2008年4月30日水曜日

折れても咲く

 どんよりと曇った一日で、花見に行く気にもなれず、あれこれと月末の雑務をこなす。
 腰痛はまだ80%くらいの治りだが、リハビリをかねてJR駅前にある郵便局まで、片道1.7Kmの道のりを歩いた。早足だとキツいが、歩幅を小さくすると普通に歩ける。
 途中に見つけた花や木の写真を何枚か写す。仕事で使うCGの点景用だ。これから1ヶ月くらいは、花や木の盛り。資料の備蓄は日々怠らない。


 以前にちょっと書いた自宅北側の土手にあるサクラの木が、枝の一部が半分折れているのに、気丈に満開の花を咲かせている。
 以前から妻がこの枝を気にしていて、「少し枝を折って家に飾ろうかしら…」などと言っていたが、「やっぱしサクラは野に置くものでしょ」といさめていた。

 この冬の雪の重みで折れたのか、枝はもはや半分も残っていず、先端は完全に地面についてしまっている。だが文句ひとつ言わず、こうしてちゃんと可憐な花を咲かせた。強靭な生命力だ。
 ウダウダ理屈をこねて自分の置かれた場所に不平不満を並べ、無差別に人を殺したり、自分を殺したりしているのは人間だけってことか。見習えよ、このサクラを。

2008年4月28日月曜日

道は遥か遠く

 フォーク居酒屋での定例ライブが昨夜、無事終了。腰痛の回復が予想外に長引き、「腰痛コルセット」を密かに装着しながらのライブとなった。
 自己評価としての出来は、40点くらいか。はっきりいって、いまひとつかふたつの出来であった。

 原因のひとつは、腰痛や最近の寒暖の差の激しさからくる喉の不調。1曲目の「面影橋から」の1番ラストの大事な聞かせどころ、「オオヨドニィ~」の高音部で、声が一部途切れてしまった。
 体調不良のときにしばしば起きる悪い現象で、過去にも施設訪問ライブで何度か経験がある。2曲目以降は何とか修正したが、とても納得できるものではない。
 エントリー順は10組中の4番目だったが、クジ運がよいのか悪いのか、最初の3人の歌い手があまりに上手過ぎ、身の程知らずについ力んでしまったことにも崩れた遠因がある。
 何事でも(いっちょうやってやろう…)などといらぬ邪心が入り込むと、ロクな結果にならないという典型。自分のペースを守ることを、ついつい忘れていたようだ。


 この日のライブには「面影橋から」を発売当初の幻の歌詞で歌うという大きなテーマがあったが、何のことはない、歌ってみて見えたのは、大塩平八郎の志には遠く及ばない、わが身の小ささとぜい弱さという皮肉な結果。
 しかし、それを再確認できたのもひとつの収穫と捕らえるべきか。たかがアマチュアライブとはいえ、まだまだ道は遥か遠い。
 一日明けた今日、気を取り直して仕事に励んだが、やっぱり腰がジクジク痛む。仕事から戻った妻から腰痛コルセットを借り、夕方までに何とか仕上げてメール送信した。
 実は妻も私同様、かなりの腰痛持ちである。毎日の仕事には予防も含めて、必ず腰痛コルセットをつけて出かける。私が腰痛のときにつけられるのは、妻が勤めから戻ってからで、すごく不便だ。

 妻はかなり以前に医者の処方箋で薬局から買ったというが、5,000円近くもしたらしい。ネットで調べてみたら、ほぼ同じ仕様の製品が、送料こみでわずか1,600円でネットオークションに出品されている。すぐに入札し、その場で落札。落札価格が設定されている「即決」というシステムで、競り合う必要がない。
 コルセットをつけるとつけないとでは回復のペースが全然違うし、自分専用の物があれば、DIYや畑仕事の際には、予防のために最初からつけて作業することもこれからは可能になる。
 年と共にあちこちが衰えてゆくのは仕方がない。誰でも必ずそうなるのが宿命だ。上手に付合う方法を見つけてゆかねば。

