2015年6月30日火曜日

究極の自作ピックか?

 これまでもたびたびふれてきたが、弾き語りで使うフラットピックは数年前からずっと自作してきた。素材は「ビデオケース」「梱包用プラケース」「プラスチック製名札」「硬質カードケース」など、使えそうなものは手当たり次第である。
 歌の半分はストローク奏法で弾くので、フラットピックは私にとって重要な存在だ。

 市販品に飽きたらない理由は耐用性に対する不満。せいぜい持って50曲で、ひどい物だとメーカー品でも20曲前後で割れてしまう。これで1枚100円はするので、とても割に合うシロモノではない。
 好みの厚さは薄めの0.4ミリだが、自作の場合、梱包用プラケースやプラスチック製名札が最も耐用性に優れていて、1枚で300曲は軽く弾ける。
 価格的にも割安で、梱包用プラケースなら廃品利用なのでタダ。プラスチック製名札でも100円で10枚は切り出せるから、1枚10円に過ぎない。


 自作ピックの問題点は、その素材探し。耐用性の強い0.4ミリの梱包用プラケースやプラスチック製名札が安定的に手に入る保障はどこにもなく、ほとんど運任せだ。
 ピックのストックが残り少なくなってきたので、安定して確保可能な0.4ミリ厚の塩ビ板をずっと探していたが、ようやく目的に叶う素材を見つけたかもしれない。
 以前にもふれたが、模型用として売っている塩ビ板がそれ。街の模型ショップを探したが、適当な品がなく、ネット通販でようやく手頃な品を見つけた。

「模型用0.4ミリ厚塩ビ板・330×360〜東急ハンズネットストア」

 信頼できる店だし、元来が模型用なので、強度面でも期待できそうだった。問題は価格で、A4サイズ強で税込278円はよしとして、送料が商品よりも高い540円。念のためアマゾンでも同製品をチェックしたが、こちらも全く同じ扱いだった。

 実用に耐えうるか一抹の不安があり、コストはなるべく抑えたい。よく調べると、「店舗取寄せ」という制度がある。つまりはネットで注文だけしておき、受け取りと支払いは最寄りの東急ハンズで行うという仕組みだ。
 これなら送料はかからず、製品のみの値段で済む。札幌駅近くにあるステラプライス店を指定して注文。数日経ってから入荷のメール案内が届く。チカチカパフォーマンスの待ち時間を利用し、さっそく受け取りに行った。


 色は各種あるが、落としても見つけやすく、市販品にもあまり見かけない半透明の赤を選択。試験的に市販ピックで2枚だけ型取りし、さっそく弾いてみた。

 フラットピックに求める機能は薄くてしなやかな弾き心地。そしてバサつかず、切れがよいこと。これらの点では合格だった。
 問題は強度面だが、まだ10曲程度しか弾いてないので、結論は先送り。しかし、弱いピックだと一発で割れてしまう「青春時代」をフルコーラス弾いてみたが、びくともしない。何となく使えそうな予感はする。
 ざっと数えてみたが、今回買った1枚で130枚前後は型取りできそうだ。強度面の問題はさておき、コスト面では1枚2円程度という低価格。市販品の1/50に過ぎない。
 控えめに見積もって1枚で1ヶ月使えるとして、(1日平均6曲×30日=180曲)1年では12枚。むこう10年は持つ計算で、仮にそうなら私自身の寿命との競争になる。
 もしかすると、究極の自作ピックにたどり着いたかもしれない。


《2015.7.11 追記》
 その後継続して使ってみた結果、50曲程度でやはり割れてしまうことが判明。強度的には100均の硬質カードケースと大差ない。模型用なので、梱包用と比べると強度としてはこんなものか。
 しかし、単価的には最安値で色も悪くない。代替の塩ビ板が今後見つからなければ、消耗品と割りきって使い続けるしかない。

2015年6月29日月曜日

チカチカ百花繚乱

(前回からの続き)
 旧道庁前赤レンガ広場でのアカプラパフォーマンスを終え、まずは腹ごしらえをする。前回は地下広場へただちに移動したが、今回は立派なベンチのある赤レンガ広場に残って食べた。
 食後に北4条広場へと移動してみると、地上に比べて明らかに人通りが多い。雨や雪のほかに、風や気温も「地上か地下か?」の重要な選択肢になっているようだ。


 この日は3組の共演だったが、開始時間が迫っても他パフォーマーの姿が見えないので、前回同様にトップで歌うことにする。
 14時から歌い始め、結果として40分で11曲を歌った。(※はリクエスト)

「ラブユー東京」「港町ブルース(初披露)」「愛人」「夜霧よ今夜も有難う」「男と女のお話」「青葉城恋唄」「恋の町札幌」「アカシアの雨がやむとき」「池上線※」「抱きしめて(オリジナル)」「熱き心に」

 地上とは打って変わって、1曲目から熱い反応。一人また一人と立ち止まる人が増え続ける好循環で、最後まで聴き手が途切れることはなかった。
 ピークは「アカシアの雨がやむとき」あたり。最近は集客的に苦戦する状態が続いていたが、感触としては20人を超え、今年の最高集客数を記録したかもしれない。
 歌の途中から(もしや…)と気になっていたが、終了後に笑顔で近づいてきた女性が、過去に4度も聴いてくれているSさんだった。偶然通りかかったそうで、この日が実に5度目の遭遇。よくよく縁のある方だ。
 Sさんには個人的に企画してくださった2つのライブにも招かれていて、チカチカパフォーマンスから生まれた音楽の絆である。この日はこれまで聴いたことのない曲もあったそうで、大変喜んでくださった。

