2007年7月31日火曜日

あなたのいる季節

 日本人の平均寿命が世界のトップレベルだと巷がカマビスしいので、ふと思いついて、ある計算を試みた。
 仮に人の一生を一年365日に凝縮したとして、1月1日に生まれ、12月31日に死ぬとするなら、いったい自分はいまどのあたりの季節に存在しているのか?という試算である。
「世界がもし100人の村だったら」などという切り口に近く、いわゆるお遊びの類いだが、結構興味深い結果か出た。
 まず、夏真っ盛りの本日7月31日に該当する男女は、いったい何歳であろうか?という疑問がある。日本人の平均寿命を、男79歳、女86歳とすると、以下のような結果となる。
(1/1から7/31までの累積日数を212日とする)

・男:212日÷365×79=45.9歳
・女:212日÷365×86=50.0歳

 同様に、現在57歳である私と妻が、いまいる季節を試算する。

・私:57歳÷79×365=263.3日→9月21日
・妻:57歳÷86×365=241.9日→8月30日

 つまり、私はいま秋の真っただ中である9月中旬あたりにいて、妻は晩夏の8月末にいるということになる。これはなかなか機知に富んだ発想だと自画自賛し、さっそく妻に話すと、「面白い!」とエラく感心してくれた。
「まだまだ秋じゃないか」「それでも夏よ」とノンキに構えるべきか、もうそんな季節に自分は差し掛かっているのかと、深刻に考えるべきなのか。
 どちらにしても、時間はあまり残されていないということ。アセアセ。
 この試算はあくまで平均寿命まで生きることを前提としているが、独身者の場合、「男70歳、女77歳」という、ちょっとキビシイ平均寿命のデータがあるようなので、修正をどうぞお忘れなく。
「アタシャ100まで生きる!」という自信家のあなたには、余計なおせっかいですが。

2007年7月29日日曜日

時の軌跡

 家を建ててほぼ8年になる。入居直後、居間の北側中央の壁に、結婚以来ずっと使っている時計をかけた。時計の手入れや電池の交換などでときどき外してみると、壁が少しずつ丸く変色している。

 正確に書くと、変色しているのは周囲の壁で、丸く残っているのは陽に焼けずに残った部分である。その丸い部分は、月日と共に次第に濃さを増しつつある。これぞ、時という見えないものが壁に描いた軌跡である。
 妻と共に眺め、「月日が流れたね」などと、シミジミ感慨にふけったりしている。


 我が家の壁は、木材チップスを有効再利用した「ハードボード」という特殊な材料で貼ってある。材質的には段ボールに似ているが、安価で丈夫、しかも成形時に接着剤は使っていないので、極めて安全エコロジーな製品だ。クロス張も不要で、工事単価を下げるにはかなり有効である。

 いうことなしの材料のようだが、収縮が激しいことや色が濃いこと、変色しやすいことなどの性質が嫌われ、いまではほとんど使われなくなった。我が家のハードボード壁は、日本で現存する数少ない例かもしれない。
 過去にこの材料に興味を示したお客様が一組だけいらしたが、あえてお勧めはしなかった。私や妻は前述の欠点など全く気にしないが、最初はよいと言いつつ、いざ変形や変色が始まってみると、「こんなはずではない」と言い始めるのがユーザーの常である。
 些細な欠点にナンクセをつけ、安くてよい物の価値を見失い、高くてツマラナイものを選択しているのが世のごく普通の価値観である。おいしくて安くて安全でも、曲がったキュウリは捨てられる運命にあるのだ。

 結局のところ、我が家の壁の丸い痕跡は、こうした私たち夫婦の偏屈な生き方そのものが描いた軌跡ということになる。そういうコトカ。

2007年7月27日金曜日

深夜のFAX

 昨夜12時近く、妻もとうに寝てしまい、静まり返った家に突然電話の音が鳴り響いた。過去の例では、深夜の電話でよい知らせがあったためしがない。
 とる前に番号表示で確かめると、非通知ではないが番号登録者からでもない。札幌市内であることは確かだったが、かけ間違いでもないらしく、一向に鳴り止まない。施設にいる父の容態でも急変したかと、不安にさいなまれつつ、受話器をとった。

