2016年4月30日土曜日

君付け、さん付け

 職場に限らず、取引先や下請けを含めた仕事関連、そして趣味のつながりに至るまで、この世にはさまざまな人間関係が存在する。そしてやっかいなのが、相手に対する呼び方だ。
 学生時代に全学年が混じりあって暮らした学生寮やサークル活動で、まずこの呼び方の洗礼を受けた。幸いここには絶対ルールがあって、「年齢は無関係に、先に入学したものを《さん付け》で呼び、それ以外はすべて《君付け》か呼び捨てで呼ぶ」という分かりやすいものだった。
(大学は工業系で当時女子は皆無に近く、男女による呼び分けの面倒はなかった)

 高校時代に隣のクラスだった同級生が同じサークルの1年先輩にいて、私は一浪で彼は現役合格。多少はやりにくかったが、絶対ルールに従って、卒業するまで《さん付け》で通した。


 23〜32歳の9年間会社勤めを経験したが、平社員同士の場合、相手が年上や異性なら《さん付け》という暗黙のルールがまずあり、相手が役職についたとたん、上司側が格下を《君付け》で呼び、格下側は年齢に関わらず相手を「…係長」などと、役職名をつけて呼ぶのが慣習だった気がする。
 1年先に入社した高卒社員とは4歳の開きがあったが、年齢差を尊重して「菊地さん」と呼んでくれる相手と、社歴を重んじて「菊地君」と呼ぶ相手とに分かれていた。
 平社員同士の場合、ルールそのものが曖昧なので、人によって対応が分かれるということだ。
 サラリーマンという縦社会では、役職や社歴に応じて相手の呼び方を変えるのもやむを得ない気がするが、独立して事業主となった後も、この「時に応じて呼び方を使い分ける」という相手に、しばしば遭遇した。
 基準そのものが私にはよく分からないが、相手が下請け孫請けの格下だと《君付け》、そうでない場合は《さん付け》と使い分けているように思われた。

 事業運営にはお金がからんでくるので、仕事をやる貰うを基準に呼び方を変える考えも理解できなくはない。しかし、たとえ一人の事業でも独立した事業主の場合は、相手が下請けだろうが年下だろうが、きちんと《さん付け》で呼んで尊重すべきと私は考えるし、実際そうしてきた。
 独立以降に、サッカーや物書き、音楽やボランティアなど、さまざまな趣味や社会活動に関わってきたが、上下関係とは無縁のはずのこうしたつながりにおいても、どういうわけだかこの「相手の呼び方」で、暗黙の上下関係を持ち込む人々がいて閉口する。

 これまた基準がよく理解できないが、事業運営における例と同様に、年齢やキャリア(あるいは学歴?)が自分より「格下」と意識下でみなしている相手には《君付け》、そうでない相手には《さん付け》と使い分けているふしがある。もしそうなら、油断ならぬ縦社会ルールの持込み行為である。
 呼称を変えるほどのキャリアも技術も持ちあわせていない我が身なので、面倒を避ける意味でも、この種の場でもまた、すべて《さん付け》で通している。

 ネットで検索してみると、「相手によって呼び方を変える輩は信用できない」と断言している記事にいくつか遭遇するが、気持ちはよく分かる。

2016年4月29日金曜日

自撮りユニット

 最高気温が5度くらいまでしか上がらず、3月中旬の陽気。道東や峠では雪も降った。風も強く、陽射しは全くない。冬に逆戻りで、朝晩の暖房が復活した。
 ライブや買物の予定もなく、終日家にこもって電子譜面の整理やライブ用機材の整備に励む。

 ライブ時の記録として自分の姿をなるべく写しておくよう努めているが、目的はブログ用のほかに、ライブ衣装をあとで確認する意図もある。歌そのものとは無関係だが、見てくれは大事だ。
 介護施設系ライブでは職員さんに撮影を依頼し、イベント系ライブの場合は妻を撮影係として同行する。しかし路上系ライブの場合は、何らかの手段でセルフ撮影をする必要がある。


 最初は小型の三脚を持参し、その後キャリーカートに装着する簡易ポールを自作。より小型の目玉クリップ式撮影ユニットを作ったのが1年前で、最近は単純にマイクホルダにデジカメを挟んで間に合わせている。

 まだ実現していないが、マイクスタンドなしの生音で路上ライブをいずれ仕掛けるかもしれない。その場合、電子譜面は譜面台の下半分を利用して装着するが、この電子譜面スタンドにデジカメを装着して、三脚代りに使えそうな気がした。


 さっそく手頃な木片と、デジカメの底部に固定するための1/4ボルトを加工。作業するうち、同じユニットでキャリーカートの取手にも装着可能なように手を加えることにした。

