2011年3月28日月曜日

ドアホンターミナル設置

 ネットオークションで格安落札したドアホンターミナルが今日届いたので、さっそく取付けた。
 これまでのパイオニア製ターミナルには100V電源が必要だったが、今回のサンヨー製には電源ケーブルがない。不思議に思って取説を調べてみたら、電源DC8Vは電話機から供給するそうで、不要とのこと。事前に消費電力情報を調べても、どうしても分からなかったが、ようやく納得した。

 取付けそのものは難しくなく、ドアホンからのケーブルをつなぎかえ、本体を壁に止めるだけ。あとは付属の専用6芯ケーブルでターミナルと電話機を接続すればよい。(写真左下に写っているのは電話用の雷サージ機器)
 ちなみに、LAN配線と同様、100V電源直結でないタイプのインタホン配線は無資格で工事できる。


 電話機本体でドアホン設定をオンにし、テストしてみると、普通に通話できた。玄関に設置のドアホンはパイオニア製のままで、推奨メーカーには含まれてなく、多少の不安はあったが、問題なく作動した。
出力インピーダンス600Ωの2芯であればメーカーを問わず使えるらしい
 ネット電話(ヤフーBBフォン)もこれまで通りに使えた。
 今回の交換作業により、これまでインタホン代わりに使っていた電話機2台のほか、ターミナル本体の電源まで不要になったので、浮いた年間電力量は当初の見込みを上回って62.2kWh(北電の場合で1,560円/年)となった。投資費用は2年で回収でき、節電にもなる。たまたまネットオークションで見つけた機材だったが、いいタイミングの決断だった。

 ドアホンと電話機を兼用させるターミナルは、どのメーカーでも発売されているようだ。ビデオホンにも対応していて、使ってみると便利このうえないものだが、ほとんど見かけない。
 おそらく設計する側の知識不足ではないか。新築時に設置するのが最も簡単なので、住み手の側から要求してはどうだろうか。

2011年3月27日日曜日

LED自転車ライトを自作

 雪に埋もれていた妻の自転車を整備し、夜に走行テストをした際、備付けのダイナモ式ライトを起動させようとしたが、全く機能しない。調べてみたら、完全に壊れて修理不可能な状態だった。
 ダイナモ式ライトは電池不要だが、車輪の回転で発電させる仕組みなので、ペダルが重くなるのが大きな欠点だ。20歳のときに自転車で日本一周した際には、20Kgほどの荷物を積んだので、ペダルが重くなるのを避け、電池式のライトを装備して走った。

 実際にライトを点けて走る場面と時間はごく限られているので、電池式のライトでもあまり問題はない。消費電力の少ないLEDライトが安く手に入るようになったいま、自転車のライトはすべて乾電池式にすべきかと思う。


 いつものようにネット通販で自転車用のLEDライトを調べてみたら、製品としてあるにはあるが、どれも高価で数千円はする。最も安いのが一般の懐中電灯が装着可能なライトホルダーで、ライトは付属してないが、これでも700円近くする。
 防水面の問題はあるが、小型のLED懐中電灯が100円ショップで簡単に手に入る。ホルダーを何とか工夫し、自作することにした。
 ネット上でも同じ理由で、手作りに挑戦している人が多数いた。それらを参考にしつつ、手持ちの材料を活かしてあれこれ試行錯誤。「イレクター」というパイプ部材の部品を使い、既存のダイナモ付ライトを外したあとにそのまま取付ける手法にようやくたどり着いた。
 いつもながら、この考える時間が非常に楽しい。DIYの大きな魅力である。

 使ったのは、「イレクター・J-118A」というパイプ用接続部品と、100円ショップダイソーで買った「LEDライト・D-011」。ちなみに、LEDライトは手持ちの分と同じタイプの色違いなので、部品や電池の相互融通が効く。
 ライトはアルミ製で錆びにくいが、電池を入れるネジ部の防水に不安がある。そこでここをビニールテープで何重にも巻き、同時に一回り太いイレクター内径に合わせることにした。


 取付けネジ部とライト固定用、そしてライト端部のスイッチ操作のためにイレクター接続部品に3カ所穴を開けたが、プラスチック製なので作業は難しくない。ライト本体はイレクター接続部品で極力隠すようにし、防水や耐衝撃に配慮した。
 LEDライト以外は手持ちの部材を転用したので、使ったのは105円。電池も含めてすべて買いそろえても費用は300円以下だ。

 完成後、さっそく点灯テストをしてみたが、明るさは充分。問題なく走れる。LEDライトは単4電池3本を使うが、連続点灯で40時間使えるという。切り忘れでもしない限り、電池切れは当分心配しなくてよさそうだ。
 防水面の評価はまだ未知数で、外に放置して問題がないか、しばらく様子をみたい。

2011年3月26日土曜日

近々両用メガネ

 メガネは外用(車の運転用)と室内用の2種類持っているが、6年間使い続けた室内用のメガネの傷みがひどく、度も少し合わない感じになってきたので、作り直すことにした。

 外用は普通の遠近両用メガネで、遠方は視力1.2を確保しつつ、手元もある程度見える。対して室内用は、「近々両用メガネ」と呼ばれるもので、手元の読書やパソコンが最も見やすいように調整しつつ、やや遠方(1.5Mほど)のテレビ等もクリアに見られる。
 仕事も趣味もパソコン使用が基本なので、圧倒的に使うのは室内用メガネで、その分傷みも激しい。


 今回は近くのスーパー内にある安売りメガネ店を初めて利用してみた。やや不安はあったが、厳密な検眼もやってくれ、乱視も入った特殊レンズながら、セット一式1万円という格安料金だった。
 フレームは中国製だが、これまでと同じ青味がかったチャコールグレーで、日本製と大きな差はない。これまでは下枠のないタイプで、レンガなどの固い床に落とすとレンズが欠けるという問題があったので、今回は全周が枠のノーマルなタイプにした。

 検眼してもらったら、なぜか乱視が少し改善されていて、逆に近視が少し進んでいた。加齢によってピント調節機能が弱っていて、「近々両用メガネ」が必要な理由はそこにある。
 しかし、老眼用の凸レンズは当分必要ない。あくまで近視乱視用のメガネである。

2011年3月25日金曜日

あなたが寝てる間に…

 震災前に録画してあった「あなたが寝てる間に…」という洋画を観た。サンドラ・ブロック主演のハリウッド映画で、基本的にはラブストーリーだが、兄→弟へと主人公の気持ちが変化して行く過程が無理なく描かれていて、なかなか面白く観た。
 偶然や事件が起きるのはドラマや映画の常で、ごく短い時間に男女が恋に落ちるのも、現実にはあることなのでうなずける。しかし、問題はその過程で、シナリオや演出に無理があると、観る側としては素直に入り込めない。

 撮影時のサンドラ・ブロックは25歳くらいかなと思っていたら、何と30歳を過ぎていた。しかし、両親をなくして孤独ではあるが、夢を捨てずにひたむきに生きる女性を実に愛らしく、そして魅力的に演じている。
 最近では「イルマーレ」のアメリカ版にも出ているらしい。タイムスリップ物の異色映画だが、元祖韓国版は以前にテレビで観た。彼女が出ているなら、TSUTAYAで借りてこようかな、という気持ちにちょっとなった。
 さらに驚くべきは、彼女は東日本大震災にあたり、100万ドル(8千万円)を早々と寄付していることだ。ヨン様の10億ウォン(7300万円)寄付、巨人のラミレス選手の100万ドル寄付にもびっくりしたが、彼らは日本と関係が深く、「お世話になった日本のために」と、共に語っている。

