2013年12月31日火曜日

無事に年越し

「2時に寝て、9時に起きる」という規則正しい生活をガン宣告以降は心がけているが、最近は9時になると目覚ましナシで自然に目が覚めるようになった。「長眠はガンの誘因のひとつ」という、未確認情報がある。寝るのも、今後はほどほどにしておく。

 ということで、今日も9時に起きて朝食後に雪かき。こまめに電動除雪に励んでいるので、さすがに量はごくわずか。今日は手作業で簡単に終わらせた。
 午後から息子を伴い、母の暮らす施設に今年最後の面会に行く。5月にも二人で訪問しているので、前回感激で大泣きした母も、今回は落ち着いていた。
 食堂は40人ほどの入居者で溢れていたが、大晦日のせいか、面会に訪れる家族の姿は他にない。いつものように30分ほど昔話にふけって過ごす。高齢なので、母に自分の病気のことは一切あかさなかった。


 早朝4時半に起きて勤めに出た妻の帰りが遅く、請け負っているHP管理のうち、新年モードに修正する作業をやって時を過ごす。18時過ぎにようやく妻から電話があり、同時に首都圏から帰省する娘からのCメールも飛び込む。
 まずは妻を勤務先に迎えに行き、すぐに風呂に入って、休むまもなく娘を最寄りのJR駅まで迎えに行く。
 恒例の年越しの宴は、かなり遅めの19時50分あたりから始まった。息子の手配したタラバカニを始め、いつもの年越し定番品が並ぶ。療養中の身なので、酒はごく控えめ。おかげでさほど酔うことなく、紅白をゆっくり堪能することができた。
 ともかくも、無事に我が家で年が越せたことを喜びたい。

 入院手術に関し、思いがけない励ましやお見舞いを多方面からいただきました。おかげさまで、病に正面から立ち向かう勇気が湧いてきました。この場を借りて、厚くお礼もうしあげます。
 ありがとうございました。

2013年12月30日月曜日

「チャグチャグ馬コ」を飾る

 買い出しや雪かきと、ちょっと動きすぎたせいなのか、手術した左わき腹に、やや違和感を昨夜感じた。術後2週間の「要注意危険期間」はとうに過ぎているが、大腸内部の傷口が完全治癒したわけではないらしい。
「じょじょに通常の生活に戻す」と担当医からは言われたが、この「じょじょに」のサジ加減がけっこう難しい。

 ともかくも今日は雪かきを自重し、昨夜降った10数センチの雪かきは、帰省中の息子に頼んだ。無理をせず、年末雑事で唯一残っている正月の飾り付けをやる。


 戸建て住宅に引っ越してからは、ずっと1階と2階の両方に鏡餅を飾っているが、今年はデザイン系の仕事があまりなく、2階の仕事部屋に飾る分を省くかどうか、かなり迷った。結局はいつも通り2個飾ったが、もしかすると今回が最後かもしれない。
 玄関ホールのゲタ箱上に飾るグッズは、ほぼ定番品ばかり。干支にちなんだ「チャグチャグ馬コ」の人形だけが初登場である。
 夕方、母の暮らす施設の入居費が自動引落しされているかどうか、月末に確認する必要があったことを思い出す。ちょっと迷ったが、歩くだけならよかろうと、2キロ弱の距離を歩いて郵便局に向かう。
 11月中旬に施設を移動したので、2つの施設に支払い義務が生じるが、新しいほうの施設は自動引落しの手続きが間に合わなかったことを確認。ATMでの支払いをその場で済ませた。

 帰路、スーパーに寄って主に菓子類やツマミ、乾杯用の発泡ワインなどを調達。雪道で転んではいけないので、背中のデイパックに入れて持ち帰った。ここ数日の雪続きで、道端にはいつの間にか巨大な雪の山。いつもと変わらぬ冬景色である。

2013年12月28日土曜日

クエン酸効果

 暴風雪ではないが、朝から断続的に雪が降り続く。近隣アメダスによると、15センチ近くは降った模様。周辺の家々から、除雪の音が忙しく聞こえてくる。
「無理しない」が昨今のキーワードなので、午後イチで電動除雪機を引っ張りだし、今年2度目の電動除雪。所要時間を正確に計ってみたら、ちょうど15分で玄関前~駐車場~客用駐車スペース~前面道路までを除雪し終えた。
 電動除雪機は消費電力800Wなので、電気料金は5円強。こんなふうにマメにやれば、一冬に20~30回程度やったとしても、大きな出費ではない。

 これまで電動除雪機はずっと組み立てたままで使ってきたが、中間部のネジを緩めると持ち手が簡単にバラせ、半分になることが取説を読み返して分かった。写真のように、玄関土間に置いても圧迫感はない。
 このまま丸1日乾燥させ、その後玄関ホール横にある大型収納にしまっておける。これにより、かなり使い勝手がよくなった。


 今日の地元紙にクエン酸が掃除に使えると載っていたので、コーヒーメーカー洗浄用に買ったクエン酸をさっそく試してみた。すると、確かによく落ちる。
 袋の説明にもあったが、湯あか水あか系の汚れには抜群の効き目。水回り系ステンレスの汚れ、陶器の汚れが劇的に回復した。カルシウム系の汚れにも強いとあったので、便器にも試してみたら、こちらもピカピカ。

 やり方はコップなどに水で濃い目に溶かし、歯ブラシなどにつけてこする。トイレには、トイレットペーパーに浸して直接こすればOK。クエン酸は100均ダイソーの台所用品売場に袋入りの品がある。

2013年12月27日金曜日

一気に大掃除

 午前中から大掃除開始。今年は100円ショップで入手した「折れ曲がる長い隙間ノズル」という新兵器があるため、重い掃除機本体を背負ったり手に持ったりすることなく、大半の作業を床で転がしながらやれた。
 脚立や椅子に昇るシーンもほとんどなく、作業は非常に効率的。傾斜天井を構造梁が走る掃除のしにくい2階も、午前中であっさり終えた。


 午後からは1階に移動。作業途中で妻が勤めから戻ったが、気分が乗っているうちに終わらせたくなり、休憩ナシで一気に作業。たかが隙間ノズルだが、これほど使いやすいとは思ってなかった。
 例年より短時間で終わった別の理由に、先月から今月にかけて実施した大規模な断捨離作業がある。不要品を移動したり、新しく棚を作ったりした折に、掃除も一緒にやってしまったからだ。

 術後3週間が過ぎ、身体もようやく普通に動かせる状態になった。適度な運動も大事なリハビリ&再発予防対策のひとつ。部屋も片づき、一石二鳥である。

2013年12月25日水曜日

自分のペースで歌う

 今年最後となる58本目のライブをチカチカパフォーマンスで締めくくった。思わぬ入院手術で、12月は4本のライブをお断りせざるを得なかった。それでも年間累計ライブ数は、過去最高だった去年の46本を軽く抜き去った。
 自らの意思でエントリーするチカチカパフォーマンスは集客ノルマもなく、参加費も不要。仮に失敗しても誰かに迷惑をかけるわけでなく、全て自己責任である。
 つまりは大半が自分のペースでやれるので、ストレス度は極めて低い。来年はライブ数を大幅にセーブするつもりだが、チカチカパフォーマンスに限っては、例年通り月2回ペースでやりたいと思っている。
 当初エントリーしたのは17~20時の夜の枠だったが、直前に昼の枠にキャンセルが出て、急きょスライドさせてもらった。第5期からメンバーが急増し、以前よりも枠の割当てが相対的に減っている。空きがない場合は夜の枠もやむを得ないが、なるべくなら平日の昼間に歌いたい。


