCGで表現するのは、かなり難しい。今回はそのうちの2つを試みたわけだが、水の色や人物の衣服に少し修正が出た。水の質感や人間のプロポーションは暇な時期に充分練ってあるので、ノークレーム。
 ちなみに、水のシブキだけはあとからレタッチソフトで加えた。これがないと、ただの「プールに浮かぶドザエモン」になってしまうのだ。

 20枚ほどあった図面はすべてスキャンしてもらい、メールで受け取った。それをスケール調整し、こちらでプリントアウトする。校正は画像に直接書き込んだものをpdf化し、これまたメールでやり取り。両方とも初めての試みだったが、うまくいった。いずれも厳しい時間制限の中で、最大の効果を上げる有効な手段だったと思う
 面談したのは初回の打合せのみで、行ったり来たりの物理的時間はゼロ。担当者が若く、パソコンやネットに精通した方だったのでやれた。
 記念誌の仕事もようやく終えたが、こちらの満足度は70%ほどか。印刷による紙のソリのせいで、製本の仕上がりがあまりよくない。1割くらい難点のある本ができてしまった。事情を相手に話し、その分は値引きするなどして対処するしかない。
 家庭用のレーザープリンタは焼き付ける熱の微調整ができないので、このあたりが限界である。もし次回があるとするなら、編集作業だけをこちらでやり、実際の印刷作業はプロに任せるのが無難のようだ。

「自分でやれること」の可能性と限界を今回、同時に悟った。

2009年3月16日月曜日

捨てないで箱

 進行中の仕事を前回、「12フロアー分」と書いたが、諸事情でまた2フロアー増えて、合計14フロアーになった。よくあることで、これしきで驚いていては、自営業など務まらぬ。
 オニのように働き、すでに7フロアー分を終えて、先方に送信ずみ。残るは7フロアーだが、1フロアー分が終わりかけている。ほぼ予定通りのいいペースで、めったに出さない「本気パワー」を全開中。
 娘が家を出る際に置いて行った「捨てないで箱」がずっと押し入れに眠っていて、かなりの月日が経つので、そろそろ処分するか否か、先日帰省した折に中身を調べさせた。

 最初は「箱ごと捨てて」などと言っていたが、いざ中を改め始めるとそうはいかない。小学校時代の図画工作の類いはさすがに捨てたが、小中学校の卒業アルバムやら、クラスメートと交換したサイン帳などは、結局そのまま。
 我が家の押し入れにはかなりの余裕があるので、中身が半分になった段ボール箱も、そのまま元の場所に収まった。


 私たち夫婦は結婚を機に、この種の想い出グッズは実家から回収し、自分のテリトリーに持ち込んだものだが、昨今の子供はいつまでもこの種の物を実家に置いておくものらしく、二人の息子にもこの「捨てないで箱」がちゃんとある。
 いよいよ処分するのは、両親が死に絶えた後という気の長い話か。比較的自立心の強い我が家の子供でさえそうなのだから、他は察して知るべし。
「捨てていいよ」と娘が言った中から、2つだけ捨てずに残したものがある。写真のカップがそのひとつで、娘が高専時代に学校で作ったマグカップ。
 容量が大きすぎず、小さすぎず、深夜に何か飲物が欲しくなったときに絶好なので、重宝して使っている。色が真っ白なので、カモミールティーも美味そうに見える。

 もうひとつとってあるのは、中学校卒業時に彼氏からもらったという、ミッキーマウスのオルゴール。宝石箱をかねた本格的なもので、捨てるには惜しい。いずれ近所の女の子にでもあげるつもり。
 ちなみに、「孫のためにとっておく」という思想は、娘や私たちにはアリマせぬ。

2009年3月11日水曜日

救いの神

 朝10時に新規の仕事の打合せがあったので、珍しく早く起きた。昨夜からまた厳しい寒さが訪れていて、路面が凍っている。早めに家を出たが、車の流れは悪い。先方に着いたら、10時を3分ほど回っていた。

 仕事はスポーツジムの4月からの新規会員募集に合わせた館内説明イラストで、何と合計3点もある。札幌市内にある施設だが、経営者は高校時代の同級生。ずっと会う機会はないが、けっこう仲はよかった。
 こちらはしがない一匹狼だが、相手は上場会社の社長。「世間的成功者」としては大きな差がついているが、まあ、それはよい。今回の仕事は直接もらうわけではないが、妙なところに縁があるものだ。もしかして、「救いの神」登場か?


