2015年7月31日金曜日

「サ高住」という新しい場

 ネット経由で初めて依頼された介護施設の夏祭りイベントに出演。最近急増している「サ高住」(サービス付高齢者向け住宅)という新形式の施設である。
 昨年暮れに別施設で初めて歌ったが、有料老人ホームに形態は似ているが、運営実態は微妙に異なる。扱いは一般の賃貸住宅で、居住者の実情に応じて食事や介護サービスを受ける、というシステムだ。

 さまざまな居住者がいて、介護度もバラバラ。高齢者が対象であることは間違いないが、一般の街づくり系イベントの聴き手とも異なる。傾向として自立度は比較的高いが、つかみどころがなく、歌い手にとっては難しい場だった。
 同じ理由から、かっては苦手としたデイサービス系の場には最近になってようやく慣れてきたが、初めての施設ということもあり、手探りの進行にならざるを得なかった。


 開始予定は13時半だったが、自宅からは近く、わずか20分で着いた。先方の都合で予定を少し前倒しし、早めに始めることになる。13時22分から歌い始め、およそ35分で12曲を歌った。

「憧れのハワイ航路」「瀬戸の花嫁」「花笠音頭」「月の沙漠」「幸せなら手をたたこう」「長崎の鐘」「リンゴの唄」「バラが咲いた」「月がとっても青いから」「知床旅情」「東京ラプソディ」「青葉城恋唄」(リクエスト&アンコール)
 何が受けるか分からないので冒険は避け、実績のある無難な曲でまとめた。ニギヤカ系と叙情系のバランス、さらには年代のバランスも偏らないように工夫した。

 全体として大きな失敗はなく進んだが、施設ができてまだ間もないということもあってか、50人ほどの聴き手はおしなべて物静か。傾向としてニギヤカ手拍子系の歌より、叙情系の歌が好まれたように思える。


「長崎の鐘」を歌う前に、古い曲を求められることもあるので次はそんな曲を…、と話したら、「ここの施設には、そう高齢の人はいませんよ」と、熱心に聴いていた最前列の女性から声がかかる。
 反応次第では飛ばすつもりで曲名を告げると、ああその歌ならいいですね、と応じてきた。まあ、古いといっても、この日のメニューの中では、という比較の問題。私が生まれた年の曲なので、「古過ぎる」ということはないはず。
 先方の要望通りに歌い終えたが、終了後の場に微妙な余韻が残った。うまく言葉では表わせないが、(もっと聴きたい…)という心の叫びのようなもの。歌い手には直感的にそれが分かるものだ。
 しかし、演奏ボランティアそのものに職員も聴き手も慣れていないのか、特にアンコールの声はかからない。ゆっくり機材の片づけにかかり、進行の方がまとめの挨拶に入ったところで、最前列の女性からようやく、「あの…、《青葉城恋唄》が聴きたいんですが…」との遠慮がちな声。

 早めに始めたこともあり、1曲なら時間的にも問題ないということで、ありがたく歌わせていただく。昨年暮れに初めて歌ったサ高住でもアンコールに「大空と大地の中で」が飛び出して面食らったが、曲調は別にし、フォーク系の新し目の歌であることは共通する。
 アンコールで出た要望は、その施設の傾向を概ね示す、と考えてよい。まだまだ手探り段階だが、サ高住ではデイサービスと同様に、街づくり系の場で好まれる昭和歌謡系やフォーク系の曲を中心に据えてよいのかもしれない。

2015年7月30日木曜日

間引かずに活かす

 種を蒔く時期が早すぎたり、一昨年採取の古い種を使ったりで、なかなか満足に芽を出さなかった枝豆(大豆)だったが、種を新しく買い直し、気温もその後上昇して、ようやく順調に発芽&成長し始めた。
 140円の種は全部で67粒あって、収穫時期をずらすべく、いつものように3回に分けて種を蒔いた。蒔いてすぐにペットボトル再利用のカバーをかけ、発芽して鳥に食べられなくなるまで充分育った段階で次の種を蒔く、といったサイクルだ。
 種の袋には「1ヶ所に3粒蒔いて、2本だけを残して間引く」とある。以前は1ヶ所に4粒蒔いていた時期もあったが、ここ数年は節約して3粒。そのうち発芽するのは0〜3本で、気温や種の条件が適当な場合、さすがにゼロということはない。
 しかし、1本しか芽をださなかったり、反対に3本全部が芽を出す場合もある。

 面倒なのでこれまで間引きはやったことがなく、放置状態。そのせいか豆のサヤが少なかったり、育ちが悪かったりする。やはりマニュアル通り、1ヶ所2本以下が望ましいのかと、今年は始めて間引きを実行することにした。


 間引きのターゲットは、育ちの悪い芽。しかし、元気な芽までむざむざ抜いて捨ててしまうのは、いかにも惜しい。そこで他と大差ない芽は土ごと抜き取って、空いた場所に再移植してみることにした。
 写真の左下の1本がそれで、新しい場所に根を張るのにエネルギーを使ったせいか、種からそのまま育った他の芽と比べると、かなり小さい。しかし、ひとまず育ってはいる。

 今年はこの種の「間引いた芽を捨てずに、別の場所に再移植」を5ヶ所ほど実行した。中には全く遜色なく育っている芽もある。まるでマニュアル無視の手法だが、収穫時期がちょっと楽しみ。

2015年7月29日水曜日

肋間神経痛克服か?