2008年4月23日水曜日

消えた「面影橋」~後編

「面影橋から」の歌には、二つの歌詞が存在する。正確に書けば、かって2番だけに二つの歌詞が存在した。いま世に残っている歌詞は後から生まれたほうの歌詞で、最初の歌詞は彼方へと消え去った。
 古い歌詞に関し、私の手元にある唯一の資料は、1974年の自主制作デモテープである。つい最近聞き直してみたら、記憶の中に残っている古い歌詞と寸分の違いもなく、なぜかホッとした。

 古い歌詞カードや楽譜も丹念に繰ってみたが、こちらには新しい歌詞しか見つからない。当初はラジオからの耳コピーで確かに書きとどめた記憶があり、テープに残した歌もそれに基づいているはずだ。
 どうやら10年近く前に楽譜データを電子ファイル化した折、古い物は処分してしまったらしい。


 古い最初の歌詞をここに書き記すことはできないが、概要を記すことは許されるだろう。
「橋」をモチーフにした1番に対し、「坂」を2番にもってきた出だし部分は全く同じである。異なるのは中盤以降だ。

 現在の歌詞では「春はやってくるだろうか…?」と聴き手に疑問をなげかける形で書かれているが、当初の歌詞では、「春は二度とこない」ということになっている。ここに大塩平八郎の強い影を私は感じる。
 大塩平八郎は幕府という巨大な権力に対し、ほとんど独りで反乱を画策した男だ。儒学者で、かっては大阪町奉行所の与力。知識も、ある程度の権力や地位も得ていた男が、天保の大飢饉に苦しむ民衆のためにあえて蜂起した。
 享年44歳、いまなら人生の晩年を迎えた65~70歳あたりと考えていいだろう。自分の強い信念と引き換えに、命を捨てる覚悟は当然していたはず。つまり、彼にとってその年は最後の春。「二度とやってこない春」なのである。

「春は二度とこない」と絶望的に綴った最初の歌詞が、より強く大塩平八郎の人となりと死生観を喚起させていると私は思う。人生の儚さを聴き手に訴えている点で、個人的にはこちらを好む。
 ただ、この曲の大きな魅力のひとつである「叙情性」の面でとらえるとなると、現状の歌詞のほうが優れているかもしれない。「広く大衆の支持を得る」という視点から、こちらが残ったのだろうか。

 2番の歌詞でもうひとつ大きく違っているのは、現在の歌詞にある「めぐる思い出」が古い歌詞には一切登場せず、代りに「ある鳥」が登場すること。
 その鳥とは歌うことを忘れてしまった鳥で、2番のラストにある「影法師」のことを、「だから歌うことができないのです」と結んでいる。

 なぜ鳥が消えてしまったのかは、私には分からない。20代の頃、この部分を歌うのがとても好きだった。「歌を忘れた鳥」に、自分自身を重ねあわせていたような気がする。
 もしかするとその「歌」とは、大塩平八郎が現世に生きる我々に投げかけた、大いなるメッセージだったのではないか。「歌うこと、そして叫ぶことを忘れてはいけないよ…」と。
ラストが「影法師」で終わるのは新旧どちらも同じだが、現在の歌詞では「歌を忘れた」のは影法師ということになっていて、古い歌詞よりもメッセージとしての輪郭が薄れている印象がする。
「影法師」はあの世へ自ら進んで旅立った大塩平八郎の魂のはずで、古い歌詞ではそう受け取れる。そして「鳥」は、一見平和そうな現世に安閑として生き残る聴き手としての私たちだ。
 明解なメッセージ性を薄め、叙情性を重んじるという選択肢が、ここでも働いたのだろうか。

