ではいつも行くモエレ沼公園の桜は?と続けて調べると、7分咲きとの情報。過去のブログ記載によれば、昨年は15日に観に行っている。いつも見頃は遅い場所だが、妻が休みで家にいたので見損なってはならぬと、思い切って行くことにした。
車で10分ほどの距離だが、行ってみると見頃はやや過ぎている感じがした。ネット情報も時にあてにならない。曇天で写真の映りもいまひとつ。こんな年もある。ともかくも、今年も無事に夫婦で花見ができたことを喜ぼう。
多くの桜はかなり葉が出始めていて、それが盛りを過ぎた印象となっているが、公園の奥に1本だけ葉が小さめで花が満開の木を発見する。同年代とおぼしき中年夫婦が木の直下で見物中だったので、少し離れた場所から眺めていた。
そのうちご主人のほうが木を離れ、私に近づいてきて、この木は見事ですね、などと話しかけてくる。そうですね、毎年来るんですが今年は花が早いです、と応じていると、木の下では妻が奥様のほうと何やら話している。
若いころはこうやって見ず知らずの人と何気なく言葉を交わすことなどできなかったものだ。自分の固い殻のようなものがあり、簡単にそれを開くことはしなかったように思える。妻もそれは同じだ。
要するに二人とも年を重ねたということなのだろう。しかし、周囲の人々とフレンドリーに言葉を交わすこと自体は、決して悪いことではない。年を重ねて周囲に毒をまき散らすだけの不逞の輩も世間にいないわけではなく、それに比べるとよほどマシな年のとり方ではないか。
毅然と潔く、そして美しく年を重ねる。そんなことをよく考える。あの桜の木のように。