2022年6月30日木曜日

大雨のアワビ旅行〜後編

前編からの続き
 深夜1時近くに首が痛くて目が覚めた。寝る前にも感じていたが、枕が私には高すぎる。座布団に交換して寝直し、朝5時に妻が温泉に行く気配で再び目覚めた。
 寝足りない私は睡眠継続。ウツラウツラするうち、6時半には起きて温泉に入る。睡眠時間は正味6時間ほど。普段に比べて少ないが、旅とはおよそこんなものか。


 朝食までの時間を使い、ネットで情報収集に励む。雨はひとまず上がったが、雲石峠の通行止めが解除されているかどうかは、行ってみないと分からない。
 宿の方の助言もあり、リスクを避けて北のせたな町から今金町経由で長万部に抜ける道で帰ることにした。

 部屋にあった観光案内を熱心に読んでいた妻が、名所の親子熊岩と荻野吟子公園を観たいという。早めに出ればどちらも見物可能で、位置をグーグルマップで確認した。


 7時半ちょうどに朝食。1階大食堂での和食バイキングで、客は私たち以外に1人だけだった。
 受付の案内に従い、消毒後に使い捨て手袋をはめ、トングを使って好みの食材を選ぶ。地味だが夕食同様に味つけは抜群で、特に海藻味噌汁が美味しかった。


 早めにチエックアウトを済ませ、宿の全景写真を撮って8時50分に出発。雨は降っていないが、ガスがかかって視界はよくない。
 せたな町とは逆方向の南に10分走り、奇岩 親子熊岩に着く。見物客は誰一人いず、荒れ狂う日本海の波が激しく岩肌を叩いていた。地の果てを思わせる漠とした風景だ。

確かに「海に落ちる子熊を救う親熊」だ

 時計は9時。ここから北をめざして走り、10時に荻野吟子公園に着く。渡辺淳一の「花埋み」のモデルとなった日本最初の女性医師である。私は読んでないが、妻が買った古い文庫本が本棚にある。
 その荻野吟子が、せたな町や今金町と深い関わりがあることを初めて知った。(妻は若い頃から知っていたという)小さな公園には顕彰碑と銅像、年譜などが並んでいる。


 近くの生涯学習センター内に資料展示室があり、来る機会もそうないので、ついでに観に行った。無料で見学できるが、コロナ禍対策として、住所氏名&連絡先を入口で記入する必要がある。
 より詳細な年譜を始め、写真や手紙、戸籍謄本、メモ類、使っていた日常品などの各種資料が閲覧可能。


 10時半に展示室を出て来た道を戻り、長万部町へと向かう。途中にある「ふれんど」というカフェを妻が見つけていて、珈琲を飲んでいくことにした。
 運営母体は共同作業所としてのNPO法人。できたての手作りパンが多数並んでいて、パンと珈琲のセットが300円という安さ。朝食後3時間で空腹だったため、カレーパンとあんドーナツを美味しく食べた。


 10時50分に店を出る。道を6キロ南に戻り、分岐路を東に曲がって長万部町をめざす。1時間弱で太平洋岸に出た。日本海に比べて波は穏やかだ。
 ここから北に折れ、洞爺湖へと向かう。助手席の妻は早起きで疲れたのか、いつしか寝てしまった。

 やがて道は230号線へ。道路標識に「札幌」が登場し始める。右手に洞爺湖の湖面が見えてきたが、濃い霧のせいで湖中心にある中島は大半がぼやけている。前方左手に見えるはずの羊蹄山も厚い霧の壁に閉ざされていた。


 2時間以上も休みなく走り続け、13時5分に「道の駅とうや湖」に到着。当初は湖畔にあるカフェでオープンサンドを食べるつもりでいたが、前日のピザで洋食系は食傷気味の妻が拒否。
 代案として麺類でも食べようかとなったが、メニューを選ぶうち、美味しそうな赤飯おにぎりとホタテ汁が目に入る。
 麺類はパスしてさっそく注文し、窓際の席で食べる。どちらも身体に染み入るような得難い味だった。