 雪解けの時期から、背中から胸にかけて、得体のしれない痛みに悩まされてきた。心臓の裏あたりの背筋から、みぞおち左の肋骨の間にかけての痛みで、当初は長期経過観察中の大腸ガンが、肺に転移でもしたのでは?と恐れた。
 しかし、直後の造影CT検査では異常なし。神経的なものかも?と勝手に判断して様子をみたが、痛みは一向に消える気配がなく、特に夕食後の深夜に症状が激しくなる。
 大きく息を吸ったとき、椅子に座って姿勢を起こそうと力を入れたときなど、肋骨の間にビリリと衝撃が走る。


 もしや筋肉痛かと疑ってシップ薬をしばらく貼ってみたが、効果なし。病院に行くべきか、行くとしたら整形外科か…。あれこれ悩んだ。
 すがる思いでネットで情報を集めてみる。

「ヒリヒリした胸の痛み」「どちらかといえば左胸」「肋間から背中にかけて、広い範囲の痛み」等々、症状を絞り込んでゆくと、どうも「肋間神経痛」が最も疑わしい。
 仮にそうだとしても、原因はストレスであることが多いという。病院に行ってもすぐに治る性質のものでなく、「充分な休息と睡眠」「穏やかで規則正しい生活」などを心がけると、次第に改善するという。
 対症療法として自分でやれそうだったのは、ストレッチだった。詳しく解説されたサイトがあり、さっそく試してみることにした。

 1日に2〜3回のペースで毎日実施。あまり期待してなかったが、1週間目くらいから次第に症状が軽くなり、1ヶ月ほどで痛みはほとんど消えた。
 たまたま治る時期だった可能性もあるが、ともかくも数ヶ月間悩まされた痛みから解放されたのは、紛れもない事実。もし似た症状でお悩みの方は、一度試してみることをお勧めしたい。

2015年7月28日火曜日

新芽続々の夏

 先日鉢替えしたばかりのサンスベリアに、にょっきりと新芽が出ているのを見つけた。鉢の直径が大きくなったので、根が横方向にも伸びたらしい。
 これまで新芽はもっぱら親株から出るばかりだったが、横からも出てくれるとなると、いよいよ立派な鉢に育つ可能性が出てくる。

 買ってから来月でちょうど1年、水やりや日当たり等、けっこう気を配っているので、報われた気持ち。正直、うれしい。


 時をあわせるように、このところ枯れるでもなく、育つでもなかったパキラの鉢にも、相次いで新芽が出てきた。
 特に鉢分けした小さいほうのパキラは、半年以上も新芽が出る気配がなく、私にしては珍しく肥料アンプルを買って鉢に差したほど。それが効いたのかどうか分からないが、先日ひさしぶりに小さな新芽を確認したと思ったら、数日で5センチほどにまで育った。

 育て始めて10年が経つが、例年6月までには新芽が出て、一気に葉を広げるのが常だった。ヤキモキさせられたが、まだまだ大丈夫。


 これまた時期をあわせるように、親株だった大きいほうのパキラからも、小さな新芽を確認。こちらは春先に3つの新芽が出たきり、ずっと沈静化していたが、活動を再開したらしい。

 植物の育ち始めるタイミングって、いまだによく分からない。なだめたりすかしたり、時に放っておいたり、変化と忍耐が肝要のように思える。ちょっと子育てに似てなくもない。

2015年7月27日月曜日

クーラーボックスの改良

 ちょっと晴れたので、ウッドデッキで古いキャンプ用品の手入れを継続。まずはクーラーボックスの掃除をやったが、思っていたよりもきれいで、全く問題なく使えそう。
 ただ、盛んに使っていたころに重みに耐えられず、脱落してしまった中央の持ち手部分を収める凹みが気になり、蓋を開けて裏側のシールをはがしてみた。

 すると、取手を止めてあったらしいビスが2個転がり落ちてきた、あとには5ミリほどの穴2つ。外には冷気が筒抜けの状態だ。凹み部分には全く保温材がなく、これでは保冷機能に大きな支障が出る。
 運搬時には取手でなく、本体にあるフックに長いベルトを通してショルダー式にして使っている。もはや取手用の凹みは無用の長物で、この際完全に埋めてしまうことにした。


 断熱も保冷も理論的には同じなので、埋めるには断熱系の素材を使う。建築用のスチレンボードを使おうと思ったが、凹みの形状がやや複雑で、隙間なく正確に切り出せるか自信がない。
 かなり前に使ったスプレー式のウレタン断熱材のことを思い出し、探してみたら12年も前に買った品。スプレー周辺は完全に固まっていて、缶の中でも液体が固まっている可能性が高かった。

 半分あきらめつつつも、缶そのものに穴を開けてみたら、底にわずかに溶液が残っている。ドライバーの先で取り出し、そのまま凹みに流し込んで均一に混ぜながら埋める。
 一晩経ったら入道雲のように盛り上がって固まり、目的自体は達成された。


 盛り上がった部分をノコで切り取り、凹み部よりも一回り大きいサイズでトタン板を切り抜いて、ボンドで接着。ようやく断熱欠損は解消できた。

 30年以上も前に釣り道具屋で買った安物だが、最新の品にはこの断熱欠損となる凹みは存在しない。クーラーボックス黎明期の欠陥商品であろう。
 容量は24Lで、家族5人のキャンプでも充分使えた。連続2泊したこともある。高さが35センチで座卓に近く、初期の頃は上に板を置いて、テーブル代わりにもした。

 断熱欠損があったせいか、保冷能力はせいぜい12時間ほど。構造的にはしっかりしているので、改良によって性能が向上していることを期待しよう。

2015年7月26日日曜日

エコバックを自作

 たぶん20年以上は使っていて、一番気に入っていたエコバックが、まるで神隠しにでもあったかのように、ふっと消えてしまった。

 記憶にある最後に使った時期は、5月の旅行に持参したとき。途中の墓参りに立ち寄った際、墓参用具一式と花などをまとめて入れた。
 その後確かに車の中に移したはずが、数日経ってから見当たらないことに気づいて、旅行カバンや車の中を何度も探したが、どうしても見つからない。


 エコバックは他にも3つほどあるが、それぞれに欠点があって物足りない。失くしたエコバックは以下の点で優れていた。

1)適度な大きさがあるが、それでいて大きすぎない。
2)片手でぶら下げるほか、肩にかけてショルダーバックとしても使える。
3)小さくたたんで、付属ポケットに収められる。
4)色が落ち着いている。

