2018年1月31日水曜日

トイレ換気扇運転法

 18年前の新築時に設置したトイレの換気扇には人感センサーがついていて、人が入ったことを感知すると3秒後にシャッターが開いて自動的運転を開始し、人がいなくなったことを感知すると11分間運転後に自動オフしてシャッターが閉じる仕組みになっている。なかなか賢い。

 ところが、このセンサーの感度がやたらによい。トイレのドアは手製の引戸になっているが、トイレに用事がなくとも、時に前を通り過ぎるだけでセンサーにキャッチされ、換気扇が動いてしまうのだ。


 トイレの引戸をその都度閉めておけば問題ない。しかし、我が家は夫婦してズボラで、普段はもちろん、時に用を足しているときでも引戸は半分開いていたりする。(自然換気を促進するには、引戸は常に開いていたほうがいい)

 換気扇の消費電力は3.2Wで、そう大きなものではないが、用もないのに動かすのは避けたい。そこで換気扇のカバーを開け、センサー部分の左半分、つまりは引戸側をビニールテープで蓋をしてみることにした。
 不透明のテープなので、その部分のセンサーは働かない。幾度かの位置調整を経て、トイレに入ったときだけ換気扇がオンになるようにした。


 最近になってこのセンサーの作動が極端に悪くなり、トイレに入っても感知しなくなった。経年劣化でいよいよ壊れたかと思ったが、カバーを外してセンサー部を掃除し、ビニールテープを外してみたら、入居時同様の鋭い感度が復活した。単なる汚れで、まだ壊れてなかったようだ。
 調整用のビニールテープを再び再現させる。分かりやすく、赤のテープを使うことにした。位置調整がデリケートだったが、適当な位置を探し当てる。

 取説によると、センサーの感知範囲は上下方向で55度、(壁から15度は含まず)左右方向で90度とのこと。我が家の場合、左半分の40度くらいをつぶしてやれば、適切な感知範囲に収まる。
 ついでに自動運転でどのくらい換気できるか試算したら、換気扇風量が60m³/hで、11分間の換気量は11m³。トイレ容積が約2.7m³で、つまりは換気扇だけで4回ほど空気が入れ替わることになる。
 住宅トイレの換気回数としては最低でも5回/hは欲しく、自然換気分を見込んでもギリギリだが、換気のし過ぎは特に冬期では室温低下の元なので、ギリギリくらいでちょうどよいかも。

 最近は換気扇スイッチを独立させ、トイレ使用時に手動でオン、一定時間後に自動オフする仕組みもあるようだが、使用者の操作に期待するシステムは難しい。やはりセンサー式だろう。

2018年1月30日火曜日

たまには本格寿司

 首都圏に住む娘夫婦が一昨日からパックツアーを使って来道していて、昨日はニセコで終日スノボーに興じ、今日は帰る日だったが、時間をやり繰りして我が家にやってきた。

 ここ数年は毎年この時期に顔見せにやってくる。昨年は長男夫婦のマンションで家族集合パーティをやったので、我が家に来るのは2年ぶり。
 居間の掘りごたつがテーブルに変わり、南北隣地にバタバタと住宅が建つなど、すっかり様子が変わったことを驚いていた。
 帰りの航空便の都合であまり時間がなく、我が家到着は8時45分という早さ。病み上がり直後にライブや雪下ろし、母の施設見舞いなどが続いて慌ただしかったが、めったに会えない子供のお接待も、親としての大切な役目だった。
 昼食は都心の寿司店で食べることになっていたので、家にいられるのは2時間ほど。会って話すのは1年ぶりだったが、二人とも元気そうで仲睦まじく、安心した。

 寿司店の予約は11時半。駐車場があるというので、車で行くことにする。玄関前で交代で写真を撮り、11時に出発。札幌ファクトリー近くの「金寿司」に向かう。


 到着は開店直後の11時35分くらいだったが、すでに4〜5人の客がいた。飲物はお茶だけにし、おまかせ握り12個をそれぞれ頼む。1人前税別4,000円という我が家にしては高級寿司だったが、以前に一度来たことがあるという娘夫婦のお勧めだけあって、さすがに美味い。
 ネタは鮪、ホタテ、北寄、カレイ、ツブ、ズワイガニ、エビ、中トロ、しめ鯖、タコ、ウニ軍艦、イクラ軍艦といったところ。全て生のネタで、吸物もつく。大皿に4種類〜2種類のネタが盛られ、空にすると次の皿が順に出てくる仕組み。

 久しぶりの本格寿司に妻も大満足。ゆっくり食べて13時に店を出る。最寄りの地下鉄駅まで娘たちを送って別れたが、平日90円寿司ばかりでなく、たまにはこうした本格寿司も年相応でいいのかなと、帰路に妻と話し合った。

2018年1月29日月曜日

久々の雪下ろし

 昨夜から今日にかけて、またしても断続的な積雪。近隣のアメダスによると、11センチ積もった。気温もずっとマイナスで、5日連続の真冬日。降った雪の解ける暇がない。
 直近の土木センターが示す累積積雪量は、平年値を30センチ近くも上回った。実感に乏しいが、今年は雪の多い冬らしい。

 70センチ前後に達していた車庫&物置の屋根積雪に関し、しばし様子を見ていたが、2月上旬にまた寒波がやってくるとの予報もあり、3年ぶりに雪下ろしをやることにした。


 長引いた急性副鼻腔炎も峠を越し、遠方での長丁場ライブも無事に終わらせた。気温は低いが、珍しくカラリと晴れている。足元が滑りやすいプラス気温の日より、むしろ寒いほうが安全。つまりは、絶好の雪下ろし日和である。

 午後から母の施設に行く用事があったので、午前中の11時くらいから作業開始。オーバーズボンをはいて完全防備し、いつものように北側に脚立利用の延長ハシゴをかける。
 上ってみると雪は最深部で90センチほどに達しており、設計値100センチに対してギリギリの数値。万一ドカ雪に見舞われたら、危険な状況だった。


