2012年5月5日土曜日

森の時間フェスティバル

 被災地支援の森のコンサートに参加するべく、早朝から起きて札幌南部の滝野すずらん公園に向かう。あいにくの空模様だが、雨天時に備えて室内と屋外両方のステージが準備されている。
 GW休暇で帰省中の息子がつきあってくれるというので、助手席に乗せて出発。途中、伴奏を務めるソプラノ歌手の清水紫さん宅に寄り、10時過ぎには会場となる森の交流館に着いた。

 今回のコンサートは東日本大震災で札幌に避難している人たち自身が音楽や展示などで参加するイベントの一環で、避難者と市民との交流が主目的である。


 私のステージは11時20分から。会場ではすでにトップのジャグリングパフォーマンスが始まっている。会うのがこの日初めての主催者のYさんと挨拶をしたり、プログラムの合間に場内を散策などするうち、たちまち予定の時間となった。
 会場は四方を森に囲まれた絶好の環境。広い窓からは芽を吹き始めたばかりの木々が見える。小雨が止まないので外のステージは結局中止となり、室内ステージ1回だけの出番となった。
 寒いのでジャケットを着たまま歌ったが、いざ歌い始めると身体が急に熱くなった。しかし、途中で脱ぐわけにもいかず、そのまま歌い進む。この日のセットは「カントリーロード」「この道」「赤い花白い花」「北の旅人」「野ばら」「宗谷岬」の6曲。

 聴き手は関係者も含めておよそ40人ほど。階下の第2ステージで子供むけのイベントが同時開催されていた関係で、子供の姿はほとんどなかったが、場の反応は悪くなかった。
 会場は内装がすべて木材で天井も高く、特にボーカルの反響はいい感じである。充分に調整して臨んだので大きなミスもなく、予定通り20分弱で歌い終えた。


 終了後、ただちに次の清水紫さんの伴奏準備にかかる。持参したPAはそのまま使うが、スタンド一体型の譜面台上部は撤去した。ジャケットを脱ぎ、別途持参した独立譜面台をセット。演奏位置は紫さんの左側に移動し、すぐに始めようとしたが、ここで予期せぬことが起きた。
 1曲目は「森へ行きましょう」だったが、紫さんの合図でいざ始めようとしても、どうしても最初の旋律が頭に浮かんでこない。今回初めて演じる曲ではあったが、メロディ自体はよく覚えていたはずだった。
 あとで冷静になって考えてみると、どうも自分のステージで気持ちを入れすぎてしまい、心身が別世界にトリップしてしまったようだ。休憩なしで次のステージに突入したので、瞬間的に切換え困難の状況に陥ったらしい。

 ごく短い時間だったが、1曲目はストロークではなく、指全体を使った特殊なアルペジオ奏法であったことに気づく。「ちょっと待ってください」と小声で伝え、持っていたフラットピックをしまってサムピックを装着。事前のリハで何度も打ち合わせていた前奏をようやく思い出し、事なきを得た。
 こんな経験は初めてである。あとで息子に確かめたら、特に違和感はなかったという。しかし、真横にいた紫さんには気づかれていた。「連続でしたから、仕方ないですよね」と慰めてくれたが、なかなか難しいものだ。
 紫さんのリストは「森へ行きましょう」「ピクニック」「おおブレネリ」「エーデルワイス」「浜辺の歌」「故郷」の6曲。出だしのもたつきは別にし、6曲の伴奏自体に大きなミスはなく、まずまずの出来だったと思う。事前に「予告」されてもいたが、打合せとは違う歌唱法もいくつか飛び出した。しかし、いずれもアドリブで無難にこなした。
 普段はクラシックの正装で歌っている紫さんだが、この日はかなりラフなスタイル。結果としてフォークギターでの軽い伴奏は楽曲を含めた場の気分ともマッチし、「森のコンサート」に相応しいものだったかもしれない。紫さん自身も楽しみつつ、場を盛り上げているように感じた。


 終了後、展示即売をしていた方から声をかけられる。福島県から来たというその女性、私の歌を以前に聴いたという。どこでお会いしましたか、と尋ねると、1年前に近隣地区センターでの被災地支援コンサートで歌った際、会場に居合わせた方だった。コンサートの最後に司会者からマイクを向けられ、感極まって涙を流す姿が印象的で、すぐに思い出した。

 ちょっと変わった歌唱法の菊地さんの「カントリーロード」が強く印象に残りました。また聴けてよかったです。あのコンサートに立ち会って、私の生き方が変わりました。勇気が出ました。ありがとうございます。
 そんな女性の言葉がとてもうれしかった。魂をこめて歌えば、どこかで誰かに必ず届いている。そんなことを再確認した日である。