 すると、ウンともスンとも言わない。イタズラか?と思って切ろうとすると、しばし間があって、ピーという発信音。FAX信号である。すぐに切替えて、何事か、新手のイタズラFAXか、はたまた振込みサギFAXでも舞込んだかと文面を読むと、何ということか、ある介護施設からの訪問ライブ依頼状なのであった。
 春先にも一度依頼があり、喉のトラブルで直前にお断りした経緯がある。スケジュールを調整し、8月某日にぜひとも歌っていただきたいとの丁寧な依頼文だった。
 依頼主である施設長さんとは直接の面識はないが、去年、ある施設で歌っている私のライブを密かに聴いたことがあるそうで、その歌声にシビれ(施設長さんの談)自分の施設でも歌って欲しいと思ったのだそうだ。
 歌い手冥利につきるありがたい話で、仕事関係のトラブルが続発した春先には、すっかり体調を崩して迷惑をかけてしまった経緯もある。今回は体調も回復し、事業に関わる諸条件もかなり改善に向いつつあるので、喜んでお引受けした。

 先方は我が家のFAXが音の鳴らない専用回線だと思いこんでいたらしい。深夜は音が鳴らないようにも出来るのだが、身内に年寄りを抱える身。いまのところそれは難しい。
 とにかく悪い知らせでなかったことを喜ぼう。

2007年7月25日水曜日

ラズベリー酒

 昨夕、一週間ぶりに新規の仕事が入った。しばらくごぶさたしていたクライアントからで、まだ見捨てられてなかったかと胸をなでおろす。
 ずっと仕事をくれていたクライアントから、ある日突然仕事がこなくなるという事例はよくあることで、この不安定さこそが自由業の宿命。それに耐えられる太い神経と対応の柔軟さが、この世界で生き残るための大きなキーワードなのだった。

 午前中、先方に打合わせに行ってみて驚いた。建物は北海道にしては珍しい瓦屋根で、南欧風の豪邸。モデルハウスとしてメーカーが力を入れて売り出す予定だという。
 駐車場は2台で、車も2台置いて欲しいという要望。しかも建物に似合っていて、2台の雰囲気が少し違っているもの…。出来たての外車のデータに、まさにぴったりの話ではないか。さっそく使うことがその場で決まった。

 まるで待っていたかのような依頼で、タイミングが良過ぎて気味が悪いほど。調子に乗らないように気を引き締めなくては。


 打合わせ後、たまたま休暇で家にいて、途中まで車に乗せてきた妻と駅前デパートで合流。バーゲンの食器をあれこれ見繕ったあと、イノダ珈琲の出店で軽い昼食をとる。
 久し振りの都心だったこともあり、職場でのトラブル続きで身も心も疲れていた妻は、よいストレス解消になったようだ。
 帰宅後、山のように採れる庭のラズベリー(木いちご)を果実酒にするべく、漬け込む。初めての試みなので新しい瓶を買いたがる妻を説得し、あまりお金はかけずにあり合わせの空き瓶を使った。

 ホワイトリカーは900ml入を買い、半分の450mlを使った。ラズベリーは250g、氷砂糖は25gで、すべてレシピ通り。2日後にも同じ量を別の空き瓶に漬け込む予定。もしかすると、それでもまだ余るかもしれない。今年は本当によく採れる。何かと当たり年ですか。

2007年7月24日火曜日

飾りじゃない

 ブログでも掲示板でも、たいていはタイトルをつける仕組みになっている。うっかり忘れて書込もうとすると、たちまちエラーメッセージだ。文章関係でタイトルが不要なのは、俳句や短歌くらいだろうか。あと手紙もね。
 このタイトルの付け方は非常に大事で、時に内容のすべてを暗示している場合がある。決して飾りではないのだ。

 ネット掲示板などでは面倒なので、出だしの文章をそのままタイトルに使う場合もあるが、ブログの場合はけっこう考える。
 私の場合、方法としてまず先にタイトルを決めてしまい、そこから本文を書く場合と、先に本文を書いてしまって、あとから適切なタイトルを当てはめるのと二通りある。

 昨日のブログは後者で、今日のは前者。うまいタイトルがどうしても思いつかず、あとで変更したりすることも少なくない。昨日のブログタイトルも、最初は「この年でフランス語」だったが、どうにも気に入らず、今日になって「いつでも勉強 」に変えた。
_あまり気にせず、いい加減に決めている人も多いが、私がよく見るサイトはタイトルにこだわっている人が多く、みな付け方が実にうまい。
 私の好みは、(おや何だろう?)と一瞬思わせ、思わず読みたくなるタイトルだ。難しい漢字や慣用句はかえって邪魔で、単純な言葉のほうがより効果的である。ある程度センスも必要だと思う。

