2014年8月19日火曜日

釣り銭への配慮

 ちょっした会費制の会合の受付や、自主企画ライブの受付、はたまた路上ライブでのオリジナルCD販売などの状況下で、お釣りの準備が必要なシーンに、しばしば遭遇する。
 いずれも営業行為ではないので、(強いて言えば、CD販売は営業行為に最も近いが)そう厳密に釣り銭に気を配る必要はないように思えるが、現実はそうではない。

 以前、4千円会費の会合の受付を仰せつかったことがある。場所はホテル内の小料理屋で、念のため千円札10枚、つまりは1万円分の両替を準備していった。自分の会費は当然ながら、釣り銭なしの千円札4枚である。
 参加者は7〜8名だったので、これで充分と踏んでいたが、これが外れた。来る人来る人が、1万円札を差し出す。準備した釣り銭はたちまち底をつき、恐縮しつつ、お店のレジに両替に走った。
 このときの参加者は全員が私よりも年長者。そこが受付に指名された所以でもあるのだが。
 自主企画ライブでお店を借りて有料形式にしたことは数回しかないが、やはり似たシーンはあった。受付はいつも親しい友人に依頼するが、この方も常に千円札10枚を準備してくれる。私自身も同じ分を準備して臨む。
 釣り銭に悩まされるのは真っ平なので、入場料はキリのいい数字に設定はするが、だからといって参加者全員が釣り銭ナシで支払ってくれるとは限らないのだ。

 経験的に、中高年ほど釣り銭に対する配慮が不足しているように思える。対して若い方は概ねキッチリ釣り銭なしで支払ってくれる。要は相手を思いやるキモチの問題。
 仮に万札しか持ち合わせがなかったとしても、
(受付を困らせてはいけないので、コンビニで何か買って崩していこう…)
 といった考えに、至るか至らないか。中高年こそ若年層の模範となるべきだと思うのだが、残念ながらそうはなっていない。日本社会の病巣の根源が、そのあたりにあるように思えてならない。