2009年10月31日土曜日

霊感DNA

 10月後半にバタバタと仕上げた仕事、請求はてっきり来月だと思っていたら、午前中に取引先から連絡があり、今月の締めに入れるので、早急に請求書を送って欲しいとのこと。しかも、8月に納めて保留になっていた物件まで含んでいた。
 喜んですぐに書類を作成。ついでに還暦コンサートDVDの第2弾も急いで仕上げ、梱包する。まとめて集配局まで車で出しに行った。
 その足で実家の母の様子を見に行く。最近、何やかやと電話がくるので、寂しがっているのかもしれなかった。
 特に連絡はしてなかったが、不思議なことに家の前で母が待ち受けていた。小雨のパラつく陽気で、高齢者が玄関前に立つ天候ではない。こんなことは以前にも何度かあった。
 実は母には強い霊感があり、翌日起きることを夢に見ることがあるらしい。私が幼少のころ、母が起きるなり、「…のおじさんから手紙がくる夢を見た」と言ったことがある。もう何年も音沙汰のない遠縁の人で、何をバカなと誰も真に受けなかったが、その日の午後、本当にその人から手紙が届き、背筋が寒くなった覚えがある。
 私もその血を少しだけ受け継いでいるらしく、その種の逸話はいろいろとある。

「ストーブのつけ方が分からない、寒い」と母が訴えるので、悪戦苦闘してようやくストーブの点火に成功した。夏の間、コンセントを抜いてしまったので、回路がリセットされたらしい。
 その他、冬に備えて家のあちこちを整備整頓してきた。かれこれ1時間近くもいたが、たまにはね。


 2日前にインターネットのアマゾンで頼んであった床マットが、早くも届いた。60センチ四方、50Wの小さなマットだが、暖房ボイラをつけるまでもないような半端な気候のいまごろ、居間掘りコタツの下に敷いて使うつもり。
 10年前から買おう、買おうと躊躇していたが、ようやくフンギリがついた。

 さっそく使ってみたが、足元がほどよく暖かい。暖房を消したあと、夜更かしするときには絶好だ。簡単に移動可能なので、1階よりも温度が低くなりがちな2階仕事部屋の足元にも使える。
 3,200円というリーズナブル価格で、維持費も1時間1円弱という安さ。当然だが、暖房ボイラを微小で炊くより安上がり。もう少し安く買える600W前後のハロゲンヒーターも候補にあったが、こちらで正解だった。

2009年10月30日金曜日

YouTubeとカバー曲

 太陽が現れず、寒い一日だった。家庭菜園に1本だけ残した枝豆が完全に種になったので、採取した。去年は数日乾燥させたあと、ガラス瓶に入れて保存しておいたら、わずかに水分が残っていたらしく、半分がカビていて、芽が出なかった。
 今年はその失敗を再びしてはならじと、色が派手過ぎて使っていないグイ飲みに入れ、ずっと窓辺に置いておくことにした。

 数えてみると、種は全部で42個ある。1ヶ所(1株)に3個まくとして、全部で14株という計算になる。7株ずつ2度に分けて種をまくとすれば、ほぼ今年なみの収穫が得られるはずだが、どうだろう。


 昨日からやっているDVDから映像をMP4にコンバートし、編集する作業を継続。マック専用だが、「OpenShiiva」「MPEG Streamclip」という便利な映像用フリーソフトを見つけ、作業がかなり楽になった。

 夕方までに還暦コンサートの最初の1曲をどうにか仕上げ、すぐさまYouTubeにアップ。これまでYouTubeはオリジナル曲以外は著作権にふれるものと勝手に決め込んでいたが、昨年末に規制が変わり、カバー曲でも大幅な改変を加えず、自分で歌ったものなら、アップしてもよくなったそうである。
 そこで今回は初めてカバー曲をアップした。一部に原曲にはない転調をして歌っているが、歌詞とメロディは原曲通りなので、削除される心配はまずない。
 苦労のかいあって、画質と音質はほぼ元の状態をキープ。客席の小さな声や咳なども入っていて、臨場感たっぷりです。

2009年10月28日水曜日

思い出はバネ

 明け方に降った雨もあがり、見事な秋晴れだったが、どこにも出かけず、雑事にまい進した。

 還暦コンサートのビデオ映像を整理していて、記録としての映像はやはり貴重だと再認識した。可能であれば、「音」「写真」「映像」の3種類をライブ記録としてとるべきかもしれない。
 日常記録のアルバムもそうだが、ふとした機会に自分の過去を媒体を通して振り返ってみるのは、日々の生活に流されがちな庶民にとって、大切なことであろう。思い出は時に生きるバネにも成りうる。


 これまでライブ記録は音と写真が大半で、映像はほとんどない。ビデオカメラはかなり古いものしかなく、使い物にならない。この際、専用ビデオカメラを買うべきかとも考え、いろいろ調べてみた。しかし、高性能のものは数万円を下らない。
 1万円前後の安いデジタルムービーカメラもあるにはあるが、映像と音の両方を程よい精度で記録するとなると、やや心もとない。

