2008年5月31日土曜日

森の記憶

 あれこれ迷ったが、私の代でどうしても一定の道筋だけはつけておきたくて、墓を買うことにした。場所は札幌南部にある小高い丘の一角で、いわゆる民間霊園である。
 すぐ近くに国営の滝野すずらん公園があり、子供たちが幼いころ、何度も遊びに連れていった。たくさんの家族の思い出が詰まっている懐かしい場所だ。

 まだ父が元気だったころ、その霊園の折込チラシを握って私の家を訪れ、「墓でも買おうと思うのだが…」と相談されたことがある。
「買うなら、俺の生きている間は墓守は責任持ってするよ」と応えたが、しばし考えたあと、「お前に任せるから、好きにしてくれや」とだけ言い残し、そのまま死んでいった。
 今回、その父の生前の願いを叶えることになるのかもしれない。
 墓の場所を決め、契約書に署名なつ印するために、午後から妻を同行して現地に行ってきた。
 途中、実家によって母に最終確認をとる。母はさかんに墓守のことを気にしていた。遠い将来、無縁墓になってしまうことを恐れているのだ。父が墓を買わずに逝ってしまったのは、このあたりにも原因があったのか。
 事前に詳しく調べた霊園のシステムを説明してやると、ようやく安心した様子。私としては四十九日法要に納骨も済ませたいと思っていたので、話は急ぎたかった。

 うっそうとした木々に囲まれた山道をひた走り、巨大な石の像が立ち並ぶ公園を抜け、ようやく目的地にたどり着く。
 売り出し中の墓の場所は管理事務所のすぐ横で、水場も駐車場も目の前。墓参りに来たとしても、場所を探し回る心配はない。
 運良く東向きの眺めのよい場所が空いていて、即決。宅地の販売と同じで、少し単価は高いが、いわゆる「角地」から先に売れてゆくとか。偶然だが、9年前に買った我が家も、ごく普通の東向きの宅地。墓も宅地も、角地に特別の思い入れはない。

 1時間弱で諸手続きは終了。妻の希望もあり、墓の文字デザインはごくありふれた大人しいものに落ち着く。しかし、墓石そのもののデザインはシンプルな洋風で、悪くはない。


 帰り道、娘が5年間学んだ札幌芸術の森近くにある高専(現在は大学に改編)の横を迂回することにした。目当ては校門前にあるしゃれた喫茶店で、以前はよく通っていたが、札幌の北の果てに引っ越してしまってからは、しばし訪れていない。
 霊園からはわずか5分で着く。写真のように、道路から階段を昇ってゆく造りで、周囲は白樺の木々に囲まれている。いわば「森の喫茶店」だ。

 経営者の顔が以前とは違う感じがしたので、確かめてみたら、以前の方はつい最近亡くなり、ときどき手伝いに来ていた近所の方が経営を引き継いだという。新装開店してまだ2週間とのことで、いろいろな偶然に、しばし言葉を失った。
 飲んだコーヒーの味は以前とほとんど変わっていない。建てて19年経つという建物も、あまり変わっていない。変わったのは、周囲を囲む木の高さだけだった。
 娘のことや、以前の店に通ったことをしばし話す。すぐ隣の霊園に墓を買いに来た帰りです、と脈絡もない言葉が喉まで出かかるが、静かに胸の奥でかみ締めた。
とうとう終の住処にたどり着いたのかな…)と、コーヒーを飲みながら漠然と考えていたら、妻も全く同じことをそのとき考えていたことを、あとで知った。

 私も妻も、来年は六十路である。

2008年5月30日金曜日

水の中のナイフ

 1ヶ月くらい前にBSで見た「水の中のナイフ」というポランスキー監督の映画がどうにも気になり、ずっと消さずに残してあった。
 まず、そのタイトルがいい。深夜の放送で、事前の予備知識は何もなかったが、タイトルに惹かれてなんとなくスイッチを入れた。すでに始まって10分ほど過ぎていたが、ぐいぐい引き込まれ、あわてて録画のスイッチも入れた。