 事務局に行ったら、会場が北4条広場から北3条広場に変更になっていた。この日は3組の共演だったが、すでにアコースティック男女ユニットのミチカムさんが会場入りしていた。
 広場到着が13時50分で、この日もPAはマイクスタンドに直接吊るす簡易方式。スタンバイは数分で可能だったが、トップは先着の新メンバーであるミチカムさん(何と、はるばる旭川から参加している)に譲った。

 14時30分から私のステージ開始。ミチカムさんがいい気分を場に作ってくれていたので、その余韻が消えぬうち、素早くセットして歌い始めた。第1ステージではおよそ25分で以下の7曲を歌った。

「ダンシング・オールナイト」「さりげない夜」「レット・イット・ビー(オリジナル訳詞)」「夜が明けたら」「誰も知らない夜(オリジナル)」「グッドナイト・ベイビー」「きよしこの夜」

 第1ステージの切り口は「夜」。最初予定していた枠が夜の時間帯だったので、それに合わせたもの。直前に昼時間に変更になったが、構わずそのまま歌った。
 集客のピークは「レット・イット・ビー」あたりで、15名ほど。この日は穏やかな天候にも関わらず、人の流れは悪かった。年末を控えて皆忙しのか、足取りも早く、立ち止まる人もごく少ない。
 術後3度目のライブで、位置づけとしてはまだまだリハビリの段階である。集客は気にせず、自分のペースで淡々と歌い継ぐ。それでもCDが1枚売れた。
 ミチカムさんのステージをはさんで、15時30分から第2ステージを始める。およそ20分で6曲を歌った。

「グッド・バイ・マイ・ラブ」「河のほとりに」「夜が明けたら」「二人の世界(初披露)」「独り(オリジナル)」「雪が降る」

 第2ステージの切り口は「語りのある歌」である。「雪が降る」や「二人の世界」を歌いたくて、何か共通点がないか?と探したら、双方ともに曲中に「語り」が入っていることに気づく。冒頭に語りが入っている「夜が明けたら」が、結果として重複した。
 我ながらいいアイデアと自画自賛していたが、いざ歌いだすと夕方に差し掛かる魔の時間帯だったこともあって、集客は期待はずれ。まあ、それでも自分のリハビリには充分になった。

 歌い終えたころに、3組目の共演者であるジャグリングのミスターきくちさんが現れる。穏やかな曲調の歌を意識的に選んだこともあって、身をかばわずに歌えるメドがつき、この日の目的は充分に達成された。あとの時間は他の共演者に譲って撤収。
 人前で歌うレベルとしては、だいたい70~80%程度まで回復できた気がする。来月もすでに3つのライブが決まっているが、神経の使う依頼型のライブは、現時点で一つのみ。こんな調子で、無理せずにやっていけたらいい。

2013年12月22日日曜日

断酒会で歌う

 2日続きのライブだった。前日に引き続き、この日のライブも大腸ポリープ発覚前からネット経由で依頼されていて、担当医に詳しく事情を話し、どうにかお許しが出た。
 依頼主はNPO札幌連合断酒会。忘年会で歌って欲しいという。酒席や紫煙のたちこめる場でのライブは原則お断りしているが、会の主旨からして当然アルコールは一切出ない。会場が公的空間なので、完全禁煙。「アルコール依存症から立ち直るための市民組織」ということもあって、喜んでお受けした。

 会場は他のライブでよく行く市内西区の繁華街にある区民センター。あいにく下調べや音響チェック等が一切できない。電話で状況を確認した限りでは、PAに一抹の不安があった。
 無線マイク2本は確実に使えるとのことで、生音でも鳴るヤマハのエレアコを持参。ケーブルが長ければ、有線マイクも使えるかも…、とのことで、小型ミキサーやケーブル、各種コネクターも念のため持参した。
 前夜からかなりの雪が降ったが、日曜なので道は空いていた。約束の13時15分前には着いたが、あいにく駐車場が満車。少し離れた有料駐車場に停め、そこから歩く。
 厳しい真冬日で、雪も間断なく降っている。用心してタイツをはき、毛糸の帽子を持参して正解だった。

 会場に入って、まずは音響のチェック。長いマイク用ケーブルがあり、そこにミキサーからのアウト端子をつないでやれば、音は会場の大型スピーカーから出ることが分かった。
 持参のマイクとギターシールドをミキサーにつなぎ、ミキサーからのアウト端子をコネクター2種類を介して、マイク用XLR端子に接続。以前から準備してあったXLRコネクタが、初めて役に立った。


 機材の準備を済ませて舞台袖で待機。ステージ上では会員によるカラオケが発表されていたが、みなさん達者。直後の13時15分から私のステージは始まったが、ちょっとやりにくい雰囲気はあった。
 最初に音のテスト。幸いに音は一発で出た。ミキサーの音量を調整し、ただちに歌い始める。35~40分程度と聞いていたが、時間の都合で30分くらいに縮めて欲しいという。およそ33分で以下の10曲を歌った。
「涙そうそう」「レット・イット・ビー(オリジナル訳詞)」「つぐない」「ハナミズキ」「宗右衛門町ブルース」「サクラ咲く(オリジナル)」「人生いろいろ」「グッドナイト・ベイビー」「青春時代」「上を向いて歩こう(リクエストによるシングアウト)」

 聴き手は100人前後。ホールは広く、天井も高い。高さ80センチほどの立派なステージもある。モニターは一切ないので、勘で歌わざるをえない。かなり歌いにくい環境である。

 宴は11時半から始まっていて、およそ2時間が経過している。場はかなり間延びした印象で、こちらも歌い手にとっては難しい条件だった。
 モニターがないので、自分の声が出ているのかいないのか、はっきりしない。そこも大きな不安だったが、それでも熱心に耳を傾けてくださる方がかなりいて、ステージ上からそうした方に語りかけるように、ひたすら歌い続けた。
 聴き手は50~60代の男性が中心で、家族(奥様)の姿もチラホラ見える。最初は大人しかった場だったが、「宗右衛門町ブルース」から少し湧き始めた。構成は担当者との打合せで決めたが、もっと演歌系を増やすべきだったかもしれない。
 場が最も湧いたのは、「グッドナイト・ベイビー」。途中でテンポアップする部分で、全体から盛大な手拍子と歓声が起きた。この曲でこれほど強い反応があったのは初めてのこと。おそらく場の気分に合っていたのだろう。

 この勢いで、事前の打合せで決まっていたラスト曲「上を向いて歩こう」へ一気になだれ込むべきか一瞬迷ったが、予定通りに「青春時代」を歌った。これが判断ミス。前曲に引き続き、場は手拍子をしようとするが、テンポが早すぎて続かない。このあたり、実戦から遠ざかっていた弊害だったかもしれない。
 時間が押していたので、そのまま挨拶して舞台を降りようとしたら、期せずして「アンコール」の声。担当者からの「お約束アンコール」ではなく、場から湧いた自然発生的アンコールである。
 機材を再びステージ中央に戻し、ありがたく「また逢う日まで」を歌わせていただく。あとで思ったが、ここも手拍子が起きやすいクリスマスソング、「ウィンターワンダーランド」を歌うべきだった。これまた場の流れを読みきれない、小さな判断ミスである。

