2015年8月31日月曜日

2度目のガリ箱アート

 10月6日から11月1日までの1ヶ月間、道立近代美術館前のカフェ「カエルヤ珈琲店」で、「ガリ箱アート」という展示をやらせてもらえることになった。
 いにしえの簡易印刷機「ガリ版」の用具箱を利用し、その箱の中限定でアート世界を創りあげる、というユニークな展示だ。

 店主のU子さんとはカエル好き、珈琲好きを通して長いおつき合いがある。その構想を耳にした時、「初回はぜひ私に!」と立候補し、「カエルの森」と称した廃材アート作品を展示させてもらった。これが2012年1月のこと。


 以降、年に数回のゆる〜いペースで、さまざなジャンルの「アーティスト」がユニークなアート作品を自由に展開させてきたが、3年を過ぎて2巡目の展示をする方もポツポツ登場。それでは私もと、新たな構想を練って2度目の作品を展開することに。

 アイデアを簡単なイラストと企画書にまとめて持ち込んだのが6月のこと。企画は一発で通ったが、お店の事情や展示の順番待ちなどもあって、実施は10月までずれこんだ。
 急ぐものではなく、「芸術の秋」まっただ中なので、時期としてはよかった。


 展示する作品「糸をかし」はその名の通り、糸とボタンを駆使した立体オブジェだ。しかし、9月の展示でガリ箱が目下使用中で、まだ制作には着手できない。

 企画書を持ち込んだ際、「同じテーマで平面アートもぜひ創ってくださいよ」と、店主様からの思いがけぬ要望。立体と平面を同時展示した例は過去になかったはずだが、別のアート展に布や糸を使ったコラージュ作品を出展したばかりで、その応用で何か作れそうな気がした。
 そこで先行して、まずは平面コラージュを作ってしまうことに。方針が決まるまで時間がかかったが、正方形作品を横に3つつなげ、比率を1:3とした横長コラージュを作ることにする。
 立体作品との関連を意識し、「糸」「ボタン」を随所に使う。今日は中央の作品をまず作った。

 正方形なので、イメージ的にはCDジャケットのデザインワークと同じ。横3つの作品相互にも、それぞれ絵巻物的な関連性をつける。
 細かい作業なので、1日1正方形を仕上げるのが限度だろう。今回は額装も無垢材を加工して自分でやる。気の早いハナシだが、完成作品の販売予定は今回なく、展示後は自宅玄関ホールに飾るつもり。

2015年8月30日日曜日

さらなる節酒の必要性

 先日受けた市の健康診断の結果が届いた。大きな問題点はなかったが、小さな所見がいくつかあった。

1)胸部X線検査で、右胸に「胸膜肥厚」の所見
 判定には「精密検査不要」とあり、来年も検査を受けましょう、とのこと。自覚症状はないが、20代の頃、右肺に「痕跡あり、自然治癒」と指摘されたことがある。もしかすると、同じ場所かもしれない。
 春先に軽い傷みがあり、不安だった左胸には異常がなかった。ストレッチをすると改善するので、やはり肋間神経痛である可能性が高い。しかし、肺ガンは大腸ガンから転移しやすいという。しばらくは要注意だ。

2)「体重が少なめ」の所見
 昨年も指摘されたが、太る努力はしているので、BMIはやや改善された。大腸ガンの手術で3キロやせてから、なかなか回復しない。
 最近になってようやく53Kgまで戻したが、手術前の55Kgまでは、あと2Kg足りない。ご飯を多めにして、来春くらいまでには戻したい。


3)γ-GTP値に「要生活習慣注意」
 これは昨年も指摘された肝機能に関わる数値で、以前は基準値が80未満だったが、2012年4月に50未満に変更されたという。今回は60で、以前なら許容範囲だったが、新基準ではNG。
 γ-GTP値はアルコール摂取量と密接な関係があり、50を超えると「アルコール性肝障害」と診断されるとか。古い記録を調べたら49歳のときで43で、以降はすべて50を超えている。どうやら50歳を境に、肝機能がじょじょに衰え始めたようだ。
 γ-GTP値が100を超えると厳格な節酒か禁酒が必要だが、まだその領域には達していない。大腸ガンの担当医からは、酒を減らすことを検査のたびに指摘され、手術以降は晩酌を3日飲んだら1回休むようにし、飲む量も半分に減らした。
 その結果、昨年2月には88もあったγ-GTP値が、半年後の昨年8月には71に減り、さらに半年後の今年2月には、60まで下がった。

 このペースなら今回の検査では確実に50以下になっているはず…、と期待していたが、結果は60のまま横ばい状態。つまりは、現状のアルコール摂取ペースではもはや限界で、さらなる節酒が必要ということになる。
 目標値まではあと少しなので、今後は晩酌を2日飲んだら1回休むように変えようと思う。計算上はこれでアルコール量が10数%減ることになるが…、はてさて?

 肺ガンに並んで、肝臓ガンも大腸ガンから転移しやすいといわれている。担当医がたびたび指摘する理由もおそらくそこだ。いずれは新婚時代のように、「酒は週末の2日間だけ」というペースになるかもしれないが、しばしの悪あがきである。

2015年8月29日土曜日

排水のボコボコ音対策

 10月上旬なみの肌寒い陽気から、気温がようやく平年なみに戻り、気持よく晴れた。自宅周辺の草刈りのうち、残っていた西半分をやることにする。

 前回草刈りをやった際、台所の汚水桝に破損を発見し、ビール空き缶とコーキング剤で丁寧に補修をしたが、それ以降、台所で一度に大量の水を流すと、トラップに溜まった水がゴボゴボと異音を発するようになった。
 汚水桝の補修によって汚水管内空気の逃げ場がなくなり、水がスムーズに流れなくなったことが原因と思われた。
 実は入居時にも同じ問題が起こり、汚水桝の蓋の一部に通気穴を開けることで解決している。台所部分の汚水桝にはなぜか異音が発生せず、不思議でならなかったが、破損によって開いた穴が結果的に通気口として働いていたらしい。

