2012年6月30日土曜日

靴を買い替えた

 20年くらい履き続けている靴の傷みがいよいよ激しくなった。底は磨り減り、一部に穴があいて、いつ水が入り込んできてもおかしくない状態。天然革製で、たいした金額ではなかった気もするが、後から買ってすでに捨てた靴もあるほど。それくらい長持ちしている。
 表面に穴はなく、色とデザインが気に入っていて、しかも軽い。夏靴は2足あるので、ついついズルズルと履き続けるうちに時が流れた。

 良い品があれば買い替えようと常々思っていたが、昨日近くのイトーヨーカ堂に行ったら、手頃な品が値引きされて並んでいる。本革ではないが、ラフなデザインのアシックス製。
 スポーツメーカーなので、底はがっしりしている。「旅日和」と洒落た名がついていて、雰囲気は旅行用かアウトドア用。仕事の打合せに頻繁に外出していた頃にはラフ過ぎてとても履けないデザインだが、さしたる仕事もなく、外出は家事雑事か趣味の音楽関連くらいとなったいまの生活なら、これで充分である。


 4,000円の品が2,900円だったので、しばらく考えたすえに買った。(写真右)費用は正月に帰省した末の息子が置いていった宝くじ(仕事のお付き合いで買わされたとか)を献金した金を運用。
 300枚ほどをまとめてお年玉代りにもらい、献金すると全部で8,000円ほど。妻と二人で消え物ではなく、ちょっと残るものを少しずつ買っているが、まだ2,000円近く残っている。自分で稼いだ金よりもありがたみがあり、何となく楽しい気分になるのは不思議なものである。

 さてこの靴、ストリートライブにはぴったりと思われるので、さっそく次回のチカチカパフォーマンスに履いていくとするか。

2012年6月29日金曜日

初BBQ

 昨日あたりから気温がぐんぐん上がり、一気に夏模様である。仕事が休みの妻と午後から買い出しに出かけたが、あまりの暑さにやむなく車のエアコンを少しだけつける。

 魚売場で殻付きのホタテとイカがえらく安い。ふと思いついて、「BBQやる?」と妻に振ったら、すぐに乗ってきた。30度を超す暑さで風もない。平日だが、すでに毎日が日曜状態になるつつある我が身。思い立ったら即実行すべし、である。
 焼き鳥やジャーマンウィンナーもついでに買い、妻が自分の小遣いでサッポロ黒ラベルの500ml缶を買ってくれた。月末限定の大盤振る舞いである。

 夕方6時から炭を起こし、BBQ開始。海の幸が中心の海鮮BBQだが、何もかもが美味かった。暑い日はビールとBBQに限る。


 一昨日のチカチカパフォーマンスのセルフレポには記さなかったが、実は私が2ステージ終えた直後のジャグラーの方のステージが、大変な苦戦だった。
 ジャグラーの方と共演するときは、間違いなくジャグリングの集客が勝る。その比率ざっと2倍ほどか。ところが一昨日に限れば、時間帯はそう変わらないのにそれが逆転した。

 理由はよく分からないが、客が少ないと気持ちも乗らないのか、芸も珍しくミスが続いた。そばで観ていてハラハラするほどで、いつものような「失敗をうまく芸に取り入れる」という余裕すらもないように思えた。
 ミスが続くと途中で場を去る客も多くなる。パフォーマーはさらに気持ちが萎え、それは芸にも反映してしまう。完全なる悪循環である。そんな姿は初めて見たので、驚いたり妙な親近感を覚えたり、実に複雑な心境だった。
 誰も聴き手がいないストリートライブを過去に何度も経験しているので、とても人事ではないが、ジャグリングの芸は○か×(成功か失敗)しかないので、ある意味では歌よりも厳しいと感じた。
 よく考えると、私も第2ステージ冒頭で「誰も立ち止まらない」という恐怖を瞬間的に体験している。客は実に正直で、義理だとかお金などでしばられていないストリートでは、一瞬で芸に見切りをつけられてしまう。
 その正直な反応が怖くもあり、また面白くもありで、ちょっと聴き手が増えたくらいで勘違いし、増長していては、すぐに足元をすくわれてしまうだろう。他の声に耳を傾け、冷静に自己分析し、問題点はすぐに修正し、日々の修練を怠らない。月並みだが、それにつきる。
 繰り返すが、ストリートには天使と魔物の両方が棲息している。

2012年6月27日水曜日

めくるめく一日

 通算15度目となるチカチカパフォーマンスを実施。これだけ回数を重ねると、もはや記憶だけでセルフレポを書き綴るのは不可能で、信頼できる確かな記録が重要になってくる。
 場所はチカホの北大通広場。過去の集客はよかったが、今月上旬に地下鉄乗り場との境界扉が通風のために常時開放されてしまい、音の条件が以前より悪くなった。この日のテーマは「昭和歌謡」で、同じ切り口で歌うのは先月上旬に続いて2度目。しかし、この広場では初めてである。

 当初は3組の共演となるはずが、前日に1組がキャンセル。結果として顔なじみのジャグラーとの共演となった。
 25度を超す夏日のなか、早めに事務局に手続きに行ったら、ジャグラーの方はまだ来ていない。いつものように一人で重い看板2枚を抱えて長い通路を歩いたが、抱え方に慣れたせいか、今日はあまり苦痛を感じることもなく到着。
 素早く機材を組み立てていたら、前回ライブを聴きにきて後日メールをくれたSさんが現れた。言葉を交わすのは初めてだが、メール交換で互いの素性は知れているので、歓談しつつ準備。

 14時5分前に準備が整ったが、もう一人聴きに来るはずのNさんが現れない。チェッカーズファンのNさんのために第1ステージの1曲目は早くから決めてあったが、遅れるのならば曲順を変えようか…、と逡巡するうち、ぎりぎりにNさんが到着する。以前に介護施設で歌った際に知り合った職員の方だが、以来ツイッターを中心に交流が続いている。


 懸念が消えたので、予定通りに14時ちょうどからライブ開始。およそ25分で以下の8曲を歌った。

「涙のリクエスト」「亜麻色の髪の乙女」「東京ドドンパ娘」「ウナ・セラ・ディ東京」「時の流れに身をまかせ」「恋する夏の日」「夜霧よ今夜も有難う」「また逢う日まで」
 2曲目あたりからどんどん人が集まり始め、あっという間に50名を突破。感覚的には60名に迫る勢いで、過去の最高集客数をあっさり更新した。間近の床に座って熱心に耳を傾けてくれる方も複数いた。
 あまりに人が増えすぎ、背後の視覚障害者誘導ブロックにも人が立ち止まり始める。過去に何度かクレームが出た危ない状況である。危険を察知し、歌をいったんやめ、前に出ていただくようお願いする。この場所でこれ以上の集客は通行に支障が出かねず、数字的には限界のように思える。