 さらに驚いたのは、若い女性(20代前半?)がついと近寄ってきて、「先日の北海道神宮例祭のステージを観ました。《傘がない》が強く印象に残って、MCでチカホで歌っていることを知り、来てみました」という。
 ネット検索で知ったのですね、と確かめると、いいえ、今日が休みなので、たまたま広場に来てみただけです、とのこと。これまた単なる偶然のなせる業。それにしても、ステージでの歌唱が印象に残って、別のステージも聴きたくなったとは、歌い手にとっての殺し文句ではないか。
 相手が孫のような世代となると、なおさらだ。正直うれしい。


 14時半ころに同時にやってきたパフォーマー2組に場を引き継ぐ。1時間20分休憩し、16時から第2ステージ開始。
 他のパフォーマーが1ステージのみで帰るというので、会場は独り占め状態。フォーク系を中心に、延々17時近くまで歌い続ける。(※はリクエスト)

「季節の中で」「時代」「ワインレッドの心」「やさしさとして思い出として」「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「アビーロードの街」「万里の河※」「落陽※」「巡恋歌(初披露)」「君恋し※」「桃色吐息」

 16時を過ぎると集客は激減するのが常なので、あまり期待せずに、流れ次第では5曲くらいで打ち切るつもりでいた。ところが予想外に人が集まってくる。やめるきっかけをなくしつつ、目についた曲を歌い続けることに。
「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」を熱心に聴いていた中年男性、終わると近づいてきて、原曲と違ってる箇所があるという。一瞬歌詞かメロディでも間違ったのか…?と思ったが、指摘されたのはサビの部分のギター奏法だった。
 単純にストロークで弾いているが、そこは三連符で弾くべき、とのこと。原曲はあまり聴いてなく、ずっとこれまで自己流でしたが、未熟な部分はどうぞご容赦を、と陳謝。実はアルペジオ奏法だと指摘通りに演れるが、その言い訳はしなかった。
 通りすがりとはいえ、わざわざ指摘してくれるのはありがたいこと。謙虚に受け止めて、次回に活かしたい。

 後半になると立ち止まった方からリクエストが次々と飛び出す。結果として、第1ステージと同じ11曲を歌うことに。
「万里の河」「落陽」は初めてリクエストを貰ったが、この2曲で驚くほどの人が集まってきた。「落陽」は過去にもほとんど歌ってなく、チカホでは初披露。自分には向いてないと決め込んでいたが、これほど強いのなら、今後は考えなおすべきか。

「君恋し」は第1ステージで声をかけてくれた若い女性からのリクエスト。16時くらいからまた歌うかも?と言っておいたので、念のため来てみたという。またまたうれしい言葉。
 それにしても、その若さで90年前の懐メロをなにゆえ知っているのか、時間がなくて聞き漏らした。
 歌っても歌っても人は途切れない状態が延々続いたが、会場の終了時刻が迫ってきたこともあり、「桃色吐息」で打ち切りとさせてもらう。
 やれやれと機材を片づけていたら、通りから手を振る3人の若い女性の姿が。何と札幌駅近くに勤務する長男のお嫁さんと、その知人である。
 詳しい経緯は省くが、知人は九州から旅行に来ているお嫁さんの親戚とその友人。この日路上で歌うことは特に告げてなく、遭遇したのは全くの偶然である。何とも偶然の重なる日だ。

 はるか南からの旅人なので、歌でも披露すべきかと時計をみると、まだ15分の余裕がある。幸いにマイクスタンドは組んだままの状態。急ぎPAにケーブルをつなぎ直し、北への歓迎の意味もこめて、北海道にちなんだ名曲「大空と大地の中で」「北の旅人(南こうせつ)」を続けて歌う。
 すると、それを聴きつけて通りすがりの人がまた5〜6人集まってきた。単なる身内のお接待のつもりでいたが、事情を説明して、一緒に聴いていただくことに。
 この日は喉が絶好調で、合計で37曲を歌ったが、まだまだ余力があった。もしかして、喉の調子が集客に好影響を与えていたかもしれない。だとすると、通りすがりの聴き手とは、実に敏感で正直な存在ではないか。

 終わると、南からの旅人2人が涙を流している。「すごくよかったです。泣けました」と、これ以上ない感謝感激の言葉。
 実はこの日は早朝7時に、以前にチカホでCDを買ってくれた若い男性から突然の電話もあった。まるで狙いすましたように、次々と偶然が重なる日。長い人生、こんな日も確かにあるのだ。

ダブル路上ライブ再び

 1週間前に初めて試み、喉の絶不調というアクシデントに見舞われつつも、何とか乗り切った「同一日に地上と地下のダブル路上ライブ」を、再び実施した。
 地上と地下の会場は前回と同じで、時間帯も同じのアカプラパフォーマンスとチカチカパフォーマンスである。違っているのは天候で、前回よりもかなり肌寒い。いまにも雨が降り出しそうな曇天で陽射しは全くなく、風がほとんどないのが唯一の救いだった。
 まずは地上会場となるアカプラに着く。前回と同じ東端のベンチが植栽の保守点検で作業中。トラックや機材で埋まっていて、全く使えない。やむなく中央やや東寄りのベンチに陣取る。