 表層部から順に、雪をスコップで矩形に小さく切って下に落とす。南北隣地に住宅が建ち、境界ギリギリまで丁寧に除雪する住人なので、間違っても落とした雪が境界を超えてはならない。
 慎重に作業を進めたが、まだ副鼻腔炎が完治してないせいか、途中で息切れしそうになり、半分終えたあたりで下に降りて休憩しようかと一瞬考えた。思い直して少し休んだら、体力回復。結局上がった勢いのまま、一気に終わらせる。

 屋根面のポリカ波板は滑りやすいので雪は完全に落とさず、5〜10センチを残す。慎重に作業したせいか、通路に落ちた雪はごくわずかだった。
 時計を見ると1時間が経過。過去の記録によると、だいたい1時間半はかけている。3年ぶりだったが、作業時間としてはなぜか短め。


 その後、玄関前に積もった雪を電動除雪機で除雪。今冬7度目の出動だが、こちらは15分ほどで終えた。
 ヤレヤレと家に戻ったら、着ていたトレーナーやシャツ類が汗でびしょ濡れ。風邪がぶり返す元凶なので、全て着替える。
 昼食後、体力次第では昼寝するつもりでいたが、なぜか元気。昨日の留守中に母の暮らす施設から連絡があり、シロップとチョコレートを届ける必要があった。明日は別の用事があるので、余裕のあるうちに一気に片づけることにする。

 シロップは氷水用の大型サイズで、普通のスーパーには置いてなく、やや遠方の業務用品専門店で買う。この時期に置いているかどうか分からず、無駄足にならないよう予め電話して在庫を確かめた。
 1.8Lパック入りを月に1本ペースで消費するので、(薄めて水代りに飲むらしい)4本を調達。帰路にチョコレートも買い、全て記名してその足で施設まで届けてきた。いろいろやったが、憂いがいくつか消えてスッキリ。

2018年1月28日日曜日

ぎりぎりセーフ

 昨年9月に初めてネット経由で依頼のあった町内会で再び歌った。前回は単なる懇親会で飲食は一切なく、幅広い年齢層を前に歌う難しさはあったものの、それなりに手応えはあって、今回の依頼につながった。
 今回は飲食が伴う新年会余興という難しい内容で、前回2組あった演者も今回は私だけ。カラオケもなく、責任は重かった。

 あいにく10日ほど前から風邪からくる副鼻腔炎を患っていて、頭痛や倦怠感がひどく、声も鼻声状態。珍しく病院に2度も通って懸命の治療を続けた結果、80%くらいまで回復。どうにか先方に迷惑をかけずに演れそうな状態までこぎつけた。
 会場は札幌南端にあり、北端にある我が家からはかなり遠い。前回は新しく開拓した豊平川沿いのルートを通って55分で着いたが、今回はさらに短縮できそうなコースを使うことにする。
 イベント開始は12時で、私の担当は12時20分から。雪道なので余裕をみて10時35分に家を出たが、数日前にまとめて降った雪もすっかり除雪され、路面状態は非常によかった。夏よりも短い50分弱で着く。


 参加者は前回より倍近くに増えて、40名弱。会場もステージのある広い場所に変わっていた。
 予定より5分早い12時15分から歌い始める。予定をやや超えて、1時間5分で17曲を歌った。

《セレクトタイム》
「カントリー・ロード」「エーデルワイス」「上を向いて歩こう」「冬のリヴィエラ」「シクラメンのかほり」「オー・シャンゼリゼ」「虹と雪のバラード」「まつり」

《リクエストタイム》
「恋するフォーチュンクッキー」「北国の春」「ハナミズキ」「時代」「乾杯」「池上線」「さよならはダンスの後に」「無言坂」

《うたごえタイム》
「また逢う日まで」
 丸1ヶ月以上もステージからは遠ざかっていて、体力的な問題もあり、一抹の不安を抱えての出だしだったが、いざ歌い始めるとまずまず声は出た。

 会場は6つのテーブルに分かれていて、開始直前に1テーブル2曲のリクエストが届く。1テーブル最低1曲のリクエストに応える、という事前の打合せだった。
 当初予定していた前半8曲のうち、「シクラメンのかほり」がリクエストと重複していたが、他の11曲に重複はなかった。
 結果として歌えなかった曲は、「ありがとう」「くちなしの花」「秋桜」「恋人よ」の4曲で、前回もそうだったが、POP系フォーク系の要望が圧倒的に多い。

お土産にいただいた美味しいお弁当

 最初の4〜5曲には手拍子や拍手など、1曲ごとにそれなりの反応があったが、30分が経過した後半に差し掛かると、アルコールが回ったこともあって、テーブルごとに歓談する姿が目立ち始め、歌に対する反応がめっきり弱くなる。
 この種の酒席ではしばしば見られる現象で、累計ライブ数500を数えたいまでも、こうした場の気分を劇的に打開する手立てを持ち合わせていない。

 いつも通りに無理な力技は使わず、会場のBGMに徹する気持ちで、リストにある曲をていねいに淡々と歌い続ける。
 曲によっては一緒に歌ったり、歓声があがったりもしたが、あくまで限定的なもの。こうした雰囲気は最後まで変わらず、非常に難しい進行となった。
 テーブルごとのリクエストが一巡したあとは、時間の許す限り数曲を二巡目として歌う。最後は全員で歌える曲を何か、と私から提案し、「青い山脈」「世界に一つだけの花」「また逢う日まで」などの候補のなかから、会場の圧倒的な声により、「また逢う日まで」で決着。

 この曲では司会用のハンドマイクを握って女性がステージ上に上ってきて、一緒に歌うというハプニングがあった。「北国の春」でも同様に私の歌に合わせて「口パク」をする男性がステージ上に登場した。
 いずれも酔いにまかせての座興のようなものだが、場所を半分ゆずって共に演ずるなど、アドリブ対応で無難にさばいた。
 反省点は多々あったが、悪条件の重なったなかでは、ぎりぎり場をまとめられたように思える。

