2012年12月31日月曜日

ひとまずの年越し

 昨日から室内の湿度が40%を切り始めたので、遅まきながらエコ加湿器を取り出した。今年は湿度がなかなか40%を切らず、加湿器の設置が昨年より1ヶ月以上も遅れた。
 なぜだろう?と理由を考えてみたが、心当たりがあるのは、今年から始めた窓下端の断熱材貼付け。予想以上の効果を発揮し、窓結露は激減したが、結果として室内の水蒸気は結露することなく、空中に留まっているはず。
 はっきりしないが、それが湿度が下がりづらい大きな要因になってるのではないか。


 昼近くに帰省した末の息子と共に、恒例の年越し。いつものように、息子が手配してくれた豪華なタラバガニが主菜の宴である。今年は長男が送ってくれた各種エビスビールも食卓に並んだ。
 そのうち夫婦二人だけとなる日もくるかもしれないが、ひとまずはこんな大晦日である。

2012年12月29日土曜日

売れることの難しさ

 来年からのライブにむけ、新しい曲を仕込んでいる。手始めに大橋純子の「シンプル・ラブ」を練習中。転調の部分がエラく難しいが、どうにか格好がつきつつある。
 歌が上手い人のカバーは避けるのが身のためと分かってはいるが、今年は美空ひばりの歌を何曲か歌い、そう悪い感触ではなかった。何事も逃げてばかりいては成長はない。


 ところでその大橋純子、実は40数年前にちょっとした関わりがあった。彼女が札幌の短大に通っていた頃、(彼女は夕張出身である)地元のラジオ局で深夜放送DJの公募があった。
 確か朝3~5時の枠で、深夜放送全盛時代のこと。好奇心旺盛だった私も応募し、書類審査は通ったが面接であっけなく落ちた。
 その時に合格したのが、まだ無名だった大橋純子である。若い学生を中心に全部で5人くらい合格したはずだが、最もメジャーになったのが彼女。
 ラジオの放送はずっと聴いていたが、当時からマニアックなジャズ系の洋楽ばかりかけていて、他のDJとは一線を画する大人っぽい雰囲気はあった。

 その後メジャーデビューしてすぐ、あの時の彼女だと分かった。(当時から本名で通している)人とちょっと違う道を常に歩いている印象がするが、とにかく歌は上手い。もっとスポットを浴びていい気もするが、それでもあれだけ名が売れて紅白にも出たのだから、歌い手としては成功者と言っていいのだろう。
 デビューする人は数多くいるが、さらにその中から売れる人には、他とは異なる突き抜けた何かが必ずある。人より先んずることの難しさよ。

2012年12月28日金曜日

引戸の戸車交換

 妻が今年最後の休暇で家にいる。せめて家にいるときくらいゆっくりしたいとの要望で、今日は大掃除を自重。午後から買物につきあった。

 安い物を早めに調達しているので、暮れの買物もヤマを越えた。ホームセンターで正月用の鉢植えをわずか100円で入手し、最近壊れてしまった自宅引戸の戸車も買う。
 妻は定番食料品のほか、イトーヨーカドーに出店していた個人商店で、来年の干支である蛇の手製小物を400円で衝動買い。なかなか愛らしいのだが、まだ飾ってないので、写真は後日公開。


 家に戻って珈琲を飲んだあと、さっそく戸車の交換。新築後14年目に突入し、あちこち傷みが出ているが、トイレや浴室、乾燥室のあるユーティリティ入口の引戸は酷使のせいか、カバーのプラスチックが割れて開け閉め不能になった。
 外してサイズを確認。同じ製品はホームセンターにはなく、似た寸法形状のものを2個買って、まとめて交換することにした。

 プラスチック製の戸車は消耗品だが、よく13年も持った。プロに頼めばおそらく費用は1万円を下らないはずだが、(大半は出張費?)自分でやれば材料代2個分270円で済む。DIYはデフレ時代をしぶとく生き抜く庶民の知恵。


 先日手作りした革製サムピックの第2弾を作った。(写真右下)前回は厚さ3ミリの革を使ったが、今回は古いカバンを壊した際にとってあった厚み1.5ミリの薄い革。幅も15ミリと狭くし、反対に長さは11センチと長くして親指に巻きつけた。
 他の素材や製法は前回と全く同じ。革が薄いので加工は楽である。さっそく使ってみたが、フィット感は前回より優れている。反面、指に対する安定感は革の厚い前作が勝っている。

 いつの間にか手製サムピックが3つに増えたが、革製を中心にしばらく使い込んでみたい。

2012年12月27日木曜日

二人忘年会

 雪も止んで一瞬晴れ間ものぞいたので、懸案事項だった玄関前の車庫&物置の雪下ろしを敢行。最深部では80センチ近くもあって、万が一ドカ雪でもくると危ない状況だった。
 雪が降る直前に北側の壁最上端に木製の取手をつけたので、昇り降りはこれまでとは比べ物にならないほど楽になった。しかし、作業開始から終了まで1時間を費やす。そう簡単な作業ではない。

 その後暮れの挨拶をしたためた「年末状」を2通作成。出し忘れていた年賀状も1枚追加作成し、カナダに出す年賀状も完全に仕上げた。全部まとめて郵便局に出しに行く。


 今夜は毎年恒例である妻との二人忘年会の日。17時ころに家を出たが、途中でひどい吹雪になり、必死の思いで駅までたどり着いた。
 JRに乗ってからは一切表に出ず、まずは札幌駅ビル内にある大丸デパートで来年用の夫婦箸とお椀を買う。その後、同じビル内にあるうどん店に直行。ビールで乾杯して刺身やおでん、ウドンすきをつつきながら1年をゆっくりふり返った。
 3時間ほども店にいて、お腹はいっぱい。酔い覚ましにビル内をぶらぶら散策。吹抜けガラスから見下ろす雪の街は、すっかり年末モードである。