 1ステージ8曲に減らしてからは時間的に余裕があるので、随所にMCを入れて進めたが、これがなかなか効果的だった。「時の流れに身をまかせ」では1ヶ月前に恐る恐るテレサ・テンを歌い、意外に受けたいきさつを話すと、会場から「いいぞ!」との声。
「きょうは『つぐない』でなく、別のを歌います」と応じると、「ぜひやってくれ」との声も続いてあがり、普通のライブと変わらぬコミュニケーションをとりつつ進められた。
「恋する夏の日」では期せずして手拍子が起き、「夜霧よ今夜もありがとう」では間奏で拍手が湧いた。企画ライブでもめったにない反応の良さである。最後まで聴き手が減ることはなかった。
 ストリートでも工夫次第では企画ライブと変わらぬスタイルでやれるということで、大きな自信になった。
 終了後、昨日のラジオ生放送でお世話になったYさんが友人2人を伴って挨拶にきてくれた。全く気づかなかったが、開始直後からいらしたという。「明日は聴きに行きます」と放送で締めくくってはいたが、まさか本当にいらしてくれるとは驚きである。
 さらには、フォーク歌手の及川恒平さんが知人のNさんと共に突然目の前に現れ、「しばらく。じっくり聴かせてもらいました」と声をかけていただく。やはり冒頭からずっと聴いていらしたという。
 8年前に時計台ホールでのソロコンサートを企画・主催した間柄だが、ここ数年は時折札幌でのライブを聴きに行くくらいで、親しくお話しする機会からは遠ざかっていた。何でも最近、活動拠点を札幌に移したとのこと。

 恒平さんご自身も最近は昭和歌謡を時折ライブに取り入れていて、正直に書けば、そうした動きに少なからず私も影響されている。「平成時代に書く新しい昭和歌謡」という構想が恒平さんにはあるそうで、ストリートで歌われる昭和歌謡が、どのように一般に受け入れるのか、興味があったのかもしれない。
 この日は第2ステージでもエッセイを連載させていただいている出版社のAさんが顔を見せてくれ、さほどの告知はしていないのに、実に8人もの知人が聴きにきてくださったことになる。積み重ねの力は大きな…、と感慨深く思う。


 第1ステージ後半に共演のジャグラーの方が現れ、相談の結果、私の第2ステージは14時50分開始と決まる。以下の8曲を歌ったが、聴き手はさすがに半分ほどに減った。このあたりの人の流れはまるで読めない。

「恋の季節」「時の過ぎゆくままに」「有楽町で逢いましょう」「ラブユー東京」「セーラー服と機関銃」「草原の輝き」「聖母たちのララバイ」「青春時代」

 減ったといっても、終わり頃には30名近くに達していたので、集客としては充分過ぎるほどだ。第1ステージの集客がいかに尋常ではなかったかがうかがえる。
(写真は第2ステージ中盤)
 どの曲もおおむね反応はよかったが、唯一の計算違いは「恋の季節」。立ち止まる人は皆無だった。発売当時の売上が200万枚で、受けると確信していたが、まるで手応えがなく、歌った直後には訳が分からなかった。
 1曲目だったことが理由にならないことは、過去に1曲目に歌った「サントワマミー」「季節の中で」の圧倒的集客ですでに証明済みだ。唯一確かなことは、売れた曲=受ける曲ではない、ということだ。
 しかし、その日のライブをすべて見届けてくれたSさんが終了後にメールをくれ、「あの歌を甘く歌うのはいかがなものでしょう?」との指摘。私の歌唱の魅力は声の甘さであり、「恋の季節」は甘く歌っても聴き手には届かない曲なのでは?と。なるほどと納得した。要するに自分のものになっていなかったのだ。

 対して「草原の輝き」では、小さな女の子を連れたお母さんが間近に寄ってきて、女の子が曲に合わせて上手に踊ってくれた。曲の持つ楽しさが理屈抜きで子供にも伝わるのだろう。
 第1ステージでの「恋する夏の日」も予想外に受けた。昭和アイドル歌謡は、甘さと軽さが売りの私には向いている気がする。今後はこの路線をもっと掘り下げるべきだろう。

「青春時代」では、1番終了後の間奏からストロークのピッチを倍に変え、強く激しく歌った。余力がないとできない技だが、受けた。第2ステージにも来てくれたYさんから「『青春時代』よかったです。新しい菊地さんを見られました」と帰宅後にメールがあったほど。喉の調子は80%ほどだったが、この日は何をやってもうまくいった。まさに、めくるめく一日だった。
 そのほか、演歌系の曲が安定して受けたのも収穫で、以前に「つぐない」の反応がよかったのは、決してフロックではなかったことを知った。
 今回でおよその昭和歌謡路線の傾向が判明したので、今後は微修正を加えつつ進めたい。「演歌はダメ」「アイドルはダメ」と勝手に決め込まず、何でもトライしてみるもの。16曲中12曲が初披露という大冒険に挑戦したが、苦労は報われた。

 先のYさんのメールに、「生涯青春」という言葉がライブを見届けて浮かんできました、とあった。うまい表現である。「生涯現役」よりもはるかに響きがいい。いろいろ幅広く活動を続けている方の発想はさすがに鋭いと感心させられた。キャッチコピーとして、ありがたく使わせていただこう。

2012年6月26日火曜日

生放送を乗り切る

 かねてから依頼されていた地域FM放送、ラジオカロスサッポロへのゲスト出演が無事に終了。ラジオへの出演は30代からけっこう多いが、最近は生放送が多く、ミスは許されないのでその分プレッシャーは強い。
 重ねて今回は生で1曲歌って欲しいとのことだった。過去にも同様に「歌って欲しい」との依頼はあったが、自信がなくて固辞。トークのみの経験しかない。しかしキャリアをそれなりに重ねた今回は、お受けすることにした。何事も経験、そして自身の向上と考えなおした。