 サンドラ・ブロックはそれほど日本と深い関わりがあるとは思えない。調べてみたら、彼女は過去にも世界中の災害で4度、それぞれ100万ドルを寄付している。
 勝手な推測だが、「いまの自分があるのは、受け入れてくれた社会と人々があるから」という意識が強いのだろう。人は社会と関わらずに生きてはいけない。お金は無理としても、その精神だけは見習いたいと思う。

2011年3月23日水曜日

さらなる節電

 今夜のNHKニュースでも節電に関し、かなり危機感をあおっていたが、決して脅しではないだろう。即効の解決策はなく、首都圏ではむこう数年間は電力不足が続き、計画停電を始めとする対策が続くのは確実のようだ。
 水道水にまで放射能が紛れ込む事態で、可能な方は本気で首都圏から逃げ出すことを考えたほうがよいかもしれない。

 待機電力カットは節電に相当の効果があることは以前にもふれたが、我が家でもまだやり残しがあるのでは?と、じっくり検討した結果、インタホンと電話を兼用させると、年間で約44kWh(北電の場合で1,100円/年)の節電になることが分かった。
 11年前の新築時には、パイオニア製の電話とインタホンをターミナルで連動させ、ずっと電話とインタホンを兼用して使ってきた。この方式だと余分な機器がいらず、電気代もかなり節約できる。
 ところが昨年5月にFAXが壊れて買い換えた結果、これまで使っていたパイオニア製のターミナルが機能しなくなった。おそらくは相性の問題だが、やむなくパイオニア製の電話をインタホンの代用として使っていた。つまり、我が家には合計4台の電話機があり、それぞれACアダプターで24時間電気を使っている。
 ターミナルを新しいFAXと同じサンヨー製に買い換えれば、以前のようにインタホンと電話を兼用可能で、パイオニア製の2台の電話機が不要になる。この電気量が合計で年間約44kWhなのだ。

 アマゾンだとサンヨー製のターミナルは8,000円近くもして、これが買い換えをためらっていた大きな理由。ところがネットオークションを調べてみたら、たまたま倒産品の新品が送料共3,000円で出品されていた。偶然だが、何となく機の流れを感じる。
 私の好きな「即決価格」(一発落札)だったので、迷わず落札した。これでまた少し電気代が減る。

2011年3月22日火曜日

節電の意味

「節電して被災地を支援しよう」という主旨のチェーンメールが出回っているそうで、地元紙で注意を呼びかけていた。北海道からは60万KW/日の余剰電力を東北電力に送っているが、現状では設備面からこれが限界とかで、「北海道でいくら節電しても、直接被災地や首都圏の支援にはならない」との見解。
 同じ理屈で、周波数の異なる西日本から首都圏への最大送電能力も現状では100万KW/日が限度とかで、各自のささやかな節電はほとんど無意味、との考えらしい。しかし、本当にそれでいいのか?

 北海道も西日本もとりあえずは電力不足の事態に陥っていない。しかし、長期的に見て、今後日本の電力開発計画は大きく方向転換せざるを得ないだろう。常識的にみて、新規原発計画は無期限停止、既存の原発も安全対策に巨額の投資をせざるを得なく、それがたちまち電気代に跳ね返ってくる。
 安価で安全な代替発電の決定打はなく、行き着くところは企業と一般家庭も交えた全国レベルでの節電対策になるのは目に見えている。貴重な電気を分け合って使う時代の到来で、今回の災害を機に、節電運動を全国レベルで啓発、展開するのが新聞本来の役目ではないのか。
 調べてみたら、標準的な家庭の年間電気使用量は5,607kWh(月平均467kWh)とのこと。(出典:エネルギー経済統計要覧2009年版
 気になって我が家の昨年の合計電気使用量を試算してみたら、3,095kWhだった。(月平均258kWh)平均値の55%で、炊事はすべてIHヒーターで行い、暖房に一定の電気を使う寒冷地という条件下では、かなり少ない数値ではないか。

 さらに調べてみたら、家庭内で消費電力量の多い電気器具のランクは以下の通りだった。(東京電力の例)

・エアコン 25%
・冷蔵庫 16%
・照明器具 16%
・テレビ 10%
・電気カーペット 4%
・温水洗浄便器 4%
・衣類乾燥機 3%
・食器洗浄乾燥機 2%

 単体での消費電力が大きく、使用時間が長いほど負担増となる。私が日頃から目の敵にしている「温水洗浄便器」と「食器洗浄乾燥機」は予想通りランクインしていた。
 上記8品目のうち、我が家で所有しているのは、「冷蔵庫」「照明器具」「テレビ」の3つだけ。IHヒーターは単体では電気を使うが、使用時間が短いのでランク外である。今冬に消費電力800Wの電動除雪機を買ったが、運転時間は月累計2時間程度なので、同じ理屈からさほどの負担にはなっていない。
(現実に、今冬の電気使用量は昨冬よりも減っている)
 使用時間は短くとも、消費電力の大きい機器を同時に使ってしまうと、ピーク電力として発電所に負荷をかけてしまう。
 私が台所に立つときはIHヒーターと電子レンジを同時に起動させないよう気を配っているが、妻に聞いてみたら、やはり左右のIHヒーターを同時に起動させないように気をつけているそうだ。これからの消費者には、そんな細かい気配りも必要になるだろう。

 計画停電は夏場のピーク時にはさらに悲惨な状況に変わってゆくに違いなく、果たして首都圏の人々はそれに耐えられるのか心配になってくる。
 月々の電気使用量の上限値を各家庭や企業で決め、割当制にするようなシステムが必要かもしれない。節約して割当分が余った家庭や企業は、足りない家庭や企業にそれを有料で譲渡する。CO2排出量を国同士で売買する方式と同じで、節約する者が報われる仕組みである。
 いずれにしても大量の電力を消費し、無節操に利便性を追求する生活は、そう遠くない将来に終わりを告げるだろう。

2011年3月21日月曜日

携帯型灯油ストーブ

 彼岸の中日だが、墓参りには行かなかった。決して忘れているわけではなく、春の墓参りはGW時期にすることにしている。
 春の彼岸には一昨年、九州に転勤となる長男の願いで、一度お参りに行ったことがある。しかし、山間部にある墓は予想を越える雪。持参したスコップで掘り起こすのに手間どり、墓の数カ所を傷つけて修復にかなりの費用がかかった苦い経験がある。

 東日本大震災でも避難後に位牌を取りに戻ったり、仏壇があるからと避難をこばみ、命を落とした方々が多数いるようだ。しかし、生者あってこその死者ではないか。「生者のあらん限り、死者は生きん」である。まずは生き残ることだ。


 引き続き防災用品のメンテナンスに励む。今日は携帯型の灯油ストーブを点検した。こちらも先日ふれたハリケーンランプと同様、20歳のときに敢行した自転車日本一周の折に「秀岳荘」という登山用品店で買ったもの。
「スベア121L」というスウェーデン製の品で、42年前で確か6,000円くらいした。軍用の携行型ストーブを作っていた会社だったので、堅牢さは抜群。20年程前に灯油注入口がエア漏れして修理したが、いまでも現役で使っている。

 学生時代に豪雪で電柱がバタバタ倒れ、数日間停電したことがある。大学は休講、学寮の食事もパンとオニギリだけになり、街の店からは保存食が消えた。いまの被災地の状況と似ているが、私はこのストーブで買い置きしてあったラーメン等を作って自炊し、あまり不便は感じなかった。
(水道は山の湧き水を水源にしていて、普通に使えた)
 同じ部屋やサークルの友人の分まで作ってやり、非常に喜ばれた記憶がある。