 木片の底部に溝を掘ってキャリーカート取手に押し込んで装着。溝の一端は電子譜面固定用のユニット幅にぴったり合わせる。1/4ボルトは木片中央に10ミリの穴をあけ、押し込んでネジ部だけを10ミリほど上に突き出した。
 だいたいイメージ通りに完成。それぞれ高さへの変化にも対応可能で、何より小型でかさばらないのが魅力。もしかすると目玉クリップ式撮影ユニットはお役御免となるかもしれない。


 作業ついでに、譜面台利用の電子譜面スタンド下端に、革の取っ手を利用した着脱式の転倒防止パーツを取り付けた。
 屋外で電子譜面スタンドを使う際、強風で倒れそうになることがしばしばある。譜面台下端の水平支持材に靴の先を置き、押さえながら歌っていたが、いかにも不安定で歌いづらい。

 処分した電池式PAについていた革の取っ手に、テントから外したロープ用の金属片を固定し、カギ状にして譜面台下端水平部分に引っ掛ける。反対側には木片をビス止めし、つま先で踏んづけて風で倒れなくしようというのだ。
 立ち位置と座り位置の両方で使える。室内でのテストではうまくいっているが、果たして実戦ではどうか?

2016年4月28日木曜日

五分咲きサクラ

 4月3度目のチカチカパフォーマンスに参加。連休直前なので集客面での大きな期待はできないが、連休に入ってしまうと、予定枠は希望者でほぼ埋まっている。
 連休中は客が増え、それに応じて投げ銭も増えるせいか、例年人気がある。単なるアマチュアパフォーマーに過ぎない私は、混雑を避けてエントリーが楽な平日枠をあえて選んだという次第。

 前回、かなり早めに家を出ても結局はパフォーマンス開始時間に大きな差はないことを悟り、今回はいつもより30分遅く家を出た。
 途中の道はサクラが五分咲き。昨年とほぼ同じペースだが、今年も無事にサクラを観られた。


 会場入りは14時40分ころで、当然ながら3組のパフォーマーの中で最も遅かった。14時開始なので、普通は最初のパフォーマーがとうに終わっているはずの時間である。しかし、そんな気配はなく、パフォーマンスはたけなわ。1組目がようやく終わったのは1時間経過の15時だった。
 続いて2組目が始まり、15時35分になって、ようやく私の番になった。およそ30分で8曲を歌う。

「I LOVE YOU」「時代」「空も飛べるはず」「宗右衛門町ブルース」「青春Ⅱ」「傘がない」「いちご白書をもう一度」「万里の河」


 外が肌寒かったので、地下通りを往く人はそれなりにいた。少なくとも外気温が21度を突破した前回よりは格段に多い。
 しかし、時間が16時に近いせいか、はたまた連休前に用事を済ませたいせいか、反応は極めて鈍い。このところ自宅での練習ではPAを使わずに生で歌っているので、喉の調子は抜群によかった。しかし、喉の調子と集客は全く関連がないようだ。

 この日は久しぶりに立って歌った。ソーラー式のLEDイルミネーションは使ったが、そのどちらも集客にはあまり関わっていないように思えた。
 ラスト2曲でようやく立ち止まってくれる人が現れ、それが引き金となって、少しだけ人が増えた。しかし、すでにライブは終盤。客が思うように集まらず、ズルズルと決められた時間を越えてしまうパフォーマーの気持ちも分からないではないが、ルールはルールだ。
 たまたまいつも聴いてくれる方だったので、「30分経過しましたので、これで打切りとさせていただきます」と告げて終了とした。

 この日もワンステージのみで終了。もっと演りたいが、時間的に演れないのだ。やり場のない脱力感を覚える。枠の割当て時間が増える来月以降に期待しよう。

2016年4月27日水曜日

ギターのサドルを調整

 昨日の路上ライブ中に突然5弦が切れたオベーション製ギターに関し、単純に弦を交換する前に、検証を試みた。
 切れた場所はサウンドホール側の「ブリッジ」と呼ばれる部品あたり。切れた弦を当ててみると、ブリッジ中央に切られた溝にはめこまれた「サドル」と呼ばれる牛骨製の細長い部品の位置とぴったり一致する。

 ここはギターの振動を電気的に変換してPAに伝える重要な箇所で、弦が尖った山の部分で折れ曲がっている。この山が長年の振動ですり減ってしまうと、弦が切れる遠因になることをネット情報で知った。
 調べてみると、ギターを買ったのが2009年の9月。やがて7年が経とうとしていて、その間ずっとメインギターとして酷使し続けてきた。
「ナット」と呼ばれるネック上端部の牛骨製パーツや、音階を決める「フレット」と呼ばれる金属製パーツはときどき自分で調整してきたが、サドルに関しては一度も調整したことがない。

 以前に別のギターで調整に失敗し、6弦の音がPAから出なくなったことがあり、外すのが怖かった。しかし、サドルの弦が当たる部分は経年により、溝が深くなってギザギザになっている。放置すれば、また弦が切れる。もはや躊躇している時間はない。