 ヨットの上という閉鎖空間で繰り広げられる恋愛心理ドラマだが、セットらしきものはヨット船内の撮影シーンくらいで、ほとんどはロケ。登場人物も中年夫婦と青年というたった3人だけだが、金をかけずとも面白い映画は作れるという典型か。
 独特のデザイン感覚に裏打ちされたシンプルでダイナミックなモノクロ画像のカメラワークも息をのむ。全くのど素人を、監督自らが街でスカウトしてきたというヒロインが、なかなかセクシーで存在感がある。
 集中的に見直したシーンは、ヨットの中でヒロインが歌う退廃的な歌の部分だ。単なる鼻歌の延長で、途中で「歌詞を忘れた」といって、やめてしまう不完全なもの。だが、その歌を何とか形にしてみたいとずっと思っていた。
 そのままでは無理なので、歌詞とメロディのエキスを取り出し、一度バラバラにしたあと、自分のイメージにそってもう一度組み立て直し、足りない部分は補い、いらない部分は捨てる、という作業を何度も繰り返した。

 住宅のリフォームのような難しい作業だったが、苦労のかいあって、何とか弾き語りで歌える曲に仕上がった。タイトルはもちろん、「水の中のナイフ」。
「水」は、おそらく怠惰に流されゆく日常を、「ナイフ」は、その中に潜む殺意に近い残酷な心理を象徴しているのではないか。
 曲調はブルースとシャンソンを足して2で割ったような感じ。はっきりいって暗い曲だが、シャンソン系の曲は過去にも何度か作っていて、自分の肌にはよくなじむ。
 考えてみれば、「枯葉」「雪が降る」「サントワマミー」など、シャンソンはおしなべて暗い曲調が多い。
「明るく、希望を持って生きてゆこう」なんて曲もいいけど、そういつも前向きばかりだと、息が詰まってしまう。人間ときには、どっぷりと後ろ向きの世界に浸りたくなるものさ。

 問題は歌う機会があるかどうかで、歌詞とメロディの一部に映画の日本語訳を使っている関係で、ネット公開はまず無理。無難なのは、自宅コンサートでしょう。

だからもうこれ以上 私を見つめないで…♪

2008年5月28日水曜日

ルーツ探訪

 はっきりしなかった父のルーツが明らかになった。生前の父からは、「オヤジ(私の祖父)が秋田県の八郎潟から屯田兵として北海道に渡ってきた」と聞いていたので、たぶん現在の八郎潟町あたりから入植したのだろう、と思っていた。

 今回、銀行口座解約のために「改製原戸籍」という、父の出生から死に至るまでの戸籍簿を必要に迫られてすべて取寄せたところ、出身は秋田県山本郡能代港町(現在の能代市)と判明。
 確かに八郎潟には近いが、やや北方であった。しかし、「半農半漁の生活をしていた」という話とは一致する。

 大正2年3月にそこから北海道上川郡永山村(現在の旭川市永山)に入植し、その2年後に雨竜郡上北竜村添牛内(現在の幌加内町政和)に移転し、直後に父が生まれている。
 明治37年に屯田兵制度は廃止されているから、「屯田兵だった」という父の話は誤りで、単なる開拓農民だったようだ。


 古い手書きの戸籍からは、先代や先々代の開拓の苦労が行間からにじみ出てくるようで、非常に感慨深い。
 そのほか、これまで知らなかった先祖の新たな事実もいろいろと判明した。貴重な資料なので、戸籍はコピーして保管しておくことにした。

 それにしても能代市といえば、同窓の建築家、西方里見さんが事務所を開設し、ずっと地元に根ざした家作りにまい進されている地だ。
 西方さんは建築家としては大先輩だが、同時に私の大学のサークルの後輩でもあり、ジャンルは異なるが同じ出版社から本も出している。世の中、妙なところでつながっているもの。不思議なエニシを感じずにはいられない。
「自分はどこからやってきたのか」「自分はどこへゆくのか」といった、ややもすれば哲学的な自問自答は、幼き日から私にとっての答えの出ない永遠のナゾであった。
 20歳のころ、記録のはっきりしている母方のルーツを探りに、福井県武生市まで何度か旅したことがある。
(母方のルーツは、西暦700年代から続くと言われている寺である)
 自分の祖先の暮らした地を訪れて、その空気に直にふれてみると、どことなく気分が落ち着く。遺伝子が風を記憶しているのかもしれない。