赤マル部分が通気穴


 我が家の汚水桝は水溜りのあるトラップ枡で、ここに常に水が溜まっていることにより、下水からの臭気や虫などの侵入を食い止める仕組み。
 このトラップ枡の蓋に小さな通気穴を開けてやる。(写真右側赤マル部)今回使ったのは2.8ミリのドリル。あまり大きい穴だと雨水や虫の侵入が怖いので、詰まらない程度の小さめの穴が望ましい。

 写真のトラップ枡は径75だが、左側に隣接する径150の蓋は掃除用である。こちらの蓋に穴を開けても効果はなく、逆に下水臭が漏れる元凶となってしまう。


 雨水や虫の侵入を予防するため、蓋の上には10ミリ厚のタイルを置いた。裏面にはザラつきがあるので、通気には支障がない。
 補修後、台所で大量の水を一気に流してテストしてみたが、不快なゴボゴボ音は消えていた。
 今回の措置はあくまで間に合わせのもので、本来は汚水管に「通気弁」といわれる器具をつけたり、通気口付きの蓋を使うのが正しいやり方。

 蓋に通気口をつける手法は、雨水につかりやすい場所や、土砂が侵入しやすい場所には不向き。我が家の場合、上記の手法で修正し、16年間トラブルは起きてないが、試みる方は各自の責任でお願いします。


《2015.9.3 追記》
 対策を施した1週間後の豪雨時に、タイルと蓋の隙間が狭すぎて水封されてしまう、という問題が発生。豪雨時にはボコボコ音が復活してしまった。
 そこでプラスチック製植木鉢を上からかぶせる方式に改めた。底の穴は内側から別のプラスチック板を、通気に支障ないよう意図的にルーズにくり抜いてビス止め。

2015年8月28日金曜日

灯油タンク水抜き栓騒動

 秋風が吹き始めたので、冬への備えとして、毎年1回やっている灯油タンクの水抜きをやることにした。ついでにキャンプで使った灯油の補充を小型ポリタンクへと行う。
 以前からそんな傾向があったが、水抜き栓が固くて指では回らない。タンクに貼ってある説明書には、「水抜き栓は必ず手で回すこと」とあったが、プライヤーを使って回した。

 落ちてきた水混じりの灯油をバケツで受けつつ、途中から小型ポリタンクに切替えて、必要な分は確保した。
 水抜き栓を元に戻して作業を終えようとしたが、一向に灯油が止まらない。回転方向が悪いのかと左右両方を試みたが、下から見て時計回りいっぱいに回してもダメ。反対側に回しても状況は同じで、最後には水抜き栓そのものが本体から脱落してしまう。これは大変だ。



 灯油を受けるバケツは10Lで、落下する灯油の勢いからみて、ある程度の余裕はある。あわてて家に戻って、工具箱からネジ類一式を持ってくる。適当なビスを水抜き栓中央の穴にあてがい、水抜き栓の位置を調整して、最も漏れが少ない位置に仮固定する。
 応急処理で多少の時間稼ぎにはなったが、根本解決には程遠い。440Lタンクの残量は6割ほどで、推定260Lほどの灯油が残っている。自力で完全に止めるのは難しく、問題点が水抜き栓にあるのか、はたまたタンク側にあるのか、知識不足でよく分からない。
 時計は16時半あたり。思案のあげく、3年前に灯油タンク移設と湯量ゲージの交換を依頼した業者のことを思い出した。調べると名刺が保存してある。携帯にかけたら他の現場で作業中で、あれこれ状況を話すうち、私のことを思い出してくれた。
 タンクのメーカーを教えると、手持ちの材料と工具で何とかなりそうだという。問題は時間だったが、やり繰りしてただちに来てくれることに。

交換後の水抜き栓

 一時間後、バケツ半分ほどまでに溜まった灯油を、脚立に昇ってタンク上部から戻していたところに業者が到着。ただちに作業にとりかかる。

 水抜き栓のほぼ真上にあるタンク上部の蓋を外し、そこから1.5メートルほどの先端が丸い鉄棒を入れる。手探りで水抜き栓の穴を探っている様子だったが、しばしして漏れがほとんどなくなった。
(推測だが、鉄棒の先端で内側の穴を塞ぎ、灯油の流れを一時的に断ち切っていたように思える)
 その状態のまま、古い水抜き栓をスパナで完全に取り外し、新品の水抜き栓に交換。その後鉄棒を抜き取っても灯油の漏れは止まり、バルブを指で緩めると正常に灯油が流れてきた。あっさり問題解決である。
 取り外した古い水抜き栓を見ると、パッキンを固定する座金が完全に壊れていた。水抜きする場合のバルブの回転方向は、下から見て反時計回りが正解である。はっきり記憶にないが、もしかすると逆に回していたのかもしれない。

 突然の無理をお願いしたにも関わらず、修理費は4,320円という良心的なもの。使い始めてすでに16年、以前から水抜き栓は調子が悪かったので、交換するタイミングとしてはよかった。

2015年8月26日水曜日

ライブ数の上限値

 一昨年末以来のガン闘病や、すでに高齢者の仲間入りをした我が年齢などを考慮して、細くても長く弾き語りライブ活動を続けるために、自らに課したいくつかの制限がある。

1)年間ライブ数の上限値を50回とする。
2)ライブは1日1回までとする。
3)2日連続のライブはしない。
4)夜のライブには参加しない。(自分が出ない場合も含めて)
5)制約時間の長いライブは極力避ける。

 各項目に明確な根拠はないが、いずれも心身に対する負担を考慮して自分で判断したことばかり。たとえば1)なら、おおむね週に1回ということになり、妥当な数値と思われる。
 2)と3)は集中的な負担を避ける意味で、4)は主に食事が不規則になりがちなことが主な理由。

 1)に関して昨年の実績は51回で、ほぼ目標を達成。今年は現時点で39回で、年内の予定分が10回。合計49回となり、すでに上限ギリギリである。
 今後、特にクリスマスの時期に介護施設系のライブ依頼が集中するので、上限値キープは難しい状況だ。


