2012年7月31日火曜日

ライブ時間の限度

 6日連続の真夏日、つまりは30度を突破した。何でも15年ぶりの記録だそうな。幸いに、壁に繁茂したツタのおかげで、日中でも室内が30度を超えることは稀。エアコンも扇風機もないが、短パン姿で何とか凌いでいる。

 8月末の夏祭りイベントで歌わせていただく総合介護施設に10日ほど前、予定曲の候補リストをジャンル別に25曲FAXしたが、その返信が届いた。その内容が実に興味深い。
 6曲出した昭和歌謡系が何と5曲も採用。こちらの意向が全面的に受け入れられた格好だ。懐メロ系の8曲中4曲が採用。5割なので、これもよしとしたい。反面、ホーム長さんが切望したフォーク系4曲は、なぜか「神田川」のみが採用。洋楽系4曲、唱歌系3曲は全て却下、という意外な結果となった。


 今回の施設は年齢層の幅が20代から90代と、とてつもなく広い。いろいろな障害のある方を受け入れている関係でそうなるのだが、そうした場での選曲は困難を極める。
 返信FAXには採用10曲のほかに、「追加希望曲」なるリストが添付されている。これがPOPS演歌系を中心に、合計13曲。知らない曲、歌えない曲、歌いたくない曲など混在していたが、面白いので全曲を披露したい。

「川の流れのように」「島人の宝」「秋桜(山口百恵)」「精霊流し」「世界に一つだけの花」「吾亦紅」「酒よ」「大空と大地の中で」「まつり(北島三郎)」「星のフラメンコ」「シクラメンのかほり」「契り」「おまえとふたり」

 採用10曲を含めると、全体的に歌謡曲系が多すぎる印象がする。まるでカラオケ大会だ。唱歌や外国民謡を時折混ぜて変化をつけるのが私の得意とするスタイルだが、これでいいのだろうか。
 先方の希望時間は休憩なしの50分で、40分で12曲歌った前回より10分も長い。過去にストリートで連続65分、20曲近くを一気に歌ったことがあり、歌うこと自体は大きな問題ではない。だが高齢者を含む場合、経験的にライブ時間の限度は40分である。この危険ラインを超えると、健常者でもちょっと辛い。
 仮に希望通り歌うとするなら、15~16曲は準備する必要がある。採用は10曲なので、リクエストから5~6曲を追加、ということになる。
 過去に何度か歌った「川の流れのように」「大空と大地の中で」はまず決まり。「精霊流し」「世界に一つだけの花」「シクラメンのかほり」も歌えるが、どちらかといえば封印しておきたい曲。(理由は長くなるので割愛)
 お祭り系イベント向きで季節感を大きく損なっていず、しかも歌える曲をこの中からあと4曲選ぶ必要があった。

「島人の宝」「吾亦紅」「契り」「おまえとふたり」はできれば歌いたくない曲。(理由は同じく割愛)そうなると残るは「秋桜」「酒よ」「まつり」「星のフラメンコ」の4曲に絞られる。順に歌ってみたが、何とかやれそうな感じがした。
「吾亦紅」は電話でも「歌ってくれませんか?」と重ねて打診されたが、やはり無理そうだ。よい曲だと思うが、後半部の歌詞に心情的に受け入れ難い部分がある。そこだけを無言で流す手法もあるが、ボランティア弾き語りで、そこまで無理する必要があるだろうか。他の得意な方にお任せしたい。

2012年7月30日月曜日

赤しばり

 一日遅れの記載となるが、昨夜、たまに顔を出す居酒屋ライブハウスの月例イベント「MJ」に参加。記念すべき通算60回目ということで、最古参メンバーの代表幹事の方が掲示板を通してネーミングや趣向を参加者に公募。「60なら還暦MJしかないのでは?」と何気なく書き込んだら、そのまますんなり採用となった。
 他の意見などから、還暦→赤、という発想で、赤いものがタイトルか歌詞に含まれている曲でエントリーすること。さらには、どちらも無理ならば、何かひとつ赤いものを身につけて歌うこと、といった取り決めがなされた。
 参加は17組と札止め状態となったため、開始時間は普段より30分早く、19時30分。開始前に「還暦MJ」の命名者としてお店から記念品をいただく。掲示板ではそうした予告はあったが、てっきりジョークと思い込んでいた。
 帰宅後に開封すると、写真のような高級日本酒。ネーミングごときで貰いすぎの感もするが、慎んでいただくことにします。


 19時30分ぴったりにライブ開始。トップはママさん、ラストはマスターと決まっていて、私の出番は早めの2番。ややオープニングアクトに近い位置づけだが、文字通りの「還暦シンガー」としては、無理のない順番であろう。

 選曲には頭を悩ませ、歌う直前まで実は決めてなかった。当初は昭和歌謡の「赤いスイトピー」、オリジナルの「昭和46年7月…」のつもりでいたが、最近急増する女性参加者と「赤いスイトピー」が重複する可能性があるらしいことを知る。
 基本は「赤しばり」なので、それに沿って再考するうち、ふきのとうの「運命河」、赤い鳥の「赤い花白い花」、加川良の「赤土の下で」も歌えることを知る。譜面は5曲分用意し、出発前の練習でもすべて練習したが、気持ちとしては純粋フォーク路線ともいえる「運命河」「赤土の下で」に次第に傾いていた。


 ステージに上がってから、他に歌う人がいないことを確認し、まず「運命河」を歌う。4ヶ月ぶりの参加なので、歌いながら足が小刻みに震えた。明らかに上がっている。
 この歌は3日前にストリートライブで初めて歌ったばかり。後半の歌詞に「空に赤く光り…」とあり、「赤しばり」をクリアしている。好きな世界観だが、曲調が暗い。何せ「三途の川」をテーマにした曲だ。
 暗いが、せつなくて叙情的なので、自分には向いている。出来はストリートのほうがよかったと思っていたが、帰ってからライブ動画で聴いてみたら、そう悪くはない。そのうちYouTubeにアップするかもしれない。
 2曲目は「赤土の下で」。これまた暗い。何せ、葬式の歌だ。しかし、非常にマニアックな曲なので、重複の心配はまずない。タイトルに赤が入っていて、こちらも「赤しばり」を難なくクリア。忘れていたが、まるでダメを押すように、首には赤いバンダナを巻いた。
 実は私の弾き語りデビューは同じ加川良の「戦争しましょう」である。40数年前のことだが、同じアルバムにある「赤土の下で」も非常に好きな曲だ。しかし、内容が内容だけに、めったな場では歌えない。「赤しばり」の拘束に逆に甘えた格好だ。