 難しい条件がいくつか重なったが、リハビリ的復帰第2弾のライブを無事に乗り切ることができた。

2013年12月21日土曜日

復帰ライブ第1弾

 長いおつき合いのある近隣のグループホームでのクリスマスライブに出演。入院手術後初めてのライブで、大腸ポリープ発覚前から依頼されていたが、力を入れて歌うことをようやく許されたのが、わずか3日前。懸命の調整で、どうにか間に合った。

 昨年は12月に7本のライブをこなしている。施設訪問系を中心に活動している私にとって、9月に並んで12月はイベントの多い月。しかし、今年は思わぬポリープ騒動で、これが2本目である。我が身と相談し、無理ないペースでやっていこうと思う。
 開始時間は早めの11時。いつもは最初からごちそうが並んでいるが、今年は椅子だけが会場に並べられていて、普通のコンサートふう。聞けば、まずは飲食ナシで1時間のコンサートを実施し、その後に食事するという段取りだった。
 聴き手が歌に集中できる環境なので、歌い手としては歓迎である。
(空腹状態ではなく、食後にゆっくり聴いていただくのが理想だが、それは難しそう)


 いつも通り、1番手は私。11時5分くらいに始まり、およそ20分で以下の6曲を歌った。

「函館の女 」「雨のち晴レルヤ(初披露)」「人生いろいろ」「宗谷岬」「浪花節だよ人生は」「ウィンター・ワンダーランド」
 聴き手は職員を含めて50名弱。椅子席横に食事準備用のテーブルが並んでいる関係でスペースに余裕がなく、ステージの前後スペースはかなり狭かった。
 狭いスペースで最前列の方がうるさく感じてしまう問題が別施設で秋にあったばかり。この日は移動時のフットワークを考慮して乾電池式の小型PAを持参したが、それでも音が大きすぎる心配があった。

 歌う位置を慎重に検討し、聴き手に対して少し斜めに立った。さらにボリュームを普段の80%ほどに絞る。この日は手製の木製吊り下げユニットを使い、乾電池PAを初めてマイクスタンド中央に吊るして歌ったが、事前に何度も調整をしたので、何ら問題なく歌えた。狭い場なら充分に使える。


 最初に水を一口飲むのを忘れたせいか、単なる調整不足か、はたまた3週間近い実戦でのブランクのせいか、1曲目の出だし高音部で声が充分に出なかった。一瞬歌い直そうかと迷ったが、声量を少し下げることで、どうにか回避。2曲目からはようやく普段のペースに戻る。
 9月の同じ場でのライブで男女フォークユニット・エイプリルさんと2曲重なった経験から、今回は事前に予定曲を互いにメールで打ち合わせて臨んだ。
 唱歌系の曲は珍しく「宗谷岬」1曲のみ。演歌系中心の構成にしたが、これが最近のこの施設の嗜好である。

 最初は大人しい印象だった場も、後半2曲で一気に手拍子で盛り上がる。だいたい思惑通りに運び、無事に復帰最初のステージを終えた。
 その後、エイプリルさんのステージが20分あり、さらには入居者全員で「北国の春」「知床旅情」を伴奏なしで斉唱。出だしは職員さんの号令から入ったが、伴奏がなくとも、それなりに歌は楽しめるものだと再認識させられた。
 余興終了後に食堂の椅子やテーブルを配置換えし、食事がテーブル上に並べられた。この時間が15分ほどあって、やや間延びした印象。場の段取りとは難しいものである。

 花束やプレゼントなどいただいて、13時過ぎにお開き。家族のような仲間と、今年も楽しい時間を過ごせた。

2013年12月20日金曜日

私が大腸ガンになった訳..1

 ポリープが発見されるまでは、夢にも思ってなかった我が身の大腸ガン宣告。しかし、紛れもない事実であり、否応なく受け入れなくてはならない。ステージ0の初期とはいえ、ガンはガンである。
 今後のことは誰にも分からないが、再発や転移の確率が決してゼロではないことは、過去の統計値が示している。そこで「なぜ我が身にガンがふりかかったか?」を自分なりに分析・検証し、多少なりとも再発予防の指標としたい。
(推定値は、あくまで私個人に当てはめた仮説です)

《飲酒》
 2013/12/16の当ブログですでにふれたように、飲酒が大腸ガンに深い因果関係があるのは明白である。私の場合、ワインを飲む日は非常に少なく、毎日の発泡酒に加え、日本酒と焼酎のお湯割りを交互に飲む、というパターンが大半だった。
 試算によると、総エタノール摂取量は焼酎の場合は適量。日本酒の場合に基準値(日本酒1日1合)を20%オーバーする。月換算だと半分の10%オーバー。つまりが日本酒換算で1日1.1合となる。
 日本酒1日1合の場合で大腸ガンリスクが1.1倍だから、これが10%増えたとしても、そう大きな比率増とはいえず、ただちにこれが大腸ガン発症の主原因とは考えにくい。

・飲酒による大腸ガン発症比率=推定10%
・今後の対策:晩酌を従来の半分程度に落とす。(すでに実行中)大量飲酒につながる場(宴会など)は極力避ける。

 信頼できる統計によれば、完全禁酒よりも週に1回程度の飲酒は、逆に大腸ガン発生率が80%に下がるという。担当医も「適度なら構わない」と言っているので、酒を絶つ予定はいまのところない。


《喫煙》
 23~31歳まで9年間、1日20本前後のタバコを吸っていたが、独立を機に禁煙し、以来32年間1本も吸っていない。家族に喫煙者もいない。受動喫煙が怖く、紫煙の立ち込める場には、極力近づかないよう努めている。
 先の信頼できる統計によると、30歳までに禁煙した人に大腸ガンとの因果関係はないという。私の場合、禁煙するまでに1年多いが、ほぼ同じ傾向と思われる。

・喫煙による大腸ガン発症比率=推定0%
・今後の対策:受動喫煙も含め、これまでの手法を守りぬく。

《食事》
 豚・牛・羊などの赤肉(加工肉を含む)を多量に食べると、大腸ガンの発生率が飛躍的に上昇することは、多くのサイト情報から得られる。その適量指標値にはバラつきがあるが、週合計で300~500gといったところ。(1日平均で50~60g程度か)
 この数字を妻に示したところ、「すでにあなたはその適正値に入っているわ」と断言した。今回のガン告知で妻は大変ショックを受けていて、(私の食事が原因かも…)と一時は落ち込んだ。
 しかし、我が家では肉と魚が交互に食卓に並ぶのが基本。私が好むのは大腸ガンリスクとは無縁の鶏肉で、牛肉や羊肉は、ほとんど食べない。しかも元来が少食で、ガンの主原因となるほど食べているとは考えにくい。
 このほか、脂質(油)を多く含む食品も大腸ガンリスクを高めるらしいが、これに関しては具体的な指標が見つからない。(ガンとは関係なく、成人1日の標準脂質摂取量=50g、という説あり)妻に比べ、即席ラーメン(1個で脂質20g前後)を昼に多く食べる傾向にある私は、その分摂取量がやや多いかもしれない。
 また、繊維の多い食べ物が大腸ガン発生を抑制するという説があるが、統計によれば明確な因果関係はないという。珈琲も大腸ガンを抑制すると言われるが、結婚後の40年間、日に2杯の珈琲を飲み続けている私でも効果はなかった。
(珈琲を飲み続けていたからこそ、ステージ0で留まった、という考えもあるが)

・食事による大腸ガン発症比率=推定10%(脂質の分)
・今後の対策:朝のトーストにつけるマーガリンを蜂蜜に替える。昼の即席ラーメンを半分に減らし、食べる場合も脂質の少ないノンフライ麺(1個の脂質5g以下)にする。フライや天ぷら類も極力減らす。
(その2に続く)