 ライブの累計数はひとつの目安に過ぎず、その内容によっては、心身の負担が大きく異る。音響や進行、選曲などを自分の裁量だけで取り仕切れる自主企画型のライブは、そうでない依頼型や参加型のライブに比べて、特に精神面でのストレスは格段に少ない。
 自宅から10分以内でたどり着く会場と、1時間もかかる遠方の会場とでは、心身への負担が大きく異ることも明白。同じ時間の要素として、複数の出演者がいる場合の待ち時間の負担も無視できない。
 ライブ数を減らす努力はいろいろやっているが、介護施設系のリピート依頼がじわじわ増える傾向にあり、これ以上減らすのは難しい状況だ。
(プロ志向の若手シンガーとは真逆の方向性に違いないが、これがいまの自分が置かれた立ち位置)
 かっては上位を占めていたライブハウス系はこのところ皆無で、復興支援系の活動も丸3年経過を機にすっぱりやめた。残る調整は路上系ライブでやるしかないが、皮肉なことにこの路上系がもっとも自由度が高く、負担も少ないのだ。

 来年3月で代表的な路上系活動の場であるチカチカパフォーマンス特別枠活動者の権利がなくなるので、以降の活動が現時点では流動的。取り巻く状況が大きく変わるのは必至で、その時点で活動態勢を再度見直すとして、当面は今年を無事に乗り切ることだ。

2015年8月25日火曜日

住み着くカエル

 秋の気配を感じるさわやかな日和。伸び放題の敷地内雑草を電動草刈機で刈った。確か今年3度目で、そろそろ草刈りも終わりに近づいたか。
 いつものように道路側半分だけ終わらせたが、家庭菜園で育てていた枝豆のうち、一番最初に種を蒔いた分に、多数のサヤを発見。今年はかなりの苦労を強いられたが、近いうちに美味しい枝豆にありつけそうだ。


 妻が面倒をみていたオシロイバナのうち、最も大きい株にツボミらしき痕跡を発見。発芽後も思うように育たないので、すっかり諦めていた妻に教えたら、とても喜んでいた。
 まだ花が咲いたわけではないので、これに関する続報は後日。
 草刈機を手入れして車庫の一隅にある物置にしまったあと、物置下に作ってある地下ムロの木製蓋を何気なくめくってみた。夏場は何も入れず、ときどき台所から溢れたゴミの一時置き場として利用している。虫が湧いてないかどうか、たまにチェックする必要がある。
 ムロの中は乾いていて、数匹のダンゴムシが動く程度。しかし、底に茶色い枯れ葉が落ちている。拾って捨てようと手を伸ばしたら…、枯れ葉がピョンと動く。以前にも似たようなことが車庫内であった。カエルだ。


 カエルの種類は前回と同じエゾアカガエルで、大きさも似たようなもの。もしかすると同じカエルかもしれない。
 調べてみたら、同じ場所に初めてカエルが現れたのは、1年前の7月末。その後ウッドデッキ横で同じカエルらしき姿を確認したのが、2ヶ月後の9月末のこと。同じカエルがずっと我が家の周辺に住み着いている可能性は否定できない。
(カエルの寿命は10年を超えるらしい)
 仮に同じカエルだったとして、なにゆえ蓋の閉じたムロに住み着いていたのか。蓋に多少の隙間はあるので、出入りは可能。中にいるゲジゲジやダンゴムシなどの豊富なエサは取り放題で、天敵もいない。ある意味ではカエルの天国かもしれない。
 ムロを乾燥させるべく、ときどき蓋は外すようにしていたが、しばし考えたすえに、カエルが入ったままで蓋は元通りにしめておいた。

 カエルの住む家は栄える、という一説もあるらしいが、果たしていつまで住み続けるのか、このカエル?あまり期待せずに福を待とうか。

2015年8月24日月曜日

空いた時間の使い道

 3連続ハードスケジュールを無事に乗り切って、来週末までしばしの休息と充電期間が訪れた。
 建築デザイン系の仕事を精力的にこなしていた時期もそうだったが、オニのような忙しさが延々続いたかと思えば、ふっと抜けたように暇になる時期がよくあった。生活を趣味&ボランティア活動にシフト変更してからも似た傾向がある。その空いた時間をどう使うかだ。

 空いた時間にやるべきリストは常に頭の中にあり、1)家事雑事 2)弾き語りの新境地開拓や反復練習 3)その他のデザインワーク 4)その他の趣味(読書など)といった優先順位。
 家事雑事で残っているのは草刈りくらいなので、緊急性は低い。今日は2)に相当する弾き語りの新レパートリー開拓に時間をあてた。


 10月下旬に地区センターで実施予定の3度目の「叙情歌サロン」に向けて、早くもリクエストをいただいている。

「叙情歌サロン」は30分のステージを10分の休憩をはさんで3回繰り返すが、主にリクエストが集中するのは、場が馴染んだ第2ステージ以降。第3ステージは1曲もリクエストに応えていない方への補完ステージ的位置づけにもなっているが、問題はリクエストの出にくい第1ステージだ。
 無理に場からリクエストを募らずに、友人知人から事前にリクエストを貰ったり、前回ライブの歌い残しを歌ったり、はたまた1曲目は館長さんからのリクエストにあてていたりもする。
 場の流れでどうなるか分からないが、現時点で内定している第1ステージの曲は以下の通り。

「生活の柄」「池上線」「糸」「恋人よ」「時の流れに身をまかせ」「少年時代」「サヨナラ模様」

 このうち、唯一レパートリーにないのが「サヨナラ模様」で、目下集中的に練習に励んでいる。
「サヨナラ模様」は歌も伴奏も自分には難しく、一度試みて断念した経緯がある。しかし、今回は親しい友人からのたっての希望だ。
 前半と後半でガラリと曲調が変わる難曲だが、ギター伴奏の組合せを幾通りか変えつつ、試行錯誤。およその方向性は見えたが、難しい作業であることに変わりはない。

 人生に何度か訪れるであろう「ふっと空いた時間」の使い道。これをいかに過ごすかで、その後の人生が大きく変わってゆく。そう思える。

2015年8月23日日曜日

ハッピ着て歌った夏祭り

 近隣のデイサービス夏祭りで歌った。3日間続いたハードスケジュールの最終日で、一昨日歌ったばかりのデイサービスとは同じ系列の施設。
 こちらも今年3度目の依頼で、累計でも4度目。やはり「慣れ」や「飽き」が課題で、定番ソングだけの正攻法では通用しないのは明らかだった。

