2010年2月28日日曜日

代用照明スタンド

 昨夜、弾き語りライブの照明に関する、素晴らしいアイデアが閃いた。といっても、「マイクスタンドを照明スタンドに転用する」という単純なもの。
 すぐに試してみると、特別なアタッチメントも必要なく、ぴったり決まる。もともとが重いマイクを横向きに支えるよう設計されているので、安定度も抜群。


 ブーム式のマイクスタンドは3つのパーツに別れているが、まず下の2段を2/3ほど延ばし、上のブームの部分を真上に目一杯立てる。すると上端部にマイクホルダーがくるが、ここにクリップ式のスポット照明を直接挟んでやればよい。
 照明完備の立派なライブハウスや、陽当たりのいい昼間の訪問ライブ等には照明など無縁だが、昨年後半のような自宅外での自主企画ライブでは、確実に威力を発揮するだろう。
 昨秋の還暦コンサートの際、マイクスタンドは3本に増やしたが、ソロライブで使うのは1本のみ。
 自宅ライブでゲストを招くとき、3本使うことはたまにあるが、最近よくやるカフェライブでは、2本のマイクスタンドが確実に余る。これを照明スタンドに転用できる。よい発見をした。

 来月のシャンソンライブでは簡易スピーカーをPAに使うが、今後外部で本格PAを使う場合、このマイクスタンドにスピーカー保持用のアタッチメントを作って取りつければ、現状の重いレンガ式手製スタンドを持ち運ぶ必要がなくなる。
 すでにアタッチメントのスケッチは仕上がっていて、あとは作るだけ。仕事が入らなければ、明日作ります。

2010年2月26日金曜日

切ない夕暮れ

 今日は母が退院し、施設に移る日。13時30分が病院での待ち合わせ時間で、女子フィギアスケートのフリー演技を横目で見つつ、ぎりぎりまで仕事を続ける。
 早めの12時半に家を出たが、ここ数日の暖気で雪解けが急速に進んだこともあって、道はガラガラに空いている。よく考えたら、みんな家の中でオリンピックのテレビ観戦をしているせいかもしれない。

 13時ちょうどに病院に到着。上の姉はすでに着いていて、スケートの行方をかなり気にしている。気持ちは分かるが、本命の出番は13時20分過ぎ。まずはナースステーションに行き、看護士さんに挨拶をする。
 母もなぜかナースステーションにいて、息子と娘が同時に見舞いに来たことをいぶかっている。さては今日の退院を知らないのでは?と思って確かめたら、やはりそうだった。
 いまさら隠し立てしても仕方がないので、病院の紹介で別の施設に移るんだよと、私から伝えると、案外素直に受け入れた。
 迎えの車がなかなか来ず、看護士さんが病院の服から普段着に着替えさせてくれるというので、それを機に病室から1階ロビーに移動。テレビでちょうどラスト5人の滑走が始まったところで、他の患者さんや職員の方々と共に、運良くライブで見届けた。
 結果は予想通り、キムヨナ選手の圧勝。マオ選手は今季の不振からよく挽回したが、両者の力の差は歴然。しかし、あくまで「現行の採点基準の元で」という前提つきである。
 資質面で二人に大きな差はない気がするので、あとは採点基準の変化に対応した演技構成など、戦略面の見直しと、大舞台での精神面の強化が課題か。周囲によいブレーンをそろえることも大切だろう。
だから、いっそ4年後は日本国籍でエントリーしてもらい、「ソチに任せたぞ」ってのはいかがか?

 14時少し前に迎えが来て、ようやく出発。主治医の先生までが玄関先で送ってくださった。
 都心を避けて裏道を走り、20分くらいで到着。「家に帰りたい」と母にダダをこねられるのを内心恐れていたが、母もいよいよ観念したのか、大人しく従ってくれた。
 まるでホテルのような立派なワンルームをあてがわれ、暖かくて清潔な環境、そして親切なスタッフ。食堂と事務室は部屋の真横という至れり尽くせりの配慮に、ただ感謝する。

 16時までいろいろな説明を聞き、館内を探訪し、さあ帰ろうと母に声をかけたら、ちょっと寂しそうな顔をされて困った。「明日もまた来てね」、などと無理を言う。慣れぬ環境への不安が表情に滲んでいる。あれこれあっても、肉親である。
「また来るから」と言って手を振ったが、やはり切ない。切ない夕暮れである。

2010年2月23日火曜日

ひとつ山越え

 母が病院から移る予定の介護施設に、15時に契約に行く約束になっていた。出発時刻ぎりぎりまで仕事をしていたら、出かける直前になって東京の取引先から、残っていた6件分の図面に5件分の「オマケ」がついてメールで送られてきた。当初の予定よりも物件数が増えたということで、仕事ではありがちなこと。
 直後にすでに終わっている分の図面を夕方までに送れるか、との確認電話が入る。あわせて、今月分の請求書に関する打合せ。あれやこれやで時間を食い、余裕をもって出かける準備をしたはずが、結局ぎりぎりになってしまった。