私が大腸ガンになった訳..2

「なぜ我が身にガンがふりかかったか?」を自分なりに分析・検証した続編。
(推定値は、あくまで私個人に当てはめた仮説です)

《運動》
 運動不足が万病の元であることは以前から知られているが、ガンもその例外ではない。市の健康診断で血糖値が危険値を指し、保健センターに丸一日缶詰になって指導を受けたのは7年前のこと。
 その原因として運動不足が指摘され、週に3~4回、早足での散歩を勧められた。以来、指導を守って家事を含めた運動に努めた結果、血糖値は1年で正常値を回復。以降も同じ習慣を維持しており、血糖値に異常は見られない。
 これにより、健康維持のための最低限の運動はやっていると思われ、運動不足が今回の大腸ガンの主原因であったとは考えにくい。

・運動不足による大腸ガン発症比率=推定10%(家にこもりがちなことは事実なので)
・今後の対策:散歩の回数や距離を少し増やすよう心がける。

《遺伝形質》
 ガンが種類によって遺伝する傾向があることは、多くの事例があるらしい。消化器系では大腸ガンが特に遺伝傾向が強いとか。しかし、私の両親や祖父母に大腸ガンを患った者はいない。
 父は93歳の天寿をまっとうし、母も93歳で存命。ガン遺伝子の影響を最も受けやすいと言われる両親に、ガンの病歴はない。
 父方の祖父は中風、祖母は脳溢血で亡くなった。母方の祖母は老衰、そして祖父が食道ガンで60代後半に亡くなった。これが私に最も近い肉親で、唯一のガン患者である。
(父母の兄弟にガン患者はいない)

 ネット情報によれば、食道ガンの遺伝性は薄いというが、ガンになりやすい体質の遺伝はあるかもしれない。母の家系は従兄弟や叔父叔母まで範囲を広げると、複数のガン患者がいる。私にその体質が受け継がれていてもおかしくない。

・遺伝形質による大腸ガン発症比率=推定30%(体質的な遺伝)
・今後の対策:DNAは変えられないので、こまめな検診を心がけ、他の危険因子抑制に努めるしかない。


《ストレス》
 ストレスとガンの因果関係に関しては、他の因子のように明確な指標がないので、はっきりしない。しかし、発症に強く関わっていると私には思えるし、そう指摘する専門家も数多い。
 独立前に9年間勤めていた会社で、40代の働き盛りの中間管理職が短期間に4人もバタバタとガンで亡くなった。私の退職直後のことだったが、当時の成長分野である公害防止関連企業だったので、心身共に非常に消耗する立場であったことは間違いない。

 ストレスにもさまざまなタイプがあって、同じ状況下でも人によってストレスになる場合とそうでない場合があるように思える。
 完全に個人的見解だが、ガンで若死にした人やガンにかかった人、さらには我が身を振り返ってみると、人生に否応なく関わってくるさまざまな問題を、自分の身に抱え込んでしまうタイプの人は、ストレスにつぶされる。すなわち、ガンにもなりやすい。
 反対に、諸問題を他人のせいにしたり、他に丸投げしてしまうタイプの方は、たくみにストレスから免れ、結果的にガンは背負い込まない。どうにも不条理だが、それがこの世の悲しい摂理だ。
 仕事はもちろんのこと、気分転換になるはずの趣味やボランティア活動も、場合によってはストレスの要因になる。それは私自身が数多く体験している。
 人と関わらず、仙人のような暮しをすればストレスから免れるかもしれないが、禁酒生活と同じで、そんな人生に魅力は感じない。ストレスのコントロールは現代人にとって大きな課題だ。

・ストレスによる大腸ガン発症比率=推定40%(特に5~6年前に複数の強いストレスの心当たりがある)
・今後の対策:我が性格は変えようがないので、仕事は自分のペースを守り、趣味やボランティア活動のあり方全般を見直す。ストレスの原因になりそうな場は極力避け、状況を作らぬよう心がける。

 以上の結果をまとめると、仮説に基づく私個人の大腸ガン発症要因推定値は、

・飲酒10% ・食事10% ・運動不足10% ・遺伝形質30% ・ストレス40%
(合計100%)

 遺伝形質以外の要素を少しでも減らすことが、今後生き残るための大きな目標のようである。

2013年12月19日木曜日

オンラインストレージ見直し

 ガン宣告後最初の夜は、いつも通り2時近くに就寝。週末の施設訪問ライブに備え、夕方に1時間も集中練習したせいか、すぐに眠りについた。
 いまさらジタバタしても仕方ないと腹をくくったつもりでいたが、明け方にトイレに起きた際、ちょっとガンのことが頭をかすめ、しばらく布団の中で起きていた。
 じょじょに普段のペースに戻すべく、布団の片づけや食器洗いなど、家事分担も復活。天気がよいので、久々に軽い散歩にでようと一瞬考えたが、こちらは自重。ちょっと動きすぎたのか、はたまた明け方の眠りが浅かったせいか、昼食後に睡魔に襲われ、居間のベンチで30分ほどうたた寝してしまう。
 その後、オンラインストレージの見直し作業を延々とやる。目下利用しているサービスは以下の通り。(いずれも無料)

・ドロップボックス:5.25G
・ヤフーボックス:50G(ヤフーBB会員の特典)
・グーグルドライブ:15G(メール容量共)


 予備機として最近購入したMacBookと常用ファイルとの完全同期を図ろうと、今回いろいろ調べてみたが、ハードディスク感覚で直感的に扱えるのは、やはり使い慣れたドロップボックスであるという結論に至った。

 ドロップボックスの場合、仮にAというファイルがあったとして、PC内の専用フォルダに作られたスペースに収納すると、ただちにネット上のスペースにも同じ内容のファイルが転送される。
 AというファイルをPC上で修正・更新すると、ただちにネット上にある同じファイルも更新される。いわゆる「同期」という一連の動作だ。
 他のPCにドロップボックスをインストールしておけば、同様に同じ名のAというファイルが自動的に専用フォルダ内に作られ、内容が更新された場合も、起動直後に修正される仕組み。
 つまり、わずらわしい「バックアップ」という作業から解放されるということで、仮に災害でPCを全部失うようなことがあっても、ネット上にファイルは全て残っているので、身一つで避難しても困ることはない、という便利な仕組みである。

 今回確認してみたが、どうやらグーグルドライブも同じ仕組みのようだ。ただ、こちらは文書ファイル作成など、他の余分な機能があって、それが私には邪魔に感ずる。
_対してヤフーボックスは50Gという大容量が魅力。しかし、ドロップボックスのような完全同期機能はなく、ファイルAを転送したのち、PC内に残ったファイルに修正を加えたとしても、ヤフーボックス内のファイルは古いままだ。
 変更するにはその都度ファイルを転送し直す必要があり、毎日のように修正を加える常用ファイルには向いていない。
 ただ、その容量の大きさは魅力で、ログインすれば、どのPCからでもアクセス可能。修正する可能性の低い、大容量のアーカイブ的ファイルの収納には向いている。PC内に同期用のスペースが必要ないので、ハードディスク容量を圧迫する心配もない。

 今日はドロップボックス内に入れたファイルを再度吟味し、仕事関連のいくつかのファイルをヤフーボックス内に移した。その後、不要になったファイルは消去。ドロップボックスの空きスペースが7%ほど増え、各PC内のハードディスク容量にも余裕が生まれた。
 大地震や火事などの災害はないにこしたことはないが、人生何があるか分からないと昨日思い知ったばかり。備えれば、不安からは解放される。