 まずブリッジからサドルを切り離す。溝に圧着されているだけなので、操作自体は難しくない。内部の端子部にふれないよう、細心の注意を払った。
 細い棒ヤスリと小型の平ヤスリを併用し、サドルに6ヶ所できた溝を少しずつ均す。全体としてこれまでよりもやや丸みをつけて仕上げた。

 ひとまず終わって、慎重にサドルを元の位置に戻し、弦をすべて新しくする。調べてみたら、以前に切れた3弦同様に、替えて3ヶ月目あたりに切れている。このあたりがもしかして危険な時期なのか。
 仮張りした状態でPAにつなぎ、音のテスト。不安だったが、ちゃんと音は出た。今後は恐れずに、定期的にメンテナンスしようと思う。
 練習中ではなく、本番中に弦が切れるのは、本当に怖い。今回はたまたま路上ライブで、聴き手もいない時間帯だったが、これが3週間前のロビーコンサートのときだったら…、と想像するだけで怖い。
 大事なコンサートでは予備弦の準備はもちろん、予備ギターも持参するのが安全かもしれない。

2016年4月26日火曜日

小樽運河フロート

 ずっと温めてきた構想がついに実って、小樽運河沿いの遊歩道で初めて歌った。チカチカパフォーマンスと違って、ここで歌うためのライセンスや資格は特に必要ない。
 長年ここで路上ライブを続けている小樽在住のギタリスト、浜田隆史さんにいろいろ教えていただいたが、要は公衆の迷惑にならないよう、節度を守って演奏するということだった。
.............................................
(基本的な部分でチカチカパフォーマンスと大きな違いはないが、一切を自分でコントロールするという点が異なる)
(場所が狭いので、人だかりができるパフォーマンスは無理と思われます)
 前日から天気の状態を調べたが、晴天は無理としても、雨の心配はなさそうだった。何より、風が強くないという予報が決め手となり、決行を決める。
 末の息子が小樽の大学に通っていたので、自宅からのルートは熟知している。運河になるべく近く、安い駐車場も数ヶ所ピックアップした。オニギリ持参で早めの12時ちょうどに出発。写真係として、妻も同行した。

 小樽に近づくに従って、次第に空が薄暗くなってくる。気温もじょじょに下がってきた。条件は悪いが、初回なので様子を見るだけでもよいと割り切ることにする。
 片道41Km、およそ1時間で現地到着。30分100円の駐車場も空いていた。そこから5分ほど歩いて運河の遊歩道に着く。
 歌う場所は北の外れにあるトイレの前だ。人通りは南端のほうが多いが、新参者なので隅っこで自重する。通行の邪魔にならない運河側の腰壁際に素早く機材を設営した。


 ギタリストの浜田さんはツアー明けのせいか、いつもの場所に姿は見えない。近くで水彩画絵葉書を展示販売していた男性に挨拶し、ただちに歌い始める。
 13時35分からのおよそ40分で、計11曲を歌った。

「I LOVE YOU(初披露)」「オー・シャンゼリゼ」「小樽のひとよ」「風来坊」「ダニーボーイ」「つぐない」「おれの小樽」「大空と大地の中で」「ビリーヴ」「万里の河」「釜山港へ帰れ」
 当初はジャンパーを脱いで歌うつもりでいたが、現地の温度表示を見ると、8.2度しかない。経験的に10度を切る環境下での路上ライブは厳しい。急きょジャンパーを着たまま歌うことにする。
 曇天で寒く、時折小雨もパラつく悪条件で、しかも平日である。通りを往く人の姿はまばらだったが、それでも関心を示してくれる方はそれなりにいて、手応え自体は決して悪くなかった。

 通路の反対側は高い石垣になっていて音の返りがよく、歌いやすい。石垣の向こうは3車線の広い道で交通量も多いが、高低差があるせいか騒音は気にならない。
 唯一の障害らしきものは近くのビル工事の騒音だが、これはやむを得ない。いろいろな場所で歌ってきたが、条件としては恵まれている部類だ。

 通行人との距離が近いので、PAのボリュームは地下通りよりも低めに設定した。反響がゼロに近いので、普段は使わないリバーブをわずかにかける。


 この日のテーマは特になく、強いて言うなら小樽関連の歌を入れることくらいで、あとはその場の思いつきで選んだ。まだ手探り段階だが、演歌系や洋楽系の曲よりはポップス系の曲のようが受けが良かった気がする。

 MCは一切なしで淡々と歌い続けたが、「ビリーヴ」を歌っているときに、突然ギターに異音がして、音がおかしくなった。調べてみると、なんと2番目に太い5弦がブリッジ部分で切れている。
 昨年の夏に3弦が切れたことがあったが、5弦が切れるとは予想外。応急処置を試みるが、回復しない。予備の弦も準備がない。近隣のガラスショップを散策に出かけた妻に連絡し、事情を話してライブの打切りを告げた。
 妻がやってくるまでの間、5弦を外したままで2曲歌ってみたが、ストローク系の曲ならそれなりに弾ける。しかし、5弦がないと間が抜けた印象で、続行はもはや不可能だった。