 スタバで珈琲を買って飲みながら通路を歩いていたら、光を使った面白いオブジェを発見。壁から突き出た型紙に上から光をあて、壁に影を落として人間に見せている仕掛けだが、なかなか面白い。たまに都心に出てぶらつくと、思いがけないものにぶちあたる。


 帰路もかなりの吹雪だったが、マフラーとフードで重装備してどうにか家にたどり着いた。今年の行事はこれにて終了。明日からはゆっくり掃除と伝票整理にでも励む。

2012年12月26日水曜日

革製サムピック

 長年使ったサムピックが真っ二つに折れてしまった事は以前に記したが、直後に手作りした物をその後のライブで4度使った。しかし、いまいちピッキングの感じが違う。今日は全く別の発想でサムピックを一から作り直してみた。
 今回使ったのは革である。裁縫用の指ぬきに革を使っていることを思い出し、同じ指なので革製サムピックもありでは?というのが発端。


 ピックの部分は前回と同じCDケースに入っている透明円盤を使用。既存のピックでざっと型取りし、切り抜いて革ベルトに大型ホチキスで止めた。
 革は不要になったベルトを使用。寸法は19×85で、親指に丸めて型取りし、幅をハサミで微調整。革はボンドで固定し、暗い場所でも上下がはっきりするよう、赤いテープを一部に貼った。

 さっそく使ってみたが、革の幅を広めにし、ピックの先端を指から直角でなく少し前向きに固定したので、かなり弾きやすい。市販のピックだと必ず直角に作ってあるので、そこがしっくりこない大きな理由。今後も微調整はあり得るが、しばらくはこれをメインに使う。

2012年12月25日火曜日

厳寒クリスマスライブ

 記録的な豪雪と厳寒の日々が続く。明け方にトイレに起きた際、外に吊るしてある寒暖計を窓越しに見たら、何とマイナス17度を指している。新聞には厳寒ならぬ「酷寒」という珍しい見出しが踊っている。
 午後から今年最後のライブとなるチカチカパフォーマンスがあり、マイナス12度の寒さのなか、早めに準備して出た。

 途中で昨夜遅くまでかかって仕上げた年賀状と請求書を投函。予想通り道路は渋滞していて、北4条広場の会場入りがぎりぎりの14時5分前。この日はクリスマスとあって、似顔絵を含めて合計5組がエントリーしていたが、すでに若手シンガーが歌い始めていた。
 いつもの北外れの一角にゆっくりと準備。写真を撮り終えた頃に、最初のパフォーマンスが終わる。5分の間を置き、場が少し冷えた頃を見計らって14時25分から第1ステージ開始。およそ27分で9曲を歌った。

「ウィンターワンダーランド」「サンタルチア」「ラ・ノビア」「レット・イット・ビー(オリジナル訳詞)」「雪が降る」「夢咲く街 チ・カ・ホ(初披露オリジナル)」「きよしこの夜」「Godfather 愛のテーマ」「We wish you a Merry X'mas」


 この日の切り口はずばりクリスマスで、洋楽系のクリスマス色の濃い曲をずらりそろえた。静かなアルペジオ系の曲が多く、メリハリをつけるために強めの曲を選ぶのに腐心した。
 直前に歌った若い女性プロシンガーの集客は抜群だったが、それに比べると聴き手は少なかった。私の歌は中高年がターゲットなのだが、通りを歩く人の平均年齢が普段よりもかなり若い。
 推測だが、記録的な寒さと暮れの忙しさとが重なり、中高年が都心への外出を控えたのかもしれない。

 それでも「レット・イット・ビー」から「雪が降る」までのピーク時では、10名を越す方々が足を止めてくれた。「レット・イット・ビー」を歌った直後、中年女性が近づいてきて、「よく出来た訳詞です。声も素晴らしい」と絶賛、CDを買ってくれた。
 ステージを終えると、別の女性が近づいてきて、親しげに手を振る。一瞬誰かと思ったが、マスクを外してくれて分かった。何と5月と7月の被災地支援コンサートでご一緒した歌手の清水紫さんではないか。
 たまたま通りかかってラスト2曲を聴いてくれたそうで、全くの偶然。互いに「メリークリスマス」と挨拶を交わしたが、こんな奇跡のようなことがしばしば起きる不思議な場なのだ。
 その後、15時20分から第2ステージ開始。いつものことだが、ステージ間隔が短いせいか、聴き手はさらに減った。途中で全く聴き手がいない状況も瞬間的にあったほど。
 プログラムは珍しく第1ステージと全く同じにした。途中、オリジナルを昭和歌謡の「聖母たちのララバイ」に差し替えてみたが、普段は強いはずのこの曲でも動きはなかった。
 厳しい寒さは地下にもヒシヒシ伝わってきて、用心してこの日はオーバーズボンをはいてきたが、途中で手がこごえてきた。終了後に母の様子を見に病院に行く用事もあり、気持ちもいまひとつ入らない。ラスト3曲で熱心に聴いてくれる女性数人が現れたが、早々に打ち切って撤収することにした。