 実は手持ちのデジカメ、PENTAX OPTIO E50には、動画記録機能もついている。将来に備え、記録媒体も4G-class6のSDHCカードをそろえてある。これまであまり撮影したことがなく、思い立って本格的なテストを試みた。
_三脚で固定し、照明をあててセットし、何曲か歌った。その結果、映像も音もかなりクリアで、思っていたよりはるかに使えることが判明した。わずか1万円弱のデジカメだったが、予想外であった。
 設定は最大解像度の640×480、30fpsで、これで4Gの媒体に72分の映像が撮れるが、連続撮影時間が2G(36分)までという制約がある。ライブとしてはギリギリで、別の撮影者がいれば何とか使えそうだ。

 撮った映像は手持ちの機材で編集可能で、DVDに焼いたり、YouTubeにアップしたりもできる。もしかすると、今後のライブで撮影するかもしれない。


 その還暦コンサートのラベル作成が終わり、映像の細かい調整も済んで、ようやく各方面に配布可能な状態になった。カメラ本体からの映像取り込み作業は初めての経験だったが、よい経験となった。

 ライブCDやDVDの作成作業はヒジョーに面倒くさいが、作業のなかでライブを振り返り、記憶の中に定着させる、という重要な役目も同時にある。だからやめられない。

2009年10月27日火曜日

暖房ボイラ修理

 春先から調子の悪かった暖房ボイラを、ついに修理依頼した。「着火時に石油臭がする」というのが問題点だったが、あれこれ原因を探っても、やはり臭気はとれない。そうこうするうち、運転中も消火後も臭うようになってしまった。
 これはいけないと、古い取扱説明書を探し出し、記載のメーカーサービスセンターに電話をした。すると、以前に別の業者にかけた電話とは、かなり対応が違う。症状を告げると、明日修理にうかがう、という。これが昨日夕方の話。
 一日たって今日の朝、先方から再度の連絡があり、午前中にうかがってよいか、と聞く。寒さも一段落し、暖房は必要のないいまこそ、修理に絶好の時期。すぐに来てもらった。
 担当者は蓋を外すなり、すぐに問題点を見抜いた。
「電磁ポンプから微量の石油が漏れています。これが原因です」

 電磁ポンプ(循環ポンプ)は10年以内で寿命がくるそうで、交換すれば直るとのこと。30分ほどで新しい部品と交換してくれた。
 点火プラグという部品も10年で寿命がくるとのことだったが、調べてもらったら、まだまだ使えるとの結論。担当者は盛んに首をひねり、普段の運転方法や、年間灯油消費量などをあれこれ聞かれた。


 年間灯油消費量は常にチェックしているので、年間およそ700~800Lくらい(北海道平均の半分程度)と答えると、そんなに少ないのですかと、非常に驚いた様子。
 暖房ボイラの寿命は車の寿命と走行距離の関係に似ていて、ほぼ合計運転時間で決まるという。10年間一度もメンテナンスせず、一度も故障しなかった大きな要因は、おそらく合計運転時間が少ないせいでしょう、家の断熱設計がしっかりしているんですね、と感心された。
 設計時はもちろん、日々の生活でもさまざまな工夫をこらしているので、ちょっとうれしい気分。

 修理費用は12,000円強なり。ちなみに、メーカーはサンヨーである。すでに生産は打ち切られているが、部品は当分あるだろうとのこと。まだまだ大事に使いましょう。

2009年10月26日月曜日

別珍ハンチング

 ネットオークションで、ずっと探していた黒系の別珍(綿ビロード)ハンチングをついに入手した。無印良品の中古品で、500円。定価の1/4といったところ。
 ハンチングはすでにベージュとグレーを持っているが、色違いアイテムとしては、ひとまずこれでそろった。


 最近はちょっとした外出にも、ほとんどハンチングをかぶってゆく。髪の毛がかなり寂しくなってきたこともあって、かぶると体感温度はかなり違う。にわか雨程度なら、傘いらずである。

 直接頭にかぶるものなので、いちおう洗剤で洗った。3個目ともなると必需品とはいえず、すでに趣味の領域。中古で充分である。
 先週末に取引先から連絡があり、かなりまとまった仕事があるというので、夕方出かけた。担当者が東京から来ていて、仕事も関東地区の仕事である。
 1件毎の規模は小さいが、数が最大で100件にもなるとか。11月の予定がほぼ埋まった。早ければ今週中にも図面がサミダレ式に届く。10月で今年の仕事は山を越えたと、ノンビリ構えていたが、そうもいかなくなってきた。

2009年10月25日日曜日

燃えるモミジ

 昨日に続いて天気がよいので、休暇で家にいた妻を誘い、車で45分ほどの距離にある平岡樹芸センターに紅葉見物に行く。
 市内ではかなり有名な紅葉の名所だが、観るのは初めてだった。事前に紅葉情報をネットで入手していたので、紅葉度100%。まさに燃えるモミジである。目と精神の保養になった。

 偶然だが、隣地には来月訪問ライブをやる予定の有料老人ホームがある。2~4階の居室からは四季折々の花々が見放題で、実によい場所に施設を建てたものだ。


 帰宅後、昨日調子の悪かったPA(MDコンポ)を再調整。ネットで調べてみると、スピーカーの片方が聞こえなくなるというトラブルは、結構あるらしい。
 基本は修理に出すことだが、応急対策のひとつに、「ボリュームをいったん最大にすると復帰する」というのがあり、さっそく試すと、確かに正常に戻る。その後何度かオンオフとケーブルの着脱を繰り返したが、いまのところ問題ない。