 前回の失敗をふまえ、リクエストスタンドは風に弱い組立て椅子の転用をやめて、事務局貸与の看板のうち、アカプラでは使わない方を利用して、ヒモでしばりつける方式に変えた。
 看板自体が倒れる可能性もあるので、2つの看板を持参のゴムベルトで一体にして止めた。


 準備中に中年女性からいきなり声がかかる。
「お兄さん、これから歌うの?何時から?」
 歌う前からお客さんとはありがたい。いますぐ始めますと、写真を撮って直ちにスタンバイする。

「私、島倉千代子が大好きなの。何か歌える?」
「人生いろいろ」「襟裳岬」「愛のさざなみ」…など、思いつくままにレパートリーを挙げると、「襟裳岬」をお願い!あの曲が一番好きよ、と女性。
 最初はフォーク系を歌うつもりでいたが、急きょリクエストにお応えすることに。

 12時10分から歌い始め、フォークや昭和歌謡を中心に45分間で13曲を一気に歌った。

「襟裳岬(島倉千代子)」「大空と大地の中で」「青葉城恋唄」「わかって下さい(初披露)」「雨が空から降れば」「ワインレッドの心」「少年時代」「アビーロードの街」「北の旅人(南こうせつ)」「恋の季節」「アカシアの雨がやむとき」「恋のバカンス」「どうにもとまらない」
 突発リクエストの1曲目は別にして、構成としては「北の旅人」までがフォーク系、「恋の季節」以降が昭和歌謡系である。
 スタートから幸先のよいステージを予感させたが、2曲目以降になると周囲の反応は激変し、関心を示す人は皆無に近かった。最高気温が17.9度という寒さのせいか、通行人がめっきり少なく、ベンチに座る人もまばら。
 それでも通りの風になって淡々と歌い続けたが、遠くから視線を送ったり、通りすがりに歩調を緩めて関心を示す人はいても、立ち止まったり、リクエストをくれるまでには至らない。

 まるでガマン比べのような寒い時間が通りすぎてゆく。唯一拍手が起こったのが、「アビーロードの街」。過去に数回しか歌ってないが、曲調が路上ライブ向きかもしれない。
 ともかくもノルマだけは果たして、次なる会場である地下広場に向かうべく、機材を畳んだ。前回から修正した風対策面は問題なく機能したのが、数少ない収穫だったかもしれない。(後半に続く)

2015年6月27日土曜日

パラボラけろすけ落選

 先月末のブログでもふれたが、11年ぶりに応募したデザインコンペ、「リサイクルアート展2015」の結果が出た。
 テーマは「使わなくなったもの」を主に素材とした未発表のアート作品で、応募した2作品のうち、壊れたBSアンテナを使ったカエルのオブジェ「パラボラけろすけ」が一次選考にノミネート。しかし最終選考7点と審査員特別賞4点のいずれにも残れず、あえなく落選となった。
 もうひとつの作品、廃棄CDメディアを使った「CDモビール」は、一次選考にもノミネートされなかった。

 もし入るとすれば「パラボラけろすけ」が有力か?と期待していただけに、ちょっと残念な結果である。入選すれば最低でも賞金10万円、審査員特別賞でも3万円がもらえただけに、そっちでも残念。


 時間が足らず、両作品ともかなり前に作って家に飾ってあったものをそのまま応募した。応募総数159点、一般の部に限ると129点で、入選と審査員特別賞の合計11点に残るには、12倍という狭き門だった。
 詳しくは調べてないが、過去にかなりの確率で入選していた「札幌国際デザイン賞」と同等以上の倍率ではないだろうか。(グランプリ賞金はどちらも100万円)

《作品コンセプト》
 ガーデニングブームの昨今、単に市販品のグッズを買って庭に並べるのではなく、廃棄品を使って「世界にひとつだけ」のグッズを作って庭に置けば、ガーデニングライフはより個性的で楽しいものになるでしょう。
 そんな意図から、落雷によって壊れてしまったBSアンテナを使い、カエルグッズを作ってみました。本体には油性塗料を塗り、全て風雨に耐える素材を使っています。

《アピールポイント》
 BSアンテナ背面のリブを利用し、木材の端材でスタンドをつけたので、外の庭はもちろん、ウッドデッキや室内にも自在に移動可能。玄関前に置けば、可愛いいモニュメントにもなります。
 目玉と口の部分は動くので、怒ったり笑ったり悲しんだりと、その日の気分で自由に表情を変えることもできます。遊び心満載の作品。


 事務局からは「残念賞」としてリサイクルノートが送られてきたが、このコンペ、来年以降も継続するらしい。
 今回の敗因は準備不足、11年のブランクなどいろいろ考えられるが、イメージの直感力が劣化してきたせいもあるかもしれない。(あまり考えたくないが…)
 これまでデザインに限らず、文学系、音楽系など、いろいろなジャンルでコンペやオーディションへの飽くなき挑戦を続けてきて、それなりに結果も残している。
 来年のコンペまではまだ時間があるので、いいアイデアが閃いたら、こりずにまた挑戦するかもしれない。