 既存の施設なので、正確な図面の入手が難しいかもしれないが、簡単な案内図のようなものから、立体図をおこせるか否か確認された。もともとが設計屋だから、極端な話、何も図面がなくともイラスト(パース)は描ける。
 私が気になったのは、スポーツジム特有のトレーニングマシンで、プールや人間のデータは以前に作ってあるが、トレーニングマシンのデータは手持ちがない。案内図の入手がやや遅れるとのことで、ひとまず家に戻り、リハビリをかねて、このトレーニングマシンのデータ作成にとりかかった。

 まともに3D-CGを描くのは実に3ヶ月ぶりなので、なかなか感覚が戻らない。今朝は緊張からか、朝6時ころから目がさめてしまったので、集中すると頭がフラフラする。予備室のベットに横になったら、そのまま30分ほど眠ってしまった。

 妻が勤めから戻ったのを機に、コーヒーを飲んでもう一度作業にかかる。ようやくペースが戻ってきて、図のようなエアロバイクを1台作成した。参考にしたのは写真1枚だけで、ペダル部分だけは手持ちの自転車のデータを転用し、他のスケールはここから推測して決めた。この要領で、だいたいの物は作れる。
 17時を回ったが、月曜に依頼した製本業者からの連絡は相変わらずない。業を煮やし、ついにこちらから電話をかけた。すると、依頼先と実際の作業者とは別組織(いわゆる下請け)らしく、本体は昨日朝に届けてあるが、何も連絡がない。つまりは、技術的な問題はないのだと思う、との返答。
 思うでは困る、確認をとって欲しいと言うと、少したってから折返しの連絡がきた。結論から言うと、「万事OK」であった。

 製本前にプレス機で強い圧力をかけ、ソリを一時的にとってから処理するとのことで、末端の業者は、過去にこの種の製本をてがけた例があったらしい。安易に請け負って、あとで問題があってはと、担当者は言動に「保険」をかけたふしがある。
 ともあれ、損害はどうにか免れた。労苦は報われそうだ。やはり「便りのないのは良い知らせ」だったか。いやいやここにも「救いの神」が手を差し伸べてくれたのかもしれない。

2009年3月10日火曜日

高野豆腐の煮物

 昨日、業者に持ち込んだ記念誌原稿の製本について、問題がある場合はすぐに連絡がくることになっていたので、じっと家で待ち構えていた。すると、14時ころに携帯が鳴る。(来たぞ!)と思って応答すると、何だか要領を得ない。
 よく話を聞くと、2年半前に営業に行き、2点だけ仕事をいただいた印刷会社からだった。仕事を頼みたいが、都合はどうかと聞いてくるので、一も二もなく請けた。

 打ち明けると、これが今年になって初めての建築デザイン関連の仕事である。今年はずっと仕事がないような絶望的気分に陥っていたが、拾ってくれる神はちゃんといた。
 しかし、2年半もの間よくぞ忘れずにいてくれたもの。ありがたいことだ。仕事の内容は分からないが、明日10時に先方に打合せに行く。


 18時半過ぎ、ふと思いついて高野豆腐の煮物を作る気になった。昨年暮れに妻が関東に旅行した折、初めて切干し大根の煮物を自分で作り、なかなかの味だった。そこでその第2弾である。
 なぜ煮物か?というと、私の大好物だからである。以下、ネットを参考にしたレシピである。(2人前)

・材料:高野豆腐2個、人参1/2本、チクワ1本(又は乾シイタケ2枚)