 修理費用を検索すると、およそ8,000円前後が相場。古いブランデーがネットオークションで予想外の高値で売れたので、お金はひとまずあるが、迷う。
「片側端子に両方のスピーカーをつなぐ」という非常手段も昨日見つけたので、気持ちとしては様子見。予備のアンプ付スピーカーもあることだし。

2009年10月24日土曜日

シャンソン・リハ

 久しぶりの秋晴れで、自宅のナツヅタと楓の紅葉もピーク。楓は一番高い部分の葉が落葉し始めた。見事な秋晴れだ。
 夕方からシャンソンコンサートのリハがあり、14時ころから準備。還暦コンサート同様、完全なる「持込みライブ」なので、全機材を持参する必要がある。今回は背景にあるガラスドアを隠す布スクリーンもあり、持ち物はさらに増える。ちょっと考え、普通は2個持参するスポット照明を、1個だけにした。

 今回は背景にあるガラスドアを隠す布スクリーンもあり、持ち物はさらに増える。ちょっと考え、普通は2個持参するスポット照明を、1個だけにした。


 機材のセットは予定通りに進んだが、手違いが2つあった。
 ひとつは背景に吊る布スクリーンで、当初は長い布の端部に棒を通し、その棒の両端をガムテープでドア枠に止める予定でいた。しかし、うまく止まらない。強力な布製ガムテープだったが、予想外の重さだ。
 あれこれ考えていたら、天井の隅にネジ式のフックを発見。あちこち探すと、2個見つかった。これを適当な位置に移動し、棒の支えにしてみたら、ぴったり止まった。

 もうひとつの手違いは、右側のスピーカーの音が出ないこと。最近たまにあったが、いつもリセットすると復元していた。しかし、この日はどうしても戻らない。時間が虚しく過ぎるので、ひとまずリハーサルは片方のスピーカーだけで進めた。
 タイプ別に5曲を順に歌う。会場の音の状態は自宅スタジオとほぼ同じ。スピーカーは1個でも、建物がコンクリート製なので、音はよくはね返ってくる。メインボリュームもリバーブ(効果)も、自宅と同じ数値で問題なかった。
 店主のM子さんに聴き手になってもらったが、「いい歌」と、すっかり感激。ほぼいけそうな感触である。本番が待ち遠しくなってきた。

 予定より遅れて、午後6時にリハーサル終了。帰路、還暦コンサートを見届けてくれた友人宅に立ち寄って、お祝い返しを直接手渡す。気になっていたことが、またひとつ片づいた。
 帰宅後、スピーカーの調子を再度チェックしてみたら、やはり右側の音が出たり出なかったり。思いついて片方の端子に2つのスピーカーをつないでやると、ちゃんと両方から音が出る。修理すべきか否かは難しい判断だが、最悪の場合はこの方法で凌ぐことにしよう。

2009年10月23日金曜日

還暦コンサート映像

 還暦コンサートのライブ映像を撮影してくれた友人のSさんが、映像を機材ごと届けてくれた。よく聞くと、この日のためにわざわざ妹さんから機材一式を借りてくださったとのこと。8ミリビデオだが、初めて使った機材にしては、非常によく撮れている。
 専用のUSBケーブルが付属してきたので、最初はパソコンに映像を取り込もうと、説明書と格闘。マックではどうしてもカメラを認識しないので、Windowsでやったら、どうにか成功した。

 しかし、手持ちのWindowsマシンにはDVDドライブがついていない。DVDに焼くための専用ソフトは箱に入っていたが、せっかくパソコンに取り込んだ画像も、DVDに変換することができない。
 DVDドライブのあるマックに映像を転送し、こちらで焼こうと思ったが、あいにくソフトはWindowsのみの対応。計画は暗礁に乗り上げた。
_DVDレコーダーにカメラをつなぎ、直接取り込むことを次に考えた。RGBケーブルは付属していたが、この方式だと画質の劣化がある。望ましいのはDVケーブルを使うことだが、あいにく手持ちがない。
 ネットで価格を調べてみたら、軽く1,000円を越す。8ミリビデオテープをDVDに焼いてくれる店はあるが、1枚450円で、送料を加味すると1,500円前後。どの手法にも難点があって、決定打がない。


 あれこれ迷っていると、電話が鳴った。昨夜遅くにメールで納めた仕事に手直しが出た。壁材のサンプルがあるので、都心まで取りに来て欲しいという。あいにくの雨だったが、ちょうど1年点検で戻ってきたばかりの車に乗り、すぐに出かけた。

 打合せは簡単に済んだが、帰路、思いついて100円ショップに寄ってみた。もしかして、DVケーブルの廉価品があるのでは?と考えた。
 さすがに100円ではなかったが、接続に必要な4ピン×4ピンのDVケーブルが、525円で1本だけあった。相場の半分以下で、これさえあれば万事解決。1本あれば今後、別の用途にも転用可能である。迷わず買った。
_夜、さっそくカメラとDVDレコーダーを接続し、映像を取り込む。バッテリーの都合で、ライブのすべてが入っているわけでなく、全25曲のうち16曲のみ。MC等はうまくカットされていて、およそ1時間分である。
 カメラのマイクが正面でなく、本体の真上についている関係もあり、傾斜天井からの反響音がかなり「回っている」状態。しかし、会場の臨場感はよく出ている。