 妻と合流後、近くのカフェで珈琲とケーキのセットを食べる。車を停めた駐車場が提携していて、ここで飲食すると3時間の駐車料金が無料となってお得だった。


 予期せぬアクシデントにいくつか見舞われたが、手探りのお試しライブとしては、上々の出来だった。何より、自己責任下で時間や共演者を一切気にせず、自由気ままに演れるのがいい。これぞストリートライブである。
 演ってみて分かったが、「小樽運河」という歴史ある一種の異空間で歌うのは、かなり刺激的で気分がいい。条件が整えばどれだけの反応があるのか、ちょっと期待してしまう。
 今回の路上ライブ、シリーズ化するべく、自らネーミングを試みた。考えたすえ、「小樽運河フロート」に決める。
「フロート float」→「浮かぶ」「漂う」「流浪する」と、水辺で自由に歌うスタイルをイメージした。当日の天候やスケジュールを睨みながらのゲリラ的ライブになりそうだが、今後もぜひ続けたい。

2016年4月25日月曜日

新ネギ入の卵焼き

 久しぶりに長男夫婦が夕食に来るので、夫婦してあれこれ準備。妻は午前中から自転車で買い出しに走る。私の担当はトイレの掃除と納豆チヂミ作り、そして最寄り駅までの出迎えのはずだったが、途中で長男からメールが入り、天気がよく、このところ運動不足気味なので、JR駅から歩いて向かうという。
 迎えついでに買物をするつもりでいたが、ひとまず不足分の食材を調達に、車で近くのスーパーまで行ってきた。

 帰宅すると、庭の細ネギを卵焼きに入れたいと妻が言う。確かに青々とした新ネギが食べごろ。つい先日も少しだけ採って食べたばかりだが、今回は倍以上も採れた。


 来訪時間に合わせてチヂミの仕込みを始めたが、材料をボウルに全部入れても、なぜかいつもより量が少ない気がする。レシピを見ずにやったが、間違えてはいないはず。
 それでも不安で妻に見てもらったが、「そんなもんでしょ」とそっけない。

 まあいいかと、フライパンにゴマ油をひいて焼き始めたが、やっぱり少ない。そうするうち妻が冷蔵庫を開け、「納豆が残っているじゃない!」と叫ぶ。
 なんということか、肝心の納豆を入れ忘れているではないか。


 あわてて火を止め、善後策を検討する。「もう1枚焼けば?」と、あくまで脳天気な妻。しかし、それでは納豆なしチヂミの始末に困る。
 フライパンに納豆を直接投入して混ぜてみたが、片側が焼け始めているので、やはり馴染みが悪い。やむなく小麦粉と片栗粉を少しだけ水で溶き、塩コショウして上から注いで再度混ぜあわせた。
 蓋をして細火で普段より長めに焼く。どうにか格好がついた。ヤレヤレ。
 大皿に卵焼きと一緒に並べたが、(手前が納豆チヂミ)今回に限れば、卵焼きの味が数段勝っていた。慣れは禁物で、少なくとも最初だけはレシピを確認すべきと悟った。

 他のメニューは鯖の味噌煮とハム&玉ねぎのマリネ。デザートにマンゴープリン、チーズタルト(お持たせ)に珈琲といったところ。
 長男夫婦が普段あまり食べないお袋メニューなので、おおむね好評であったことが救い。

2016年4月24日日曜日

タイヤ交換とヌカ床

 好天に恵まれたので、延ばし延ばしにしていた夏タイヤへの交換作業を、ようやく実施。さすがにもう雪は降らないだろうし、峠越えの予定もない。

 腰をかばいつつ作業したが、50分ほどで終えた。買ってから8年が経過し、1年毎にやっているタイヤローテーションもちょうど2回り。マニュアルに従ってマジメにやっているが、果たして効果があるのかないのか、よく分からない。
 しかし、8年経っても夏タイヤはまだ購入当初のままなので、ある程度の効果はあるのかもしれない。


 冬タイヤの汚れとサビがひどいので、珍しく全面的に水洗いして乾燥させ、100均の万能機械油を金属部分に塗った。
 夏タイヤのホイールはアルミ製なのでサビの心配はないが、冬タイヤは鋼鉄製。メンテナンスをマメにやってやらないと、寿命が短くなる。
 ところで私の乗っている車は、燃費偽装が問題になっている三菱ekワゴンである。8年前の製品なので偽装の対象外だが、ちょっと気になって昨年分の記録を元に、実質燃費を試算してみた。

