2012年5月31日木曜日

チカチカ弾き語り共演

 都合12度目となるチカチカパフォーマンスを無事に終えた。今回は初めて他の音楽系パフォーマーとの共演となった。相手は第2期パフォーマーの健・雄さん。実はこのグループ、たまに顔を出す居酒屋ライブハウスのマスターとお客様によるユニットで、オーディション時にも顔を出した周知の仲である。
 平日の昼間ということもあって、仕事のある雄さんは欠席。比較的時間に融通の効くマスターのKENさん一人の参加となった。

「ぜひご一緒したい」との連絡が入ったのがわずか3日前で、たまたまこの日はエントリー枠(最大3組)に空きがあった。PAやマイクスタンド、譜面台などは私の物を使ってもらうことにし、まずは一緒にやってみましょうや、という話が急きょまとまった。


 この日の構成は4つあるパターンのうち、「唱歌・叙情歌」。KENさんが得手とする70年代フォークとは全く異質で、歌が競合する可能性はゼロである。事務局のあるビル入口でギターを抱えたKENさんとばったり出会い、そのまま二人で事務局まで行き、最初の手続きのやり方などを教える。
 2つある案内用看板をめいめいが持ち、すぐに地下に潜って準備。今日も会場はいつもの北4条広場で、事前の打合せの結果、最初に私が40分近くを歌い、続けてKENさんが歌う段取りとなった。
 手慣れた内容なので特に気持ちを構えることもなく始めたが、その分やや緊張感を欠くライブとなったかもしれない。モチベーションの調整はなかなか難しいものだ。
 14時ちょうどから始め、40分弱で以下の16曲を一気に歌った。

「花(滝廉太郎)」「みかんの花咲く丘」「かなりや」「思い出のグリーングラス」「荒城の月」「アニー・ローリー」「おぼろ月夜」「城ヶ島の雨」「野の花や(オリジナル)」「さくら貝の歌」「涙そうそう」「この広い野原いっぱい」「夏の思い出」「忘れな草をあなたに」「ゆりかごの歌」「ゴンドラの唄」


 いつものようにMCは簡単な曲紹介程度で、およそ5分で2曲を歌うペースである。唱歌系の曲は総じて短めなので、電子譜面ならばこんな芸当も難しくない。
 聴き手は曲によって増減したが、5~15名といったところか。今回はなぜか入れ替わりが激しかった気がする。それでも、1曲目から最後まで全曲を聴いてくれた方がいて、大変ありがたかった。まずまず、無難な出来だったといえよう。

 初披露は「ゴンドラの唄」のみ。ラストで歌ったが、やや曲が古過ぎたかもしれない。しかし、この日はぜひこの曲を歌いたかったのだ。
 衣装は先日買った赤のトレーナーに黒バンダナを襟元にあしらう。ハンチングは上衣の赤に合わせ、めったにかぶらないグレーのツイード調にした。いろいろ凝ってはみたが、結果としてあまり集客には影響しなかった感じだ。あくまで自己満足の世界である。
 今回初めて使ったスタンド式の案内状入れは好評だった。歌いながら随分いろんな人が持ってゆくな…、と思っていたら、準備した12枚が4枚に減っていた。何らかの反応があることを、あまり期待せずに待つことにしよう。
 終了後、案内状入れや譜面隠しなどを撤去し、ただちにKENさんのステージが始まる。「最初なので、2曲くらいでやめようかな…」などと歌う前は控え目に語っていたが、いざ歌い始めると、どんどん人が集まってきた。
 特に2曲目の「酒と泪と男と女」で一気に15名近くに到達。その後、曲によって聴き手は増減したが、常時10~15名近くをキープ。初ステージとしては充分な集客である。場数を重ねた人はさすがに違う。ストローク奏法を基本にし、一部ハモニカを交えるなど、ストリートむけの手法がいろいろと参考になった。

 会場の後ろのほうで初めて「聴き手」となってみたが、ボーカルがよく反響して非常に聴きやすい。KENさんのギターにはピックアップがなく、生音だが、そんなハンデは感じさせない。なるほど、自分の歌もきっとこれに近い感じで聴こえているのかと、ちょっとうれしくなった。
 計6曲を25分弱で歌い、15時5分にステージ終了。これまで共演はずっとジャグリング関係の方々ばかりだったが、今回でようやく風穴が空いた感じがする。通りを行く人々に対し、「弾き語りパフォーマーここにあり」という認知度アップに今後つながれば喜ばしい。

2012年5月30日水曜日

カエルが歓迎

 都心のカエルヤ珈琲店で1月に開催されたガリ箱展「カエルの森」のレプリカを作った際、木製カエルが構成の都合で2つ余った。しばらくは予備の譜面台に飾ってあったが、ふと思いついてこれを外に飾ってみることにした。
 まずは正面アプローチ左にある柱。車庫&物置の柱の根本には、これまた手製のオブジェやリース、針金細工の表札などが設置済みであるが、この一部にカエルをはめ込んでみると、ぴたり収まる。1個目はここで決まり。

 2個目は手製の郵便ポスト中央にネジで取りつけることにした。こちらもまるで用意されたかのように収まっている。どちらも風雪にさらされる場所なので、接着した目や口がいつまで持つだろう。しかし、しばらくはそのヒョウキンな風貌で、訪問者を歓迎してくれるはずだ。


 午後から母の暮らす施設に行く。お土産にルックチョコの新製品を買っていったら、母は友人と別のチョコレートを食べている真っ最中。どなたかからいただいたとか。土産は好物のチョコレートと決めているが、こんなことは初めてだ。箱に名前を書いて、明日食べるよう言い含めてきたが、我慢できるだろうか?
 新しい友人の方とも話が弾み、珍しく1時間も話し込んできた。不思議なことに忘れていたはずの事も、話すうちにじわじわ思い出してくる。年寄りには話し相手が必要なのだろう。