 関東に住んでいたころ、妻が生まれ育った地を一度だけ訪れたことがある。葛飾柴又に近い何の変哲もない下町の路地であったが、肌で感じ取れる何かがその空間にはあった。
 北海道に戻ってからは、同じ動機から、今度は妻を私の生まれ育った地である幌加内町政和に連れて行った。愛する者の原点を互いに見極め、確かめるために。
 一人の人間は、ある日突然急にこの世に現れたものではない。喜びや悲しみを交えた長い長い祖先の暮らしや記憶の積み重ねの上に、いまの自分がある。人は誰でも気の遠くなるほど長く、複雑にからみあった係累の最先端に存在しているのだ。
 そのことを呼び覚まし、謙虚に生きるためにも、自分のルーツを探る旅は貴重だと思う。

 今回、父のルーツがはっきりしたので、いつかその地を訪れ、祖先の暮らした大地を踏み、祖先の眺めた空をこの目で見上げ、祖先を育んだ大気を胸いっぱいに吸い込んでみたいと思う。
 生きていればいつか。

2008年5月26日月曜日

冬物大洗濯

 父の死に伴うさまざまな事務処理と併行して、延ばし延ばしにしていた日常雑事を少しずつ処理し始めた。

 午前中郵便局と区役所出張所に出向き、あれこれと雑多な書類の手続きを済ませる。この3週間で、いったい何枚の書類を書いたことか。
「実家の住所と父母の氏名」「代理人としての自分の住所氏名」「本籍」これらを書類毎に書き分けなくてはならず、つい頭が混乱してしまう。

 ずっと神経を使い続けているせいか、いつもは秋口にしか出ない不整脈の症状が、このところまた頻発している。しばらくは辛抱の日々か。


 あれこれやったら、ほぼ夕方。先週末に入る予定の仕事が来月まで延びるという連絡があって、うまい具合に時間がぽっかり空いている。

 こちらは完全な趣味の分野だが、土曜日からやっているギターブリッジ部のひび割れ補修(写真上の青マル部分)がほぼ終わったので、いよいよ弦を張ってみることにした。
 ところが、以前よりはかなり改善されたが、弦をいっぱいに張るとやはりサドルにあたる部分に、細いクラックが入る。やむなく弦を張ったまま、再度上からタイトボンドを厚く塗り、亀裂が現状より広がらない細工をした。(写真下の白い部分→このあと硬化して、透明になった)

 器用なつもりでいても、やはり自分でやれることには限界がある。プロはダテにお金を取ってはいないということ。しかし、現時点でギターの音自体には何ら問題ないので、これ以上悪化しないことを祈ろう。

2008年5月22日木曜日

もう寝ます

 全部で50近くある町内の街灯が二つ同時に壊れてしまい、点灯しない。町内会の街灯保守の仕事を去年から担当しているので、時間を何とかやりくりして業者や役所、そして町内会長と連絡をとり、修理の手配をした。
 街灯の保守点検は本来行政の仕事だと私は思っている。しかし、札幌の場合は町内会がその仕事や費用の多くを担っている。どこか釈然としないが、赤字財政のしがない地方自治体だから、これもまたやむを得ないことか。

 それでも、街灯をナトリウム灯にし、申請すれば年に少しずつなら、「市に寄付をする」という形で移管できる。年間の電気代の負担や器具修理代は1/3の補助が出るとはいえ、町内会の負担はかなりのもの。申請業務に手間はかかるが、壊れた街灯は徐々に市に移管するべきだろう。

 ちなみに、電気代の補助申請や市への移管申請、街灯情報の管理もすべて私の担当である。過去の資料は残っているが、慣れないエクセルのデータが多く、修正追加業務にかなりの時間を費やした。
 仕事と父の葬儀に伴う雑事でヘトヘトだが、請けた義務は果たさねばならぬ。
 銀行預金の解約に必要な戸籍謄本は、結局地元の札幌にある分だけでは用が足らず、父や私の生誕の地である道北の幌加内町からはるばる原本の写しを取り寄せることになった。
 この結論に至るまでが、実に手間取った。銀行の窓口で尋ねても全く要領を得ず、私と同年代であろう責任者までがやってきたが、結論は、「よく分かりません、郵便局なら分かるのでは?」。
 東証一部上場の大手銀行が、全くあきれる。