 灯油は400ml入り、連続でおよそ2.5時間運転可能。火力は非常に強く、煮炊きはもちろん、暖房にも使える。
 燃料が灯油なので受け皿の部分にアルコールを入れ、数分間の予熱をしてやる必要がある。(私は引火の心配がない固形アルコールを使っている)そこがやや面倒だが、ホワイトガソリンを燃料としているタイプより引火しにくく、はるかに安全であるし、燃料の入手も簡単。
 自転車日本一周の際には照明ランプとストーブの選択にかなり頭を悩ませたが、「同じ燃料を使える」「燃料が入手しやすい」「燃料保管時の引火危険性が少ない」という3つの理由から、灯油を燃料とするもので統一した。
 調べてみたら、このストーブはすでに生産中止で入手不可能だが、「マナスル」という日本メーカーが同じタイプの灯油ストーブをまだ生産している。
 価格は1万円強。災害時には相当役立つと確信するが、乾電池や懐中電灯と同様、いまは品切れで入手困難のようである。興味のある方は、ほとぼりが冷めた時期に調査されたし。

 このストーブの存在は当時同室だった登山部の先輩に教えてもらった。山登りをする人は、サバイバル生活に関するノウハウをたくさん持っている。
「どんな状況で火を使う事態になるか分からないから、暗闇でもストーブを組立てて点火できる訓練をしておけ」と言われ、自転車旅行前に何度も練習した。
 今日やってみたら、手探りでもちゃんと組立てることができた。「雀百まで踊り忘れず」である。

2011年3月20日日曜日

電池の備え

 大地震を機に、防災用品の備えを順に点検中。今日は電池とその関連品のチェックをやった。
 電池は懐中電灯と携帯ラジオに主として使われるが、備蓄分をすべて数えてみたら、以下のようになった。

・単4(LED懐中電灯に使用):10本(うち2本がエネループ)
・単3(携帯ラジオに使用):21本(うち10本がエネループ)
・単1(大型懐中電灯に使用):6本

 基本はすべて長寿命のアルカリ電池だが、一部はさらに長寿命で繰返し充電可能なエネループ電池。このエネループ電池は変換ホルダーで単1電池としても使え、いわゆる「つぶしの効く電池」である。


 常時本体にセットしてある分をのぞき、基本的には携行型のPA用として準備したもの。弾き語りライブの当日になって電池切れとなった苦い経験があるので、高性能な電池を少しずつ準備するようになった。
 結果的に防災時の備えにもなっているだけで、決して「買いだめ」に走ったわけではない。

 これらの電池は肝心なときに使えなくては意味がないので、100円ショップで買ったバッテリーチェッカー(中央の赤い品)で随時電圧チェックをし、充電可能なものは再充電、アルカリ電池は買い換え補充をやっている。
 バッテリーチェッカーの横にある四角い電池は携帯電話用の予備充電池で、妻と同じAU製で互換性がある。こちらも常時満タン状態でしまってある。

 電池全般はライブ用として、懐中電灯は夜の探し物に、携帯ラジオは野球のナイターが延長になったときになど、それぞれ普段の生活でも使っている。防災用品は単に準備してしまっておくのではなく、普段の生活でもときどき使ってやるのがメンテナンス面で望ましいと思う。
 著名人の震災義援金の寄付が相次いでいる。企業を含め、どこか専門の閲覧サイトを造って欲しいとも思うが、イチロー選手1億円、松井秀喜選手5000万円を始め、野球関連では多数。
 特筆すべきは日本ハムの中田翔選手の100万円。彼はまだ1軍定着すらしていない低年棒のはずで、そんなに出して大丈夫か?と心配になってくる。しかし、若いのによい心がけと感心する。今年の活躍を祈ろう。

 巨人は球団として3000万円寄付したが、高年棒の選手が多数いるにも関わらず、個人としては皆無に近い。何らかの規制でもあるのだろうか?匿名でひっそり行動しているのか?解せない。
 サッカー界は年棒が野球に比べて低いので、個人としての寄付は少なく、街頭募金が中心である。しかしあの中田英寿氏が台湾のチャリティーで20億円の義援金集めに寄与したという。

 そのほか、芸能界では久米宏2億円、安室奈美恵5000万円、浜崎あゆみ3500万など、これまた多数。しかし、野球同様に「あの高収入の方は?」という人々の名が全く登場しないのが不思議。こちらもひっそり匿名派が多いのか?
 寄付したことで不快感を持つ人は、今回の災害に限ってはほとんどいないはず。著名人の寄付は他に対する影響も大きいので、堂々と表明して欲しいと思う。

2011年3月19日土曜日

ハリケーンランプ

 引き続き仕事に集中。夕方までにだいたい片がついたので、このところの運動不足を解消するべく、車庫屋根に昇って氷塊となった雪の固まりをスコップですべて落とした。
 彼岸近くにもなるとさすがに暖気で雪は解けるばかりで、車庫屋根からあちこちに雪解け水がしたたり落ちて、始末が悪い。毎年春先の定例行事である。

 油断をしてこの時期に落下してはいけないので、慎重に作業。2月上旬に傷めた腰はようやく癒えたが、3月上旬に1時間以上も続けて電動除雪機で作業した際、傷めた右手首は腱鞘炎状態で、まだ少し痛む。
 終了後、妻からリクエストの出ていた自転車を車庫の陰から引っ張りだす。車庫と雪山の間にはかなりの隙間があって、案外簡単に取り出せた。豪雪の中に埋もれたままだったが、自転車は特に壊れてもいず、空気を入れ直すだけで整備は済んだ。

 夕食後、道路の偵察をかねて、妻の通勤路を勤め先まで自転車で走ってみた。一部に雪が残っていたり、極端に狭くなっている箇所もあったが、ルートを選べばひとまず自転車で行ける。4ヶ月以上もの雪道に飽き飽きしている妻にとっては朗報である。


 しばらくテストをしていなかったアウトドア用の灯油ランプに注油し、点火してみた。写真のように、何ら問題なく点灯。20歳のときに敢行した自転車日本一周の折に「秀岳荘」という登山用品店で買ったもの。かれこれ42年にもなるが、いまだに現役である。
(別所ランプ製作所の「WINGED WHEEL 350」という製品)
 小さいが、満タンにすれば5-6時間は軽く持つ。自転車旅行にはもちろん、学生時代に数回あった停電や、結婚後の家族キャンプでも大活躍した。構造はシンプルだが、故障知らずで丈夫。防災用品としても欠かせない。
 11歳まで電気のない過疎地で育ったが、当時の自宅にもこの灯油ランプはあった。確か「安全ランプ」と呼んでいて、居間に吊るしていた笠つきの大型のランプとは区別していた。
(実際には「ハリケーンランプ」と呼ぶらしい)
 持ち運び可能で、夜に離れたトイレに行く際などに使っていた。雨風に強く、安全性が比較的高いので、たぶんそんな呼び方をしていたのだろう。

 文化とは程遠い生活だったが、おかげでかなりの不自由さにも耐える逞しさを培うことができたと思っている。

2011年3月18日金曜日

ひとまず人生は続く

 東京に住む姪が無事に男子出産との知らせが、妻の妹から届いた。何と運命的な時期に命を受けたことか。しかし、何となく心休まるニュースだ。
 首都圏は停電騒動で大変らしい。しかし、被災地も含めて生きてさえいれば、ひとまず人生は続いている。まずは、いまある日々を生きるべし。