 結果としてこの日売れたCDは3枚。第2ステージでは全く売れなかった。まあ、こんな日もある。ともかくも今年最後となる46本目のステージを無事にやり終えた。
 その足で母の病院へと向かったが、検査の結果は内臓系に異常はなく、加齢による鉄分吸収能力減退、という結論である。今後は飲み薬と鉄分注射による対応となり、明日退院することになった。
 帰り道も大渋滞に巻き込まれ、自宅到着が19時半近く。いろいろな面で大きなヤマを越えた、記憶に残るクリスマスとなった。

2012年12月24日月曜日

年賀状印刷で失態

 明け方にマイナス15度まで下がったようだ。日中の最高気温がマイナス8度という氷漬け状態。たまらず暖房ボイラを最高レベルまで上げる。こんなに厳しい冬は、あまり記憶にない。

 昨夜未明にチェック用として1枚だけ印刷した個人用の年賀状、居間のテーブルに置いておいたら、早朝に出かけた妻が記した「いいね!」のメモ書きあり。まるでSNSサービスのようだが、あくまでアナログ的な手書きである。
 年賀状には妻のコメントも記すので、勝手に印刷することはできない。OKが出たので、さっそく印刷に取り掛かる。明日はライブ等で忙しいので、一気に宛名まで印刷しようと思ったが、プリンタを買い換えたせいか、住所録ソフトの郵便番号欄に微妙にズレがある。
 いったん印刷を中断し、修正して継続したら、途中で同じ宛名が複数存在することに気づく。ソフトの特徴で、常に最終レコードから印刷する癖があることを、すっかり忘れていた。


 数えてみたら、重複は21枚にも及ぶ。予備の賀状などをやり繰りしても、11枚足りない。今日中に投函することを断念し、夕闇迫るなか、近隣の集配局まで車で出かけた。
 幸いに、インクジェット紙の年賀ハガキはまだ在庫があり、重複分の21枚のうち、20枚を書き損じとして新品に交換。手数料100円とインクが無駄になったが、被害は最小限で済んだ。
 近くの安売りスーパーで暮れの買物をしていた妻と合流。大晦日までまだ1週間あるが、年末は超多忙な妻にとって、今日あたりが買い時。早めなので安くて良い品が手に入ったと喜んでいた。

 帰宅後、残っていた分を再び印刷。併行してオリジナルCDの仕上げや案内状の追加印刷、今月分の請求書作成等もやったが、ここでまた年賀状を1枚印刷ミスするという失態。あれこれ同時進行で追われていると、こんなこともある。
 深夜までかかって、ようやく全てをやり終えた。明日で忙しさは大きなヤマを越えるはずだが。

2012年12月23日日曜日

多忙のピーク

 一晩で15センチほどまとめて降った。ずっと少なめだった自宅周辺の積雪が、一気に他の地区なみに。朝から除雪機の音がやかましく、どうしたものかと逡巡するうち、大型の除雪車が予想よりもはるかに早くやってきてくれた。
 おかげで自宅前の道路は除雪の必要がなくなり、玄関前の雪を軽くスコップでどかすだけで済んだ。


 3時のお茶を飲みつつ、秋口に買ったジャンパーの内ポケットをつける作業にとりかかる。990円と格安だったが、内ポケットが皆無なのは不便だった。やはり安い物はどこかで手を抜いてある。
 昨日、5年ほどはいているズボンの膝に穴が開いた。そのまま捨てるつもりが、ふと閃く。後ろポケットをそっくり切り取ってミシンでかがれば、ジャンパーの内ポケットに転用できるのでは…。


 さっそく試してみると、ぴたりはまる。ジャンパーへの装着はミシンでは難しく、手縫いとした。小学校の家庭科はいつも5。当時習った縫い方のいろいろは未だに覚えている。
 ひとまず左側だけつけて試着してみたら、なかなか具合がいい。調子に乗って予定にはなかった右側もつけてしまう。これで不自由からは解放される。

 裁縫に夢中になっていたら、「ところで年賀状は?」と妻。あわててブログを調べてみたら、昨年は24日から取り掛かっている。CD関連画像のプリント乾燥時間を使い、原案を練る。
 仕事用と一般用の2案がだいたい固まった。微調整後、一気に印刷する予定。検査入院中の母の様子も見に行きたいので、ここ数日が多忙のピークになりそう。

2012年12月22日土曜日

のどかX'masライブ

 12月都合6本目となるライブを近隣のグループホームにて実施。ギター弾き語り活動を本格再開した8年前から長いおつきあいのある施設で、以降年に2~3回ペースで、途切れることなく歌わせていただいている。
 今日は毎年恒例のクリスマスライブだったが、開始はお昼12時で、15分前には会場入りするつもりでいた。ところが目覚ましを見て3時間前に起きたつもりが、階下の時計ではすでに11時を回っている。調べると、目覚まし時計の電池切れという前代未聞の失態。


 幸いに妻が休暇で家にいたので朝食の準備を頼み、オニのように素早く動いて11時30分にはマイク前で軽いリハーサルを始めた。
起きて30分では普通、まともな声はでない。しかも季節は喉にとって最悪の冬である。新しい曲を中心に恐る恐る歌ってみたが、まるで奇跡のように声は出た。状況によっては数曲のキーを下げるつもりでいたが、問題なしと判断。数分で止め、荷物をまとめて早々に家を出た。