 怒りをじっとこらえ、「自分で調べますので、もう結構です」と議論を打ち切った。その足で出向いた郵便局でもよく分からず、家に戻ってネットで幌加内町役場の電話番号を調べ、直接尋ねたら、ようやく事実が判明した。
 入手方法や必要書類もていねいに説明してくれて、今日ようやく手配を終えた。無能な民間企業より、役所の人間のほうが余程仕事を理解している場合もあるということ。
 今日はようやく全てがそろった遺族年金の書類を提出に社会保険事務所にでかけ、ついでに直前に東京の友人から届いた供え物の花を実家に届けてきた。
 父が亡くなってすでに2週間が過ぎたが、いまだに香典やら弔辞、供え物をあちこちからいただく。人と人のつながりの不思議さを強く感じる。ありがたいことである。

 このほか、実家近くの区役所で固定資産税の納税手続き変更をし、帰りにデパートに寄って関東の親戚に香典返しの品を手配した。
 雑事の処理はまだまだヤマを越えていない。あちこちに手配中の書類がどっと集まってきたとき、次のヤマがまたやってくる。ちょっと疲れたので、今日は早く寝る。充電しないと身体がもちません。

2008年5月20日火曜日

風街だより

 以前に少し書いたミニコミ紙へのコラム定期掲載が正式に決まり、「予告編」のゲラ(下原稿)がメールで送られてきた。私自身が筆で書いたタイトルロゴをスキャンし、メール送信した2時間後にもうゲラが送られてきた。すごい早業である。
 コラムのタイトルは「風街だより」。この話の打診があったとき、咄嗟に閃いたもので、編集長やスタッフの方と面談した折に提案したところ、その場で採用となった。

 8年前に出版された本のタイトルも、似たような経緯で即決したものだった。この種の話は直感やイメージが大切で、よいタイトルが思い浮かべば、不思議なことに文章はそれに沿った形で流れ出てくることが私の場合は多い。
 スルドイ方はお気づきかもしれないが、このタイトルは大岡昇平の「成城だより」をちょっと意識している。30年程前に文芸誌の「文学界」に連載されたエッセイで、当時定期購読していたので、最初からずっと読んだ。
 内容は文学ばかりでなく、日々の雑感やテレビで見たアイドルタレントの印象など、実に多彩で巧みな筆致だった。

 いつかあのようなエッセイを書いてみたいとずっと思っていて、このブログやメインサイトに掲載の「徒然雑記」も、かなりその「成城だより」を意識して書いている。
「成城」は大岡昇平の住んでいた街の名で、今回の「風街」も私の住む風の強い地域をイメージしている。「風の街から定期的に届けられる日々の便り」だから、「風街だより」なのだ。


 急ぎの仕事を昨夜納品し終え、父の遺族年金変更手続きにようやくとりかかった。この書類がかなり煩雑で、確定申告なみの難しさ。サンプルを見ながら作業したが、3時間近くもかかってしまった。

 午後2時近くに、勤めから戻った妻と入れ替わるように、風雨のなかを出発。まず実家に寄り、長崎のいちろうさんから届けられたカステラを父の霊前に供える。その後年金の書き換えに必要な書類を実家から持ち出し、区役所に行く。悪天候のせいか区役所は空いていた。
 戸籍謄本、住民票、除籍謄本、印鑑証明など、雑多な書類を整える。その足で別の場所にある社会保険事務所にゆき、最終手続きをした。

 30分ほど待たされたが、書類に大きな間違いはなく、手続きは順調に進んだ。ただ、戸籍謄本が銀行の相続用のものではダメで、再度取寄せとなる。戸籍謄本にもいろいろ種類があることを初めて知った。
 他の書類にはすべて確認印をもらったので、あとは戸籍謄本を追加し、受付にある書類ポストに入れるだけでよいとのこと。手続きの大きなヤマは越えた。

2008年5月18日日曜日

カッコウが鳴く

 忙しさに追われているうち、今週の中程にカッコウの鳴き声を聞いた。種まきの季節到来の合図で、去年より2週間近くも早い。やっぱりね。
 輪唱の名曲「静かな湖畔」では、カッコウは「もう起きちゃいかが?」と鳴くことになっているが、私には「早く種をまけ、苗を植えろ」と、追い立てる声に聞こえる。