 比較のため、前半30分だけ存在するPAからの直録りの音を聞いてみたが、こちらは逆に残響がほとんどなく、淡白な印象だった。
 コンサートをより実感に近く表現しているのは、間違いなく映像のほう。実際にその場に居合わせ、直接聴いた音が最良なのは当然として、記録としては非常に貴重なものだ。細部を編集し、ラベルもちゃんと作って、永久保存版DVDを作成するとしよう。

2009年10月20日火曜日

蝶ナット発見

 あまり実感はないが、妻も私もついに60代に突入したので、かねてから準備していた年金請求手続きの書類を整え、最寄りの社会保険事務所まで行ってきた。

 混雑を避け、午後4時過ぎに先方に着くよう時間調整。おかげで窓口はガラガラだったが、出かける直前に年金ダイヤルで確認し、不要のはずだった戸籍謄本と住民票が、窓口では必要だという。
 夫婦とも厚生年金の加入期間は20年未満なので、付加金は発生せず、本来は不要のはずが、政令指定都市である札幌では、すべての加入者に添付を義務づけているのだという。あがいても無駄だと悟り、すぐ横にある区役所に行って取り寄せた。
 手数料800円を払ったが、いまひとつ釈然としない。
 他に不備はなく、最終的には受付けてもらったが、年金証書が届くまでに最低50日、実際に口座に入金されるまでには、さらに60日程度かかるという。
 指折り数えてみたら、来年2月中旬の支払日に間に合うかどうか?といった、気の長~い話。今回もらえるのは厚生年金の報酬比例分だけで、それほど大きな額ではない。寝て待つことにするか。


 帰路、例によって雑用をまとめてこなす。オークションで落札されたブランデーのうち、1件はすでに完全決着したが、もう1件は今日お金が振り込まれる連絡があった。しかし、梱包に必要な布ガムテープがあいにく切れた。
 紙ガムテープはあるが、弱いので大事な梱包には使えない。いつも行くホームセンターで調達し、携帯のメモ機能を見ながら、他の細かい備品類もまとめて買う。
 スピーカースタンド用の蝶ナットがあるかどうか調べたら、各サイズ山のようにそろっている。さすがは北海道一のホームセンターである。
 価格はM6のクロムメッキ製が1個40円。ステンレス製だと90円になるが、サビる怖れはほとんどないので、クロムメッキ製を4個買う。

 家に戻り、さっそく加工。ナット側は工具なしでスイスイ着脱できるが、ボルト側が空回りして、やはり工具での押さえが必要だ。ボルト側の木材を、一回り大きいドリルで軽くえぐってやると、ボルトの頭が木材に半分ほどめり込み、空回りしなくなった。
 試してみると、今度は工具なしでやれる。細かい修正を重ねたが、これでついに完成である。

2009年10月18日日曜日

初のパークゴルフ

 町内会主催のパークゴルフ大会があり、好奇心にかられて参加した。場所は自宅から車で10分弱のパークゴルフ場。札幌郊外には、この種のパークゴルフ場がたくさんある。
 パークゴルフはもちろん、ゴルフも全くやったことがない。クラブを握るのも初めて。参加費は町内会負担だが、用具一式はレンタル品を200円で借りた。

 参加者は老若男女あわせて14名。見よう見まねで始めたが、出だしのティーショットでいきなりOBという不手際。超初心者ということで、打ち直しさせてもらったが、その後も悪戦苦闘の連続だった。


 パー66のコース、18ホールを回って、合計スコアが103。上から11番、下から3番という中途半端な位置で、数人の子供にさえ負けてしまった。

 敗因はずばり、寄せの甘さである。ティーショットは回数を重ねるごとにみるみる上達し、後半では1打目でグリーンに乗せることもしばしば。しかし、その後のパターがまるでダメで、ボールがカップの真上を素通りしたり、カップの縁をぐるり回って外に弾かれたり…。
 慣れた人からは、「コースはよいが、特に寄せのショットが強過ぎる」。なかなか奥が深いが、やはりギター弾き語りのほうがいまのところは面白い。

2009年10月17日土曜日

段差解消材を自作

 昨日作り直したスピーカースタンドの微調整を続ける。スピーカーの裏板に取付けた吊り下げ用のフックがいまひとつ安定しないので、棚板用のL字金具を使い、頑丈に作り直した。
 調整後、妻に音を聴いてもらったら、「大き過ぎる」。スピーカーの出力が半分になったので、メインボリュームを20%上げたのだが、その影響らしい。

 思い込みを捨て、従来よりも逆に1段階だけボリュームを低くしてみたら、それでちょうどよいと言う。スピーカーの高さを変えたことが、これほど聴き手の耳に影響するものなのか?
 しかし、聴き手としての妻の意見に大きなブレはなので、来週末に店でやる予定のリハーサルは、ひとまずこの数値で試す。


 昨日の現地調査の結果、歌う場所とマイクスタンド等を置く場所とに、約7センチの段差が生じることがはっきりした。通路からつながる内開きドアと、店内床のレベル差からくる構造的なもので、ここに台などを置いてしまうと、ドアからの出入りが不可能になる。
 場所が狭く、マイクスタンドと譜面台は段差をまたぐ形で置かざるを得ない。そこでそれぞれの脚を7センチの段差に対応させるよう、あれこれ検討した。
 簡単なのは、脚の一部に7センチの小さな台を置くこと。しかし、万一ライブ中に台から脚がずれた場合を考えると、怖くてとてもできない。
 安全確実なのは、それぞれ3本ある脚の1本を、7センチ高くしてしまうこと。試行錯誤のすえ、木材の端材を加工し、写真のような段差解消材を自作した。(左が譜面台で、右がマイクスタンド)