 途中、メーターがゼロに近づいているガソリンを給油。施設に行く前に、遠回りして姉の家に寄り、契約に必要な健康保険証を受け取る。
 車中で何度か携帯が鳴ったが、約束時間が迫っていたので無視。しかし、何度もかかってくるので、やむなく車を停めて応対した。何てことはなく、別の担当者から先程と同じく請求書の件。車でしばらく出かけると言っておいたはずだが、話が通っていない。これまたよくあること。
 5分遅れたが、何とか先方に着いた。大量の書類に署名捺印し、いろいろ面倒な説明を聞く。亡き父もお世話になった施設なので、その点では心強い。
 病院からの連絡がすでに施設側に届いていたが、母の素行に関し、ちょっとここには書けないような問題があるらしい。子供としてはただただ恐縮し、お願いするしかない。

ともかくも、契約は無事に終わった。すぐに家に戻り、仕上がっている分の図面10枚をまとめて送信。さらには今月分の請求リストをメールで送って先方の了解を得、請求書を作成する。
 さらには、急ぎという1件分の追加図面を急きょ作成し、残りはいよいよ11件となった。これを土曜日までに仕上げて送る約束である。タイトなスケジュールの今日がひとつ目の山だったが、どうにか乗り切った。

 次なる山は、母が病院から施設に移る金曜日である。どうしても立ち会わなくてはならず、午後がまるまるつぶれる。スケジュールがぎりぎりだが、これも子の務め、長男の定めである。
 忙しいときには、いろいろ重なるのが不思議なマーフィーの法則。しばしごぶさたしている都心のカフェレストランオーナーから連絡があり、以前に100枚作った名刺が切れたので、さらに100枚作って欲しいとの依頼。
 来週早々までには何とか送りますと返答したが、こうも忙しいと、気力体力面で、かなり厳しい。しかし、ライブ関連で何かとお世話になっているので、万難を排してやらねばならぬ。

2010年2月21日日曜日

変則クインテット

 多忙な時間を割き、かなり前から決まっていた自宅系ライブカフェでのシャンソン風ライブに、ゲスト参加した。
 午後6時開始なので、勤めから戻った妻を乗せ、誘ってくれたNさん宅に途中寄り、Nさんも乗せて札幌の南の端まで車を走らせた。

 道は空いていて、50分弱で到着。あまりに早く着き過ぎ、かなりの時間待たされた。しかも参加予定者の到着遅れもあって、開始は午後7時過ぎだった。


 最初にオーナーの弾くピアノとウッドベース、ドラムによる三重奏が数曲あり、続くゲスト参加者のトップが私だった。
 聴き手は15名前後だったが、2時間近い待ち時間と空腹、慣れぬ場と調子のよくないPAのせいで、珍しく上がった。声はまずまずだったが、ギターのピッキングが不安定だった。まあ、多忙の中のライブとなると、得てしてこんなもの。


 この夜歌った曲はすべてシャンソンで、「メガネを買う(オリジナル)」「詩人の魂」「ドミノ」「サン・トワ・マミー」「オー・シャンゼリゼ」の5曲。
 アンコールとして歌った2巡目の2曲は、その場にいたピアノ、ウッドベース、ハーモニカ、ドラム、そして私のギターとボーカルによる変則五重奏を試みたが、全くの練習なしなのに、なぜかピタリ決まった。非常に楽しいセッションだった。
 特に「サン・トワ・マミー」の出来がよく、「もう1曲」と言われて調子に乗って歌ったラストの「オー・シャンゼリゼ」がいまいち。
 ここは一瞬迷った「雪が降る」で締めるべきだったかもしれない。これが唯一の心残り。しかし、ジャズあり叙情歌ありの不思議な雰囲気のライブで、場としての気分は悪くない。また呼ばれたら参加するかも。

2010年2月19日金曜日

アナログの聖地

 ネットオークションで、学研の「新世紀ビジュアル大辞典」というものを買った。送料こみで2,030円、ほとんど新品である。11年前の発売当初は6,800円だったから、まずまずの価格だろう。

 実はこの辞典の最初のバージョンは42年前の1968年に発売されている。名前は「新世紀大辞典」とほぼ同じだが、当時の定価が3,800円もした。カレーライスやラーメンが50円の時代だから、いまなら軽く3万円の価値はあった。


 当時は大学受験に失敗し、自宅浪人をしていた。新聞配達をして参考書や自分の衣類を買っていたが、その最初のバイト代のほぼすべてをはたいて、この辞典を買った。
 いま思えばよくぞ買ったものと感心するが、とにかく辞典の類いが大好きで、知識にいつも飢えていた。百科事典は無理だが、これなら何とか買えた。以降、かなり手垢にまみれたが、いままでずっと大切に使い続けてきた。この辞典で多くのことを知り、多くのことを学んだ。
 11年前になって、その最新バージョンが出ると聞き、当然ながら欲しくなった。買って31年も経つと、さすがに書かれている内容は古びてくる。
 しかし、当時は一戸建て住宅への移転計画の真っ最中。極端に予算がなく、わずか6,800円が惜しかった。しかし、新聞広告の切り抜きだけは大切に保管してあった。

 最近になって始めた事務合理化の作業中、古いスクラップを整理していて、この切り抜きがひょっこり出てきた。以前は無理だったが、いまならネットオークションで安く手に入るかもしれない…。これが今回の入手経緯である。