2013年12月18日水曜日

大腸ポリープは悪性

 2週間前に摘出手術をした大腸ポリープの病理検査の結果が出た。結果は悪性、つまりガンだった。(摘出した2個のポリープの両方にガンを確認)漠然とした予感はあり、ある程度心の準備もしていたので、担当医から告げられた際も大きな動揺はなく、(来るべきものが来たか…)というのが正直な実感だった。
 ただ、ガンのレベルは5段階中最低のステージ0、「大腸粘膜の中にとどまっているガン」で、いわゆる早期の大腸ガンという診断。病巣は今月上旬の手術で完全に摘出してあり、手術時点での取り残しはない。縫合部の再出血等もなく、術後の経過は良好である。
 今後の治療方針は、およそ以下の通り。

・抗ガン剤投与や放射線治療、新たな手術は当面しない。
・3ヶ月後に他臓器に転移がないかどうか、腹部全体をCTスキャン検査。
(深い部分にガンが浸透してないか、そこから転移してないかの確認)
・その1週間後に、内部病巣の取り残しがないか、再度の内視鏡検査。

 転移や取り残しを明確にするには、術後3ヶ月の経過期間を置く必要があるという。


 生活はじょじょに元のペースに戻してよく、弾き語り活動もほどほどなら構わないとのこと。深酒や過度の赤肉食、運動不足にストレスは大腸ガンの誘因にもなっていたと思われ、今後も禁物のようである。
(飲酒自体は適度であれば構わない)

 かくして、ガン患者の仲間入りとなってしまった。気持ちとしては青天のヘキレキ、といった感じだが、こうなってしまった背景は、自分の健康に対する過信があったように思える。
 若い時期に軽度の結核にかかったことがあり、肺のレントゲン検査には「痕跡あり、自然治癒」といまでも記される。何かの雑誌で「結核患者はガンにかかりにくい」と読んだことがあり、父親の家系にガン患者が皆無なこともあって、体質の似た自分はガンとは無縁と決め込んでいた。

 64歳になるまでガン検診など受けたことがなく、入院や手術とも無縁。それもこれも単なる思い込み、油断であったということだ。どうやらガン家系の母の遺伝子を受け継いでしまったらしい。今後は真面目にガン検診を受け、生活習慣の改善にも努めたいと思う。
 ガンであったことを知って、驚いたのは本人よりもむしろ周囲だった。ブログを読んで安否を尋ねてきた姉や息子、良性と信じて疑わなかった妻、さらには手術前から気遣ってくれた友人知人など。やはりガンは日本人にとって、まだまだ「死の病」であるらしい。
 ポリープが柔らかく、便に押されて割れて出血に至ったことが早期発見につながり、その意味では非常にラッキーだったと、担当医は言ってくれた。
 ただ、仮に3ヶ月後に転移や取り残しがないと確認されたとしても、身体にバクダンを抱え込んでいる事実は変わらない。

 ステージ0の大腸ガンの5年後の生存率は95%であるとか。(他の疾病による死亡も含む)つまりは5%分の死のバクダンである。
 私の両親が93歳という長寿(母はまだ存命)なので、先に死ぬのは自分、と常日頃から決め込んでいた妻だったが、決してそんなことはないという事実を今回突きつけられ、かなり動揺している様子がうかがえる。
 時が経てば、それは次第に心の準備へと変わってゆくに違いない。何があるか分からないのが人生だが、備えることはできる。

2013年12月17日火曜日

久々の自宅セッション

 20年前に所属していた中年サッカーのチームメイトがネットで偶然私を見つけ、7月末に介護施設訪問ライブを見学にきてくれたことがある。そのミツルさん、私と同い年だが、あまり人前で歌う機会がないということで、それでは我がTOMスタジオにぜひ一度おいでください、という話になった。
 先月末に来訪の打診があったが、あいにく長男夫婦の帰省や旅行、そして手術や入院が重なって順延。術後12日を経過した今日、ようやく来ていただくことになった。

 幸いに雪も少なく、車を停めるスペースにも問題はない。13時過ぎにインタホンが鳴り、機材一式を搬入。立派なケースに入ったフォークギターとガットギターがそれぞれ1台ずつ。譜面台やギタースタンドまで準備していて驚いた。
 家や健康の話題でしばし盛り上がったあと、14時少し前からセッション開始。


 PA等の準備は事前に整えてあり、椅子とマイクセットが高低各1台ずつ。最初は私が立って歌った。
 このところほとんど練習していないので心身共にブランクがあり、何を歌うべきか判断不能。咄嗟に暗譜していて無難な「雨が空から降れば」を歌ったが、喉の調子はいまひとつ。まあ、今日の主役はミツルさんである。1曲だけで切り上げてバトンタッチ。

 続いてミツルさんがガットギターで椅子に座って歌い始める。曲紹介ナシだったが、得意の叙情演歌である。前奏、間奏、後奏に自在にメロディを入れる奏法で、私には実にうらやましい限り。
 夏にお会いした際にスマホに録画してあった演奏動画を聴かせてもらっているので、だいたいの様子は分かっていたが、やはりライブはひと味違う。細部の音程が安定していて、非常に聴きやすいボーカルに感心させられた。
 あとで確かめたら、1曲目は香西かおりの「酒のやど」だったそう。その後、私の知らない三橋美智也の歌など、全体としてマニアックな選曲が多かった。聴きながら私が勝手にリクエスト。「リンゴ村から」「影を慕いて」「別れの一本杉」など、ほとんど譜面を見ずに自在に応えてくれる。
 不思議に思って確かめたら、キーとカポの位置だけ覚えていれば、メジャーな演歌はだいたい弾けるという、信じがたい話。「自宅で歌うのとは全然違って、上がりますね~」などと言いつつ、次第に興に乗って1時間近くもあれこれ歌ってくれた。

 体調がいまいちなので、この日の私はもっぱら聞き役。15時くらいから、PAの説明をかねて、演歌を数曲歌う。その後、パソコンの前に移動して、曲の歌詞やコードの探し方、譜面データベースソフトへの落し込み方、pdf変換してタブレットPCへ移動させる手段など、ブログには詳しく記せない「裏ワザ」も含めて伝授した。
「伝授」と書いたのは、ミツルさんもいずれは介護施設でボランティア演奏をしたい、という構想があるから。ボランティア仲間が増えるのは嬉しい限りで、場の紹介も含めて、あらゆる協力は惜しまない。

2013年12月14日土曜日

晩年の心構え

 子供たちが自立して全員家を出て以来、私が家をあけたことは過去に一度しかなかった。9年前に新潟の家を設計する際に、打合せで一晩だけ留守にしたときがそれ。
 妻は基本的に独りで家にいることを好まない。当時もよく眠れぬ不安な一夜を過ごしたと聞く。新婚当時、高松に転勤になった際も神戸への社内旅行で一晩だけ家をあけたが、同じような不安にとらわれたらしい。

 若き日に40日間に及ぶ単独自転車放浪旅行を経験したこともあり、独りで暮らすことには慣れている。妻が3泊4日の旅行に出かけたことも過去にはあったが、元来が「独り上手」で孤独を愛する質。家事もそつなくこなすし、独りで過ごす夜も普段とそう変わらないペースである。