 コンペやオーディションは、間違いなく自分を成長させくれる。これぞ我が人生なり。

2015年6月26日金曜日

火祭り新芽の独立

 昨年8月末に買った多肉植物・火祭りの最新情報である。

 日光不足により徒長させてしまい、葉をいったん切り戻したのが、1ヶ月後の9月末のこと。その後親株からは新芽が育ち、葉挿しした3つの株も無事に根づいて、冬を越した。
 バラバラにして葉挿しした16枚の葉のうち、数枚から新芽を確認したのが先月のこと。こちらも順調に育って、間借り状態だった鉢から、いよいよ独立させてやる必要に迫られた。


 困ったのは、移植すべき鉢である。火祭りはそう大きくならないので、鉢は小さめでよいが、手頃な鉢が見当たらない。買わずに何とか済ませる手段をあれこれ考えるうち、蜂蜜の空容器を加工すれば、何とかやれそうな気がしてきた。
 そのままでは見映えが悪いので、妻が買い集めたソバ猪口を使うことにした。全部で7つもあって、いまは埃をかぶっている古い物。柄が洒落ていて、植木鉢としても充分に使える。

 まず、蜂蜜容器を横に2分割。下半分にはキリで底に通気穴を開ける。上半分はひっくり返し、台所生ゴミ水切り用ネットを2重にして蓋をした。


 それぞれにハイドロボールと観葉植物専用土を順に入れ、葉挿しした容器で窮屈そうにしていた新芽をそっと抜き取り、移植する。思っていたよりもヒゲ根が多数出ていて驚いた。多肉植物は実にたくましい。
 物置の奥から500mlペットボトルを再利用した鉢が1個見つかったので、ついでにこちらにも移植。一部が欠けたマグカップに入れることにした。

ソバ猪口を転用した鉢には2本の新芽を、マグカップには1本の新芽をそれぞれ移植。合計5本の新芽がめでたく独立することになった。


 うまく根づくかどうか分からないので、「親」ともいえる厚い葉はそのまま残した。順調に育ち始めた時点で、いずれ切り捨てるつもり。

 実は別の鉢からも、現時点で4つの新芽が顔を出しているのを確認している。こちらをどうするか、まだ結論は出ていない。
 構想としては、CDスピンドルケース空容器を再利用して浅めの植木鉢を作り、寄せ植えのような形に仕立てあげようかとも思う。これに関する続報はいずれまた。

2015年6月25日木曜日

ご近所花めぐり

 月末には少し早いが、来月分の食費を下ろしに郵便局に行くついでに、いまが盛りの近所の花スポットを探索した。

 まずは同じ町内にあるハナミズキと思しき木。我が家と同時期に新築されたお宅だが、入居時に植えた木が16年のうちに見事な花を毎年咲かせるようになった。
 たまたま玄関先にいた奥さんと立ち話。出入りの植木屋さんがサービスで植えてくれたそうで、何の木かずっと分からなかったという。
 ハナミズキは東北が北限で、北海道では育たない、と断言するサイトもある。やや自信がないが、この辺ではあまり見かけないので、(ぜひハナミズキであって欲しい)と願う。
(その後の調べで、「源平ヤマボウシ」であることが判明)


 歩道には花の終えたアカシア(正確にはニセアカシア)の白い花びらが、ジュウタンのように広がっている。札幌の歌に多く歌われているアカシアが咲くと、ビールが美味しく飲める、といつかどこかで聞いたが。
 たまに行く歯科医院の玄関先では、真っ赤なバラがこぼれるように咲き誇っていた。


 地区センター横の広い空地では、名前の知らない紫の野草が可憐に咲いている。一株抜いて我が家の庭に植えようかと一瞬思ったが、やはり野に置けレンゲ草。


 駅前通の広い歩道横には、ていねいに手入れされた花壇が広がっている。その片隅に、ピンクのかすみ草らしき群れが。
 かすみ草は白と決め込んでいたが、ピンクとは珍しい。そもそも花屋の店先以外で、地植えのかすみ草を見るのは初めてだ。

 かすみ草の横には、紫のボールのようなアリウム(ギガンチウム)の花が、そろそろ終わりかけ。毎年この時期に同じ場所で咲くので、多年草であろう。
 調べてみたらネギの仲間で、秋植え球根。耐寒性が強く、難易度も低いらしいので、我が家でもやってみる価値はありそう。


 花めぐりのラストは、同じ歩道横の花壇にあるデルフィニウムの一群。ブルーの濃淡が美しく、以前に我が家でも育てたことがあったが、数年で消えてしまった。
 寒冷地むきの花と聞くが、相当こまめに手入れしないと、育てるのは難しそう。手抜き園芸の私には向いてそうになく、上手に育てている家の庭先を通りすがりに眺めて、楽しませていただこう。

2015年6月24日水曜日

パソコン通信からSNSへ

 インターネット登場以前のネットワーク黎明期に、「パソコン通信」という媒体があったのを知っている方は、もはや少数かもしれない。ウィキペディアによると、全盛期は1980年代後半から1990年代にかけて、とある。
 パソコンとモデムをつなぎ、電話回線経由でホスト局サーバに接続。ニフティに代表されるパソコン通信サービス会社が提供する各種サービスを利用した。