 そうはいっても、プレッシャーであることに変わりはない。「森の時間~smiles」という、東日本大震災被災地支援系の番組なので、選曲は被災地復興支援ソングである「花は咲く」に早くから決めていた。6月上旬のチカチカパフォーマンスで初めて歌い、手応えを確かめてもいた。
 しかし、この歌は何度歌っても難しい。原曲が男女30数人の東北にゆかりのある著名人が分担して歌っているので、音程の幅が広く、メロディ展開も極めて難解。(このメロディ展開なら、次はこう収まる…)という予測をあえて外したような旋律で、覚えるまでに何十回もVTRやYouTubeで確認した。


 さらなる難しさは、歌う場所がラジオ局のスタジオ内であること。過去の経験から、椅子で座って歌うことが必須で、しかも狭い。譜面台はたぶん使えず、ギターもおそらくは生音。最近は余程のことがない限り立って歌うので、椅子が条件となると、非常に厳しい。
 いろいろ試した結果、自作した足台をまず使い、オベーションのギターで弾くのが最も安定することが分かった。譜面は単純に机の上に置いて歌う。

 キーは低めのEに設定。G#mやAM7などの面倒なキーも何とかスムーズに弾けるようになった。徹底的に練習して備え、ほぼ不安は解消。今朝は8時に起きて自宅でざっと練習し、待ち合わせの時間より10分早く着いたら、まだ誰も来ていない。ちょっとしたフライングだ。
 あれこれあって、11時から本番開始。挨拶やら歌を始めたきっかけ、支援系コンサートに出るようになったいきさつなど、進行の横山さんのリードで淡々と話しつつ進める。
 11時半ころになって歌う時間となる。タイトルを一瞬言い忘れそうになるが、直前で思い出す。軽いリバーブをかけてくれ、ヘッドホンでモニタしながら歌ったので、非常に歌いやすかった。
 ギターのラインはつながっていない生音録りだが、オベーションなら充分聴ける。スタジオが予想よりも狭く、ハイコードを押さえるのにちょっと苦労したが、これといったミスもなく、無難に4分間の歌を終える。

 聴き手はスタジオにいる横山さんと石丸さんの二人だけだったが、マイクを通して多くの人々に想いは伝わったと思う。そんな確かな手応えを感じた。
 生放送で弾き語るという初めての経験を無難にこなせたのは、修羅場ともいえる通りすがり対象のチカチカパフォーマンスでの経験が、おそらく活きているのだと思う。ストリートライブから多くのメジャー歌手が生まれる理由が分かる気がする。
 家に戻ると25度を超す暑さのせいもあって、猛烈な睡魔に襲われる。強いストレスからの解放感も手伝い、16時半まで爆睡してしまう。
 実は今夜は島津亜矢のコンサートが都心であり、割引券をすでに入手してあった。妻がずっと行きたがっていて、かねてからのファンである私も、一度彼女のステージを見届けたかった。
 少し疲れてはいたが、妻がやはり行きたいというので、17時半に再び車で出かけた。割引券なので席は最上階の一番奥だったが、予想通りの熱唱で、期待を裏切らないステージを堪能した。

 技術に走らず、ていねいに詩の世界を自分で噛み砕いて聴き手に伝える。彼女の歌唱を聴くと、歌に必要なものが何であるのか、自然に分かる。
 特に「長崎の鐘」「帰らんちゃよか」は秀逸。どちらも長崎が舞台の歌だが、聴いていて自然に涙が流れた。歌を聴いて泣いたのは久しぶりのこと。タマシイの入った歌だ。
 会場の人も同じ気持ちだったようで、「長崎の鐘」では、間奏の時点でさざ波のような拍手があちこちから湧き上がった。切ない歌ではあるが、あの歌で泣かせるのが彼女の真骨頂である。聴き手は正直だ。いいものを聴かせてもらった。

2012年6月25日月曜日

フェルマータシンガー

「フェルマータ」という音楽用語がある。楽譜の中に時折登場する、ドーム型テントの中に丸い荷物が入っているような記号だが、「音符や休符上の決められた長さを無視し、好きな長さまで延長する」という意味らしい。
 以前にソプラノ歌手の清水紫さんと一緒に練習した際、「菊地さん、ここはフェルマータで伴奏をお願い」と言われ、「フェルマータってなんでしたっけ?」と尋ねたら、親切に教えてくださった。

「好きな長さまで延長」とはいうが、実は「正規の音符の4倍」という目安があるらしい。しかし、実際の演奏ではこの数値にほとんど意味はなく、紫さんが言うには、指揮者がいる場合はその指示に従い、いない場合はメンバーの呼吸で、ソロの場合は自己のイメージで、ということらしい。
 その自由さ加減がいいなと思った。音楽の原点は自由さにあると私は考えている。楽譜をベースにはするが、細部は歌い手の裁量でやってよいはずだ。その象徴がこのフェルマータではないか。


 よく考えると、シャンソンではこのフェルマータが頻繁に用いられていて、リードしているのはたいてい歌い手。伴奏のピアノやアコーディオンはその呼吸に合わせるのが基本だ。
 私の場合シャンソンに限らず、特に叙情系のスローな曲では、唱歌やフォーク、クラシックなどでもこのフェルマータを多用している。歌詞の持つ世界を的確に聴き手に届けるには欠かせない手法で、譜面には(slow)と注釈を入れてあり、長さはその場の気分で直感的に決める。
 私は自ら「叙情派シンガー」としばしば名乗っているが、同時に技法的には「フェルマータシンガー」であるともいえよう。

 すでに閉店してしまったが、娘がかって通っていた芸術系高専のそばに「フェルマータ」という名の洒落たカフェがあり、PTAの仕事をしていた関係で、よく通った。いまは亡き経営者の方が店名に託したものが、何となく分かるような気がする。
 明日出演予定の地域FM放送の番組に関し、記しておきます。

・ラジオカロスサッポロ 78.1MHz
 AM11:00~11:55「森の時間~smiles」
(放送エリアは札幌市内全域です)
(番組内で復興支援ソング「花は咲く」を歌う予定です)

2012年6月24日日曜日

植物は裏切らず

 朝から町内会草刈りの奉仕作業に参加。5時間しか寝てないので、長眠族の私にとっては寝不足。しかし、今日は単なる草刈り作業のほかに、参加者に飲物を配る重要な役割がある。

 9時から始まり、エンジン式草刈機を持たない私は、30分ほど公園周囲の草刈機では刈れない塀や電柱の際を鎌でていねいに刈る。9時30分ころに切り上げ、町内会館に行って前夜から冷やしてあった飲物を段ボール箱に移し、車に積み込む。
 参加人数をざっと数え、少し多めに積んだはずが、いざ配り始めると特にジュース類の減りが早く、不足気味になってきた。あわてて追加分を取りに戻る。