 100均もいくつかあたってみたが、条件に叶う商品は見当たらず、やむなく自作することにした。

全体を裏返してポケット状の折り返しを見る

 端布のストックを漁って、エコバックとして使えそうな生地を探す。すると、洋服の裏地に使う薄くてツルツルした素材を見つけた。
(おそらくポリエステルかキュプラ)
 薄くて丈夫そうで、落ち着いた無地。黒とベージュの2種類あったが、持ち手に使えそうな赤のバイヤステープがあったので、対比として映える黒を選択した。
 生地幅が112センチあったので、まず51×112センチで裁断。収納ポケット用に短辺側の片側端部を12センチ折り返し、縫い代をのぞいて49×49センチの仕上がり寸法とする。底部のマチは、大きめの10センチとした。
 持ち手は4センチ幅のバイヤステープを二つ折りで使用。肩にかけられるよう長さは54センチとした。(縫い代2センチで、実長50センチ)

 持ち手の位置は、内側で17センチの離れ。(幅方向の1/3)その位置で折り返した端部を縫い合わせて袋状にし、最終的には収納ポケットとして使用する。


 折りたたむ手順は、まず全体を裏返し、取手を中に入れて幅方向を1/3ずつ内側に折りたたむ。このとき、折り返した袋状の部分は裏側になるようにする。
 次に縦の部分を内側に2度二つ折りにし、袋状のポケット部をくるりと裏返すと、写真のようにコンパクトな形状に収まる。

 すでに何度か使ってみたが、使い勝手は非常によく、失くしたエコバックを凌ぐほど。他のどのエコバックよりもスリムで、ジーパンの尻ポケットにもすんなり収まる。
 今回は満足できる市販品が見当たらなかったので、やむなく自作したが、作業自体はかなり煩雑。あまりお勧めはしない。あくまで手作りにこだわる方むけのレポートである。

2015年7月25日土曜日

自転車U字ロックの障害

 たぶん15年間近くは使っている妻の自転車用U字ロックが壊れた。昨夕、ちょっとしたおつかいで近所のスーパーまで自転車で行った。普通に鍵をかけて買物を済ませ、解錠しようとキーを回したが、全く動かない。
 簡単に直る感じがしなかったので、すぐにあきらめて自転車は駐輪場に放置し、歩いて帰ってきた。

 翌日、午前10時から近隣の地区センターで街づくりイベントの会議があり、館長さんから参加を呼びかけられていた。車に妻を乗せて少し早めに家を出て、一晩自転車を置いたままだったスーパーに立ち寄って修理を試みる。
 持参したのは油さし。記憶がはっきりしないが、以前にも似たようなトラブルがあり、鍵穴にオイルを注入して修復した覚えがある。


 操作に手慣れた妻が何度か試みるが、症状は全く改善しない。会議の時間が迫ったので作業は妻に任せて地区センターへと向かった。
 会議終了後、再びスーパー駐車場へ。うまく解錠できたときは、そのまま妻が乗って家に帰る手はずだった。しかし、自転車は放置されたまま。やはり無理だったか…。

 仕方がないので、車(三菱ekワゴン)に自転車を積み込んで帰ろうと思った。以前に乗っていたシビックプロでは何度か経験していたが、軽自動車に買い換えてからは一度もやったことがない。もし積めなければ、出直して後車輪を浮かしつつ、手で押して運ぶしかない。
 まず助手席を限界まで前に出し、背もたれも倒してスペースを作る。後部ハッチを開けて後部座席を全て前に倒し、助手席にハンドル部を差し込む感じで慎重に積み込んだら、ぎりぎりで入った。
 写真は撮り忘れたが、自転車は24インチで、スタンドはたたんだ状態である。何とかうまくいってよかった。
 帰宅後、雨の合間をぬってU字ロックを切断する。修復はもはや不可能なので、残された手段は切断することだけだ。
 材質はジュラルミンのようなもので、非常に固い。手持ちの電動グラインダーを使ったが、火花がすごいので、目の保護ゴーグルは必須。切り終えると切断用の砥石が大きくすり減っていた。

 U字ロックに似た構造の自転車キーが手元にあったので、新たにそれで施錠することしたが、思いがけないトラブルに巻き込まれてしまった。どうにか自力で回復させたので、よしとすべきだが。

2015年7月24日金曜日

25年ぶりのキャンプ

 長男夫婦からお誘いがあって、北の短い夏を楽しむべく、キャンプに出かけませんか?という。これまで温泉旅行には何度も一緒に行ったが、キャンプはまだない。幸いに、私のキャンプ歴は長く、これまでたぶん100泊近くはこなしている。
 そもそもいまの住まいを決めたのも、周辺環境がキャンプ場に近いイメージであったことが大きな要素。自ら設計した家も、「バンガローのような住まい」がコンセプトなのだった。
 そんな家に住み始めて16年、かっては年に数回やっていた家族キャンプも、全くやらなくなった。なにせ「毎日がキャンプ」「毎日が非日常」の生活なのだ。あえてキャンプに出かける動機づけがなくなった。

 しかし、長年かけて整えたキャンプ用具一式は、大半が捨てずに残してある。「床下収納」という膨大な収納空間があること、そして(いつかまたやる日が来るかもしれない…)という思いがどこかにあった。
 思い返せば、家族5人での最後のキャンプが、確か25年ほど前のこと。月日が流れた。キャンプをやる日など、二度と来ないような気にも最近はなっていたが、人生は分からない。


 予定は来月だが、まずは手書きで保存してあった「携行品リスト」を、PC用のテキストファイルに入力し直した。次に、長く封印してあったキャンプ道具を久しぶりに取り出し、不備がないかどうかをチェック。

 キャンプの大きな問題点と煩わしさは、当日の天候とテント設営である。長男夫婦の休暇の都合で日程の変更は難しいので、小雨でも決行するつもりでいる。そんな事態に備えて、今回は初めてバンガローを借りることにした。
 多少の雨でもやれるし、テント設営と撤収の手間が省けるのは大きく、畳敷きのベットがある施設なので、地面の上よりはよく眠れるはず。