 まずまず無難にこなしたが、この曲はたぶん私向きではない。もっと渋くて太い声の方に似合っているはずだ。なので、たぶんYouTubeにはアップしない。一度こっきりの歌であるが、まあ歌えてよかった。
 曲順は逆にしたほうが落ち着いたかもしれない。しかし、いずれにしても「死」をテーマにした重い選曲であったことに変わりはない。
 その後、15組の方々の熱唱が続き、最終組が歌い終えたのは深夜0時15分。5時間近くの大イベントは無事に終わった。
 詳しい資料はないが、この種のイベントが60回も続くこと自体が奇跡のようなもの。果たして何回まで続くのか、そして我が身は何回まで見届けることが叶うのか?当面の関心はそこにある。

2012年7月28日土曜日

同窓会で歌う

 3日続けて33度近い酷暑。内地に比べるとまだまだ可愛い数値だが、ここは北海道である。身体が慣れていないので、かなり堪える。
 2階の室温も30度を突破。全ての窓を開放したが、無風なので簡単には下がらない。今日こそ家の中でじっとしていようと思っていたが、あいにく16時から小学校同窓会の打合せがあり、暑い盛りの15時半に家をでた。
 50年ぶりの同窓会に珍しく出席したのが2年前のこと。同窓会には縁がなく、ほとんど出た記憶がない。前回も私を覚えている人はごくわずかで、クラスで存在感の薄かった人間は同窓会に出るものではないな…、と思っていた。
 今回の案内もすぐには返信せず、しばし放置してあったが、幹事代表の方から突然メールがあり、私に幹事になってくれという。不思議なことに5組ある中で、なぜか我がクラスだけが幹事不在。前回の同窓会終了後、担任の先生と交流が復活し、私のライブにおいでいただいたり、先生が出展された道展の絵を妻と観にいったりしていた。

 その先生が私にぜひ幹事を、と指名されたとか。本来、幹事はクラス代表が務めるものだが、所在が不明だったり、住まいが東京だったりして、幹事担当が困難な状況。地味な転校生だった私などが務める役目ではないと認識しつつも、断りにくい状況である。「やれる範囲で」という条件つきで引き受けることに。


 車で30分ほどの距離にあるホテルが会場で、幹事会もそこでやる。前回ですでに皆顔見知りで、今日はクラス毎のリスト交換やら、各自の役割分担、式のおおまかな進行を決めたりした。
 末席幹事なので、仕事はリストを元に自分のクラスの出欠最終確認程度かと思いきや、2度目なので近況報告だけでは間が持たない。余興をやってくれないか、との話になる。どうやら咲春のライブにおいでいただいた担任の先生の推挙があったらしく、これまた断りにくい状況である。

 同窓会余興の出演は過去に経験がないが、場が緩み始めた時期に15~20分程度間を持たせる、という方向で引き受けることにした。夏祭り系ライブを基本にした構成であれば、何とかやれると思う。
 具体的な選曲や機材の準備はこれからだが、同窓会余興は社員旅行の余興に似ていて、あくまで懇親の添え物という位置づけであろう。そこをわきまえて臨みたい。
 帰路、近くの幹線道路交差点近くの畑に以前から立っている「着せ替え案山子」の写真をようやく写す。畑はかなり大きく、プロの耕作と思われるが、だいたい月毎に衣装が変わる。
 今日は夏にふさわしく、女物の浴衣姿に変身していた。どうやら女性の案山子であるらしい。これから秋にむけ、どんなスタイルに変貌するのか注目して見守りたい。

2012年7月27日金曜日

復活インタホン

 昨日に引続き、暑い。都心では32.5度を記録したとか。こんなときは涼しい家の中でじっとしているに限るが、週末ディスカウントスーパーに用事があったので、涼しくなった頃を見計らって、歩いてでかけた。
 しかし、額から汗が噴き出る。午後4時をはるか回っているが、全く涼しくなっていない。ゆっくり2キロ歩いて到達したスーパーは、節電だか節約だが分からないが、外よりもさらに蒸し暑かった。
 ともかく、小魚とピーナッツ詰め合わせを調達。いずれも晩酌用の肴で、だいたい月に2度は補充する。


 昨日のライブでマイクスタンドの調子がまた悪くなった。ずっとダマシダマシ使ってきたが、縦パイプとネジの固定部が完全にやられている。同時に買ったもう一方も同じ場所がやられていて、ネジに互換性のある健全な横ブーム部分のパイプ2本を組合せ、ようやくまともなスタンド1本を組み立てた。

 マイクスタンドはもう1本持っているが、こちらは交流電源の大型PAを出先で使う際、下半分をスタンドとして流用している。先日のクラシック系ライブでも使った。つまり、現時点でマイクスタンドの予備はないことになる。
 壊れたほうは買ってすでに8年目。常に移動しては組立て、そして分解を繰り返している。安価な品でもあり、すでに寿命であろう。予備としてもう1本新たに買うべき時期かもしれない。
 ネット通販で注文してあったインタホンの屋外子機が届き、さっそく交換してみたら、あっさり復活した。消去法で絞り込んだ読みがズバリ当たった。これでまたしばらく使える。
 今年は何かと故障による出費が多いが、あれこれ調べて、最低限の出費で済んでいる。そこが救いといえば救い。

 宮崎在住の息子夫婦が送ってくれた完熟マンゴーを夕食後に食べたが、これがいままで食べたこともないような美味である。「生きてて良かったと思える味」とは妻の弁。確かに。

2012年7月26日木曜日

暑いストリートライブ

 7月2度目のチカチカパフォーマンスを実施。通算では17回目くらいか?もはや覚えきれないほどここで歌った。
 午前中から蒸し暑く、都心では30度を突破。ストリートで歌うような陽気ではないが、7月の平日エントリー枠はこの日が最後。「7月中に都心で歌う機会がありましたらご連絡を」と、ある組織から依頼されていて、この日歌うことはすでに前日伝えてあった。1ステージ30分でもこなさないと、先方に失礼になる。