 結果として、30本近い飲物が消えた。大人と一緒に参加した子供の分を読み違えたようだ。作業後は単なるお茶類より、甘みのある飲料が好まれることも知った。何事もやってみないと分からない。
 10時過ぎに終了し、お役御免。昼食前に睡魔に襲われ、食事もとらずに予備ベットの上で死んだように眠る。昨夜から続いた「買い出し」→「夕方からの役員会出席」→「翌日の草刈り作業と飲物配り」という一連のノルマをようやく終え、かなりホッとした。

 午後からは少し離れた場所で町内会主催の宴会があるが、慎んで欠席。最近は音楽がらみの飲み会でも苦手になりつつある。夕食時に妻相手に発泡酒で軽く一杯やるだけで充分だ。
 要するにトシだ、ということなのだが、昨今の収入額から考えると、身の丈にあった安上がりな心身になったと言えなくもない。そういうことです。
 残量がごくわずかになった乾燥カモミール、飲物のほか、化粧水としても極めて有効であると分かったので、今年は気合いを入れて周辺雑草をこまめに抜き、採取量を増やそうと目論んでいたが、いまのところ順調に育っていて、早くも一部には蕾が膨らみ始めた。
 手をかけてやれば、それなりに植物は応えてくれる。裏切らないね。

2012年6月23日土曜日

鬱陶しい話

 午後から近隣のディスカウントスーパーに出向き、30本のペットボトル飲料を買う。明日実施の町内草刈りボランティア作業参加者に配るためのもので、町内会活動の一環である。
 500mlボトルでも30本となると、さすがに重い。妻にも持つのを手伝ってもらうことになった。

 私の担当は街灯の管理で、直接関係のない仕事だ。しかし、いろいろな理由で今年度は担当者が決まらず、やむなく志願して引き受けた次第。
 本来、この種の仕事は「女性部長」という役職が担当してきた。いかにもジェンダー的で胡散臭い名称だが、要は掃除やら飲食の準備片づけなど、町内会の雑用係である。
 雑用係と書くと悪い語感だが、およそ町内会の仕事など、ほとんどが雑用のようなもので、それを単に分担しているに過ぎないのだが、それでも成りてがいない。


 おかげで今年度の女性部長は空白のままだ。従って、該当する仕事は誰かが代行せねばならず、進んで手を挙げる者などいないので、ならば私がやりましょうか、ということになった。
 飲物を前日に買って町内会館にある冷蔵庫で一日冷やし、作業日の当日に参加者に配る。購入時に町内会名義の領収書をもらい、会計担当者に精算してもらう。仕事はひとまずそれだけだ。
 男の仕事だ女の仕事だと区分けするのは意味がないと常々考えていて、日常生活でもそれは実践ずみ。それをただ公的作業に延長するだけのことなのだが、こんな簡単なことにもなぜか成りてがいない。今年度あと数回ある労働奉仕日には、すべて私が代行することになるかもしれない。
 現状の日本社会の在り方を象徴するものだと、つい思ってしまう。日本中が病んでいて、すべてのベクトルが内へ内へと向かっている。だから原発はいつまでたっても止まらず、不幸スパイラルはどこまでも続くだろう。いかにも鬱陶しい話である。

2012年6月19日火曜日

薄暮の札幌

 長いサーバーメンテナンスのせいですっかり?ご無沙汰した感のブログ。昨日の出来事をようやく記す。
 還暦同窓会で50年ぶりに再会し、昨春の自主企画コンサートにも来ていただいた小学校恩師から案内が届き、今年も道展を見に札幌市民ギャラリーまで行った。ハガキ1枚で二人まで入場可能とのことで、休暇で家にいた妻を誘ったら、喜んでついてきた。


 最近、膝痛に悩まれている妻をおもんばかり、移動距離が少なくて済む近隣のコイン駐車場を検索。わずか80mの距離に30分100円のリーズナブルな駐車場を発見。迷わないようにグーグルマップで付近の様子を調べ、万全を期した。
 平日の16時近くで、館内は空いている。500人近い方々の力作を1時間近くかけてゆっくりと見物。絵は仕事で半分関わっているが、色使いなど、魅力的な作品が多く、刺激になる。

 恩師の作品の前で記念撮影。何度写しても水平が曲がってしまうので、作品は私が撮り、あとで妻が写した自分の姿を合成して仕上げた。同じ位置、同じ高さで撮影したので、合成とは思えぬ出来である。
 恩師は70代半ばだが、還暦を過ぎてから始めたという絵に対する創作意欲は衰えていない。常に前を向くその生き方、見習いたい。


 いったん車を駐車場から出し、札幌駅近くの別の駐車場へと移動。たまに顔を出すカフェ「カエルヤ珈琲店」のイベントに参加していただいたJRタワー展望台への無料招待券があり、6月いっぱいがその期限。
 JRタワー内に陳列する黄色い旗にカエルの絵を描いて届けただけだが、そのご褒美のようなものである。
 昨年は長男と共に昇ってその素晴らしい展望に感動したばかりだが、今度は薄暮の時間に昇って、夕映えの札幌の街を見物しよう、という考えである。
 台風が迫っているせいか空は曇っていて、夕映えは見られなかったが、時間の経過と共に変化する街並みはよく見えた。


 夏至が近く、なかなか暗くならないので、展望室内にあるカフェでスフレケーキセットを食べたり、空中トイレに入ってちょっと怪しげな雰囲気を楽しんだりして時間をつぶす。
 19時過ぎくらいから、ようやく街のネオンが映えだす。昼間とは一味違う情景である。函館山から見る夜景に比べると見劣りするが、街の真ん中でこの景色が眺められるところがミソ。ぜいたくな時間を堪能した。

2012年6月18日月曜日

手製ギターストラップ

 久しぶりにギターストラップを作った。最近になってストラップピンに留める部分の穴が緩くなってきて、いつ脱落してもおかしくない状態。応急処置用のヒモはいつも持参しているが、「転ばぬ先の杖」である。
 前回はいつ作っただろう…?と記録を検索してみると、2009年2月だった。その前は2005年夏に作っているので、だいたい3~4年で寿命がきている。

 たいていの弾き語りシンガーはこんなものを自分で作らずに、サッサと買うのだろうが、そうはしないのが私らしいところ。自分で作ればタダ同然で、愛着も湧く。無駄なエネルギーを使わず、無駄な金も使わず、つまりは無用な労働もせずに済む。その分歌の練習に励める。いいことだらけである。