 多数ある携行品のうち、第一段階としてまず食器関連の備品を点検し、すべて洗い直す。使い終えると必ず洗っておいたが、25年の汚れを再度落とさねば。
 あまりに大量にあるので、外のBBQコンロの上で乾燥させることにした。少しずつ買い足してきたが、最も古いものは16歳の夏に8日間の単独野宿自転車放浪旅行を企てた際、バイトの金で買ったコッフェルとアルミ製食器、そして水筒だ。

 使いやすくするため、鍋に取手をつけたり、皿を蓋としても使えるようにしたり、改良を加えた跡が懐かしい。多少のへこみや焦げ跡はあるが、50年経ったとは思えないほど丈夫。まだまだ使えそうだ。
 これらの備品を収納する袋も、大半が古着などをリメイクした手作り品。ライブ用の備品もそうだが、この種のグッズは手作りの要素を高めるほど愛着が湧き、そして使いやすくなってゆくものだ。
 今後天気の様子を見ながら、テントや寝袋など、他の携行品の点検を順次すすめる予定。懐かしい夏が始まる予感。

2015年7月22日水曜日

体重3キロ増量計画

「太りたい」と、真剣に考え始めた。高齢者の入口に差し掛かっている身にとっては、太るよりやせるほうが健康的であることは分かっているが、それも程度問題。
 私の場合、身長171センチで体重は52Kgを時に切る。大腸ガンの手術前は54Kgあったが、術後に3Kgやせて、その後1年8ヶ月を経ても1Kgしか回復しない。
 いわゆる「BMI」を試算してみると17.8しかなく、18.5以上である標準下限値を下回っている。健康診断でも「少しやせすぎなので太るように」と指摘されるが、その「太る」方法が一向に分からないのだ。

 男性の場合、やせすぎても太りすぎてもガンになりやすい、というデータがある。特にBMIが19以下は要注意で、私の場合これがピタリ当てはまってしまった。
 ガン再発や転移を防ぐべく、食生活を中心に日々腐心しているが、この「体重を増やす」というのも私にとっては大きな課題であると悟った。


「やせる方法」は巷にあふれているが、これが「太る方法」となると、ほとんど見当たらない。それでも数少ない情報をかき集めて、およそ以下の方法があることを知った。

1)胃腸を丈夫にする。(食生活改善、サプリメント摂取、ストレス解消)
2)1日の摂取カロリーを増やす。特にご飯が効果的。
3)腹筋や腕立て伏せなどの無酸素運動をやる。

 目標としては、あと3Kg増やせば、BMIがぎりぎり19に到達する。ご飯1杯が220Kcalだそうで、毎日この分を増やせば、手っ取り早く太れそうだった。
 しかし、あまり急に食べる量を増やすと、元来丈夫でない胃腸がびっくりして、すぐに下痢してしまう。これでは元も子もない。

 そこで第一段階として、麺類だけだった昼食に、小おにぎり1個を追加することにした。夕食もがんばって、あと半杯多く食べるようにする。
 併行して、朝食などにヨーグルトを食べることにした。私と同じ病気の鳥越俊太郎さんがやっているのをテレビで知り、真似てみる。少しでも胃腸が丈夫になることを願って。
 計画を実行し始めて、およそ2週間が経過。幸いに食べ過ぎによる下痢もなく、朝晩3回の厳密な測定の結果、体重はじわじわ増えて、まずは1Kg増量に成功した。
 夏場の体重が減りやすい時期にも関わらず増えたということは、順調に効果が表れてきた、と考えてよいのではないか?しばらくはいまの方法を続けてみたい。経過は逐次報告します。

2015年7月21日火曜日

マイクスタンド補修再び

 先日の特養ホーム誕生会ライブに出かける直前、マイクホルダーが少しねじれていたので、マイクスタンドのブーム部を固定するネジを緩め、調整して再度締め直した。
 ところが、いくら締めても止まる気配がなく、ヌルリとした空回りの手応えが。(まずい…)と直感した。そう、ネジ部がナメてしまった、いわゆる「バカ」の状態である。ネジ山が摩耗してネジが効かなくなってしまったのだ。

 予備のスタンドが1台あるのでそっくり交換しようとしたが、常用しているスタンドには電子譜面ホルダーが装着してあり、つけかえが必要だった。
 正常なジョイント部品に交換するのも、これまたかなりの手間。出発時間が迫っていたこともあり、急きょビニールテープでジョイント部をグルグル巻きにして応急処置。本番では事なきをえた。

赤マル部が摩耗したネジ部で、上に新たにネジ穴を作った

 帰宅後、修復を試みる。ダメになったジョイント部だけを購入する手段もあったが、送料税込で1,242円。廉価品なら2千円ほどでマイクスタンドが買える。割にあわない。
 4日後にも別のライブが迫っていて、仮に注文しても間に合わない。何とか自力補修するしかない。

 調べてみると本体はプラスチック製で、加工自体は簡単そうだった。ジョイントとパイプを貫く穴をドリルで開け、貫通ボルトナットで固定しようと考えたが、固定は完全になっても、パイプの角度や前後方向の調整が不可能になる。
 別の場所に新たな穴を開け、どうにかしてネジ山を切って、現状と同じ方式にするのがベストである。
 その後いろいろ試して、以下の手段で修復に成功した。

1)現状のネジM6より一回り細いΦ5のドリルで、90度離れた位置に新たに穴を開ける。
2)入口部分の1ミリほどを、Φ6のドリルで穴を広げる。デリケートなので電気ではなく、手回しで作業。
3)付属のM6固定ネジ先端部をライターで温めて、少しずつ穴の中にねじ込んでやる。一気にやると割れるため、1回転したら戻して抜き取り、また温めてねじ込む。これを根気よく繰り返す。

 2)3)の工程は、本来なら「タップ」という専用道具を使ってやるが、アマゾンで440円前後。(本体のみ)ハンドルまで買うと2千円近くの出費となり、これまた丸ごとマイクスタンドを買うほうが合理的だ。