 実は12月上旬の3日に及ぶ入院は、私にとっても生涯初めての体験だったが、妻にとって初めての大きな試練でもあった。果たして妻がどのように3日間を過ごすのか、老後にむけてのちょっとしたシミュレーションでもあったのだ。
 普段は多くの家事を私が分担していることもあり、戸締まり以外に妻がそれをどの程度こなせるのか、はたまた誰もいない孤独な二晩をどう過ごすのか、入院中も自分の身体はさておき、そのことが時折頭をかすめた。
 退院後、仕事から妻が戻っていない家の中は、案外片づいていた。食器もきちんと洗ってあり、布団も畳んである。新聞もしまってある。唯一気になったのは、洗面台のわずかな汚れくらい。
(私は毎日寝る前に洗面台を手のひらで掃除する習慣がある)
 帰宅後に妻に確かめたら、独りの夕食もそう寂しくはなかったという。時を経て、妻の精神も随分とたくましくなったようだ。
 ただ、「独りだとお酒がすすむわね」とも妻は言った。普段は1杯しか飲まない水割りを、つい2杯飲んでしまったと。私が独り留守番しているときは、逆に早く酔ってしまい、普段より酒量が減ってしまうほどだが、このあたりに微妙な気質の違いがあるように思われる。

「これまであまり考えたことがなかったけど、万が一独り残されたときの心構えが、今回の入院で出来たわ」と妻は総括。私も手術や入院という、人生の晩年に備えた大きな体験ができた。災いも考え方ひとつで、プラス思考に変わる。

2013年12月13日金曜日

かすかな予兆

 先月末のハナシ。メインPCであるMac-miniの起動音がまたしなくなった。「また」と書いたのは、少し前にも同じことが起こり、その際は「PRAMのリセット」という手段で回復していた。
 しかし、こうも度重なるのは、何かしらの予兆ではないか?と考えた。人間の身体と同じで、PCも弱ってくると、必ず何かしらの異常が現れる。そのかすかな予兆を見逃さないことだ。

 調べてみると、買ってからはや2年半が経つ。そろそろハードディスクに問題が起きてもおかしくない時期だ。問題点を探るため、購入時についてくるシステムDiskを入れてCDから起動させた。


 メニューから「ディスクユーティリティ」を選び、First Aidでハードディスクの診断を試みる。すると、これまで見たことのないエラーメッセージが、赤文字で次々と表示されるではないか。
 診断と修復を同時進行で行う選択をしていたので、問題点はその場で次々と修復。ほどなくして作業は終わったが、不安なので念のため、もう一度同じ作業をやった。
(さすがに2度目は「問題なし」の診断)
 ピンと感じた「予兆」は正しかったわけで、放置していたら大事に至った可能性が高い。ヒトもPCもトラブルには早めの判断と対策が必要のようだ。
_マックの場合は以上の方法でたいていの問題点は解決できるが、(できない場合、多くはハードディスクの交換となる)Windowsの場合、システムDiskで同じような修復作業は、たぶんできないはず。
 以前にブログでふれた「廃棄時にハードディスクにゼロを書き込む」という作業も、マックのシステムDiskでは可能だが、Windowsではできない。他のソフトを買ってやるしかなさそうだが、Windowsの使用頻度は極めて低いので、いまのところ準備する気はない。

2013年12月12日木曜日

CDコンポを断捨離

 今年最後の燃えないゴミ収集日である。カセットデッキとプレーヤーが内蔵されてるせいで、小型家電リサイクルで収集不可能と分かった古いCDコンポセットを出すつもりでいたが、問題がふたつあった。

 ひとつはCDコンポの大きさ。手持ちの20L指定ゴミ袋では入りきらず、分解して小さくすることも不可能。やむなく自宅木壁残材を廃棄した際に使った40L指定ゴミ袋を、再度買ってきた。
 仮に最大サイズの40L袋にも入らなかった場合、費用の高い大型ゴミとして出すしかないが、祈る気持ちでやってみると、測ったようにピタリ入った。本体寸法が33cm×34cm×高さ38cm、スピーカー2個を重ね、プレーヤーを横の隙間に差し込んだ寸法が28cm×38cm×高さ45cmである。


 さて、こうして首尾よく袋に詰め込むことはできたが、次なる問題はゴミステーションまで、いかにしてこれを運ぶかである。
 先日の大腸ポリープ摘出手術で予期せぬ生活制限がかかってしまった。「重い物を一切持たない」がそのひとつで、私の見通しが甘く、CDコンポは手術前から2階に置いたままである。

 階段の昇り降りそのものにも制限があるので、やむなく妻に前日、1階までの運搬をまず頼んだ。そして当日の今日、玄関から車までの積み込み、さらにはゴミステーションへの収納までの一切を、妻に頼らざるを得なかった。
 私のやったことは、袋への詰め込みと車の運転のみ。普通なら全てを一人でやってしまうが、生涯にそう何度もないであろう非常事態なので、やむを得ない。おかげでスッキリ断捨離して新年を迎えられそうである。
 その大腸ポリープ手術を実施してから、ちょうど1週間が過ぎた。術後の1週間は特に危険な時期と言われているが、節制のかいあって、いまのところ再出血や腹痛などの悪い兆候はない。魔の期間を無事に乗り切ったようだ。

 午後から妻と買物に行った折、特に制限のないノンアルビールを買って乾杯でもしようかと、売場前で一瞬立ち止まったが、そうでなくても妻に日々の献立等で頭を悩ませている我が身。しょせん飲んでも飲まなくてもいいものなので、結局やめた。
 いま肝心なことは、一刻も早く正常な身体に戻すことである。

2013年12月11日水曜日

カフェインの功罪

 大腸ポリープ手術後の安静を保つために、珈琲を全面的に禁じられたことはすでにふれた。20歳過ぎから毎日のように本格珈琲を飲んでいた身にとって、突然2週間も絶たれるのは、身体のためとはいえ、さすがにつらい。
 医者から聞かされた当初は、「珈琲のいったい何がいけないの?」と、不思議だったが、ネットで情報をかき集めるうち、いろいろな新しい発見があった。要は珈琲に限らず、「カフェイン」なるものの功罪に意味があるようだ。

 身近な食品で最もカフェイン量が多いのは、やはり珈琲。1杯(150ml)のドリップ珈琲に100mg含まれている。紅茶がティバック1個で35mg、およそ1/3に過ぎない。栄養士から「薄い紅茶なら飲んでいいですよ」と言われた所以。
 退院後は朝食時に300mlの湯で紅茶1パックを落とし、まず牛乳を少し入れ、残りは3時のお茶まで2回に分けて飲んでいる。


 ネットで調べると、食品全般に含まれるカフェインで最も含有量が多いのは玉露の180mgだが、私は一度も飲んだことがない。
 意外だったのが、私の好物であるチョコレートにもカフェインが含まれていたこと。一般的な板チョコ1枚55gで22mgと珈琲に比べるとわずかだが、幼き頃に「チョコレートを食べ過ぎると鼻血がでる」とかナントカ母に脅かされたのは、まんざら方便でもなかったようだ。
 そういえば「ショコラ」という洋画に、チョコレートが一種の媚薬のように扱われるシーンがあるが、こちらも同じくカフェインのなせる仕業であろう。

 かって一世を風靡した「コーヒー・ルンバ」という歌の中でも、珈琲が媚薬として扱われている。カフェインには覚醒作用があり、適度であれば認知症予防にも効果があるとか。
 カフェインの効用については多くの情報があるが、驚いたのは糖尿病、肝臓ガン、大腸ガン、動脈硬化予防にも効くという記載。まさに「薬」である。
 対して、弊害もけっこう多い。カフェインの副作用で「胃腸障害」との情報もあるので、今回の手術で禁じられた理由はこれか。驚きの連続だが、副作用のひとつに「不整脈」とあったこと。媚薬にもなり得るほどの刺激は、ときに心拍に悪い影響を及ぼすというのも、よく考えるとうなずける。
 以前から正体不明の不整脈に定期的に悩まされてきたが、精密検査でも心臓に異常はなく、原因はストレスにあると思われた。そんなときも毎日2杯の珈琲を欠かしたことはなかったが、症状のひどいときは、しばらく珈琲はやめるか減らすのが身のためのようだ。