 辞典類は1階食卓南側にあるベンチ兼用本棚の、すぐ手の届く場所に各種並べてある。本棚を少し整理して場所を確保し、新旧2冊の大辞典が、仲良く並んだ。
 テレビや新聞がらみで疑問点が浮かぶと、すぐさま横の辞典を取出し、調べる。長い間身についた習慣である。

 1階に1台パソコンを置き、その都度起動させてネット検索することも考えたが、いまのところやっていない。パソコンとネットは2階に限定し、1階は会話重視のアナログの聖地として、当面は残しておくつもりでいる。

2010年2月18日木曜日

木製セロテープ台

 昨夜は急ぎの仕事を7割ほど仕上げたあと、午前2時から日本VSカナダのカーリングをテレビで観た。
 まだ世に競技がほとんど知られてなかった20年近くも前、「愛のカーリング」というテレビゲームをBasic原語で作り、パソコン雑誌の自作ゲームコーナーに投稿したら見事採用になり、掲載されて賞金(確か2万円)ももらった。

 あくまでパソコンゲームなので、ルールはかなり簡略化したが、投げたあと、スィープの強度と場所でコース変更が可能な、結構本格的なものだった。
 なぜ「愛」なのかというと、2匹のオス・メスのカエルが主人公で、オスガエルが投げたストーンを、メスガエルがスィープする、という筋書き。2匹が助け合って高得点をめざす、という設定で、投げるのを失敗すると、メスガエルがオスガエルの尻をブラシでなぐる、というデモをつけた。
(ちなみに、高得点を出すとキスしてくれる)
 単にゲームを作るだけでなく、シナリオや演出を重視した。採用されたツボはおそらくそこ。
 夕方までに仕事はほぼ終わったので、検討中だった木製セロテープ台を作ることにした。スケッチを元にそろえた材料を並べ、吟味するうちに、コロコロと気が変わってしまう。
 基本はオモリとなる薄いレンガタイルを囲む形で木材の台を作ることで、ここだけは不動。オモリがないとセロテープを切るときに、台がぐらつく。


 セロテープ本体をはめる枠は既存品を転用するつもりでいたが、こちらも木材を丸く切って作ることを思い立つ。試行錯誤するうち、丸く切らずとも、棒だけでも機能は果たせることに気づいた。
 その後、全体をカタツムリを模した形にすることを思いつく。作りながらここまでデザインを変更することはあまりないが、閃きこそが何より大事だ。

 予定よりもかなり長い時間をかけ、ほぼイメージ通りの「カタツムリ型木製セロテープ台」が完成した。さっそく試してみると、片手で簡単にカットでき、充分実用に耐える。テープの交換も簡単で、周囲のインテリアにもぴったりなじんでいる。
 本日のDIY難度、5段階中の3。2ヶ所で使った組木細工と、タイルを木材できっちり挟む部分がやや難しいか。

2010年2月16日火曜日

寒い顔

 歯科治療を終えた帰り、近くの生協ストアに寄った。特に目当てはなかったが、歯科の帰りにはいつも衣料品コーナ−をのぞく。
 すると、暖色系の手頃なカーディガンが安売りしている。2着あるカーディガンのひとつに、肘に大きな穴が開いてしまい、構わず着ていたが、できれば買い換えたかった。
 レンガ色とワイン色があったが、サイズと色合いから、ワイン色を1,500円で買った。


 30〜40代は、ほとんどの衣類は寒色系を買っていた。好きとか嫌いではなく、寒色系の色がなぜか似合った。
 50歳を過ぎたあたりから、少しずつ顔の造作や顔色、ツヤ、表情などが変化し、寒色系の色が浮いた感じに見えてきた。要するに、老いが迫ってきたということだ。

 最近は、以前は全く着なかった暖色系の衣類を平気で着る。若い時分と比べ、顔自体が寒い顔に変わりつつあり、トータルでのバランスがとれるせいか、それなりに着こなしている。
 身体的な衰えは隠しようがないが、工夫次第で別の自分を発見できる。まあ、年をとるのも悪くはないぞと、前向きに考えよう。

2010年2月15日月曜日

発酵スクラップ

 事務合理化作業の一環として、かなり溜まっているスクラップの整理に励んでいる。気になった新聞や雑誌があると、写真左端に見える大きめの箱(菓子の空き箱)に切り抜いて出典と年月日を記し、ひとまず放り込んでおく。
 ある程度の時間を経たあと、大きさに応じてA4のコピー紙か、昨日のブログに書いたB6カードに貼り、分類整理保存する。

 整理するのは何年かに一度で、それまでに記事が必要になった場合は、箱をひっくり返して探す。
 これでは効率が悪いので、「仕事」「趣味」「人生」という3つの透明フォルダを作り、箱の中を暫定的に分類した。同時に、必要のなくなった記事を処分する。


 切り取ってすぐにファイリングしないのは、手間の問題のほか、記事そのものに対し、自分なりの「発酵」を待つためだ。切り取った当初は新鮮に思えた記事でも、時の流れと共に色あせ、やがて必要なくなってしまう場合がある。少し時間を置けば、手間と台紙の無駄も省けるというもの。
 作業中、非常に興味深い新聞記事を見つけた。(正確に書くと、"思い出した")2年前の地方紙のコラムに掲載されたもので、著者は北海道東海大学の乾淑子教授である。