 共演の関係で会場が使えるのは15時から。いつもより1時間遅く家を出たが、あまりの暑さに日陰を探しつつ、駐車場から会場へと向かう。衣装も初めてTシャツ1枚だけで臨んだ。


 会場は北4条広場で、15時から歌い始める。しかし、関係者らしき姿は見当たらず、暑さのせいか通りを行く人も少なめ。30分で以下の8曲を歌ったが、前回に引続き、特に歌い始めの人の集まりがよくなかった。

「季節の中で」「恋のバカンス」「サン・トワ・マミー」「夜霧よ今夜も有難う」「ハナミズキ」「つぐない」「青春時代」「グッドナイト・ベイビー」

 立ち止まる人が現れたのは、3曲目あたりから。しかしパラパラ数人といった感じで、とにかく少ない。まるで1年前の歌い始めの頃のようだった。全体的に強い曲を並べたが、この日に限ればそんな過去の実績など、まるで意味がなかった。
「ハナミズキ」でようやく人が増え始め、10人前後に達する。「つぐない」でまた少し増え、そのまま最後まで何とか歌いきった。
 歌いながら汗が流れ、帽子と首に巻いたバンダナでようやく止まっている感じである。休憩時に持参のタオルで汗をぬぐう。こんなことも初めてだった。とにかく暑い。
 そのままやめてしまおうかと一瞬考えたが、試したい曲がいくつかあり、気を奮い立たせてもう1ステージ歌うことにした。
 10分休憩後の15時40分から30分で以下の8曲を歌う。(※印は初披露)

「夜のバス」「心もよう※」「運命河※」「風来坊※」「夢一夜※」「家族になろうよ※」「しあわせになろうよ」「神田川」

 後半は初披露連発で、どの曲が受け入れられるか?という、いわば玉砕覚悟のお試しステージといった感である。
 前半同様、3曲目までは「笛吹けど踊らず」状態。「運命河」は非常に良い感じで歌えたが、誰も聴いてくれない。この曲はストリートではなく、別の場で歌うべきかもしれない。

 4曲目の「風来坊」で一気に人が増える。同じふきのとうの歌だが、こうも集まりが違うことに当惑する。次の「夢一夜」でさらに人が増えたが、その勢いで歌った「家族になろうよ」になるといっせいに人が消え、曲の終わりまで残ったのはただ一人だけという有様。そんなつもりはなかったが、いわゆる「捨て曲」となってしまった。
(あとで気づいたが、このときちょうど16時で、いわゆる「魔の時間帯」にさしかかっていた)
 実に出入りの激しい日だったが、このように厳しい場でも「風来坊」と「夢一夜」が使えることが分かったのは、この日の数少ない収穫である。
 30度を超す真夏に初めてストリートで歌ってみたが、条件としては真冬よりもずっと厳しい感じがした。暑いときには歌ではなく、木陰かエアコンの効いた部屋でビール、というのが聴き手としての正直なところだろう。
 後半途中から右耳が飛行機に乗ったように耳づまりを起こし、最後まで回復しなかった。おそらくは暑さによる体力面の問題。最近はほとんどないコードミスや、ラストのストロークでのタイミングずれなどもあった。全体的に集中力が欠落していた。

 今後暑い日のストリートライブは、やめておくのが身のためであるかもしれない。それこそが最大の収穫だったか。

2012年7月24日火曜日

インタホン不調

 昨日からインタホンの調子が悪い。電話機兼用タイプで、使うときだけ電話機から電力を供給するタイプ。つまりはACアダプターの類がなく、電気代が最低限で済む。乾電池も不要。親機と子機の両方で応対できるのも非常に便利なのだ。

 電話機をサンヨー製に変えてからこれまでのパイオニア製ターミナルが使えなくなり、ネットオークションでサンヨー製のターミナルを安く買った。これが昨年春のこと。
 玄関口にあるインタホン子機はパイオニア製で、推奨型番には含まれてなかったが、普通に使えた。昨年秋あたりに一度調子が悪くなったが、ターミナルの切り替えスイッチをいじったら復活した。


 今回も似た現象で、ピンポンはちゃんと鳴って外からの声は室内のどの受話器でも鮮明に聞こえる。室内で受話器をとった際に屋外子機のランプも点く。ところが、室内からの声が全く外に届かず、ピンポン音も外へはモニターできない。
 消去法で考えると、回線や電話機に問題はない。最も怪しいのが屋外子機のスピーカー回りだ。もともと推奨型番に入ってなく、前科もある。買ってすでに13年。雨ざらしで酷使していて、基盤のどこかが壊れてもおかしくない時期だ。
 ネットで推奨品を調べてみると、アイホン製の屋外子機が最安値。もしかして近くで売っているかもしれないと、ホームセンター2店と量販店を回ってみたが、どこにもない。
 諦めてネット通販で最安値のヨドバシカメラで買うことにした。送料こみでポイント還元して2,600円。交換しても必ず正常復帰する保証はないが、直感にかけてみる。それにしても、今年は本当によくモノが壊れる。

2012年7月23日月曜日

多機能プリンタ到着

 アマゾンに注文してあったエプソンの多機能型プリンタEP-704Aが届く。さっそくセットアップしようと思ったが、予想よりも大きい。自作の袖机に入ることは事前のチェックで分かっていたが、上部にスキャナとコピー用のベッドがあり、蓋を開けて原稿をセットする際に高さがやや足りない。

 しばし考えたが、下段に置いたレーザープリンタの操作ぎりぎりまで中間棚を下げることにする。調べてみたら4センチまでは大丈夫そうだ。上の天板とパソコン類を移動させることなく、そのままの位置で棚板だけ外し、ビスを止め直すことに成功。
 夏の室内DIYは暑さとの闘いで、短パンにランニングシャツ姿でどうにか片づけた。