 自宅から車で5分で着く施設だったことも幸いし、12時10分前に滑りこむ。どうにか穴を開けずに済んだ。
 昼食をかねたイベントなので、職員さん手作りのごちそうが並んでいるが、私の出番はいつも1番なので、軽く飲物をいただく程度に自重。ほぼ予定通り、12時35分から歌い始めた。
 広い食堂だが、50名を超える客で立錐の余地もない。それを見越し、ギターは強めの音がでるヤマハのエレアコを選択した。
 最近になって入居者や職員さんの入れ替りがあり、場の空気が当初とは少し変わった。以前は静かな落ち着いた歌が好まれたが、最近は手拍子の出るニギヤカ系が好まれる傾向にある。そうした状況の変化を配慮し、20分で以下の8曲を歌った。

「ウィンターワンダーランド」「年下の男の子(初披露)」「瀬戸の花嫁」「北国の春」「ひなげしの花(初披露)」「バラが咲いた」「東京ラプソディ」「We wish you a Merry Christmas」


 1曲目からいきなり手拍子が飛び出したが、これは予定通り。そのまま初披露の「年下の男の子」へなだれ込み、「ちょっと手をお休めください」と前置きし、この日唯一アルペジオで弾いた「瀬戸の花嫁」へと続けた。
 まだ食事中の方も多く、暗黙にでも手拍子を要求する歌の連発はまずい。以降の2曲も手拍子系ではない曲を選択した。
 ラスト3曲は逆に手拍子をうながす選曲。(とっても、一切催促はしてないが)「バラが咲いた」は普通アルペジオで弾くが、あえてゆったりしたストロークで弾いたら、予想通り穏やかな手拍子が自然に出た。
 食事中の歌なので、聴き手参加型の曲は入れていない。お酒は出てなくとも、宴席での選曲は非常にデリケートで難しいのである。


 その後、いつもご一緒するフォークデュオ「エイプリル」の歌、入居者有志の歌、入居者のご家族の歌、ビンゴゲームと続き、進行表通り14時50分にピタリ終了。
 花束やお菓子、ビンゴの景品などたくさんいただき、帰宅後にフルーツケーキを妻と美味しくいただく。今年45本目となるライブを無事に終えた。2012年が静かに暮れてゆく。

2012年12月21日金曜日

仕事の面白味

 昨夜はライブを終えたあと、妻とどこかで外食するつもりでいたが、あてにしていたうどん店やら寿司屋などが軒並み閉店か閉店間際。帰る途中ではなく、終わった直後に近くの店に入るべきだったと反省。
 10時近くにまだ開いていたイオンに滑り込んだが、ここも店内テナントはすべて閉店。スーパーはまだ営業していたので、結局は寿司や惣菜などをここで調達し、自宅に戻ってシャワーを浴びてからゆっくり食べた。

 すでに11時を回っていたが、出掛けに軽く腹ごしらえをしていたので、どうにか持った。まあ、酒を飲めるし、外食のように食べたあとにまた動く必要もなし。家が一番気楽である。


 あとは寝るだけ、といいたいところ、実は出かける直前に前日納めた仕事の直しが入っていた。先方は急いでいるので、「今晩中に修正して送ります」と返答。まさかこれほど遅くなるとは思わなかったが、約束は約束。眠い目をこすってマウスを握った。
 2時間ほどで終了し、すぐに送信。お金をいただく仕事は緊張するが、趣味やボランティアとは質の異なる面白味がある。サラリーマン時代もそうだったが、生きる手段である仕事そのものにも面白さを見つけられる、かなり得な性格である。
 カエルヤ珈琲店で先日実施された「カエル自慢コンテスト」にエントリーした浮きガエル、浮かぶテストをしたあと、そのまま台所の窓台に飾っておいたが、実はこのカエル、今年は入賞寸前の惜しい得票数だったことを店主のU子さんから教えられた。
 これまで4年間、欠かさずエントリーしていて、入賞する「基準」のようなものをオボロゲながらつかんでいた。その傾向に合わせたつもりでいたので、かなり満足。

 ちなみに、入賞カエルは来店者の投票によって決められるが、若い女性がその中心である。従ってご多分にもれず、「カワイイ~」「ほんわか~」といった傾向が好まれるようだ。
 ずっと箸にも棒にも掛からなかったが、今回は爪楊枝の先くらいには掛かった模様である。来年こそは…。(もし実施されればだが)

2012年12月20日木曜日

パトス・カフェコンサートvol.10

 多忙のため1日遅れの記載となったが、入場無料のオープンなイベント「パトスカフェコンサート」に2度目の出演。
 場所は札幌地下鉄東西線琴似駅地下の公的空間、パトス。10日ほど前に同じ場所で実施された地域中高年対象のイベントでも歌っており、すっかりお馴染みの場となった。

 スタジオ前のロビーを使って1年ほど前から始まったコンサート、今回が10回目とかで、2日間連続で実施される最初の日だった。
 出演者や集客面など、運営はまだまだ手探りの状態とは主催者の弁。何事も定着するには、ある程度の時間が必要だ。肝心なのは細くとも粘り強く続けることである。


 今回の参加者は以下の通り。(敬称略)

19:00 菊地友則(ギター弾き語り)
19:20 伊藤賢一(クラッシックギター独奏)
19:40 =休憩&カフェタイム=
19:55 NoteOn Family(ピアノ&鍵盤ハーモニカ)
20:15 伊藤博一(クラッシックギター独奏)