「伴侶」というタイトルで、人が異性を求める所以は単なる性欲からだけでなく、人として丸ごと受け止められ、認められるからである、という主旨。
 いわゆるアイデンティティの確立は、自分の内なる世界の構築だけでなく、他から認められてこそ初めて成立するもの、ということか。

 注目すべきは、乾教授の専攻が文学や人類学ではなく、美術史であること。人生はどのような場からでも学べるという典型だろう。
 スクラップは10代後半から始め、手元にある最も古い資料の日付は1971年。随分長く続く習慣だが、こんな貴重な文体に、忘れた頃に遭遇できる。だからやめられない。

2010年2月14日日曜日

カードシステム

 先日作った事務用袖机に関連し、机の周辺を整理している。家の内外を片づけるのは昔から大好きで、それは8人部屋の大所帯だった学生時代の学寮暮らしでも変わることはなく、いつも自主的に部屋を整理整頓する私に、
「お前は部屋に必要な人間だ。卒業するまでアパートには移るなよ」と、先輩から感謝されたほど。(先輩の言葉は守りました)
 思い出話はさておき、それまで事務机の片隅にずっと置いてあった木製のカードケースを、空いている袖机の一番下に格納することを思いついた。
 結婚直後から活用し始め、かっては貴重な情報源として活躍してくれたカードシステムスだが、インターネットの登場とその後の検索システムの進化により、最近はめっきり出番が減っている。
 そのままだと大き過ぎてはみ出してしまうので、45センチあった長さを、33センチに切り詰めた。無垢材で作ってあるので、この種のリメイクは簡単。
 ついでに不要になったカードをかなり処分し、分類項目も思い切って減らした。

 このカードシステムは、梅棹忠夫の「知的生産の技術」という本にヒントを得て、34年前に作ったオリジナルのB6カードがルーツだ。会社に出入りしていた印刷屋さんに頼み、1000枚印刷したが、10年くらいでなくなり、その後はLIFEという市販品に切り換えた。


 整理の基本は、以前に書いた名刺整理箱と同じ項目別の見出しカードで、検索や分類整理、削除が簡単にできる。
 新聞や雑誌の切り抜き保存、オリジナル曲の楽譜整理、英会話の慣用句メモなど、趣味や仕事で大活躍してくれた。脱サラの折には、「独立」「業務」「パース」などの分類項目が随分と助けになった。

 文字通り、私の仕事や趣味の原動力になってくれた貴重な資料である。全盛時より減ったとはいえ、まだ1000枚近くはあると思う。
 出番は減っても処分する気にはなれないので、アーカイブとして、空いたスペースに移動させた次第。
 カードケースが消えた事務机は、改造して広くなった机の足元と同様に、すっかり見通しがよくなり、より広いスペースで作業ができるようになった。
 パソコンで多くの作業を済ませる昨今とはいえ、経理帳簿転記や郵送事務、名刺の切り分けなど、まだまだアナログ的作業は残っている。袖机改修から始まった事務合理化作業は、しばし続きそうな気配。

2010年2月13日土曜日

新築記念ライブ

 正午開始予定のグループホーム新築記念訪問ライブに備え、昨夜は珍しく午前1時過ぎに床に着いた。ふだんよりも2時間は早いので、すぐには眠れないかと思っていたら、昨日は実家の水漏れ騒動と、その後のDIY作業で疲れ切っていたせいか、難なく眠りに落ちた。
 今朝は健やかに午前9時起床。世間の標準だとこれでもソウトウ遅いはずだが、私の基準からすれば、かなりの早起き。歌う3-4時間前には起きて準備しないと、満足な声は出ないのだ。

 午前11時まで自宅で軽くリハをしたあと、まずは近隣の菓子店に予約してあったケーキを取りにゆく。新築祝い用だが、昨年秋の私の還暦コンサートでは、このグループホームから立派な花束をいただいている。
 お祝いは同じように花にすべきかちょっと迷ったが、花は他からも集まるだろうと、実用的な食べ物に決定。このあたり、結局は贈り主の好み、ということになる。


 新築した施設は我が家から歩いてでも行ける近さだが、機材があるので、やはり車である。あいにくの積雪で、施設前の駐車場は除雪の真っ最中。少し待つうち、時間は正午になってしまった。
 やや遅れて、12時15分あたりから宴が始まる。偶然だが、隣に座ったケーナ演奏者のKさんが、同じ物書き集団に所属する同人。8年前に一度だけ会ったことがあるが、先方は私のことを忘れていたようだ。
 いろいろ話すうち、思い出してくれたが、改めて今度は音楽用の名刺を差し出す。まさかこんな場で出会うとは夢にも思わず、本当に世間は狭い。
 しばし歓談、会食のあと、12時50分から私がトップバッターで歌った。お酒はないが、お祝いの席なので、場はかなりにぎやか。それを見越し、前半は場に沿ったにぎやか系の歌を並べた。
 聴き手は24畳ほどの空間に、およそ50人ほど。動くスペースもないほどの超満員であった。