 ただ、メッセージ性を薄めたことで歌としてのナゾはより深まり、曲の魅力は増したとも考えられる。聴き手の心に訴える獏とした無常観は、現状の歌詞でも全く損なわれていず、そこが長くこの歌が支持されている大きな理由のひとつに違いない。
 歌が聴き手の琴線を強く揺さぶり、時に涙を流させるわけは、歌の背後に漂うものに聴き手が直感的にふれるからだろう。
 大塩平八郎の命日は、新暦の5月1日。もうまもなくだ。週末に実施されるフォーク居酒屋での定例ライブで、この「消えた面影橋から」を、35年ぶりに人前で歌ってみようと思っている。時期的にも、いま歌うのが最も相応しい。
 大塩平八郎が我々に遺そうとした何かが、もしかすると見えてくるかもしれない。歌ってみれば分かる。

2008年4月22日火曜日

消えた「面影橋」~中編

「面影橋から」は、大塩平八郎をイメージして作られた歌であることは前回書いた。この前提で歌詞をもう一度ひも解いてみると、1番の歌詞に出てくる「季節はずれの赤トンボ」は、大塩平八郎の化身と考えるのが妥当だろう。

 大塩平八郎が大いなる志を抱いて蜂起したのは、旧暦の2月末。いまでいう3月末の早春だ。秋に乱舞する赤トンボは、生きた証となる「子孫」をこの世に残し、すべて死に絶えている。
 大塩平八郎は乱を興した40日後にあえなく自決する。彼がもし戦乱の世に生まれていたなら、もっと別の生き方や死に方をしていたかもしれない。だから死に遅れた「季節はずれの赤トンボ」なのだ。


 大塩平八郎が決起した場所は大阪の天満橋近く。この橋は実在する。だが、この曲の歌い出しに出てくる「面影橋」は大阪には存在しない。それでも赤トンボは面影橋からやってきた。
 つまり、この歌の「面影橋」は夢の中の橋、過去の記憶の中にある橋、もしかすると大塩平八郎の前世を象徴する橋である。そして、その夢の橋から、現実の橋である「天満橋」へと赤トンボはやってくる。

 歌の中で赤トンボは最後に「日影橋」に流れ飛んでゆく。この「日影橋」も想像上の橋であることは、及川恒平さんのHPにも書いてある。仮に「面影橋」が前世の橋なら、「日影橋」はすでに影と成り果てた来世の橋、つまりはあの世にかかる橋ということになりはしないか。
 志かなわず、大塩平八郎は自決した。赤トンボの流れ落ちた先は、あの世である「日影橋」のたもとだったのではないか。
 これまでの記述はすべて私の勝手な想像で書いたものである。及川恒平さんご本人のHPにも書かれているが、「はっきりと何かを意識して詩を書いたわけではない」というのがどうやら本当のところらしい。
 そうなるとますます想像が膨らむのが聴き手としての悲しい性なのだ。

「面影橋から」には当初、1番しか歌詞がなかった。しかし、予期せぬ反応があったため、急きょ2番を追加したという。最初にラジオから流れた1971年ころの歌詞と、いま聞いている歌詞とでは、実は2番の内容が微妙に異なっている。
 これまた気になって1974年に作った自主オリジナルテープを聞き返してみたら、古い歌詞で歌っていた。ちょうどその頃が、歌詞の切り替わった時期だったような気がする。「面影橋から」には、闇へと消えた別の歌詞が確かにあるのだ。

 古い歌詞を得ることはいまではもはや困難で、その存在すら知らない人も多いはず。その二つの歌詞のナゾは、大塩平八郎の存在ぬきでは語れないと私は思っている。
(次回で終わります)

2008年4月20日日曜日

消えた「面影橋」~前編

 70年代フォークの代表曲である「面影橋から」は、後世に伝えるべき名曲だと常々思っていて、この曲が世に出た時期から、事あるたびにいろいろな場で歌ってきた。
 サラリーマンをしていた20代前半、当時社内で組んでいたフォークユニットで作り上げたオリジナルテープは片面が全曲オリジナル、片面がカバー曲という構成だったが、この「面影橋から」と、同じ六文銭の「雨が空から降れば」は忘れずに歌って入れた。