 タイトルが飾りじゃないのは小説も例外ではなく、長嶋有の「猛スピードで母は」や川上弘美の「溺レる」なんかはうまいな〜と感心させられる。あえて助詞で止めたところや、一部だけをカタカナにしたあたり、実にニクイ。そのニクさは、もちろん作品の内容とも合致している。
 最近はごぶさただが、自分の書いた小説で一番好きなタイトルは「増殖コウカ」。もう書いてから10年経つが、結果も一番よかった。

 ブログでも小説でも、タイトルばかりに凝って、ナカミはカラッポという作品も少なくない。ナカミが一番大切なのはごく当然の理屈であります。

2007年7月23日月曜日

いつでも勉強

 ヘソを曲げた我がMac君、いまのところ特に問題がなく、引続き外車のCGデータ修正作業に勤しむ。

 ポルシェ・カイエンとワーゲン・ニュービートルのデータがほぼ終了し、既存の建物にはめこんでみた。細かい不都合はあるが、なかなかよい具合で、これは使える。パースの雰囲気を添景だけでちょっと変えたいときなどには有効だろう。
(CGとは全く無関係だが、この2台で約1000万円もするそうだ)


 せっかく苦労して修正したデータも、車の型式が古かったりラインが粗かったりして、何台かはやむなく廃棄した。あくまで趣味で作っている方なので、文句はいえない。むしろ趣味でこれだけの物を提供してくれることに、感謝しなくては。
 ところでこのデータの作者はフランス人らしく、パーツの名称はすべてフランス語で書かれている。「vitre」は「ガラス」、「carrosserie」は「車体」、「pneu」は「タイヤ」といった具合で、ネットにある仏英翻訳サイトでまず英語に訳し、そこから意味を推測している。
 まさかこの年になってフランス語を勉強することになるとは思わなかった。

2007年7月22日日曜日

Macがスネた

 午後の訪問ライブに備え、少しは早く起きようとモガいたが、結局10時まで布団の中でウツラウツラする。
 妻は珍しく午後勤務。12時近くから最終リハを2階の「特設スタジオ」でやっていたら、妻は先に昼食を済ませ、トットと出かけてしまった。

 準備を整え、午後1時過ぎに家を出る。手稲山の麓にある有料老人ホームだが、30分で着いた。
 この日は出だしから声の調子が抜群によく、かえって警戒した。このホームでは前回手ひどい失敗をしている。よくまた呼んでくれたものだ。慎重に進めた結果、細かいミスはいくつかあったが、無難にまとめた。

 帰宅後、あまりに声の調子がよいので、溜っているオリジナル曲を録音するならいまだと思い、録音機器をセットして涼しくなった夕方に数曲歌ってみた。
 ところが、なぜか昼間に比べて声のノビがいまいち。自分の思っていたより、かなり消耗していたらしい。この日は結局録音を断念。整理してみると、早急に録音すべき曲が7曲もある。そう簡単にはいかない。
_夕食後、何とはなしにネットサーフィンをやっていたら、あるサイトで突然フリーズ。よくあることなのですぐにブラウザをリセットし、パソコンを再起動させたら、なぜか「?マーク」が点滅するばかりで、一向に起動しない。
 調べてみると、システムファイルを認識していないらしく、あれこれやっても全部ダメ。さてはあまりに新参者のWindowsパソコンを可愛がり過ぎるので、Macがついにヘソを曲げたかと覚悟を決め、予備のMacとFireWireケーブルで直結させ、大事なファイルのバックアップ作業をした。
(この手法を「ターゲットモード」といい、この種のトラブルには非常に有効)

 1時間以上もかけて全ファイルのコピーをとり、さて久々にシステムの再インストールでもやろかいなとスイッチを入れてみると、なぜか普通に起動してしまった。
 事情がよくつかめず、何となく拍子抜けした気持ちである。そろそろ寿命がきた可能性もあるし、最近システムのクリーニングをマメにしていないので、単にヘソを曲げただけかもしれない。
 機械も人間もときどき構ってやらないと、すぐにスネてしまうのよ。

2007年7月20日金曜日

餅は餅屋

 外車のCGデータ修正作業のうち、3台目が終了。車にはまるで疎いのだが、ドイツのアウディという高級車らしい。価格が400〜500万ですと。
 試しに既存の建物のデータに重ねてみたら、どうも車が重厚すぎる印象。車に負けない建物に使うか、もしこのまま使うなら塗装色をもっと軽くするか、どちらかの選択になりそうだ。