 開始は13時半だったが、車で数分の距離なので、移動による負担はない。この日は普段のように私の単独ライブではなく、いろいろな出し物がある夏祭りイベントの一環という位置づけだった。
 数日前に施設長さんから連絡があり、祭りにふさわしい曲として北島三郎の「まつり」のリクエストがまずあり、同時に衣装に関する注文もあった。
 先方の希望は甚平で歌うことだったが、あいにく持ちあわせていない。そこで施設に準備のあるハッピをお借りすることになり、ハチマキ(バンダナ)だけは私が用意することになった。

開演前の「つかみ」として、衣装の説明をしている。

 会場には紅白の幕や提灯などが部屋中にめぐらされ、いかにもお祭り、といった雰囲気。用意されたハッピを着てみたが、色が派手で、やや浮いた印象。(100均で調達したとか)しかし、お祭りなので、多少の違和感は許されるだろう。
 一昨日の施設の系列とはいえ、場が変わると嗜好もガラリ変わる。定番ソングをできるだけ避けつつも、一昨日の構成をベースに、かなりの修正を加えて臨んだ。
 13時半ちょうどから歌い始め、45分間で15曲を歌う。

「高原列車は行く」「おかあさん(森昌子)」「炭坑節」「ここに幸あり」「二人は若い」「浜辺の歌」「酒と泪と男と女」「まつり(リクエスト)」
「長崎の鐘」「昔の名前で出ています」「上海帰りのリル」「ラブユー東京」「花〜すべての人の心に花を」「丘を越えて」「高校三年生(アンコール)」
 新たに入れた曲は、「高原列車は行く」「炭坑節」「ここに幸あり」「ラブユー東京」「花」の5曲。お祭りを考慮し、乗りがよくて手拍子の出やすい曲を重視した。

 大事な1曲目は、このところ歌ってないが、実績のある無難な曲。3曲目にはちょっとひねった民謡の「炭坑節」を持ってきた。直前の時間調整で「真室川音頭」を全員で歌っていて、私の直後の日本舞踊では「花笠音頭」を踊っていたので、うまく重複を避けた格好。
 1〜3曲目までは調子よく手拍子が飛び出し、4曲目で叙情系の曲、5曲目で掛け声参加の曲、6曲目で叙情系唱歌という、メリハリを利かせた苦心の構成である。


 ほぼ思惑通りに運んで、前半ラストに相当する「まつり」では、場の気分が最高潮に達する。秋から冬にかけてしか歌わないが、男女を問わず受ける得難い曲なのだ。
 全体を通して唯一の選曲ミスは、7曲目の「酒と泪と男と女」。フォーク系の歌だが、他の場では人気のある曲。しかし、フォークをリクエストなしで歌うには、ちょっと無理があった。反応の弱さを素早く察知し、後半を大幅に端折って歌い終える。

 一昨日初めて歌ってまずまずの手応えだった「上海帰りのリル」は、今回さらに反応がよく、歌い終えると「いいね〜」の声が湧く。難曲だが、かなり歌い込んで、ようやくこの曲の世界観をつかんだ気がする。2番を飛ばしたが、フルコーラス歌ってもよかったかもしれない。
「ラブユー東京」は介護施設では初めて歌った。チカチカパフォーマンスでは抜群の反応なので、(もしやいけるかも…)という、見切り発車だったが、予想以上に受けた。
 ジャンル的にはムード歌謡だが、よく知られていて、何より手拍子がでやすい。未開拓の曲でも、この2点に絞って選曲すれば、まだまだ歌える曲を発掘できそうだ。
 他の出演者の関係もあって、アンコールやその場のリクエストはない、という事前の打合せだったが、終了後に当の担当職員さんがいきなり立ち上がって「アンコール!」の手拍子。「打合せと違ってますよ〜」などと応じつつ、ありがたく追加で歌わせてもらう。
 実はこの職員さん、目下妊娠中だそうで、ライブの途中「お腹の子が菊地さんの声に合わせて、トントン蹴り出した!」との面白いコメント。どうやら歌に反応するのは高齢者ばかりではないようだ。

 終了後、「よかったです〜」との声を幾人かの方からかけていただく。修正を加えたこともあり、結果として出来は一昨日よりも向上したように思える。
 同じ曲を同じような場で同じ歌い手が歌っても、場の反応はその都度微妙に異なる。その微妙さ加減がライブの妙味。だからライブは面白い。

2015年8月22日土曜日

街づくりカフェ本番

 先月下旬から4回に渡って検討を重ねてきた、JR篠路駅東地区街づくり組織「しのろイースト」の初企画&運営となる街づくりカフェ「しのろテラス」の初日がオープンした。
 回を重ねるごとに検討会議の出席者は少しずつ減ったが、最終的には15名ほどのメンバーが運営に参加。初回なのでカフェの場は地域商店街夏祭り出店の一隅をお借りすることになった。

 天気さえ良ければ集客面での不安は皆無で、問題は「街づくり活動とカフェとをどうやって有機的に結びつけるか?」の手法面にかかっていた。


 運営の柱は、「飲食物販売」「ゲームコーナー」「街づくり展示」の3つ。飲食物コーナーでは地域にちんなんだメニューを地域らしいネーミングで販売。地域特産の藍染め小物も販売する。
 ゲームコーナーではくじ引きの景品に、地域の特徴ある写真をカードにして添付する、という趣向をこらすなど、「街づくり」のキーワードにはこだわった。
 飲食物販売やゲームは客も取っ付きやすく、運営手法もそう難しくない。ここでの集客をどうやって街づくり展示に誘導するか、である。

 途中の検討会議ではいろいろなコーナーに関わったが、最終的には本業の建築デザインが活かせる街づくり展示の店番を担当することに。あいにく日程が2つのライブの合間に挟まれていて、直接関われるのはカフェの設営準備と初日後半の店番だけ、という苦しい状況だった。

飲食コーナーでは地域にちなんだ飲み物を販売

 苦手な早朝に最寄りの地区センターに集合し、機材を会場へと運ぶ。テントは3.6×3.6Mだったが、ここに3つのコーナーを効率的に配置するのは至難の業。
 空はきれいに晴れ上がったが、陽射しが強くて汗が流れ落ちる。だいたい終わらせていったん家に戻り、昼食をとったあとに疲れで仮眠。翌日のライブの練習をひと通り済ませて、16時からの割り当て時間に合わせて家を出る。