2018年1月26日金曜日

治療の延長

 先週土曜から治療中だった急性副鼻腔炎と気管支喘息は、処方された5日分の薬を飲みきって、症状はかなり改善されたが、まだ粘性の鼻水と咳に伴う痰、喉痛と鼻血の症状がある。
 ひどい頭痛とめまい、それに伴う倦怠感はとれたので、あとは自然治癒に任せようか…、とも思ったが、自己診断は危険なので、確認の意味も含めもう一度病院に行くことにした。

 昨夜からの断続的な雪で、また7センチほど積もった。寒さはそれほどでもないが、2日続けて電動除雪機を使って玄関前を除雪。その後夕方の空いてそうな時間を見計らって、16時ころに病院に行く。
 患者は一人だけで空いている。コートを脱いでいる途中に診察室に呼ばれた。症状を説明したところ、先週の薬でおおむね快方に向かってはいるが、副鼻腔炎がまだ完治していないので、鼻水が喉に流れ、痰や喉痛の原因になっているという。
(鼻水が喉に回る「後鼻漏」という症状らしい)


 先週の診断時に確認した「5日で完治しなかった場合は?」の方針通り、治療を延長することになる。やや弱めの漢方薬を中心に5種類、前回の倍の10日分を処方された。回数も減って朝晩2回になる。
 処方薬局に回ったら、こちらもガラガラで客はゼロ。雪がひどく、病院に行く気になれないのか、あるいは除雪に忙しいのか…。
 治療費は薬代を含めて2,160円。薬が倍に増えた関係で前回より少し増えた。

 今回、気管支喘息の薬は処方されなかった。急性副鼻腔炎も峠を超えている。いい機会なので、慢性化しないよう、徹底して治したい。
 鼻声がやや残っているが、声は普通に出るので、明後日のライブはどうにか乗り切れそう。

2018年1月25日木曜日

氷漬けの日々

 昨夜はかなり冷えた。窓越しに外の寒暖計を確かめたら、午後9時ですでにマイナス14度を記録。その後時間の経過と共にジワジワ下がって、寝る直前の0時ではマイナス17度に到達。朝起きて確かめたら、記録として近い直近のアメダスでは、マイナス19.7度の今冬最低値を記録していた。
 我が家の寒暖計はマイナス20度までしか計測できない。おそらくは赤液が底に張りついていただろう。
 昨夜は0時の時点で外がマイナス10度以下だったので、マイルールに従って暖房ボイラを切らず、今冬初めて終夜運転とした。温度設定は45度。
(普段は設定温度60〜65度で、6〜7時から0時までの17〜18時間運転

 トイレに起きた6時に温度設定を手動で最大の80度まで上げる。このときの1階居間室温が17度ほど。2階はさらに2度下がって、15度を切っていた。
 そもそも暖房ボイラの終夜運転や温度設定80度自体が稀なこと。いまが1年で一番寒い氷漬けの日々なので、しばらくはやむを得ない措置だ。


 断続的に降り続く雪も1日で8センチになり、今冬4度目の電動除雪機を出動させた。手作業でやれなくもないが、風邪による体力不足でダメージを食らうのが怖い。
 低温によるパウダースノーで作業はたやすく、短時間で終えた。昼間も気温が上がらず、用心してオーバーズボンを着込んでやったが、動くと暑いほどだった。
 副鼻腔炎と気管支喘息の薬は午前中で飲みきったが、身体はだいぶ楽になり、雪かきで動いても昨日のようにダウンすることはなかった。体力もじょじょに回復しているらしい。
 ただ、まだ粘性の鼻水と、時折出る咳には痰が混じる。鼻声も少し残っており、完治はしていないように思われた。

 考えたすえ、病状の確認も含めて、もう一度病院に行くことにした。吹雪をついて夕方に車を出したが、なぜか病院のドアは固く閉ざされている。診察券を確かめたら、何と木曜日の診察は12時で終了だった。
 かなりガッカリして、近くの郵便局で来月分の食費を下ろしてから家に戻ったが、これはもしかすると(もう来なくていいんだよ)という、天の導きかもしれない。その答えは、明日になればきっとわかる。

2018年1月24日水曜日

未だ回復に至らず

 病院で急性副鼻腔炎と気管支喘息の診断があり、薬を飲み始めてから4日目になるが、まだ完全な回復には至っていない。
 2日前に普通に起きて普通の生活に戻したとたん、症状がぶり返したので、昨日からは朝食後に薬を飲み、再び布団に戻って昼まで睡眠、という生活に戻した。

 午後から昨夜降った雪を除雪し、久しぶりに運動したら、またしても疲労感に襲われ、2階予備ベットで2時間近くダウン。一昨日も食料を補充しに車でトライアルに行ったら、店内で疲労感に襲われた。何もせずにゴロゴロしている分には問題ないが、少し動くとダメージが大きい。
 鼻血と目ヤニはほぼなくなったが、粘性の鼻水がまだまだ止まらない。時折出る咳にも痰が混じる。薬の残りは1回分だけしなく、もしかするともう一度病院に行く必要があるかもしれない。
 頭痛や目眩はとれたので、全体としては快方に向かっていると思う。喉の痛みと鼻声がいつまでもとれないので、昨日から漢方薬「響声破笛丸料」を規定の2/3の量で飲み始めたが、こちらはかなり回復してきた。

 夕方に4日後のライブにむけてイメージトレーニングをやってみたが、全ての曲で普段通りのキーで歌えた。鼻声が少し残り、声量や声のツヤもいまひとつだが、これ以上悪化させなければ、ライブは何とか乗り切れそうだ。