1)高野豆腐を50度のお湯に2分つけ、戻す。
2)お湯をよく絞り、包丁で適当に切る。
3)人参とチクワも適当に切る。
4)鍋にだし汁1カップ(水+だしの素小さじ1)を入れ、酒大さじ2、みりん大さじ1、砂糖小さじ1、塩小さじ1、醤油大さじ1を加える。
5)鍋に高野豆腐、人参、チクワを入れ、中火で10分ほど煮詰める。
 出来上がった煮物を妻に食べてもらったが、「おいしい!」と合格点。味がよく染みていて、甘すぎず辛過ぎず、上品な味である。
 本当はチクワの代わりに乾シイタケを使う予定だったが、水で戻すのに30分も必要だと分かり、断念。乾シイタケを使った場合なら、戻し汁をだし汁の一部に使えるだろう。

2009年3月9日月曜日

骨折り損?

 記念誌の丁合い作業は、17時半までかかって、ようやく終わらせた。最後の2セットになったところで、あるページが1枚余り、あるページが1枚足りないことに気づく。
「余ったページは捨て、足りないページはもう1枚印刷すればいい」という、単純な理屈にはならないのだ。つまり、作業の終えた110セットのうち、「同じページが続けて2枚」あったり、「1ページ欠けている」セットのある可能性が高い。
 印刷する際、総ページ数はソフト上から厳密に112枚をセットしていて、過不足が発生する可能性は極めて低い、というのがその根拠。

 1セットずつ段ボール箱に詰めながら、その「怪しいページ」を重点的にチェック。すると、「続けて同じページが2枚」は、割と早く見つかった。おそらく一度に2枚とってしまったのだろう。
 ところが、「1ページ足りないかもしれない」セットは、なかなか見つからない。残りが一桁になり、(もしかして、このページだけ113枚印刷したのでは…)と思い時始めたころ、ついに欠損したセットを発見!
 時間に余裕がなく、段ボール箱を車に積み込み、すぐに出発した。
 製本業者に到着したのは、18時。事前に電話しておいたので、店を閉めずに待っていてくれた。
 苦労した作業も、いよいよこれで終わりのつもりで勇んで箱を持ち込むと、中の用紙を一目見るなり、「紙がソリ過ぎている。無線とじは難しいかしれない…」と担当者はいう。紙に曲がりが多いと、技術的に無線とじ(接着剤による製本方式)は難しいのだとか。
 その場であれやこれや問答が始まったが、ともかく明日、再検討してみますとのこと。最悪の場合、作業がすべてやり直しとなる可能性も否定できない。

 仮に全作業がやり直しとなると、私の手には負えなくなるので、外注に頼らざるを得ない。苦心して編集レイアウトしたページはたぶんそのまま使えるが、プリンタや用紙、そして5日間の肉体労働のすべてが無駄になり、外注費もかさんで、大赤字必須である。その事態は何としても避けたいが、ともかく請け負ってしまった仕事なので、納期までにやり遂げなくてはならぬ。
 7年前のいまごろ、建築デザインの仕事がパッタリ途切れ、無理をして異業種の仕事に手をだし、25万円の大赤字を出した苦い経験があり、ふとその再来かと気が沈んだ。仕事がないときに、慣れない仕事に手を出すとロクなことはないものだが、またしても同じ轍を踏んでしまったか。
 家に戻ると娘を空港まで送りに行った妻はおらず、室内は真っ暗。時計は19時を回っていたが、食事の準備がないので、スーパーに買い出しに出かけた。身も心も疲れきっているので、さすがに歩く元気はなく、車で行った。
 弁当でも買う気でいたが、気を奮い立たせ、納豆チヂミの材料を調達。美味そうなイカリングがあったので、小さめのを1パックだけ買った。

 疲れた身体にムチ打って、チヂミを作る。シャワーを浴び、発泡酒と共に遅い夕食を独り食べたが、1皿分のチヂミを一人で食べると、さすがに満腹。いやいや作った割に味はなぜか抜群で、この日はそれが唯一の救いである。

2009年3月8日日曜日

丁合い作業

 昨日をそっくりコピーしたように、朝起きて娘を最寄りの地下鉄駅まで送り届け、トンボ帰りしてすぐに記念誌印刷作業の続きをやる。
 昨日、「残りはあと9ページ」と書いたが、丸ごと印刷し直しとなる1ページ分を加算するのを忘れていた。つまり、残りのノルマは10ページ1120枚である。