 店員さんに尋ねると、赤飯と思っていたのは「黒千石」という地元特産の大豆を使ったもので、つけ汁と一緒にもち米をまぜて赤飯ふうに炊いているのだという。
 ホタテもまた地元の噴火湾産。初めて寄ったが、まさに道の駅ならではの名産料理だ。


 13時25分に出発。めざすは札幌南区定山渓にある「カフェ崖の上」。こちらも以前からマークしてあったが自宅から遠く、なかなか行く機会がない。帰る途中に立ち寄れるこの日がチャンスだった。
 いつも必ず寄る中山峠道の駅も、この日は素通り。空もようやく晴れてきて快調に飛ばし、14時40分に店に着いた。


 店名の通り、川沿いの崖上ぎりぎりに建っている不思議なコンセプトのカフェ。最も眺めのよいガラス丸テーブルの席が運良く空いていた。珈琲とケーキのセットを頼み、眼下の絶景を足元経由で楽しみながらいただく。
 以前は珈琲の味や店内の雰囲気でカフェを選んでいたが、最近は展望が重要な選択肢になりつつある。


 この旅最後の休憩地を無事にクリアし、25分後に自宅にむけて出発する。
 札幌市内に入ると道は次第に混雑し始め、途中でガソリンも給油して、自宅到着は16時45分。事前に組んだタイムテーブルより5分遅れただけで、想定外の出来事に遭遇した割には予定通りの結末となった。
 今回のドライブ旅行に備え、散歩を中心とする事前の体力強化は怠らなった。昨秋の旭川日帰りドライブでは、ラスト40kmあたりで右足がつるというアクシデントに遭遇したが、今回は右手首が少し痛んだ程度で済んだ。
 2日間の合計走行距離は552.9kmで、1日平均だと276km。休憩なしの連続運転はときに2時間を越えたが、ヒヤリとするシーンは皆無で、睡魔に襲われることもなく、無事に乗り切れた。


 信号のない郊外の道が大半で、最終的な平均燃費は30.8km/Lという驚異の数値。燃費から逆算したガソリン代は2,800円。宿泊費が20,600円、飲食代が6,720円、合計費用は30,120円だった。
 悪条件下でも充分な準備をすれば、高齢者でも無理なく安価にドライブ旅行ができるというのが、今回得た収穫である。

《2日目の走行データ》
・走行距離:278.6km  ・平均燃費:30.8km/L

2022年6月29日水曜日

大雨のアワビ旅行〜前編

 かねてから構想にあった道南への一泊二日ドライブ旅行にでかけた。目的地は、せたな町にある「あわび山荘」。
 あわび料理が食べられる旅館として2003年に紹介された新聞記事を大切に保存し、じっと行く機会をうかがっていた。

 母の三回忌を終え、実家の売却など、母の死に付随する諸々の手続きもすべて終えた。かって暮らした高松や、20歳のときに自転車で旅した西日本へ妻とドライブ旅行する計画を練っていたが、コロナ禍がなかなか改善せず、県境をまたがない道内旅行へと方針を変えた。
 新型コロナ新規感染者数が都市圏では上昇カーブに入りつつあり、減少傾向にある北海道でも、いずれ増加し始めるのは目に見えている。動くならコロナが落ち着いているいまだった。


 せたな町は有名観光地から微妙に外れていて、これまで一度も行ったことのないエアポケットのような場所。時期は大型連休と夏休みの谷間となる6月下旬と決め、1ヶ月前からコースと休憩場所を入念に調査し、分単位でタイムスケジュールを組んだ。
 あいにく梅雨前線が北に押し上げられ、悪天候が回復するめどがたたない。あわび料理が主目的の旅と腹をくくり、日程を29〜30日に決めて予約を入れた。

 小雨がパラつく中、9時20分に家を出る。雨が降ったりやんだりで視界が悪く、小樽から赤井川村に抜ける難所「毛無峠」を慎重に運転したせいで、予定より10分遅れて11時10分に最初の休憩地「道の駅あかいがわ」に着く。



 3年前の函館家族旅行のときにも寄った場所で、違っているのは雨模様の夫婦旅行であること。そして運転者は長男ではなく、私だった。
 魔法瓶に持参の珈琲を飲み、エゾカンゾウの花が咲き乱れる花壇で写真を撮って10分後には出発した。