 今回の材料は、押入れの奥を整理していて発見したスキーケースのベルトを基本にした。色が濃いグレーで、どんなギターにも馴染む。
 心臓部であるストラップピン取付部は使わなくなった本革ベルトを使用。安い市販品はここが合皮製なので、ちぎれやすい。手作りではあるが、この部分にはずっと本革を使ってきた。

 革専用の針や糸もあるが、今回は試しにミシンを使ってみた。すると革が柔らかいせいか、手回しで運針すると何とかやれる。(ここでモーター駆動させると、たいてい針が折れる)かなり時間をかけて、どうにか格好がついた。
 前回作ったものよりも革が厚いので、長持ちしそうな感じ。折を見て、前回作った分も同じ革で修繕しようと思う。ライブが目白押しなので、予備は常にあったほうが安全である。


 一昨日のブログで「パキラが巨大化」などと記したばかりだが、もうひとつ同じ手当てを施した別のパキラが日毎にずんずん大きくなり、葉の大きさを測ってみたら、最大部分で40センチもある。手当てはあとからだったが、あっさり抜いてしまった。
 次々と復活してくれるのは嬉しいのだが、こうもあちこちで大きくなると、ちょっと始末に困る。これが本当の「嬉しい悲鳴」というヤツか。

 元々は7年前に実施した自宅コンサートの折に知人からいただいたもの。篭に一緒に入っていたシダの鉢も立派に育っている。当のご本人からの便りはその後途切れたが、きっとこのブログを読んでくれているはず。まだ元気で歌い続けています。

2012年6月17日日曜日

裏取り

 中高年むきの雑誌「O.tone」に連載中のエッセイの原稿推敲や参考画像の作成に励む。今月号が出たばかりだが、はや来月号の準備に取りかかっているわけで、これぞ月刊誌の宿命である。
 来月号の原稿はすでに仕上がっているが、まだその内容を記す段階ではない。今回は過去2回分のように記載した内容に関する徹底的な裏付け調査は軽めで済んだ。
 以前に少しふれたが、こうした調査は「裏取り」と呼ばれ、マスコミ全般はもちろん、ノンフィクションに代表される書き物の世界でも欠かせないもの。これがいい加減だと記事そのものに真実味がなくなり、信頼性の薄い、いい加減なものになってしまう。
 私はたとえ作り物の創作小説の場合でも、可能な限り徹底して調べる。たとえば以前に昭和40年代の北大恵迪寮の暖房を描写する小説を書いた際、実際に暮らしていた方に取材したことがある。
 いま雑誌に書いているエッセイは昭和30~40年代あたりの懐かしいものが対象なので、あいまいな記憶だけでは書けない。ネット情報はお手軽だが時に不正確で、そのまま使うのは危険。前々回はデパートや新聞社、前回はビール会社に直接連絡し、事情を話して正確な情報を得た。

 大変面倒な作業で、書いている時間より調べている時間のほうが長かったりする。しかし、歌とは全く異なる面白さがそこにある。「裏取り」によって得た情報の要旨は、エッセイ冒頭欄外にも掲載してある。編集長さんのアイデアで、当初は予定になかったが、おおむね100字のちょっとしたアクセントである。


 エッセイには内容にそったカラーイラストが毎回掲載されているが、この素案となるラフスケッチも最近は私が描いて送っている。上のイラストは先月分のもの。そこらのメモ用紙にザクザクと描いてスキャンしたものだが、これを元にプロのイラストレーターが見事なタッチで仕上げてくれる。
 自分のHPに掲載していたときは、これらの作業を全て自分一人でやっていたが、やはりプロの仕事は一味違う。私のラフと雑誌掲載の作品とでは微妙に異なるが、どこかどう違っているのか、雑誌をお持ちの方は見比べてみるのも一興。
 そのほか、主にネットで収集した参考画像も適当にまとめて出版社に送る。たとえばサッポロジャイアンツであれば、現存する写真がなければ正確なイラストは描けない。
 A4版1頁1400字のエッセイだが、形となって印刷され、店頭に並ぶまでには、目に見えない多くの手間や労力が関わっている。出版社の方はこの作業を毎月100数頁にわたってやっているわけで、仕事とはいえ、日々追われるハードな生活を送っているのだ。

2012年6月16日土曜日

巨大化パキラ

 札幌祭り(北海道神宮祭)も過ぎ、札幌もいよいよ夏到来である。ふと気づくと、2ヶ月前に大胆な土換えをを施し、その後1ヶ月目に小さな新芽が出たパキラの葉がみるみる育ち、写真のように30センチを優に超す大型の葉に成長した。
 次なる新芽2個もすでに育ち始めており、イチかバチかの手当てが見事に当ったようだ。


 植物の持つ生命力の強さをつくづく感じる。お役ごめんとなった古い葉は、すでに切り捨てた。

 自宅にある植木類が復活したり花が咲いたりすると、妙に縁起をかついで大喜びする人がよくいるが、たまたま手当てが当っただけのことで、嬉しくはあるがそう大騒ぎすることでもない。タロット占いのほうが余程的を射ている。
 物事がよき方向に進む条件があるとするなら、正しい判断とその後の努力、そして最後は時の運であろう。

2012年6月15日金曜日

サッポロジャイアンツ

 一昨日のチカチカパフォーマンス第1部終了後に声をかけていただき、案内状をお渡しした通りすがりの方から昨夜メールがあった。名刺をお渡しした方からの連絡は過去にもあったが、案内状を作ってからは初めて。
 前回は用意した33枚のうち、合計1時間のライブ終了後に数えてみたら、28枚が消えていた。つまりは、少なくとも28名の方にはかなりの関心を持っていただいたことになる。「案内状を持ってゆく」という行為は、そう評価していいと思っていたが、その結果が早くもでたことになる。
 メールには自己紹介を含めて、私の歌に関する感想などが細々と記されていて、冷静な第三者の視点が非常に参考になったが、なかでも以下の一文は胸に深く響くものだった。

>弾き語りには、背景に歌い手の人生が醸し出されますね…

 この数年、同じようなことをよく考える。歌の最終的な勝負は「人生をいかに生きたか(生きているか)」ではないかと。それを通りすがりの方に感じ取っていただけたことで、我が弾き語り人生は充分に満足できるものだった、(まだ終わってはいないが)と言えるのではないだろうか。
 ストリートライブにこだわり続けてきて本当によかった。