 地震以後、個人のブログや掲示板を注意深く閲覧しているが、奇妙に能弁になったブログと、急に寡黙になったブログ、そしていつもと変わらぬ調子で書き綴ってる三様の別れ方だ。
 私のように毎日書くことを旨としているサイトは、おおむね自分のペースを守っているが、地震を機にパッタリと筆が止まってしまったサイトも少なくない。もしかすると「地震ショック」というヤツかもしれない。
 急に能弁になったサイトも、おそらくは逆の意味での「地震ショック」だろう。
 被災地は今後ゆるやかに落ち着いてゆくと思われるが、原発事故は収拾が難しいような予感がする。仮に電源が仮設で回復しても、あのダメージでは冷却機器類はまともに動かないのではないか。
 冷却機器類が正常に動かなければ、燃料棒が完全に冷えるまで、1年以上も毎日ホースで水をかけ続けるしかなく、いずれ追いつかなくなるのは目に見えている。命がけで作業中の方々には敬意を表するが、最悪の事態が仮に訪れても、受け止める心の準備だけはしておいたほうが良さそうだ。

 通販の「ジャパネットたかた」が、被災地に5億円と電池セット1万台を寄付したらしい。ほかにもいろいろとやっている。「客」に支えられていまがあることを、ちゃんと分かっている。単なるカネもうけ企業ではないということ。

2011年3月17日木曜日

何もしない

 日本ハムのダルビッシュ投手が被災地に5000万円もの浄財を寄付するらしい。地元北海道チームの選手なので以前から応援していたが、ますます好きになった。
 もっと高い年棒をもらっている日本人大リーガーも多数いるが、いまのところ誰も寄付を申し出ていない。ただ口で心配するだけなら、子供でもできる。日本人としての誇りと気概を持っているなら、具体的な行動をぜひとって欲しい。

 彼は地震直後から、「日本の危機に、野球などやっていられない」「野球で励ますという論理は詭弁で、まだそんな時期ではない」とコメントし、開幕の順延を強く訴えていた。
 まだ弱冠24歳だが、人生で目指すものが違うのだろう。被災地の心情など委細構わず、身勝手論理で強引に開幕に踏み切ろうとするどこぞの老害オーナーとは、人間の器が違う。
 地震で皆がやる気をなくしているのかと思っていたら、昨夜遅くに急ぎの仕事が首都圏の取引先から入った。停電にもめげず、それなりに企業活動は続いているようだ。
 終日どこにも出かけず、粛々と仕事にまい進した。時期外れの寒波で室温は日中でも20度を切ったが、被災地の人々の心情を思いやり、灯油節約の意味もあって、夕方5時まで暖房を点けずに過ごした。

 明日で地震後1週間となり、テレビもじょじょに日常番組に戻りつつあるが、当分は外に向けた華美なイベントには興味が湧かないし、参加する気にもなれない。しばらくはチャリティーに名を借りたイベントも含め、「無用なエネルギーを消費する特別な活動は何もしない」を社会全体で徹底してはどうだろうか。
 Jリーグはすでに3月一杯の公式戦中止を決めた。その流れからすれば、センバツ高校野球は当然中止、プロ野球も4月以降開幕が被災地を中心とする国民感情に沿ったものだろう。
 自然保護活動にも似た側面はあるが、時に「何もしないこと」が、最も適切な行動であることは少なくない。

2011年3月16日水曜日

義援金を送金

 妻の目の検診で近くの眼科に行く。待っている間、近隣のホームセンターでFAXロール紙を1本だけ調達。先月の忙しさで、ストック分がなくなった。「ストック分がなくなると、ワンセット分だけを買い置く」が日頃の基本姿勢である。

 店内を散策してみたが、情報通り電池類はほぼ品切れ。トイレットペーパーやティッシュ、紙オムツ類、飲料水等は買いだめが激しく、「1人1個まで」と注意書きがあるにも関わらず、家族総動員で山のように積み込んでいる人々が多数いた。
 40年ほど前に経験したオイルショックと全く同じ、おぞましい光景である。官房長官が「買いだめしないで!」と必死で訴えていたが、逆のアナウンス効果ではないのか。


 近くのスーパーATMで金を引き出し、これまた近くの郵便局で地震の義援金を送金する。ネットで情報収集し、阪神大震災の折にも利用した信頼性の高い日本赤十字社に決めた。
 窓口周辺でウロウロしていたら、局長とおぼしき人が「義援金ですか?どちらに送金されますか?」と尋ねてきた。日本赤十字社ですと応えると、それならこれを使ってくださいと、振込先が記入済の振替伝票を手渡された。
 事前に職員が書込んだそうで、郵便局には何の利益もないサービス事務だが、その心意気に頭が下がった。

 こちらの住所氏名等と金額を記入し、手続は簡単に終了。金額は阪神大震災と同じ5,000円である。妻は前回2,000円だったが、今回は5,000円にアップ。二人合わせて1万円とした。それぞれ自分の収入や気持ちと照らし合わせた金額である。
 支援方法にはいろいろあると思うが、食料にも薬にもガソリンにも衣類にも変わり得るのが、やはりお金。ダブついても相手が困らない。古着類も一時的には悪くはないが、いずれ邪魔になるだろう。
 かのヨン様を始めとする韓流スターも、いち早く現金を寄付している。日本ではあのAKBプロジェクトが5億円寄付を早々に表明。何とメンバーの進言から実現したそうで、ただのチャラチャラしたアイドルではなかったということ。見直した。

 チャリティコンサートや街頭募金も不特定多数から金を募る面では悪くないと思うが、まずはめいめいが自分の金をできる範囲で寄付すべきだろう。

・義援金送付先(手数料無料/郵便局窓口で16時まで受付)
 口座名義:日本赤十字社 東北関東大震災義援金
 口座番号:00140-8-507

2011年3月14日月曜日

ジタバタしない

 妻のパスポートが更新時期だというので、母の様子を見がてら、車で都心にでかけた。

 2月は除雪と仕事に忙しく、顔を全く出せなかったが、母は非常に元気でいた。地震の際もたいして揺れなかったとか。地盤のよい地域に建つ新しい鉄筋コンクリート造の施設なので、その点では安心である。
 施設にもだいぶ慣れたようで、最近届いた生活計画書では、「今月から軽作業のお手伝いをしていただきます」とあったが、今日は入居者の使うオシボリの袋詰め作業を、仲良しのTさんと一緒にやっている真っ最中だった。
 すでに91歳だが、何もせずに漫然と時を重ねているより、少しでも誰かの役に立つことをしているほうがいいに決まっている。母も生き生きと作業していた。


 いつも給油しているGSのガソリン価格が昨日は144円で、今日は147円に上がっていた。情報によると、津波に襲われた釧路では売り切れ続出らしい。地震と中東情勢のダブルパンチによるもので、思わず給油しそうになったが、まだ4割近く残量があり、取り立てて遠出の予定もないので、ぐっとこらえた。
 地震に伴う「計画停電」で、首都圏ではガソリンはもとより、食料や日用品の買いだめ騒動が早くも起きているらしい。オイルショックや米騒動の折にも、私は買いだめという無意味な行動を一切しなかった。

 今回の地震に対して、「アメリカは9.11同時多発テロで変わった。日本人の生き方も3.11大震災で大きく変わるに違いない」と説いている識者がいたが、私はそうは思っていない。
 普段は備えず、事が起きてからあわてて「買いだめ」という、自分本意の行動に走る。それが品不足と高騰に拍車をかける。過去の失敗から少しも学んでいず、同じ過ちを繰り返している。
 まだ随分先の話だが、今回の災害もいざ乗り越えてしまえば、また元のように利益追求再優先の生活スタイルに還ってしまうのだろう。相も変わらぬ国民性なのである。
 昨夕に東京在住の学生時代の友人から、札幌に出張するので、久しぶりに会いたい、と連絡があった。前回会ったのが10数年前であり、サークルで同じカマの飯を食った仲なので楽しみにしていたが、今日になって再連絡があり、早朝の電車が異常な行列で空港までたどり着けず、出張は順延。我家への訪問は困難になったとか。
 夕方のニュースで電車が極端な間引き運転だったことを知る。これでは無理だ。