 その後、ようやく本格セットアップへと進む。USBケーブルが製品に付属してなく、これまで使ってきたキャノンプリンタのを流用しようと思っていたら、長さがわずかに足りない。なんということだ。
 100円ショップに走ろうかと一瞬思ったが、冷静になってあちこちの引出しを漁る。どこかに使えるケーブルがあった気がしたが、見つからない。そうするうち、たまに使うスキャナーに付属のケーブルを思い出す。こちらは長さが充分足りた。
_ひとまず普通モードでの譜面印刷、きれいモードでの封筒印刷を試してみたが、モニタ通りの色がピタリ出る。これまではプリンタの癖に合わせて色味を微妙に修正していたが、その必要はなさそうだ。
 スキャナー、カラー&モノクロコピー、CDダイレクト印刷、付属のOCRソフトはまだ試していないが、たとえばスキャナーは手持ちの古い品より解像度が4倍も高い。これで送料込8,100円とは安い。

 問題は交換インクである。純正品だと6色セットで4,700円ほど。互換インクだとこれが494円まで安くなる。プリンタは消耗品と考え、故障の元になる可能性を承知で安いインクにすべきか、買ったばかりというのに、もう悩みが始まっている。

2012年7月21日土曜日

クラシック系ライブ

「ふるさとを歌う会」が主催する復興応援コンサートに出演。今回で通算4度目だが、私は初めて参加した5/5実施の第3回に続いての参加である。
 会場は前回の滝野すずらん公園とがらり雰囲気が変わって、北海道で唯一の4年制音楽系大学である札幌大谷学園百周年記念館。出演者の半数がクラシック系のプロということで、てっきり350名強が収容可能な記念ホールでやるものと決めこんでいたが、行ってみると1階にあるホワイエが会場となっていた。
 案内状の記載がやや曖昧で、迷った方が多数いたとか。さもありなん。


 10時25分に家を出て、50分に到着。今回は妻に休暇をとってもらい、サポート役を頼んだ。11時10分からリハ開始。機材一式は各自が用意とのことで、最も出力の大きい交流電源式のPAを準備した。
 5分で組立てが終わり、妻に客席に座ってもらって音のチェック。室内の自然反響が程よく、音響効果は一切ないタイプのPAだったが、メインボリュームを普段よりやや上げた程度で、あまり問題ない。

 出掛けにほとんど練習できなかったが、喉の調子はまずまず。機材は組み立てたまま壁際に移動し、昼食を求めて歩いて近所のスーパーに行く。


 予定より少し遅れて13時50分からライブ開始。クラシック系のコンサートということで、白いシャツに黒ズボン、濃いグレーのネクタイという、私にしては極めて珍しいスタイルで臨んだ。
 唯一の「私らしさ」は、頭に巻いたエンジのバンダナ。しかし、場所が結果としてオープンなロビーだったので、もっとラフなスタイルでも良かった気がする。
 セットリストもやはりクラシック系を意識し、「恋はやさし野辺の花よ」「雨が空から降れば」「熱き心に」の3曲とした。持ち時間が転換を含めて10分と短いので、選曲には頭を悩ませた。本来なら2曲に収めるべき持ち時間だが、クラシック~フォーク~昭和歌謡という流れと変化にはこだわった。
 短時間の一発勝負なのでさすがに冒険は避け、実績ある曲を並べた。


 少ない時間を有効に使い、同時に聴き手を素早くつかむべく、司会が自分の略歴を紹介する間、1曲目の前奏を小さく弾く。タイミングをはかりつつ、ギターを適当に引き続ける。
「では、お願いします」の声と同時に強く弾いて音量を増やし、そのままMCなしで歌に入る、という手法を使った。自主企画コンサートではたまにやるが、聴き手の気持ちを引きつけるには効果的である。

 1~2曲目のつなぎにもMCは入れず、瞬時にカポを移動させ、メドレーのように続けて歌った。どちらもゆったりした曲調なので、違和感なく収まる。3曲目の前にごく短いMCを入れ、一転して強いストロークで歌った。
 時間としては4分を超えるラストの「熱き心に」が最長。総勢70名ほどの客席は終始静かで、非常に気持ちが入った。


 練習通り、9分で歌い終える。ただちに次の演奏者にバトンタッチ。前半は鼻笛の互久楽さん、沖縄三線のずずさん、ピアニストの石本裕子さんと続く。バラエティに富んだ内容で、それぞれが熱演。予定通り15時に前半を終えた。

 20分休憩後に後半開始。オカリナの眞朝(MAASA)さん、ソプラノ歌手の清水紫さん(ピアノ伴奏、平岡健一さん)と続く。最後には出演者全員で「ふるさと」を歌い、ほぼ予定通りの16時10分にすべてのプログラムを終えた。


 出演の1~3番目までがアマチュアで、4~6番目がプロという構成。楽曲の多くがクラシック系で、最も外れていたのが私の歌った「熱き心に」だったかもしれない。しかし、そう違和感はなかったと妻から言われたので、よしとしたい。
 印象に残ったのは石本裕子さんの20分近い「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏。楽譜も見ずにピアノ1台でこの名曲を力強く弾いていた。さらには清水紫さんが自ら作詞作曲した「安東の子守歌」。7分を超える力作だが、ノーマイクで切々と歌い上げ、感動の涙を誘った。この2曲を聴けただけでも今回のコンサートは充分に価値あるものだった。
 ボランティアとはいえ、プロとの共演は、やはり神経を使う。幸いだったのは、出番が緊張する暇もないトップであったこと。リハでは少し足が震えたが、本番では肝が座って大きなミスなくやり終えた。
 全てを見届けた妻の評価から考えても、オープニングアクトとしての役目は充分に果たせたと思う。

2012年7月20日金曜日

ついにプリンタ発注

「インクが切れるまで使う!」と宣言していた半身不随のプリンタだったが、とうとう青と黄のインクが同時に切れた。駆動部はまだ動いているが、心臓部のヘッドに異常があるので、もはや限界である。かねてから調べてあったエプソンのプリンタを今日ネットで発注。
 カラーインクジェットとしては実に4台目。エプソン→キャノン→キャノンと買い換えてきたが、久しぶりに今回はエプソンに戻した。
 機能としては現状よりもやや上で、スキャナとコピーがついた、いわゆる多機能型プリンタである。アマゾンで送料込8,100円。昼にポチったばかりだが、夕方にはもう「発送しました」とメールが届く。早過ぎないか?まあ、いいですけど。