 エッセイが連載中の雑誌、「オトン O.tone」の最新号が今月も出版社から送られてきた。今月号では、かって北海道内で限定発売されていた巨大な2Lビール「サッポロジャイアンツ」について書いている。
 今回は単にモノに関する記憶だけでなく、それにまつわるホロ苦い青春の想い出についても思いを馳せていて、ちょっとした新境地開拓では?と自己評価。機会があれば、ぜひ目を通してください。

 ところで先月号でふれた「丸井のニュース劇場」に関し、読者から届いた感想が巻末近くの「リーダーズ・ヴォイス」に掲載されている。あちこち裏付け取材し、(これをギョーカイでは「裏取り」と呼ぶ)苦心して書いたものに反響があるとやはりうれしいもので、苦労も吹き飛ぶ思い。

2012年6月13日水曜日

チカチカの「花は咲く」

 通算14度目となるチカチカパフォーマンスを実施。最高気温が17度前後と肌寒い陽気で、そのせいか体調がすぐれず、不安を抱えたままの参加となった。
 会場は北4条広場。前回、北大通広場で久しぶりに歌ってみて、北4条広場の音響環境のよさを思い知った。壁と低めの天井に囲まれた半閉鎖空間なので、音の反響が抜群によく、歌っていて心地よいのだ。

 今日はジャグラーの方と共演の予定だったが、15分前に事務局に手続きに行くと、まだ来ていないという。最初のパフォーマーの責任分担であるずっしり重い看板を2つ抱え、よろける足取りで会場へと向かった。
 この日から地下歩行空間は節電のため、照明が24%減らされると聞いていた。なるほど確かにかなりの数の照明が消されているが歌うには支障がなく、そもそも中華Padを使った電子譜面は暗闇でも普通に機能する。


 定刻より少し遅れて14時2分くらいからライブ開始。この日の構成は1ヶ月ぶりとなるシャンソン&クラシック。マニアックな内容なので、集客はフォークや昭和歌謡に比べると落ちるのが常だが、その分熱心な聴き手が多いのが特徴である。
 およそ28分で以下の8曲を歌った。

「恋心」「さくらんぼの実る頃」「サンタルチア」「モルダウの流れ」「ブンガワン・ソロ」「詩人の魂」「恋はやさし野辺の花よ」「花は咲く(初披露)」
 最初の2曲はほとんど立ち止まる人もなく、聴いているのは開始前から床に座っていた男性一人。この方もなぜか拍手はくれずに、ひたすら目を閉じて瞑想するのみである。
 今日は厳しいぞと覚悟しつつ、淡々と歌い継いだが、「サンタルチア」から少しずつ人が集まり始めた。転換曲(捨て曲)の位置づけだった「ブンガワン・ソロ」でやや人が引き、「詩人の魂」あたりから再び増え始めるという、ほぼ予定通りの集客となった。


 ラスト近くになってじわじわと人が増え、この日の目玉だった被災地復興支援ソング「花は咲く」では15名近くに達した。
 数日前に覚えたばかりの初披露曲で、メロディ展開が非常に難解な曲。この日どうしても歌いたくて必死で練習し、体調悪化の遠因にもなったいわくつきの曲だったが、聴き手の反応は抜群によかった。
 4分を超える曲だが、フェルマータを一部に使ってシャンソン風のアレンジで歌ったのが効果的だったかもしれない。ラストでは無伴奏でボーカルを長くリフレインさせたが、終了前のその時点で盛大な拍手をもらう。

 終了後にかなりの人が集まってきて、数々の身に余る言葉をいただく。しかし、あくまで「素人にしては」という前提での評価に違いなく、勘違いしない程度にありがたくいただくことにする。
 第1ステージが終わってもジャグラーの方は現れない。やむなく15分休んだあと、黙々と第2ステージを始めた。
 14時45分から以下の8曲を30分間で歌う。時間に余裕があるのでMCを長めにし、体調もいまいちなので曲間の間合いも充分にとった。

「サン・トワ・マミー」「ドミノ」「野ばら(メドレー)」「あたらしき世界(オリジナル歌詞)」「サクラ咲く(オリジナル)」「夢路より」「帰れソレントへ」「マイ・ウェイ(初披露)」

 第1ステージとがらり変わって、1曲目からどんどん人が集まってきて、あっという間に10名を超えた。なぜか若い女性も多数。いつでもどこでも「サン・トワ・マミー」は強い。
 しかし、2曲目以降になると人は激しく増減した。メジャーな曲を歌えば人は集まってはくるが、永続性はない。あくまで刹那的な動きである。いかにして集まった人をその場に長く留められるか?が問題なのだ。

 捨て曲のつもりで歌ってみたオリジナル「サクラ咲く」、出来は決して悪くなかったが、シャンソン系の場では馴染まなかったようで、聴き手は2人まで激減した。前回フォーク系の場での反応とは対照的で、やはりこの曲はフォーク系と位置づけるべきらしい。
 それでもラスト3曲ではかなり持ち直し、10名前後の聴き手で終えることができたので、トータルの集客としてはまずまずだったといえよう。「マイ・ウェイ」は2年近くも練習してモノにならず、一時は人前で歌うのを諦めた曲だったが、予想外にいい手応えだった。
「サン・トワ・マミー」と同じく、この曲も一般には受けがよいと知った。体調は最悪だったが、確かな収穫を得たライブであった。

2012年6月12日火曜日

励まし路線放棄

 近隣の地域センターから連絡があり、来月中旬実施の夏祭りイベントの打合せに出向く。土日の2日間、延べ17時間を使って実施される大規模なもので、出演は踊りや歌、楽器などプロアマ交えて、合計24組にものぼる。

 昨年は同じ地区センター主催のコンサートに2度出演させていただき、今年も主催は別組織ながら、すでに地域中高年対象のイベントに一度出ている。どのような場でも年に2度も出れば、必ず飽きられる。「またあの人出てる…」ということになりかねない。
 そんな自分の立場をおもんばかり、今回は完全に穴埋め、ツナギのポジションでの出演をお願いしてあった。細く長く活動を続けるには、何事もほどほどがよろしい。


 タイムスケジュールを見ると、私の出番は2日目日曜の12時半からで、時間帯としては確かにツナギの位置だが、入替えを含めて持ち時間は40分もある。これはいくらなんでも条件が良すぎる。担当の方と交渉し、出演時間を30分に削っていただくことにした。