 当分は無用な外出を控え、娯楽も自重。社会の生産的活動は停滞し、まるで戦時中のような耐乏生活を強いられそうだが、ジタバタせずにひっそりと自室で叙情歌でも歌っているのが賢明のようだ。

2011年3月13日日曜日

災害時の備え

 パソコンやネットワーク関連に限らず、不測の災害に備えて、日頃からいろいろと準備している。

ウッドデッキに炭
 炊事はIHヒーターなので、停電になると煮炊きができない。非常時の煮炊き用と屋内暖房用に、常時5-10Kgを専用容器内に備蓄。夏はこれをBBQに使っているが、5Kgを切ると補充する。

床下にキャンプ用ストーブ
 石油で燃える圧力式。かってアウトドアライフで使ったものだが、ときどき点検して実際に燃焼テストもしている。石油に余裕があれば、暖房用にもなる。

石油ランプ3台
 2階吹抜け部に飾りをかねて置いてある。こちらもアウトドアで使ったもの。石油は別の容器に入れて1Lほどを常時保存してある。大型のランプは、暖房もかねている。

電池やローソク、懐中電灯、ラジオ、ライターなど
 電池はPA用として常時備蓄があり、ローソクは結婚式に使った巨大な物がほぼ手つかずである。炊事、暖房、照明などの備品は、タイプの違うものを取り混ぜて備えている。

食料、水
 乾麺類を常時20食分は置いておくよう心がけている。水はトイレ洗浄用として浴槽に常時100L程度を貯めてあるが、飲料水は発泡酒をのぞいて1L程度しかなく、備蓄としては一番の弱点かもしれない。
 発泡酒はだいたいワンケース程度を常備してあり、いざとなれば立派な飲料水の代替品である。

 これらの備えは多くが、あくまで「家が壊れず、燃えず、流されずに残っていること」が前提である。いよいよとなれば、身ひとつでとにかく安全な場所に逃げる、というのが肝心のようだ。


 テレビで知ったが、高台で津波を免れた気仙沼のホテルが、地域住民にロビー等を無料開放していた。ローソクや食料も無償提供している。
 地域の人は直接の客ではないが、ホテル業は世の中に対する依存度が高い。目先の利害にとらわれず、非常時の人間愛のようなもので対処した経営主に、志の高さを感じる。
「塞翁が馬」という言葉があるが、いつかホテルの経営主には、全く別の形で「お返し」があるかもしれない。いや、きっとあると信じたい。
 これに限らず、災害時には人の生き方がはっきり見えて、興味深い。たとえばWEB上のブログ等でも、災害には全くふれなかったり、たとえふれても災害とは無縁の個人的な書き込みに終始しているサイトもある。
 対して、災害に敏感に反応し、いろいろと有効な呼びかけをしているサイトもある。人生さまざまだ。

 実は私も目下「自粛組」であるかもしれない。「災害見舞」をいちはやくWEB上に掲げたサイトもあって頭が下がるが、私は単なる個人なので、さすがにそこまではしない。しかし、ブログでいつものようなオアソビ系のネタは、しばし自重しようと思っているし、そうすべきだろう。
 スポーツや音楽を始めとする娯楽や遊びは、世の中が平穏であればこそやれる活動である。当分は一層の節電、節約に努め、間接的にでも災害地の支援としたい。

2011年3月12日土曜日

地震より怖い津波

 仕事は昨夜未明に納めたので、今日は終日テレビに張り付いて地震映像を眺めていた。真横には1階に移動したばかりのノートパソコンも置き、併行しつつ情報チェック。
 いくつか気づいたことがあったが、この地震を10年前に予知していた東北大学の地質学教授がいて驚いた。869年に今回と同じ三陸沖で起きた「貞観津波」という災害を調査し、過去3度に渡って同じ地区で同じような災害が800-1100年毎に繰返し起きているという事実を、堆積地層からひも解いている。
 前回の869年からすでに1100年余が過ぎ、「同じ災害がいつおきてもおかしくない状況」と警告していた。

 当時はまだ人口の少ない時代だが、この地震と津波で1,000人の人が亡くなったと記録されている。
 映像を見て思ったが、建築学的配慮で住宅の耐震強度を増すことはできても、10メートルを超す津波の前には無力だな、とつくづく思った。真新しい家々がいとも簡単に波にさらわれてゆき、なすすべもない。
 地震も怖いが、もっと怖いのは、それに伴う津波だと実感した。
 地デジやBSの全チャンネルを通して、丸一日CMが全くないことにも驚いた。阪神大震災のときはどうだったろうかと記憶をたどっても、思い出せない。未曾有の災害なのでCMどころではないはずだが、NHKはともかく、民放はよくやっていると思う。

 原発に対する報道がいまひとつ信頼度に欠ける印象で、いただけない。爆発の瞬間の映像をBS4チャンネル(BS日テレ)だけが繰返し放映していたのは、好感がもてた。
「無用な不安感をあおってはならない」という意図は理解できるが、情報はきちんと公開しなくてはならない。
「原子炉から放射性物質が漏出した懸念はない」と枝野官房長官は会見していたが、直後の近隣民間人の無作為抽出調査で、全員(3人)が被爆を確認した、という矛盾。この放射性物質はいったいどこから?

 どっちにしても、今回の事故が今後の電力開発計画に大きく影響を及ぼすのは間違いない。政治と同じで、結局は国民の覚悟に関わってくるはず。
 工場や家庭の使用電力量に、今後何らかの制限が加わるかもしれない。たとえば食洗機や洗浄便器を使わない「節電耐乏生活」に、利便に慣れきった「文明人」が、果たして耐えられるのか?

2011年3月11日金曜日

家族全員無事

 歯科と皮膚科の両方に行く時間が迫ったので、3時のお茶を飲んでから出かけようと珈琲メーカーをセットしていたら、「何だか揺れてる」と、居間のベンチに座っていた妻が言う。
「え?そうかい、オレは何も感じないけど…」と応じていたら、居間のペンダントライトが確かにゆらゆら揺れている。
「あれ、ホントだね…」と言っているうち、揺れはだんだん激しくなってきた。身に危険を感じたので、1階では一番安全な脱衣室内に妻と二人で逃げ込んだ。

 揺れは非常に大きくて長く、3分間は続いただろうか。すぐにテレビをNHKに変えると、東北で大地震が起きたようだ。珈琲を飲みながらしばらく様子を見たが、まだ全貌が不明であり、余震の気配もないので、予定通りに病院に出かけた。
 大地震直後のせいか、病院はガラガラ。呼ばれるまで待合室のテレビに釘付けだったが、津波で流される車や家の様子をライブで見て、被害の甚大さに驚く。診察室にはテレビがないので、皮膚科と歯科の担当医とは、症状よりもまず地震被害情報の交換となった。
 診察終了後の帰路も、道は奇妙に空いていた。そのまま近所の大森珈琲に行ったが、ここもさすがに今日は空いている。マスターをほぼ独占状態で、いつもよりつい長居してしまう。

 家に戻ってテレビを見ていたら、首都圏でも震度6を記録し、死者もかなり出たらしい。道南の沿岸都市と首都圏に住む子供たちの安否が気がかりだったが、携帯も家電も全く通じない。
 気をもんでいたら、夕食をはさんで二人の子供から「無事です」と、相次いでメールが届いた。親に自分の安否をいち早く知らせてくれた気遣いがうれしく、読みながら胸に熱い思いがこみあげた。
 まるで親バカではないかと思っていたら、妻も全く同じ気持ちだったようで、横で涙を流している。