 ともかくも、最低限の投資で最適な結果に到達。4日後のライブも無事に乗りきれた。今後同様のトラブルが仮に起きたとしても、新たな場所に同じ手法でネジ山を切り直せばよいことになる。
 買ってから10年を経たマイクスタンドだが、幾多の補修を重ねて、まだまだ使い続ける。本日のDIY難度、5段階中の3くらい。専用工具なしでメネジを切る慎重さと根気が必要。

2015年7月20日月曜日

原点はブラスバンド

 母が暮らす施設から数日前に連絡があり、急に夏祭りイベントをやることになったという。午前9時半開始という非常に早い時間帯で、前日は別の介護施設で歌ってきたばかり。疲労が残っていたが、せっかくの施設側の配慮なので、がんばって行ってきた。
 開始には5分遅れたが、小学生の空手演武が始まったばかり。母はすでにヘルパーさんに誘導されて、テント下の椅子に座っていた。

 お目当ては10時開始の中学生ブラスバンド。母も私も音楽好きで、よく家族で無料の音楽イベントに通ったもの。私がいま弾き語り活動を延々と続けている原点には、音楽好きの母の影響がある。
 中学生のころは2年間ブラスバンドでパーカッションを担当した。ブラスバンドで音楽の楽しさを知った。


 時間通りに演奏が始まる。部員はおよそ40人ほど。珍しく4〜5人の男子生徒の姿も見える。私が在籍していた50年前は大半が男子部員で占められていたが、最近は男女比が逆転して、多くが女子部員。時代は変わった。
 こうもり序曲、デイズニーメドレー、AKB系?の新しい歌、川の流れのように、マイウェイなど、幅広い年齢層に配慮したバラエティに富んだ構成である。技術的にも確かなものがあった。

 進行と共に陽射しが次第に強くなり、日陰の全くない場所にいるメンバーは、顔を真っ赤にして演奏していた。準備のいい生徒は、足元に置いた魔法瓶で水を補給したり、タオルで顔をぬぐったりしている。用意がない生徒がちょっと気の毒だった。
 冒頭で挨拶に立った部長は、長身の女子生徒。ドラムセットを操っていたかと思うと、反対側に回ってベースを弾いていたりする。彼女に限らず、将来的には趣味や本業で音楽を続ける生徒が数多くいるに違いない。この私がそうであったように。
 演奏を聴くうち、遠い50年前の自分の姿が重なって、熱いものが胸にこみあげた。傍らの母も大変な喜びよう。

 父が長期間お世話になった病院では一度歌わせてもらったが、母の施設ではまだ機会がない。入居時にその旨は伝えてあり、弾き語り専用の名刺も渡してあるので、いつか実現するかもしれない。

2015年7月19日日曜日

夏期ライブの難しさ

 やや遠方にある有料老人ホーム誕生会イベントに出演。全国展開の施設で、10年前の活動開始当初から、市内5ヶ所にある関連施設から定期的に招かれている。
 今回の施設からは3度目の依頼。数日前の特養ホーム誕生会と規模や入居者構成が似通っているので、反省点は慎重に修正して臨んだ。
 今回はラストに職員さんとのコラボ演奏をやる打合せになっていたので、椅子や譜面台などを予め準備。担当のBさんには事前に自宅に来ていただいて、練習も済ませてあった。直前に細部を再確認する。
 14時15分から開始。施設側のイベントがあったあと、14時21分くらいから歌い始める。およそ35分で12曲を歌った。

「憧れのハワイ航路」「瀬戸の花嫁」「君恋し」「バラが咲いた」「幸せなら手をたたこう」「われは海の子」「長崎の鐘」「たなばたさま」「誰か故郷を想わざる」「夜霧よ今夜も有難う」「東京ラプソディ」「あの素晴しい愛をもう一度(コラボ演奏)」


 数日前の特養ホーム誕生会と基本的には同じ夏メニューだが、そのときの反省もふまえて、一部に修正を加えた。

・「青葉城恋唄」を「バラが咲いた」に変更
・「三百六十五歩のマーチ」を「幸せなら手をたたこう」に変更
・「旅の夜風」を「長崎の鐘」に変更
・「花笠音頭」を「誰か故郷を想わざる」に変更
・ラストで職員さんとのコラボ演奏を演る

 実は曲目の変更に関しては、先月出演した同じ系列の別施設で好評だったものを加味してある。
 経営母体が同じでも、施設が変わると入居者構成がガラリと変わり、施設長さんを始めとする職員さんの顔ぶれも当然変わる。ある施設で好評だったから、それがそのまま系列別施設でも受けるとは限らないのがライブの難しさだ。
 歌い始めると手応えはそれなりで、歌に合わせた手拍子や共に歌う声もそれなり。しかし、記憶にある前回ライブの手応えには及ばない印象だった。先月出演した別施設での熱い反応にも及ばない。

 ひとつ気づいたのは、数日前の特養ホームイベントでも感じた、聴き手の疲労感。この日は27度ほどの外気温で、決して猛暑ではない。しかし、湿度が70%以上もあって、北海道にしては蒸し暑かった。
 全体の進行とコラボ演奏の両方を担当した職員のBさんも、場の反応の弱さを指摘していたが、過去に夏場の室内ライブで、聴き手の熱い反応があった記憶がない。
 しかし、施設側としては毎月必ず誕生会イベントをやらねばならず、真夏もその例外ではない。


 それでも叙情性の強い曲、たとえば「瀬戸の花嫁」「バラが咲いた」「長崎の鐘」などには、会場から「いいねぇ〜」という声援がしばしば飛んだ。これは過去のこの施設での傾向と一致する。苦心して加えた修正がここで実った。
 ラスト2曲は外れの少ない曲で、安心して歌えた。立ち位置から椅子への転換も短時間で済み、Bさんとのコラボ演奏も練習通り、いや、この日が一番よい出来だったかもしれない。

 難しい条件がいくつか重なったが、まずまず無難にこなせたと思う。Bさんの「ライブ初デビュー」も脇役に徹し、上手にサポートできた。これが一番の収穫だったかもしれないが。