 会場に入ってみると、午前中とは街づくり展示の配置が変わっていた。当初は販売コーナーの背面にあったが、90度外側にふってある。客の動きが販売コーナーの作業動線と重なる、という判断らしかった。


 販売コーナーでつかんだ客を奥へ導く、という思惑からは外れるが、展示板前に休憩用の椅子とテーブルを並べたので、そこに座る客に声をかける、という方針変更だった。
 開始の12時から16時までの展示コーナーへの来客は20名強。16時からそれまでの担当者と店番を代わったが、思っていたよりも興味を示してくれる方が多かった。
 街づくりの展示板に目をやった方に、「街づくりアンケートやりませんか?」とすかさず声をかける。「篠路の街が好きですか?」など、選択方式の4つの設問にシール貼りで応えるもので、手が飲食物でふさがっている方には、「代りにお貼りしますよ」と言い添える。
 さらに興味を示してくれた方には、机上にある再開発計画の模型に、将来の街にあったらいいと思うものを、自由に配置してもらう趣向だ。完成模型は写真に撮って記録に残す。
 やり取りの中で、街づくりに関するメッセージが飛び出した場合は、すかさず手元のカードに書き取って展示板にピンで貼りつけた。

 お祭りにふさわしいとは決していえない硬い展示なので、正直あまり期待はしてなかったが、閉店の19時までに20数名のアンケート協力を得て、メッセージや模型作成もそれなり。あっという間の3時間だった。


 やってみて思ったのは、カフェでの客のさばきは、チカチカパフォーマンスでの聴き手とのコミュニケーションと非常によく似ている、という事実だ。
 それなりの場を作ってやれば、無理な客引きなどせずとも、興味を示してくれる方は必ずいる。あとは声掛けのタイミングと、それに続く柔らかい会話があればいい。

 今回の企画は、はたして今後どういった方向に進んでゆくのか、皆目分からない。すでに多くの社会活動に関わる身ではあるが、なにせ地元の街づくり活動である。弾き語りの特技が活きるかどうかなどの思惑はさておき、無理のない範囲で今後も関わっていきたいと思う。

2015年8月21日金曜日

初披露&リクエスト連発

 車で1時間近くかかる遠方のデイサービスで歌った。一昨年夏にネット経由で依頼され、その後年3回ペースで定期的な依頼が続いている。
 いわゆる「3度目の高い壁」も軽々と越え、もはや家族的とも思える親密な関係が続く得難い場となりつつある。

 定期的に依頼されるのは大変ありがたく、歌い手冥利につきるが、問題はライブが度重なることによる「慣れ」と「飽き」。
 デイサービスの利用者は3つほどのグループに分かれてはいるが、私の歌を目当てに利用日を変更する音楽好きな方も多いと聞く。主に歌い手の問題である「慣れ」は、自分のコントロールで克服可能だが、聴き手側の問題である「飽き」に対する対策は、今後回数を重ねるにつれて重要な課題になってくるだろう。
 都合6回目となる今回は、そうした慣れや飽きからくる緩みに打撃を与えるべく、過去に例がないほど思い切った構成で臨んだ。
 およそ1時間で17曲を歌ったが、うち初披露が4曲で、リクエスト曲が7曲。こんな冒険が可能なのも、施設との強い信頼関係があるからに他ならない。


「東京ブギウギ◎」「瀬戸の花嫁」「おかあさん(森昌子)※」「浜辺の歌」「二人は若い」「嫁に来ないか◎※」「酒と泪と男と女※」「まつり」
「長崎の鐘※」「上海帰りのリル◎」「夜霧よ今夜も有難う」「人生一路」「北の旅人(南こうせつ)※」「憧れのハワイ航路※」「愛燦々※」「昔の名前で出ています◎」「丘を越えて」
(◎は初披露、※はリクエスト)

 1曲目は先日のサ高住夏祭りでリクエストが出た曲。当時はレパートリーになかったが、その後覚えて調子のよいリズムが1曲目に使えるのでは…、と判断した。
 ところがいざ歌い始めると、聴き手の手拍子が歌にうまく合わない、という予想外の問題が起きた。いわゆる「前打ち」では合わせにくく、「後打ち」だとうまく合う。しかし、この「後打ち」が高齢者には難しいのだ。
 その後の曲で持ち直したが、大事な1曲目に実績のない曲を選ぶのは避けるべきだと痛感した。
 以降の場の反応はまずまず。リスクの多い初披露の曲は、実績ある曲やリクエスト曲の間にうまく散らした。「上海帰りのリル」「昔の名前で出ています」は今後も使えそうな感じだ。
 前半部、「酒と泪と男と女」までのリクエストは、事前に担当の方から打診のあった曲。「長崎の鐘」は前回のリクエストで応えられなかった持ち越し曲。「北の旅人」以降のリクエストはその場で出たものだった。
「酒と泪と男と女」は前回もリクエストが出たが、聞けば同じ方から再度のリクエスト。余程気に入ってもらえたらしい。

 介護施設系でこれほど多くのリクエストに応えたことは過去に記憶がなく、このところ手がけている地区センターやチカチカパフォーマンスでのリクエスト中心の手法に沿うもの。
 リクエスト中心の我が方向性、しばらくは止められない。

2015年8月19日水曜日

カッティングマット買い換え

 およそ4年間使ったカッティングマットの傷みがひどく、買い換えることにした。今回で都合3枚目だが、使ってきたのは全てA3版。仕事柄、B4やA3のイラスト(建築パース)を数多く手がけてきたので、A3サイズは必須だった。
最初に買ったのは無印良品の品で、厚さは2ミリほど。裏面が硬い塩ビで、使えるのは表面のみ。しかし、かなり長持ちした。B3のイラストボードを半分に切ったり、仕上がったイラストにトレペのカバーをかける際に主に使ったので、使用頻度はそう多くなかった。

 15年前くらいから手描きの仕事が激減し、CG主体になってから、めっきり出番が減った。最近になって使用頻度が再び増えたのは、2012年に出したオリジナルCD作成のため。歌詞カードやバックカバーを切り抜く作業に、カッティングマットが大活躍した。