 出来はまずまずで、大きなミスはなかった。時間が全体的に予定より遅れていたので、途中で司会の方に終了時刻を確認しつつ進める。予定よりも2曲少なく、8曲25分で終わらせた。
 今日歌った曲は、「北国の春」「宗谷岬」「丘を越えて」「のどか小唄(オリジナル)」「バラが咲いた」「花(滝廉太郎)」「二人は若い」「りんごの木の下で」

 このグループホームのテーマソングとして作ったオリジナル「のどか小唄」は受けた。場の気分にぴったりはまったのだろう。
 アルペジオでしっとり歌った「バラが咲いた」「花」は、いわば捨て歌。場はしばしの間緊張感を欠いたが、これは予定通り。聴き手が食べたり飲んだりする時間も必要なのである。

 場が食べながら飲みながら、しかも最初の演奏というのは、条件としてかなり厳しい。声に影響するのが怖く、私自身は歌い終わるまでほとんど何も食べなかった。
 私のあとに教会の聖歌隊10人ほどのアカペラと紙芝居、さらにケーナ&ギター演奏の二人が続く。選曲や構成など、いろいろと参考になった。
 帰宅後、初めて使ってみたICレコーダーでライブ録音をチェック。会場が混雑していたので、ICレコーダーはクリップモードにし、マイクのブーム部分にはさんだ。
 位置がやや近過ぎ、聴き手の耳に届いた音とは微妙に違っていたかもしれないが、だいたいの感じはつかめた。

 歌っているその場での自分の感覚と、そう大きなズレはなく、ちょっと安心した。ストロークで弾いた歌で、ギターの音が部分的に大き過ぎたかもしれない。そこが反省点。
 もう何回か試す必要があるが、手元で調整するギターのボリュームは、自分が思うより、もう一段階少なくすべきかもしれない。しかし、大筋ではいまの演奏法でよいのだ、という自信になった。

2010年2月12日金曜日

水道管破裂

 実家近くに住む姉からの電話で起こされた。母が入院で不在の実家が、大変なことになっているという。ショックからか声が震えているので、空き巣でも入ったのかと思ったら、床が一面水浸しなのだという。
 入院時に水抜きはちゃんとしてきたが、おそらくどこかに不備があり、連日の寒波で水道管が破裂したらしい。姉が怪しいバルブを探して閉め、何とか水漏れは止まったが、とにかく来てくれという。
 実家に関わるやっかいな出来事が持ち上がると、最終的にケリをつけるのは、結局私の役目である。これも長男の定めとあきらめ、粛々と準備をした。

 水は1階の床上1センチほどらしく、窓ふき用と床掃除用の柄付きモップで水を玄関まで集め、土間から外に出してしまおうと思った。残った分はタオルで拭き取るしかない。
 ありったけの古いタオルとバケツ3個、そして長靴を車に積み、たまたま休暇で家にいた妻を伴い、すぐに家を出た。
 実家に着くと、姉がオロオロしながらホウキで床をはいている。それじゃダメだと1階の一番奥に行き、玄関に向かって水をモップで手早くかき出した。妻と姉は玄関ホールに集まった水を土間に落とす役。人海戦術だが、30分ほどするうち、水はかなり減った。
 タオルで残った水を拭いつつ、ストーブを点火して最大目盛りにする。1時間でだいたいの作業は終わり、床もじょじょに乾いてきた。

 調べてみると水抜き栓は2カ所あり、トイレの分が抜き忘れていて、寒さで水道管が破裂し、そこから漏れたようだ。実家の設計や工事監理には一切関与していないので、水抜き栓が2カ所あるとはツユ知らず、つい見逃してしまった。
 試しに抜いてあった水抜き栓を元に戻してみると、割れた配管から噴水のように水が飛んだ。どうやら配管の大修理が必要のようである。

 姉と妻はかなり戸惑っていたが、仕事柄クレーム処理には慣れている。サラリーマン時代には、もっと悲惨なクレーム処理もやったことがある。この種のパニック時に大切なのは、冷静な判断と迅速な対応だ。
 帰り道、税務署に寄って、昨日のうちにまとめてあった確定申告書一式を提出する。時間と経費の節約で、ウロタエていては忘れてしまうところだ。
 さらなるついでに、安売りスーパーに寄って食材を調達。実家では、慣れぬ作業にかなりいらだっていた妻も、この頃にはすっかり落ち着いていた。

2010年2月10日水曜日

だから学びなさい

 封書を出しに歩いて郵便局まで行く。今日も終日氷点下の真冬日だが、マイナス3度前後で、我慢できないほどではない。冬の道をてくてく歩くのも、たまにはよいものだ。
 その足で駅向こうのドラッグストアまで行く。出がけに妻から頼まれた買物をするためで、重い物が多数あるので、背中にはディバックを予め背負ってきた。

 片道2.5キロの雪道を延々歩き、ウィスキーとワイン各1本、焼きそば5個、ゴミ袋、珈琲豆、パンなどをまとめ買い。登山用のディバックなので、このくらいは問題なく背負える。
 帰り道、文具店の前を通りかかったとき、青色申告の経費帳がなくなったことを思い出した。普通の店には置いてないが、古い街にひっそりと佇む文具店などでは、案外置いてあるもの。囲碁を打っていた主人に尋ねると、1冊だけ在庫があった。