 帰宅後、明日に備えて16曲をフルコーラスで通し練習。調整のかいあって、喉の仕上がりは90%ほどか。前日なので、100%は好ましくない。ピークは本番までにとっておく。

2012年5月28日月曜日

バングラデシュ製ジーパン

 町内会街灯を札幌市へ引継ぎ(寄付)するべく、申請書類を提出に土木センターに行く。町内会所有の街灯電気代補助申請や新設街灯の補助金申請、そして引継ぎ申請と、単なる書類上の台帳整理のほかに、街灯担当部長としての役目は多い。
 書類作成そのものは施工会社が最近は代行してくれるようになって、かなり楽になった。しかし、このご時世に公共道路の街灯がいまだに町内会負担になっていることに驚く。他の市町村はどうなっているのだろう?
 ともかく、早めに市に寄付、引継ぎしてしまえば、町内会としての管理作業や電気代負担はなくなる。市が優先的に引き受けてくれるLED灯にしておいて正解である。


 車で出たついでに、銀行~郵便局~ヤマダ電機~ディスカウントスーパーと回って雑用をこなす。ヤマダ電機では何年も前からストックしてあった使用済みのプリンタインクカートリッジと使用済みニッカド電池、ボタン電池などを、まとめて専用回収箱に入れてきた。他に特に欲しいものもないので、売場は素通りして次なる目的地へと移動。
 ディスカウントスーパーにて手頃なジーパンを発見。春秋物のズボンが替えどきなのである。ウェスト79センチで、最近は76~79センチのジーパンを買うようにしている。若い頃はもっぱら73センチだったが、このサイズはなかなか見当たらず、あってもすぐ売れてしまう。
 そもそもこのサイズだと太ももがきつかったり、ポケットが浅かったり、全体的に窮屈である。年も年なので、やや緩めがよろしかろう。

 価格は990円とリーズナブル。何とバングラデシュ製である。最近の衣類は以前のようにメイド・イン中国はあまり見かけず、ベトナム製だとかバングラデシュ製が目につく。より労働力の安い国を求めてゆくと、こういうことになるのだろう。
 いずれ中国も日本のように空洞化の運命か。メイド・イン・パプアニューギニア、などという時代もすぐにやってきそうだ。

2012年5月27日日曜日

妻もタロット

「私の運勢をタロットで占って」と、不意に妻が言う。妻は私ほど占い好きではない。しかし、最近仕事関連で行き詰まりを感じている様子で、同じように行き詰まった際、タロットを判断の指針にしている私を見て、自分もやってみる気になったようだ。
 実は自分以外の占いをタロットでやったことは一度もない。しかし、頼まれればいつでもやる用意はあって、出たカードに対する判断解析にも、ある程度の自信は持っている。

 いつもタロットをやる机と椅子に妻を座らせ、いつもの手順でやってみた。結果は以下の通り。

・過去/6_The Lovers:恋人~正位置
・現在/15_The Devil:悪魔~逆位置
・未来/8_Strength:力~逆位置
 妻の名誉のため、個々のカードの意味と解釈は省くが、良いカードは「過去」に出た《恋人》の正位置だけで、他は悪いカードばかり。特に「現在」に出た《悪魔》は、正逆どの位置でも良くない意味となる。
 さらには「未来」に出た《力》も正位置であれば明るい未来を予知するものだが、逆位置なら反対の意味となる。むこう1ヶ月は閉塞状況が続く、というのが私の判断である。
「とてもよく当たっている」と妻は言う。半年前の私のタロットと同じで、しばらくは進むべき方向さえ見つからないかもしれないが、闇は永遠に続くわけではないのもまた事実である。やがて時がすべてを解決するだろう。

2012年5月26日土曜日

皮膚病にもカモミール

 5月上旬からカモミールとミントで自作した男性用化粧水をヒゲそり後に毎日使っているが、使用後3週間で予期せぬ効果が現れ始めているので、ひとまず記録しておく。
 ヒゲそり後の肌を引き締める爽快感のほか、50歳過ぎから目立ち始めた顔のシミが少しずつ薄くなり始めたのだ。最初は気のせいかと思っていたが、最近妻からも指摘されるようになった。どうやらホンモノらしい。
 調べてみると、カモミールには皮膚病に対する薬効があるらしい。自宅庭で採れたカモミールは、これまで乾燥させてハーブティーとして飲んでいて、胃炎やストレスに効果あり、と聞いていた。
 しかし、皮膚病にも効果があるとは驚きだ。もしイボにも効果ありとなれば、もはや医者いらずである。
(その後の調べで、やはり効果があることを知った)


 カモミールは南米ではかって薬として取引されていたとか。昨年は極端な不作でストック分がなくなってきたので、今年は栽培数を大幅に増やすべく、草取りをていねいにし、一部を別の場所に株分けしたりしてマメに面倒をみている。

 カモミールの草取りをしつつ、ふと見るとスズランが満開だった。なぜか混雑しているアイリスの間に株が増殖している。希望としては空いている部分に増えて欲しいのだが、なかなか思い通りにはいかない。もっとかまってやらなければダメか?

