それが予想を覆す評判を呼び、当初は冷ややかだった周囲の目も次第に高評価に変わっていったという。
そのシェフのコメントが秀逸。「皆が真似をし始めたので、もうあの料理法はやりません。次の新しいことを目指します。社会というものは常に変わってゆくもの、進歩してゆくものですから」
どこかで誰かがやって当てたものを、つい真似したくなるのは人の常。自らの知恵を絞り、試行錯誤して失敗を繰り返すより、結果がある程度見えているものを真似するほうが、確かに楽だ。
しかし、多くが真似をし始めたものはすでに旬を過ぎていることが多い。「周りがやりだしたから、自分はもうやらない」という思考法には一理ある。
30数年前に「建築パース」という特殊なジャンルに特化して事業を興した際、「そんな仕事で食えるわけがない」と、いろいろな人から言われた。特に北海道では、専門でやっている人は当時皆無に近かった。
しかし、食えた。充分な事前調査と新技術研磨の成果だったと自負している。周囲の忠告は外れていた。
10数年前、インターネットのホームページで連載して好評だったノンフィクション小説を出版社に売り込み、本にしようと考えた。これまた周囲の目は冷ややかで、確かに壁は厚かった。しかし、諦めかけた頃に自己負担なしでの企画出版の声がかかり、とうとう実現した。
当時はまだインターネット黎明期。いまでこそネット掲載の文章が出版されることは珍しくないが、その先駆者だったと思う。
さらに数年後、自ら設計して自宅を建てた顛末をこれまたインターネットで告知し、住宅設計の受注につなげることを目論んだ。同様に大多数の目は冷たかった。「面談もせずに住宅の設計を頼もうとする人などいない」と。
しかし、この時も思いは実現した。いまではネット経由での設計依頼が、世間でごく普通に行われている。
誰もやっていないことをやろうとすると、どのようなジャンルであっても、周囲の目は冷淡だ。道なき道を歩き出すには、相当の勇気と覚悟が必要である。しかし、得るものは大きい。肝心なのは安直に真似をしないこと、そして自分を信じることである。
では、如何にして新しい発想にたどり着くか?ポイントはあくなき好奇心にあるのではないかと私は思う。こうしている間も、まだ誰も見向きもしない次なる新しいことを、ヒソカに画策している。