 昨年春にNHK札幌テレビ局の「フォークブーム再燃」という企画で取材を受けたとき、オリジナル曲「夕凪ワルツ」のほかにカバー曲としてこの「面影橋から」を歌い、本放送でもちゃんと流れた。
 2006年6月の「北海道神宮フォークうたごえまつり」でも、かなりの聴衆の前でこの曲を歌った。いつどこで、何度歌っても飽きがこず、その時折の宇宙観が目の前に開かれるという、実に不思議な曲だった。


 先日、この曲の作者である及川恒平さんが20代と思われる頃、ライブでこの曲をソロで弾き語る貴重な映像を観る機会があった。著作権問題がクリアされているか否かが定かではないので、子細は書けない。しかし、その風貌も歌唱法もいまとは微妙に異なっている。
 胸まで伸びた長い髪はともかく、声そのものは人生の年輪を重ねたいまのほうが、より力強く感じた。

 当時の映像を眺めながら一緒に歌を合わせているうち、これまでずっとストロークで歌ってきたギター奏法を、一度アルペジオでじっくり弾いてみようか、という気分になった。
 ご本人がライブで歌うときは、いまも昔も変わらずアルペジオで弾いて歌っている。だが私が歌う際には、自己流の解釈でより力強いイメージのストローク奏法にこだわってきた。
 気になって35年前の古いカセットテープを探し出し、聴き直してみた。すると、キーは違うが、ちゃんとアルペジオ奏法で弾いている。いまよりももっと貧乏だった当時、六文銭のレコードは買えず、もっぱらラジオから流れる「耳コピー」専門だったから、奏法もそれに合わせた可能性が高い。

 35年前の自分が歌う「面影橋から」を聴いていて、とても恥ずかしくなった。若いのでキーは確かに高いが、ともかく歌が薄っぺらい。自分の最近の音源と比べてみても、その差は歴然。
「北海道神宮フォークうたごえまつり」で別の歌い手から、「あの歌の世界は難しくて、よく理解できない」と言われたことをふと思い出した。作った当人である及川恒平さんですら、若い頃といまとでは、歌の奥に広がる世界観が違って見える。「面影橋から」はきっとそういう歌なのだ。

 この「面影橋から」は、芝居の挿入歌として最初は作られた。いきさつは歌の作り手である及川恒平さんのHPに詳しい。
 その芝居とは、「大塩平八郎の乱」である。「面影橋から」はずばり、江戸末期に幕府の悪政に抗って蜂起した儒学者、大塩平八郎の歌と言い換えてもよい。
 この歌の背後に垣間見える世界観、宇宙観の大きなポイントがそこにあると私は思っている。
(次回に続きます)

2008年4月18日金曜日

されどフライヤー

「フライヤー」という言葉を初めて聞いたのは4年前のこと。ふとしたきっかけから、フォーク歌手の及川恒平さんの札幌・時計台コンサートを主催することになったときだ。
 フライヤーすなわち、コンサート等のイベントを一般に告知するための宣伝チラシ(ポスター)のことだが、主催者としてはズブの素人だった当時、PA(音響機器)やフライヤーなどの専門知識は全くなかった。

 見よう見まねの手探りで、苦労のすえに何とかコンサートのフライヤーは完成させ、一部はそのまま予約チケットのデザインにも転用した。
 何も知らない素人であっても、熱意さえあればたいていのことは叶うもののようで、いま見返してもフライヤーの出来そのものは、決して悪くない。
 その後必要に迫られ、自分の自宅コンサート用フライヤーを年に1~2回のペースで作った。作品の質は徐々に向上していったと思う。
 その技術は、併行して進めていた仕事の画像処理や、デザインコンペのプレゼンテーション作成にも活かされた。趣味と仕事とが相乗効果で発展する望ましい形だった。


 作風には自分の好みに沿ったいくつかのパターンがあり、状況に応じてそれらを使い分ける。
 パターン化された画像処理は極力避け、使う写真やイラストもフリー素材はほとんど使わず、自分の「足」を使ってイメージにあった風景を求め歩く。必要ならイラストも一から自分で描く。オリジナリティを突き詰めてゆくと、どうしてもそうならざるを得ない。