 試してみるとなかなか具合がよく、バランスもよくて安定している。譜面台の脚にはU字形に溝のある部材が、まるで測ったようにぴったりはまった。本番では周囲をさらにテープで固定するつもり。
 この部材、はめる位置を変えると、7センチ以外の寸法にも対応可能。この種のライブ会場が今後あっても、似たような寸法ならそのまま使える。

2009年10月16日金曜日

ライブ会場調査

 午後から妻を伴い、銀行~郵便局~実家~都心のレストラン~ガソリンスタンド~スーパー~友人宅など、合計9ヶ所を駆け足で回る。早めに家を出たが、戻ったらすでに夜7時近くになっていた。

 都心のレストランは来月のコンサート会場になる予定で、店内でステージの場所やスピーカーと照明、椅子の設置方法などに関し、オーナーと細かい打合せ。スケールを持参し、必要な部分はすべて採寸した。
 店は夏に新規開店したばかりで、コンサートをやること自体も初めて。ごく普通のレストランなので、音響も照明も一式持込む。ライブ関係のノウハウも全くないので、すべて私主導でやる必要がある。それはそれで楽しいが。
 店内は改装したばかりで、以前よりもかなり広くなった。コンサート自体はある程度余裕を持ってやれそうな感じだ。
 ステージは入口付近のスペースにほぼ決定。背景のドアはガラス張で、雑居ビルの入口通路になっている。他の入居者が時折出入りするのが、現状では丸見え。聴き手にとっては落ち着かない。布のスクリーンを持込み、ライブ中はここに吊るすことにした。
 音響機器や照明、布スクリーンもすべて私が持参する。そして自ら語り、弾いて歌う。相変わらずの「丸ごと一式持込み出前ライブ」である。


 帰宅後、スピーカースタンドの改造を試みる。店内が狭いので、従来の40Wスピーカーでは大き過ぎる。半分の20Wタイプに変更し、軽くなったその分、位置を従来より40センチほど高くし、私の口の高さほどにした。
 今回は立って歌うので、位置が高めのほうが聴きやすいと考えた。

 変更後、テストをかねて10曲ほど歌う。スピーカーの大きさと位置が変わると、声もがらりと変わる。従来よりもややシャープな印象で、歌い手としてはなかなか心地よいが、はたして聴き手にとってどうなのか、もう少しテストを重ねる必要がある。

2009年10月12日月曜日

4世代が見届けた

 60歳の誕生日だった。ついに六十路である。つい先日、還暦イベントを大規模にやり終えたばかりなので、これといったお祝い事はナシ。夕食もごくフツーのロールキャベツと、ごくフツーに発泡酒で晩酌である。
 九州に住む姉から、なぜかお祝いメールが届いた。弟の誕生日など、よく覚えているものだと感心した。ブログもたまにのぞいているらしく、還暦イベントもバレバレ。
 実は40年前、この姉の結婚式で、ビリーバンバンの「白いブランコ」を無伴奏で歌ったのが、私のライブ初デビューといえば初デビュー。
「時間によってはもしかして、余興で指名するかも…」と事前に言われてはいたが、中学の音楽の時間以来、人前で歌った経験はない。いちおう手頃なラブソングを暗記していったが、予告通りに指名されてしまった。

 これが予想を超える評判で、「もっと本格的に歌をやれ~」と、いろいろな人からソソノカされた。すっかりその気になり、翌年にギターを練習し始め、その後はどっぷりと弾き語りの世界へハマることに…。
 人間万事塞翁が馬である。もしかして使い方が不適切?


 還暦コンサートでサブボーカルを務めた息子の友人から、コンサートの写真が届いた。実はその友人のK君、プロのカメラマンである。
 奥さんが臨月なので参加は難しいかも…、と聞いていたが、当日はご夫婦で現れた。二人とも我が家に遊びにきたことがあり、BBQなどやった仲。そういえば、帯広からやってきた長男の友人も妊娠中だった。

 つまり、あのコンサートは「自分たちの世代」「ひとつ前の世代(親の世代)」「次の世代(子の世代)」「次の次の世代」の4世代が見届けてくれたことになる。
「次の次の世代」はまだお腹の中だが、「コンサート中はトントンとお腹を蹴ってましたよ」とのこと。やっぱりちゃんと聴いていたのだ。
 K君には特に写真撮影を頼んではいなかったが、気を遣って詳細なライブ写真を撮ってくれていた。この写真がすごい。平均6M強で75枚あり、全容量が500Mもある。およそCD1枚分だが、圧縮してネットで送られてきた。
 ダウンロードに30分強を要したが、すごいのはもちろん容量だけでなく、その内容。高級な機材、それを活かす優れた技術、対象を的確に切り取る眼、それらすべてが秀でていて、バランスがとれている。さすがはプロと、思わずうなった。

 コンサートのライブ音源ももちろんとったが、こちらは私の操作ミスで前半の第1部しかない。初回の自宅コンサートに続き、大事なライブ録音をこれで2度もミスした。
 手をつくしたつもりでいても、何かひとつは漏れがあるもので、「すべてカンペキ」は至難の業。課題があったほうが、今後の新たな目標になるというものだ。