 当時人気があったのは、「フォーラム(会議室)」と呼ばれる掲示板のようなサービス。各自がハンドルネームでコメントを記し、「シスオペ」と呼ばれる仕切り役が中心になって、それぞれの会議室をまとめていた。
 私が最初に利用したパソコン通信は、「MSX」というビギナー用の安価なPCを使った「LINKS」という媒体。中高生対象の会議室が多かったが、確か4〜5年は参加したはずだ。
 のちにMacを買ってからは、先にふれた「ニフティ」に切替えた。文学系の会議室に参加し、芥川賞作家の川上弘美さんとも少しだけ交流があった。

長男から、2日遅れの父の日プレゼント

 1995年末にインターネットを初めてからは、このパソコン通信からは一気に遠ざかった。パソコン通信では別の部屋に分離されていた画像や音源ファイルが、テキストと同時に表示されるようになり、テキスト中心のパソコン通信が、まるで色あせたものになってしまった。
 私がパソコン通信と関わった期間は、およそ7年ほどである。

 インターネットで登場した「掲示板」というシステムは、実はパソコン通信時代の「会議室」という概念に限りなく近い。
 SNSの急速な発展により、いまやその掲示板も風前の灯で、ホームページ上に掲示板を置いているサイトは減る一方である。やがてパソコン通信同様に消え去る運命かもしれない。
 しかしそのSNSとて、やっていることは会議室やら掲示板と大きな違いはない。ネットワークの発展により、より早く、より美しく、より簡便になっただけに過ぎない。

 かってはパソコン通信の会議室で様々なトラブルがあったもので、仕切り役として「シスオペ」の役割が重要だった。しかし、最近のSNSでは、その「シスオペ」に相当するものが存在せず、各自が各自の責任で表現する仕組みに変わっている。
 コントロール機能のない、ある種の「野放し状態」ともいえ、SNS系のさまざまな社会的トラブルが30年前の黎明期に比べて、飛躍的に増えているのもうなずける。

 PCやスマホの向こうで情報を発しているのは、自分と同じニンゲンである。世界はどんどん進歩しているように見えるが、ニンゲンそのものが考えたり行動したりしていることに、それほど大きな変化はないように思える。

2015年6月22日月曜日

喉に異変で歌中断

(前回からの続き)
 昼休みを利用した旧道庁前赤レンガ広場でのアカプラパフォーマンスを終え、この日2つめの路上ライブ会場となる地下広場へと移動。位置的にはアカプラのほぼ真下で、移動時間はごく少ないが、周囲の景色は一変する。
 この日は月曜にも関わらず、地上も地下も人通りが少ないように感じられた。もしかすると、給料日直前ということが関係していたかもしれない。

 開始は14時なので、機材設営前にまずは腹ごしらえ。組立式の椅子に座り、途中のスーパーで買ったサンドイッチを食べる。広場と地下通りの境界に置いた看板には、予め準備しておいた「パフォーマンス開始は14時です」との紙を貼った。


 地下広場での共演はジャグラーのはち君だったが、開始時間が迫っても姿が見えない。自主判断で14時からトップで始めることにした。
 結果として45分間で計13曲を歌う。
「珍島物語」「瀬戸の花嫁」「愛人」「夜霧よ今夜も有難う(2度歌う)」「恋のしずく」「バス・ストップ」「時の過ぎゆくままに」「五番街のマリーへ」「男と女のお話」「空港」「あなたならどうする」「グッド・ナイト・ベイビー」

 地上では洋楽系→フォーク系と歌い継いだので、地下では演歌系→昭和歌謡系とつなごうかと、漠然と考えていた。
 最初の数曲は事前に決めておくが、以降は場の雰囲気に合わせて、目についた曲を適当に見繕って歌う、というのが最近のやり方だ。


 歌い始めると、2曲目あたりで喉に異変を感じた。イガイガした感じがあって、思うように声が出ない。実は地上でもそれはあって、ラスト近くに歌った「季節の中で」の高音部で、一部声が切れる、というトラブルがあった。
 明け方の寝冷えが影響していたのは間違いなかったが、3曲目の「愛人」でいよいよそれが顕著になり、やむを得ず歌を中断。幸いに、そこまでに立ち止まる人はいない。

 急きょ、看板横に置いてあったリクエストスタンドを撤去する。このまま歌い続けられるかどうか分からなかったし、少なくともリクエストを受けられる状態ではない。
 落ち着いて水を飲み、深呼吸。試しに少し歌ってみると、いけそうな感じがする。気を取り直して、「愛人」を最初から歌い直した。通りの遠くからそれを耳にした女性が、歌い終えると盛大に拍手をくれた。何とかいけそうだ。
 気持ちが落ち着いたせいもあったのか、喉はじょじょに普段のペースを取り戻した。それに応じて、立ち止まる人も増えてくる。
「夜霧よ今夜も有難う」では、途中から聴き始めた女性が歌い終えたとたん「いまのもう1回!」とリクエスト。この歌では以前にも同じことがあった。最近は独自の歌唱法にたどり着いていて、どこで歌っても手応えを感じる。