 2日連続開催ということで、出演者のブッキングには腐心した印象がする。ラストの伊藤さんはパトスの運営スタッフでもあった。
 記録的な大雪ということで、かなり早めに家を出たが、写真係として誘った妻と話しながら進むうち、右折箇所を間違えた。迂回して遠回りしたこともあり、到着は開演10分前のギリギリ。
 トップを務めることは決まっていたので、挨拶もそこそこに準備。客席はまばらだったが、19時ちょうどに歌い始めた。
 この日のセットはクリスマスを多少意識した選曲にした。電子譜面には手製のリースを飾り、中心にはLEDイルミネーションを点滅させた。衣装もクリスマスらしく赤で決めた。

「ウィンターワンダーランド」(クリスマス系カバー)
「もっと」(シャンソン系オリジナル)
「抱きしめて」(歌謡曲系オリジナル)
「聖母たちのララバイ」(歌謡曲系カバー)
「夢咲く街 PATOS」(フォーク系オリジナル・初披露)

 リハもマイクテストもなしだったので、1曲目はテストと挨拶をかねて1分ほどに詰めて歌った。2曲目以降は前回の様子からオリジナル中心で構成したが、なぜか今回に限って、オリジナル披露は私のみだった。
 歌の終わり頃に数人の聴き手が入ってきて、終了後にも人が増えた。最終的に聴き手は10人ほど。前回は土曜夕方の開催だったが、今回は平日夕方の開催。人の流れがかなり違う。


 これといったミスもなく、持ち時間内の19分で終了。同じ場では3度目なのでMCもうまくはさみ、落ち着いて進められた。ラストの「夢咲く街」は、この空間とイベントそのものをテーマに作ったばかりの曲で、この日が初披露だったが、評判はなかなかよかった。
 その後、3組のパフォーマーの演奏や歌を客席で聴く。1番は場の気分を作る役で責任はやや重いが、その後はゆっくりできるという特権がある。
 この日が初めての妻も、久しぶりの生ギターと生ピアノの演奏に満足。「思ってたよりもずっと良かった」と喜んでくれた。

 終了後に他のパフォーマーの方々としばしの歓談。わずかな時間だが、前回とはメンバーも異なり、いろいろ有意義な情報交換をすることができた。

2012年12月19日水曜日

終わって始まる

 雪がかなり降った様子なので、夕方に軽く玄関前の雪かきでもやるかと外に出てみたら、新雪が広範囲に降り積もっている。スコップでやろうとしたが、かなりの量で、下手をすると腰を傷めそうな予感がした。
 手作業はあきらめていったん家に戻り、床下に収納してあった電動除雪機を取り出す。外部コンセントからの延長コード配線は秋口にしてあったので、つないでみたら一発で起動した。

 ほんの15分ほどで玄関前の雪がきれいになる。やはり人力よりは機械である。夕方の電力量がピークになる時間帯で、ちょっと気が引けたが、ともかく無事に終わった。


 エッセイ「Oh!昭和レトロ」を連載中の雑誌「オトンO.tone」Vol.50が発売。今月は昭和30年代の小売店での代表的な包装手段だった「うす皮とハトロン紙」について書いた。
 以前にこのブログでビー玉を使った紙の包装を写真掲載したが、このエッセイに載せるイラスト用なのでありました。
 実はこの連載、今回が全10回の最終回である。HP掲載のエッセイに目を止めていただき、雑誌掲載へとつながった珍しい例だが、今年を象徴する出来事だった。終了は残念だが、読者からの評価もある程度あり、何より編集担当のAさんに「とてもいい連載でしたね」と労っていただけたのがうれしい。
 単なる懐かしさだけに留まらず、「ノンフィクション的エッセイ」という切り口で史実を徹底的に調べあげた。当時の家族関係や子供心の在り様にも踏み込むことができ、自分の持ち味も出せた。いいものを書けたと自分でも思う。
 ひとつ終わって、また別の新しいひとつがきっと始まる。そう信じたい。

2012年12月18日火曜日

ライブの告知です

 施設で暮らす母が検査入院することになり、休暇で家にいた妻を伴って、午後から都心にある病院まで書類の手続きに行ってきた。低気圧の接近で、途中から激しい雪。あとで知ったが、その時間帯に都心の積雪深は80センチを超えたらしい。
 自宅周辺は60センチ弱なので、相変わらず中心部に隔たった奇妙な雪の降り方である。初雪が解けずにそのまま根雪になってしまったのも、札幌では観測史上初めてだとか。


 母はいたって元気で、特に異常があるようには見えないが、定期健診での血液検査で鉄分の不足があったそう。「鉄欠乏症貧血」の疑いということで、入院して詳しく検査することになった。
 若い頃から貧血気味の体質ではあったが、調べてみたら消化器系の悪性腫瘍が原因となる場合もあるらしい。検査予定内容も胃カメラや大腸チューブなど、消化器系に集中していた。
 これまで骨折以外にこれといった入院歴もないが、92歳という高齢なので、この際徹底的に調べていただこうと思う。
 帰路も激しい渋滞で、カフェにも立ち寄らず、スーパーで夕食の買物だけして、まっすぐ帰宅。すでに18時近くになっていたが、明後日のカフェコンサートと終末の介護施設ライブに備えて練習。
 カフェコンサートではオリジナル中心で臨む予定だが、歌い込むうちに数曲の歌詞を一部変えるアイデアを思いつく。オリジナルでは珍しくないことで、ギリギリまで調整を続けたい。

パトス・カフェコンサート
・2012年12月20日(木)19~20時30分
・札幌地下鉄東西線、琴似駅地下パトスロビーにて
・入場無料(100~150円の各種飲物あり)場内禁煙
・私の出番はトップの19:00~19:20
・予定曲
 「もっと」(シャンソン系オリジナル)
 「抱きしめて」(歌謡曲系オリジナル)
 「聖母たちのララバイ」(カバー)
 「夢咲く街」(フォーク系オリジナル)