 しかし、今回のフリーデータはなかなか使える。拾い方が実にていねいだ。同程度の物をネットで買うとなると、軽く1万円はとられるだろう。

 3D-CGを始めたばかりの頃は、車の適当なデータがどこにもなく、意地になって自分で作ったりもした。いまそのデータを見ると、稚拙でとても見られたシロモノではない。車のように自由曲線の多いデータは、その道の専門家でないと、とても作るのは無理だ。
「餅は餅屋」というコトワザが確かあった。

2007年7月18日水曜日

緑の一軒家

 昨日に引続き、ネットで見つけた外車のCGデータ修正作業に励む。今日はドイツのフォルクスワーゲン社のゴルフを仕上げた。慣れたつもりでも、やっぱり丸一日かかってしまう。しかし、作業としてはとても面白く、ヤメラレナイ。

 主たる作業はメインマシンであるMacでやっているが、これがOS9搭載。しかし、データの変換が可能なソフトは、予備マシンであるWindowsでしか動かない。
 ところが、変換したデータをWindowsからLANで転送できるのは、サブマシンであるOSX搭載のMacだけ、という仕組みになっている。つまり、データ転送&変換作業中は、一時的に3台のパソコンが同時に起動しているという、ある種ゼータクな状態なのだ。
 メインマシンはOSXでも起動可能だが、切替が面倒。Windowsからメールで自分のアドレスかサーバーにネット送信し、メインマシンでダウンロードする方法もあるが、Windowsからメールの送受信はウィルスが怖く、いまのところやっていない。従って、前述のようなことになる。


 散歩の途中、夏の自宅の様子を真南から撮ってみた。4/26のブログ掲載写真と比べると、緑の勢いがよく分かる。手前の空地は買った人が家を建てず、ひとまず畑として使っている。繁っているのは、トウモロコシ。

 我が家の南面の壁を伝うツタは、とうとう2階の壁まで到達し、2階の窓まで迫る勢い。これで2階も少し涼しくなるかもしれない。こうして見ると、「緑の一軒家」だな。

2007年7月16日月曜日

少しだけ連休

 連休中の3日間、何とはなしに仕事をしていた。今月上旬に請負ったハウスメーカーの仕事が、中間代理店を経由せずに直接打合わせることになったためで、その最初のチェックメールが、連休初日の土曜に入った。
(ハウスメーカーは週末や連休でも普通に仕事をやっている)

 以降、メールで情報をやり取りしながら、細かい修正を合計4度行った。納期に余裕がある場合にしばしばあることで、多忙な時期なら対応に苦慮するが、仕事の波もほぼ沈静化しているので、そう大きな問題ではない。


 仕事の合間に妻を連れ、車で30分くらいの場所にある幌見峠という景勝地にラベンダーを見物に行った。富良野の大パノラマには遠く及ばないが、札幌の街が一望できるなかなかの眺め。都心からも近いので、時間の余裕のない方には、お勧めかもしれない。

 帰りは少しだけ遠回りし、藻岩山麓にある「ろいず珈琲館・旧小熊邸」という、古民家を再生利用した珈琲店に立ち寄る。
 いつ来ても落着く店だ。本格珈琲とケーキセットで、ちょっとした連休気分を堪能。珍しくお金を使ってしまったが、たまにはよい。

2007年7月15日日曜日

鳥の激突ゾーン

 夕方近く、仕事の合間にテレビを見ていたら、家のどこからか、床に固い物を落としたような異様な物音。何事かと2階でネットをやっていた妻に声をかけたが、何もしていないと言う。さてはまた窓に鳥がぶつかったか…。
 デッキに通ずるガラス戸を開けて外に出てみると、案の定台所の窓下で、一羽の小鳥がのびている。さわってみると、わずかに身体を動かす。気絶しているだけで、死んではいないようだ。

 水でもかけて目を覚ましてやろうかと一瞬思ったが、身体を冷やすより暖めたほうがよいのかもしれないと、判断がつかない。
 飛び立ちやすいようにひとまず草の上に身体を起こしてやると、目をキョロキョロさせて不安そうだ。そのまま30分ほどそっとしておき、もう一度外に出て確かめてみたら、草の上に鳥の姿はなかった。どうやら無事に飛び立ったようだ。よかった。