 ・2015年総走行距離:3997Km
 ・2015年ガソリン使用量合計:215.31L
 ・実質燃費:18.56Km/L →104円/Lとすると、5.6円/Km

 いろいろ騒がれてはいるが、8年前の車としては、まあまあの数値ではないか。都心への往復25Kmでガソリン代がちょうど140円。こちらも数字的には悪くない。
(その後の調べで、このモデルでの街乗り、一般道、高速道路を含んだ平均実燃費は14.2Km/Lであると知る。平均値より30%良かった)

 ちなみにekワゴンを選んだ理由は、マニュアル車であること、後部トランクがオープン式で荷物がかなり積めること、そしてL=2400の木材が車内にそのまま積めること、などが主な理由。つまりは、自分の生き方暮し方にピタリ合っているからなのだった。

昨秋に地植えして芽吹いた花

 タイヤ交換ついでに洗車も一気に終わらせ、冬の間使った地下ムロも清掃して乾燥させた。
 昼食をはさみ、冬眠させてあったヌカ床の準備をする。覆いを取って新しいヌカを投入してよく混ぜる。鷹の爪とニンニクも足した。
 私の作業に合わせ、妻は不要になったタクアン用のヌカをゴミ袋に詰め替え、樽を洗って乾燥。冬の食卓を賑わせてくれたタクアン漬けも、残りわずか。いよいよ主役交代である。

2016年4月23日土曜日

趣味用名刺の改変

 たぶん10年近く使ってきた趣味用名刺の体裁を大幅に変えた。弾き語り活動限定だが、活動が活発になればなるほど、使う機会も増す。見直すべき時期到来である。

 まずは用紙だ。これまではインクジェット紙の0.21ミリ厚マット紙をA6サイズにカットし、別にデザインした名刺を2枚並べ、その都度カッターで1枚ずつ切り出すという面倒な手法をとってきた。
 フチ無し印刷が可能な名刺用紙が見つからなかった、という理由からだが、さすがに作業が面倒になってきた。手作業でのカットではズレも出てしまう。用紙の裏面の色が表と微妙に違うことも気になった。
 100均ダイソーでたまたま0.24ミリ厚の名刺専用紙を見つける。50枚入りで、両面が同色のマット紙だ。
 調べてみたが、手持ちのプリンタではフチ無しの名刺サイズは印刷不可能。そこでこの際、名刺のデザインも大幅に変更することにした。


 名刺の最下段に配置してある2ミリ幅の帯がなければ、フチ無し印刷の必要性はなくなる。何度か試し刷りして確認したが、この際とってしまうことを決断。
 同時にトップにある「ギター弾き語り」のフォントも細丸ゴシック体から古印体へと変更。さらには「札幌駅前通地下歩行空間☆チカチカパフォーマー」の肩書きを追加する。
(名刺に「チカチカパフォーマー」を使うことは事務局の許可を得ている)

 仕上がった名刺を比べてみると、印刷の仕上がりは専用紙を使ったほうが格段に美しい。厚みが増したことで腰も強くなり、枠線をとったことでデザイン的にもスッキリ感が増した。
 活動再開11年目にして、いい気分転換になる。

2016年4月22日金曜日

晴れたら外で歌うべき

 4月2度目のチカチカパフォーマンスに参加。夏以降は例年スケジュールが詰まってくるので、比較的暇ないまのうちに、「半年で4回」というライセンス継続要件を満たしたい。
 午前中から20度に迫る好天で、シャツやセーター&ジャンパーを一気に薄手の春物に変更することに。それでも駐車場からの道を歩くうち、汗ばむほどだった。遊歩道沿いの花壇には、チューリップや水仙が一気に開花。陽気につられて人通りも多い。

 来月から平日のチカチカパフォーマンスが3時間長くなって、午前11時開始となる。急な展開で、パフォーマンスの進行がどう変わってしまうのか見当がつかない。
 もしかすると今後は昼食を挟んでパフォーマンスすることになるかもしれず、その準備もかねて昼食をとらず、おにぎり持参で早めに家を出る。
 事務局には45分前に着いたが、私よりさらに早いパフォーマーがいて驚いた。
 最初のパフォーマーがなかなか終わらず、機材をセットしてじっと待機。いつものようにステージを別に設営したので、終了後ただちに始め、14時45分からおよそ30分で9曲を歌う。

「木綿のハンカチーフ」「モルダウの流れ」「港が見える丘(初披露)」「昔の名前で出ています」「夢一夜」「桃色吐息」「夜明けのスキャット」「夜が明けたら」「夜霧よ今夜も有難う」


 この日は外が好天のせいか、地下通りは週末にも関わらず、極端に人が少なかった。私のメインターゲットとなる中高年の姿もまばら。従って、立ち止まる人はほとんどいない。
 それでも3曲目の「港が見える丘」で高齢の女性が近寄ってきて、「いい歌だねぇ」と声をかけてくる。私の母親の年代だが、あれこれと言葉を交わし、しばらく立ち止まって聴いてくれた。
 実はこの日のキーワードは初披露だったこの「港が見える丘」。季節感もぴったりで、歌っていてしっくりくる。この歌は今後使えそうだ。