・他にクラシックギター、ピアノ弾き語りなど、合計4組のパフォーマーが出演予定。関心のある方、ぜひおいでください。

2012年12月17日月曜日

コントロールキーの配置変更

 8ヶ月ぶりに3D-CADソフトを起動し、先週末に依頼された仕事に取り掛かったが、ソフトの操作をすっかり忘れていて、思い出すのにかなりの時間を要した。
 夕食後にようやくエンジンがかかり、2つのうちの1点のデータ作成をようやく終える。

 ソフトはマックのWindowsエミュレータソフトを使って起動させているが、マックのコマンドキーの代りにコントロールキーを多用する。たとえば操作取り消しは「コントロール+Z」といった感じだ。
 Windows用のキーボードならコントロールキーの位置は下段左にあり、マックのコマンドキーの位置に近いので、操作にそう違和感はない。


 ところがマックのコントロールキーの位置は左端の下から3段目という高い位置にあり、微妙に感覚が違う。これまではわざわざWindows用のキーボードをつないで操作していたが、マックのキー配置を部分的に入れ替える方法を今日になってネットで発見。
 システム環境設定→キーボード→修飾キーと進むと、再起動なしで簡単に入替えが可能だった。さっそくコントロールキーとCapsキーを交換してみたが、やはりこっちのほうがしっくりくる。
 分かっていたつもりでも、まだまだ知らないことがある。

2012年12月16日日曜日

歌は縁でつながる

 以前に住んでいたマンションのすぐ近くにある有料老人ホームからの依頼で、誕生会余興として歌ってきた。偶然だが、この施設の責任者の方が系列の別施設から異動で着任したばかり。
 最初にお会いしたのがさらに別の施設で、2006年春のこと。足掛け7年にも及ぶ長いおつき合いである。仕事とは無縁の関係だが、私の個人的なイベントである還暦コンサートにも来てくださった。こうなると利害を超えた人間そのものの縁といっていい。
 施設そのものに伺うのは初めてなので、プログラムは隔たりがないよう、無難な構成で準備した。とはいえ、同じ系列の施設なので、ある程度の傾向は確かに存在する。
 14時10分からちょっとした施設側のイベントがあり、14時20分からライブ開始。35分で以下の11曲を歌った。

「ウインター・ワンダーランド」「サン・トワ・マミー」「瀬戸の花嫁」「宗谷岬」「ラ・ノビア」「バラが咲いた」「月がとっても青いから」「愛燦々」「高校三年生」「ここに幸あり」「東京ラプソディ」


 実績ある日本の叙情系の歌をベースに、一部外国の曲をまじえるという基本構成。ストリートライブのような冒険は避けた。
 聴き手は60名ほどで、知っている顔はもちろんない。しかし、反応は非常によく、拍手も強くて暖かかった。特に要求はしなかったが、多くの曲を一緒に口ずさんでくれ、自然発生的手拍子もいただいた。「いい声だね~」の声もあちこちから耳に届いた。

 演歌系の歌は結果として皆無だったが、リクエストを募っても最近の有料老人ホームではこうした傾向が強い。同じ理由から、明確な唱歌も歌っていない。求められた場合は別にし、当面はこの路線でいきたい。
 終了後はただちにオヤツタイムに移行したので、入居者からの直接の言葉はなかったが、長いおつき合いの施設長さんからは、「一段と磨きがかかりましたね」「声が加齢と共になぜか向上してます」「ステージのさばきに余裕がある」などと、ねぎらいをいただく。
 聴き手が常に流れてゆくストリートと違い、固定されている場での有難みをしみじみ感じた。毎回がシビアな場ばかりだと息をつく間もない印象だが、時折こうした用意された場で歌うのも、悪くはない気分である。

 数日前からの練習で気づいたことだが、交流電源のローランドCM-30をPAに使う場合、買いたてヤマハのエレアコも遜色ない音を出してくれることが分かった。音の強さの面では、むしろヤマハに分があるように感じる。
 この日はどのギターを使うべきか直前まで迷ったが、初めての施設なので選曲と同様にリスクを避け、使い慣れたオベーションのギターを選択した。音の柔らかさではこちらに分がある。

2012年12月15日土曜日

思いがけぬ再会

 10年以上沙汰のなかった方から突然の電話があり、仕事を頼みたいので会いたいという。経営していた会社は倒産したが、別の事業を目下準備中なのだと。

 最初に出会ったのが20数年前のとある工務店。知人から紹介されて建築パースの仕事を打合せに行った際、担当だったのが建築士のSさんだ。
 その後資格を活かして独立。時折仕事を貰っていたが、しばしして音信が途切れた。


 家族経営ではあったが、会社の規模はそれなりだったので、後始末にかなりの苦労を強いられたらしい。札幌から離れた地区にいまは暮らしていて、わざわざ車で自宅に来てくださった。
 3D-CADを使うちょっとした仕事だったが、資料は前日にメールで送られてきた。今日は久しぶりの顔合わせをかねた打合せだ。
 Sさんとは同世代だが、人生勝負をかけた事業に失敗しても、まだまだ意気盛んである。その生きる意欲、見習いたい。