2012年5月25日金曜日

遊牧民的関係

「ノマド」という新語があるらしいことを最近知った。「リア充」(ネットやゲームのような仮想世界ではなく、現実世界が充実している人々)という言葉もようやく覚えたばかりというのに、ナンノコッチャ?と調べてみたら、直訳は「遊牧民」で、「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といった意味で用いられているとか。
 パソコンやスマホを駆使し、会社に出社せずに自由に働く人々のことを指すらしく、そういえば先日のテレビでも同じ切り口の特集をしていた。

 私の場合も出社する会社を持たず、自宅を根城にしてパソコンと携帯だけで仕事をしてはいるが、特に餌場を求めてさすらっているわけでなく、ちょっと意味が違う感じだ。
 現時点では「SOHO」が最も私の生活スタイルに近いが、最近は取引先の人が自宅に訪れることもなくなり、打合せは携帯かFAX、作業はパソコンで納品はメールという具合。実態は「気ままなネット職人」といった印象である。


 唯一、遊牧民的に作用しているのは、実は人間関係かもしれない。かなり前に人間関係を狩猟民族と農耕民族にたとえているラジオキャスターがいた。新しい刺激を求め、あるいは好奇心の趣くままに新たな人間関係を求め続けるスタイルが「狩猟民族的」であり、反対に同じ交友関係を末永く保ち、そして育てようとするのが「農耕民族的」というわけだ。
 私の場合、たぶんそのどちらでもなく、その両方の要素を持っているように思える。
 ある一定の場所で牧畜をし、家畜が草を食べ尽くす前にその回復を待ちながら、定期的に別の場所へと移動する、というのが遊牧民の生活スタイル。決してあてどもなくさすらっているわけではなく、ある一定の場所を自然と共存しつつ、巡回移動しているのだ。
 季節の巡りに従って訪れた場所は、かって住んでいた懐かしい場所だが、そこにはきっと新しい木々や草花が芽吹き、新たな生活が待っているのだろう。

_農耕民族的に色あせた人間関係に固執するのは好まず、かといって狩猟民族的に刺激(獲物)を探して次々と新たなる人間関係を求め、古き好き関係まで捨て去る気持ちもない。懐かしい場所は大切にしつつも、常に新しいものは探し続ける。かの遊牧民のように。

2012年5月24日木曜日

怒涛のように咲く

 あまりお金にはなりそうもない原稿を午後から書く。このブログも含め、「書く」という行為は、歌と同じでなかなかお金にはならない。デザイン関連の作業でも文章や歌と似た面白さ、楽しさはあるが、はるかにお金にはなる。まあ、世の中そんなものだろう。

 キリのいいところで散歩をかねてお使い。近所では熱心な方がすでに野菜の苗を植えたり、種を蒔いたりしている。やや出遅れたが、菜園の下準備はすでに終えているので、いつも苗を買う近隣のスーパーでトマトと青シソの苗を調達。
 自宅のライラックが早くも8分咲き。ニワトコ同様、例年よりも早い感じがする。色の濃いこの時期のライラックが一番好きだ。怒涛のように花が咲き続ける。春から初夏への素早い季節の移り変わりだ。


 買ってきた苗を植えこみ、支柱を立てたり風よけカバーをつけたり水をやったりするうち、あっという間に夕方。夜は都心のカフェで平井正也さんのライブがあり、2年前も見届けたので、今夜も出かけた。
 前回よりも入りが少ない、との事前情報だったが、行って見れば立錐の余地もないほどの客。前回よりも多いくらいだった。
 平井さんのイメージは「ほんわか系バラード」だったが、今回はドラムに若い女性をサポートとして招いていて、前回とはまるで異なる正統派ロックンローラーとしてのステージに変貌していた。
 なんだかよく分からない不可思議なテーマの曲、という切り口は同じだったが、狭い店内にドラムの激しい音が響き、前半はやや頭がついて行かない感じだった。

 耳が慣れた後半はようやく楽しめるキブンに。まあ、それにしても合わせるのが3回目というドラマーの鈴木さんはすごいテクニックで驚いた。強くてメリハリがあり、アドリブ自在。恐れ入る。
 終了後に平井さんが、「今夜のステージはライブ録音してますので、もしかするとCDになります。鈴木さんとは今後二人で全国ツアーをしたいです」と宣言していた。予定にないダブルアンコールが飛び出したほどだから、さもありなん。
 ギターとドラムのたった2人だけでこれだけのサウンドが作れるのだと、またひとつ学んだ気分。

2012年5月23日水曜日

反省会ナシね

 GW中に実施した森のコンサート終了直後、ギター伴奏をさせていただたソプラノ歌手の紫さんに「お疲れさまです。あとは反省会にて…」と挨拶すると、「反省なんてしません。終わったライブは振り返りませんよ」と、真顔で言われた。
 帰路も自宅までお送りする手はずになっていて、車中でその日の出来不出来を雑談形式で振り返るつもりでいた。もしかすると特別な場所を使った反省会もどきを嫌ったのかもしれない。

 ともかく、プロ歌手にそう言われてしまったので、結果として車中ではライブに関して全くふれることはなく、もちろん何らかの飲食店に立ち寄ることもなく、終始他愛もない雑談に徹したのであった。


 フォーク系のライブでは反省会はもちろん、「打ち上げ」と称して、終了後に明け方まで酒やら歌にふける例が少なくない。他のジャンルの習慣を熟知しているわけではないが、過去に数回参加したシャンソン系ライブでもこの種の反省会、打ち上げとは無縁であった。
 ひょっとすると「反省」に名を借りた酒宴は、フォーク系特有の習慣なのかもしれない。歌のルーツがフォークだと自称する私だが、実はこの種の反省会もどきは非常に苦手で、自分が主催したもの以外は極力避けるようにしている。
 親しい家族以外の酒宴がもともと苦手で、町内会関連の酒宴にも最近は足が遠のいている。だから紫さんのような考え方は、ほとんど私の趣味嗜好と一致する。7月にも似た場でご一緒することになっているが、同じようにクールで淡白なふれあいになるのだろう。反省は静かに我が胸のうちで噛み締める。それでいいですね。