 脇目もふらず、オニのように作業に励み、16時までにすべての印刷を終える。細かい印刷ミスはあったが、印刷用紙はどうにか足りた。事前の見積りでは必要枚数が4,300枚で、余裕をみて4,500枚頼んだはずが、終わってみて残りを数えてみると、わずか40数枚。薄氷の作業であった。
「丸ごと印刷し直し」という不測の事態を考えると、最低でも計算上の必要枚数の10%増し、つまり今回の場合は、4,800枚くらいは準備しておくべきだった。


 印刷の終えた用紙38セット(4,256枚)を、順に作業テーブルの上に並べる。ベンチの上で作業してもいいのだが、連日の作業で腰が悲鳴を上げつつある。中腰の姿勢は避けたかった。

 すぐに丁合い作業にかかろうとしたが、身体がダルく、どうにもやる気が起きない。連続5日も続いた印刷作業を無事に乗り切り、先が見えたので、気が抜けてしまったようだ。
 数セットだけをいやいや並べ替えてみたが、1セット作るのに、どうしても4分弱かかってしまう。つまり、休みなしに作業しても、1時間に15セット。全部で112セットあるので、8時間近くはかかる計算だ。
 計算するとかえってやる気が失せてしまった。どうやら身体は仕事に対して、拒否反応を起こしているらしい。陽射しは春のように暖かいので、気分転換をかね、近所のスーパーに買物にでかけた。
 このところ忙しく、あまり散歩をしていなかったので、あきらかに足腰が弱っている。店頭でマグロの安売りを見つけ、全く予定にはなかったが、ついフラフラと買ってしまう。これまた身体がマグロを求めたか。もちろん、付け合わせの青シソも忘れなかった。
 家に戻ると、少しやる気が出てきた。入浴と食事をはさみ、またまた断続的に作業を続ける。午後9時までに、25セットの並べ替えをどうにか終えた。

 前回(9年前)作業したときには、この丁合い作業のミスで、1冊だけ同じページが2枚ある本を作ってしまった。今回はそんなことがないよう、ページ順はもちろん、天地、ページ抜け、ページ重複など、慎重に確認しながら作業を進めなくてはならない。
 残るは90セットほどだが、やはり明日夕方までかかりそうだ。お金をいただく仕事となると、どんなものでも厳しいものである。

2009年3月7日土曜日

終わりません

 朝早く起きて高専の「閉校式」に出席する娘を最寄りの地下鉄駅まで車で送り届け、すぐに戻って記念誌印刷作業の続きをやる。
 昨日も書いたように、裏面にあたる奇数ページは紙のソリの関係で、一度に22枚ずつ、計5回に分けて印刷せざるを得ない。(最後だけ24枚)印刷時間を測ってみると、22枚でおよそ4分という半端な時間で、途中で紙づまりすることあり、他のことは何もできずに、プリンタにつききりになってしまった。

 少しでも能率を上げるため、ソリを戻す作業をこの4分の中でやるようにしたが、それでも1ページ仕上げるのに、25分弱はかかってしまう。
 例によって食事と入浴以外のすべての時間を作業にあてたが、今日は19時前からあいにく町内会の役員会があり、途中抜けざるを得なかった。
 作業が佳境に入っていた頃、あるページでとんでもないミスを見つけてしまった。「入会」という文字が、なぜか「人会」になってしまっている。運が悪いことに、すでに片面112枚を印刷し終えたその原稿の中だった。

 あわてて元原稿を調べてみたら、FAX送信されてきた不鮮明なワープロ原稿で、スキャンしてOCRソフトで変換したテキスト。
 つまりは「入」と「人」を機械が読み間違えたわけだが、読み合わせをきちんとしなかった私のミス。該当ページは全て印刷をし直す必要がある。あわてて印刷用紙の残量を確認してみると、約150枚余っていて、大きな印刷ミスを今後しなければ何とか足りる。