 信頼できる方なので、仕事はもちろんお受けした。半ば隠居の身であるので、見積りは破格。まあ、細々と食べてゆければそれでよい。そんな我が身を幸せと考えなくては。

2012年12月14日金曜日

歌っていて良かった

 12月2度目のチカチカパフォーマンスに参加。この時期にしては珍しい60センチを越す大雪で、自宅から都心に向かうにつれて雪の量が増えるという不思議な現象に遭遇。同じ札幌でも地域によって30センチ近くも積雪量が違うのだ。
 今日も割り当て枠いっぱいの3組がエントリー。パフォーマー増による最近の傾向である。他の方の都合でトップを務めることが事前に決まっていたが、渋滞のせいで到着がいつもより10分も遅れた。やむなく最初のセルフ写真撮影をカットし、準備を終えるとすぐに歌い始めた。
 会場は音響のよい北4条広場。第1ステージではシャンソン系洋楽を中心に14時3分から27分間で、以下の8曲を歌った。

「サン・トワ・マミー」「ケ・セ・ラ・セラ」「サンタルチア」「ラ・ノビア」「雪が降る」「メガネを買う(オリジナル)」「ペチカ」「バラ色の人生(初披露)」


 悪天候で地下の人通りは多かったが、暮れと選挙が重なったせいか、人々の足取りがどことなく気ぜわしい。聴き手の集まりはいまひとつで、ピークが「サンタルチア」から「雪が降る」までの3曲、10数人といったところ。
 オリジナルの「メガネを買う」では前回と異なり、数人がその場から消えてしまったが、状況によって人が増えたり消えたりするのはやむを得ない気もする。一喜一憂せず、ただひたむきに歌い続けることが肝要ではないか。

 終わり近くに現れたジャグラーの方に次のパフォーマンスを引き継ごうと思ったら、準備とウオーミングアップに時間がかかるので、続けて私にやって欲しいという。もう1組のダンサーの方は、さらに遅い15時半に現れる予定だった。
 やむなく10分ほど休み、ただちに第2ステージを始めることにする。短いインターバル中に簡易三脚で写真を撮影。この日は初めてツバを後ろにしてハンチングをかぶり、ベレー帽ふうにしてみたが、けっこうサマになる。安上がりの気分転換になりそうだ。
 14時40分から27分で昭和歌謡を中心に以下の8曲を歌う。

「夢の途中」「オリビアを聴きながら」「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「夜明けのスキャット」「抱きしめて(オリジナル)」「ジョニィへの伝言」「天使のウィンク」「冬のリヴィエラ」

 休憩が短く、第1ステージを聴いてくれた方がまだ周囲にいた感じで、集まりはさらに悪くなった。前回も似たような進行でステージ間隔が短く、やはり第2ステージの聴き手が減った。集客にこだわる場合、最低30分はステージ間隔を空けるのが理想だが、そう都合よくいかないケースも多々ある。
 とはいいつつ、この日の喉は絶好調に近かった。声の響きやツヤ、そして伸びが抜群。途中、水はほとんど飲まずに歌いきった。

 最後まで残って聴いてくれた中年婦人、「声が素晴らしい。感動して涙が流れました。きっと売れますよ」と、CDを買ってくださった。どうやら私を売り出し中の新人歌手と勘違いしたらしいが、その目には涙が溢れている。
 3日前のライブ終了後にも同じことを言われたが、自分の歌で泣けたと聞くと、(ああ、届いたんだな…)と思う。歌っていて良かったと思える瞬間である。

 この日も5枚のCDが売れ、在庫が数枚となった。今月はもう一回チカチカパフォーマンスがあるので、急きょ増刷することになりそう。半分は好奇心からかもしれないが、ともかくも売れる。しばらくはこの流れに乗ってみる。

2012年12月13日木曜日

半纏買った

 石鹸と歯ブラシを買うため、少し離れたスーパーに午後から出向く。年に数回しか行かないが、ここでしか変えない定番品がある。

 来たついでに衣料品売り場をブラブラ見て歩いていたら、手頃なシーツを799円で発見。買い換えの時期なので、1枚調達。さらに回ると、ちょっと変わった柄の半纏が999円で売られている。


 深夜には暖房ボイラを微小燃焼に絞るので、ひとり起きていると少し寒い。半纏はずっと欲しかったが、色やデザイン、そして価格にしっくりくる品がなかった。これは手頃。音楽関連で小銭が入る身になったので、ようやく買う決心がついた。
 実際に羽織ってみると、体感温度がかなり違う。これまた縄文的暮らしなり。

2012年12月12日水曜日

真似しない

 NHKで「地球イチバン」という番組をたまたま観た。その日はフランス料理の特集だったが、冒頭部分でベテランのシェフが登場。なんでも十数年前にそれまでのフランス料理の常識を打ち破った方で、食材やソースの使い方に画期的改革を試みたそうだ。
 それが予想を覆す評判を呼び、当初は冷ややかだった周囲の目も次第に高評価に変わっていったという。

 そのシェフのコメントが秀逸。「皆が真似をし始めたので、もうあの料理法はやりません。次の新しいことを目指します。社会というものは常に変わってゆくもの、進歩してゆくものですから
 どこかで誰かがやって当てたものを、つい真似したくなるのは人の常。自らの知恵を絞り、試行錯誤して失敗を繰り返すより、結果がある程度見えているものを真似するほうが、確かに楽だ。
 しかし、多くが真似をし始めたものはすでに旬を過ぎていることが多い。「周りがやりだしたから、自分はもうやらない」という思考法には一理ある。