 その後、およその選曲について打合せ。今回は過去の反省から、これまでの夏祭り系イベントとは全く異なる構成で臨もうと思う。具体的には、目下チカチカパフォーマンスで実施中の昭和歌謡から2曲を選び、最初と最後に配置。間の4曲を外国民謡3曲とあまり歌われていない宮崎アニメ1曲でつなごうというもの。
 6曲とも初披露かそれに近い曲で、昨年の地域夏祭り系イベントで試みた「上を向いて歩こう」「涙そうそう」「手のひらを太陽に」などの励まし系路線はすべて捨てることにした。
 果たしてこれが吉とでるのか凶とでるのか、やってみるまで分からない、出たとこ勝負の怖い世界なのである。

2012年6月11日月曜日

団塊世代を生んだ背景

 私はいわゆる「団塊の世代」と呼ばれる年齢である。突出した人口の世代であったため、得をするより損をすることのほうが多かった気がするが、好んでこの世代に生まれてきたわけではなく、たまたま放り出されただけである。
 この世代が生まれた最大要因は、敗戦による復員、つまりは戦争そのものだろう。「産めよ増やせよ」の国策からではなく、男女の自然な営みから発生した、極めて人間的で平和な人口増だった。


 私の父は乙種合格で終戦間際に招集はされたが、南方戦線に行く直前に持病の胆嚢炎の疼痛に見まわれ、横浜の兵舎で一晩喘いだすえ、「お前は足手まといになる」と故郷に帰されたという。
 この時点で私はまだ生まれていず、影も形もない。父が乗るはずだった船はその後戦地で撃沈され、全員が戦死したらしいので、もし父が突然の疼痛に見舞われていなければ、私はこの世に存在してなかった。
 出生に間接的に戦争が関わっていたことは間違いなく、人はそれぞれいろいろな奇跡が重なっていまを生きているのだと思う。

 団塊の世代はその多さゆえ、否応なしに社会に大きな影響を与え続けてきたらしい。気の毒なのは「団塊の次の世代」で、常に団塊世代に頭を押え続けられ、彼らがようやく社会の第一線を退いたと思ったら、景気低迷で今度は自分たちが冷や飯を食わされる立場となった。
 ときどき、「団塊の次の世代」からの強い風当たりを我が身に感じることがある。20代の早い時期に出世レースから早々と降りてしまった私でさえそうだから、組織のまっただ中にいた人たちは、もっと凄まじかったのだろうかと想像する。
 この世はおしなべて嫉妬と憎悪に満ち満ちているものだから、そう驚くこともないが、そのエネルギーを他に向けることが叶えば、人生はもっと豊かなものになるであろうにと、ふと思う。

 どっちにしても恨むのは個人でも世代でも組織でもなく、強いていうならば、そんなものを生んだ時代背景である。時代を支えているのは他ならぬ人間、つまりは自分を含めた社会全体であり、責任は社会構成員それぞれにあるということになりはしないか。
 うまい具合に、ぐるり回って元に戻った。メビウスの輪のように。

2012年6月9日土曜日

ジャンル不詳

 午後のお茶を妻と飲みつつ、テレビをボ~と眺めていたら、「被災地復興支援ソング」なるものが流れ始めた。都合5分を要する長い歌で、以前にもどこかで聴いた気がしたが、著名人がワンフレーズずつ交代で歌うスタイルと、郷愁をそそる歌詞とメロディについ引きこまれ、最後まで見届けた。

 タイトルは「花は咲く」。さっそくネットで調べてみると、NHK東日本大震災プロジェクトのテーマソングとして企画され、作詞作曲歌のすべてが東北関係者である。先月末にCDとして発売されたばかりのようだ。


 歌詞は見つかったが、ギターコードはアマチュアがカバーしてYouTubeに数曲ある程度。メロディはちゃんとしたものをNHKの番組表から検索して予約し、何とか録画に成功した。
 その後、メロディをなぞりつつ、延々とギターで弾き語る。唱歌のようでいて歌謡曲ふうでもあり、フォークの匂いもしつつ、シャンソンのようでもある不思議な曲調で、いかにも通りすがり対象のストリートむき。次回のチカチカパフォーマンスでさっそく歌ってみようかと思案中である。

 実はできたばかりのオリジナル「サクラ咲く」も偶然だが、花に関連する曲でジャンル不詳の不思議な曲調。先日のチカチカパフォーマンスで好評だったので、次回のシャンソン&クラシック特集でも歌う気でいた。
 不思議な縁でつながった感の2つの曲、しばし歌い込んでみたい。


 昨日数年ぶりに弾いてみたS.Yairiのエレアコに関し、弦をすべて緩めてサドルやブリッジ周りを入念に調べてみた。多少緩みや歪みのあったサドルをヤスリやテープで調整し、何度かテストした結果、昨日よりは幾分バランスがよくなった。
 しかし、直後に弾いてみたオベーションと比べてみると、やはりアルペジオでの音の差は歴然。3倍もの価格差はダテではなかったらしい。

 それでも、非常時の予備としてなら充分に機能する。ひとまず壁に吊るしておき、今後はたまに弾いてやることで状態をチェックすることにした。

2012年6月8日金曜日

藤の花を観た


 近くの百合が原公園の藤の花が満開らしいので、休暇で家にいた妻と観に行くことにした。

 平日なので園内は空いていたが、駐車場そばにアジサイに似た白い花の木を発見する。自宅近隣にも咲いている家があり、アジサイにしては早すぎるし、そもそも幹が太すぎる。いったいあれは何の花だ?と、夫婦で話していたら、通りすがりの中年女性が、「あれはオオデマリの花ですよ」と親切に教えてくれた。
 直前に妻と、あれはコデマリではないか、いや違う、と議論していたばかり。なるほどオオデマリですか。ひとつ賢くなれましたと、通りすがりの方に感謝する。


 近くにある藤棚は、ほぼ満開の様相。幹によっては盛りが過ぎていたが、過去に訪れたなかでは、最高の見頃だったかもしれない。新聞に掲載されたばかりのせいか、ここだけはたくさんの見物客でにぎわっていた。

 10数本ある幹のなかで、1本だけ白藤があり、そのバランスが絶妙。いかにも雅な気分の花である。桜や梅もよいが、藤もまたよし。日本人に生まれたことを喜びたい。
 今年の桜を観た際には歌が1曲生まれたが、藤の花ではどうか?まだ分からないが、もし生まれるとするなら、短歌俳句の類いかもしれない。