 実はそのほかにも、何カ所かの校正もれを見つけ、それらは印刷直前に気づき、自主的に修正した。
「会場」とすべき箇所が「開場」になっていたり、「表裏一体」が、「表裏一帯」になっていたりする。全く油断できない。
 3人の人間で複数回チェックした原稿であっても、こうなってしまう。たとえ「先生」と呼ばれる人であったとしても、単純ミスは発生するものだと痛感した。
 零時近くまで休みなく作業したが、結局9ページ分の作業が残ってしまい、明日に持ち越しである。
 残っている部分はすべて転載原稿なので、校正ミスの可能性は低いのが救い。あとは単純な印刷ミスをいかにして少なくするかだけだ。用紙の再購入だけは、何としても避けたい。

 明日の日曜は丁合い(ページ順に並べ替える)作業にまるまる当てる予定でいたが、一部の作業は月曜まで食い込みそうな気配。製本業者への持込みは、どうやら夕方ぎりぎりになる。疲れがかなり溜まっているが、もうひとがんばりだ。

2009年3月6日金曜日

あれこれトラブル

 昨夜遅く、首都圏に住む娘が帰省した。なんでも、娘が卒業した芸術系高専が芸大に昇格することによる「閉校式」が週末に執り行われるとかで、久しぶりの同窓会もかねての単独帰省である。
 夫の晩酌につき合ううち、娘もそれなりに飲めるようになったそうで、九州旅行の土産とやらの焼酎をロックで飲むうち、あれこれと2時半まで話し込んだ。しかし、やはり焼酎はお湯割りが身体に合っているようで、今朝起きると頭が少し重い。

 プリンタのトナーを入手しないと、今日の作業は全く進まない。出かける前に用心して、ヨドバシカメラに在庫確認の電話を入れると、2点だけあるという。電話予約は可能かと尋ねると、以前は確かダメだったはずが、「おとり置きしておきます」と、非常にていねいで柔軟な対応。時代は変わりつつあるらしい。
 家に戻ると1時過ぎで、昼食もそこそこに印刷作業を始めたが、突然娘が、「お父さん、右の眼が真っ赤よ」と言う。そりゃ昨夜の夜更かしと寝酒のせいでしょうがといなすと、とにかくひどいから鏡を見なさいと言う。
 渋々確かめてみると、右目が血で真っ赤。これは尋常ではない。右目は2年前に瞼の裏に原因不明のおできができ、切除手術をした側だ。いやな予感が走り、印刷作業はいったん中止し、すぐにその手術をしてもらった眼科に車を走らせた。

 ひどい嵐なので、眼科は空いている。すぐに診察してくれたが、診断は「結膜下出血」。眼の酷使か、あるいは異物が入ってこすったなどの外的原因によるもので、そう心配することはなく、手術との因果関係もなし。1週間の点眼薬をいただき、帰ってきた。
 右目は黒いゴミのような物が舞う「蚊文症」も時折出るタチの悪い眼で、今後も年に一度は定期検診に通うよう念を押された。
 帰宅後、入浴と夕食をまたいで、断続的に印刷作業を継続。トレイにまとめて用紙を放り込めばいい片面印刷に比べ、両面印刷となる奇数ページは、熱による紙のソリの影響で、いろいろ問題が出てしまった。
 紙の折れやわずかな印刷汚れで、かなりの枚数を印刷し直す。トナー交換のせいではないことは、新しい紙の片面印刷では何ら問題が出ないことでも確認できた。
 試行錯誤のすえ、ようやく解決の手段を見つけたのは、夜9時過ぎ。112枚を一気に印刷せず、紙のソリを逆方向に曲げて和らげ、20枚単位でコツコツやると問題がでないのだ。

 それから11時までかかって可能な限り印刷を続けたが、合計でようやく9ページ分という能率の悪さ。まだ27ページ分も残っているが、娘も妻も寝静まったので、もうこれ以上の作業はムリ。
 予定が大幅に遅れたが、不測の事態が続発したのでやむを得ない部分もある。幸い、用紙は何とか足りそうだし、うまく印刷するコツもつかんだ。大きな山は越えたと思う。明日にかけましょうぞ。