 大腸ポリープ手術を機に、カフェインとの上手なつきあい方を学んだ。

2013年12月10日火曜日

禁欲的療養生活

 手術から5日、退院から3日経ったが、大腸内部の縫合部が大きかったこともあり、術後2週間は入院時に近い療養生活を強いられている。いま、そのまっただ中だ。
 食事や運動、生活全般に厳しい制限があり、もし守らなければ患部の再出血→再手術という、最悪のシナリオになる。それだけは避けたい。
 要点を箇条書きにしてみる。

《禁止された食品等》
・アルコール、珈琲、濃いお茶
・辛いもの(カラシ、わさび、唐辛子)
・脂っこいもの(フライ、天ぷら、ラーメン、即席麺)
・繊維質の多い野菜類(ゴボウ、山菜、タケノコ、レンコン、きのこ)
・海藻全般(わかめ、昆布、ひじき)
・生野菜、漬物、刺身等の生もの

 腸の負担となる「刺激物」「消化の悪いもの」が基準。具体的な指示はなかったが、ソバ、こんにゃく、油揚げ、納豆、貝類(牡蠣はOK)なども避けたほうが無難だろう。


《禁止された運動・生活等》
・すべての運動
・散歩、自転車
・長距離の車運転
・雪かき
・重い物を持ち上げる動作(布団の上げ下ろし等)
 腹筋に負担がかかる行為は縫合部断裂につながる恐れがあり、全て不可、という基準である。過去の症例では、要注意期間中に自転車に乗り、縫合部が切れて再手術となった例があるという。怖い話だ。
 イメージとしては、ギックリ腰になった際の生活にかなり近い。階段の昇り降りも最低限にするよう言われたので、家の中でも用事をまとめておき、階移動を少なくするよう心がけている。

 私の担当だった布団の上げ下ろしは妻に代行してもらうとして、心配なのは雪かき。腰痛もちの妻は、普段は雪かきをしない。今年の札幌は少雪で助かっているが、万一大雪となった場合、ギックリ腰のひどい時のように、妻に代わってもらうしかない。


 そんなわけで、日々の食事もまるで修行僧のようにストイックなもの。アルコールや珈琲のない生活も、いざやってみると慣れるものだが、毎食が消化のよいものばかりで、すぐに空腹となってしまう。
 手術前と術後とで、体重が2.4Kgも減ってしまい、結婚後数十年の最低値50.8Kgを記録した。食べる量を増やし、体重増に努めたい。

 術後と決めていたクリスマスの飾り付けを今年も無事に行った。いつもは1階ゲタ箱の上に飾る籐製ツリーを、今年は気分を変えて2階カウンター上に置いた。ささやかな祭り事だが、こんなことが生きている喜びなのかなと、しみじみ思う。

2013年12月7日土曜日

大腸ポリープ摘出手術..後編

 術後3日目の朝が明けた。なぜか誰も起こしにこないので、ダラダラと7時近くまで惰眠をむさぼる。朝食は夕食の12時間後の7時15分からだと思い込んでいたが、待てど暮らせどやってこない。
 入れ替わりに病室に現れるのは、部屋の掃除やゴミの回収、腕にはめたリングタグの確認やら、カーテンの開け閉めなど、雑多な用事の方々。看護士の検温や栄養士の食事指導もこれに加わるので、病院とは実に多くの人々が働いているのだと、入院してみて初めて分かった。

 8時15分に待望の朝食。この病院では「15分」という時刻が食事の定刻になっているらしい。
 メニューは期待したパンではなく、普通の和食。全粥に味噌汁(具は大根)、とろろ汁に焼売&蒲鉾卵巻き&野菜煮物、そして牛乳という、てんでバラバラな組合せ。食事に飢えているのできれいに平らげたが、入院中の4食のうち、最もいただけない内容だった。


 術後4度食べても全く便意をもよおさないのが少し不安だったが、その後特に出血はなく、腹部の膨張感や痛みもない。体温や血圧も正常値で、退院を阻害するデータは何もなかった。

 9時半、主治医がやってきて退院の宣告。退院後の生活に関し、特に2週間は入院時に近い安静を強く求められた。食事にも厳しい制限があり、当分はストイックな生活を強いられる。
 病理検査の結果が中旬に出るそうで、それに合わせて再受診する日が決められた。いよいよ退院だ。
 忘れ物がないよう、指差し確認しつつ部屋を点検。病室のある5階から1階へと下って、退院専用窓口で入院費の精算を行った。
 費用は52,000円強。これには寝具等のレンタル費や食事代もすべて含んでいる。面倒な手術の割には、案外安かった。最初の受診と2回目の内視鏡検査で15,000円強かかっているので、これまで病院に支払った総費用は7万円弱。

 支払いは現金のほか、クレジットカードやデビットカードが利用可能だが、今回は現金を持ち歩くのを避け、最初からカード決済でいこうと決めていた。アマゾンギフト券0.5%のポイント還元がつくUCカードを選択。
 その後、受付横にあるテレビカード精算機で残った分を精算。760円が戻ってきたので、テレビを観た時間は、2日間で5時間弱ということになる。


 10時、全てが終わって外に出ると、幸いにカラリと晴れている。帰りは地下鉄とバスと決めていたが、地下鉄はわずか一駅。階段の昇り降りが内臓の負担となるのが怖く、通りから見ると、地下鉄終点駅がすぐ近くに見える。地下鉄はやめて、1キロほどを歩くことにした。
「腹筋を使う運動はいけない」ときつく言われていたので、普段よりもかなりペースをおとし、15分かけて終点駅に到着。自宅方面行きのバス停を探し出すのに手間取ったが、運良く5分後に出るバスがあり、11時ころには自宅に着いた。

 初めての入院だったが、とりあえず無事に家に戻れたことを喜びたい。そして健康の有難味を思い知った。
 今回で第1段階はクリアしたが、患部が癒着するまでに無理をすれば、再出血再入院ともなりかねない。第2段階ともいえる今後の2週間を事故なく過ごすのが、次なる目標である。「闘い」は、しばし続く。

2013年12月6日金曜日

大腸ポリープ摘出手術..中編

 入院2日目。起床時間は6時だったが、ぐっすり寝込んでいて、6時15分の検温で起こされた。実は明け方3時にガスに混じって血便が少し出た。用心してティッシュ2枚をナプキン状に当てていて正解だった。
 事前に言われていた通り、すぐにトイレからナースコールし、状態を確認してもらう。当番の看護士さんは、寝ずの番である。
 起床後の7時半にも軽い便意を覚えた。1日半近く食べていないので、何も出るはずがないが、トイレに走ると、また小指ほどの赤黒い血便が出た。再びナースコールして診てもらう。
 10時前に主治医がやってきて、いろいろと確認。血便は前夜の手術の残滓であろう、との話。前夜は微熱だった体温も平熱に戻っていて、血圧や血液検査の数値にも異常がなく、腹部の腫れや腹痛もない。
「患部からの新たな出血はないと判断します。退院にむけて、食事を始めましょう」との一声で、遅い朝食が運ばれてきた。


