2月は除雪と仕事に忙しく、顔を全く出せなかったが、母は非常に元気でいた。地震の際もたいして揺れなかったとか。地盤のよい地域に建つ新しい鉄筋コンクリート造の施設なので、その点では安心である。
施設にもだいぶ慣れたようで、最近届いた生活計画書では、「今月から軽作業のお手伝いをしていただきます」とあったが、今日は入居者の使うオシボリの袋詰め作業を、仲良しのTさんと一緒にやっている真っ最中だった。
すでに91歳だが、何もせずに漫然と時を重ねているより、少しでも誰かの役に立つことをしているほうがいいに決まっている。母も生き生きと作業していた。
いつも給油しているGSのガソリン価格が昨日は144円で、今日は147円に上がっていた。情報によると、津波に襲われた釧路では売り切れ続出らしい。地震と中東情勢のダブルパンチによるもので、思わず給油しそうになったが、まだ4割近く残量があり、取り立てて遠出の予定もないので、ぐっとこらえた。
地震に伴う「計画停電」で、首都圏ではガソリンはもとより、食料や日用品の買いだめ騒動が早くも起きているらしい。オイルショックや米騒動の折にも、私は買いだめという無意味な行動を一切しなかった。
今回の地震に対して、「アメリカは9.11同時多発テロで変わった。日本人の生き方も3.11大震災で大きく変わるに違いない」と説いている識者がいたが、私はそうは思っていない。
普段は備えず、事が起きてからあわてて「買いだめ」という、自分本意の行動に走る。それが品不足と高騰に拍車をかける。過去の失敗から少しも学んでいず、同じ過ちを繰り返している。
まだ随分先の話だが、今回の災害もいざ乗り越えてしまえば、また元のように利益追求再優先の生活スタイルに還ってしまうのだろう。相も変わらぬ国民性なのである。
昨夕に東京在住の学生時代の友人から、札幌に出張するので、久しぶりに会いたい、と連絡があった。前回会ったのが10数年前であり、サークルで同じカマの飯を食った仲なので楽しみにしていたが、今日になって再連絡があり、早朝の電車が異常な行列で空港までたどり着けず、出張は順延。我家への訪問は困難になったとか。
夕方のニュースで電車が極端な間引き運転だったことを知る。これでは無理だ。
当分は無用な外出を控え、娯楽も自重。社会の生産的活動は停滞し、まるで戦時中のような耐乏生活を強いられそうだが、ジタバタせずにひっそりと自室で叙情歌でも歌っているのが賢明のようだ。