 次の休憩地「道の駅くろまつない」到着は予定ぴったりの12時45分。雨は相変わらずだが、土砂降りになる気配はなく、峠道にもじょじょに慣れてきた。
 前回旅行で食べたピザが美味しく、今回も注文。コロナ禍のせいで、席は窓際カウンターに限定されていた。


 何を食べるか妻と意見があわず、最終的にトマト中心のマルゲリータとジャガイモ&ベーコンのザクセンのMサイズを注文する。Sサイズは注文不可で、2人で食べるには多すぎるが、妻の希望に合わせた。
 飲物は頼まずに持参の珈琲を飲む。計16ピースのうち、結局食べたのは9ピースで、残りは持ち帰ることに。

 雨の平日のせいか客が少なく、ピザが早く焼き上がったこともあって、45分後の13時30分には出発した。


 断続的に雨が降り続くなか、5号線を南に下って、やがて太平洋岸の長万部町に出る。
 予報では16時を過ぎると大雨になるはずで、少しでも早く着こうと休憩なしで突っ走り、八雲町から西に折れて再び日本海岸をめざした。
 ここから1時間ほどで宿に着くはずが、わずか5分ほどで前方に「通行止め」の赤い看板が。横に係員が立っていて、先にいた1台の車を強制Uターンさせている。出かける直前に道内の通行止めはないことを確かめてあったが、急な状況の変化があったらしい。

 車を降りて確認すると、予想通りこの先の雲石峠が大雨で落石の危険があり、全面通行止となったという。
 早期解除の見込みはなく、行き先を告げると、少し戻って十字路を北に行けば、迂回して南側から目的地に着けると教えられた。


 他に選択肢はなく、言われた通りに細い道を走る。雨は次第に激しくなり、行き交う車は数えるほど。八雲町から西の道は過去に一度も走ったことがなく、途中でカーナビもなぜか作動しなくなり、不安を抱えつつ標識だけを頼りに進む。
 雨はますます激しくなるが、30分ほどでカーナビが作動し始め、やがて日本海が見えてきた。
 想定外の通行止めで20kmほどの遠回りを強いられたが、予定より30分も早く15時半に目的地に到着した。受付で「よくぞご無事で」と声をかけられる。

 その時点で雨は数ミリ程度だったが、17時からの1時間では26ミリという強い雨を記録。休みなく走って正解だった。朝9時にも17ミリの激しい雨だったそうで、まさに雨の間隙を縫う際どい走りだった。


 玄関でまず消毒と体温自動測定があり、案内された部屋は2階階段そばの8畳間。雨で外出はできないが、温泉や無料Wi-Fi、テレビなどでまったりと過ごす。
 平日と大雨警報が重なり、32部屋ある宿に客はわずか4組。温泉も閑散としている。

 宿は40年以上の歴史がある国民宿舎。部屋にトイレや洗面所はなく、建物は古いが、整理整頓&清掃が行き届いていて、居心地はよい。
 温泉は源泉かけ流しで24時間入浴可能。熱いのでよく温まり、雨で冷えた身体には快適。先に入った妻は、のぼせ気味の様子だった。


 コロナ禍のせいか夕食は大食堂ではなく、別部屋に準備してくれた。他に客はなく、17時50分くらいから食べ始める。

 アワビの刺身を始め、天ぷら、鶏とキノコの鍋、茶碗蒸し、イカの塩辛、コールドビーフ、山菜のナムルなど、バラエティに富んだメニュー。どれも上品な味つけで、生ビールと共に美味しく食べた。
 実は妻はアワビがちょっと苦手。一切れだけ食べて残りは私にくれた。半分を生で食べ、半分を鍋の汁に浸してしゃぶしゃぶ風にした。逆に塩辛は妻が好物で私が苦手。うまくできている。


 1時間くらいで食べ終わり、部屋に戻る。布団は自分たちで敷く仕組み。妻はテレビ、私はインターネットで過ごし、早めの10時くらいに床についたが、廊下や隣室の話し声が耳につき、雨中の運転で疲れているはずが、なかなか寝つけない。
 11時くらいにようやく静かになって眠りに落ちた。雨はまだ断続的に降っている気配。(後編に続く