 1階南西の窓は日照の恩恵を充分に受けるよう、写真のように角全体がガラス窓になっている。暖房費が非常に安くつき、お手軽なエコロジー手法なのだが、時に鳥が窓にぶつかることがある。
 我が家は間仕切壁のほとんどない開放的な間取りなので、外から見るとあたかも通り抜けられるように鳥には見えるのだろう。鳥たちにとっての危険ゾーンなのだ。

 鳥に対しては罪なことをした。レースのカーテンかブラインドを吊せば抑止効果があるかもしれない。だが、あいにく私たち夫婦は、あくまで開放的な空間を好む。
 ぶつかる鳥たちの種類はさまざまだが、低い窓なので、さすがに大型の鳥はやってこない。スズメ、アカゲラ、キレンジャクあたりだ。
 今日のように気絶しただけで息を吹き返す鳥もいるが、中にはそのまま死んでしまう鳥も少なくない。鳥の体重とスピードによるのだろう。運悪く死んだ鳥たちは、庭の木の根元に埋めて小枝か小石で塚をたて、手厚く葬ってやる。せめてもの罪滅ぼしである。

 鳥や小動物が家に入ろうとする家は栄える、という話をいつかどこかで聞いた。そうだといいな。今日は死なずに息を吹き返したことだし。

2007年7月14日土曜日

携帯一年

 携帯電話を買い替えてからちょうど一年が過ぎた。取引先の倒産でかなりの負債を背負ったのもちょうど一年前。このブログの開始と、PHSから携帯への切替えは、事態を前向きに何とか打開したいとの、悪アガキのような行動だった。
 ブログは設計業務展開への一助にでもなればと淡い期待をかけたが、具体的な効果はほとんどなく、いまや単なる生活報告&日常雑感コラムのようになってしまった。たかがブログに、多大な期待は禁物だ。
 そして携帯電話のほうは、通話範囲が多少広がっただけで、こちらも事業の新展開としての大きな効果はない。
 そもそも携帯に替えた大きな理由が、それまで使っていたPHSの液晶に寿命がきたからだ。調べてみたら、一年続けて使えば月々の料金もPHSと大差なく、本体の値段はタダ。結局はコスト面の理由で替えたことになる。
 一年使ったゴホウビで、今月から月使用料が300円安くなった。通話はほとんど受けるだけなので、無料通話分の1,400円は半分ほどしか使わない。余った通話料は、子供の家族割共有へと消える。
 インターネット契約はしていないので、月々の料金は2,300円強。あまり外出もしないので、ネットは自宅のパソコンで特に不自由はなく、せわしなくメールをよこすような友人もいない。写真は古いデジタルカメラで用が足りている。
 つまり、私のいまの生活では、この携帯のごく一部の機能だけで充分過ぎるくらいなのだ。

 洗浄器つき便器や、自動食洗器、全自動乾燥洗濯機、調理機能つき電子レンジなど、多機能で一見ものすごく便利そうに見える機器が世にあふれているが、それらが本当に生活に必要なものかどうかは、極めてウタガワシイ。
 欲望にかられたら、「そんなもん、本当にいるのか?」の視点でまず考え直す。多くのものは不要であることに気づくはずだが。

2007年7月13日金曜日

万年中級者

 最近このブログでよくふれているWindowsパソコンとの奮闘ぶりを読んだ知人から、「菊地さんはパソコンの格闘レベルが高い」と言われた。
 多くのパソコンユーザーは、LANのドライバーをネットから探してインストールすることはおろか、ドライバーの意味すら理解していないそうである。

 そう言われてみると、そんな気もする。新しいパソコンを買ったはいいが、設定がどうにもうまくいかず、結局はお金を払ってプロの人に依頼した、という話もよく聞く。地球に優しいはずの中古パソコンのリサイクルが、いまひとつ進まない理由もこのあたりだろうか。
 自慢話になりそうだが、これまでパソコンの設定やソフトの使い方などを外注したことはない。解説書やネット情報を頼りに、あくまで独力でやる。独学で得た知識を、自分よりもはるかに若い人に「伝授」することもたびたび。

 一番弱いのはハード面だが、それでもメモリの増設や、キーの具合がおかしくなったキーボードをバラして修理したり、誤作動の頻発するCDドライブをクリーナーで修復したりは自分でやる。
 還暦を間近に控えた年齢の割には、いろいろ知っているほうだと思う。レベルで言えば、中級者あたりに位置しているか。