 ほぼ同じ時間帯に、中年男性が熱心にリクエスト用紙を眺めている。曲間で話しかけてきて、若いころに関東でジャズ・ピアノの弾き語りをやっていたという。(つまりは元プロ)
「300曲以上もレパートリーがあるとはすごい」と感心されたが、譜面がないと歌えないので、かなり価値は下がりますね、と応じた。
 仕事柄よく弾いたという「スイートメモリーズ」を望まれたが、あいにくリクエスト用紙にはない。実は裏メニューにはあるのだが、しばらく歌ってないので躊躇していると、練習して今度聴かせて、と言い残して去っていった。
 その後、「夜明けのスキャット」まで立ち止まる人は皆無。通りを往く人々も、一様に足取りが早い。こんな日に暗い地下を歩くのは用事のある人くらいで、ブラブラ散策する人たちは、陽光きらめいて花が満開の大通り公園にでも行っているに違いない。
「夜霧よ今夜も有難う」で通りすがりの中年女性グループが歩きながら拍手をくれたが、その時ちょうど持ち時間が切れる。

 風もないこんな日は外で歌うに限るのだが、あいにく外広場の割当てがない。体調はまずまずだったが、長居は無用。この日もワンステージで打ち切って、早々に撤収することにした。

2016年4月21日木曜日

路上ライブ椅子を再改良

 これまで幾度となく作り替えてきた路上ライブ用の小型椅子、2015年5月に12ミリ厚の桐集成材を利用して作った折りたたみ式の椅子が使いやすくで軽く、その後小さな改良を重ねつつ使い続けている。
 基本的な構造には手を加えていないが、最近になって座板部分に古いコーデュロイズボンを再利用したクッションカバーをつけた。

 座り続けても疲れず、なかなか具合がよろしいが、問題はカバーをつけたことによって、組立てと分解が面倒になったこと。脚部分上端に止めた3本のビス頭に、座板に開けた穴をぴったり合わせて固定する仕組みなので、穴が見えないと手探りでやらざるを得ない。
 クッションカバーは外したくないので、組立てる仕掛けそのものを変え、もっと短時間で済むようにしようと思った。


 脚の部分に座板の片側だけを蝶番で固定し、一体型にしてしまう。2枚の脚板の角度固定は、座板に2本のビスを並べて止め、その間に脚板を挟み込む構造とした。
 実際にやってみると、組立てと分解が瞬時。たたんだ状態でそのままキャリーカートに積めるので、移動も簡単だ。


 ここまでの作業は昨日までに終わらせたが、今日はクッションカバーを改良した。一体型にしたので、これまでのようにすっぽりかぶせるやり方にはできない。
 布を片側1枚だけにし、端部4ヶ所を内側に15ミリほど折り返してミシンで縫う。固定は座板の四隅に引っ掛けるだけだが、コーデュロイは伸縮性があるので、ぴったり収まった。

 座板と脚板のビス穴は使わなくなったので、木片で埋めた。まずは実戦でしばらく使ってみて、使い勝手を見極めたい。

2016年4月20日水曜日

自転車のカゴ補修

 数日ぶりの好天に恵まれたので、午前中からDIY作業に励む。妻の乗る自転車のカゴに穴が開いてしまい、手持ちの防虫ネットで適当に塞ぎ、凌いでいたが、いよいよそれでは間に合わないほど穴が広がってしまった。
 原因はサビによるネット部分の脱落で、買ってから軽く10年は経っているから、劣化もやむを得ない。


 枠の部分を残してネットは全て撤去。台所の水切り棚を作った際に買った、5メッシュの金網が残っていて、大きさも手頃だった。ステンレスではないが、かなり丈夫そう。
 カゴ底部より一回り大きく切り取り、端部の針金を内側に折り曲げて処理する。最初は素手でやったが、指を2ヶ所刺してしまい、血まみれ。あわてて工具での作業に切り替える。

 完成したパーツをカゴの底に敷き、要所を針金でしばって完成。「新しいカゴを買う」と妻は言っていたが、まだしばらくは使えそうだ。


 午後から90円寿司昼食会に出かける。このところ週一回の定例行事になりつつあるが、毎回1,200円弱で済むので、月3万円の食費から捻出できる。赤字になりそうな時は、どちらかの小遣いで負担するが、我が家にとってはちょっとしたゼータクなのだ。