 酷使がたたったのか、はたまた耐用性が低かったのか、2枚目の品は持ちが悪く、あちこちに深い溝が出来てしまった。
 そこで今回は厚さが3ミリの製品を選択。しかも裏面も使えるという、リバーシブルタイプだ。裏面は色が白で線がグレーだが、他の体裁は全く同じだ。単純計算で耐用年数が倍に増えることになる。

 さらには、サイズが32×45センチと、短辺が通常より2センチ長い。これにより、A3の用紙を中央に置いても1センチ強の余裕が全周にできるので、作業性が高くなる。
 価格はアマゾンで送料税込1,123円だった。


 余談だが、使わなくなったカッティングマットは捨てずに保管しておき、ちょっとしたDIYに使っている。ライブで大活躍中の電子譜面ホルダーのベース材は、最初に買ったカッティングマットを切って使った。
 大きめのクリップと併用して、クリップボードとして使ったこともある。工夫次第で、いろいろ使える。

2015年8月17日月曜日

挨拶したくない

 先日のキャンプでの出来事だ。キャンプサイトに車は入れないので、駐車場に停めた車から荷物一式を家族全員で手分けして抱え、サイト内に入った。すでに設置を終えた人たちは、めいめいが火を起こしたり、食材を焼いたりしている。
 手前にある共同炊事棟でBBQをやっていた30代の男性と目があった。
「こんにちは」
 すかさず声をかけると、向こうもすぐに「こんにちは」と返してきた。

 そのまま木道を進んで、手前のバンガロー前で火を起こしていた4〜5人の学生風の若い女性にも「こんにちは」と声をかける。ところが、今度は何も返ってこない。返ってきたのは、(何だ、この妙に親しげなオヤジは…)とでも言いたげな、無言の冷たい視線だけ。
 その時点で、(しまった!)と気づく。長いブランクのせいで忘れていたが、少なくとも北海道のキャンプ場では、出会った人にやたら挨拶するものではない、という暗黙ルールがあったことを。


 その日は100人近いキャンパーに遭遇したが、以降は面倒を避けて、隣人にもあえて挨拶することなく過ごした。
 結果として、挨拶を交わしたのは最初の男性一人のみ。やはり暗黙ルールは活きていた。

 自転車旅行や軽登山など、キャンプ以外にも多くのアウトドアを嗜んできたが、同好の士に対する挨拶のルールは、種類や地域などによって微妙に違うように感じる。
 40年前までの自転車旅行の場合、地域を問わず、互いに挨拶する割合は100%近かった。時にはライダーまでも片手を挙げて挨拶してくれる。これはたぶんいまも変わらない習慣ではないか。
 軽登山(日帰り程度)の場合、関東では挨拶の確率が高く、北海道ではやや低い傾向にあった。
 アウトドアに限らず、たとえば家の前の道を犬を散歩させる人がいたとして、たまたま玄関先で鉢合わせになることがある。こんなシーンでの対応は真っ二つに分かれるもので、早めにソッポを向いて(挨拶したくない…)との暗黙の意思表示をする人と、顔を合わせた瞬間に挨拶を交わす人。(会釈を含む)
 挨拶したくない人と無理に挨拶しようとも思わないので、気まずい空気が早く過ぎ去るのをひたすら待つしかないが、こんなことを卑屈に考えているのは、もしかしてこちらだけか。

 祖先が狩猟民族である欧米では、見知らぬ人と遭遇した際の挨拶の位置づけが、(あなたとは戦う気持ちはありませんよ)との意思表示だと聞く。祖が農耕民族である我が日本人は、その縄張り的DNAが見知らぬ人との挨拶を拒否させるのか。
 挨拶するしないの判断基準は、その地域の民度と関わっている気がしてならない。交通機関や情報網の飛躍的進化により、人と人とのつながり方も変わらざるを得ないはずだが、何ともやり切れないハナシである。

2015年8月16日日曜日

アンスリウム仕立て直し

 根詰まりを起こして、ちょうど1年前に新しい鉢に替えたアンスリウムだったが、その後冬までの生育は順調で、新芽もいくつか出て花も咲いた。
 しかし、雪解けのころからめっきり元気がなくなり、新芽も閉じたまま育つ気配がなく、葉もじょじょに減ってゆくばかりだった。
 大小18個ある観葉植物のうち、うまく育っていないのは、このアンスリウムだけ。肥料アンプルを挿したり、葉に霧を吹いたりしたが、全く改善しない。
 どうも根腐れを起こしている可能性が高い。いっそ捨ててしまうことも考えたが、最後の手段として、まだ生きていると思われる茎だけを別の鉢に仕立て直すことにした。


 鉢から抜き取って調べてみると、案の定根の多くは黒ずんだり白く変色したりしていて、まともな根はごく少数。ヒゲ根が育ってないせいで、土もしまっておらず、ボロボロとこぼれ落ちてしまう。
 なぜこうなってしまったか分からないが、瀕死の状態であることは確かだった。

 

 ネット情報をかき集めて検討した結果、古い親株と土は思い切って廃棄することにする。親株から伸びている大小3本の茎を、根へと育つ突起を残して切り取り、新しい土で新しい鉢に植える。根が育つまで負担になりそうな大きな葉は、バッサリ捨てた。
 果たしてこれで蘇ってくれるのか、全く分からない。答えは秋まで分かるはず。復活を祈りたい。
(最終的に仕立て直しは失敗し、アンスリウムは枯れてしまった)

2015年8月15日土曜日

BBQ続く

 長男夫婦とのキャンプが終わったとたん、翌日から次男が盆休みを使って帰省中である。親としては、連日の「お接待」が続く。
 BBQ大好きの次男は、キャンプの日程と休暇が合わなかったことを盛んに残念がっていて、キャンプは無理でも、せめて我が家のウッドデッキ常設コンロでBBQをと、強い要望だった。

 帰省した当日の天気はよかったが、到着が夕方なのでBBQは無理。翌日(昨日)も天気はよく、最高のBBQ日和だった。
 私はキャンプ後も後片付けでずっと動いていたので、胃腸は平常に戻っていて、さらなるBBQでもOKだったが、妻がキャンプと美食疲れで体調が悪く、連日の肉は無理という状態。刺身や野菜の煮付けなど、お腹にやさしい食事で無難に2日間を過ごした。