収穫の始まったカモミールとラズベリー

 先に書いた知人は私よりも少し若いが、自分でパソコンのパーツを買って自在に組立て、OSもすべて自分でインストールしている。年齢の割には途方もない上級者で、上には上があるということ。

 何の分野でもそうだが、世間のレベルよりも少しばかり自分の居場所が高いからといって、「オレは上級者だ」などと意識の隅でオゴっていると、たちまち足元をすくわれる。
「私は万年中級レベルです」と思っていたほうが、いくつになっても上に伸びる余地があるというもの。謙虚でいれば、天はいつか忘れずに微笑んでくれる。

2007年7月11日水曜日

Mac対Win

 ライン業務の合間に、セッセとWindowsパソコンの習得に励んでいる。現段階では、「ずっと右の歯だけで食べてきたゴハンを、急に左の歯で食べる」といった印象。
 味は同じはずなのに、どことなく違う食べ物のような気がする。野球なら、右バッターが急に左打席で打つような感じか。

 事業関係の最低限の環境はすでに整え、いつでもWindowsで仕事を納品できる体勢は整った。もういつ「空が落ちて」きても安心だ。
 メモリは512Mしかないが、1Gまで増やすべきか否か思案中。サンプルファイルで試してみると、画像の処理時間はメインマシンのMacより、20%ほど早い。すでに予備マシンの領域を超えていて、これ以上の投資をする必要もないかもしれない。


 動画の再生やネット接続のスピードも、ブラウザやそれに関連するプラグインの環境が整っているせいか、Macよりもかなり早い。どちらも4年前の古い製品だが、ちょっと意外だった。Pen4と二次キャッシュにこだわったのがよかったのか。
 心配していたウィルスも、無料の対策ソフトをすぐにインストールし、いまのところ問題ない。ただ、起動のたびにファイルをいちいち調べるのが、多少うっとおしい。
 ファイルの圧縮とパスワード設定がクリック一発で可能。ファイル情報も右クリックで一発。こいつは便利だ。なんだ、いいところばかりじゃないか。
 困ったのは画像ファイルの互換性。ネット標準のjpgやgifファイルは問題ないが、Macの通常ファイルpictが、Windowsの標準システムでは認識されない。共通で認識されるtif形式に変換せざるを得ない。画像ファイルの数は何百もあるので、この作業はまだ進行中である。
 Windowsとは関係ないが、初めて使った液晶モニタは色がギトギトして、どうも好きになれない。図体はでかいけど、色はやっぱりCRTでしょう。

_我が家では娘と長男がMacとWindowsの両刀使いである。私もようやくその仲間入りを果たした。
 ゴハンも左右の歯で均等に噛むのがいいらしいし、野球でもスイッチヒッターが重宝される。パソコンもあっちがいい、こっちがダメと毛嫌いせず、両方のいいところを活かしつつ、うまく使い分けてやろうと思う。

2007年7月10日火曜日

私が煮詰まる時

 いちおう創造的な仕事をずっと続けていて、趣味でも雑文を書いたり、ギター弾き語りで曲を作ったりの「無から有を生み出す作業」をしている。つまりは広い意味での「クリエーター」であるので、イメージが煮詰まったときの対策は、いろいろと準備してある。
 以下、いまだ実施していないものも含め、割と簡単に出来そうなものから順に列記してみる。
1)掃除
 汚れた机の上をふいたり、部屋を掃除したりなど。他愛ないことだが、気分がスッキリし、結構な気分転換になる。時に家事もかねていて、妻にも喜ばれる。

2)歩く
 そこらをただ歩くだけだが、これが案外馬鹿にならない。(この項、何か忘れていた気がして、一日たってから追加)いわゆる「散歩」、今風に言うなら「ウォーキング」とやらだが、もしかすると掃除なんぞよりもお手軽か。
 健康によく、車を使わないのでエコロジーという余禄もある。

3)事務所の名を変える
 10年くらい前、何となく仕事に行き詰まりを感じたときに思いきって実施。役所への届け出変更はもちろん、看板や名刺、封筒なども全て作り直しになるので、かなりの変化が訪れる。面倒だが、よいカンフル剤となった。

4)引越しをする
 独立開業以後、2度実施。これまた相当わずらわしいが、それに見合った物は間違いなく得られる。作家や画家でやたら引越しを繰り返す人がいるが、おそらく同様の理由と思われる。