2018年1月22日月曜日

弾き語りでイメトレ

 統計上は今日あたりが札幌の最も寒い時期で、雪はそれほど多くないが寒さはさすがに厳しく、今朝はマイナス10.5度まで下がった。

 体調は一進一退だが頭痛がほぼ消え、倦怠感も和らいだので、3日ぶりに布団をたたみ、部屋を窓からの陽射しにあてて、シーツやパジャマ類をまとめて洗濯する。今日は妻が友人との昼食会で不在。昼食も久々に自分で作った。
 薬を飲み始めて3日目で、完治には遠いが、じょじょに快方に向かっていると信じよう。
 車庫&物置の雪下ろしをする時期だが、久しぶりに外に出て積雪状態をチェックしてみたが、推定積雪深50センチ強といったところ。
 例年は風に吹きつけられて母屋壁際の積雪量が多くなる傾向にあるが、今年は南北隣地に住宅が建ち、風の流れが大きく変わったせいか、雪の積り方は極めて平坦。壁際の雪は解けて逆に隙間ができるほどだ。
 正面梁のたわみ量は1センチ強と例年と大差ない。今後ドカ雪でもない限り、今年も雪下ろしは回避できそうな気配濃厚。


 久しぶりに動いたせいか、14時ころに睡魔に襲われる。まだまだ本調子ではない。2階予備ベットで1時間ほど仮眠。
 その後ひとりで珈琲をいれて飲み、弾き語りのイメージトレーニングを前回に引き続きやった。

 イメージトレーニングはスポーツ系のトレーニングで本来使われるものだが、以前にチカチカパフォーマンスでジャグリングでもイメージトレーニングをやることがあると聞き、驚かされた。その方は普段2人で演っている方だが、相方との練習ができないとき、しばしば試みるという。
 ジャグリングで可能なら、弾き語りでもやれるのでは…?とかねてから思っていて、喉を傷めて歌の練習ができない状態のとき、ライブが押し詰まって喉を極力休めたいときなどに、喉に負担をかけずに、本番に近いイメージだけの練習をやろうと考えた。
 まだ試行段階だが、差し迫るライブの曲順をまず決めておき、順番に表示させてギターのコードだけを本番通りに弾く。PAは一切使わないので、場所は選ばない。
 声を出すのはキーのチェックのときだけで、最高音部(一般的にはサビ)だけを軽く歌う。ギターは普通に弾くので、特に左手の感覚は保たれ、頭の中でメロディは本番通りに鳴っているので、曲順に違和感があったときなど、入れ替えも普通にできる。

 細く長く弾き語り活動を続けるための方策を日々模索中だが、独自のイメージトレーニングもその有力候補となりそうだ。

2018年1月21日日曜日

根源は気管支喘息?

 風邪の悪化で病院に行って2日目。昨夜は早々に床に着いたが、昼間延々と寝ていたせいかよく寝つけない。
 副鼻腔炎の薬が効いたのか、粘性の鼻水はどんどん薄くなり、かむのが追いつかないほど大量の鼻水が出る。それに伴って喉から鼻にかけてのボ〜とした感覚や頭痛は、じょじょに解消されてきた。

 明け方近くに激しい咳で起こされる。先月の深夜の咳発作の悪夢が蘇ったが、起きてうがいをし、鼻をかんでビックスドロップをなめたら治まり、それを機に朝まで熟睡できた。
 あまりに大量の鼻水が出て、一部が目から溢れ出る感覚に襲われる。深夜、目に溢れた液体をぬぐうほどひどい。
 朝起きて洗面台に立ったら、目が腫れているようで瞼が開かない。よく見ると、目ヤニで固まっているのだった。やはり目から鼻水である。初めての経験だが、目と鼻はつながっているので、副鼻腔炎の症状のひとつらしい。
 薬を飲む間隔を保つため、比較的早く起きて朝食をとり、薬を飲んで再び布団に潜り込む。13時過ぎにまた起きて、今度は昼食をとってまた薬、そんな繰り返し。2階は昨日からずっと布団を敷きっぱなしで、病室と化している。
 先月は医者が月2回だけくる非常勤の医師だったが、今回は院長だった。「完治していない気管支喘息が主原因」「5日で治るはず」と自信ありげだったが、その気管支喘息の薬は寝る前に一回飲むだけなので、まだ際立った効果はなく、いまだに時折咳の発作が出る。

 昨年は5月末からずっと咳に悩まされていて、もしこれが気管支喘息によるものだった場合、症状が治まったように見えても炎症自体は残っていて、風邪などのきっかけで咳がぶり返すという。
 逆に今回、専門医で徹底治療しておけば、今後の漠然とした不安からは解消されることになるのだが。

2018年1月20日土曜日

急性副鼻腔炎

 風邪の症状がなかなか改善せず、飲んでいた市販薬も残り少なくなってきた。ツルハの特売日なので新たに買う気でいたが、月末にライブを控えていることもあり、同じ金を使うならと病院に行くことにした。

 熱はなく、粘性の鼻水と頭痛、倦怠感、軽い咳などの症状からして、風邪からくる副鼻腔炎が疑われたので、先月初めて行った耳鼻咽喉科に行くことにする。
 土曜日だが、診察は13時までやっている。昼食直前だったが、患者は2人だけで空いていた。


 診断結果はネット情報通り、急性副鼻腔炎。ただ、先月の症状と再発間隔から考えて、気管支喘息の炎症が完治していない可能性があるとのこと。胃腸薬を含めて6種類の薬を処方されたが、副鼻腔炎の薬の他に、気管支喘息の薬も含まれていた。
 処方薬局も客はゼロ。治療費は薬を含めて1,730円と、先月に比べてかなり安い。

 帰宅後に昼食を食べて薬を飲み、再び布団に潜り込んだが、今回の薬には市販薬のように眠くなる副作用がなく、ひたすら横になって安静に努めるのみ。
 熱も悪寒もなく、味覚や食欲には問題ない。普通に入浴して夕食を食べたが、ネット情報で「副鼻腔炎にアルコールは禁物」とあったので、症状が改善するまで自主的に禁酒することにした。
 副鼻腔炎のせいで、かなりの鼻声。漢方薬を飲めば改善するのは分かっているが、月末までライブはないので、しばしの様子見。歌の練習もせず、ギターをちょとだけ弾いて軽いイメージトレーニングにとどめる。
 薬が効いたか、夜になって痰は出なくなり、粘性の鼻水もごく薄くなった。頭痛も軽くなった気がする。寝る前には1日1回だけの気管支喘息の薬を飲む。