 最近になって、文字をゆるやかに波立たせる技を会得した。枠取りや影つけ、ボカシ等はすでに誰でもやるありきたりの処理になってしまったが、この技は難易度が高いので差別化がまだ図れる。
 去年の暮れから、お金をいただいてフライヤー作成の仕事を請け負うようになった。作り方はこれまでの手法と大きく変わってないが、より一層の研磨が今後必要になってくるだろう。でも、とても楽しい仕事だ。広い意味での「デザインワーク」なので、何も抵抗はない。
 しかし、あくまで本業は建築。そこはわきまえておかないと。

 前述の及川恒平さんは、自身のライブで使う多くのフライヤーを自分でデザインし、作っている。歌やライブの創作イメージをとことん追求すると、結局はそこに落ち着くのだろう。
 フライヤーを見るだけで、そこから広がるおよその音楽世界が推し量れる。「たかがフライヤー」だが、むろんただの飾りではない。

2008年4月15日火曜日

ミズバショウ探索

 天気がよく、ライン業務も一段落。週始めは午前中に仕事の電話が集中し、午後は電話があまり鳴らない、という法則がある。そこで休暇で家にいた妻を誘い、近隣の湿原にミズバショウ見物に出かけた。
 場所は車で20分弱のところにある「石狩マクンベツ湿原」。いつもは4月末が見ごろだが、今年は春の訪れが急。あらかじめネットで開花状況を検索し、いまが見ごろという情報を得ていた。

 週末ではないので、人影はまばら。駐車場も難なく停められた。
 空は快晴で、湿原のネコ柳も芽を吹き始めている。茅の枯れ葉で埋め尽くされた湿原には、ミズバショウがいまを盛りと咲き誇っていた。


 行き交う人には、私たちのような中年夫婦が多い。しばし歩くと、去年できたばかりという木道があった。事前に調べたネット情報にもあったが、湿原の真ん中を貫くように遊歩道が完成している。ここにくるのは2年ぶりなので、歩くのは今日が初めてだ。
 さっそく入ってみたが、これまで遠くから群落を眺めるだけだったミズバショウをごく間近で見ることができ、大変具合がよろしい。
 木道にはさすがに人で溢れていたが、随所に広い「すれ違いスペース」が確保されているので、歩くのに支障はない。
 ただ、「木道」といっても実際には木材ではなく、樹脂製のマガイモノが使われていた。コストや管理面を考えるとやむを得ないかもしれないが、やや興ざめ。
 20年ほど前に行った雨竜沼湿原には、見事な本格木製の木道が敷設されていた。いまでも変わっていないだろうか。

 木道の途中は木々が一部途切れ、茫漠とした枯れ野原が広がり、そこにはミズバショウは全く咲いていない。ちょっとした異次元空間なのだが、この獏とした感じがなかなかよろしい。
 500mほど続く木道の行き止まりは石狩川の蛇行で生まれた三日月湖。さざ波の打ち寄せる広い水辺のはるか向こうには、雪が残った暑寒別岳の山並がかすんで見える。この眺めもまたよし。


 木道は迂回していないので、来た道をまっすぐに戻らねばならない。帰り道、群落の中に一株だけ赤いミズバショウを見つけた。
 これは新種か突然変異のミズバショウに違いないとカメラにおさめ、帰ってから調べてみたら、どうやら「ザゼンソウ」というミズバショウの仲間らしい。な~んだ。
 でも、初めてみた珍種に違いはない。何だか得した気分。
 出口の新しい看板に、英語で「skunk cabbage(スカンク・キャベツ)」という記述あり。もしかしてミズバショウって臭いの?と思ったが、そんな覚えはない。これまた帰ってネットで調べてみたら、臭いのは一株だけあったザゼンソウのほうらしい。
 ちなみに、英語で「skunk cabbage」はザゼンソウのことで、本来の白いミズバショウは、「asian skunk cabbage」なんですと。知らなくてもいいウンチクですが。