BBQは終盤で、おにぎりを焼いている

 明日はもう帰るので、当日のBBQはできない。やるなら今日しかない。しかし、またしても天気が悪く、明け方から降ったりやんだりの愚図つく空。全く巡りあわせの悪いことよ。
 例によってネットのレーダー情報をにらみつつ、夕方から何とかやれるのでは?との見込みで、妻と息子が買い出しに行った。

 2キロほど離れたスーパーではかなりの雨だったらしいが、自宅周辺は降っていない。いまのうちに焼いてしまえとばかり、16時半くらいから始めることにする。
 コンロ真上のパーゴラには遮光シートがかけてあり、多少の雨でも平気だが、建物と反対側の手すり近くは雨のしずくが落ちてきて濡れるので、椅子は置けない。
 そこで今回は普段のテーブルや椅子の配置を大きく変え、建物側に私と息子が座り、その横のテラス戸近くに妻が座った。
 いつもは長いテーブルを置いて食材や食器を並べる場所だが、今回は小さめのサイドテーブルやDIY用の作業台を壁際に並べて対処。初めての試みだったが、少人数なら何ら問題なくやれることが分かった。テーブルが邪魔にならないその分、逆に快適かもしれない。

 心配だった雨は結局食べ終わるまで全く降らず、次男の執念が勝った感。

2015年8月11日火曜日

月形道民の森キャンプ場

 長男夫婦に誘われて、実に25年ぶりにキャンプに行くことになった。どちらも職場がシフト制の長男夫婦は、平日でも休暇をとることが可能。仕事が開店休業状態で、事情は似ている私たちだったが、当初はいまひとつ気乗りがしなかった。
 私は10代から長く自転車でのキャンプ旅行を続けてきたし、妻も結婚後に北海道に引っ越してきてから、年に3回ペースで共に家族キャンプを楽しんできた。
 その後子育ても終わって、「毎日がキャンプ」のような住環境に住み始めて16年、いまさらこの年で面倒なキャンプでもないだろう、といった心境である。

 しかし、(いつかまたキャンプを再開するかも…)という漠然とした予感もあって、少しずつ揃えたキャンプ用具は、いまでも大切に押入れの奥や床下収納で眠っていた。
 北海道で新しい暮らしを始めたお嫁さんが加われば、北の大地でのキャンプもまた新鮮に映るかもしれない…。そう考え直して、さっそく道具の点検整備を始めた。



 幸いに、長年使い込んだキャンプ用具は保存状態がよく、ほぼ無傷で使えることが分かった。キャンプ場はなるべく近くて、設営の負担が少ないバンガローがついている施設を条件に絞り込む。
 長男夫婦の休暇予定日だった8/11に奇跡的に空きがあった施設が札幌近郊の月形町に見つかり、さっそく予約を入れた。
 期日が迫ってきて用具の準備は万全だったが、肝心の天気予報が悪い。キャンプ予定日の8/11〜12は札幌の雨の特異日で、札幌から北に50km弱のキャンプ場の天気も似たようなもの。直前になっても予報は変わらず、両日とも雨である。

 一時は中止の話もでたが、休暇の変更は出来ないので、強行することになる。テントを持参して屋外に備付けのテーブルと椅子をすっぽり覆ってしまい、BBQはその中でやる覚悟を決める。
 もし外での食事が不可能なら、焼いた食材をバンガロー内に運び込み、屋内にあるテーブルで食事をする手はずだった。(バンガロー内では火気厳禁)
 

 当日の10時ころになって、予報通りに雨がポツポツ落ちてきた。次第に雨脚が早くなり、あっという間に土砂降りに。そのうち稲妻の光と共に、激しい雷鳴が伴う。いわゆる「バケツをひっくり返したような雨」になってしまった。
 昼近くに雨がやむ。ネットの詳細レーダー情報で調べると、キャンプ予定地の予報も雨だが、16時から数時間は晴れることになっていた。予報を信じて、少し遅めに出かけることにする。
 14時ちょうどに出発。用具をうまくやりくりし、私の軽自動車に用具一式を詰め込んで行くことになった。
 雨は上がっているが、まだ時折雷鳴がする。黒い雨雲を追いかけるように走り、14時55分に現地到着。あちこちに水たまりはあるが、幸いに雨は降っていない。すばやく手続きを済ませ、手分けして用具をバンガロー前に運び込んだ。ただちにテントを組み立てる。

 無事に組み終えて、用具一式をバンガローとテント内に運び込んだ直後、激しい雨が降り始める。時計は15時半過ぎ。ギリギリで間に合った。テントの中で休憩しつつ、雨がやむのをしばし待つ。


 雨は次第に弱まり、20分ほどで青空が広がり始める。時計は15時55分あたり。レーダースポット予報通りだった。
 全部で16棟あるバンガローは全て予約が入っていて、すでに焼き肉を始めているところも多い。少し早いが、また雨が降り出さないとも限らないので、予定より早く食べ始めることにする。

 バンガロー使用料は長男夫婦が払い、用具一式と食材は私たちが準備したので、用具の管理担当は私。手早く炭を起こし、16時15分から早くも食材を焼き始めた。


 激しい雨のせいで蚊の姿はなかったが、大型のアブが何匹もテント内に飛んできた。屋内にあったホウキではたき落としつつ、ひたすら食べる。出がけに近所の農協で買ってきた採れたてのトウモロコシが抜群の味。他の厳選した食材も外れがなく、美味しく平らげた。
 この日のためにアルコールを減らして備えたので、息子と2人で缶ビールを8本も空ける。最近の私としては、珍しく飲んだ。
 このところ仕事が多忙で疲れているという息子は早々とダウンし、19時にバンガローに入って寝てしまう。(その後朝まで起きてこなかった)
 残った3人は準備してきた薪をBBQコンロに投入し、21時くらいまで延々話す。(直火での焚き火は禁止)子供たちが小さかった頃もそうだったが、夕食後に焚き火を囲みながら家族の今後のあり方などを語り合うのは、キャンプの大きな醍醐味のひとつなのである。