5)離婚する(あるいは恋人と別れる)
 これだけはいまだ実施せず。願わくば、実行せずにこのまま死ぬまで創造的な活動を続けていたい。
 最も大きな代償となるはずだが、果たしてそれに見合うものが得られるものなのか、私には分からない。大芸術家はおしなべて多くの恋を繰り返すが、新しいイメージの開拓と、おそらく無縁ではあるまい。
 市井のクリエーターに過ぎない私などが、真似をする必要もないだろうよ。
 ちなみに、「思いきり食べる」だとか、「パッと散財する」とか、「ベロベロになるまで飲む」だとかの不健康で、アンエコロジーな気分転換は一切しない。
 したくてもお金がなくて出来ないだけなんだけどね。

2007年7月7日土曜日

家事って何

 たぶん10年近く前のこと。某放送局から、「番組で『主夫』を取り上げる企画があるので、ぜひ取材させていただきたい」と、メールでの打診があった。
 ホームページを始めたばかりの頃で、自宅で仕事をしつつ、なにがしかの家事をやっている姿が、いかにも今風の「主夫」として担当者には映ったのだろう。

 実はこの「主夫」だとか「主婦」という言葉が、私は嫌いだ。言葉の由来などには頓着しないが、世間がこの言葉に託している思いそのものを、本能的に嫌っているのかもしれない。
 で、この依頼はあっさり断った。いまなら「主夫という言葉そのものが嫌いなので」とハッキリ書くかもしれないが、生きる覚悟がいまひとつ定まっていなかった当時は、「多忙なので」だとかの、当たり障りない理由を並べたように思う。
「主夫」だとか「主婦」は、おそらく家事をやるかやらないかを判断基準にしているのだろう。あのネット百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」でも、主夫を「家事・育児などを担当する夫」と位置づけている。主婦は「家事・育児などを担当する女性」だ。
 しかし、果たして家事は夫だとか妻だとか、あるいは男だとか女だとかの性の色分けで判別されるものなのだろうか?独身男性が家でやる料理や掃除は、果たして家事ではないのか?

 だから、「私は家事をやっています」などと、ことさら胸を張って人前で宣言するのは、男であろうが女であろうが、ちょっとオカシイ気が私にはする。
 私は世間でいう「家事」を、かなりやっているほうだと思う。掃除、洗濯、食器洗い、庭の手入れ、家の補修…。切れた電球を取り替えたり、庭のトマトのわき芽を摘んだりするのも、すべて「家事」のハンチュウだろう。
 一方で生活費を稼ぐ手段としての仕事も、それなりにやっている。要は得手か不得手か、やれるかやれないか、ヤル気があるのかないのか、基準はそこだけのはずで、肩書きとしての「主夫」や「主婦」は、私にはほとんど意味がない。

2007年7月5日木曜日

不意打ちSOS

 一昨日の話である。身辺にはブログネタになる面白い話題が続発しているのだが、それを記す時間がない。従って、話がややズレ気味でアル。

 で、その話題。仕事の打合せから戻ったとたん、妻の友人のNさんから電話があった。私のライブにもよく来てくれる方で、取次ごうとすると妻にではなく、私に用があるという。我が家に来る途中、道に迷った高齢者につかまってしまい、身動きがとれないでいるらしい。
 日頃から高齢者の扱いに慣れている私なら、何とか対応してくれるのではないか。近くの公園にいるので、いますぐ来て欲しい。電話の声は困り果てた様子。何かと世話になっていることもあり、すぐに車を飛ばした。
 現地に着いていろいろ話を聞くが、相手の女性はすっかりうろたえてしまい、「トーサンが、トーサンが…」を連発するばかりで、まるで要領を得ない。
 身なりが作業着姿なのに気づき、落着かせてゆっくり話を聞くと、どうも園芸業を営む夫の手伝いで見知らぬ土地に来て、相手先の客の親(さらなる高齢者らしい)を帰る家まで送り届けたのはいいが、戻るべき元の現場、つまり「トーサン」のいる場所が分からなくなってしまったようだ。

 ここからが大変だった。名前や住所、電話番号までは分かるが、肝心の「トーサン」の携帯の番号を覚えていず、メモも持っていない。老夫婦二人暮しで、遠く離れた家には誰もいない。
 地方に二人の子供がいるが、電話番号も住所もトーサンでないと分からない…。つまり、トーサンがいないとまるでお手上げ状態なのだが、その肝心のトーサンの居場所が分からないのだ。
 もはや私たちの手には負えない。Nさんと二人で交番に連れていこうとするが、見知らぬ男の車に乗るのを警戒しているのか、頑として動こうとしない。
 ねばり強く説得を続けるうち、パトカーならば乗ってもいいという。すかさず110番をして状況を説明すると、10分ほどでパトカーがやってきた。なぜか私の住所氏名と連絡先まで調べられ、ようやくその場を解放された。