《1日目の走行データ》
・走行距離:274.3km  ・平均燃費:29.8km/L

2022年6月27日月曜日

多肉火祭りが開花

 8年前に買った鉢植えの多肉植物、火祭りに小さな白い花が咲いた。過去に花が咲いた記憶はないが、昨秋にも購入7年目のサンスベリアに初めて花が咲いたので、室内に開花の条件が整っているせいかもしれない。



 鉢替えや葉挿しを繰り返し、今回開花したのは台所前の窓台で育てているもの。欠けたマグカップに一回り小さい鉢を入れて置いてある。
 今年になって急に成長し始め、カップから大きくはみ出した。株分けすべきか迷ううちに花が咲いた。多くのツボミや茎が見えるため、株分けや鉢替えはしばし延期する。

2022年6月26日日曜日

基礎給気口の防雪

 今冬の記録的豪雪時に、物置と基礎給気口の間に雪が吹き溜まり、換気ガラリが完全に塞がるという問題が発生した。
 基礎給気口は建物で採用しているパッシブ換気(自然換気)システムのツボ。急きょ冬季は閉ざしている手前の車庫側給気口を開けて凌いだが、短時間でも閉ざされてしまうのは好ましくない。

物置内に設けてある点検口

 考えたすえ、メンテナンス用に開けてある物置側の点検口と、建物基礎との間をトンネル状につなぐことにした。給気は物置内から直接とることになり、雪や雨には一切干渉されなくなる。
 木材の端材を加工し、現状の換気ガラリを箱状に囲う。防腐塗料と保護塗料を塗り、2日がかりで接続部材は完成した。


 今日は仕上げとなる設置作業。手前の換気ガラリを外して取りつけようとしたが、部材を組み立てたままでは中に入っていかない。
 いったんビスを緩めてバラバラにし、まず箱の下側だけを挿入、続けて手前の部材を入れて、下からさぐりながらビス固定した。
 続けて上側を入れてビス止めし、最後は奥の部材を入れて固定する。一部の部材は物置側の壁から直接ビスで固定し、ようやく完成した。

木枠が入って隙間がなくなった

 採寸を厳密にしたため、隙間なくピタリ収まった。壁開口部に外側から下げてあった防水アスファルト紙は、折りたたんでそのまま箱の上端に載せた。
 いろいろあった豪雪の後始末、かなりの時間を要したが、今回でようやく決着した。


 5/29に昨年残った種を蒔いた山東菜、その後順調に育って、すでにお浸しの一部として昨日食べた。
 今後切れ目なく食べ続けるため、今日はその横に新しく種を蒔いた。昨年買った種とはメーカーが異なるため、不安がないでもない。順調に発芽してくれることを祈りたい。

2022年6月24日金曜日

エフェクター接触不良

 弾き語りの練習中、長年使っているボーカル用のエフェクター「ZOOM RFX-300」の音が突然切れてしまった。3年前にも同じ現象が起こり、接点復活剤を使って正常復帰した経緯がある。

 ところが最近になって再発し始め、今度は接点復活剤を使っても完治しない。マイクジャック端子の接触不良があるようで、ガリ音がひどい。基板部が壊れていれば買い替えは必須だが、すでに生産中止品で中古を探すしかない。
 ヤフオクの中古で入手してから14年が経つ。コンパクトで安価なボーカル用エフェクターはニーズがないのか、同等品は見当たらない。中古を新たに調達する前に全体を分解し、問題点を探ることにした。



 まず最初に表側のツマミ類5個を引き抜く。裏返して多数のネジを外し、元に戻しやすいように順に並べた。
 疑わしいマイクジャック部を慎重に探ると、端子から基盤に至るハンダ部に緩みを見つけた。接触不良はここに違いないと確信し、ハンダづけをやり直す。

 これで解決したはずとネジやツマミ類を元に戻し、PAやマイクをつないでみたが、どうしたことか状態は何も変わっていない。

赤丸がハンダづけ修正部

 原因がわからず、珈琲を飲みつつネットで調査。すると、安易に接点復活剤を使う以前に、まず接点をアルコール洗浄するのが肝心、との情報を得た。
 本体を再度分解し、テープヘッド洗浄剤をつけた綿棒でマイクジャック周辺を入念に清掃。特に端子外側にある金属接点の汚れがひどく、綿棒が真っ黒になるほど。