 岩手には割と親しい放送関係の知人が住んでいる。情報が錯綜していて、安否は全く不明。私の娘のような年齢の方だが、ご両親は北海道在住である。連絡はついただろうかと、気がかりだ。
 災害時には携帯、家電、携帯メールは全く機能せず、有効なのはPCメールであることを身をもって知った。海外にいようが国内に身を潜めていようが、この世は常に危険と背中合わせであるらしい。諸行無常である。
 ところで、今回の予期せぬ大地震で、衆議院解散や内閣総辞職、首相退陣などの可能性は、一気に遠のいた印象がする。与野党がいがみあって、互いのアラ探しに終始しているような状況ではないからで、こんな非常時にこそ、政治家は真に国民の側に立ち、一致団結して迅速かつ適切な対策をとるべきだろう。

 大地震は政治やそれを下支えする国民に対する、天が与えた大いなる試練とも言えるのではないか。

2011年3月10日木曜日

メールのCcとBcc

_先日のブログで、「WEBメールはデータ消失の可能性がローカルなPCよりもはるかに少ない」と記したが、それでも万一のことは考えられるので、Gmailとヤフーメールの両方に全く同じデータを保存するつもり、とも書いた。
 最近、ある方のブログで、Gmailに障害が起き、ごく一部のユーザーで一時的なデータ消失のトラブルがあったとか。やはりあり得ることなのだ。

 メール管理は完全にGmailに移行したが、送られてくるメールは何もしなくとも、ヤフーとGmailの両方にデータが残る設定になっている。問題は送信メールで、普通にGmailから送ると、データはGmail側にしか残らない。
 ヤフーメールから送信し、その都度ヤフーの受信箱に移動させ、再度Gmailに転送させる手段があるが、いかにも面倒だ。そもそも、送信メールの機能はGmailが数段優れている。できれば受信も送信もGmail1本で済ませたい。
_何かうまい方法はないかと考えていたら、どのメールでも標準でついている「Cc」あるいは、「Bcc」という設定のことを思い出した。
 通常のアドレス欄の下に開かれる窓だが、ここに自分のヤフーアドレスを記載しておけば、全く同じメールが同時にヤフーメールにも送信される。

「Cc」「Bcc」の意味を調べてみたら、それぞれ「カーボンコピー」「ブラインドカーボンコピー」だそうで、要するにメールのコピーを別のアドレス宛に送る、ということだ。コピー機が登場する以前に、カーボン紙を使って文書のコピーを作ったことに由来するらしい。
 ちなみに、「Bcc」は相手方にコピーをとったことを隠す機能があるとか。私の場合は自分宛なので、どっちでもいい感じだ。

 ともかくもこれによって、送信メールも全く同じデータが2つ保存可能となった。Gmail移行に関する諸設定は、ほぼ終わった感じがする。

2011年3月9日水曜日

図書館に寄贈

 3月は暇だと思っていたら、午前中に新規の仕事がFAXで入った。これが今月の初仕事。浮いたり沈んだりが仕事の定めである。珍しく納期に余裕があるので、午後から母の毎月の施設費の支払い手続に金融機関を回った。
 その足で10年前に出た自分の本2冊を地域センター図書館に寄贈しに行く。年末に共著で出した別の本を寄贈した折、単独で出した本の話題になり、そちらもぜひにとの要望があったので、大切に保存してあった分を持参した。


 1冊は国内の出版社から出たものだが、もう1冊は韓国語の翻訳版である。国内版はその図書館に置いていただくことを約束してくれたが、韓国版は札幌中央図書館の管轄だそうで、もしかすると対象外かもしれない、とのこと。
 子育てに関わる教育関連図書なので、潜在需要はあるはず。持っているのは記録としての1冊だけで充分なので、可能であれば寄贈したいのだが、結論としては一時預かり、ということに落ち着いた。
 この秋には62歳になる。いろいろな意味で人生の総まとめをする時期で、先を見据えつつ、日々を過ごしていきたいと思っている。
 ギター弾き語りを中心としたボランティア活動もその一環であり、一連の寄贈行為も例外ではない。世の中が自分にいろいろやってくれたからこそ、いま自分がこうして寝食足りて生きていられる。

 基本は自己の充足にあるが、その延長として社会に少しでも役立てるなら、これに勝る喜びはないし、そこにこそ、いまを生きる意味がある。

2011年3月8日火曜日

DIYサウンドホールカバー

 昨夜マイギター持参で歌った際、ライブハウスのマスターから、ハウリングするのはギターのサウンドホール(ボディ中央にある音響用の穴)にカバーがないせいでは?と指摘された。
 お店に常備のエレアコを見ると、確かにサウンドホールには樹脂製のカバーで蓋がしてある。ハウリングとは無縁で、昨日の時点ではギターとPAとの相性とばかり思っていた。実際、お店のギターとPAは同じヤマハ製で、相性は抜群である。

 しかし、今日になって妙に気になり、ネットでいろいろ調べてみたら、エレアコのハウリング対策として、サウンドホールカバーはかなりの効果があるらしいことが分かった。



 自分のギターでも試してみる価値は充分あると判断したが、価格は1,000円前後もして、それなり。買って効果があればよいが、ムダになる可能性もゼロではない。
 最近、可搬式ギタースタンドを自作したばかりなので、サウンドホールカバーも自分で作れるのでは?と考えた。
 要は穴を一時的に塞げばよく、いつでも取り外せる構造であること。さらには、ギターの塗装面に悪影響を及ぼさない材料であればいいはずだった。
 単純にボール紙を丸く切ってはめこむ気でいたら、絶好の丸い材料に思い当たった。不要になったCD媒体である。

 さっそくサイズを測ってみたら、直径12センチ。サウンドホールの直径が10センチなのでちょうど一回り大きく、ぴったりではないか。不要になったCDが何枚か捨てずにとってあったので、ギターの色と相性のよさそうな物を1枚選び、加工した。


 穴と全く同じ直径の厚紙を切り取り、CDの内側に接着材で固定すれば完成である。ギターのネック部分の幅が58ミリあり、ここだけはハサミでCDを切り欠いた。

 厚紙は1ミリ厚のイラストボードを2枚貼り合わせてみたが、どうもしっくり収まらない。固定が甘く、弾くうちに脱落してしまうのだ。ボディにテープ止めはしたくないので、他の材料をあれこれ見繕い、厚めの段ボールを試しに使ってみたら、これがうまい具合にはまる。
 材料そのものが固すぎず、アバウトな柔らかさが要求される。手持ちがなくて断念したが、3〜5ミリ厚くらいのコルクボードでも、おそらくうまくはまったと思う。しかし、段ボールでも充分使える。
 使ったCDは往年のMacOS7.5で、装着すると、どことなくアヤシイ雰囲気になる。デザインもなかなかよいが、もしかするとこれ自体に骨董的価値があるのかもしれない。

 自宅のPAで使った感じでは、何ら問題ない。イベントライブの前に、もう一度お店のPAでも試してみたい。
(その後、問題ないことを確認)
 当然だがカバー装着により、生音は全く響かなくなる。あくまでアンプ増幅としての機能に限定される。ハウリングが起きず、生音も強調したい場合には外しておくべきだろう。

2011年3月7日月曜日

ノージャンルの名曲

 近所のライブ酒場「Life」に出没。自称、「月曜日の男」である。来月、弾き語り限定のイベントを初めてやることが決まったそうで、自分のギターがお店のPAで、どのように機能するのか確かめてみたくなった。
 常用しているオベーションのギターは買って1年半になるが、自宅のPAだと音に大きな問題はないが、他の場所に持参すると音のバランスが悪くなることが時折ある。
 いつもはお店のギターを使わせてもらうが、マイギター持参となれば、ケースも当然必要だ。ギターケースは3種類持っているが、歩いて行くので、重いハードケースは不向き。
 軽くて背負えるセミハードケースを持っているが、こちらは緩衝材をふんだんに使っているので、図体がでかい。考えたすえ、最も小さくて軽いソフトケースを今回は使うことにした。