 何とか時間をやり繰りし、昨日の夕方にトマト4株と大葉(青シソ)1株の苗を、今日の夕方に枝豆を初回分として7ヶ所に植えた。
 トマトは88円、大葉は98円で、相場よりもかなり安いが品質はよい。妻が勤めるスーパーの店頭でいつもこの時期に売られている。お買得である。


 写真は今日の午前のもので、まだ枝豆は植えていない。芝桜が盛りだが、8年前にたった二株だけ植えたものが、ここまで増えた。写真には写ってないが、右側にも大きな群落がある。
 芝桜は放っておいてもどんどんタネが飛んで、勝手に増えてくれる。肥料や水やりもあまり必要なく、本当にたくましい。

 壁際に作った花壇にいろいろな花を植えてみたが、屋根から落ちる雨だれが悪いのか、ムスカリ以外はあまりうまく育たない。タチアオイは育つが、背丈があり過ぎて壁際だと収まりが悪い。
 今後に備え、生命力の強い芝桜を少しずつ移植中。(写真下)

2008年5月15日木曜日

待っていたのか

 父の葬儀とその後始末が一段落した今日の午前、ずっと暇だったはずの仕事が突然4件もバタバタとまとめて入った。まるで用事が片づくのを待っていたかのよう。
 これと似た話を以前に学生時代の友人の奥さんから聞いた。肉親は死してもなお、愛する者をどこかで守ってくれているのだろうか。不思議な運命の糸を感ずる。
 最後まで残っていた父の年金の変更手続きに、ようやくメドがついた。「事前に電話を」と言われていたが、毎日かけ続けても一向につながらない。年金への風当たりが強い時期だから、ある程度はやむを得ない。
 ふと思いついて夕方4時半過ぎにかけてみたら、ようやくつながった。問い合わせの電話対応に追われているらしく、係員は盛んに恐縮していた。

 親切に対応してくれて、変更書類一式を郵送してくれるそう。管轄の社会保険事務所は遠方なので、助かる。世間が騒ぎ立てるほど、悪い印象ではない。


 今日はこのほか、ミニコミ誌への原稿執筆依頼の来客と、お墓の社団法人の来客もあり、終日対応に追われた。

 原稿執筆はホームページで見た方からの打診で、月一回のコラムを書かせていただくことが、ほぼ決定。生活者の視点から見た雑感を、原稿用紙数枚に記す。このブログの延長のようなもので、気負いなく書けそうだ。
 詳細は媒体が実際に印刷されてからここに書きます。
 お墓の話は、ネットからカタログの郵送依頼をしたら、2日後の今朝電話があり、直接持ってきてくださった。スピードある対応に、誠意を感じる。
 いろいろ教えてもらったなかで、耳寄りな情報がひとつあった。お墓に関しては、たとえ肉親であってもさまざまな考えがあって妥協点を見つけるのが難しいが、すべての条件をクリアするかもしれない話である。
 こちらもかなり先の見通しが明るくなった。涙も汗も、決して無駄にはならない。

2008年5月14日水曜日

ひえびえ

 寒いです。北海道ではあちこちで氷点下を記録。今朝は寒さで目がさめた。室温を見たら、18度強。どうりでね。この時期の冷え込みを「リラ冷え」と札幌では呼ぶ。出典は渡辺淳一の「リラ冷えの街」という小説から。この小説はかって地元紙の日曜版に掲載されていた、人工授精をテーマにしたある種のラブストーリーである。
 当時は高校生だったが、リアルタイムで全て読んだ。リラ=ライラックだが、うまい言葉を作ったものだ。いまでは俳句の季語としても使われているとか。

 しかし、こうも寒いと風情どころではない。夕方になって、室温はついに17度強まで下がった。妻は月曜から東京方面に旅行中で、一人ではもったいない気がしたが、たまらず暖房ボイラのスイッチを入れた。
 昨日、父の初七日を無事に終えた。法事の仕切りをはじめ、役所への諸届けやら相続の書類手続きなど、さまざまな雑事が山のようにあって、連日奔走している。
 役所への届け出は年金を残すのみ。それにしても、人間一人が社会で生きているというのは、こうもたくさんの書類や手続きに囲まれているものなのかと、改めて思い知った。親の人生の後始末は子の務めなのだと理解はしているが、実に煩雑。
 不思議なことに、例年忙しいはずのこの時期、ピタリと仕事がない。ある意味では、大変ありがたいことだ。