2018年1月18日木曜日

壁際にペンダント照明

 2日前から喉に不快感があり、またしても風邪っぽい。軽い咳と鼻水、喉の痛みと痰だ。つききりで看病した孫娘のRSウイルス感染症が移った可能性が高く、潜伏期間4〜6日というネット情報ともピタリ一致する。
 人混みはなるべく避け、手洗いウガイ朝の歯磨きを徹底し、風邪予防に努めていても、感染を避けられない事態はどうしても起きる。
 幸いに眠れない深夜の咳や熱はなく、声も普通に出る。これまた情報通り、症状は軽い。

 病院に行くほどでもないので、年末から年始にかけて飲んでいた市販薬をまた飲み始めた。今日は特に出かける用事もなく、終日家でゴロゴロして英気を養う。
 妻も一時期クシャミを連発していたが、いつの間にか止まった。いつものことだが、風邪にはめっぽう強い。


 孫娘がやってきたとき、居間の壁際に置いてある低い棚の前に専用の机と椅子を置き、お絵描きや積み木、人形遊びなどをして過ごすことが多くなった。
 夏は夕方まで明るい場所だが、冬のこの時期は16時を過ぎると暗くなり、居間中央にあるペンダント照明をつけるが、そうすると壁際がちょうど陰になって手元が暗い。これはよろしくない。
 対策として2階寝室で使っている手元灯を棚の上に置いていたが、シェードがないのでまぶしい。コンセントからのコードも引っ掛けそうで危なっかしい。
 そこで2階の傾斜天井に吊るしてある別のペンダント灯を、棚の真上から吊るすことにした。電源は居間のペンダント照明用の既存引掛シーリングにパナソニックの「引掛シーリング増改アダプタ1型」を取付け、そこに付属のコンセントからとった。
(既存の引掛シーリングには一切手をつけていないので無資格で設置可と思いますが、真似される方は各自の判断でお願いします)

 LEDランプを使っているので、ずっと点けていても電気代は知れている。孫娘用としてはもちろん、壁際のアクセント照明としても充分使えるので、当分はこの位置に吊るしておくことにした。

2018年1月17日水曜日

孫娘の退院

 RSウイルス感染症に罹って先週の土曜から入院していた孫娘が、予定よりも2日早く退院した。
 一昨日くらいから病状が急速に好転していて、今日は午前中に耳鼻咽喉科の診断を受け、問題なしとのことで、午後に退院が決まった。ひき始めの一番ひどい時期に丸一日子守りを担当し、一時はどうなることかと気をもんだが、ようやく一段落した。

 当初は午後から付き添いの交代役を数時間依頼されていたが、急きょ退院の手伝いに変更。荷物が多そうだったので、妻も一緒に行くことになる。


 14時過ぎに病室に入ったら、引き戸を開けて孫娘が迎えてくれる。ずっと食事が出来ずに点滴で過ごしていたせいか、顔が幾分ほっそりとしていた。大変だったんだな、小さい身体でよくがんばった!

 退院の手続きや薬の受け取り、お世話になった方への挨拶などにお嫁さんが回っている間、妻は病室で荷物番、私はロビーに出て孫娘の子守りをしたが、母親が急にいなくなったせいか、孫娘が不安そうな表情を見せ始める。私の話しかけにも反応はうつろ。
 普段は親が休みの日以外、ずっと保育園だったが、入院中は朝晩ずっと一緒に過ごしていたので、甘えが出てしまっても無理はない。この日の抱っこ移動はお嫁さんにまかせることにし、私と妻は荷物運搬を担当することになる。
 すぐ近くにあるマンションまで移動し、自分の家に帰ったとたん、どこかよそゆきで表情の硬かった孫娘はとたんに元気になり、いつもの調子に戻った。

 1時間ほどいて、持参のスイートポテトとかぼちゃクッキーで珈琲タイム。ちょっと心配していた入院費用は、市の子ども医療費助成制度の適用で、負担は初診料と食費のみで済んだという。私たちの子育時期とはかなり違っていて、中学生までは所得に応じて、かなりの医療費助成が受けられるそうだ。
 日曜までは両親が交代で休んで子守り。保育園は来週から通うことになりそう。いろいろな意味で試練の1週間だったが、子供にとっても大人にとっても、いい経験になった。

2018年1月16日火曜日

ラジエントで焼く

 昨日買った替えのフリースジャケットを届けに、午後から母の施設へ行く。母は食堂のいつもの席に座っていて、3日前に持っていったグリーンのジャケットをさっそく着ていた。襟元には同じく持参したばかりの青いネッカチーフを巻いている。
 職員さんによると、首のコブが隠れて暖かいと、たいそう喜んでいるという。カラシ色を好んで着る母だが、グリーンもなかなかよく似合っている。
 3日前に聞き漏らした薬の効き目に関して確かめたが、頻尿は一向に改善されないという。膀胱炎用の抗生物質だが、0時以降の尿頻度はむしろ増えて、30分に一回ペースという。
 そんなに尿が出るはずがないので、つまりは夜に寝られないことによる気鬱を、トイレに立つことで紛らわせているように思えた。

 看護師さんの話も聞いたが、明後日以降は医師とも協議し、睡眠導入剤の使用を検討するという。50代くらいから心配事があると一睡もできない困った性質だった。人間、認知症が進んでも、抱えこんだものは容易に手放せないということだろう。
 帰り際に母に話しかけてみたが、相変わらず私を認識しない。いろいろ尋ねて正しい応えが返ってきたのは、自分の名前と旧姓だけだった。


 帰路に郵便局に寄り、当選していた年賀状の景品交換と、不要になった年賀状の交換、満期になった定額預金の更新などをまとめてやる。
 わずか60枚ほどだったが、切手シートが2枚も当たっていた。すごい確率だ。ここ数年はずっとゼロ枚だったので、ちょっといい気分。
 家に戻っていただき物のサツマイモをムロから全部出し、スイートポテトを作った。時間の経過で一部にカビが発生していたが、なんとか250gを取り出す。