2012年5月22日火曜日

魂の歌

 映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデル一家であるトラップファミリーの2女マリアさんのドキュメント再放送をNHK-BSで観た。アメリカに亡命後、世界中を演奏旅行した家族の唯一の生き証人で、6年前にはアナログ放送で観たが、今回はデジタルハイビジョンの鮮明な画像である。
 ただ、画像以外に前回とは違う印象を持った。ラストで92歳のマリアさんが歌に関する重要なメッセージを発信していたが、なぜかその部分の記憶が残っていない。その要旨は以下の通り。

「歌は単なる娯楽ではなく、聴き手の魂に響くもの。人々の心に美しいものを伝えるもの」


 記憶が欠落している所以は、6年前には弾き語り活動を本格再開したばかりで、まだこのメッセージの意味が分かってなかったからだろう。だが、時を経たいまはその言わんとすることが痛いほど分かる。

「魂」という言葉は以前から好きで、たとえば20数年前に地域の子供たちにサッカーを教えていた際もしばしば指導で用いた。「シュートは魂をこめて打て」といった具合に。
「コーチの言ったあの言葉、いまでもよく覚えている」と、大きくなった教え子から言われたこともあり、確かに伝わるものはあったのだな…、とうれしく思った。
 時と場、対象は変わったとしても、人間をとりまく世界がそう大きく変わるわけではない。何事にも魂は必要で、歌も文章も人間もしかり。それが欠けたものは外観がいくら立派に見えたとしても、私にすればただのヌケガラ。追いかけようとは思わない。

2012年5月21日月曜日

奇跡の天体ショー

 昨夜未明になって急に日食を見る気になったが、日食メガネなるものを全く準備してなく、50数年前の小学生の頃の記憶を頼りに、代用になりそうなものを物色した。
 当時は気の利いた専用グッズなど皆無の時代で、ガラスにロウソクのススをつけたり、半透明の下敷きを代用したもの。あいにく小さなガラスがなく、デザインに使ったカラーシートをプラスチック板に何枚か重ねて貼ったりもしてみたが、まるで役に立たない。

 引出しを漁るうち、古い下敷きを発見。以前にNHKの番組モニターをしていた際、カーボン複写式のレポート用にもらったもので、試してみるといい具合に光を遮断できる。目覚ましをセットしてひとまず眠りについた。


 3時間ほど寝たところで、目覚めてしまう。まだ明け方の6時過ぎで、さすがに早すぎる。しかし、勤めのある妻がすでに起きていたので、見つけた下敷きのことを教えようと、いったん起きた。
 一度もテストしていないので、2階東側の窓から外を見ると、うまい具合に雲間から太陽が見えている。試しにのぞいてみると、バッチリ見えた。しかも、すでに右上が一部欠け始めているではないか。急いで妻を呼び、交互に観察。

「下敷きなどの間に合わせ品は目によくない」とネットで盛んに警告されているので、観察時間はほんの数秒にとどめた。
 その後、断続的に観察しながら、写した画像を逐次ツイッターにアップ。同時刻に起きて観察している人は多数いて、奇妙な一体感にとらわれる。眠気は覚めていた。
 あっという間に1時間以上が過ぎ去り、札幌地区で欠けがピークとなる7時50分になった。
 この頃、雲が急に厚くなり始め、下敷き越しの太陽も消えたり現れたり。ふと思いついて、下敷き越しに見えなくなった時に肉眼で空を見ると、雲間にかすかに欠けた太陽が見える。
 このほんの数秒のチャンスをのがさず、デジカメで直接日食を写すことに成功した。まるで闇夜に浮かぶ上弦三日月のように写ったが、7時52分の札幌地区日食の写真である。(欠け率、およそ84%)

 次の金環食は18年後に北海道で見られるらしいが、それまで命が持つかどうかも分からぬ我が身。一生のうちに数回しか見られないであろう奇跡の天体ショーを、夫婦でライブ観察できたことにひとまず満足したい。

2012年5月20日日曜日

カエルの森・レプリカ

 たまに顔を出す都心のカエルヤ珈琲店で、1月に開催されたガリ箱展「カエルの森」の作品は終了後に撤収し、ひとまず大型のエコ袋にまとめて放り込んであった。折をみて小型のレプリカを作り、仕事部屋の一角にでも常設展示する気でいた。
 ところが、その後仕事が急に忙しくなったこともあり、家事雑事に追われるうちに先延ばしとなり、ついには春がやってきてしまった。

 この種の片づけものは、なるべく短い期間にケリをつけてしまうのが基本である。そうしないと家の中はたちまちゴミ屋敷へと変貌しかねない。
 ライブや旅行の片づけものは、ほとんどその日のうちに終わらせてしまうのが常だが、4ヶ月も放置したのは極めて珍しいことだった。


 これではいけないと、今日になってホコリをかぶっていた袋を開け、中のカエル達や木の枝などを取り出した。まずは不要なものを捨て、どんなスタイルのレプリカを作るか、じっと眺めて構想を練る。
 最初は単純にミニチュア版を作るつもりでいたが、並べているうちに次第に気が変わった。

 置く場所は吹抜け上端の幅14センチほどの手摺の上。この手摺に合わせ、横に細長い形のオブジェにしようかと思った。


 材料箱を漁り、幅45×長600くらいの胴縁材を発見。この部材に部分的に穴をあけ、木の枝を数本あしらってベース材を作り、周辺にカエルたちを飾る。
 暫定的に写真のような段階まで完成。スペースが狭いので、本番で使った布と豆は使わないが、松かさとドングリ、クルミは一部を使うかもしれない。
 不要になった大量の豆は4種類が混ざっているので、ていねいにより分け、元の缶に戻した。かって道東で農場を営んでいた友人からの貰い物だが、妙なところで役立った。
 作業中、トラ豆の模様が随分可愛らしいことに気づく。白と茶のマダラ模様で、まるで三毛猫のようだ。あまりにユニークなので手頃な透明グラスに入れてみたら、こちらもなかなか面白いオブジェになった。
 写真は分類作業中のもので、トラ豆オブジェは別の機会に発表とします。

