今日やったのは、2階仕事部屋に並べてある仕事関連のカタログ類やスクラップ等の書類整理。設計事務所登録をしていた時期には、頼んでなくともメーカーから大量のカタログが送られてきたが、登録を解除し、ネットでの商品検索が中心になってからは必要性そのものが薄くなった。
専用の分厚い保存ファイルからチェックしたが、だいたい2/3くらいは不要なもの。結果として6センチ厚の保存ファイルが2冊も空になった。
珈琲ブレイクをはさんで、今度は1階居間の本棚にある妻用の料理や裁縫関連のスクラップ整理をやる。
仕事用と同じ分厚い保存ファイル2冊に収めてあるが、30代の頃に読んでいたミセス、クロワッサン、オレンジページ等の雑誌から切り抜き、私が貼って分類整理し、綴じ込んだもの。
当初は興味があっても、月日の流れで関心がなくなったり、すでに作り方を会得したものもある。全てを妻にチェックしてもらい、不要なものを廃棄することにした。
こちらはおよそ半分くらいに減った。分類上の都合で3.5センチと4.5センチの保存ファイルに分けて収めた。
夕食後にも2階で仕事関連のスクラップを整理する。3.5センチのファイル3冊を6センチファイル1冊にまとめる作業をしたが、2冊まで終えたところで疲れを感じ、残りは明日に持ち越しとした。
発生した膨大な紙とカタログは、紙ゴミ(月2回)と資源ゴミ(月1回)として処分の予定。いずれも無料だが、作業と併行して段階的に処分するので、簡単には片づかない。
ところで、断捨離をあまりにやり過ぎると、逆にストレスが溜まって精神への障害となることもあるというから要注意だ。
人間の生活には無駄だと思っていても、些細な部分で心の支えになっている事象が少なくない。幼少時からの写真や日記、文集などは忘れた頃に取り出して眺め、自分の生きてきた道を辿ることでアイデンティティ(自己同一性)を確認する大切なアイテムだ。
いずれもさほどかさばるものでなく、デジタル化なども併用するなどし、完全なる断捨離の対象からは外すべきだろう。