2011年6月16日木曜日

お祭りな一日~後編

(前編からの続き)
 ギャラリーを出たあと、さらに西へ2駅進むと目的の北海道神宮がある。歩く元気はまだ残っていたが、歌う分の気力体力を温存するべく、素直に地下鉄に乗った。
 最寄りの円山公園駅から社務所までの緩い昇り坂をまたかなり歩き、会場に着いたのは17時半近く。大半の出演者はすでに楽屋に集合していた。

 たまに行くライブハウス「ありがとう」の常連二人とここで会う。今回のライブ「フォークうたごえまつり」に出演することは誰にも言わず、ブログ等でも具体的には一切ふれなかったので、「出るんですか?」と怪訝そうな顔をされた。
 出演は生楽器使用のソロかデュオ、歌えるのは日本のカバー曲限定である。しかも1組1曲5分以内という制限があり、まさに一発勝負の難しいイベントだ。ステージは境内にある土俵で、ここに照明やPAをセットして歌う。
 9回目となる今年の参加者は15名だった。私は3~5回まで連続3度出たが、当初は少なかった参加者も口コミでじょじょに増え、いまでは毎年抽選で決めるほどだ。
 4回目までは1組2曲歌えたが、人数増加と共に5回目からは1曲になり、最大10組だった参加もこの回から15組に増えた。

 4年前の5回目を最後に出演してなかったのは、他のライブが忙しくなったことと、参加人数の増大がある。出演に若い方がじわじわと増え、イベントの色模様も次第に変わってきたことも理由のひとつだ。いまさら還暦シンガーの出番でもあるまい、と思った。
 4年ぶりにエントリーしてみる気になったのは、昨年末に届いた見知らぬ方からのメールがきっかけだ。このイベントに関する記載があり、私のステージも観ているような様子だった。それ以前から(60代でもう一度だけ出演しておきたい…)という考えが心の隅にあり、「もしかしたら来年出るかもしれません」と、返信してあった。
 あとで知ったが、今回の申込数は35組だったそうで、厳しい倍率である。楽屋入り直後に掲示されたリストを見ると、私の出演順は15組中のラスト。最初に出た際もラストだったが、正直あまり好きな順番ではない。しかし、記載された年齢をみると、私は突出した最高齢者。私の次が49歳で、50代は誰もいない。まさに孤高の人である。
 出演者も出演順もあくまで「抽選」ということなので、黙って受け入れるしかない。


 予定通り18時からライブは始まった。主催は地域FM局なので、時間にはシビアである。雨は降っていないが気温は低く、客は例年より少なめ。しかし、ざっと100名は集まっている。
 入れ換えを含め、30分で5組歌うので、私の出番は19時半近く。たまたま楽屋に居合わせたYUKIさんという顔見知りの女性や、先のライブハウス仲間の写真撮影をしつつ、他の見知らぬ出演者の歌に耳を傾ける。

 今回は若い方に素晴らしい歌い手がいた。中程で歌った児玉梨奈さんの「童神」には琴線が揺さぶられ、小林純平さんの「ひこうき雲」には心が洗われた。
 二人とも突出したギターテクニックがあるわけでなく、単純なストローク奏法なのだが、歌そのものに独自の世界観がある。それが何かを説明するのは難しいが、もしかすると歌には人生で目指すものが表れてしまうのかもしれない。それが自分の精神とシンクロすると、心が呼応するのかもしれない。
 あれこれあって、ようやく私の出番がやってきた。気温はますます下がって、司会者の女性も「寒いですねぇ」を連発。寒さを見越し、私の衣装は先月の青空ライブと同じ防寒スタイルで、これが正解だった。
 歌ったのは長渕剛の「しあわせになろうよ」。妻との真珠婚や還暦コンサートなど、節目のイベントだけで歌っている思い入れの強い曲である。今回がラストかも…、と覚悟していたので、魂をこめて歌った。

 あたりはすでにとっぷりと暮れ、聴き手は少し増えた感じだが、何せ寒い。歌い手も聴き手も凍りつくとはこのことだ。
 慣れた場なので上がることはなく、大きなミスもなく歌えた。高音部の聞かせどころもまずまず。ただ、歌詞やコードのミスが怖く、歌いながら会場に目をやる余裕があまりなかった。もっとも後半に視線を上げてみたが、暗いうえに照明がまぶしく、会場の様子は全く見えない。
 場の反応は感覚でつかむしかなかったが、終始シンと静まり返っていた。これが寒さによるものなのか、はたまた歌の力によるものなのかは不明。歌い手としては後者と信じたいが、ともかくやれることはやった。
「もしかすると最後」かもしれないこの場この時を、確かに記憶に刻んだ貴重な時間である。