 家に戻ったら、1時間半も過ぎていた。5キロ歩いていろいろ用事をこなしたので、これくらいはかかる。
 ディバックを降ろして置き場所にしている2階ロフトの火打梁に戻そうとしたら、袋とベルトの接続部分がほつれている。買ってからすでに35年は経つ。このディバックで富士山を始め、いろいろな山に登った。傷んでもおかしくない。

 補修すればまだ使えそうなので、皮工芸用の針と糸で修理した。小学校の家庭科の時間で教わった「半返し縫い」という縫い方でやる。力のかかる部分にはこれが最適だ。
 50年前に習ったことだが、いまでもちゃんと覚えているから不思議。学校で学ぶことに、ほとんど無駄はない。すぐには気づかずとも、月日が経つとそれが突然役立ったりする。若者よ、だから学びなさい。
 ちなみに先生は山形出身のハセガワ先生だった。元気でいれば75歳くらい。真面目な生徒だったので、かなりのメンコだった。(方言で、エコヒイキされること)元気でいるかな。

2010年2月7日日曜日

夫の自立・妻の自立

 最近よく考えるのが、中高年夫婦の自立のこと。一般的には家事を妻に任せ切りになりがちな夫の側の自立が叫ばれているが、それは偏見で、妻の側にも同様に自立が求められているように思う。
 各家庭によって事情は異なるだろうが、たとえば夫の手助けなしで以下のことが妻一人でできるか否か。

・切れた電球等の交換
・雪かき
・暖房ボイラのシーズン前リセット
・刃物を研ぐ
・預貯金の管理

 雪国特有のものもあるが、できなければ他に頼るしかなく、ときには費用もかかって煩わしい。もし頼っていた場合、夫のいる間はよいが、死ぬなり、施設に入るなりした場合、たちまち対応に困ってしまうだろう。
 我が家の場合、上記の5項目は、いまのところ私しかできない。(やらない)私に何かあったら、妻はかなり困るだろう。
 反対に、夫が60歳くらいまでに妻の手助けなしで身につけるべき家事は、およそ以下のようなことになろうか。

・料理 ・洗濯 ・掃除 ・衣替え ・ゴミ出し

 私の場合、夫の自立が重要であることに気づいてから、いろいろと修練を積み重ね、ほぼ妻なしでやれるメドがついた。現実に、3〜4日の旅行程度なら、何ら問題なく対応できる。
「自分は先に死ぬので、心配アリマセン」と豪語する方もよくいる。しかし、そうなるかどうかは、神のみぞ知る領域の話。まるであてにならず、そのときになってアワテテも、もはや手遅れ。

 両親などを例に観察すると、自立の基礎トレーニングとして大事なのは、夫や妻が不在のとき、自分の生活のペースをきちんと守ることだ。
 夫がいないから夕食は簡単に、入浴も省略、これがいけない。夫に対し、心理的に依存している証しである。すなわち、妻が自立していない証だ。誰がいようがいるまいが、食べるものは食べ、入るものは入って、観るものは観る、こうでなくては。それこそが自己のアイデンティティの確立、すなわち真の自立なのだ。

 高齢者の場合、日々の生活のテヌキや乱れは、そのまま認知症への道につながっている。伴侶に対する心理的な甘えや依存心が、認知症への伏線になっている気がしてならない。くれぐれも用心、そして備えよ。

2010年2月6日土曜日

趣味の名刺

 サラリーマン時代から大事に使い続けている名刺箱がある。写真のようなプラスチック製で、小型だが500枚は入る。コクヨ製だが、30年以上も前の製品なので、たぶん同等品は存在しない。

 名刺の整理にはファイル式のフォルダが一般的で、私も最初はそれを使っていた。しかし、どうも使いにくい。分類がしずらく、検索が難しいのだ。100枚を越えたあたりから、見出しカードで50音順に分類できるこのタイプに変えた。検索や分類、整理も単純で、非常にやりやすい。
 いわゆる「整理学」に関しては、独自にかなり勉強し、実践してきたが、結局のところ長続きするのは、システムが単純であることにつきる
 ところがこの名刺箱、最近になって思いがけない不都合がでてきた。いただく名刺が仕事だけならよいが、50歳を過ぎたころから、趣味関連が急増。単純にアイウエオ順に放り込むと、仕事と趣味とが混在し、非常に探しづらい。
 しばらくは仕事関連のうしろに「ETC(その他)」という特別な見出しを作って凌いでいたが、最近はその分類にも100枚を越える名刺が集まってしまい、探すのが一苦労。いよいよ新しい手段を講ずる必要に迫られた。


 趣味関連の名刺をジャンル別の細目に分けようと思ったが、分類用の見出しカード(写真のオレンジ色のもの)は合計10枚しかなく、現状では不可能。そこで古いフォルダの厚紙を同じ形に切取り、新しいオリジナル見出しを作ることにした。