 法事に関しては次の四十九日で一息つくが、お骨をどうするかも早めに決めなくてはならない。(父は次男で、墓を持たない)
 墓とか骨とか死とかは、普段はあまり話題にせず、避ける傾向も世間では多いが、50歳過ぎたらホンキで考えておいたほうがよい。考えるだけでなく、具体的に行動することが最も肝心なのはもちろんだ。でないと、残された者たちが戸惑うばかり。

 私?モチロン全部調べて、妻や子供たちには以前から伝えてあります。近々、より具体的な形にするつもり。(たとえば葬式用の写真のありかや、埋葬品の希望、葬儀の際にかけて欲しい歌など)
 死ぬ準備にヌカリはありません。
 あれこれ奔走している真っ最中に、3年前に一度歌わせていただいた札幌市内の養護学校から、また歌って欲しいとの依頼があった。
 7月上旬の夏祭りのステージで、四十九日法要も終わっている時期だし、ぜひにとの強いご希望なので、ありがたくお受けした。

 3年前と同様、スタッフの方と一部ジョイントとなる。当時はまだライブ活動を始めたばかりの頃で、要領がよく分からず、やや不満の残る内容だった。
 それでもまた依頼がきたこと自体、私からすれば実に意外。自己評価と他のそれとは、必ずしも一致しないということか。ライブの出来に関し、あれこれと必要以上に悩むことはないのかもしれない。

2008年5月11日日曜日

供養の歌

 ぎりぎりまで悩んだが、かなり前に依頼されていた老人ホームへの訪問ライブを、予定通りに実施した。
 この施設では、以前にも喉を壊して一度お断りしたことがある。今回は親の葬儀の直後でもあるので、事情を話せばおそらくすんなりキャンセルとなったであろう。
 しかし、施設は別であっても、父が長い間老人ホームのお世話になったのは紛れもない事実である。慰問で歌うこと自体が、生前歌が大好きだった父への何よりの供養になるかもしれない、と考え直した。
 今日は「母の日」なので、それにちなんだ構成を依頼されていた。歌う歌も「母」か「親」にちなんだものばかり。これまた父を追悼するに相応しかった。
 連日の無理がたたったのか、前日にくしゃみと鼻水が止まらなくなったが、薬を飲んでなんとか一日で持ち直す。ライブは予定をややオーバーし、45分で13曲を歌った。
 幸いに喉の調子は悪くなく、無難にこなしたが、ラスト近くの「おかあさん」(森昌子)の歌途中、胸にこみあげるものがあり、崩れそうになるのを必死でこらえた。

 父の死のことは、先方にいらぬ気遣いをさせぬよう、一切ふせてあった。しかし、やはり間接的な影響はあったと思う。次の「おふくろさん」(森進一)は、情に流されまいと、ほとんど目を閉じて歌い通した。
 終わったあと、施設長さんから、「とても良かったです。泣いている人がたくさんいましたよ」とねぎらわれた。会場を見回す余裕があまりなかったが、結果として父へのよい供養になった気がする。
 終了後、ただちに家に戻って妻と共に父が入居していた老人ホームへ挨拶をかね、私物を引き上げに行った。世話になったヘルパーさんとあれこれ話す。
「クルクルした目が、なんとも可愛らしい印象の方でしたネ」などと、私の知らなかった父の一面を教えられた。
 これでまたひとつ片がついた。

2008年5月9日金曜日

ぐるり

 入院中の父の容態が急変し、あっけなく息を引き取った。5月7日午前のことだった。

 93歳という高齢で、脳挫傷で倒れてから2年半という長い療養だったから、やむを得ないことなのだろう。強靭な体力と精神力で、よくぞここまでもったものだと、息子ながら感心する。主治医の先生からも同じ主旨の賞賛の言葉をいただいた。

 長く患った割に死際は苦しむこともなく、死顔も出棺間際まで穏やかで、まるで生きているように美しかった。父にとって、悔いのない人生であった証のように私には感じられた。天寿をまっとうした。


 あいにく友引が重なり、亡くなった当日に通夜、翌日に告別式という慌ただしい日程だったが、幸いに2日間とも穏やかな天候で、すべてが終わった昨夜からはずっと雨模様。結果的に良かったと思う。