 今回利用したバンガローには、全て玄関ドアの上にスポット灯がついていて、屋外のテーブルを照らす仕組みになっている。
 テント内には灯油ランプとLEDライトを上から吊るした。これに焚き火の光も加わる。光量は多くないが、明るさとしては充分だ。
 バンガロー内は畳換算で11畳ほど。壁はログ構造で、小屋組が在来工法。床はフローリング敷きで、床組の工法は不明。
 基礎高が80センチほどあって、室内は適度に乾いている。窓は1階南北と小屋部分の東西にそれぞれ2箇所で、1階部分には網戸とカーテン、そして照明も点く。


 室内は傾斜天井の吹き抜けで、壁際にログ構造の2段ベッドが2つ設置されている。ベッド内にはスノコと畳が敷いてあり、広さは充分。私たちは持参した敷パッドを四つ折りにして敷いたが、マット無しでも眠れないことはないだろう。
 枕は車の座席に敷いてきた座布団とクッションで代用。封筒型の寝袋だけは、テント内で寝るときと同じスタイルだ。

 予報では19時から再び雨のはずだったが、不思議なことにその後眠りにつくまで、降り出す気配はなかった。
 25年ぶりの家族キャンプ2日目、ビールを飲み過ぎたせいか前夜は2度もトイレに起きたが、寝床はテントよりもはるかに快適で、自宅に近い感覚で寝られた。
 朝6時くらいから、子供のはしゃぐ声で断続的に起こされる。あとで知ったが、1階の窓が開いていて、網戸だけだったらしい。どうりで声が通るわけだ。


 7時に起床。外は気持ちよく晴れていた。妻はまだベットにいたが、息子夫婦は外のテント内に座って談笑していた。小学校時代にガールスカウトでキャンプをして以来というお嫁さんは、前夜よく眠れなかったという。
 バンガローとはいえ、キャンプにはある程度の慣れも必要。私や息子と比べて、キャンプの積み重ねが少ないせいだろう。


 持参の灯油ストーブでお湯を沸かし、まずは珈琲を入れる。続いてコッフェルの大鍋を使ってドイツ風スープを作る。
 いつしか家族キャンプの定番となった朝食メニューで、前夜のBBQで残しておいたフランクフルトに野菜(ジャガイモ、人参、キャベツ)を加え、コンソメで煮込んだもの。栄養価が高く、起き抜けの身体も温まる。

 この日はレーズンパンと前夜のうちに炭の残り火で作っておいたゆで卵も加わった。家にいるよりもはるかにゴーカな朝食なのだ。


 今回の施設で特筆すべきは、トイレの清潔さだ。完全水栓で、障がい者専用も完備。洋式トイレにはウォシュレットまでついていた。
 ただきれいなだけでなく、無垢材とタイルを巧みに使い分けたデザインも素晴らしい。ちょっとした道の駅レベル、いやそれ以上の設備といっていい。掃除も行き届いていて、このトイレだけでも充分に満足できるキャンプ場だった。
 朝食後、手分けして食器類と寝具類の片づけにとりかかる。簡単に終わって、あとはテントを畳んで撤収するだけだ。
 時計は9時あたりで、帰るにはあまりに早い。バンガロー内のテーブルと椅子に各自座って、のんびりお茶など飲んで時間をつぶしていたが、トランプを持ってきたことを思い出した。
 キャンプと同じで、もう何十年もやってないが、ネットがつながらない場所なので、この種のアナログ的なゲームをやるには絶好の機会だ。

 以前に楽しく遊んだ記憶のある「アメリカンページワン」を始めた。私以外はルールを知らなかったが、有名な「ページワン」と「UNO」を足して2で割ったようなゲーム。これが思いのほか盛り上がって、延々1時間近くも続けてしまう。
(妻はすっかり気に入ってしまい、「お正月にもまたやろうよ」とのこと)


 途中でトイレに立ったお嫁さんの「雨です!」との声を機に打ち切り、あわててテントの撤収にとりかかる。晴れているのに、大粒の雨が落ちてくる。全く不安定な空模様だ。幸いにすぐにやんで、テントの濡れはほとんどなかった。

 時間もちょうどよくなり、用具一式を車に積み込んで出発することにした。管理事務所は帰路の途中にあり、サイトから1キロほど離れている。
 手続きを済ませて、10時半に事務所を出る。来た道を30分ほど戻り、途中の当別町から北進して石狩方面に向かう。この日は石狩灯台周辺を散策する予定だった。


 50分ほどで着いたが、現地での行動に関して「番屋の湯(温泉)に入る」「石狩灯台周辺を散策」「砂丘に立つカフェで食事」の三択で皆の意見を募ったら、「まずは食事」であっさり意見がまとまる。

 茫漠とした砂浜にポツネンと立ち尽くしているカフェ「マウニの丘」に行く。初めて行く店だが、かねてから気になっていた。
 長い階段を上がって、3階に相当する場所に、3方向をぐるりと広いガラス窓に囲まれたカフェがある。窓からは日本海とハマナスが咲き誇る砂丘が一望でき、眺めは抜群。店内には静かにジャズ系の曲が流れ、落ち着ける。


 メニューにはスパゲティが5種類とケーキが数種類。ネット情報にあったピザや定食類は、いまはやってないそうだ。
 入口でオーダーして料金を先払いし、好きな席を選ぶ変わったシステム。水と使用後の食器の片付けはセルフサービスである。

 ナポリタン風スパゲティのセットを頼んだが、2種類のオリーブ漬けとトマトソースがうまくマッチしていて、非常に美味しかった。珈琲にも深みがあって、これだけでも満足できる。冬季は営業していないようだが、また来たくなる店。


 昼食後、カフェのテラス側から下りて砂丘を望む。陽射しは強いが、吹きつける海風がひんやりと心地よい。
 その後石狩灯台に回って、岬周辺をめぐる木道を歩く。こちらは2度目だが、相変わらず何もない獏とした眺めだ。しかし、その何もなさ加減が、石狩浜の最大の魅力であろう。
 13時近くまであちこち散策し、帰路につく。長いブランクのあったキャンプだったが、結果的に天候にも恵まれた。あまり気乗りしてなかったはずの妻が、「予想外に楽しかった。また来てもいい」などと前向きな感想。
 私も似た思いでいたが、面倒なはずの準備が、意外に楽しいものであることに今回気づいた。ライブの企画にも似た側面はあるが、準備〜本番〜片づけまで含めた全てが、非日常としてのイベントの醍醐味なのだろう。