2015年7月18日土曜日

遮光ネット2年目

 夏至が過ぎておよそ1ヶ月が経ち、太陽高度が少しずつ下がり始めた。南側の窓から居間に差し込む陽射しが日に日に強くなり始め、これから9月中旬くらいまでは、特に午前中の室温に大きな影響を及ぼす。
 居間西側のウッドデッキ上には、すでに遮光シートを貼って午後の強い陽射しに備えているが、南側窓からの日射対策は、まだ未着手だった。

7/15、午前10時の状態

 昨年7月末に試験的に貼ってみた100均ダイソーの日射ネットがある。その後改良を重ねたが、主な仕様は以下の通り。

・サイズ900×1200、4枚を縦に並べて使用
・遮光率(日射を遮る割合)80%

 一昨年秋の大規模な外壁補修工事で南壁のナツヅタを全面撤去したが、昨年はこの遮光ネットにより、ツタを凌ぐほどの遮熱効果があった。
 安価な暑さ対策になることが分かったので、およそ50日間の使用で傷んだネットをオフシーズン中に補修し、今シーズンに備えた。


 昨シーズンと変えた部分は、4枚のネットをハトメの部分で縦に重ねて、ミシンで縫い合わせたこと。全体が1200×3540ほどの1枚形状になり、たるみが出にくく、貼りやすくなった。
 全面を塞ぐより、室内から庭が少し見えたほうがいいので、今年は窓下端部に30センチの木材を3本水平に突き出し、ヒモと木用ビスを併用してネットを斜めに固定した。

 作業したこの日はあいにくの小雨模様で、日射の様子は分からなかったが、昨年よりは開放的なイメージである。
 風に対する強度はまだ分からない。今後、多少の修正をするかもしれない。
 現状の遮光ネットが今後どれくらい使えるか分からないので、これを機にネットでいろいろ調べてみた。
 2000×5000、遮光率75%の製品がアマゾンで送料税込1,008円で入手可能だが、残念ながら色が黒しかない。外から見ても室内からも暗いイメージになりそうで、二の足を踏む。価格的にもダイソーには及ばない。

 100均ダイソーで今後とも同製品が入手可能なら、最初から4枚を縫い合わせて使うのが、最も得策であろう。まずは現状の遮光ネットを出来るだけ長持ちさせることだ。

2015年7月17日金曜日

ダンスパーティー開花

 自宅北東の角に「魔除け」として植えてある2種類のアジサイが、両方とも花を咲かせた。屋根つき車庫&物置の北側に位置する場所で、普段は自転車が置いてある。しかし、小型車なら充分停められるので、予備の駐車場にもなっている。

 15年前の新築直後に挿し木で植えたアジサイは、ごくノーマルなタイプ。一時は別の場所にガクアジサイも植えたことがあるが、気難しくて一向に花を咲かせない。虫にやられたのを機に、抜いてしまった。
 アジサイに決めたのは、丈夫で育てやすいから。魔除けは結果としてそうなっただけのハナシ。いずれにしても、好きな花だ。


 昨年の母の日に長男からもらった「ダンスパーティー」という種類のピンクのアジサイが、ガクアジサイ系でなかなか愛らしい。花が終わったあとに植木鉢から取り出し、青いアジサイの手前に地植えしたら、うまく根づいてくれた。

 今年の開花を楽しみに待っていたら、じわじわと小さな花がほころび、このところの暑さでついに開花。数百の花を咲かせた青のアジサイに比べて、まだまだ小さいが、奥の青いアジサイとの対比が美しい。
 周囲には充分に余裕をみて植えたので、これからどんどん花を増やして欲しいもの。


 青のアジサイは年々巨大化し、剪定をしても一部が北側隣地にはみ出してしまう。今年も春先に枝を払ったばかりだが、開花し始めたら、またまた隣地に飛び出してしまった。
 あわてて切り払って、玄関ホールのホットコーナーに切り花として移した。当分はアジサイに囲まれる楽しい日々が続く。
(参考までに、「魔除け」としてのアジサイの効果は、あったりなかったりです。ひとつの気休め)

2015年7月16日木曜日

遮光シートを手直し

 1週間前に居間西側のウッドデッキ上に設置したテント再利用の遮光シート、実際に数日間使ってみて、多少の不都合が出てきたので、さっそく手直しすることに。
 昨年と違って、奥行き方向(斜面方向)は完全に覆っているので問題ないが、反対に幅方向は昨年より70センチほど短い。やむなくパーゴラの左右を1本分空けて設置していたが、太陽高度が下がる夕方4時以降に、この開けた北側端部から強い陽射しが入ることが分かった。

 反対側の南側端部は、太陽高度の関係と目の前に高い楓の木があるせいで、あまり問題にならない。そこで余ったテント素材をやり繰りし、幅方向を増やして北側端部の空きをなくすことにした。
 本当は70センチつけ足して、幅方向も完全に覆いたいが、どう素材をやり繰りしても無理。別の素材を使うのは強度や透過性の点から避けたかったので、40センチで妥協した。


 ライブも一段落し、天気はよいが気温は低め。そして風も弱い。外作業に励むには絶好の日和だ。前夜までに仕上げておいたシートをさっそく貼った。
 幅が変わり、端部に新たなフックを多数つけたので、ビス類は大半が止め直しとなった。脚立を使った高所での作業なので、神経と体力の両方を消耗する。2時間近くもかかって、ようやく格好がついた。

 結果として南側端部も20センチほどを残して覆ってしまうことに成功。ツギハギだが、色と素材の統一感もあって、まずまずの出来だ。
 設置後、日没まで陽射しの様子をみたが、ほぼ目的は達成されていた。
 

 外作業の一環として、3度目のカモミールも採取。さすがに疲れて、遅い昼食後にひと眠りして体力回復したあと、前回半分やって残っていた西側の草刈りをやった。

 草刈り中に、台所用塩ビ製汚水桝外周部に、かなりの欠損を発見。電動草刈機の刃で傷つけたのか、屋根からの氷塊で割れたのか、原因がはっきりしない。幸いに蓋の周辺は無傷。
 放置は好ましくないので、まずコーキング材で欠損部を埋め、さらには薄い鋼板を円筒状に加工したもので外側を巻く。思いがけないトラブルだったが、早めに自力補修できてよかった。