 ギターを買った際に付属していたもので、会社のロゴマーク入り。内側にある程度の緩衝材もついているが、肩掛け用のベルトが1本だけで、背負うことはできない。
 そこで、手持ちのセミハードケースについているベルトを1本外し、ソフトケース側のベルト取付部に金属リングを1個追加して、背負えるよう改造した。


 だいたいいつもの時間に店についたが、なぜか今夜も真弓ママが店にいた。この夜は作り立ての可搬式ギタースタンドの使用テストもかねていて、ソフトケースのポケットには譜面と共に、しっかり忍ばせてあった。
 写真下のように、案配良くお店の片隅に収まっている。なかなか使えるヤツである。

 前回、いきなりアルコールを飲んですっかり酔いが回ってしまったので、この夜はいつものペースで、最初はノンアルビールにする。真弓ママが帰り支度の途中だったので、前回リクエストのあった小椋佳の「木戸をあけて」を早々に歌った。
 その後、「冬のリヴィエラ」と「桃色吐息」を続けて歌う。「冬のリヴィエラ」は森進一の持ち歌だが、先ごろ別の店のライブで八代亜紀の「舟歌」を朗々と歌ったSさんに感化され、挑戦してみた初披露の曲。「桃色吐息」も似たような経緯から、以前に還暦ライブで歌った曲だが、両方とも好評だった。
 この種の「演歌でもフォークでもポップスでもないが、よく知られた、いわばノージャンルの名曲」というのは、今後の狙い目かもしれない。同じ切り口の曲は、探せばまだまだあると思う。

2011年3月6日日曜日

DIY可搬ギタースタンド

 可搬式ギタースタンドがあれば便利かなと、かなり前から思っていたが、価格と必要性を考えつつ、ずっと購入を先送りしてきた。
 最近になって再度ネットでチェックしてみたら、最も安い物で価格は送料こみ1,200円前後といったところ。かなり迷ったが、あれこれ調べるうち、何とか自分で作れるのでは?と思い立った。

 安く作るなら、やはり得意の木材加工に限る。簡単なスケッチを描き、しばらくアイデアの発酵を待ったが、いよいよそれを実行に移す時期がきた。


 可搬式ギタースタンドの条件は、軽くてかさばらないこと。小さく折り畳めること。それでいて、ある程度の強度も必要だ。
 当初のスケッチに従って材料を見繕ったが、手頃な寸法の9ミリ厚OSB合板の端材が見つかり、重さや強度の条件にも叶っているので、これを使うことにした。
 最初のスケッチから微修正を加え、だいたいイメージ通りに完成。最初はビスや金具を一切使わず、L字形の合板2枚をひもだけで結ぼうと考えていたが、実際にやってみると頂点がぐらついてバランスが悪い。
 そこで頂点の部分だけに金属の蝶番を使い、ひもは下部に2本使うことにした。

 修正したスタンドに再度ギターをたてかけてみると、傾きが足りず、まだバランスが悪い。縦の寸法を290まで切り詰め、ギターの背があたる部分を斜めにカットすると、うまく収まった。
 写真にはないが、他の違うタイプのギター2台でも、それぞれ問題なく使えた。


 全体寸法は縦290×横200、部材の幅は約40のL字形である。ひもは実寸400で、端部を結んで約300に調整。AUの携帯が入っていた紙袋の取手を転用した。蝶番も合板も余り物利用なので、コストはゼロである。
 重量を量ってみたら、約260g。市販品よりもはるかに軽くてかさばらない。施設訪問ライブ用の段ボール箱にも入るので、今後出番が増えそうだ。

2011年3月5日土曜日

Gmailへ移行中

 この3日間、除雪の合間をぬってずっとGmailへの移行作業をやっていた。いろいろ調べた結果、Gmailの利点が多いことに気づいたので、ヤフーにある全メールをGmailに転送し、Gmailをメインにしてヤフーメールはそのまま残して予備として使う事にした。

 自分のPC内に過去のメールをしまいこんでおくより、WEB上にあるほうがはるかにデータ消失の危険性は少ない。ただ、WEB上でもリスクゼロではないので、2つのセットを保持する。万が一サーバー内のデータが破損しても、スペアがあればあわてずに済む。機能を分散させておくのは、危機管理の基本だろう。


 まずは現状のヤフーメールのうち、もはや不要と思われるメールの廃棄処分をやった。2008年10月からのおよそ2年半分なので、かなりの量になる。整理しつつ、新しいフォルダ(Gmailでは「ラベル」)を作ったり、逆に削除したり。

 片づいたフォルダから順にGmailへ転送。まずはGmail側の転送設定で、「メッセージのコピーをサーバーに残す」「SSLを使ってメールを取得」の2つにチェックを入れる。(残る2つにはチェックを入れないほうが整理しやすい)
 次にヤフーメール側のフォルダの中身(整理済みのメール)を全て受信箱にいったん入れ、そのまましばし待つ。Gmail側では、およそ10分毎に転送メールのチェックをしているようで、強制的に転送確認することも可能だが、なぜか遅れて転送されるメールもあるようで、他の作業をしながらじっと待つのが得策だ。

 数が多いと少し時間がかかるが、だいたい一度に50通ずつくらい順に転送されてくるので、今度はGmail側の受信箱から全メールを選択し、「すべて既読」にする。(転送すると未読状態になってくるので)
 予め作っておいたフォルダに全メールを収納する。転送したメールと数が一致しているか、ヤフーメール側の受信箱の中身を確認し、問題なければ元のフォルダに戻して、ひとつの作業が終了である。
_新たに構成し直した25個のフォルダに関し、上記の作業を延々と繰り返した。多いものでは、1個のフォルダに200通近いメールが入っているので、かなり手間がかかる。しかし、黙々と手を動かせばじわじわと片づいてゆく。

 今日夜半までに、合計23個のフォルダを転送し終えた。ここまでで合計1,078通のメールを処理。残るは2フォルダ、200通ほどで、明日には全てが終わる予定。
 ここまで大きな問題はなかったが、なぜか2-3通のメールがGmailの「迷惑メール」に入ってしまった。ヤフーメールでは問題のなかったメールだが、両方の数を突合せていて、Gmail側の数が少ないことに気づき、あちこち探してようやく見つけた。Gmailのセキュリティシステムはヤフーよりもはるかに強力らしく、たぶんそのせいだろう。
 また、同じメールが2度転送されてきたことが、数回あった。理由は不明。実害はなく、最終的な数の突合せ時で発見できる。Gmailはメール本文の書き出し部が一覧にプレビュー表示されるので、最終チェックで同一メールを見つけ出すのはやさしい。
_アドレスブックはすでにヤフーからGmailへ転送済みで、今日はヤフーのスケジュール表も全データをGoogleカレンダーに転送し終えた。
 こちらもヤフー同様、いつでもどこでもどのOSでも使えるWEBスケジューラーだが、スケジュールをマメにメールで告知してくれる機能があり、ヤフーよりも親切。Gmailから一発で飛べる。

 GmailのトップページからはGoogleニュースも随時閲覧可能で、これが大変見やすくレイアウトされていて、好感を持った。長年ヤフーをホームページとして指定してきたが、いよいよ変えるべき時機到来かもしれない。

2011年3月4日金曜日

積雪163センチ

 昨夜未明からまたまた切れ目なく雪が降り続き、正午の近隣アメダスで、ついに積雪量163センチを記録。3月の積雪量としては、過去に例のない数値らしい。ホントにまあ、呆れるほどよく降ってくれる。
 幸いに妻は仕事が休みだったが、私は15時半に歯科の予約がある。しかし、待てど暮らせど「陸の孤島」「野中の一軒家」と自ら揶揄する我が家に、除雪車のくる気配はない。