 4枚作った見出しカードは、それぞれ「音楽」「介護」「ライター」「友人」と分類。厳密にはこのどれにも入らない名刺もあるが、ひとまずそれは「友人」に入れた。
 全部並べ変えてみたが、仕事関連とは色が全く違うので、なかなか分かりやすい。
 ざっと数えてみると、この種の趣味関連名刺が100枚で、仕事関連が300枚。古くてすでに意味のない名刺もあるが、すべての名刺に交換した年月日を鉛筆で記入してあるので、見るだけで当時の記憶が鮮明に蘇る、という効用がある。いわば自分の歩いてきた歴史、簡単には捨てられない。
 ちなみに、私自身も3種類の名刺を持っている。「仕事」「音楽」「ライター」だが、最近は音楽専用の名刺の出番がやたら多い。名刺箱の中で、趣味と仕事の名刺が逆転するのも時間の問題か。これも自然な流れであろう。

2010年2月5日金曜日

母の奇跡

 昨日の続きになるが、母を見舞った帰り、母が倒れたという近隣のスーパーに寄った。救急車の手配など、いろいろと配慮していただいたお礼である。
 担当者を捕まえるのに少し時間がかかったが、何とか責任者の方とお会いできた。

 話のなかで、驚くべき事実が判明する。お店で買った団子を出入口近くのベンチで母が食べていた際、何かの拍子で団子が喉に詰まったらしい。高齢者にはよくあることだが、気管に詰まって気を失ったところを、たまたま若い看護士(女性)の方が通りかかった。
 プロとしての咄嗟の判断で倒れた母を助け起こし、喉に指を入れて詰まった団子を取出し、呼吸を瞬時に復活させてくれたという。
 その後、店にかけこんで救急車の手配を頼み、到着したのを見計らって、いつの間にか姿を消してしまったとか。母にとっては、まさに命の恩人。数分でも処置が遅れていたら、おそらく命はなかったであろう。

 残念なことに、お店では全くどこの誰かは分からないという。もしもまたお店に現れたら、ぜひ連絡してくださるよう、名刺を渡してきた。場所といいタイミングといい、奇跡に近いことがその日母の周辺で起きたことは間違いない。


 月曜朝納品の仕事が1件だけあるが、土曜日にやれば終わるので、今日は遅れている確定申告書類の作成をしばらくぶりにやった。
 すでに申告に必要な源泉徴収票は、各取引先からすべて送られてきている。あとは書類を整えるだけなのだが、これが遅々として進まない。

 ようやく2項目の転記を終わらせたところで、またまた新規の仕事依頼。こちらも月曜朝の納品で、急きょ書類作成作業を中止し、明日やるつもりだった分の仕事を前倒しして仕上げることになった。
 去年の今頃は全く仕事がなく、喘いでいたのがまるでウソのよう。昨日の母の弁ではないが、「自営業はまず仕事がなくちゃ」である。

2010年2月4日木曜日

マイナス19度!

 昨夜仕事中、やけに冷えるので台所外に設置してある屋外寒暖計をのぞくと、(ガラス窓越しに気温が確認できる)何とマイナス18度を下回っている。
 仕事を終え、メール送信して寝る前にもう一度確認すると、午前4時半でマイナス19度を記録していた。この地に越してきて10年になるが、記憶にある最低気温はマイナス15度あたり。記録を大幅更新である。

 写真は台所窓越しに撮った寒暖計の様子。高級な温度計と比べても同じ数値を示すので信頼度は高いが、安物なので目盛りがマイナス20度までしかない。赤い指標が寒さで底にへばりついている。


 仕事がようやく一段落したので、勤めから戻った妻を乗せ、母の入院する病院へと向かう。途中和菓子店に寄り、看護士さんに渡す菓子折を調達。
 明日から雪祭りが始まるせいか、主要道路は昼間から大型ダンプが排雪作業中で、約束の15時より少し遅れて到着。すぐに先生とケアマネージャーのTさんと共に、いろいろと相談。

 母の病状は順調に回復しているが、深夜にベットから抜け出し、あちきち動き回ったあげく、自分の病室に戻れない、という問題があるという。つまりは病院内徘徊だ。
 時期はまだ未定だが、退院後の身の振り方に関し、先生から指摘を受けた。独り暮らしの続行はもはや不可能とのことで、具体的にどうするか、ケアマネージャーのTさんからもいくつか案が出た。
 様々な事情から、子供たちの誰かと同居するという選択肢は現段階では難しく、年金の範囲内で何とか暮せる施設のお世話になる方向である。

 その後病室の母を見舞ったが、血色もよく、自宅にいる時と比べて、見違えるように元気になっていた。
 よく来てくれた、仕事は順調かと、私のほうが逆に気遣われる始末。息子夫婦の見舞いに終始上機嫌で、行く前の不安感は一気に払拭された。別の不安もないではないが、独りで鬱々と暮すより、第三者のプロに囲まれ、明るくて暖かく、清潔な環境で晩年を過ごせるのなら、母にとってそれに勝る幸せはないであろう。
 その道をつつがなく作ってやることが、おそらくは子としての最後の務めだ。