 自宅に戻って30分ほどして「無事にご主人と再会できました」との電話が警察からあった。予想通り、ご主人から警察に「捜索願い」が出されていたそう。
 やがて高齢者の域に近づく私たち夫婦にとっても、とても人事ではない。
「あれは全部カーサンが」「トーサンに全部おまかせ」では、いずれ路頭に迷ってしまうよ。

2007年7月4日水曜日

窓を開ければ

 少し前に予備マシンとして、Windowsパソコンを買ったことを書いた。仕事の合間にずっとセットアップ作業に励んでいたが、昨日ようやく完全に終えることができた。購入してから、およそ2週間近くもかけたことになる。
 グラフィックとサウンドの不備はドライバー(ねじ回し道具ではなく、パソコンを正常に動かすためのソフトのようなもの)をマックを使ってネットからダウンロードし、すぐに解決した。問題はインターネット接続だ。

 ネット接続はせずに、USBメモリでマックからのデータ転送をやろうかとも一時は考えたが、やはり直接転送したくなった。Windowsからでないと、正常に閲覧できないサイトも結構ある。せっかく投資したのに、ネット接続できないのは何だかシャクだった。
_そこでメーカーに直接相談することにした。中古ショップでは単に販売するだけで、OSのセットアップは保障対象外である。
 幸い、中古品でもシリアル番号を通知すれば、サービスは受けられた。ユーザー登録し、メールで相談すると翌日に連絡がきた。素早い対応だ。
 いくつかの手法が書いてあり、いろいろ試したが、うまくいかない。症状を再度メールにしたため、また連絡。次なる手段が、すぐにまた届く。このやりとりが3度繰り返された。

 ハードディスクを合計4回も初期化したが、ねばったかいあってようやく無事に開通。ネット接続はもちろん、ハブを介してメインマシンであるマックともLANでつながり、相互のファイル交換もスムーズだ。
 相手も私もかなりねばり強く、しつこい(よい意味で)性格だったのが幸いした。どちらかが諦めるかフテクサレルかしていれば、あわれ中古パソコンは片肺飛行のままでいただろう。
_メーカーはHP(Compaq)である。私はメーカーのマワシモノではないが、単なる中古品のトラブルに過ぎないのに、実に好感のもてる対応だった。解決後にお礼のメールを送ると、先方からも「とても励みになりました」と、感謝のメールが届いた。
 単なる金モウケ主義以外の何かをそこに感じた。窓がちょっとだけ開いたらしい。

2007年7月3日火曜日

ニャ~ゴ

 毎日定期訪問しているサイトやブログが10箇所ほどあるが、そのうちの2箇所の書き手の方が、かなりの猫好きであるらしい。定期的に猫の話題で賑わっている。
 猫は私もかなり好きで、田舎に住んでいた頃はずっと飼い猫の面倒を見ていた。全身が真っ黒のメス猫で、名前を「ペル」といった。名づけ親は私で、当時ではかなりハイカラな名前だったと思う。

 12歳のときに札幌に引越すことになり、黒猫は親戚の家にもらわれてゆき、「クロ」だとか「クマ」だとかのありきたりな名にされた。
 随分可愛がった猫だったが、自分が食うためには、飼い主のつけた名前を受け入れるのが当然だったのだろう。私のことはすっかり忘れられたようで、ちょっと寂しい気持ちもしたが、自然の摂理とはそういうものだ。
 数年前、「黒い森の青いネコ」という激しいロック調の曲を作った。観念的で不条理な世界を描いたもので、主人公にネコは必須だった。この歌の中でネコは、ある種のワルモノになっている。
「黒い森のむこうから 青いニャ~ゴがやって来る」という出だしで、「ネコ」や「ニャンコ」ではダメで、「ニャ~ゴ」がこれまた必須。
 ならばタイトルは「黒い森の青いニャ~ゴ」にすればよさそうなものだが、そうはいかないところが、また不条理だったりする。

 この歌を人前で歌ったことはなく、自宅で歌うことも滅多にないが、唯一の聴き手は我が妻である。「いい歌だ」となぜか言ってくれるので、いつかどこかで歌う機会を、まるでネコのようにコシタンタンとうかがっている。