 窓から外の様子をうかがうと、道路は腰の高さほどの雪で埋まっていて、車はおろか、歩くのもおぼつかない状態だ。やむなく、病院に電話して予約を1週間遅らせてもらった。雪で歯科をキャンセルなど、過去に例のないこと。


 妻に確かめると買物の必要はなく、取り立てて外出の予定はなくなったが、「陸の孤島」のままではさすがにまずいので、玄関前だけでも除雪しようかと思った。
 服を着替えて除雪機の準備をしていたら、部屋がなんだか寒い。この日は昼間も暖房を切らず、微弱で点けていたはずが、ボイラを点検すると、「E」の赤いマークが点灯していて、スイッチが切れている。
 カタログを引っ張りだして確認してみたら、異常燃焼による自動リセットらしい。以前にも確か同じことがあって、やはり猛烈な吹雪の日だった。窓を開けて確かめると、給排気筒が氷雪で完全にふさがっている。これでは消えてしまうはずだ。

 除雪前にまず暖房ボイラを回復すべく、雪をこいで北側にある給排気筒まで到達。窓を外から叩いて妻に合図し、ヤカンに湧かした熱湯をもらって凍結部分にかける。家に戻ってリセットスイッチを押し、再スタートさせると問題なく運転できた。
 素人ではちょっと分かりにくいトラブルだが、前回もこうやって自分で修復した。プロに頼むとそれなりのお金がかかり、回復までに時間もかかる。理科系、技術系の夫を持つと、家計が何かと助かる好例である。


 暖房がひとまず戻ったので、遅めの昼食をとってようやく本格除雪を始めた。場所によっては1メートルを超す吹きだまりで、かなり手こずったが、およそ45分で玄関前はどうにか格好がついた。
 いったん家に戻り、身体を暖めつつ、3時のお茶を妻といただく。その後、再び外に出て除雪を続けたが、広い通りにつながる右側の道は雪が深く、小型の電動除雪機では手に負えそうもない。
 左側は比較的雪が浅いので、右側はあきらめて左を重点的に除雪していたら、ちょうど夕刊配達の女性と出逢い、その場の手渡しで夕刊を受け取った。

 この日は郵便配達の姿も見かけなかった。おそらく速達以外は明日以降になるのだろう。夕方までに最低限、人が通れる道だけは確保した。万が一の救急車、消防車でも何とか到達できるはず。
 そんな非常事態はあまり想像したくないが、何が起きるか分からないのがいまの世の中。「札幌の僻地」で生き抜くための、最低限の生命線は確保せねば。

2011年3月3日木曜日

Gmailへの移行を模索

 朝から断続的に雪が降り続き、夕方の近隣アメダス値を見ると、144センチ。昨夜寝る前の数値が110センチだったから、半日強で34センチも降ったことになる。3月にこんなに降るのは珍しく、今年は本当に雪の当たり年だ。

 午後から激しい吹雪となり、14時過ぎに勤め先の妻から、「車で迎えに来て!」とのSOSコールが入る。台風の際に同様のSOSで迎えに行ったことはあるが、冬には記憶がない。今週は珍しく仕事の依頼がないので、すぐに応じて外に出たが、玄関前は雪の山。
 とりあえず車の幅分だけ雪をどかし、出発。雪が深いので下手に止まると動かなくなる。セカンドギアのままで、視界が10メートルを切る道を慎重に走らせる。
 同僚のナオさんをまず送り届け、自分の走って来たわだちを辿って戻ったが、自宅前の車庫入れの段になって、とうとう雪にはまって動けなくなった。

 妻に押してもらっても、スノーヘルパー(車輪の下に置く脱出器具)を使っても駄目。あきらめて自宅前に積もった雪をすべて電動除雪機で飛ばすことにした。
 30分以上も作業してようやく脱出。湿った雪で衣類は濡れ、身体がこごえた。全くひどい目にあった。腰痛の再発がなかったのが幸い。
_MacとOperaの組合せによるヤフーメールの閲覧・操作の不都合は、3日たっても解決せず、どうやらあきらめるしかなさそうだ。
 OSを10.5に上げ、Operaの最新バージョン11を使うと解決しそうな感じはするが、OS10.5では動かないソフトがあり、すぐには無理である。

 ふと思いついて、以前にアカウントを取得してあったGmailをいじってみた。使い勝手がいい、という噂は聞いていたが、調べてみるとヤフーメールの全データを転送可能であることが判明。2年余のデータ蓄積があるヤフーメールを、タイプスタンプもそのままで転送可能となれば、ヤフーにこだわる理由はなくなる。
 メール容量は7.5G、一度に送信可能なメールも25Mで、いずれもヤフーよりずっと大きい。これでなぜか無料なのだ。
 試してみると、Mac10.4とOperaの組合せでも問題なく動く。BMバーから瞬時に移動可能なので、別ソフトを起動させる手間がない。ヤフーの受信箱に入ったメールをそのままGmailに転送できるので、ひとまずその設定にして使ってみることにした。
 Gmailから送信したメールでも、現状のヤフーメールから送信した形式に設定可能なので、アドレス変更通知をする必要もない。
 メールの並べ替えができない、という不都合はあるが、検索機能とスターマークの併用でカバーできそうだ。アドレス帳はヤフーよりもむしろ機能的。

「いつでもどこでもどのOSでも使える」「データがPC内でなく、WEB上にある」という点では、最近導入した「Dropbox」と全く同じクラウドの概念である。
 受信メールはこれまで通りヤフーにも残してあり、まだ完全移行はしていないが、しばらく使ってみて不都合がなければ、段階的に切り換えるかもしれない。

2011年3月2日水曜日

名刺デザインの変更

 数年ぶりに名刺のデザインを変えた。先日のボランティア会合で、何人かの方と名刺交換をし、趣味用の名刺が底をついた。名刺は仕事用と趣味用の2種類あるが、どちらも完全手作りで、用紙は高価な名刺専用紙ではなく、安価な普通の高品質プリンタ用紙を使っている。
 自分でデザインした原稿をA5の用紙に4枚ずつ印刷し、カッターで1枚1枚ていねいに切る。細部の修正をすることがたまにあるので、一度に印刷するのはせいぜい4-8枚程度だ。

 今回大きく変えたのは、電話やファクスを表示する英文字フォント。これまでよりやや小さめのカッチリしたフォントにした。同時に「P.PHONE」としていた携帯電話の表示を、世界中で通用する「MOBILE」に変更。
 さらには、メールアドレスの前に表示してあった「E.MAIL」の表示を削除。これらの表示変更は、時代の流れと方向性に沿ったもので、たとえば英文字中に「@」が入っていれば、メールアドレスと誰でも分かる時節である。デザインはシンプルなほどよろしい。


 外観で変えたのは、名刺の最下段に幅2ミリの線を入れたこと。名刺に一部使っているカラー文字の色も、この線に合わせた。
 線を入れたことで、見た瞬間の印象がこれまでより強くなる。加齢と共に我が身の印象はじょじょに脆弱になってゆくので、せめて名刺で、という悪あがき。
 趣味用の名刺のメインカラーは、常用するバンダナに合わせてダークワインとしたが、仕事用名刺のカラーは、屋号を「TOM工房」と変更してから不変のマリンブルーである。
 仕事用の名刺はまだストックがあるので、単にパソコン内にある画像ファイルのデザインを変更しただけ。最近は仕事用名刺より、趣味用名刺の出番がはるかに多い。これも時の流れである。