 10時に39時間ぶりの食事。定時の朝食時間はとうに過ぎているので、モーニングロール2個に蜂蜜、バナナに牛乳&お茶という簡単なメニューだったが、これまで食べたことのないような美味い味がした。
 食後、ディルームと呼ばれるフリースペースで時間をつぶす。広くて明るく、ソファやベンチが多数置かれ、飲物の自動販売機、週刊誌、自由に使えるシンクや電子レンジがある。家族の面会にも利用されており、よく考えられた空間だ。

 ここには部屋に常設のテレビ試聴用のカード自動販売機もある。1,000円で20時間視聴可能で、余った分は退院時に精算できる仕組み。
 1日目は気持ちの余裕がなく、テレビを観ようとは思わなかったが、手術も無事に乗り越えた2日目は食事が始まったこともあり、ようやくテレビを観る気になった。1枚購入し、12時15分に運ばれてきた昼食を食べつつ、NHKを1時間半ほど観る。
 BS放送はなく、小型の液晶だが、画面の方向や角度を自在に変えられるホルダーがついていて、なかなか便利である。
 昼食のメニューは、全粥に豚肉の煮物、ビーフンと挽肉&野菜の煮物、キャベツのお浸しにフルーツ。ずっと食べていないせいもあり、何を食べても美味しく感じる。これぞ生きている喜びか。

 ディルームで週刊誌を読んで午後を過ごしていたら、14時頃に妻からの携帯が鳴る。どうということのない内容だったが、容態を案じている様子が言葉尻から分かる。このまま再出血がなければ、明日は退院可能であると告げて安心させる。
 当然ながら病院にオヤツやお茶の時間はないので、許されている飲物の中から「午後の紅茶」を自販機で買い、飲みながら病室でアマゾン・キンドルからタブレットPCに入れてあった「フランダースの犬」を読む。

 実は物心ついてからの入院は今回が初めてで、何かと戸惑うことが多い。小旅行と同じ備品を準備したが、歯磨き用のコップやキシリトールガム、爪楊枝などの細かい日常生活用品を忘れた。
 時間のつぶし方も難しく、テレビは普段あまり観ず、この病院ではネット接続も不可能なので、もっぱら本である。紙の本は2冊で、「無名」の他は三木卓の「野鹿のわたる吊橋」。「無名」は妻の勧めで初めて読んだが、「野鹿…」は10数年前に一度読んでいる。記憶が薄いので持参したが、ラストが不条理ではないところが記憶に残らなかった理由だと再読して分かった。
 その他、タブレットPCに「青空文庫」からダウンロードした多数の小説を入れてあったはずが、SDカードのエラーで全データが消えていた。事前のチェックを怠った失敗。
 本で時間をつぶそうとするなら、最低でも300枚前後の小説を、入院日数分は持ってゆくべき。電子本のほうがかさばらず、暗くても読めるので重宝するが、媒体の充電器も忘れないこと。


 18時15分に夕食が運ばれたが、相変わらずの全粥。おかずは鱈のピカタ(美味)、豆腐と挽肉&野菜の煮物、キュウリ&トマトの甘酢あえ。読書と並んで、食事は入院時の大きな楽しみであると悟った。

 9時に消灯し、30分ほどラジオを聴いて寝ようとしたが、なぜか寝つけない。普段ではありえないが、丸一日何もせずにゴロゴロしていたせいかもしれない。起きて枕元のスタンドを点け、11時過ぎまで本を読んでいた。
 希望していた4人部屋の空きがなく、付加料金なしで個室を使わせてもらったので、かなりの気ままができた。ラッキーである。
(「後編」に続く)

2013年12月5日木曜日

大腸ポリープ摘出手術..前編

 10月下旬の5日続きの血便症状から病院へ、そして11月上旬の大腸内視鏡検査による2個の大腸ポリープ発見という急な流れにより、この日ポリープの摘出手術をする手はずになっていた。
 本当は11月下旬に実施するはずが、あいにく以前から予定されていた息子夫婦の帰省とぶつかってしまい、順延。病院の手術日程は決まっていて、「いつでもOK」とはならない。今回診てもらった病院では、「手術は週末の午後」が基本だった。

 内視鏡検査と同様、前日から検査食を食べて準備。就寝前に最初の下剤を飲み、翌朝6時に薬を飲んで、7時から次の下剤を飲む段取りも全く同じだ。幾分慣れたとはいえ、検査食も下剤もつらいことに変わりはない。
 特に1.8Lの下剤をトイレに駆け込みつつ1時間強もかけて延々飲むのは、やはり「苦行」に近いものがある。
 この日は妻に休暇をとってもらった。内視鏡とはいえ、レッキとした手術である。出血やせん孔により、命を失う可能性もゼロではなく、手術前に提出する同意書には、その旨がちゃんとうたってある。
 検査のときは午前中に来院を促す電話があったが、今回指定された時間は14時半。早朝から準備していたので拍子抜けしたが、タクシーを呼んで早めに行くことにする。
(車での入院は禁じられていた)


 受付で諸手続きを済ませ、着替えて手術用待合室に入ったのが15時ちょうど。なぜか私以外にも2人の患者がいて、まず呼ばれたのが80歳前後の男性。20分ほどで終えて、いよいよ私の番か?と思ったら、次は同年代の中年女性が呼ばれた。
 この女性が入ったきりなかなか出てこず、ひたすら待つ。途中で「遅れてすみません、もう少しお待ちを」と、係員から告げられたが、ようやく呼ばれたときの時計は16時を指していた。
 手術台に上がってすぐに手術は始まった。大腸自体に神経はないらしく、麻酔はナシである。痛むのは器械の出し入れ時や、内視鏡が腸壁に当たったときだけ。すんなり進むはずが、出口に近いほうにある2センチ近いというポリープの摘出でかなり手間取った。
 ポリープが予想外に柔らかく、施術中にちぎれてしまったらしい。腸内にちらばった破片を集める手段に関し、医師2人と看護士が協議。急きょネットを使って集めることになり、内視鏡の出し入れが繰り返された。

 1つ目のポリープ処理だけで、およそ1時間が経過。2つ目は5~6ミリの小さめなポリープだったので、30分ほどで終了。これほど長くかかるとは思ってもみなく、私が最後に回された理由を、このときようやく知った。
 両ポリープとも、根本に太い血管があったそうで、その止血処理にも手間取ったらしい。開いた傷口は、内視鏡先端につけられたホチキスのようなもので10ヶ所近くも固定された。
(「カチッ」と止める音が耳元でする)
 車椅子に乗せられて病室へと移動し、ベットで1時間の安静。その後ようやく水を飲んだり、立って歩いたりが可能となった。妻は入院関連の荷物持ちを担当。付き添いはやはり必要だった。
 辛抱強く立ち会ってくれた妻は、翌日の勤めもあるので18時で帰宅。この日は全く食事ができず、16時から始まった栄養剤の点滴を延々と受けつつ、ベット上で持参した本を読んだり、タブレットPCでゲームをしたりして時間をつぶす。
 入院の連帯保証人になってもらった長男に携帯のCメールで報告。息子からはすぐに返信がきた。この夜読んだ本が、父の入院から死までを息子の視線で描いた、沢木耕太郎の「無名」である。偶然だが、不思議な因縁を感じた。

 消灯は21時。神経がたかぶっているので眠れず、持参のラジオで22時まで音楽を聴いていたが、やがて睡魔に襲われる。早朝から心身を消耗していたせいか、そのままストンと眠りに落ちた。
(「中編」に続く)