 実はインクジェット式以外でも、過去にリボン式カラープリンタを1台駄目にしている。他に買って3年を超えたモノクロレーザープリンタも1台あるが、こちらは使用頻度が低いせいか、いまだ無傷。カラープリンタの非常時予備としても立派に機能している。
 本当に日本の電子機器はよく壊れる。もっと丈夫に作れそうに思えるのだが、早めの寿命設定にし、企業側に利潤があがるように仕組んでいるのでは?と、つい勘ぐってしまう。

2012年7月19日木曜日

オカミに頼らぬ暮らし

 朝8時に仕事の電話で起こされた。昨夕、引き合いのあった物件だが、指示された担当者の携帯にすぐに電話しても出る気配がなく、翌日かけ直そうと思っていた。
 内容は建築施工図に関すること。某ゼネコンの指示でビルやマンションの設計図を元に施工図を描く仕事で、何と施工図発注先が中国。実際の仕事は中国でやるが、その中間に立って修正や指示等のまとめをするという、高いスキルの要求される仕事だ。

 そもそも、最初の「ビルやマンションの…」の時点でハードルが高すぎて私には対応不可能。何とかやれるのは木造の一般住宅までである。慎んでお断りしたが、ヤレヤレと一段落した9時過ぎに、別の担当者から再度確認の電話が飛び込む。余程困っていると見えたが、どんなに仕事がなくとも、出来ないものは出来ない。
 名前を出すと誰でも知っているような大手だが、いやはや昨今の仕事発注形態は、ついにそこまでいっているのかと驚いて呆れた。


 電機や衣料品、自動車メーカーが生産拠点を中国や東南アジアに移し、効率化(と書くと聞こえはよいが、要は金儲け)を図るという動きはかなり前からある。しかし、まさか建築やデザインの分野までが海外へと走っているとは。
 日本人が関わっているのは一握りの管理機能だけとなっているのだろう。完全なる経済の空洞化で、こうして資金は安き海外へと流れてゆく。仕事にありつけるのは、高いスキルを持っている者だけだ。
 もはや日本で残っている満足な仕事といえば、物販業と介護関連業、あとは役人くらいか。それとて、もはや伸びしろは少ない。
 幸いなことに私たち夫婦は薄い年金でも何とか暮らしてゆけるよう、生活の舵を大きく切り換えたばかりで、消費税率が仮に倍になったとしても、どうにか生き延びてゆける。
 しかし、我が子供たちは暮らしに困らずにあと何年やっていけるのだろうかと、ふと心配になってくる。オカミに依存しない個々の生活の構築が必要である。

2012年7月18日水曜日

クラシック系準備

 週末に実施の被災地復興支援コンサートにむけ、あれこれ準備。
 次回のコンサートは市内音大にあるクラシック音楽専用のホールを使う。参加者も実績あるクラシック系の歌手、ピアニストが中心で、「なぜそんな場に私が?」というのが、お声がかかった際の正直な気持ちだった。
 主催者としては他ジャンルの演奏者も混ぜて変化をつけたいとの意向で、いわば露払い的役割である。そんなわけで出演順もトップで、持ち時間も10分。つまりはオープニングアクトと考えていい。

 日本でも高名な音響計画の権威が設計したとかで、ノーマイクでも歌えるというふれこみ。しかし、自信がないので手持ちで最も大型のPAを持参することにした。リハで試し、実際に使うかどうかを決めたい。


 他の出演者はクラシックの正装で出る可能性が高い。前座とはいえ、いつものラフなスタイルでは、さすがに気が引ける。白のシャツにグレーネクタイ、黒ズボンで臨む考えでいるが、手持ちの黒ズボンがかなりくたびれていて、廃棄寸前。ユニクロで手頃な黒チノパンが値引きされているのを発見し、すぐに買った。
 このままだと、ギターを含めて衣装は黒づくし。周囲には馴染むが、いかにも地味過ぎる。迷ったが、エンジ系のバンダナをアクセントで巻こうかと思っている。1ヶ所くらい自分の色を出しても許されるだろう。
 昨日あたりから、エントリーした3曲をいかにして9分以内に収めるか、実際に歌いながら検討中だ。トップなので機材は事前にセットできるが、撤収時間を1分考慮すると、ギターのシールドをつないでPAをオンにし、歌い始めて3曲終えるまでの経過時間をストップウォッチで測定している。
 いまのところ9分はギリギリ。無駄なMCは一切できず、1~2曲目はメドレーが必須。前奏間奏も省けるものは省く。2曲に絞れば楽だったが、構成上「クラシック」→「フォーク」→「昭和歌謡」とつなぎたい。どうしても3曲なのである。

2012年7月17日火曜日

譜面の雨風対策

 久しぶりの屋外会場だった一昨日のライブ、晴天には恵まれたが、ステージ上では予想外に風が強く、途中で譜面台が倒れそうな恐怖を何度か感じた。
 中華Padが修理中で電子譜面が使えず、紙の譜面を使わざるを得なかったが、大型のクリップを1曲毎に止め替えるのに多少手間取ってしまった。

 使っているクリップは以前に真駒内養護学校で歌わせてもらった際に記念品としていただいた手作り品で、裏側に強力な磁石がついている。譜面台のどこにでもくっつき、なかなか便利である。
 ただ、クリップ先端には微妙な段差があり、譜面を先端部ギリギリで挟むことが難しい。手間取った理由はそこだ。ネコの飾り板を撤去して作りなおしてしまえば解消するが、それでは先方の心遣いが無になる。そこで次なる出番に備え、修正を試みた。

 先端部分に厚めのイラストボードを切って接着してやれば段差は簡単に解消する。作業は短時間で終わり、さっそく試してみると、クリップのどの部分でもしっかりホールドしてくれる。問題解決である。


 屋外で歌う際の雨風対策をいかにしているか?で、歌い手の力量が何となく分かることがある。屋外で歌う限り、風は吹くもの、雨は降るものと覚悟して準備しなくてはならない。
 場数を重ね、問題点を修正しながら活動している歌い手の多くは、この種の雨風対策がしっかりしていて、それは歌唱の説得力とどこかでつながっている。そこに甘さがあると、歌唱のどこかにホコロビとして表れるもの。人生は思っているよりも正直なのである。
 これまでいろいろな歌い手の工夫を見てきたが、ビニールケースに入れ、さらに大型の洗濯バサミを使ったり、はたまた布製ガムテープの断片を譜面台のあちこちに捨て貼りしていたり、さまざまである。
 究極の対策は譜面も譜面台も使わないこと。つまりは暗譜で、先日のステージで見かけたオヤジバトル全国優勝のバンドがこれだった。30分近いステージをメンバー全員が譜面なしでさばいていた。トップクラスはさすがに違うなと感心しきり。あやかりたいが、私にはとても無理だろう。