2010年2月3日水曜日

タコ足商法

 昨夜未明から、猛烈に冷えた。朝方の最低気温がマイナス13度で、都心では2年ぶりの低温記録とか。日中も温度が上がらず、最高気温がマイナス10度前後という凄まじさ。
 幸いに、陽射しだけは暖かく照りつけてくれる。午後から室温だけはぐんぐん上昇。昼過ぎに22度を突破したので、すぐに暖房を切り、そのまま夕方まで無暖房で過ごした。まさに太陽の恵み。太陽がなければ、我が命もおそらくこの宇宙には存在し得なかった。
 午後、母が入院する病院のケアマネージャーから電話がある。母の病状に関する話で、詳しくは書けないが、いろいろと院内での素行に問題があるらしい。
 兆候は去年の夏あたりからあったので、ある程度の覚悟はあったが、それにしても急である。初めての入院による初めての集団生活、それに伴う環境の変化が、かなり母の精神に影響を及ぼしているようだ。

 電話での話には限界があるので、明日直接訪問し、今後に関する相談をすることになった。仕事は明朝で一段落するので、何とか都合はつく。


 節分なので、スーパーデリカ部に勤務する妻は、年末や土曜丑の日に並ぶ書き入れどき。「恵方巻き」と称する、よく分からない巻き寿司が猛烈に売れる日だそうで、今朝は仕事を終えた私と入れ替わるように、早朝5時に起きて勤務に向かった。
 写真は本日の職場でのノルマ。土曜丑の日にはウナギの蒲焼きが、クリスマスにはケーキが、それぞれ職場のノルマとして割り当てられる。自社製品を社員が半強制で買わされるのは日本社会の悪しき習慣だと思うが、これを私は「タコ足商法」と以前から揶揄して呼んでいる。

 ユーザー本来の需要ではなく、社員に買わせて業績を上げる。自分で自分の身体を喰うという俗説のあるタコに似ているから、「タコ足商法」だ。
 おそらくは一蓮托生の思想からくるのだろうが、いかにもビンボーくさい。これでは企業の将来も危ういというもの。「拒否=退職」に近いイメージなので誰もが仕方なく受け入れているが、何とかなりませんか、こんな日本。

2010年2月2日火曜日

真冬に無暖房

 このところ陽射しが少し強まってきたのを感じる。冬至も大寒も過ぎ、札幌の年平均気温の最低値を記録する実質的な真冬特異日、1月29日も過ぎた。足取りはゆっくりでも、確実に春は近づいている。

 一昨日はあまりに陽射しが暖かいので、日中は全く暖房をつけなかった。夕方になっても室温はずっと22-23度あたりを保っているので暖房ボイラの自動スィッチをオフにし、そのまま深夜まで暖房なしで過ごした。職場で妻がそのことを同僚にもらしたところ、驚かれたという。
 シェルとしての外壁と天井(屋根)の断熱性能をよくし、建物交叉部からの熱損失を極力少なくし、窓は日照計算をして可能な限り広く、そして効率的な位置につける。
 こうした断熱計画をちゃんとやっていれば、真冬でも日によっては暖房なしで快適に過ごせる家が確保できる。

2010年2月1日月曜日

睡眠時間と寿命

 昨夜はとうとう今年最初の完全徹夜になった。すべてを終え、メール送信して眠ったのが朝の7時。入れ代わりに妻が起き、職場に向かった。
 寝たと思ったとたん、電話の音で目覚めた。新規の仕事依頼で、立面図イラストが3点。例によって納期はあまりなく、木曜朝まで。本音では今日一日はゆっくりしたかったが、許してはくれないようだ。

 もうこれで終わりだろうと再び眠ったが、お昼にまた電話で起こされた。別の取引先から、別の仕事の依頼。よくぞこうも集中するものと、半ばあきれる。
 簡単な平面イラスト3点だが、まず明日午前まで2点、明後日の午前まで1点という、こちらも強行スケジュールだ。まだ5時間しか寝てないが、寝てもいられず、そのまま起きてしまう。


 人によっては5時間睡眠で充分、というツワモノもいるようだが、私の平均睡眠時間は8時間。長生きのためには7時間睡眠がよい、などとどこかで誰かが言っていたが、知ったこっちゃない。
 亡き父の場合、一日平均10時間近くは眠る長眠体質だったが、93歳まで生きた。母は反対に一日5時間しか眠れない神経虚弱体質だが、これまた90歳まで生き、目下記録更新中。

 要するに、睡眠時間など個人差があるもので、寿命との因果関係など、ほとんどないのではないか。眠れるときに、眠りたいだけ寝る。これでよいのだ。
 3月のシャンソンコンサートを企画してくれるNさんに、ライブの写真を2枚見繕ってプリントし、封書で送る。案内状に使うそうで、普通はメールで送るが、ネットは苦手で、プリンタも持ってないという。やむなく郵送にした。
 話し合いの結果、初回ということもあって、私の担当はPAのみ、ということに落ち着いた。ライブ録音は買いたてのICレコーダーでやり、ひょっとするとライブCDも作成する。

 お店との交渉を含めた運営と案内状作成はNさんがやってくれるので楽だが、4組出場する歌い手の最後に歌って欲しいと、強く頼まれた。待たされるのは嫌いなので、最初に歌わせて欲しいと言うと、そうもいかない事情である。
 それぞれの歌い手の個性を熟知している主催者の要望なので、従わざるを得ない。まあ、何とかなるだろう。
 当初15分ということだった持ち時間は、20分に延長となった。4-5曲は歌えるので、いろいろやれそう。イメージは徐々に固まりつつある。