2012年5月19日土曜日

街灯にもLED

 45基ある町内会の街灯を総点検した。数年前から町内会の街灯担当部長を仰せつかっており、定期的に点検して台帳と突き合わせ、データの更新作業をする。
 今回は36灯ある札幌市管轄分の街灯のうち、古い水銀灯20灯がすべてLED灯に変更となった直後なので、その確認をまずやった。併行して町内会管理の9灯分のうち、月曜日に同じくLED灯に交換した3灯の確認である。
(町内には45灯の街灯が存在するが、札幌市管轄分と町内会管轄分とが混在する)

 狭い町内だが、歩きながらひとつひとつ点検すると、軽く30分はかかる。歩いた距離、推定3キロ。いい運動である。


 札幌市は全街灯のLED化を順次行なってゆくらしく、今年度はまず消費電力の大きい水銀灯を全面的にLED化するらしい。100Wから35Wへと、およそ1/3にもなるので、効果が大きい。しかも水銀灯に比べてかなり明るい。
 我が家でも大半の電灯をLED灯に換えたばかりだが、すでに元はとった。原発再稼働は難しい印象もするので、これも世の流れである。

 町内会でも今年度から順にLED灯に換えることが総会で決議された。換えたLED灯は数ヶ月で無条件で市に移管されることになっており、電灯代の負担もなくなる。いいことだらけである。
 夕方にかけて台帳の大幅修正も同時にやったが、苦手なエクセル方式なので、操作に大苦戦を強いられた。マックのアプリと違って、直感的な操作がまるでできないのが苦しい。
 しかし、これが未だにビジネス界では主流とか。本格使用する機会が永遠にやってこないことを祈ろう。

2012年5月18日金曜日

タロット様にお伺い

 昨夜未明、半年ぶりにタロット占いをやった。5月に入って建築関連の仕事がなく、もっぱら趣味雑事家事物書きの類いに忙殺される日々である。このまま時に流されてよいものか?はたまた新たなる事業展開にむけて動き出すべき時期なのか…?
「明日は明日の風が吹く」が人生モットーの妻は、「現状でいいんじゃない?」とノンキに構えているが、対する私は根が貧乏性であるので、どことなく気が落ち着かない。折悪しく木の芽時とも重なり、心身の安定のためにも、タロット様にお伺いをたてる必要があった。

 いつものように、占い方式は大アルカナ22枚によるもの。注目の結果は、以下のようなものであった。
(占い結果は《きつねのタロット占い館》を参考)

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過去の状況The Empress:女帝~逆位置
 感情的になったり、周りが見えなくなることによりチャンスを逃してしまう。心から満たされず、理由も良くわからないまま悲観的になってしまう。

現在の状況The World:世界~正位置
 願いが叶い、成功を手にすることができる。満足いく状況と結果を自分の力で切り開いていける。運命的な出会いや自分の本当の望みと直面する。

未来の状況The Fool:愚者~正位置
 現状に満足せず、新しい状況や環境を積極的に求めていくことが成功につながる。
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 現在、過去、未来、相変わらずよく当たっているなと感心させられる。「現在の状況」に出た「世界」のカードはタロット最強と言われるもので、これが正位置で出たのは初めての経験。
 山なら頂上にたどり着いたようなもの。あまりに良すぎてここから先はなく、あとは満足感と共に下山するだけ、といった意味も含むカードである。

 分析するなら、「もうこれ以上欲をかいてジタバタしなさんな。アナタは充分に目的を達成したではないか」ということになり、なるほどそういうことデスカと得心せざるを得ない。
 ともかく、悲惨だった「過去の状況」からようやく抜けだしたことは、タロットも明確に示している。なるほど。
 注目すべきは「未来の状況」に出た「愚者」のカード。「新しい状況や環境を積極的に求めよ」と示している。これをどうとらえるか?
 今年になって弾き語りや物書き関連での新しい出会いがかなりの数にのぼる。「運命的な出会いや自分の本当の望みと直面」と、現況のカードでも示されている。過去のしがらみにしがみつくことなく、こうした自力で切り開いた、あるいは向こうからやってきた新たな人間関係を大事に積み重ねよ、とタロットは指し示しているのではないか。

 春霞のようにモヤモヤしていたものが、タロットですっきり取り払われたような思いだ。

2012年5月17日木曜日

梅見散策

 とある方のツイッターで「平岡公園に梅を見に行ってきました」との記載を発見。しばらく行ってなかったが、まだ咲いているのかとネットで調べてみたら、「五分散り~散り始め」との記載あり。
「五分咲き」なら分かるが、「五分散り」とは珍しいなと思いつつ、要は散り始めてはいるが、まだ見られる状態だと判断した。(ちなみに、北海道では桜よりも梅が遅いことがある)

 今年は天候不順でミズバショウも見逃し、サクラもいまひとつだった。仕事は開店休業状態でもあり、せめて梅でもと、さっそく休暇で家にいた妻を誘うと、すぐに乗ってきた。(基本的に妻はお出かけや外食を好む)


 急いで昼食をかきこみ、出発。車でも50分かかる遠方で、訪れるのはたぶん10年ぶりくらいだ。梅林までの園路はちょうど若葉が出始めたところで、いわば若葉の見頃。
 お目当ての梅は情報通りで、一部散っている木もあったが、まずまずの見頃。老人ホームのグループや家族連れが多数いて、平日とは思えぬ混雑ぶりである。

