2014年7月25日金曜日

シルバー大学音楽講義

 かねてから準備中だった、近隣地区センターが主催するシルバー大学音楽講師の業務を、無事に終えた。あえて「業務」と記したのは、いろいろな点で通常のライブとは、かなり異なるスタイルであったから。
 そもそもの発端は、4年前にロビーコンサートの企画書を持って「営業」に訪れたこと。交渉相手は運営するNPO法人だったが、企画書はすんなり通り、以降毎年のように地域住民むけの音楽系イベントに出演依頼されるようになった。

「いずれシルバー大学の講師もぜひに」と打診されていたが、話が具体化したのは、昨秋の地域中高年対象の敬老イベントでのこと。過去の実績があるせいか、所属や肩書き、資格は特に不要とのことだったので、ありがたくお受けすることにした。
 5月上旬に正式な依頼があり、テーマはかねてから構想にあった「北原白秋〜そして北の叙情歌」で即決。その後、具体的な選曲や、曲にまつわる歴史的事実の裏付け調査、そして曲間で説明する原稿書きなど、綿密な準備を重ねて、ようやくこの日を迎えた。


 講座はすでに6月下旬から始まっていて、毎週金曜の14〜16時に定期開催中。終了は10月という長丁場だ。
 私の担当する「音楽」は、全15講座のうちの5番目。各講座の内容はさまざまだが、あくまで「生涯学習講座」という位置づけなので、それをある程度意識した内容でなくてはならない。

 普段は「聴き手を楽しませる」「聴き手に感動してもらう」といった基本姿勢で歌っているので、この「学んでもらう」というエキスを注入する作業が、最も難しかった。ただ難しい言葉を並べるだけではダメで、聴き手の興味を引きつつ、「なるほど」と納得してもらう必要がある。
 13時半に会場入りし、機材をセットして音響の調整をする。特に事前のテストはしてなく、ぶっつけ本番に近いが、2週間前に別の地区センターで試してうまく機能した「ミキサー経由でマイク端子につなぐシステム」をそっくり使用。こちらのPAでも音はすんなり出た。
 講座の受講者数は88名で、人数分の椅子がホールに準備されていたが、開始前までにほぼ満席となる。
(合計参加者は81名で、ここまでの最高人数だったらしい)


 14時ちょうどから講義開始。事前の打合せで「曲よりも逸話中心で」とあり、状況次第では予定曲を減らしても構わないとのこと。
 自宅で重ねたイメージ講義に従って進めたが、時間を気にするあまり早口になってはならず、講義(MC)の分で、かなりの時間を費やした。
 前半50分で歌ったのは、以下の11曲である。(全て北原白秋作詞。※は初披露)

「ゆりかごの歌」「城ヶ島の雨」「あわて床屋※」「からたちの花※」「ちゃっきり節」「砂山(中山晋平作曲)」「砂山(山田耕筰作曲)※」「あめふり※」「雨(弘田龍太郎作曲)※」「雨(成田為三作曲)※」「この道」

 ひとつの歌詞に2つの曲がついているものは展開が面白いので、すすんで取り上げた。結果的に時間が足りなくなってしまい、予定していた「ペチカ」「待ちぼうけ」が歌えずじまい。(説明だけはやったが)白秋の曲は途中を省略して歌えるものが少なく、悔いは残るが、やむを得ない選択だった。

 場が終始静謐で、まさに「講義」といった印象である。ただ、歌ったあとの拍手は熱く、手応えは悪くない。(ここ…)と力を入れて説明した部分にも、期待通りの反応があった。
 最もリスクが高いと思ってた難曲「からたちの花」も、ボーカル中心で無事に乗り切る。


 前半終了は14時52分。予定よりも2分オーバーとなり、後半開始は15時5分となった。ところがここで思わぬトラブル。後ろのほうの聴き手から「歌とギターは聞こえるが、話がよく聞き取れない」という声があったのだ。
 急きょミキサーや会場のPAを調整するが、どうもうまくいかない。備えつけの無線マイクは機能するので、講義(MC)はこちらのマイクを使うことにした。

 マイクスタンドが急に2本に増え、やや戸惑ったが、あくまで聴き手が中心である。幸いにハウリングはなく、その状態で後半を始めた。
 後半の切り口は「北の叙情歌」で、結果として以下の12曲を歌った。

「時計台の鐘」「マリモの唄※」「さくら貝の歌」「襟裳岬(森進一)」「襟裳岬(島倉千代子)※」「知床旅情」「宗谷岬」「北の旅人」「石狩川悲歌※」「アカシアの雨がやむとき」「熱き心に」「青い山脈(アンコール・リクエスト)」
 前半の北原白秋が初披露かそれに近い難曲の連発で、非常に神経を使ったが、後半は手慣れた実績ある曲が中心である。しかし、思わぬ音響トラブルで開始が15時8分あたり。「終了時間は守ってください」と事前に言われていたので、何とか途中で時間調整する必要があった。

 後半1曲目「時計台の鐘」は、前半ラストの「この道」に登場する札幌時計台をキーワードにし、たすきをつなぐ形で選曲した。ここから北海道を順に周り、最後はまた札幌に戻ってくるという趣向である。
 時間を配慮し、フルコーラスは最初から断念して、割愛可能な曲は2番までに縮めた。無難に歌い進んだが、「さくら貝の歌」あたりで左手指に異変を感じた。いわゆる「つる」気配である。

 緊迫した場で曲数を重ねた際にしばしば起きる現象だが、幸いにまだ兆候の段階。ホールに冷房はなく、非常に蒸し暑い環境で、水分不足も影響しているのは明らかだった。
 以降、用心して押えを軽めにし、こまめにスポーツドリンクを補給しつつ歌い進む。

 どうにか大事に至らずにラスト近くまで進んだが、時計はすでに15時45分あたり。時間的に残り3曲を歌い切るのは無理なので、予定していた「雪の降る街を」をカットすることを即断した。もともとが冬の歌なので、削除候補の筆頭。これまたやむを得ない選択である。
 予定をややオーバーして、15時52分に終了。質疑応答に10分を予定していたが、特に何も出ないので、「日本の歌百選」の説明をして締めくくろうとしたら、期せずして場内から「アンコール!」の声が湧く。
 全く予想もしてなかった展開にかなりあわてたが、ホール内にいた館長さんにお伺いをたてると、まだ16時までに7〜8分残っていたこともあって、1曲限定でOKのサイン。

「みんなで歌える歌を」「《青い山脈》ぜひ歌ってくださいよ」などとの声があり、ただちに応じた。
 一般の介護施設同様に、曲中に歌詞指導を入れつつ歌う。途中からさらに盛り上がって、全員の手拍子へと発展する。2番以降は、その手拍子にリズムを合わせて歌った。

 終了は16時2分前で、想定外のことがいろいろあった割に、結果的にはうまく収まった。会場の出口でみなさんを見送ったが、「とてもよかった」「あめ玉、差し入れです!」「出身が同じ幌加内町です。感激しました」「息子が同じ工業大学の出身なんです。いろいろやってらして、驚きました」「CDあればぜひ欲しいんですが…」など、終始静謐だった会場の雰囲気とは打って変わった熱い反応に、こちらが戸惑うほど。
 思うに、ラストで飛び出した自然発生的アンコールが、この日の聴き手の正直な感想だった、と考えてよさそうだ。
(オリジナルCDは持参していたので、館長さんの許可を得て販売した)

 全てが手探りの連続で、未知の場に対する怖さも正直あったが、終わってみれば大きな経験と自信につながった。数年後しの構想だったライブを無事に乗り切って、いまはただホッとしている。