 歩き疲れた帰路、途中にあるロイズコーヒー石狩工場の売店に寄って冷たいコーヒーを飲み、洋梨パイを二つ買った。
 家に戻ってからおいしく食べたら、何だか疲れがでて、しばしのうたた寝。たまにはノンビリもいいでしょ。

2008年4月12日土曜日

もっと安くなる

 パーソナル電話をPHSから携帯に変えてから、2年が経過した。一匹狼の個人事業主なので、PHS導入は比較的早かったが、通信エリアの不都合と携帯料金の低下、そしてPHSサービスそのものの打切りなどの理由で携帯に変更した。
 パーソナル電話は仕事用として持っているだけだから、メール機能やネット機能は必要ない。だからこれらの契約はしていない。従って月々の料金は2,300円強と、かなり安い。(はず)


 ところが最近になって、同じ電話会社で家族同士なら料金がタダ、という新サービスが始まったことを知った。これまでも「年割」「家族割」というサービスを有効に使ってきたが、時代は日進月歩。もしやもっと安く使えるのでは?と、さっそくネットで調べてみた。

「あなたに最適のプラン診断」なるものでチェックしてみると、「誰でも割」という新サービスを使い、同時にプラン体系を変更すると、月々の料金が現行よりさらに500~800円も安くなることが判明。
(ちなみに携帯はAUで、1年続けて使うことを条件にタダで手に入れた)
 月々の積み重ねなので、500~800円の差は相当大きい。さっそく変更手続きをすることにした。
 料金体系や付加サービスの変更はショップに行くのが普通だが、ネット会員登録を済ませば、自宅のパソコンからでも簡単にその場で手続きができる。
 IDやらパスワード等の設定や管理が煩わしく、ハッキングのリスクもある。この種のネット登録をあまり増やさぬよう心がけているが、経費節減のためにはやむを得ない。ともかくも手続きは済ませた。来月から月の通話時間が50分以内なら、料金はわずか1,890円で済むようになる。

2008年4月7日月曜日

スピード=誠意

「ハンチングが好きだ」と以前に書いたが、二つ目のハンチングをついに手に入れた。入手先はネットオークション。
 結婚記念日にあやうく5,000円のハンチングを買いそうになったが、ぐっとこらえて帰宅したあと、ふと思いついてオークション情報を検索してみたら、あるわあるわ。
 5,000円近い高級品もあったが、価格で条件を絞りこんだら、開始値800円の格安品をいくつか発見した。

 マークをつけて数日間見守ったが、一向に買い手が現れない。そこで妻にも写真を見てもらい、「これがきっと似合うわよ」というオススメに従って、グレーのツイードのハンチングに候補を絞り込んで入札した。


 2日後、競争相手も現れず、あっさりと最低価格で落札。過去にもいろいろやったが、こんなに楽なオークションも珍しい。いまどきハンチングをかぶる酔狂なヤツなどいないのか?
 落札1時間後に、早くも「落札ありがとうございます」とメールが届き、先方の住所氏名や連絡先、具体的な振込み方法等が記されていた。すぐに振込み予定日と振り込む口座、こちらの住所と電話番号を相手に返信する。

 この種の相互連絡は早ければ早いほどよく、はっきり言って、連絡の早い相手は誠意のある相手と考えてよい。どの世界でも共通するかもしれないが、「スピード=誠意」なのだ。
_翌日、すぐに送料こみの代金を指定口座に振り込む。振込み手数料は落札者(今回は私)の負担が普通だが、こちらのゆうちょ銀行口座から、相手のゆうちょ銀行口座に直接ATMで振り込むと、手数料がタダなのである。
 過去の経験で、この手段が最も手数料が安く済む。つまり、売り手の指定口座にゆうちょ銀行があるかないかが、大きな分かれ目。これを入札の条件のひとつにしてもいいくらいだ。
 たかが手数料だが、500円の代金で300円の手数料を平気でとる金融機関もあるから、油断ならない。