 これまでトースターで焼いて焦げ目がうまくつかなかったので、今回は金網上にアルミホイルを敷いてIHヒーターのラジエントで焼いてみたら、片面わずか5分ほどできれいに焼けた。表面に塗る卵黄も不要で、どう考えてもこの方法が合理的。
 本来のレシピとは異なるが、次回以降はこれで焼くことにしよう。

2018年1月15日月曜日

よく寝てよく食べる

 年が明けてから、日々の睡眠時間が10時間近い。そりゃいくらなんでも寝すぎでしょ、と自分でも思うが、眠いものは眠い。
 高齢者の睡眠不足は、認知症のリスクと相関関係にあるという。寝ることへの大義名分は立派に存在する。仕事やライブも取り立ててなく、寝られるうちが華だ。

 孫娘がご飯を少しだけ食べられるようになったとの知らせが午前中に入る。まだ点滴は外れないが、5日ぶりにシャワーも浴びたそうで、ベットの上で大の字になって豪快に寝ている写真が添付されていた。もう少しの辛抱だ。
 午後から今年初めて平日90円の回転寿司へ行く。妻がずっと行きたがっていたが、あれこれ忙しくて延び延びになっていた。
 年金支給日とあってか、店はかなりの混みよう。いつものように、マグロ・ほっき貝・大葉漬けイカ・鉄火巻・サンマ・かにマヨ・青さ汁などを順に食す。同じ店でもその日によって微妙に味が違うが、今日は自分の体調もよかったせいか、かなり美味く感じた。


 帰路にトライアルで定番品を調達。ここも大変な混みようで、車を停める場所が屋上の隅しかない。その足でしまむらにも寄り、一昨日買った母のフリースジャケットの替えを買う。同じVネックの色変わりで、Lサイズが1枚だけ残っていた。
 16時近くになったので、この日届けるのは断念し、家に帰って珈琲を飲む。遅めの昼食で寿司を食べたばかりだが、なぜか空腹で、またオヤツをいろいろ食べる。
 夕方にまた眠くなり、居間のベンチで1時間ほどうたた寝。とにかくあきれるほど眠い。夕食前に体重を量ってみたら、昨年末の連続ライブ終了直後に50.8キロまで落ちていた体重が、52.2キロまで増えていた。
 このところよく寝てよく食べるので、増えている気はしていた。これでもまだBMIの下限値からは外れていて、最低でも54キロはあってよい。市の定期健診でもしばしば低体重を指摘される。太り過ぎよりはマシらしいが。

 夜になって「点滴が外れました!」との弾んだメールが孫娘のお母さんから入る。高熱が出始めてからちょうど5日目。順調な回復ぶりで、食欲が普通に戻れば退院も間近だ。

2018年1月14日日曜日

孫娘、快方へ

 入院中の孫娘が快方にむかったとの嬉しい連絡が午前中にあった。

 熱が37度台の微熱に下がり、(昨夜は座薬を入れても下がらなかった)夜も眠るようになり、(愚図って満足に寝なかった)酸素吸入もなくなり、(気管支炎を併発して、一時呼吸困難に陥ったらしい)点滴の回数も減ったという。
 ネット情報の通りだと昨夜あたりがピークと思っていたが、ほぼ予想通り。小さな腕に刺さった点滴ホルダーがまだ痛々しいが、ともかくも峠は越えた感じはする。よかった。

 つききりで看病した私と妻のウイルス感染も心配だが、手洗いウガイ歯磨きをこまめにしているせいか、異常はみられない。両親もいまのところ大丈夫。こちらもあと数日は油断できないが。


 ちょっと安心して、久しぶりに弾き語りの練習を夕方にする。調べてみたら前回は1/8にやっているので、6日ぶり。
 冬の歌をピックアップして歌ったが、前回同様に喉の調子は非常にいい。歌の途中で咳き込む感じは全くなく、高音もすんなり出る。こんな感覚は久しくなかった。
 聞いていた妻に確認すると、歌はいいけど、ギターは大丈夫?との感想。休むことで喉は復活しても、ギターの特に左手の押さえは大丈夫ですか?との心配だったが、この程度の間隔なら何ら問題なく弾けることを確認した。

 あくまでテスト段階で、本格ライブを経たうえでの結論ではないが、練習は週一回くらいが喉の状態を維持するには程よいペースなのかもしれない。
 練習中にピンポン鳴って、北側隣地に引っ越してきた夫婦が挨拶にやってきた。まだ20代と思しき若い夫婦で、子供はいないが奥さんは身重。
 年末には南側隣地に引っ越してきた夫婦も挨拶にやってきたが、こちらも息子と同じ世代の若い夫婦だった。

 奇しくも入居以来、町内会長として長くおつき合いのあった80代のご夫妻が、介護付きマンションに引っ越すというので、昨日挨拶に来ていた。来るもの去るもの、それぞれに人生模様があり、ゆっくりとした世代交代の流れを肌身で感じる。
 そんな人生の波に、今後いかにして抗い、はたまた流されてゆくのか。何かと思うことの多い60代後半の日々。

2018年1月13日土曜日

孫と母への同時対応

 昨日の孫娘の容態が気になり、病院には行ったか、熱は下がったかと昼近くにメールを書いていたら、送信する前に長男からのメールが先に携帯へ届く。
 何と昨夜遅くに病状が悪化し、今朝の診断の結果「RSウイルス感染症」という風邪に似た呼吸器系の感染症で、近くの大きな病院に1週間の入院となったという。
(不思議なことに、母が骨折で入院手術した時と同じ病院だった)

