おおむね月一回ペースでやっている食事会のためで、ライブと同じ日の実施は気ぜわしいが、互いのスケジュールの都合で、この日以外の代替日はない。
先月の家族旅行以来、ひと月以上も間が空いたが、孫娘は車の窓ごしに私の姿を見つけるなり、笑顔で手を降ってくれた。車の中に妻の姿が見えないことに気づき、「ばあちゃんは?」と尋ねてくる。
「ばあちゃん、おうちで留守番だよ。はやく来ないかな…?って待ってるよ」と言い聞かせる。
旅で2日間の濃密な時間を共に過ごしたことで、彼女の記憶の底にようやく私たち祖父母の姿がインプットされたようだ。
家に着いたのが16時ころで、遅いオヤツをみんなで食べ、孫娘とママゴトや歌、ボールなどでしばし遊ぶ。
本格的なオモチャは何も置いてないが、ありあわせの空容器だけでも相手をしてやれば、延々と遊んでくれる。イメージの火花が頭の中ではじけ飛んでいるのが分かる。自分の娘の幼き日の姿と、ちょっと重なるところがある。
あっという間に18時半が過ぎ、「お風呂入ろうか?」と探りを入れると、黙ったまま首を左右にふる。相変わらずお風呂は苦手らしいが、妻が「誰とお風呂入りたい?」と誘い方を変えると、即座に「ばあちゃん」との答え。
先月の家族旅行で一緒にホテルのお風呂に入ったことを、ちゃんと覚えているらしい。妻は夕食の準備に忙しいので、「今日はじいちゃんと入ろうよ」と再度誘うと、「うん」と案外素直についてきた。
浴室でバスタブを洗って準備していたら、一人でズボンと靴下を脱ぎ始める。着るのはまだ無理だが、脱ぐのはもう自分でやれるらしい。
「ちょっと待っててね」と言い聞かせ。急いでバスタブにお湯を張る。これまでは私がまず洗ってからお風呂に呼んでいたが、急きょ順序を変え、同時に裸になって一緒に入ることにした。
そのまま身体と髪を洗ったが、一度も泣かずに終了。バスタブに入ると、自分でおすわりして大人しく胸までつかっている。こんなことは初めてだ。もうすっかり赤ちゃん卒業である。
(こうやって大人になっていくんだな…)と、感慨深いものがあった。
19時くらいから夕食。息子夫婦は人生の中盤に差し掛かり、それに子育てもからんで、いろいろと迷いや悩ましきことがあるらしい。
私たち夫婦は人生もすでに終盤で、残る仕事は「いかにして死ぬか?」くらい。これまで培った想いを次世代に伝え、見届けることもそれに含まれるはず。もう少し生きられる。