「バス・ストップ」を歌い始めると、どこか見覚えのある中年男性が立ち止まってじっと聴いている。終わると「《バス・ストップ》をここで聴くのは、今日で3度目です」と声をかけてきた。言われて気がついたが、以前にも声をかけてくれた方だった。
「いつも思うけど、菊地さんの《バス・ストップ》は、ちょっと普通のとは違ってますよね、どこかフォーク風というか…」
「よくそう言われます。なに歌ってもフォーク風、叙情歌風に聴こえる、と」

 つまりは、あらゆる歌を自分の中で「叙情的」にかみくだき、自己解釈してしまう、ということなのだろう。肩書きを尋ねられたとき、迷わず「叙情歌シンガー」と応ずる所以。このところ地区センターで定期開催中のリクエスト型コンサートも、「叙情歌サロン」ではないか。
 30分過ぎたあたりで、共演のジャグラーはち君が会場に現れる。準備が整うまでの間、1曲毎に声をかけながら歌い続けることに。
 喉の異変という不安もあり、「グッド・ナイト・ベイビー」でこの日はラストにしようと歌っていたら、通りで手を振る見覚えのある顔。街作り系イベントで知り合ったハンマーダルシマー奏者のchikaさんではないか。
 以前にも別の広場で歌っていた際、偶然に通りかかったことがある。よくよく縁のある方だ。

 前回は1枚目のオリジナルCDを、今回は2枚目のCDを買っていただく。終了後、10月にご一緒する予定のイベントライブで、コラボをやるか否かの簡単な打合せをする。
 当初はふきのとうファンのchikaさんに合わせ、「やさしさとして思い出として」を提案していたが、ちょっと難しいとの返答。新たな候補として、「エーデルワイス」「アニー・ローリー」が挙がる。いずれも手慣れた曲なので、大きな問題はない。

 曲の途中で歌えなくなる、という前代未聞のアクシデントに遭遇したが、どうにか乗り切った。190万都市札幌でも意外に狭いことを改めて知った、何とも不思議な一日である。

地上と地下のダブル路上

 1ヶ月ぶりに路上ライブで歌った。6月に入ってから依頼型のハードなライブスケジュールが続いていて、路上系の構成メニューからは遠ざかっている。ある種の「勘」を取り戻すためには、しばしの調整時間が必要だった。

 諸事情により、この日は場所と時間を変えて2本のライブをこなす予定で、最初は旧道庁前赤レンガ広場での、いわゆるアカプラパフォーマンス。幸いに暑くも寒くもなく、風もほとんどない。外で歌うには絶好の条件である。
 今年になって2度演ったアカプラパフォーマンスは、全て休日だった。この日は平日なので周辺のビル街に配慮し、広場の開放時間は昼休みの1時間に限定される。
 14時からは場所を変え、地下広場で通常のチカチカパフォーマンスもやる予定だった。同じ日に地上と地下で連続2枠をエントリーをするのは初めてのこと。
「特別枠活動者」を維持し続けるには、半年で最低4枠、年平均で20枠以上の活動をする必要がある。7月以降は広場の割当てが激減する。やれるうちに、少しでも活動実績を積んでおきたかった。 

 早めに起きて調整したが、いまひとつ喉の調子が悪い。実は明け方に寒くて目が覚めた。掛け布団が厚すぎたのか、はねのけてパジャマひとつで寝ていた。不注意による寝冷えである。
 声が出ないわけではなく、出にくいだけ。どうにかやれるだろうと、当日キャンセルだけは回避した。


 事務局で手続きを済ませ、11時55分に広場に着いたが、展示部門担当の指輪職人チュウゲンさんがすでに会場入りしていた。
(平日昼のパフォーマー部門は先着1名限定で、共演はない)
 昨秋と同様に、旧道庁を正面に見てスタンバイしたが、電子譜面の液晶に空が反射し、輝度を最大に上げてもまるで読めない。(なぜだろう…)と、よく考えてみたら、昨年は札幌国際芸術祭の展示物である巨石が背中にあって、格好のブラインドになっていたらしい。

 やむなく大きな木が影を作っている北側の花壇前に移動。準備に手間取ってしまい、やや遅れて12時10分から歌い始める。
 前半の25分を洋楽中心に7曲、後半20分をフォーク中心に5曲、合計45分で12曲を一気に歌った。(※はリクエスト)

《前半〜洋楽系》
「ボラーレ」「アメイジング・グレイス」「カントリー・ロード」「思い出のグリーングラス」「河は呼んでいる」「さくらんぼの実る頃」「オー・シャンゼリゼ」
《後半〜フォーク系》
「大空と大地の中で」「空も飛べるはず※」「雪化粧※」「季節の中で※」「風来坊」
 ベンチに座る人、通り過ぎる人はそれなりにいたが、地下歩行空間ほど多くはない。快適なくつろぎ空間が整備されたとはいえ、まだまだ賑やかさには程遠いのが現状である。
 それでも関心を示してくれる人はそれなりにいた。だが、本格的に拍手やリクエストが飛び出したのは、実は後半のフォーク系の構成になってからである。これまでアカプラでは洋楽系が似合うと決め込んでいたが、そろそろ考えなおすべき時期かもしれない。

 ラスト近くに大型の機材を持って現れたプロカメラマン風の男性が、「風来坊」を最初から最後まで真正面から動画撮影していた。何かの取材のように見えたが、特に挨拶はない。他にも間近で写真撮影する人が多数いた。
 チカホでも同じ傾向だが、公的空間での無名シンガーの路上ライブ、肖像権などないものと考えるべき。