 そして今日、商品が無事届いた。ウールとアクリルの混紡だが、レッキとしたツイードのハンチング。ほぼ希望通りのグレーで、サイズもぴったり。価格は送料こみでわずか940円。中国製だが、未使用の「新中古品」である。お買得だった。
 今回の取り引き相手は大変誠意ある人で、代金を振り込んだその日に品物を送ってくれた。

 ネットオークションは顔が見えないので、サギまがいの行為も確かにある。しかし、危ない相手とそうでない相手の違いが、最近何となく分かるようになった。
 とにかく事前の情報をよく見ることで、これまでの「オークション評価」の熟読は必須だが、たとえば送る手段や振込み口座に選択肢がない相手などは、ちょっと危ないかもしれない。もし(危なそう…)と感じたら、たとえオイシイ品物でも、手を出さないこと。

2008年4月6日日曜日

環境主義

 Vistaが出たばかりだというのに、マイクロソフトがまた新しいOSを発売するとか。私はようやくXPを使い始めたばかりだが、機能には十分、いや十二分満足している。これ以上何を新しくし、これ以上何を便利にしようというのか。
 果てしなき開発競争は、Mac-OSでも例外ではない。こちらも私はようやく10.2にアップグレードしたばかりだが、世間では3世代も新しい10.5(レパード)が主流。

 次々と新製品を開発し、次々と新しい需要を掘り起こし、果てしなく利益を追求する経済図式は、パソコンのOSに限ってはいない。
 私の関わる住宅産業も似たり寄ったりで、企業側の戦略に踊らされ、たいして必要もない設備機器を、無理矢理買わされているのが実情だ。
 消費者がその戦略に乗らなければよい。たとえば車はエンジンが動く限り、扉に穴が空くまで何十年でもトコトン乗り続ける。(私です)
 温風乾燥式自動洗浄トイレや、自動食器洗浄乾燥器、全自動乾燥機付洗濯機、調理機能付レンジ等の「過剰文明機器」の類いは、一切買わない。(我が家です)

 そんな時代が日本にくるとは思えないが、もし万人が身の丈にあった慎ましい暮らしを始めたとすると、この世はかなり過ごしやすくなると思う。
 ただ、「果てしなき成長ごっこ」は止まってしまうので、それすなわち、資本主義経済の終焉を意味する。現状の経済にマヤク的に依存している人には、とても堪えられない世界だろう。
 そしてそのあとにくる社会は、もちろん社会主義経済ではないはず。

フキノトウの新芽を食べた

「環境主義」という言葉がふと思い浮かんだが、気になってネットで検索してみたら、すでに唱えている人はいた。

 定義としてはいわゆる「エコロジー」とは全く違っている。エコロジーはあくまで資本主義経済の「尻拭い」に過ぎないと。なるほどね。
 いつもこのブログでふれていることと大きな隔たりはなく、「勤勉で無欲になること」が大きなポイントらしい。「閉じてゆく日本社会」がそんな選択をするとは、とても思えないが。

2008年4月3日木曜日

椅子を作る

 一日がかりで椅子を作った。といっても、得意のDIYの話ではなく、仕事で使う3D-CGデータでの話。
 このところ室内パースの注文が急増し、手持ちの家具データの使いまわしでは限界を感じ始めていた。

 建物はメーカー毎にデザインが異なるが、点景となる樹木でも花でも空でも家具でも、同じ物ばかり使ってしまうと、同じような雰囲気の画像となってしまい、時にクレームになりかねない。
 理想的なのはメーカー毎に異なるデータを使うことだが、すべてのメーカーで違う素材を使い分けることは、現実には難しい。