 葬儀は母の希望もあり、家族だけのつましい密葬で執り行った。通夜は父の遺体の横に私も布団を並べ、朝が来るまで父と心の会話を続けた。
 葬儀の段取りも含め、奔走した2年半だったが、息子として悔いなく役目を果たせたと思う。「大きな肩の荷がおりた」というのが正直な気持ちだ。

 昨年末にできた「ぐるり」というタイトルのオリジナル曲がある。「輪廻転生」という壮大なものをテーマにした曲で、父のことも意識のどこかに置いて作った。
 すでに人前で何度か歌っているが、改めてこの場で父への鎮魂歌として捧げたいと思う。

『ぐるり』   詞/曲:菊地友則

  漆黒の空から落ちてくる 光る雨のしずく
  森を潤し 街をなぐさめ
  道をなぞって やがて海に注ぐ
  ぐるり ぐるり ぐるり ぐるり
  ぐるり巡ってつながっている 世界が

  紺碧の空に流れてる 愛しいあなたの声
  星を励まし 影に寄り添い
  風を集めて やがて土に還る
  ぐるり ぐるり ぐるり ぐるり
  ぐるり廻ってつながっている 命が

  茜の空へ消えて行く 燃えて砕けた想い
  あなたの涙は 無駄にはならない
  あなたの汗は いつか光に変わる
  ぐるり ぐるり ぐるり ぐるり
  ぐるり巡って還ってくる 元へと

  あなたの涙は 無駄にはならない
  あなたの汗は いつか光に変わる
  ぐるり ぐるり ぐるり ぐるり
  ぐるり廻ってつながっている 全てが 全てが

2008年5月6日火曜日

連休のような人生

 風も雨もやみ、カラリと晴れた。勤めから妻が戻ったあと、末の息子の車に乗せてもらい、近くの百合が原公園に行く。

 私のよりもかなり大きい車は、駐車がやや難しい感じがしたが、乗り心地は抜群にいい。音も静かで、燃費も郊外だとリッター12キロという立派な数字らしい。
 最初の車は黒塗り、2台目は青のスポーツタイプと、あまり乗る気のしない車だったが、入社4年目にして息子も落ち着いたオトナの車の選択にたどりついたようだ。
 本来なら助手席にはオヤジや母親でなく、彼女が乗っていてもいい年頃なのだが、世の中車を買ったくらいで簡単に彼女が出来るような甘い仕組みにはなっていない。

 仕事はすっかり慣れて自信もついたらしいが、そっちのほうは全く別物。変わり者の両親の血を受け継いでいるから、フツーの価値観の女性じゃダメらしい。どこかに似たような変わり者がいるはずなのだが、本人がオヤジほど行動的ではないのが問題。
 仕事がない悩みに比べると、かなりゼータクな悩みなんでしょうが。


 公園ではムスカリの花壇が満開だった。毎年見たがっていた妻が、ついに願いを叶えて大満足。ラベンダーの景観には劣るが、なかなかのもの。
 隣接するサイロを改築した展望台に昇り、真上から眺めてみると、意外にぱっとしない。地面から見ると映える青の面積が、極端に小さくなってしまうからだった。なるほどね。

 その足で藤棚まで行ってみたが、さすがにまだ芽を吹いたばかり。この公園の名前にもなっている百合も、まだまだ小さい。
 道路沿いにかなりの数があるライラックがすでに5分咲き。ライラックは満開より、色が濃い5~7分咲きが好きだ。サクラ同様、こちらも今年は非常に早い。うかうかしてると、見逃してしまうよ。
 夕方、息子が函館に戻っていった。束の間の休息が、今年もあっという間に終わった。

 連休はまるで人生みたいだよな、と公園で息子と語り合った。途中の日々はそれなりに楽しく、充実しているが、振り返るとそれはほんの束の間で、最後の一日はどことなくさみしく、名残惜しく、そしていとおしい。
 50台後半の私たち夫婦は、いわば連休の最終日にいるようなものだ。楽しかった夢の日々を懐かしく振り返り、最後の夕暮れを静かに待つ。雨や嵐の夕暮れではなく、美しい夕映えの空になることを祈りつつ。