2012年7月16日月曜日

自費制作CD

 昨日のライブ終了直後にボランティアスタッフの20歳くらいの女性から、「心に入ってくる歌声です。もしCDを出しているのでしたら、ぜひ譲ってください」と言われた。
 チカチカパフォーマンスで通りすがりの方からも最近同じことをよく言われる。大変励みになるありがたい言葉だが、残念ながらCD音源となると、過去の自主企画ライブの録音盤数枚くらいしかなく、最近は「ライブに勝る歌はなし」と思っていることもあって、録音すら録っていない状態だ。

 スタジオを借りて本格的なアレンジをプロに依頼し、何曲かを録音してCDに焼き、値段をつける。そんな行動が歌い手にとってはある種のステイタスのようになっているが、百万を超える費用を投ずる本の自費出版と同じで、正直あまり食指が動かない。そもそも投資する金がない。


 何十万もかける自費制作CDが何らかのきっかけになる可能性も否定しないが、限りなく自己満足の世界ではないか。本当に価値のあるものなら、街角で歌ったり、ネットで無料配信しているだけで拾い上げてもらえるはず、と信じている。

 ただ、著作権の問題とならないオリジナル曲をたとえば8~10曲まとめ、安い費用で自作し、路上で安価に販売することは可能かもしれない。生の歌を聴いてくれたうえで、さらにCDも欲しい、ということならば、こだわりを捨ててもよいのかな…、と思ったりもする。ちょっとした自分の記録にもなろう。
 頭を冷やして、しばし考えてみたい。
エッセイが連載中の雑誌、「オトン O.tone」の最新号が今月も出版社から送られてきた。今月号では昭和30年から4年間限定で発行された「穴のない50円玉」について書いている。1円札や5円札、穴のない5円玉についてもふれていて、これ以上ないレトロな内容となっている。

2012年7月15日日曜日

苦手克服か?

 近隣の地区センターでの夏祭りイベントに参加。かなり前から出演を打診されていたが、昨年はすでに同じ地域センター主催のイベントに2度出演させていただいた。さすがに出過ぎではないかと自重し、客の少なそうな昼間の時間帯を受け持つことになる。

 いつもふれているが、基本的にお祭り系イベントは苦手。昨年は3度出ているが、いずれも自分としては不本意な結果だった。
「叙情系」の「ソロシンガー」となると、賑やかな傾向を求められる場にはそもそも合わない。苦戦の原因は分かっていたが、それでも依頼は途切れない。ずっと逃げ続けるわけにもいかず、今年はこれまでの殻を打ち破り、全く異なる構成で臨もうと周到に準備した。
 リハは前日を含めて全く出来ないので、自宅でぎりぎりまで調整を続ける。トラックコンテナを利用した屋外ステージなので譜面が風で動かぬよう、磁石付の大型クリップ2個を久しぶりに持参した。

 定刻の12時30分にライブ開始。持ち時間は正味25分である。駐車場を利用して設営された会場には多くの屋台とテーブルが並び、いかにも夏祭りといった気分。好天に恵まれ、前日のような肌寒さもなく、程よい行楽日和とあって客は予想より多く、ざっと100名ほどか。


 工夫を重ねたこの日のセットリストは以下の通り。(※印は初披露)

「恋する夏の日」「さんぽ(となりのトトロより)※」「森へ行きましょう※」「アニー・ローリー」「おおブレネリ」「エーデルワイス※」「草原の輝き」

 目玉はトップとラストに配置した昭和アイドル歌謡で、この日のためにチカチカパフォーマンスで事前に歌い、その手応えを確かめてあった。
 中間5曲にはアニメソングと世界の民謡を配置。全体を「アウトドア」のイメージで統一し、明るく爽やかに、老若男女むけの構成とした。GWのライブで清水紫さんの伴奏を務めた数曲も、今回は自分の歌として組み込んだ。
 たとえば「上を向いて歩こう」に代表される励まし系の歌は今回あえて外した。日本民謡やフォーク・演歌系の定番曲も入れていない。「よくある曲」ではなく意外性に賭けた。初披露も3曲あり、外れ覚悟の大バクチだった。


 出だしの反応はいまひとつ。しかし、ここであせってはならない。勝負は3曲目以降だ。
 ステージが高いので会場の様子は手に取るように分かる。遠くで熱心に聴いてくれるグループがいるな…、とよく見たら、年に2回招かれる近隣のグループホームの方々だった。特に案内はしてなかったが、センター広報などで知ったらしい。
 歌い進むうち、他にもじょじょに聴いてくれる人が増え始める。「森へ行きましょう」「アニー・ローリー」「おおブレネリ」は、前日になって大幅に伴奏やキー、編曲等を変えた曲。通しで歌ってみて、いまひとつインパクトに欠ける印象がしたからで、「森へ行きましょう」はアルペジオから強いストローク奏法へ、「おおブレネリ」はキーを2つ上げ、さらにサビを冒頭から無伴奏で歌い始める、という具合に工夫した。
 おおむねうまく運んだが、構成上当初のストローク奏法からアルペジオに変えた「アニー・ローリー」は、この日最も外した曲だったかもしれない。位置づけとしては完全に「捨て曲」である。