 再びネジやツマミ類を元に戻してテストしてみるとガリ音は消え、音切れもない。問題点はすべて解消されていて安堵した。

 仮にコロナ禍が遠のいたとしても、以前のように精力的な活動の復活は難しく、ギターや音響機器類の新たな投資は極力避けたい。買い替えを回避してエフェクターを延命できたことは幸いだった。

2022年6月20日月曜日

増す経験値

  地区センター図書館の本修繕ボランティアに参加。9〜13時のフレックスタイムだが、今回は早めの10時5分前に着いた。
 すでに6名のボランティアが作業中で、係員を含めて全員が女性。

 前回手掛け、剥離したページをボンド接着して終えていた「鬼子(新堂冬樹)」の仕上がりが気になり、係員に尋ねると、すでに本棚に戻したという。見せてもらうと、ボンドはうまく効いていて、ページの剥離はなかった。
 ただ、接着したページを中心に凸凹が激しく、紙ヤスリで再度の調整をすることになる。


 持参の#180紙ヤスリで作業したが、施設側でも#320と#400の紙ヤスリを用意してくれていた。まず粗い#180でざっとやり、細部を#400で仕上げることにする。
 こちらも持参した木片と丸棒を使い分け、紙ヤスリを巻きつけてページの飛び出し部を少しずつ削る。自宅にある手製本ですでにテスト済みで、作業はスムーズだった。
 #180で均しきれないバリは、1ページずつ#400で作業。およそ1時間で仕上げ、そのまま本棚に戻す。

 続けて「エンデュアランス号漂流」という文庫本を補修する。こちらもページの剥離と脱落だったが、新たに持参した先端の細いボンド容器(製図オイルの空き容器)を使い、短時間で問題なくやれた。


 最後に「電車大集合1616」というムック本を手がける。ページの剥離が多数あり、セロテープでかろうじて脱落を止めている状態。そもそもセロテープでの補修は禁止で、閲覧者による自主補修と思われた。

 すべてのセロテープを剥離液ではがしたうえで、ページをボンド固定する必要があったが、前回同じ補修で取り外しに失敗し、文字の一部を欠損させた苦い経験がある。
 作業を躊躇していると、係員の方が一部だけ試し始めた。粘着の強い専用テープなら難しいが、セロテープならはがせるようだ。


 無理をせずに少しずつ作業し、どうにか5ページ分ほどのセロテープはがしに成功する。全体を調べて、まずページの破れや穴を細いブッカー(透明カバー)で補修する。
 続けて別の場所にあった谷間(のど)部分の剥離をボンドで補修。最後に脱落したページを順にボンドで固定した。背の部分を目玉クリップ4個で止めて終了。硬化の確認は係員が後日やってくれることに。

 写真が中心の鉄道系の本で人気があるのか、とにかく傷みが激しい。ページの剥離や脱落は、コピーやスキャナーを繰り返し使ったことで本に無理が働いたせいではないか。
 神経を使ったが、ともかくも12時半には終わった。作業時間は2時間半ほど。あれこれいいつつ、やるたびに経験値は増し、作業時間もじょじょに短縮されてゆく。

2022年6月19日日曜日

父の日プレゼント

 3人の子供たちから、今年もサミダレ的に父の日プレゼントが届いた。
 長女からヒマワリの花と生そばのセットがまず届き、続いて次男からはGODIVAのチョコレートケーキが、最後に長男から風月堂のゴーフルが届いた。
 三者三様の贈り物だが、共通するのはいずれも食べ物中心であること。普段の雑談で、「花よりは食べ物がうれしい」などと話しているので、合わせてくれているのだろう。


 私が若いころには、父の日を祝う習慣はなく、特に何かプレゼントをした覚えはない。サラリーマン時代にはボーナスが出ると、両親あてにそれぞれ何か贈った記憶がある。
 独立後は事業で収益のよかった年に、一度だけ両親に現金(お年玉)をあげたが、そんな気配りは無用と言われ、やめた。
「親に心配をかけない」が、一番の親孝行と勝手に思っているが、我が子からの気遣いはありがたく受け取ることにしている。