2009年3月5日木曜日

無店舗経営

 ネットオークションで買ったギター弦の在庫がなくなった。弦は交換した年月日をラベルの裏に順にメモしているが、最近は以前より交換頻度が少なくなり、およそ4ヶ月に一度、つまりは年に3回程度しか換えてない。
 在庫が切れたのは、使用頻度の高いエレアコ用の弦で、ギターメーカーと同じS.yairi製の格安品を見つけ、まずは試しと3セットだけ買ってみたのが去年の夏。

 何しろ送料こみで3セット590円、つまりは1セット200円にも満たないので、使ってみるまでやや不安があった。しかし、ギターと同じメーカーだと相性がいいのか、値段の割にはよく鳴る。
 先日のイベントライブの折にも、見知らぬ方から、「いい音を出してますね~」とお褒めの言葉をいただいた。ギター本体2万円、弦が200円のバーゲン品ですよと自嘲的に応えると、「ギターの音は価格じゃないですよ」との弁。確かにそうかもしれないが、やはり2万のギターと20万のギターとでは、どこか音色が違うのではナカロウカ?


 ともあれ、確かに音は決して悪くなく、弦もなかなか長持ちするので、まさに縄文暮しを目指す私むき。検索で同じ出店者を見つけ出し、今度はまとめて6セット買った。これで丸2年はもつ勘定だ。
 オークションといっても、いわゆる「一発落札」方式で、指定価格で入札すると、競争なしで落札できるシステム。普通の通販と何ら変わらない。出品者は遠く香川県の業者だが、どうやら無店舗経営の楽器業者らしい。

 ネット出品方式だと宣伝費や店舗維持費も無用で、パソコン1台と小さな倉庫があれば、この私でもやる気さえあれば運営可能。
 スーパーのイトーヨーカ堂が生鮮品を含めたネット販売を本格的に始めたと新聞に載っていたが、この種のネット通販をうまく利用すれば、かなりの経費と時間が浮くのは確実。縄文暮しには欠かせないのです。
 朝から記念誌の印刷に励んだが、夕方までに偶数ページはすべて印刷し終えた。夕食まで時間があったので、その勢いで表紙120枚も一気に印刷。
 本文印刷の途中から、「トナー残量が少ない」というオレンジランプが点滅しだし、気にしながら続けていたが、表紙を印刷し終えても、まだ残量ゼロにならない。夕食後に、裏面にあたる奇数ページの印刷を前倒しで始めたところ、2ページ目(つまりは、3ページ)の途中で、ついにトナー切れ。

 当初の予定を大幅に越えているので、本日の作業はこれにて終了。ほとんど休みなく動いていたので、ちょっと疲れた。
 明日は早起きし、ヨドバシカメラまでトナーを買いに行ってくる。実は予想していたよりトナーの減りが早い。説明書にあった標準枚数は、「5%印字時」という条件づきなので、写真やイラストが結構あり、文字の解像度も最高に上げた今回のような印刷の場合、30%くらいは減りが早いようだ。
トナーの在庫切れがちょっと心配だが、ネットで調べた範囲では、少しだけあることになっている。はてさて?

2009年3月4日水曜日

まるで戦場

 某作家協会記念誌の印刷を午後から始めた。テスト印刷はさんざ繰り返してきたので、大きな戸惑いはない。しかし、連続して何千枚もの印刷をするのは、レーザープリンタを購入してから初めて。不安があるとすれば、そこだ。
 全75ページ(両面印刷なので、38枚)の印刷手順は、およそ以下の通り。

・まず偶数ページを片面印刷。
・印刷枚数は1ページ112枚。(納品は100部だが、製本ロスを1割、さらにこちらの控えを2部見込む)
・最初に1枚だけ印刷し、仕上がりをチェックしつつ、最後の校正。
・その後、一気に111枚を連続印刷。
・片面が終わったら、裏面に奇数ページを同様に印刷。