2009年10月10日土曜日

手製譜面台ライト

 起きたら快晴。午後から雨の予報は出ていたが、溜まっているシーツ類を洗う。今日は5枚をまとめて洗ったが、まだ3枚残っている。還暦コンサートの名残は、なかなか消えない。

 午後3時過ぎに空模様が怪しくなってきたので、早めに取り込む。直後に雷鳴がとどろき、激しい雨。雷はかなり遠いので、電話回線やモデムの電源は抜かなかった。それぞれ雷ガードもつけたので、かなり安心感はある。
 以前から考えていた譜面台ライトを作った。買うとそれなりの価格で、廉価品でも1,000円は下らない。暗い夜のライブで、譜面台に光が当たらない場合に必要だが、この5年で必要性を感じたことは一度もない。
 しかし、いつ何時そうした場面に遭遇しないとも限らない。緊急性は低いのでわざわざ買わずに、何とか手製で準備したかった。


 100円ショップで使えそうな小型ライトは買ってあったが、プラスチック製だったので、落とすとすぐに壊れた。そこで今度はアルミ製の丈夫なものをSeiaで調達した。LEDなので、明るくて長持ちする。電源は汎用性のある単4電池3本。
 問題はこれをどう譜面台に取付けるかだが、ストラップ用の小さな穴が斜めに開いていて、これを使えば何とかなりそうな感じだった。

 照らす角度と距離をまずテスト。およそ5~6センチ離れた位置から斜めに照らしてやれば、A4サイズの楽譜をカバーできることが分かった。
 木材の端材を利用し、写真のように完成。譜面台側はノコで切り込みを入れた木材の端部を差し込むだけ。ライト側は木材の端部に打込んだ釘(頭をニッパーで切断したもの)に、ライトに開いているストラップ用の穴を差し込んだ。
 テストしてみると、シンプルだが丈夫。実戦でも使えそうだ。
 この種の手作りライブ用品は、今年になってからかなり作った。スポット照明、自立式スピーカースタンド、ギター用足台、ギタースタンド、ギターハンガーなどなど。
 どれも実戦でよく役立ってくれて、スポット照明付きの自立式スピーカースタンドは、先日の還暦コンサートでも、不都合なく機能してくれた。おかげでレンタル料が浮き、運営費用をかなり節約することができた。

 ライブ活動はしょせん趣味の活動なので、余分な支出は極力避けたい。DIYはその対策としての切り札になりつつあるが、どう作るか試行錯誤し、イメージ通りにぴったり決まったときの喜びは格別。一挙両得なのでアル。

2009年10月8日木曜日

暖房ボイラを点けた

 朝起きると妙に肌寒い。2階の室温は19.4度しかない。台風の直接の影響はないが、陽は全くささず、昼になっても気温は上がらない。外気温もわずか11度。これは寒いはずだ。

 試運転もかねて暖房ボイラを点けようと思ったが、さすがに少し早過ぎる気がした。そこでまずはボイラのカバーを外し、不凍液量を点検し、内部をざっと掃除。最近になって点火時に石油臭が少しするようになったが、夏に業者に相談しても、「たぶん寿命です」と、取り合ってくれない。
 素人なりに排気管回りなどを点検してみると、排気管と壁スリーブの間に、わずかなズレを発見した。もしかしてここから排気臭が逆流か?と思い、外に回って調べると、数ミリの緩みがある。
 もう一度室内に戻り、スリーブを手で締め直すと、緩みはひとまず直った。


 夕方になってついにボイラを点けた。去年は10/26に、一昨年は10/16に点けたと記録にあるから、かなり早い。しかし、現実に室温が上がらないので、仕方がない。
 点火時の臭気はひとまず治まっていて、排気管の調整が臭気の要因だったのかと、悦に入っていたが、数時間経ったら、やっぱり少し臭ってきた。これが一時的なものかどうかは、まだ分からない。しばらく様子をみたい。
 還暦コンサートにわざわざ帯広から来てくれた長男の小学校時代の女友達から、ていねいな感想の手紙が届いた。家族で歌ったステージ写真が4枚同封されている。
「素晴らしい夫婦愛、家族愛のシーンに立ち会えて感激し、幸せな気持ちでした。お腹の子のよい胎教になりました」とある。

 彼女は介護関係の仕事をしているそうで、ヒソカに私のHPやブログを読んでいてくれたとか。若い世代からの反応は、高齢者と並んでとてもうれしい。開演前に息子から紹介されたが、とても感じのよいお嬢さんである。
(もしや息子と特別な関係か…)と思わずあらぬ妄想を抱いたが、「もうとっくに結婚しているよ。お腹に赤ちゃんもいるよ」とあとで息子から聞かされ、ちょっとガッカリした。
 このような女性に新しい家族として加わって欲しいと願うのは、やっぱり親の身勝手な妄想か?
 還暦コンサートには、末の息子の友人も4人参加している。妻の職場の友人、Sさんの中学生の息子さんも最後まで聴いてくれたそう。先の女性や我が家族も含めると、全部で10名の若い世代がコンサートを見届けてくれた。
 コンサートの詳細レポートはまだ記してないが、セットリストはこの幅広い聴き手の層をある程度意識したものになっている。悩みに悩み、幾度も修正を加えたが、結果としてうまく収まった。