 手頃な梅の木の下に陣取り、ヨタ話にふけりつつ、持参したオヤツと珈琲を美味しくいただく。昨日までの雨も上がり、気温も平年なみで絶好の梅見日和である。


 帰路は園内を周遊する散策路を迂回するコースをとり、ぶらぶらと時間を使って駐車場まで戻った。ついでに近くのイオンにも寄り、妻がずっと欲しがっていた腕時計を980円の格安で入手。先日割ってしまった息子用のビアグラスも手頃な品が見つかり、こちらも購入。
 最後に店内のカフェで珈琲を飲んで、疲れを休めた。本日の支払い、すべて妻の担当。さほどの額ではないが、仕事なき折、なかなか頼りになる。

2012年5月16日水曜日

丸井のニュース劇場

 軽自動車税の振込手続きのついでに、溜まっていた雑事をまとめて片づける。回る範囲が広く、雨でもあるので、車を使った。

 携帯電話のメモ欄を参照しつつ、スーパーから100円ショップ、郵便局と順に回って細々としたものを調達。100円ショップダイソーではCPRM対応のDVD-RWを1枚だけ買うつもりでいたが、最初の店ではあいにく品切れ。次に向かった大型店でようやく入手した。
「1回だけダビング可能な映像」という代物を焼くのに、このタイプ以外のDVDは対応していない。なんとも面倒な時代になったもの。


 毎月のことだが、エッセイが連載中の雑誌、「オトン O.tone」の最新号が出版社から送られてきた。今月号には、かって札幌丸井デパート内にあったニュース劇場とそれにまつわる幼き日の思い出についてふれている。題して「丸井のニュース劇場」。機会があれば、ぜひ目を通してください。
 サイトから紙版と電子版(PCやスマホなど、全デバイスあり)の両方が購入できます。一部立ち読みも可能。また、道内の書店やコンビニでは直接入手できます。(680円)
 最新号が届くと同時に、次号の原稿を早くも本日送信。まだ詳しくは書けないが、次回はアルコールネタである。ところが最近、道内某大学で飲酒強要問題が起きたばかり。なので、安全策も別途講じてある。
 もし来月号が別ネタだった場合、その安全策が効いたことになる。何が起きるか分からないのが、この浮き世であります。

2012年5月15日火曜日

案内状スタンド

 昨日に引続き、チカチカパフォーマンスの折にマイク前に常時立てておくための案内状スタンドを作る。
 スタンドは譜面台の下半分を使ったもので、上端に三脚用の1/4インチのネジが取り付けてある。普段はライブ前にカメラを設置し、セルフタイマーで自分の姿を撮影するが、その後は用なしである。これをライブ中にも活かそうというのだ。

 珈琲のミニ空缶の底に穴を開け、内側に1/4インチのナットを取り付ける。上端のネジをその穴に通し、締めつけた。


 手頃な赤いクラフト紙を空缶周囲に巻きつけ、ホチキスで留める。A4用紙を縦に2分割し、「連絡先・案内状」「ご自由にお持ちください」などとプリントして赤い紙の一部に固定。
 紙類一式は缶にはめこんだだけなので、着脱は容易。移動時は抜き取ってつぶし、譜面隠しの間に挟んでおく。

 写真撮影時には白紙のダミーを缶に差し込んだが、その後ハガキサイズの案内状も作った。案内状には基本的な連絡先、経歴、ライブの具体的な依頼方法、費用などを記載。いつもライブ中や終了後に尋ねられることばかりだ。
 こうした機材を作ろうと思い立ったきっかけは、他のジャグリング系パフォーマのスタイルを見てから。多くの方が自作の機材をあれこれ工夫し、大半を手作りしている。もちろん案内状スタンドもユニークなものが多数みられる。
 以前にもふれたが、パフォーマンス用の機材を手作りするのも大事な芸のうちらしい。実に徹底していて、とかく市販品に頼りがちな弾き語り系のパフォーマーとは、スタンスが全く異なる。いい意味での刺激になる。私も手作りは得意だが、まだまだ改善できそうだ。

2012年5月14日月曜日

復活パキラ

 1ヶ月ほど前に試験的に土替えをしたパキラの木から、最近になってようやく新芽が出てきた。対策成功。すっかり弱って枯死寸前の状態だったが、見事に復活した。思い切った措置が効果的だったようだ。
 もう少し葉が大きくなってから、少しだけ残してあった古い葉を切り捨てる。


 今日は残るもうひとつのパキラの鉢の土替えをやった。普通は鉢を一回り大きなものに替えるらしい。しかし、はみ出した根を切り取り、土を半分ほど交換しただけ。たぶんこれで問題ないはず。

 ところで、今回の写真はオート撮影だとどうしてもイメージ通りに撮れず、初めてマニュアル撮影を使ってみたら、うまくいった。絞りとシャッターが任意に設定でき、撮影前に映像がリアルライム表示されるので、イメージに近づけやすい。背景の暗さとボケ具合、こんな感じです。

2012年5月11日金曜日

ライブにストップウォッチ

 20数年前に地域のサッカー少年少女チームの指導をしていた際、審判の割当てがあったので必要に迫られ、ストップウォッチ機能つきの腕時計を買った。カシオ製で2,000円くらいだったと思う。
 数年使って電池切れとなり、その後指導そのものを引退したので、そのまま放置してあったが、先日引出しの中からそれを見つけた。

 サッカー指導は辞めたが、別の趣味活動であるギター弾き語りでストップウォッチがちょうど欲しかった。ライブ開始時に押しておけば、経過時間が瞬時に確認でき、MCや歌詞の微調整が可能となるからだ。
 最近とみに共演が多くなったチカチカパフォーマンスでは、特にシビアな時間調整が要求されつつある。