 まだ1歳半なので、入院には24時間の付き添いが必要。今日はお嫁さんが休暇、明日は長男が休暇なのでひとまず対応できるが、月曜以降はお嫁さんが休暇をとった。水曜午後には数時間の付き添いを頼まれている。
 聞きなれない病名なのでネットで詳細を調べてみたら、風邪の一種だが乳幼児では肺炎や気管支炎などへ重症化しやすいという。痰や鼻水、高熱、食欲不振、脱水症状など、まさに昨日の孫娘の症状そのもの。
 長男のメールによると、入院後も39度の高熱が下がらないというので心配だ。効果的なワクチンは存在せず、保温・睡眠・水分補給・安静などに努め、自然な治癒力にまかせるしかないようだ。

 実際に罹った方の経験談も収集したが、高熱は5日も続くとか。一昨日には発熱しているので、明後日まで続くことになる。今夜あたりがピークだろうか。
 小児科では実績のある大病院への早い入院で、ひとまずの手は尽くした。祈る気持ちで孫娘の回復を待とう。

 RSウイルスは大人も感染するらしい。昨日はつききりで看護していたので、移ったかもしれない。潜伏期間は4〜6日。大人は軽症で済むらしいが。


 午後から母の施設に届けるための備品を買いに、近くのスーパーへ行く。一昨日施設に行ったとき、「ふりかけ」「ティッシュペーパー」「脱ぎ着の楽な上着(セーター)2枚」「ネッカチーフ」を早急に届けるよう言われた。
 昨日そろえるつもりでいたが、孫娘の高熱対応に奔走し、やれずじまい。孫娘ほどの緊急性はないが、明日以降もなにが起きるか分からないので、いまのうちに済ませておくことにした。

 ふりかけは朝食時に母がまた欲しがったとのこと。ティッシュペーパーは入居後1年で5箱を使い切っての補充。上着は職員さんの介助負担を少しでも減らすため。ネッカチーフは首にできて次第に大きくなるコブ(良性)を本人が気にするので、保温をかねて隠すため。
 ネッカチーフは手持ち分があったが、上着は適当な品がなかなか見つからない。前開きファスナーをイメージしていたが、紳士物にしか存在しないのだ。
 しまむらの婦人服売り場で、襟元の広いVネックのフリースジャケットを妻が見つけたが、これでよいか自信がないので、試しにLサイズを1枚だけ買った。
 買った品への記名を持参したマジックで車の中でやり、その足でただちに施設へとむかう。
 買いたての上着を施設の責任者に見てもらったところ、このスタイルでOKとなった。女性用の介護むき衣料品は種類が非常に少ない。ニーズがないのだろうか?

 ともかくも、やるべき用事がひとつ片づいた。気持ちが動揺していたせいか、薬を飲み始めて母の夜間トイレ回数が減ったかどうか、確認するのを忘れた。
「なにも言ってないということは、改善されているのよ」と妻は言うが…。

2018年1月12日金曜日

高熱の孫娘に翻弄

 昨夜遅くに長男のお嫁さんからメールがある。孫娘が朝から熱っぽく、鼻水がひどい。保育園はどうにか預かってもらったが、夕食も食べずに愚図り続け、明日の容態は微妙だという。
 聞けば熱は37度台。食欲がなく、元気もないのが普段の孫娘とは違っていて、翌日の午前中は病院に連れて行くので、午後から預かってもらえないだろうか?との打診だった。
 母の施設への面会と対応もちょうど終わり、月末までライブ予定はない。これまで預かったよりも具合が悪そうだったが、引き受けることにした。
 12時少し前に車で迎えに行くと、孫娘は意外に元気で、妻の顔を見つけると笑って愛想を振りまいた。病院の診断も軽い風邪とのことで、熱も36度台に下がったという。少し安心して家に向かうと、5分もたたないうちに車の中で寝てしまった。

 家に着くと目を覚まし、さっそくオモチャで遊び始めたが、妻が昼食の準備に手間取るうち、13時くらいから急に愚図り始めた。急いで昼食を並べたが、全く手をつけようとせず、ただ愚図るばかり。やはり様子がいつもと違う。
 途中の経過からして、眠いのでは?と疑い、試しに2階の寝室に連れてゆくと、ものの5分ほどで寝てしまった。私もそうだったが、今年の風邪はやたら眠くなる風邪だ。


 そのままコンコンと3時間近くも眠り続け、17時近くになって妻が起こして食卓に座らせた。ご飯は食べたくなさそうだったので、まずバナナを切って与えると、見る間に1本を平らげた。
 続いてラズベリーヨーグルトを食べ、それならと作りたてのかぼちゃクッキーを与えたら、少し口に入れただけで吐き出す。普段は大好物なのに、どうしたことか。
 湯冷ましをコップ半分飲み、ミカンをあげたら、こちらはどんどん食べて皮をむくのが追いつかないほど。柔らかいもの、水分の多いものしか受け付けない、典型的な風邪症状である。
 食べ終えたとたん、また愚図り始めるので、まだ寝足りないのかと再度2階寝室に連れていったら、途中で最後に食べたミカンを少し吐いた。
 身体が熱っぽいので気になって体温を測ると、なんと38.3度もある。お嫁さんから渡された薬袋には「38.5度以上に上がったら入れてください」とメモ書きのある座薬が入っていた。迷ったが、ひとまず保留にしてお嫁さん宛に病状を書いたメールを送る。
 送ったとたん、ちょうど休憩に入ったというお嫁さんから電話。相談の結果、熱が下がらないようなら座薬を使うことになる。しばらくして再度測ると、39.0度まで上がっていた。これは大変だ。

 妻と二人がかりで座薬を入れる。そのまま様子をみるが、再び眠ろうとはせず、ただ愚図るのみ。とっておきのアニメを見せても全く効果がなく、妻の作ったお粥も受けつけない。抱きっぱなしであやし続けるうち、30分経ってようやく38.0度まで下がった。
 お嫁さんの仕事は18時半までだったが、時間を過ぎてもなかなか連絡がこない。1時間が過ぎても熱は38度のままで、孫娘は泣き続ける。かなり困って再度メールを打とうと携帯を開けたら、抱いていた孫娘が待受画面に貼ってある自分の写真を目ざとく見つけ、泣き止んであれこれ話しかけてくる。
 なんだ、こんなことで泣き止むのかと、保存してある写真を順に見せ、これは誕生日にみんなが集まったときだね、これはキティちゃんの縫いぐるみを見つけて指差しているところだね、などと話すうち、だんだん機嫌が戻ってきた。

