2010年12月5日日曜日

弾き語りドーパミン

 突貫で進めていた仕事16点は、締切よりも早く終わってすでに送信済み。「CADで人間のように曖昧なゆらぎ線で描く」という、私にとっては未知の領域だったが、逃げずに受けたおかげで、またひとつ自分の幅が広がった感。
 ひとまず2本目のトンネルは抜けたが、12月は始まったばかり。まだまだ油断できぬ。
 納品後、しばらく外出できなくて鈍っていた身体をほぐすべく、歩いて遠方まで用足しに出かける。まずは2週間前に借りていた「ビート・キッズ」「雷桜」の本を図書館まで返しに行った。
「ビート・キッズ」が映画を観てから、「雷桜」は映画を観る前に読んだが、最近とみに文学に感動しなくなった。以前は魂が揺さぶられるような小説に時折出会い、それに感化されて自分でも小説を書いたりしていたが、最近は両方が退化しつつある印象だ。
(なぜだろう…)と考えてみたら、どうも弾き語り活動と関連がありそうだ。


「創造性」という切り口では、小説も音楽もデザインも大差ない。デザインは食べるためにやめるわけにはいかないが、趣味に過ぎない小説や音楽は、自分の気持ちの流れにまかせて自由に選べる。
 弾き語り活動に日々のめり込み、自分でライブの企画構成をし、時には曲を作る。それに予想もしないような熱い反応があったりすると、脳からはドッとドーパミンが溢れ出ているに違いない。もはや他の手段による快楽など無用なのだ。それでいいのです。