 そこで樹木や花なら、枝ぶりを加工したり花の配置を変えたり、露出を調整して色あいを変えたり、空なら雲の数を増やしたり、家具ならシートの色や木の質感を変えたりして工夫する。
 それにも限界があるので、雰囲気の異なる新しい素材を定期的に補充するのは、飽きられない仕事を長く続けるうえで、とても大切なことなのだった。
 今日は絶対量が不足している椅子を作った。参考になる写真をいくつか見繕い、およその寸法を写真から推測し、データを作り上げてゆく。実際に木材を加工して作るのとは別の難しさがあるが、図面で寸法が指定されることが大半の建物と違い、デザインの自由度が高いので、なかなか面白い。
 写真はその完成図。直線的なラインと自然素材が好きなので、どうしてもそんなデザインに偏りがちだが、明日以降、もっと曲線的な椅子とメタリック素材の椅子もそろえる予定。

 新たなライン業務が入るまで、地道だが大切な作業がしばらく続く。

2008年4月1日火曜日

今冬の暖房灯油消費量

 昨日、この冬最後の灯油を給油した。主に夏に給湯で使った分を補給する11月上旬の給油を除き、合計3回分の灯油量(給湯分を含む)は、以下の通り。

・2007.12.23/251.7L
・2008.02.04/287.8L
・2008.03.31/262.6L …合計802.1L

 使ったお金は合計で70,678円、冬を11月~3月の5ヶ月とすると、単純計算で1ヶ月あたり14,136円という数字になる。
 上記は毎日入る風呂の給湯分を含んだ数値で、給湯で使う灯油量は約1.5L/日であることが、暖房分灯油を使わない夏期の灯油消費量などから分かっている。
 この数字から純粋な暖房分の灯油消費量を計算する。

・802.1L-(1.5L×150日)=577.1L

 この冬の灯油価格で一番高かった時期が、およそ90円/Lだったから、この数値で1ヶ月あたりの暖房灯油代を試算すると、

・577.1L×90円÷5ヶ月=10,388円

 8年前に建てた超ローコスト住宅にしては、なかなか(すごく?)よい数字である。

 暖冬だった去年の冬期灯油消費量が、実は合計で833.0Lだった。(給湯分を含む)今年の冬は去年よりもはるかに厳しかったが、30.9L(4%)減少している。
 結果として、高騰した灯油価格のダメージは、最小限で済んだ。
 次に暖房床面積あたりの暖房灯油消費量を計算する。

・577.1L÷92.75平米=6.22L/平米

 この数値が小さいほど断熱性能がよいという理屈になるが、同様の計算をごく普通の北方型高断熱高気密住宅でやった場合、ほとんど10を越えるはず。(自宅の各種データが分かる方は、ぜひ試算してみてください)これまた超ローコスト住宅にしては、「モノスゴクよい数値」なのである。

 モノはついでなので、暖房気積(吹抜けやロフト、床下や天井裏まで含めた全換気容積)あたりの暖房灯油消費量も計算してみよう。

・577.1L÷280立米=2.06L/立米

 残念ながら、暖房気積あたりの灯油消費量を評価した数値基準は、世間にあまり見当たらない。ただ、もし他の最新住宅と比較したとしても、決して引けを取らない自信はある。
 前述の「暖房床面積あたりの灯油消費量」は多少議論されることもあるが、どのメーカーもあまり表には出したがらない。建物の性能がモロに数字として出てしまうからで、はっきりうたっているのは、技術に自信のある設計者かメーカーだけだ。
 各種数値が入居後8年で過去最高の数値を示したが、理由として考えられるのは、日中の窓ブラインドをすべて全開にし、太陽熱を最大限に活かしたことか。(窓の位置と大きさは最も効率的になるよう、設計時に日影計算でチェック済み)
 換気による熱損失は極めて大きいが、パッシブ換気の換気量を最小限に絞ったことも、かなり効いたかもしれない。(機械換気はトイレとキッチン以外使っていない)

 参考までに、室内の日中設定温度は20度で、ボイラの運転方法はこれまでの7年間と大きな差はない。
 もちろん、室内空気の汚染や室内結露とも無縁。大きな投資をせずとも、少しの創意工夫で、ローコストで豊かな暮らしは叶うのだ。