 初披露の「エーデルワイス」は予想以上に受けた。伴奏を極力控え目にし、ボーカルを前面に押し出したが、「おおブレネリ」の「動」から「静」への反転がうまく効いた。場の反応がよいので、ラストのフェルマータはかなり長く引っ張ることが出来た。この曲の世界観は私に向いている。いい曲に巡りあった。
 ラストの「草原の輝き」では、知り合いのグループホーム関係者を中心に、手拍子が起きる。このあたりはチカチカパフォーマンスでの反応と同じだ。状況によっては省くつもりでいたラストのリフレインも原曲通りに歌った。昭和歌謡強し。
 終了後に「アンコール!」の声を聞く。もしかすると関係者だったかもしれないが、それに値するステージだったと信じたい。「お約束」された場とは異なるこの種のイベントでアンコールが出るのは稀。(私は記憶にない)
 もしやと思って準備はしていたが、進行の都合で応えることは叶わなかった。しかし、私にとっては画期的なことだ。
 苦手にしていたお祭り系イベントだったが、この日でどうにか克服するヒントをつかんだように思える。またひとつ新しい世界に足を踏み込めた。

2012年7月14日土曜日

自宅前道路補修完了

 2日続いた雨も上がり、肌寒いがまずまずの天気。本当は昨日までの工期だった自宅前道路の補修工事、雨ですっかり延びてしまったが、早朝からようやく仕上げ作業にかかりはじめた。
 地盤改良と転圧工事はすでに終わっていて、あとは側溝のレベルに合わせてアスファルトを敷設するのみ。大量の人員を投入し、夕方までに一気に終わらせた。


 終了後、さっそく車を車庫から出し入れしてみたが、側溝との段差がゼロになって連続性が出たので、運転しやすいことこの上ない。悪路に13年も辛抱したが、ようやく人並みの公共サービスの恩恵を受けた気分。
 午後から近隣の地域センターでの夏祭りがイベントが始まった。屋外の駐車スペースと屋内の全施設を使った大規模な催しで、私の出番は明日だが、音響の調子を見るために、偵察と挨拶をかねて出かけた。
 昨年はひどい雨に見舞われて全ての屋外イベントが中止となってしまったが、今年は幸いに晴れた。しかし、とにかく寒い。最高気温が18度前後で、5月下旬の陽気である。

 今回はプロのオペレーターを頼んだとあって、音響は抜群によかった。屋外ステージで随分レベルの高いバンドが出ているなと思ったら、全国オヤジバンドコンテストでグランプリに輝いたバンドだという。そりゃ上手いはずだ。
 ドラムとベースとギターという3人のシンプルな構成だが、ボーカルとサイドギター、リードギターを一人でこなす達人がいてびっくりした。全国一はダテじゃない。
 明日の出番は昼過ぎなので、おそらく客層が夕方とは少し違う。背伸びして自分を見失うことなく、普段のペースで歌おうと思う。

2012年7月13日金曜日

目覚まし時計を修理

 いつ買ったのか分からないほど長く使っている目覚まし時計の調子が悪い。時は普通に刻んでくれるが、起床時間のセットができない。切替えスイッチがうまく作動しないのだ。
 サラリーマンではないので、起きたいときに起きればよい気ままな暮らしだが、ライブのある時だけは別で、原則として歌い始める3~4時間前には目覚めていないと満足な声は出ない。

 やむなく、最近は携帯に内蔵のアラームを代用していたが、普段は枕元に携帯を置かない主義なので、何かと面倒くさい。そこで一念発起、分解修理してみることにした。


 まずはネジを外側から順に6本外す。スライドスイッチの接触が経年で甘くなっているように思えたので、筆でまず埃を払ったあと、カセットテープヘッド掃除用のシンナーを綿棒につけ、接触部分をていねいに掃除する。スイッチのバネ部分も形状を修正した。

 組み立ててみると、見事に復活。買い換えも視野に入れていたので、得した気分。保証書を保存してある箱をひっくり返してみたら、一番底のほうで発見。買ったのは16年前のことだった。
 同じカシオ製で妻が使っている目覚まし時計はもっと古く、22年も前のもの。こちらはなぜか未だに故障知らず。まだまだ使える。デジタル式でも使いようで持つということだ。

2012年7月12日木曜日

チョキチョキ

 昨夜半から久しぶりの雨。あまりの豪雨に、早朝から起きて勤めに行く妻を勤務先まで車で送っていった。その後、再び布団に潜って睡眠継続。
 月曜から続く前面道路の工事も、さすがに今日は休み。そうでなくても、雨の日は全ての雑音がかき消されてしまう。昨夜は未明まで物書きにふけっていたこともあり、昼過ぎまでひたすら眠っていた。
 起きたとたんに妻帰宅。職場の友人に車で送ってもらったそうで、そのまま友人と歓談。「これまでの人生で、どれだけの取引先や人間関係をチョキチョキしてきたか?」という、雨の日に相応しい哲学的ヨタ話に夕方までふける。
「チョキチョキ」、つまりは自らの意思でバッサリ切り捨てることで、多くはフトコロや心身に大きな痛みを伴う行為である。しかし、これなくして我が人生は存続し得なかった。

 切り捨てる基準は明確にあって、自らの内にある矜持である。取引先にこれをやると、確実に収入が減る。「あなたの仕事はもうやりませんよ」と突っ張る輩に仕事を発注する相手などいない。我が人生が金銭的には貧乏な一因はここにもありそうだ。
 子細は記せないが、仮に書くとするなら、創作としての小説世界くらいしかない。果たしてそんな機会があるのだろうか?

2012年7月11日水曜日

中華Padを修理

 4ヶ月近く使ったタブレットPC、中華Padを修理に出した。普通に使う分には支障ないが、バッテリの消耗が異常に早く、満充電して一度も起動させなくても、8~10時間で残量ゼロとなってしまう。
 主にライブ用の電子譜面表示用として重宝していたが、ライブ当日は早朝に起きて充電器に接続し、出かける直前までコンセントにつないでおく、という不便をずっと強いられていた。

 しばらくはイベント系のライブが続き、チカチカパフォーマンスのような素早い譜面の切換えが要求されず、突然のリクエストや、その場の気分を読んでの曲目変更の可能性も極めて少ない。タブレットPCの操作にもひととおり慣れ、修理に出すならいまだ。
 中国製なので1年の保証期間内でも製品の送付は消費者負担だという。予め見積りをとってみたら、最初の一回だけなら、プリンタと違って買い換えるより修理に出すほうが、かなり安上がりである。