 折りたたみ椅子を転用したリクエストスタンドの改良版は、この日初めて使った。人の抜き取り作業では問題なかったが、単純な風で2度も倒れた。その都度横にいたチュウゲンさんが起こしてくださったが、事務局から貸与の看板に抱かせるようにして、ようやく安定した。
 横のベンチに座って熱心に聴いてくれた方と、終了後にしばしの歓談。その後機材をたたんで、次なる会場地下の北4条広場へと移動した。(後半に続く)

2015年6月20日土曜日

段ボールコラージュ完成

 朝食に必ず食べるバナナと牛乳が切れたが、あいにくいつも買っているスーパー、ビックに行くついでがない。
 我が家からは4.6キロあって歩くには遠すぎ、車でわざわざ行くと、安くなった現在のガソリン価格でも、往復で70円弱かかる。それなら近所のスーパーで買うほうが結果的には割安だ。

 考えたすえ、日頃の運動不足解消をかねて、初めて自転車で行くことにした。近道を通ったはずが、ちょっと迷った。車と同じ幹線道路沿いが正解だと知り、帰りはこちらを選択。
 自転車で片道25分、買物は10分で済ませたので、合計1時間を費やす。戻ってから調べたら、自転車と徒歩の時間あたり消費エネルギーは、ほぼ同じであるらしい。自転車の平均速度は徒歩の約2倍なので、今日は4.6キロの道のりを25分で散歩したと同じ運動効果となる。

 思っていたより自転車は健康によいことが分かった。膝痛のために徒歩は苦手で、もっぱら自転車を使う妻にも朗報である。


 私の生まれ故郷である幌加内町で8月に実施される「政和アートFes」に参加&展示販売する予定の「段ボールコラージュ」6点が全て完成した。

 作品に名前をつける必要は特にないが、自らのこだわりとして、勝手に命名。左上から順に、「夢見るサイロ〜秋」「ぐるぐるアース」「夢見るサイロ〜春」「トリオにゃんこ」「赤と黒の規律」「弾ける年輪」ということにしよう。
 ちなみに、「夢見るサイロ〜秋」は、2枚目のオリジナルCDのジャケットに使用したもの。
 使っている素材は布、糸、紙、ボタン、木の枝など雑多だが、新たに買ったものは皆無。すべて手持ち材のやり繰りか、廃材の再利用である。寸法が13×13センチと小さめなので、全体的にビビットな色の組合せを意識した。

 提出締切は7月末で、しばらくは2階カウンター机の上に並べておいて楽しむ。作品は売れ残っても作者には戻ってこないので、スキャナかデジカメでデジタル保存しておこう。
 著作権はあくまで作者にあるので、今後何らかの形で甦らせるかもしれない。

2015年6月19日金曜日

園芸なる一日

 昨夜は明け方3時過ぎまで夜更かししたが、すでに外は明るくなり始めていた。夏至まであと3日。昼間が最も長い時期である。
 惰眠を貪っていたら、午前中に光回線の勧誘電話で起こされる。最近の勧誘電話には2パターンあって、ひとつは生命保険で残るひとつがインターネット光回線。

 生命保険勧誘には「目下ガンの治療中です」と返すと、先方は「どうぞお大事に」と即座に切る。光回線勧誘には「ADSLの長期契約で、NTT回線とBBフォン電話代こみで月額4,200円。特に不満ないですが」と返すと、同様に先方はアッサリ引き下がる。
 しつこい勧誘電話に長々とつきあっている暇などない。ウソも誇張もないが、どちらも格好の打ち切り文句である。
 そのまま起きて、午前中から園芸関係の雑事をさばく。まずは剪定した庭木の枝を見繕い、20個ほどを2ミリ厚くらいに輪切りする。進行中のアート作品「段ボールコラージュ」に使うためで、昨夜未明に思いついたアイデアだが、これに関する詳細は後日。


 続いて母の日に長女から送られてきたカーネーションの生花についていたアイビー(ヘデラ)をペットボトル再利用の鉢に植え替える。
 枯れたカーネーションは捨てたが、アイビーの元気がいいので、試しに水を入れたコップに差しておいたら、ほどなくして発根した。まとめて3本を培養土に植え替えたが、うまく根づいてくれたらもうけもの。

 ちょっと寂しかった台所カウンターが、一気ににぎやかになった。


 3時のお茶を飲んだあと、少し涼しくなってきたので、外に出て家庭菜園の手入れ。昨日買ってきた枝豆とオシロイバナの種を植え、車庫スペースの真ん中に芽を出したタチアオイを白い野菊の横に移植する。

 枝豆は1週間前に蒔いた2度目の種も思わしくなく、全く芽を出そうとしない。気温は充分に高くなっているので、やはり種が古過ぎるせいだろう。
 今年はいっそやめてしまおうかとも思ったが、妻が採れたての枝豆がぜひ食べたいと言う。結局新しい種を140円で買った。67粒あるので、数回に分けて蒔く。今度こそ芽を出してくれ。
 オシロイバナも同じく妻の希望。私はあまり興味がなかったが、20代の頃アパートの前に種を蒔き、元気に育って楽しませてくれたのが忘れられないという。自分で世話をするというので、こちらも105円で買った。
 言葉通り、オシロイバナの種まきと水やりは珍しく妻が担当。このまま庭の花は妻が担当してくれるとうれしいが。