 帰路はトライアルに寄って、これまた定番となった週一回の買い出し。1本79円のトライアル発泡酒を買おうとしたら、在庫がわずかしかない。熊本地震で物流が滞っていて、今月はもう入荷しないかもしれない、とのことだった。
 いつもは6本しか買わないが、GWも迫っているので、12本まとめて買った。トイレットペーパーもいつも買う安い品が在庫切れ。こちらも在庫が少ないので、やむなく少し高い品を買う。
 よく考えたら、トライアルは九州が本拠地だった。地震の影響があるのもうなずける。

2016年4月19日火曜日

花咲く多肉植物

 多肉植物の寄せ植えから突然長い新芽が飛び出し、その先端に花のツボミらしきものが見られることは、先日のブログですでにふれた。

 その後注意深く観察を続けていたが、今日になってそのうちのひとつがついに開花!地味な白色だが、紛れもなく花。細い茎に似つかわしい可憐な花だ。


 多肉植物の種類は前回調べて、「アロエ科ハオルチア属、十二の巻」であると分かっている。花に関する情報はごく少ない。咲くこと自体が稀なのかもしれない。
 ツボミは全部で20個近くもあって、茎もその後40センチ近くまで伸びた。全部咲くと、小さくてもそれなりに見られそうだ。

 その後の調べで、花が咲くこと自体が珍しく、さらに条件がよいと花茎の途中に子株をつけることもあるとか。う〜ん、これはちょっと期待してしまう。
 もしそうなったら、続報します。

2016年4月18日月曜日

気が乗らないチカチカ

 4月最初、そして第10期最初のチカチカパフォーマンスに参加した。大事なソロコンサートを10日ほど前に無事に乗り切ったことで、ずっと張り詰めていたキモチが切れてしまったのか、直前になってもいまひとつ気乗りがしない自分があった。
 ハズレが許されない依頼型のライブであれば、どうにか気持ちを奮い立たせるが、聴き手が定まらない路上ライブということが、状況を一層難しくしていた。

 しかし、「キャンセルは極力しない」をチカチカパフォーマンスのモットーとしているので、いつも通りに準備して家を出た。
 普段通りに片道2キロの道を機材を背負って歩いたが、遊歩道の雪はすっかり消えているのに、なぜか足が重い。気持ちのせいばかりでなく、体調もいまひとつの感じがした。
 お腹の調子が悪く、車を停めた量販店のトイレに駆け込んだこともあり、事務局到着が遅れて14時ぎりぎり。この日は作品系パフォーマーを含めて3組の共演だったが、会場入りは一番最後だった。

 他のパフォーマーも準備に手間取り、開演自体が定刻から30分遅れの14時半ころ。私の出番は2番目だったが、始められたのは15時10分からだった。
 およそ30分で8曲を歌う。(※はリクエスト)

「ボラーレ」「僕の胸でおやすみ」「骨まで愛して(初披露)」「ブルー・ライト・ヨコハマ」「釜山港へ帰れ」「ビリーヴ」「シクラメンのかほり※」「時の流れに身をまかせ※」


 この日も組立式椅子を使っての座って歌うスタイル。前回、機材組立てを急ぎすぎて指に怪我をしたので、慎重に作業した。
 ソーラー充電のLEDイルミネーションも初めてセットしたが、ケーブルの処理に手間取った。初めて使う機材は、どうしても時間が取られる。

 私とほぼ同時間に作品系パフォーマーの人間彫像が真横の北寄りブロックで演技を始め、かなりの人だかり。音や光は出さず、仮装してフリーズするだけのパフォーマンスだが、すぐ隣で歌うと互いに障害になりそうな感じがした。
 そこで歌う場所を2ブロック南に移動する。この日は何かと手間取る日のようだった。
 歌い始めても北側に集まった客の歓声が時折響き、いまひとつ集中を欠いた。それでも聴いてくれる人はそれなりにいたが、このところ試みている歌声サロンふうには程遠い雰囲気だった。

 この日のキーワードは初披露の「骨まで愛して」。覚えたてで単純に歌いたかっただけだが、「ほ」に関連する曲を50音順に適当に見繕って歌う。
 最近になって始めた手法だが、多ジャンルの曲をアトランダムに歌える意外性があり、我ながら気に入っている。当分はこの手法で演りたい。

「ビリーヴ」を歌っているとき、同年代と思しき中年女性が近寄ってきて、熱心に聴いてくれる。曲間で声をかけてきて、いつもどこで歌ってますか?と尋ねてきた。全体の半分は介護施設系ですと応ずると、本当ですか、母の暮らす施設でもぜひ歌って欲しい、と話が発展する。
 連絡先を記した案内状とリクエスト用紙をお渡しし、その場でのリクエストにも応ずる。もしかすると近いうちに施設訪問が実現するかもしれない。
 こうして聴き手との距離感が一気に縮まるのは、やはり座って歌うことの効果なのか?
 体調も気分もいまひとつなので、ワンステージだけで早々に撤収することに決める。歌う場所を南に2ブロック移し、作品系パフォーマーと同時間帯の共演だったので、初めて試したLEDイルミネーションの評価は難しい。しかし、地下広場でもそれなりに目立つことだけは分かった。

