2012年5月25日金曜日

遊牧民的関係

「ノマド」という新語があるらしいことを最近知った。「リア充」(ネットやゲームのような仮想世界ではなく、現実世界が充実している人々)という言葉もようやく覚えたばかりというのに、ナンノコッチャ?と調べてみたら、直訳は「遊牧民」で、「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といった意味で用いられているとか。
 パソコンやスマホを駆使し、会社に出社せずに自由に働く人々のことを指すらしく、そういえば先日のテレビでも同じ切り口の特集をしていた。

 私の場合も出社する会社を持たず、自宅を根城にしてパソコンと携帯だけで仕事をしてはいるが、特に餌場を求めてさすらっているわけでなく、ちょっと意味が違う感じだ。
 現時点では「SOHO」が最も私の生活スタイルに近いが、最近は取引先の人が自宅に訪れることもなくなり、打合せは携帯かFAX、作業はパソコンで納品はメールという具合。実態は「気ままなネット職人」といった印象である。


 唯一、遊牧民的に作用しているのは、実は人間関係かもしれない。かなり前に人間関係を狩猟民族と農耕民族にたとえているラジオキャスターがいた。新しい刺激を求め、あるいは好奇心の趣くままに新たな人間関係を求め続けるスタイルが「狩猟民族的」であり、反対に同じ交友関係を末永く保ち、そして育てようとするのが「農耕民族的」というわけだ。
 私の場合、たぶんそのどちらでもなく、その両方の要素を持っているように思える。
 ある一定の場所で牧畜をし、家畜が草を食べ尽くす前にその回復を待ちながら、定期的に別の場所へと移動する、というのが遊牧民の生活スタイル。決してあてどもなくさすらっているわけではなく、ある一定の場所を自然と共存しつつ、巡回移動しているのだ。
 季節の巡りに従って訪れた場所は、かって住んでいた懐かしい場所だが、そこにはきっと新しい木々や草花が芽吹き、新たな生活が待っているのだろう。

_農耕民族的に色あせた人間関係に固執するのは好まず、かといって狩猟民族的に刺激(獲物)を探して次々と新たなる人間関係を求め、古き好き関係まで捨て去る気持ちもない。懐かしい場所は大切にしつつも、常に新しいものは探し続ける。かの遊牧民のように。