 日本側の代理店は信頼出来る業者だが、直接利潤につながらない修理には消極的な姿勢で、手続きがエラく面倒だった。それでも粘り強く交渉。合計費用3,500円ほどを先払いし、製品はヤマト運輸のメール便で今日送った。
 驚くべきことに、修理期間は2ヶ月だという。まとめて船便で送る関係かもしれないが、いまどき気の長い話である。おかげで当分は電子譜面が使えず、チカチカパフォーマンス活動にも今後影響が出そうだ。
_久しぶりにヤマト運輸を利用して気づいたが、今年7月からB4サイズのメール便が廃止されたという。幸いに送った中華PadはぎりぎりA4サイズで収まったが、今後B4サイズ相当の品は郵便局が割安になりますねと、窓口の女性はいう。
 客には親切な対応だが、会社の利益から考えると、他社のシステムを推薦していいのか?と思った。ともあれ、B4サイズメール便は最大でも240円。客にとっては大変お得なシステムだったので、廃止とは残念である。

2012年7月10日火曜日

前面道路工事中

 朝から表が騒がしいと思っていたら、自宅前の道路の舗装を全部はがし、大規模な補修作業中。そういえば先週、そんな工事のお知らせが届いていたことをすっかり忘れていた。
 もともとが幅員6Mの狭い道なので、大型重機が入ってしまうと、人や自転車が通行するのが精一杯。「車を出す際は声をかけてください」と言われてはいたが、今日は家で大人しくしているのが得策らしい。
 工事期間は3~4日。春先には凍上してデコボコになっていた道だが、これで少しは通りやすくなるか。


 昨日自力洗浄を試みたプリンタヘッド、夕方になって装着してみたが、症状は改善されていない。安く済ませようという思惑は外れた。かといって悪化もしてなく、要は現状維持である。名刺や年賀状のような緻密な印刷だとブレが目立って不可だが、よく使う楽譜の印刷程度なら、何も支障がない。
 まだインクは少し残っていて、うまい具合に買い置き分はゼロ。頃合いを見て新しいプリンタに買い換えようと思う。パソコンを含めて電子機器類は買って3年目がひとつの節目のようだ。

2012年7月8日日曜日

ゲリラ的ライブ敢行

 割当てが少なく、時には争奪戦となるチカチカパフォーマンスの週末枠が、前日になってもなぜか埋まらない。時間の融通が効く身なので、週末のパフォーマンスはこれまで控えてきたが、夕方になっても日曜後半の枠は空欄のまま。夏のイベント系ライブに備えて試したい曲があり、急きょエントリーする気になった。
 他のパフォーマーの近況をブログ等で調べてみると、夏祭り系のイベントに備えてみなさんご多忙の様子。どうりで枠が埋まらないはずだ。

 休日にエントリーするのは初めてだったが、以前にジャグリング系パフォーマーの方から、人の流れが平日とはかなり異なる、との情報は得ていた。
 降って湧いたようなエントリーなので、明確な構成は決まっていず、急きょ練習中の昭和歌謡をかき集め、足りない分は実績のある曲で補うことにする。
 休暇で家にいた妻が7ヶ月ぶりにつきあってくれることになり、普段とは異なる休日時間帯に合わせ、13時半に家を出る。この日からハンチングも夏物の白に替え、一気に夏模様の衣装で臨んだ。

 会場は前回と同じ北大通広場。前の時間帯にエントリーしていたダンス系パフォーマーの方がちょうど終わるところで、うまい具合に看板2つをその場で引き継ぐ。
 14時30分から開始。この日は他にパフォーマーのエントリーがなく、久しぶりに休憩なしの1時間で一気に以下の16曲を歌った。準備不足だった事情もあって、初披露は6曲しかない。(※印)

《前半》
「恋する夏の日」「そっとおやすみ※」「ペッパー警部※」「SWEET・MEMOPIES※」「グッドナイト・ベイビー※」「空港※」「恋のバカンス」
《後半》
「ハナミズキ※」「いい日旅立ち」「涙そうそう」「さくら(直太朗)」「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「花は咲く」「青葉城恋唄」「帰りたくなったよ」「時代」


 前回と同じ場所、同じ時間帯だったが、いざ歌い始めると平日とは空気感がまるで異なるのに戸惑った。全般的に集まりが悪く、4曲目までは立ち止まる人はわずか数人という、ノレンに腕押しの反応。これが休日の怖さなのか。
 5曲目の「グッドナイト・ベイビー」でようやく人が増え始め、「いい声だね!」のかけ声もとびだす。この曲は初披露だが、かなり自信を持って歌ったので、当たってうれしかった。

 これに気を良くし、「演歌ですが、いつも受けの良いテレサ・テンを歌います」と前置きして「空港」を歌い始めたが、それを聞きつけてどこからともなく人が集まってきて、一気に10人を超える。
 テレサ・テンを歌うのはこれで3度目で全て違う曲だが、どの曲をどんな状況で歌っても受ける。テレサ・テン恐るべし。この事実はよく頭に入れておきたい。
 その勢いで休憩なしに後半をやることを即断する。幸いに喉の調子は前回よりもよく、水をあまり飲まずとも声はよく伸びた。
 後半の最初に歌った「ハナミズキ」は、正味5日間しか練習してなく、メロディを完全に覚えたのもごく最近。合計で20回ほどしか歌ってなく、状況いかんでは飛ばすつもりでいたが、増えてきた集客に勇気を得て思い切って歌った。
 歌詞が難解で世界観のつかみにくい曲だが、あえて強いギターストロークで歌ってみたら、じわじわほぐれてきた。今日でほぼ自分のものになった感じだ。家での練習を聴いていた妻からも「今日の出来が一番良かった」との高評価。
 5分近い長い曲だが、人は増えても減ることはなかった。テレサ・テンに続き、この曲がこうも支持されると分かったのは、大きな収穫である。

 ただ、結果としてこの日の集客ピークは、初めて歌ったこの曲という皮肉。場の状況が悪いと判断し、用意していた演歌、アニメソング、オリジナルは飛ばして、実績ある曲にその場で差し替えたが、その後の手慣れたはずの曲でも人は集まらず、逆に減るばかり。ラスト3曲は関係者を含めても4名という寂しい結果となってしまったが、その理由をあれこれ分析はすまい。
 はっきりしているのは、受ける受けないはその場の流れで、誰にも把握できない水物であるということ。歌い手はただひたすらに与えられた場で歌い続けていればよいのではないか?というありふれた結論である。