 とはいえ、長期間放置してあった腕時計が果たして動くのか、そもそも中の電池がまだ売っているのか、あるいは自力で交換可能なのか…。問題は多かったが、交換を外注するのは費用面で問題外。ともかくも分解して見ることにした。
 電池の型番を調べるとまだ市販されていたが、普通の店で買うとそれなりの値段。以前に別の時計を100円ショップで買った電池に自力交換した経験をふまえ、さらに調べを進めると、ダイソーで入手可能であることが判明。しかも2個入りである。これは安い。
 さっそく買ってきて交換したが、最初は何も反応がない。説明書も捨てたらしく、見当たらない。やはり無理かと3つあるボタンを適当に押してみたら、見事に復活した。どれかがリセットボタンになっていたようだ。
 旧式のせいか電池が大きく、3つあるボタンにピタリ合うようにカバーをセットする作業もやや複雑。しかし、これで当分は使えることになり、ライブ用機材に新アイテムが加わった。

2012年5月10日木曜日

昭和歌謡で大冒険

 通算11度目のチカチカパフォーマンスを実施。新年度からパフォーマー数が倍増し、これまでのように1枠を一人で自由に使うことは難しくなった。前回は私を含めて3組、今回は2組のパフォーマーによる共演である。
 状況の変化に伴って弾き語りのスタイルも変えた。当初のように1回のパフォーマンス時間を30分弱とし、前後半の2部構成とする。試行錯誤のすえにたどり着いた「1時間近くを一気に歌う」というスタイルからは逆行するが、まずは現状に合わせることだ。
 13時40分に事務局に着いたら、この日共演のミスターきくちさんはすでに会場入りしていた。書類に必要事項を記載し、すぐに地下へと潜る。ジャグラーであるきくちさんは盛んに機材のセット中。14時からの開始は無理とのことで、準備の終わった私が最初にやることがその場で決まる。
 14時ちょうどに開始。今回は通りに対して平行な位置にステージを設定した。この日のテーマは「昭和歌謡&POPS」で、第1部としてまず9曲を歌う。

「青いリンゴ」「夕陽が泣いている」「赤いスイートピー」「つぐない」「真夜中のギター」「危険なふたり 」「恋のしずく」「釜山港へ帰れ」「恋のバカンス」


 今回は普段あまり歌わない(歌えない?)曲を中心に構成。「昭和歌謡」と時流に乗ってはみたが、範囲が広く、絞り込みが難しかった。昭和30~40年代を中心に歌謡曲的気分の曲を選んだが、結果として初披露の曲連発となった。

 第1部では「青いリンゴ」「夕陽が泣いている」「赤いスイートピー」「危険なふたり 」が初披露。どの曲も老人ホームや地域センター、あるいは被災地支援などの場では歌いにくい曲だが、チカチカパフォーマンスでなら気兼ねなく自由に歌えるのだった。
 とはいいつつ、手探り状態なので果たして立ち止まってくれるかどうか、正直不安もあった。しかし、歌い始めるとまずまずの集客。「赤いスイートピー」あたりからじわじわと人が増え、「つぐない」では一気に20人を越えた。
「つぐない」は演歌のジャンルで、歌うか否かかなり躊躇した曲である。以前に道庁赤レンガ前で歌った際も台湾観光客に囲まれたことがある。テレサ・テン強しである。
 9曲目の「恋のバカンス」にもかなりの人が集まった。人が集まる曲とそうでない曲とがハッキリしている。やはり売れた曲が単純に強い。


 14時27分に第1部終了。入替え時間を考慮すると、30分きっちりではまずい。ほぼ理想的な時間配分である。ミスターきくちさんに終了を告げてバトンタッチ。休憩しつつ、きくちさんのパフォーマンスを見物したが、失敗を上手にパフォーマンスに取り入れる技など、参考になった。
 こうして自分とは全く異なるジャンルの芸を間近で見られるのは、チカチカパフォーマンスならではである。
 14時55分にミスターきくちさんのパフォーマンスが終了。第2部のステージはいつも歌っている通りから直角な位置に変えた。やはり壁を背負ったほうが、音の返りがよいことが分かったこと。そして場所を変えれば相互のステージが干渉せず、次のステージへの移行がスムーズだからだ。
 15時少し前から第2部開始。30分弱で11曲を一気に歌った。

「月がとっても青いから」「空に星があるように」「黒い花びら」「ジョニィへの伝言」「恋のハレルヤ」「喝采」「熱き心に」「おかあさん(森昌子)」「ブルーライト・ヨコハマ」「花の首飾り」「ラヴ・イズ・オーヴァー」

「月がとっても青いから」「空に星があるように」「おかあさん」「花の首飾り」以外の7曲はすべて初披露である。大変な冒険をしたものだ。用意された場では怖くてとてもできない。
 第1部に比べると聴き手は激減したが、めげずに黙々と歌い継ぐ。ストリートライブの極意はとにかく歌い続けることだ。MCもなしで電子譜面を瞬時に切り替えつつ、ひたすら歌う。そうするうち、「ジョニィへの伝言」あたりからじわじわと人が増え始める。
 頃合いを見て「熱き心に」をここで歌う。この日どうしても試したかった曲で、反応は全くの未知数だったが、手応えはあった。この曲は使える。
 ラスト4曲はその勢いで乗り切った印象。結果として集客は前半と大差なく、この種の切り口でもそれなりに聴いてくれる人はいることが判明。今後定期的に同じ構成でやれそうだ。
 終了後に声をかけてくれた方が3名。「もっと聴きたかった」「普段歌っているお店があるのでしたら、ぜひ教えてください」など、身に余る言葉ばかり。変化する状況にも何とか対応できるメドがついて喜ばしい。