 母の日に長男からもらい、花が終わって1週間前に地植えしたカーネーションから新しい芽が出て、そのひとつが花を咲かせた。他の茎にも、続々と新しいツボミが育っている。
 鉢植えではダメでも、地植えだと不思議に元気を回復した。植物の生命力の不思議。

2015年6月18日木曜日

お経のCDを買った

 ふと思い立って、お経のCDをネット通販のアマゾンで買った。宗派は浄土真宗だが、各宗派のお経CDが思っていたよりも安く売られている。いまやお経もデジタルの時代か。

 亡き父の法要は基本的にお坊さんに頼んでいるが、どの寺の檀家でもないので、四十九日や一周忌、三回忌までは葬儀屋さんから紹介された寺に頼み、七回忌は墓のある霊園に紹介されたお坊さんに頼んだ。
 唯一の例外は初七日。実は母は福井県にある寺の直系である。故あって寺は継がなかったが、寺の娘なのでお経は読める。そこで初七日のお経は母に読んでもらい、お坊さんは呼ばずに簡素に済ませた。


 今回買ったのはレンタルに使われていた中古品で、送料税込で1,450円。一部にシールの貼り跡が残っているが、音そのものには問題ない。
 さっそく聴いてみたが、高名なお坊さんの読経ということで、聴きやすい。七回忌にお願いしたお坊さんが風邪をひいていたとかで、聞きづらく感じたが、かなりの違いである。

 CDを聴きながら、添付されてきたフリガナつきの経典を一緒に読んでみたら、それなりにやれる。お経にもちゃんと音階とリズムが存在する。感覚的には「歌」に近い。
 全部で7種類のお経が入っていて、通して聴くと44分かかる。最も長いのは最初に登場する「正信偈」で、およそ12分。もし法事に使うとすれば、他の短いものをひとつふたつ加えて、ということだろうか。
 現段階で次なる法要は5年後の父の十三回忌だが、母も高齢だし、そもそも人間の運命など分かったものではない。もしかしたら、こうして書いている自分の法要が先かもしれない。

 ともかくもCDという形で残しておけば、子供たちも戸惑わずに済み、選択肢も増えるはず。無用な出費も避けられるだろう。
「オレの葬式や法事はこれで充分です」と妻に言ったら、「あら、あなたにはオリジナルCDが2枚もあるじゃない」と茶化された。
 言われて考えてみると、オリジナルCDの再生時間もそれぞれ40分ほどで、ほどよい長さ。自分の死後のことにあれこれ注文をつける気はないが、その選択も確かにあり得る。何よりも自分らしくていい。
 まあ、好きにせよ。任せる。

2015年6月17日水曜日

アートな一日

 事情でキャンセルのあったらしい余興ボランティアのピンチヒッターとして、とある特養ホーム誕生会で急きょ歌うはずだった。ライブスケジュールは詰まっていたが、困ったときはお互いさまである。
 ところが昨日の午後になって再度の緊急連絡があり、施設内で夏風邪がまん延し、誕生会そのものが中止になってしまったという。すでに歌う曲目も決め、FAX送信までしてあったが、先方の計らいで全く同じ要領で来月の誕生会で歌わせてもらえることに。

 気を張って準備していただけに、やや力が抜けてしまったが、ぽっかり予定が空いた今日は、札幌市民ギャラリーの「全道展」を妻と観に行くことにした。
 全道展の正会員である小学校恩師から、いつもこの時期に案内をいただいている。


 絵画から始まり、版画、彫刻、工芸など、多数の作品がびっしりと並んでいて壮観である。受付でもらえるパンフレットで数えてみたら、実に500近い作品が出展されていることを知る。

 順路に従って観て回ったが、いつもは2階にある恩師の作品は、今年は入口近くの1階に飾られていた。近年ずっとテーマにされている漁婦を描いた力作である。
 確か今年で80歳になられるはずだが、定年退職後にご主人と共に始めた絵が、いまや自宅で教えるほどの腕になっている。人生、始めるのに遅すぎるということはないのだ。


 そのご主人を昨年亡くされ、昨年だけは出展を見送ったが、今春の私のコンサートでお会いした際、「絵はこれからも続けます」と、気丈に語っておられた。
 年をとっても打ち込むことがあり、それを通して社会参加ができるのは、幸せなことだと思う。私も見習いたい。
 帰路、ちょうどお茶の時間と重なったので、かねてからチェックしてあったギャラリー併設のカフェ「茶廊法邑」へと向かう。自宅からの経路は分かりやすいが、中心街からだと道が複雑で、かなり迷った。
 外観からはカフェだとは容易に分からない不思議な造りで、入口も通りからは全く見えず、迷路のようなコンクリート塀を通ってようやく辿り着く。


 傾斜天井と室内が全て地窓、店内家具もすべてオリジナル設計という、アート感覚満載のカフェだが、残念ながら店内の撮影は不可。ケーキセットのみ撮影OKだったが、什器類もすべてオリジナルというこだわりようである。

 ブルーベリーをベースにしたケーキは非常に美味しかった。フルーツまでついていて、900円の価値はある。静ひつで仄暗い店内も落ち着ける。私たちにしては贅沢をしたが、たまにはこんな店もよい。