2008年5月3日土曜日

それでいいのです

 末の息子が連休を利用して帰省中。天気次第ではウッドデッキでBBQをする気でいたが、夕方近くに急に気温が下がり、風も強いしで、結局見送った。

 去年とは息子の車が変わっていて、銀色の普通のセダン。中古車だが、1万キロ弱しか乗っていないとかで、ほとんど新車。少なくとも、20年乗っているオヤジの車よりはるかに高級車である。
 具体的に確かめたことはないけど、3人の子供はたぶん親よりも金銭的には、はるかに裕福だ。それについて別に誇らしくも、はたまた引け目を感じたりもしない。独立した立派な社会人だから、親であろうが子であろうがそれぞれの道があり、互いに干渉はしない。それでいいのです。
 ネットオークションで買った腰痛コルセットが昨日夕方無事届き、さっそく使っている。新品なので、使い心地は非常によい。おかげで腰痛は90%まで回復した。
 実は今日もまた別の品をネットオークションで買った。今度はギター補修用の「タイトボンド」という接着剤で、送料こみで530円。非常にマニアックな品だが、ネットオークションだと格安で買える。
 調べてみたら、京都の業者だった。もちろん新品で、店舗を構えず、ネットを主な販売経路にしているから価格を安く設定できる。

 この1ヶ月で3つの品をネットオークションで買ったが、以前のように「家庭にある不用品をオークションに出す」という図式から、「業者が新品を格安で売る」という形態に変わりつつあるようだ。
 テレビショッピングやカタログ通販に比べ、広告費がほとんどかからないというのは売り手と買い手の双方にとって、かなりのメリットである。うまく利用すれば、互いの経費を大幅に削減できるのは確実。今後、このスタイルが流通の大きな流れのひとつになってゆく可能性が高い。
 ただ、買い手にとっては、「ネットを使いこなせること」が大前提となる。ここが大きなハードルかもしれない。以前も書いたが、「やれる人間が得をする」時代がすでに到来しているのだ。

2008年5月2日金曜日

今年だけのサクラ

 札幌は昨日今日と連続して真夏日。なんでも85年ぶりの記録だとか。昨日はともかく、今日はさすがに暑く感じた。
 午後からの来客に備え、妻があわてて今年2度目の麦茶を作る。2階の仕事部屋も26度を超えたので、2ヶ所の窓を開けた。

 4月中旬にも似たような気候になったが、確か去年は10月に30度近い暑い日があったはず。夏から秋をすっとばして厳しい冬、そして冬から春をすっとばしていきなりの夏だ。
 四季の移ろいがはっきりしているのが北海道の大きな魅力であったはずが、近頃はそれも薄れつつある。何とかついてゆくしかないけど。


 仕事上の客がくるまでの時間、懸案だった観葉植物の鉢替えを一気にやった。まず、3年前の自宅コンサートの際の頂き物で、どんどん生長して鉢が小さくなってしまった何かの木(ヤツデの仲間?)を、大きな鉢に移植。
 次に、昨年の自宅コンサートで頂いた幸福の木の枝を鉢に植え替えた。こちらは陽気につられてぐんぐん根が伸び、もはやコップでは持て余し気味。植え替えるならまさにいまだ。
 4つ目の移植途中で来客が来てしまったが、何とか終わってホッとした。
 客の帰ったあと、妻と二人でモエレ沼にサクラ見物に行くことが急に決まる。時刻は夕方4時半を回っていたが、気温はまだ高く、この日を逃すと散ってしまうに違いない、と妻は言い張った。
 モエレ沼公園には車で数分の距離。腰の調子はまだ完全ではないが、コルセットを締めてゆっくり休みながら歩いた。

 ほとんどの木は葉が出始め、花はまだついてはいるが、盛りはすでに過ぎている。自宅北側の土手にあるサクラも、昨日までは満開だったが、今日は一挙に葉が出そろい、花はすでに目立たなくなってしまった。「散ってはいないが、見栄えがしない」という、不思議な光景だ。
 あちこち散策するうち、まだあまり葉の出ていない満開の木を1本だけ見つけた。二人で間近に寄り、今年最後のサクラをゆっくり堪能する。
 酒も弁当もない慌ただしい花見だったが、「いつもの場所に咲く、今年だけのサクラ」を今年も見れてよかった。