2015年7月15日水曜日

反省なくして前進なし

 先月中旬に歌う予定だったが、施設内に風邪がまん延したことにより、中止となってしまった特養ホーム誕生会イベントに、ひと月遅れで出演した。
 年に一回ペースで招かれていて、今回が3度目。いわゆる「高くて険しい3度目の壁」を乗り越えた施設である。

 会場も進行手段も過去2回と同じだったので、大きな戸惑いはなかったが、盛夏の開催は過去に例がなく、過去のライブレポを参照しながら、慎重にセットリストを決めた。


 連日の30度を超す猛暑が一段落し、この日は比較的過ごしやすい陽気。しかし、冷房が効いてないこともあってか、施設内はかなり暑い。一昨年の6月誕生会でも暑かったと記載があったので、汗対策として作りたての木綿のバンダナを締めていって正解だった。

 施設側の簡単なイベントがまずあり、ほぼ時間通りに12時35分からライブ開始。この施設では「アンコールを含めてピタリ30分」という厳密なルールがある。事前にFAXで提出済みのセットリストに従い、どこをどう省くか?を中心に、何度も練習して臨んだ。
「憧れのハワイ航路」「瀬戸の花嫁」「君恋し」「青葉城恋唄」「三百六十五歩のマーチ」「たなばたさま」「われは海の子」「旅の夜風」「夜霧よ今夜も有難う」「花笠音頭」「東京ラプソディ」「上を向いて歩こう(アンコール)」


 会場にプログラムが配られていることもあり、曲順や曲目の変更は一切できない。無駄なMCは極力省いて進めたが、盛況だった前回(昨年4月誕生会)に比べて、この日は場の反応が非常に弱かった。あえて要求はしなかったが、自然発生的な拍手や共に歌うなどの手応えが、ほぼない状態。
 6〜7曲目の夏の唱歌2曲は、予めプログラムの裏に歌詞を印刷し、一緒に歌う趣向だったが、ステージに届く声はごく小さいものだった。

 聴き手はいつもと同じおよそ100名で、半分は通いのデイサービス利用者。新旧とりまぜた苦心の構成も、まるで空振り。ようやく反応らしきものが出たのは、終盤の「夜霧よ今夜も有難う」で、歌い終わる前に期せずして拍手が湧いた。
 直後の「花笠音頭」「東京ラプソディ」では自然発生的な手拍子も飛び出し、「東京ラプソディ」のラストでは伴奏にかぶせて、「みなさまこれからもどうぞお元気で」とエールを贈ると、歓声が湧いた。

 アンコールは事前の打合せで準備していたが、会場から飛び出した声に従った自然なもの。一時はどうなることかと危ぶんだが、ラスト近くになってようやく帳尻を合わせた印象。
 苦戦した要因として、まず連日の猛暑で、聴き手がかなり疲れていた様子がステージ上からもうかがえたこと。寒さよりも暑さのほうが、特に北海道の高齢者には堪える。歌っている私自身も、自宅に戻ってどっと疲労に襲われ、夕方まで仮眠したほど。歌うことと同様に、聴く側にも気力体力が求められるものだ。

 次にMCで場を和らげる余裕がなかったこと。全12曲は明らかに欲張りすぎで、多ければよいというものではない。11曲以下に減らすべきだった。
 さらには、いつも中間あたりで歌う「幸せなら手をたたこう」を今回に限って省いたこと。前回も歌っているのでマンネリを避けたが、この曲は毎回でも歌うべきだ。聴き手をライブにいざなう得難い曲で、代替曲はいまのところ見当たらない。

 あれこれ反省点はあったが、担当のNさんには「来年もまたぜひに」と喜んでいただけた。修正すべき点は次回に活かしたい。

2015年7月14日火曜日

バナナな話

 大腸ガンを患って以来1年7ヶ月、再発や転移のリスクを極力減らすべく、食生活には大幅な改善を試みている。アルコール、赤肉、脂質を減らすのが主な柱だが、その一環として朝食のマーガリンをやめ、トーストには蜂蜜とバナナを載せて食べるのが新しい習慣になった。
 先日、私と同じ病気を患って同じように食生活の改善を試みている鳥越俊太郎氏が、朝食に蜂蜜とバナナを取り入れていることをテレビで知り、(おお!同士)と共感を持った。

 朝食に欠かせないそのバナナが、いまや昔のように高級品に変貌しつつある。昨年まではどの店でも4〜5本100円程度で買えたのが、いつの間にか128円になり、いまや5本で200〜300円が普通。あっという間に2倍3倍に値上がりという凄まじさだ。
 食生活が向上した中国での需要増と、円安のダブルパンチがその原因。毎日のことなので、自他共に認めるビンボー人にとっては家計に響く。


 あちこちの店で調査した結果、現時点で最安値はイオン系スーパーのビッグ。一人3個までの制限はあるが、4〜5本で常時97円(税込)で店頭に並んでいる。
 おそらくは原価ギリギリか、もしかすると原価割れの目玉商品。それでもこのバナナを買うために、定期的に近くのビッグに通う。
 この店に限らず、バナナを買う人間のマナーが、まるでなっていない。平日の昼という時間帯がそうさせるのか、多くは私と同年代かそれ以上の中高年が買い手。そして例外なくバナナをいじくりまわし、選別する。
 高級品ならいざ知らず、たかが100円程度の品を、なにゆえそこまで選び抜くのか理解に苦しむ。本来は若い世代の手本になるべき中高年世代が率先してやっているのだから、何をか言わんや。