 夜、シャンソンの練習と、森のコンサートの選曲をやる。シャンソンはかなりいい感じに仕上がってきた。今日でようやく気持ちの切換えができた気がする。

2009年10月7日水曜日

次への備え

 還暦コンサートを聴きに東京から来ていた友人が午後に帰った。10年に一度の巨大台風が接近中だが、わずかのタイミングで遭遇せずに済んだ。中秋の名月もそうだったが、今回のコンサートは月も星も空も味方してくれる。
 その友人を札幌駅まで送りつつ、夏に仕上げた仕事の画像をA3版に印刷したものを、取引先に届けてきた。これでやっと請求書を送ることができる。
 戻ってから、1ヶ月後に迫ったシャンソンコンサートの案内状を印刷する。メイン画像は昨夜までにようやく仕上げ、お店のオーナーの了解も得た。
 デザインは最近よく使うパターンで、写真素材を数枚合成したもの。お店の内部写真や季節の風景、食材や観葉植物など、日頃撮り溜めたオリジナル素材ばかりだ。
 これらを単純に並べるだけでなく、色や大きさを変化させつつ、レイヤー合成で境界をぼかしながら配置。秋から冬へと移ろう季節感がうまく出て、なかなかいい感じに仕上がった。


 店内掲示用にA4版1枚、個別案内用に15枚を印刷したが、実はこのコンサート、すでにほぼ予約が埋まっている。小さなお店なので、予約数を制限せざるを得なかったこともあるが、案内状ができる以前に、問合せ等から順に席が埋まってしまった、というのが実情。
 もしかすると、(聴いてみたかったのに…)という方に、不義理をしてしまうかもしれない。この場を借りて、早めにおわびしておきます。

 ちなみに、予約してくださった方々の大半は、先日の還暦コンサートとは重複していない。私の全く知らない方々が、口コミで聴きにきてくださるらしい。大変ありがたいことで、シャンソンに対する潜在ニーズは、予想をはるかに超えるものだった。
 今日は気分を一新する意図もあって、久しぶりに予定曲の練習をしたが、まだまだ還暦コンサートの余韻が頭と身体に残っていて、いまひとつ気分にズレがある。もう少しのリハビリが必要のようだ。
 気持ちの切換えがあまり得意ではないので、続けざまのライブは私には難しい。ハードなライブの場合、最低2週間は間隔をあけないとだめだ。連日のライブを苦もなくこなせる人が、少しだけウラヤマシイ。

2009年10月6日火曜日

愛のおすそわけ

 東京から遊びに来ている友人は昨夜から別の友人宅に泊まりに行き、不在。コンサートを聴きに来てくださった方々へのお礼メールもすべて送り終え、じょじょに日常に戻りつつある。
 今日は花束をいただいた近所のグループホームに、菓子折を持ってお礼の挨拶に行ってきた。ホーム長さんに確認してみたら、このホームからは当日、入居者と職員の方々とをあわせ、合計7名も聴きにきてくださったらしい。
 コンサート終了後に花束を手渡してくれたのは、顔なじみの入居者代表の男性。昨年亡くなった父のような高齢の方で、ホーム長さんの介添えを受けつつ花束を渡す際、強く手を握りしめてくる。思わず熱い思いがこみあげた。
 開演前、客席の中にグループホームの方々を見つけたとき、非常に気持ちが落ち着いた。(今日はいっちょうやってやろう…)という気負いがとれ、肩の力がすっと抜けたのだ。
 おかげでその後の2時間、(聴き手の心に寄り添うように)という自分の歌のスタイルを、自然体で貫けたように思う。いろいろな場で活動を続けてきてよかった。


 今日は溜まっていた仕事をかなり片づけた。緊急性はないが、そう時間をかけてはいられない仕事である。暇なうちにやっておかねば。

 仕事の合間に、コンサートでいただいた花束を包みから取出し、花瓶に移し替える。花束は合計で6束もいただいたが、全てを独り占めにせず、いくつかは聴き手の方々にも差し上げた。「愛のおすそわけ」とでも言い換えるべきか。
 それでもたくさんの花々で花瓶が足りなくなり、ペットボトルを一部切断し、余分な植木鉢にはめこんで花瓶の代用とした。花の甘い香りが部屋に満ち満ちている。いましばらくは、コンサートの余韻に浸っていられそうだ。

2009年10月5日月曜日

美唄彫刻ドライブ

「還暦コンサート」の熱と余韻が冷めやらぬまま、今日は東京からコンサートを聴きにきてくれた40年来の友人の強い希望で、美唄市にある「アルテピアッツァ美唄」という彫刻公園に車で行ってきた。

「アルテピアッツァ美唄」は地元出身の彫刻家・安田侃の作品約40点を常設展示していて、駐車場も入場料も無料。廃校になった小学校や周辺敷地、そして森や山を巧みに利用した、芸術交流施設である。


 作品は森の中や薮の中、校舎の廊下や階段にまでさり気なく置かれていて、まるで自然の一部のような錯覚に陥る。種や卵を模したような作品が目につき、その作風は還暦コンサートの舞台となった札幌のモエレ沼公園の設計者、イサム・ノグチとどこか重なる。
 到着はちょうど昼で、旧校舎を巧みに模したカフェで軽食をまず食べた。カフェの窓から見えるカラマツ林の中で、エゾリスが盛んにエサを探しているのが見える。豊かな自然である。
 その後、施設内を散策。雨が降ってきたのでコースを屋内に移し、旧校舎を利用した屋内ギャラリーや、コンサートも可能だというアートスペースを見学。