 過去の記録を調べると、新年度開始となる4月のパフォーマンスはおしなべて苦戦している。気力体力面も含め、最悪に近い条件の割には、まずまずの手応えと前向きに考えることにしよう。

2016年4月17日日曜日

ミズナラ大剪定

 自宅北西角に植えてあるミズナラの庭木に、思い切った剪定を試みた。長女が小学生のときにマンションの狭い庭でドングリから育てたもので、3〜4本出た芽のうち、1本だけを引っ越しの際に移植した。

 芽が出てからたぶん30年近くは経っているが、もともとミズナラは庭木としては不向き。「運気が下がる」と書いてあるサイトも見かけるほどだが、家族でハイキングに行った際に拾ってきたドングリなので、いろいろ思い出も詰まってる。


 巨大化しないよう、こまめに剪定を繰り返してきたが、隣地方向に伸びる枝はことごとく切り落としてしまうため、自宅方向への枝がつい伸びがち。
 隣にあるライラックやラズベリーの陽当りが悪くなってしまうので、3本ある太い幹の1本を、ついに切り落とすことを決断した。
 一度に切り落とすのは難しく、脚立に昇って上から段階的にカット。ようやく写真のあたりまで切り詰めたが、すでに直径10センチ近くまで育っている。これより下には別の幹が分岐しているので、ほぼ限界。
 夏場は葉が生い茂っていい目隠しになってくれるが、放置すればいずれ持て余すのは明らか。剪定作業は延々続く。

2016年4月15日金曜日

目覚まし時計のメンテ

 長く使っているカシオのデジタル式目覚まし時計の調子が悪い。モード切替えスイッチがうまく作動せず、起床時間の設定が思うようにいかない。ダマシダマシ使っていたが、ついには時計表示そのものがおかしくなってしまった。
 宮仕えを辞めてはや30数年、自営としての建築デザイン系の仕事も大半がメール納品となってしまい、目覚まし時計の必要性そのものが極端に少なくなった。

 とはいえ、時折依頼される午前中のライブでは満足な声を出すために、開始3〜4時間前起床が必須。起きるのに妻の助けは借りたくなく、まだまだ目覚まし時計の出番はある。
 以前にも似た現象が起こり、自力で分解補修したことがある。記憶を頼りに、今回もそれに習った。


 まず、3本のビスを緩めて裏蓋を開ける。慎重に基盤を外し、モード切替えスイッチが接する金属部分を、専用のシンナーと綿棒で念入りに清掃する。シンナーはラジカセヘッド清掃用のものを使った。
 ここで仮組立てし、電池を新しいものに交換してテスト。まだ接触が甘いようだ。
 次にモードスイッチの裏側にある金属製のスライダーを補正した。経年でバネが緩んでいるように思えたので、ピンセットでわずかに修正する。バネ突起は4ヶ所あるが、強くやり過ぎて折れてしまえば、元も子もない。微妙な手加減が必要だった。
 再度組立ててみると、今度は見事に復活していた。めでたし。


 保存してある古い取説を調べてみたら、買ったのは1996年。実に20年も前のことだ。さらに調べると、前回修理したのが4年前のこと。だんだん修理間隔が詰まってきつつあるが、もう少し働いてもらおう。

2016年4月14日木曜日

新芽続きの吉兆

 自宅コンサートの折に知人からいただいた観葉植物、ドラセナ・コンシンネが11年目に入った。我が家の環境が余程合っているのか、病害もなくスクスク生長。水やり以外にたいした世話はしていないが、鉢が小さくなったので、2年前には3つあった株を2つの鉢に植え替えた。

 その後も順調に育ち、先日大きい方の株の根元を見ると、ひょっこりと新芽が顔をのぞかせているではないか。上や横に伸びるだけでなく、ついに二世の誕生である。
 このまま育つと、再度の株分けか鉢替えが必要になるかもしれない。うれしい悲鳴だ。


 新芽が出たのは、11年目にして初めてのこと。今年は先日鉢替えしたサンスベリアにも新芽が出たし、多肉植物のハオルチアにも新芽(あるいは花?)が出た。
 ゲンを担ぐわけではないが、こうも立て続けだと、何かしらの吉兆を感じる。
 ドラセナ・コンシンネをいただいたS子さんに連絡をとろうと思ったが、苦労して探し当てた11年前のメールアドレスが古いらしく、宛先不明でメールが戻ってきた。
 郵便物だと手続きさえすれば新住所へ転送してくれるが、メールにもそんなサービスが欲しい。

 いただいた直後に関東の海べりの街に引っ越したようで、現住所も不明。昨秋とあるライブで10年ぶりに偶然再会しているのだが、うっかり連絡先を尋ねるのを忘れた。このブログを読んでくださっているのは確かなので、ぜひご連絡ください。