 そこでパソコンのスイッチをつけ、保存してある大量の家族写真をフォルダ順に見せて説明してやると、ますます喜んで次第に元気を取り戻した。
 ちょうどそこへ、やっと仕事が終わったとの電話がお嫁さんからある。19時半過ぎに自宅マンションまで送り届けることに決定。直後に体温を測ったら、37.8度まで下がっている。
 試しにバナナを与えてみたら、一口食べたあとに次を要求。結局半分を食べた。ずっと拒否していた湯冷ましもコップ半分をぐいぐい飲む。

「さあ、お家に帰るよ〜」と声をかけたら、元気に自分で歩いて玄関ホールまでやってきた。その後は愚図りもせず、無事に自宅まで送り届けてきた。
 妻と共に家に戻り、風呂に入って食卓についたら、時計はすでに21時を差している。かってないほど重い症状の孫娘に終日翻弄されたが、終盤は何とか持ち直し、無事に役目を務め終えた。
 撮りためてあった家族写真に思いがけず救われた感。家族のつながりの大切さを再認識した。

2018年1月11日木曜日

タイミングはいい

 風邪の症状もようやく消えたので、しばらくぶりに母の施設へ面会に行く。昨年12月中旬にも施設に届け物があったが、咳がひどくて面会は断念し、品物は受付に預けてきた。
 年末にも挨拶をかねて面会に行くつもりが、37.4度の微熱が出て、またまた断念。健康でなければ、介護もままならないということ。

 少し遠回りして近くの六花亭に寄り、職員さんへの差入れ用菓子を買う。施設に着くと、母は食堂のいつもの席でリハビリを兼ねた包帯巻きの軽作業に励んでいた。まず職員さんに挨拶し、手土産を渡したら、大事な話があると応接ロビーに案内された。
 担当責任者の方2人がやってきて、ここ数日で夜のトイレが1時間おきと異常に多く、夜間担当の職員が対応できないほどだという。
 回数が多い割に量はごく少なく、膀胱が過敏な状態らしい。尿検査でも雑菌が多くみられ、要はトイレの後始末がきちんと出来ていないということだ。


 昨年後半にトイレで転倒したこともあり、原則としてトイレには職員が付きそってくれるが、夜でも自分ひとりで済ませようとするらしく、動作が不安定で危なっかしく、いつまた転倒してもおかしくない状態らしい。

 清潔を保てるウォッシュレット使用は、職員が付き添っても断固拒否。誘導に対しても時に拒否反応を示す困った状況で、対応策として今日から尿の雑菌を減らす薬を飲み始めたが、もし数日飲んでも効果が薄ければ、次は睡眠導入剤を処方したい、という要望だった。(睡眠導入剤には家族の了解が必要)
 施設に入る以前から、あらゆる面で偏屈な性質を抱えこんでいて、これは身内でも全く対応できない。施設の職員さんはプロだが、そのプロでも時に持て余すほどだという。こちらとしては平身低頭、ひたすらお世話をお願いするしかない。
 話が終わったあと、食堂に行って母の隣りに座り、こんにちはと挨拶するとちゃんと返してくるが、「誰だか分かりますか?」と問うても、「誰だか分からん、忘れた」との返答。あなたの息子ですよと続けても、息子だって?と怪訝そうな顔を見せるだけで、包帯巻きの手だけは忙しく休ませようとしない。
 認知症状が一段と進んでいるのを感じる。たまたまだが、面倒な話が早めに済ませられて、面会のタイミングだけは絶妙だった。

2018年1月10日水曜日

爪甲剥離症が完治

 70歳を間近に控えて、健康面でのさまざまな不安が湧き上がりつつある昨今だが、珍しく健康に関する明るい話題である。
 2016年7月に突如左手の中指に発症した爪甲剥離症、病院にもかからずに独自の治療を延々続けていたが、一進一退を繰り返していた。

 その後1年半を経て、ようやく完治した模様。対策として水仕事の際は必ず左手にゴム手袋をはめ、入浴時は左手を湯船に浸さないよう心がけてきたが、地道な努力が報われて爪の剥離は1ヶ月ほど前から完全に消え、この半月くらいはそれらの対策を全てやめているが、いまのところ再発はない。

 罹患直後の爪の状態は以下の通りで、左手中指の爪が3ミリほども白く剥離している。

2016年7月、発症直後の状態

 1年半を経た現在の状況は以下の通りで、剥離は全く見られず、ごく普通の健康的な爪である。

2018年1月、完治した状態

 過去にもふれているが、対策は以下の通り。

1)一般の皮膚病の薬は一切つけない。
(当初、水虫の薬をつけたが、すぐに中止)
2)水仕事は極力避け、やむを得ない場合は台所用のゴム手袋を使用。毎日の食器洗いと夜の歯磨きには、必ずゴム手袋を使う。
3)爪を傷めやすいDIY作業や畑仕事、観葉植物の手入れなどには、薄手のゴム軍手を着用。
4)乾燥がよくないとの情報を得て、爪の先端部にハンドクリームを日に4〜5回ほど塗る。
5)入浴前にはハンドクリームを念入りに塗り、爪をお湯に浸けないよう努めた。
 以上の対策をまず半年間続けた。その後の半年間でハンドクリームを塗る回数をじょじょに減らし、最近の半年間はハンドクリーム自体を塗らず、対策は水仕事時のゴム手袋と入浴時に湯船に浸さないことだけだった。
 爪甲剥離症は皮膚科でも治療が難しいと聞くが、工夫次第で自分でも治せるようだ。同じ手法が万人に有効かどうかは分からないが、困っている方の参考になるかもしれない。