 プリンタは最新機種なので、一度に250枚の用紙がセット可能で、印刷の終えた紙は、150枚までストック可能だ。つまり、一度印刷を始めると、終わるまで放っておけばいい。
 前回、同様の自力出版をした際には、熱転写式のリボン使用のプリンタを使ったので、リボンの交換が頻繁でかなり手間を食った。今回のプリンタはトナー式なので、A5版なら7,000枚までトナー交換は不要。その点ではかなり楽だ。

 いざ始めてみると、112枚を印刷するのに、15分強を要する。用紙の補充、テスト印刷、印刷後の確認(ズレやシワがあった場合は、再印刷となる)などを含めると、1時間に3ページ印刷するのが限度である。
 入浴や夕食をはさんで作業に打ち込んだが、夜9時までに20ページを印刷するのがやっとだった。
 印刷の終わったページは、裏面の印刷に備え、きちんとそろえて順に並べる。仕事部屋に隣接するライブ用ベンチの上に布を敷き、非常用の作業場所とした。
 2包み半あった印刷用紙は、残すところ1包み2,000枚のみ。明日中には片面印刷をすべて終え、熱でややそった用紙を落ち着かせたのち、明後日から残る片面の印刷に入る。
 熱によるソリは、試行錯誤のすえたどり着いた設定の効果か、思っていたより少なくてほっとした。

 結論を保留してあった表紙の印刷も、同じレーザープリンタでやることを決意。こちらもある設定にしてやると、ぴったり印刷がなじむことを発見した。
 印刷には今週いっぱいかかり、丁合い(ページ順に並べ替える)作業は日曜を丸一日つぶしてやる予定。仕事部屋が久しぶりに戦場のようだが、気分は悪くない。

2009年3月3日火曜日

もしかして

 平日だが、取り立てて急ぎの仕事もなく、午後から近隣のグループホームでひな祭りライブを敢行。リハも終え、機材一式を積んでいざでかけようとメールをチェックしたら、最終確認中だった記念誌編集の、これまた最終?の校正が届いていた。
 実は一昨日の日曜にも、別の先生から別の校正があり、修正し終えたばかり。いよいよ修正のきかない印刷直前の校正となると、不思議に新たな校正がわき上がってくるもので、まあこれが人間、これが世の中というものだ。
 言われた通りにあれこれ修正するうち、ライブの予定時間が迫ってきた。ひとまず作業を中断し、あわてて車を出す。
 雪もやみ、陽射しも暖かな春模様。そのせいか聴き手の気分も妙に高揚していて、1曲目の「うれしいひな祭り」から、はやくも手拍子。この曲、フツーは手拍子でないです。
 以降、すべてこの調子で、3拍子で手拍子は極めて合わせにくい「みかんの花咲く丘」にまで手拍子が出るほど。
(今日は叙情系の歌は無理)と即断し、予定していた「仰げば尊し」「川の流れのように」を急きょカットし、手拍子系の曲を連発した。
 全く予定になかった「ああ人生に涙あり」まで歌ってしまったが、こんな日もある。無理に自分のペースに持ち込むことはしないのだ。

 予定通り35分でライブを終え、ヘルパーさん手作りの桜餅を美味しくいただく。妻の分のお土産までいただいて帰ろうとすると、ホーム長さんが送りがてら外に出てきて、あるトンデモナイ相談事を持ちかけられる。ボランティアではなく、私の仕事に関わることだった。あれやこれや20分近くも外で話しただろうか。
 詳しくは書けないが、もしかしてこれが占いにあった「予期せぬ出来事」だったですか?
 家に戻り、記念誌の校正を終え、再度の連絡。直接会って打ち合わせる時間はないので、編集ソフトから該当部分をpdf画像に変換し、ひとつは添付メールで送信。ひとつはFAX用画像に変換して送る。
 FAXで送った先生からすぐに電話があり、大枠での了解を得た。もう一人の先生からの最終連絡待ちだが、差し障りのない部分を中心に、いよいよ明日から印刷を始めたいと思う。長かったです。