 途中、音楽関係の知人であるTさんが不意に現れ、残るコースを案内していただく。雨で地盤が緩み、昇るのが難しくなった高い位置の彫刻2カ所だけはパスしたが、他はすべて見学できた。東京の友人も念願かなったと大満足。


 帰路、還暦コンサートで花束を贈ってくださった知人の店にも顔を出し、お礼の挨拶をする。ずっと気になっていたので、何となく肩の荷が下りた気分である。

 国道沿いの道の駅に寄ったら、隣のコンビニで名物の「美唄焼きそば」のノボリを発見。妻と友人のこれまた強い希望で、5つも買う。
 1個だけレンジで暖めてもらい、さっそくその場で食べた。具は何も入ってないが、シンプルで癖がない。全く期待してなかったが、予想を超える美味さである。1個わずか105円なので、機会があれば、一度は食べてみるべし。

2009年10月3日土曜日

天の木霊・地の光

 還暦コンサート「ガラスの時間」が無事に終了した。

 自宅で入念にリハをしたあと、機材一式を車に積み込んで17:30に出発。昨夜来の雨もウソのように晴れ上がり、会場となるモエレ沼公園の真上には、中秋の名月がぽっかりと浮かんでいる。
 17:40にガラスのピラミッドに到着。受付を済ませ、設営は会場を借りている18:00からだろうと思っていたら、前の時間帯が空いていたので、早めにやってよいという。ありがたく17:45から設営開始。

 会場となるアトリウム2がやや暗く、まずは照明スタンドを組立てる。下調査通りにトントン作業をすすめ、およそ15分で全セットを終えた。


 18:00からマイクテストを開始。予想通り残響時間が異様に長く、リバーブなどの効果は一切使わないことを即断。早めに来た音楽に詳しい知人に客席に座ってもらい、マイク毎に各種数値やスピーカーの位置などを微調整する。
 そうするうち、続々とお客様がやってきた。数年ぶりに会う方や、初めて聴きにくる方などもいて、マイクテストをしながら挨拶を繰り返す。

 残響時間の長い問題は解決不可能なので、これを逆に活かすべく、メインボリュームを自宅よりも2割ほど落とすことにする。モニタスピーカーの方向は天井ではなく、歌い手正面に向きを変え、音量をかなり絞る。4曲ほど歌っておよそのOKが出た。
 時計を見ると18:27あたり。しばしの間を置いて、予定通り18:30からライブは始まった。


 第1部は私のソロで、オリジナルを中心に6曲を歌う。最初は立って歌ったので、モニタの位置が遠く、声のコントロールが難しい。「一人前座」のようなステージなので、音響効果を含めた場の空気をつかむことに専念した。

 喉の調子はよく、ほぼ100%。調整がうまくいった。力を入れすぎないよう、ていねいにキモチを声に乗せるよう心がける。


 18:55に第1部終了。しばしの休憩をおき、19:00から息子とのユニット「tiny-ZOO」で第2部開始。
 第2部は17曲を休憩なしで歌ったが、聴き手が飽きないよう構成に腐心。中盤に女性ゲスト2人を迎え、さらには「施設訪問コーナー」で唱歌系の歌を4曲歌ってメリハリをつける。
 日本各地から家族が全員集合したので、終盤には「家族紹介」のコーナーを設け、35年前に結婚式で妻と二人で歌ったオリジナル曲を家族全員で歌う。ここでコンサートは最高潮に達した。
 途中で聴き手の数をざっと数えてみたら、階段席で35名ほど。通りすがりの方が周囲の回廊で結構聴いてくれていて、あわせておよそ45名ほどだった。予想をはるかに超える人数で、苦労が報われた気がした。

 写真のように、ステージの真下から光があふれ、天からは自身の声の木霊がシャワーのように降り注いだ。まさに光と音のページェントで、特にアルペジオ系の曲では、自分の身体が一瞬宙に漂うような得難い体験をした。至福の時間だった。


 予定通り、20:15に第2部終了。ラストの数曲でギター弦を押さえる左手の指がつってしまい、マッサージを繰り返しながら何とかやり終えた。リハやテストを含めると、一日で60曲近くを歌っている。もはや肉体の限界である。

 アンコールのお気遣いをいただき、気力を振り絞って2曲を歌う。幸いに喉は絶好調をキープしていて、充分に余力がある。最後はギターはほどほどにし、ボーカル中心で歌い切った。
 終了は20:25。開始前、そして終了後にもたくさんの花束やプレゼントをいただく。挨拶もそこそこに撤収作業開始。こちらも多くの方が手伝ってくださって、すぐに終わった。
 21時過ぎから自宅を会場に打ち上げをやる。身内が多数いたことを気遣ってか、友人関係は22時前にはみな帰路についた。
 その後、家族で0時ころまで話の花が咲く。
「主役自らが企画構成し、弾き語る」という珍しい形式での還暦イベントだったが、家族友人など、多くの方々の励ましや支えで、人生のリスタートを最高の形でやり遂げることができた。

 ありがとうございます。
(メインサイトにて、コンサートの詳細レポがご覧になれます)