2012年5月9日水曜日

台所量りの修理

 たぶん30年近く使っている台所の量りの傷みがひどい。記憶がやや曖昧だが、確か子供の離乳食を正確に量るために買ったはず。子育て終了後に誰かに貸し、戻ってきたら高所から落としたとかで、外側のカバーが真っ二つに割れていた。
 こんなものを貸すほうも貸すほうで、壊したまま返すのもどうかしている。しかし、そうした経緯を妻はすでに覚えていないという。

 どうでもいいような出来事を細部まで覚えているのが物書きとしての悲しい性か。ともあれ、ビニルテープで応急処置してあった外部カバーを数十年ぶりにバラし、接着剤で全面補修することにした。


 調べてみると心臓部は多少のサビがあるくらいで、あまり問題はない。サビを落として油をさし、外部カバーはていねいに汚れを落とし、切断面相互をボンドで接着。一部が欠けて紛失してしまったパーツは、ありあわせのワッシャーとビスで似た形状の部品を作った。
 組み立ててみると、まずまずの仕上がり。買えば千円ちょっとでデジタル式の最新製品が手に入るが、まだ使えるものをわざわざ買う必要もない。


 ちなみに我が家で量りを使うシーンは、大袋に入った乾ソバを1食分90gに分けるとき、ホットケーキを焼くとき、そして小包のおよその送料を調べるときなど。買った当初とはすっかり用途が変わってしまったが、当分は使うだろう。
 それにしてもあれこれ試行錯誤しつつ修理する作業は実に楽しい。我ながら得な性分だと思う。

2012年5月8日火曜日

毅然と潔く

 先日のライブの道すがら、たくさんの桜が満開だった。猫の目のように変わる陽気のせいで、今年は花見のタイミングを失いそうに思えた。そういえばいつも見物に行くミズバショウはどうなっているだろうかと調べると、すでに盛りを過ぎている。
 ではいつも行くモエレ沼公園の桜は?と続けて調べると、7分咲きとの情報。過去のブログ記載によれば、昨年は15日に観に行っている。いつも見頃は遅い場所だが、妻が休みで家にいたので見損なってはならぬと、思い切って行くことにした。


 車で10分ほどの距離だが、行ってみると見頃はやや過ぎている感じがした。ネット情報も時にあてにならない。曇天で写真の映りもいまひとつ。こんな年もある。ともかくも、今年も無事に夫婦で花見ができたことを喜ぼう。
 多くの桜はかなり葉が出始めていて、それが盛りを過ぎた印象となっているが、公園の奥に1本だけ葉が小さめで花が満開の木を発見する。同年代とおぼしき中年夫婦が木の直下で見物中だったので、少し離れた場所から眺めていた。
 そのうちご主人のほうが木を離れ、私に近づいてきて、この木は見事ですね、などと話しかけてくる。そうですね、毎年来るんですが今年は花が早いです、と応じていると、木の下では妻が奥様のほうと何やら話している。

 若いころはこうやって見ず知らずの人と何気なく言葉を交わすことなどできなかったものだ。自分の固い殻のようなものがあり、簡単にそれを開くことはしなかったように思える。妻もそれは同じだ。
 要するに二人とも年を重ねたということなのだろう。しかし、周囲の人々とフレンドリーに言葉を交わすこと自体は、決して悪いことではない。年を重ねて周囲に毒をまき散らすだけの不逞の輩も世間にいないわけではなく、それに比べるとよほどマシな年のとり方ではないか。
 毅然と潔く、そして美しく年を重ねる。そんなことをよく考える。あの桜の木のように。

2012年5月7日月曜日

チーフリングを自作

 ライブ関連用品をちょっとだけ補修。ライブ毎に不都合を感じた部分を修正するのは、弾き語り活動を円滑に進める大事なポイントである。
 前回のチカチカパフォーマンスでジャグラーの方に聞いたが、使う備品の多くは自作するそうだ。まずは道具を自分で作ることが芸の第一歩らしい。大工だった父にも、棟梁に弟子入りして最初にやらされるのは、自分の道具をしまう道具箱作りだと生前聞いた。道は異なるが、通ずる世界は同じだ。
 まずは乾電池式PAのスタンド用として使っているカメラ用三脚の袋作り。マイクやPA本体と同梱するので、移動時に接触して傷が目立つ。ネジ類が壊れるもとでもあるので、厚めの端布で収納袋を作った。(袋作りは裁縫の基本)
 次にPA一式を入れるカバンの肩掛け部分の補修。肩当てをマジックテープによる着脱式にしてあったが、移動時にずれる元だと気づいた。つけ替える可能性は低いと考え、マジックテープを除去して大型ホチキスによる半固定式に変更。


 次にバンダナを留める「チーフリング」なるものを作る。一昨日のライブではバンダナを頭に巻いてスタンバイしたが、会場に入ってから気が変わった。周囲を森に囲まれた環境を見て、別途持参のハンチングをかぶり、バンダナは外して首に巻いて歌った。
 全体としてはいかにも森の歌い人、といった雰囲気で悪くないスタイルだったと自己評価しているが、問題は首に巻いたバンダナの始末だった。
 縛るのは好まないので軽く首に巻きつけたが、途中でほどけてしまった。ライブ中の修正は難しく、何らかの対策が必要だと痛感した。
 ネットで調べると、バンダナを首に留める専用の道具があることを知る。要は何らかのリング状の小物であればよい。市販品ももちろんあるが、自作している例も多数ある。
 手頃な材料で3つ作ってみた。ギターストラップの余りベルトを使った革製、アルミホイルの紙芯に布テープを巻いたもの、そして自宅南壁をつたうツタの蔓を編んだものだ。
 実際に首に巻いて一番しっくりくるのは、ツタ製のものだった。どの柄のバンダナにも合う。自然素材の強味である。これがあれば、手持ちのバンダナがすべて首にも巻けることになる。近々実戦で試したい。