2009年3月2日月曜日

カネとモノ

 昨年の話だが、我が家で一番大きい旅行用カバンが壊れてしまった。壊れたのは大事な持ち手の部分で、固定してある本体の生地が大きく破れ、器用な私でもさすがに修復不可能。相当の無理がかかったとみえる。(写真上左)
 カバンは壊した張本人の妻が代替品をすでに買った。残されたカバンは、普通は捨てる。しかし、いつものように(何かにリメイクできるのでは…)という思いが働き、半年近く押し入れにしまってあった。

 一方、独立開業直後に買ったショルダーバックの傷みが激しく、修理しながらだましだまし使っていたが、あちこちに穴が開いたり裂けたりし、もはやスクラップ同然。(写真上右)代替品を探して歩いたが、手頃なものはどれも1,000円以上する。
「暇はあるが、金はない」という身の上なので、いっそ壊れた旅行バックをリメイクし、このショルダーバックと同じ物を作ってやろうと考えた。


 大きさとしては充分なので、問題はどうデザインし、どう裁断するかだ。中央両側にファスナー式のポケットがあるので、これをそっくりそのまま新しいバックに活かそうと考えた。大きさは現状のバックが非常に使いやすいので、基本的には同じにする。

 大枠の方針が決まったので、まずは持ち手をていねいにバラし、裏返して裁断。固い底の部分は使えそうにないので、思いきって捨てた。
 縫い合わせは普通のミシンでやったが、生地がすべってうまく運針できない。裏側にセロテープを貼るとよいことが分かり、以降トントンと1時間ほどで写真下のようなバックが完成した。
 持ち手は付属のベルトを再利用する手段も考えられたが、幅が広過ぎて、樹脂製であるのが難点。結局ありあわせの布テープの両端に、ほつれ止めとしてカバンの生地を接着剤で貼り、ミシンで縫い合わせた。
 ショルダーバックは主に仕事の打合せ時に持参し、大量の図面を入れたり、重い壁材のサンプルを入れたりすることだった。構造がナンジャクでは持たないのだ。
 しかし、仕事量が減少し、デジタル納品が増えるに従い、最近はライブの備品入れでの用途が急増している。楽譜、譜面台、マイク、ケーブル…なんでも入る。

 暇にまかせて不要品を蘇らせたが、昭和30年代の庶民の暮しは、だいたいこうしたものだった。布でも毛糸でも、何度も何度も繰り返し使ったもの。
 いまでもモノが豊かではない国々では、このような生活だろう。カネがあると果てしなきモノへの欲望にしばられ、カネがないと知恵をしぼってモノを生み出す。なかなか粋な方程式である。

2009年3月1日日曜日

マックな小物入れ

 かなり前に壊れてしまい、ずっと箱にしまってあったマックのマウスを思いきって分解した。コードと中にあった基盤は捨てたが、外側のケースは捨てるに忍びなく、そのまま小物入れとして使っている。
 透明な部分は写真のようにピンチ(洗濯バサミ)入れにした。これまではずっと焼き損じたCDの周囲にはさんであったが、気分転換というヤツだ。


「なんで仕事部屋に洗濯バサミが?」と思うかもしれないが、主にひもでぶら下げて書類ハサミとして使っている。写真の暗室で濡れた印画紙を挟んでぶら下げる、あの要領である。路上ライブのときに楽譜の周囲を固定するのにも使う。
 プラスチック素材のピンチは味気ないので、100円ショップで売っている木製(おそらく東南アジア産)のものを使っている。無垢材の室内にはピタリ合う。
 マックのマウスは案外壊れやすく、2台あるマックはどちらもマウスが真っ先に壊れた。どちらもワンボタンマウスで、時代の主流はいまやマックでも2ボタンマウス。買い替えたマウスは古いOSはもちろん、Windowsでも使用可能な優れもの。仮に修理ができたとしても、古いマウスの出番はもはやない。

 写真左に置いてある白いケースには、目下何も入れていない。ギターピック入れにぴったりなのだが、裏返すとアップルのトレードマークであるリンゴが隠れてしまうのが問題。
 そのうち画期的な別の利用法を思いつくかもしれないので、しばらくはこのように「単なる置物」として飾っておく。