 かってスーパー等で野菜果物コーナーに勤めていた妻がいうには、特にバナナはいじられればいじられるほど、品質が悪化してしまうそう。いじくり回されて黒く変質したバナナが、時折半値で売られていたりする所以だ。
 バナナの保存には独自の工夫をこらしているが、それでも房の最後に近づくと、写真のように指でいじくり回された黒い斑点が浮く。腹立たしい限りだ。
(どうせ金を払うのだから、少しでも大きくて品質がよいものを)というのが、いじくり回す側の心理的背景だろう。他の客や店側の都合など、かまっちゃいない。突き詰めれば、(自分さえよければいい)というエゴ心理だ。他からの視点が、ぽっかり欠落している。
 その心理は、(原発はイヤだけど、便利な生活は捨てられない)とか、(戦争はイヤだけど、景気がよくなって収入は増えて欲しい)という心理と、どこかでつながっている。

 不条理な現代ニホンの世情を根底でしっかりと支えているのは、他ならぬ庶民のエゴ心理。たかがバナナの選び方ひとつにも、それが如実に現れている。病巣は限りなく深い。

2015年7月13日月曜日

ピックホルダーを自作

 以前に模型用の0.4ミリ厚塩ビ板を使ってギター演奏用のピックを自作し、「究極のピックをゲットしたかも?」とブログでふれたが、その後試用を続けた結果、市販のピックと大差ない50曲前後の演奏で、やはり割れてしまうことが判明した。

 最初の使用感がよかっただけに、残念な結果となってしまったが、1枚あたり2円という単価を考えると、これ以上安価なピックは考えられず、よく目立つ真紅という色の面でも得難い。
 練習用としてはもちろん、ライブごとに新品を使うようにすれば本番でも使えないことはなく、不意の割れに対する備えはしておくべきかと、前向きに考えなおした。
 プロ歌手はたいていライブ中に使っているが、マイクスタンドに装着する方式のピックホルダーが市販されている。
 安いものは400円前後で入手可能だが、以前にギター本体のベルト用ボルトを利用したピックホルダーを自作したことがある。常にベルトを使って歌うスタイルになってから外してしまったが、同じ手法でマイクスタンド装着式も作れそうに思えた。


 マイクケーブルをスタンドに保持するための「ケーブルクランプ」というパーツが使われずに多数とってあった。これをマイクスタンドに止め、本来はケーブルを通すための5ミリほどの穴にボルトを通し、2枚のプラスチック板を挟んで固定してやれば、ピックホルダーになるはずだった。
 さっそくやってみる。透明な0.8ミリ厚のプラスチック板を直径23ミリに切り抜き、端部に5ミリ径の穴を開ける。ボルトナットは自転車用のものを転用した。

 2枚までしか挟めないが、ライブ開始時に挟んでおけば充分足りる。実際に歌いながら曲の途中で割れたと想定し、素早く取り替えてみたが、うまくいった。
 これまで予備のピックは電子譜面ホルダーの小棚に置いておくだけで、風で飛んだり、移動時に落としたりしがちだったが、その心配はなくなる。
 週末の誕生会で歌う予定の有料老人ホーム担当者(若い男性)から電話があり、スケジュールの確認と同時に、ラストで一緒に歌えませんか?との打診。
 聞けばギターの弾き語りを最近始めたそうで、施設でも弾き語りを活かしたいが、きっかけがないという。自宅に打合せにやってくるというので、喜んでお迎えした。

 最寄りの地下鉄駅まで車で迎えに行き、自宅2階でPAを使って久しぶりのセッション。候補曲は「上を向いて歩こう」と「あの素晴しい愛をもう一度」の2つ。実際に弾き語ってみた結果、「あの素晴しい愛をもう一度」に最終決定した。
 まだ練習し始めて3年で、人前で歌ったことは一度もないという。しかし、どんなことでも最初はある。まずは歌ってみることだ。

 自分の勤務する施設だけでなく、将来的には休暇を利用して、他の介護施設でも歌ってみたいという希望があるようだ。進めるうえでのアドバイスを求められたので、これまで培ったノウハウを惜しみなく伝授した。
 あくまで自己流だが、若い世代を育てるのは、今後の自分にとって重要な役目と考えている。少しでも役立ってくれたらうれしい。

2015年7月12日日曜日

前代未聞の肩透かし

 午前中から気温がぐんぐん上がり、2日続けて30度を突破。猛暑のなか、以前から依頼されていた遠方のデイサービス夏祭りイベントで歌うべく、出かける。
 開始は11時45分からで、施設外の屋根つき駐車場をステージに、地域住民むけにチカチカパフォーマンス同様の完全リクエスト型ライブを45分間やることになっていた。

 すでに現地調査も済ませ、留守中の施設にリクエスト曲一覧も投函済み。前日夕方に担当者と再度のスケジュールと進行の確認も終え、ネット経由で初めて依頼された施設だったが、万事ぬかりないはずだった。
 約束の11時半より10分早い11時20分に到着。しかし、何か様子がおかしい。施設に全くひと気がなく、ドアの鍵は固く閉ざされていて、インタホンにも応答がない。念のため電話をかけてみたが、留守電がセットされていた。
 玄関前で40分待ったが、誰もやってこない。そもそも屋外でやるイベントなのに、お祭りの飾りひとつないのは、どうみても不自然である。

(これは時間を午後1時半と聞き違えたのかもしれない…)
 可能性は低かったが、人間だから間違いはある。念のため留守電に携帯番号も伝えて、午後1時過ぎまで近隣で時間をつぶすので至急連絡を、とメッセージを残した。


 近くの量販店駐車場で持参の昼食をとり、時間をつぶす。自宅にも電話をかけてみたが、特に連絡は入っていない。施設の電話は聞いていたが、担当者の携帯番号までは分からず、これ以上動きようがない。
 今夏最高の31度を超す猛暑のなか、13時半まで待ったが携帯は鳴らず、再度施設におもむく。しかし、内外の様子は2時間前と全く変わっていず、人の気配はない。理由は分からないが、今日のイベントはないものと判断せざるを得なかった。

 前日の確認電話もこちらからかけたし、先方の要望にも誠意をつくしたつもりだ。どう考えてもこちらに落ち度はなく、施設訪問ライブを始めて10年余、こんな不可解な目にあったのは初めてだ。