 30数年前に「建築パース」という特殊なジャンルに特化して事業を興した際、「そんな仕事で食えるわけがない」と、いろいろな人から言われた。特に北海道では、専門でやっている人は当時皆無に近かった。
 しかし、食えた。充分な事前調査と新技術研磨の成果だったと自負している。周囲の忠告は外れていた。
 10数年前、インターネットのホームページで連載して好評だったノンフィクション小説を出版社に売り込み、本にしようと考えた。これまた周囲の目は冷ややかで、確かに壁は厚かった。しかし、諦めかけた頃に自己負担なしでの企画出版の声がかかり、とうとう実現した。
 当時はまだインターネット黎明期。いまでこそネット掲載の文章が出版されることは珍しくないが、その先駆者だったと思う。

 さらに数年後、自ら設計して自宅を建てた顛末をこれまたインターネットで告知し、住宅設計の受注につなげることを目論んだ。同様に大多数の目は冷たかった。「面談もせずに住宅の設計を頼もうとする人などいない」と。
 しかし、この時も思いは実現した。いまではネット経由での設計依頼が、世間でごく普通に行われている。

 誰もやっていないことをやろうとすると、どのようなジャンルであっても、周囲の目は冷淡だ。道なき道を歩き出すには、相当の勇気と覚悟が必要である。しかし、得るものは大きい。肝心なのは安直に真似をしないこと、そして自分を信じることである。
 では、如何にして新しい発想にたどり着くか?ポイントはあくなき好奇心にあるのではないかと私は思う。こうしている間も、まだ誰も見向きもしない次なる新しいことを、ヒソカに画策している。

2012年12月11日火曜日

パトス~懐かしのひと時

 隣区にある公的空間「ことにパトス」で催される地域中高年むけのイベントに参加した。札幌地下鉄東西線琴似駅地下にあり、今年10月上旬に参加した「パトスカフェコンサート」と同じ会場である。
 市民の芸術・文化活動を支援するために様々な活動が実施されているが、今回は運営するNPO法人に関わっているTさんのお誘いだった。

 Tさんとは知人の紹介で知り合ったが、チカチカパフォーマンスを始め、私のライブに何度も来ていただいている。Tさん自身も長年紙芝居のボランティア活動をやっていて、「私が主催するイベントにぜひに」とのことで快諾した。


 開始は14時からで、全部で3組が出演。各自30分の持ち時間で、私の出番は最初のはずだったが、13時半過ぎに会場に着いてみると、セッティングの都合でトップは歌声サークルになったという。
 私は2番目に変わったが、さらに途中でTさんが「申し訳ないが、最後に歌って欲しい」とのこと。どこで歌ってもパフォーマンスに大きな違いはなく、すぐに了解した。
 14時ちょうどに開始。恵庭市の歌声サークル「ケンケンパー」による叙情歌が始まる。歌集を会場に配り、親しみのある唱歌系の曲を全員で歌いながら進行するという、歌声喫茶ふうの趣向だった。
 ステージには上らず、全員が会場と同じフロアーで演じていたが、客席との距離感を小さくする意図があるように感じた。伴奏はシンプルにガットギター1本で、ボーカルの邪魔にならず、いい感じに収まっている。


 予定より少し遅れて14時33分に終了。間髪をいれず、拍子木を叩いてTさんが舞台に登場。壇上にセッティングは済ませてあったので、引継ぎ時間ゼロである。

 Tさんの演目は紙芝居の常識を打ち破り、菊池寛の「恩讐の彼方に」。驚くべきことに、まるで講談のような長いセリフを台本も見ず、ノーマイクで堂々と演じていた。
 30分を超える熱演に、40名近く入った会場は水を打ったように静まり返る。関係者ではあったが、思わず見入ってしまった。
 ここで少しまた時間が伸び、私がスタンバイしたのが15時6分。転換の素早さから私も聴き手と同じフロアー上で歌うことを選択。備え付けのボーカルマイクを使い、ギターはシールドケーブルでPAにつないだ。
 そのバランス調整に少し時間がかかり、歌い始めたのが15時8分。終了時間は守りたかったので予定を変え、22分で以下の7曲を歌った。

「高校三年生」「夜霧よ今夜も有難う」「ブルーライトヨコハマ」「瀬戸の花嫁」「月がとっても青いから」「ここに幸あり」「また逢う日まで」


 この日の構成は事前の調整で「昭和歌謡」に特化したが、1曲目に予定していた「東京ドドンパ娘」は咄嗟の判断でカット。うまく説明できないが、場の空気でそう決めた。
 直前まで悩んだが、歌う場所が前回と異なるホール内となる可能性があったので、ギターはつぶしの利く新しいヤマハのエレアコを持参した。結果として生歌に近い環境だったので、これは正解だった。
 モニタが全くない難しい条件だったが、聴き手の反応はよかった。「叙情歌」→「講談的紙芝居」→「昭和歌謡」という流れはメリハリがあって、これまた結果的に正解。

「夜霧よ今夜も有難う」では間奏で拍手をいただき、「また逢う日まで」では自然発生的に手拍子が出る。終了後に複数の方から「もっと聴きたかった」、さらには「裕次郎がよかった」「『ここに幸あり』で思わず泣いてしまった」など、身に余る声をかけていただく。
「いいひと時だった」と、企画全体に対する声も多く、主催のTさんも満足気。


 Tさんの推挙で歌わせていただいたので失敗は許されず、そこが自己完結型のストリートライブとは異なるところ。冒険を避け、実績ある曲を並べた所以だが、Tさんの顔はつぶさずに済んだことをまずは喜びたい。