2013年11月24日日曜日

至福の時間

 有料老人ホームの誕生会イベントに出演。依頼は1ヶ月以上も前にあったが、依頼してきたヘルパーさんが以前に勤務していた系列の別施設で、私の歌を推薦してくれた方がいたそうで、そのつながりが発端である。
 仕事でもそうだが、誠意をこめてやっていれば、それはどこかでつながっているもの。思わぬ形で花を開いたりする。仕事でもボランティアでも、ひとつひとつの行為に決して手を抜いてはならないということだ。

 実は施設自体では5年前にも一度歌ったことがある。その際にちょっとした行き違いがあり、つながりの糸は途切れたままだった。全国展開の施設なので、当時とは職員もかなり入れ替わっているに違いなかったが、過去のライブレポを参考に、慎重に選曲して準備した。
 開始は14時半からだったが、施設側のイベントが15分ほどあり、進行のAさんが「では本日のボランティアの菊地さんを皆さんでお呼びしましょう。菊地さ~ん」と声をかけ、「は~い、こんにちは」とステージ横から私が登場するという演出。過去に例のない変わった趣向だが、直前の打合せで聞かされていたので、意向に合わせた。


 私のライブ開始は14時47分あたりから。およそ35分で、以下の12曲を歌った。

「サン・トワ・マミー」「知床旅情」「お富さん」「バラが咲いた」「幸せなら手をたたこう」「高校三年生」「とうだいもり」「おかあさん」「人生いろいろ(初披露)」「ここに幸あり」「浪花節だよ人生は」「月がとっても青いから」
 聴き手は職員を含めて70名ほど。事前に予想した通り、5年以上の時を減ると入居者も職員もすっかり顔ぶれが変わっていたが、場の反応自体は前回同様悪くなく、いきなりの手拍子や一緒に歌ってくれる方が続出した。
 暖房による湿度低下で前日まで喉の調子がいまひとつだったが、前夜飲んだユズ茶が利いたのか、一夜明けたら劇的に回復していた。いい感じでライブは進み、「高校三年生」から「おかあさん」あたりで会場の熱気はピークに達する。会場からは「いい声だ」「ブラボー!」のかけ声が飛び出した。
 聴き手のノリは歌い手を強く後押しする。いつもは(ミスをしないように…)という守りの気持ちが心のどこかで働いているが、この日は珍しく自らが楽しみつつ歌い進めた感じだった。

 私を推挙してくれた司会役のAさん、娘か孫のような年代で、進行もどこかぎこちなかったが、曲間にマイクをとり、「あ、この歌、私も知ってますよ。つい一緒に歌っちゃいました」とか、「私にも皆さんにも高校3年生の時代がありましたよね~」「フォークダンスって経験ないんですが、皆さんはやりました?」などと、アドリブで話しかけてくる。
 これまたかって経験のない手法だったが、「フォークダンス、私は学校祭でやりましたよ。女の子の手を公然と握れる、最高の機会だったです」などと、私もアドリブで応酬。打合せには全くないキャッチボール的進行だったが、場を和ませるには充分効果的だった。
 予定曲を終えても、場の熱はなかなか治まらず、「アンコール!」の嵐。実はアンコールには「丘を越えて」をちゃんと準備していたが、ここでもAさんがついと近寄ってきて、「突然ですが、職員のM主任と何か1曲歌っていただけませんか?」と小声でささやく。
 出だしの施設側イベントで「もしかするとM主任の歌がまた聴けるかもしれませんよ」との声を耳にしていた。ときどきイベントで歌を披露している方のようだった。
 とはいえ、事前に何も打合せしていない。しかし、何かやれるだろうと思って承諾。Aさんと二人で「M主任~、お願いしま~す」と事務室に座っているMさんに呼びかけた。

 やってきたMさん、さて何を歌おうかと電子譜面を繰るが、なかなか決まらない。私が選んだ「青い山脈」「丘を越えて」「きよしのズンドコ節」「宗谷岬」等々、全て知らないか自信がないという。
 ここで時間をかけると、会場の熱が冷める。唯一知っているという「幸せなら手をたたこう」をもう一度歌うことに即断。私はギター伴奏に専念し、Mさんにマイクを渡して存分に歌ってもらうことに。
 職員さんが参加すると、文句なく場は盛り上がる。うまく収まってお開きとなった。

 終了後には何人もの入居者の方が近寄ってきて、「素晴らしい歌をありがとうございます」「いい声ですね」「またぜひ歌いに来てくださいね」などと労っていただく。歌い手冥利につきる、至福の時間だった。