2012年6月7日木曜日

伸びしろ

 サラリーマンをしていた若きころ、「お前はまだ能力を出し惜しみしている」と、口さがない上司からたびたび言われた覚えがある。入社7~8年目のころで、部下も確か5~6人はいた。
 仕事量も相当あったが、出社はいつも定時ギリギリの9時5分前、退社は部下が一通り帰ったあとの18時といった感じで、「残業社員はヤル気の表れ」という奇妙な価値観が席巻していた時代にも関わらず、最低限の労働しかしなかった。

 それでも仕事に穴を開けたことは一度もなく、トラブルも皆無。支店営業所や下請けからは重宝され、上に楯突いて下には手厚かったので、後輩社員からは何かと慕われた。
 傍から見れば、(アイツはまだまだやれるはず…)と見えたのかもしれない。実際、上を目指して媚びへつらい、権謀術数を駆使してガツガツ働く生き方もあったかもしれない。しかし、そうはしなかった。


 19時には家に戻り、3人の子供を風呂に入れ、晩酌をしながら家族で食卓を囲み、子供を寝かしつけた後は何らかの創造的な作業、たとえば小説の習作を書いたり、建築士の勉強をしたり、大量のスクラップ資料を整理して新しいDIYのネタを考えたり、ギターを弾き語ったりしていた。
 つまりは、余力のすべてを家族との時間や自分の趣味道楽の類いに費やしたことになる。上司がいう「伸びしろ」とやらは、こうした方向に向いていたといえよう。

 立身出世や金銭的な意味での上昇指向は20代前半に捨て去っていたので、このころに自ら選んだ方向性は、少しも後悔していない。だから齢60歳を過ぎたいまでも変わることなく、ベクトルは常に創造的な方向へと向かっている。
 やがて63歳を迎えようとしているいま、自分にまだ伸びしろはあるのか?と、ふと考える。特に仕事面ではいよいよ限界に近づきつつある気もするが、音楽や物書きなどの道楽面では、まだ伸びる余地がありそうな気もする。
 肝心なのは欲を捨てることだ。まだまだ修行が足りないが、そこをうまくクリアできたなら、伸びながら命尽き果てることもきっと叶うだろう。ひょっとすると、伸びようとすることそのものが我が人生なのかもしれない。

2012年6月5日火曜日

チカチカセッション

 通算13度目となるチカチカパフォーマンスを無事に終えた。かなりの回数をこなしたが、今回は初めて中4日でのライブ。気持ちの切換えと気力体力の維持が大事なポイントになりそうだった。
 前回に引続き、第2期パフォーマーの健・雄さんとの共演である。16時からは即興パフォーマーの宮脇誠さんのステージも入っていて、より徹底した時間管理が必要だった。

 今回の会場は少し遠い北大通広場だったので、早めの13時40分にKENさんと事務局のあるビル1Fで待ち合わせ。しかし、なかなか現れないので一人で先に手続きをしているうち、ようやくKENさんが到着。
 この日は雄さんも仕事の都合がついて参加できることになり、事前に大通り公園で入念にリハを重ねたとかで、つい出遅れてしまったらしい。
 手早く機材をセットし、普段通り14時ジャストからライブ開始。今回は30分交代で2ステージやる手はずになっていて、トップバッターは勝手知ったる私が務めた。
 この日のセット構成はフォーク&J-POP。事情で土曜日曜と2日続けて満足な練習ができず、喉は60%くらいの仕上がり。不安を抱えての第1ステージでは、27分で以下の8曲を歌った。

「青春2」「あの日にかえりたい」「傘がない」「あてもないけど」「あしたの君へ」「帰郷」「サクラ咲く(オリジナル)」「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」


 以前に実績あるジャグラーの方から「火曜日14時あたりは集客のゴールデンタイムですよ」と聞いていたが、確かに歌い始めるとすぐに人が集まってきた。3曲目あたりに軽く30名を突破。しかも、みなさん熱心に耳を傾けてくれる。
 状況次第では飛ばす気でいた7曲目のオリジナル「サクラ咲く」だったが、聴き手の熱い視線に勇気を得て、思い切って歌った。

♪サクラをみたよ 今年もみたよ あなたとみたよ 二人でみたよ…
 日々を清かに重ねてゆきたい あのサクラの花のように…
 実はこの曲、昨日できたばかりだったが、非常にいい感じなので初披露の場をチカチカパフォーマンスとした。こんな冒険ができるのもこの場ならでは。
 ブログにも記した妻との花見の情景を元に作った曲だが、やや歌い込み不足のせいか、ラストあたりで感極まって崩れそうになった。しかし、きわどくこらえる。歌い終えるといい拍手をもらった。歌ってよかった。


 14時30分から健・雄さんのステージ開始。今回は同じフォークの切り口なので、自分のステージ終了間際、簡単につなぎの案内もやった。そのせいか、そのままその場に残った方もけっこういて、やはり30名を越える順調な集客だった。

 健・雄さんは短めの5曲20分ほどで終了。予定が早まったので、第2ステージは15時少し前から始めた。しかし、同じ場で同じような傾向の歌だったのにも関わらず、なぜか集客は極端に減り、平均して10名前後である。
 そんなわけで、第2ステージでは予定していたオリジナル曲を省き、25分ほどで以下の7曲を歌った。

「大空と大地の中で」「河のほとりに」「限りない欲望」「Too far away」「突然さよなら」「惑星」「青葉城恋唄」

 予想外だったのは、力を入れたはずの「限りない欲望」の途中で数人の人が立ち去ったこと。メッセージ性の強い好きな曲だが、この日この場では受け入れられなかった。ライブは本当に難しく、まるで先が読めない。だから面白いんだよ、と言えなくもないが。
 15時30分からの健・雄さんの第2ステージも似たような集客傾向で、どうやら火曜日のゴールデンタイムは15時で終了だったらしい。
 ラストの「落陽」でふと思いつき、いったん片づけたギターを取り出して一緒に弾いてみることにした。2台よりも3台のほうが音は厚くなり、3人のセッションともなると、気分も盛り上がる。耳慣れた曲であることも手伝って、一気に人が集まってきた。

 ついには手拍子まで飛び出し、歌い終えると予期せぬ「アンコール」の声。事前のリハや打合せは一切なく、戸惑いつつも無難な「神田川」を歌うことになる。1番をKENさん、2番を私のボーカルとし、間奏その他はぶっつけで雄さんに任せたが、これが見事決まって大喝采を浴びた。
 アドリブやセッションの楽しさ賑やかさを通りすがりの聴き手と共有できた感じで、チカチカパフォーマンスの新しい可能性を感じた。