2017年1月20日金曜日

求められるままに

 知人経由で歌声喫茶への出演打診があった。雪解け以降にオープンする計画らしい。メインはアコーディオン演奏だが、主宰する方が以前に私の弾き語りライブを聴いたことがあるという。具体的な話しはこれからだが、何らかの形で参加することになるかもしれない。
 最近はこうした歌声喫茶ふうの展開をあちこちで耳にする。私自身も求められるままに、介護施設系の場で歌声喫茶ふうの構成を数回試みていて、いずれも好評だった。
 弾き語り活動を開始した当初は、もっぱら「聴かせる」あるいは「聴いてもらう」展開が主で、つまりは主役は歌い手そのものだった。
 数年間はこれだけで充分喜ばれたが、場を重ねるごとに新たな要望が生まれてきた。そう、リクエストである。

 歌い手が決めた構成を一方的に聴くだけでなく、聴き手が聴きたい曲を歌い手に歌ってもらう、という変化だった。聴き手が一歩踏み込んで、ライブに積極的に参加し始めた、とも言い換えられる。


 そして最近になって出始めた変化が、先の「歌声ふう」の展開である。単に聴くだけでなく、共に歌って、より積極的にライブに参加する形態だ。
 昭和30年代に一世を風靡した「歌声喫茶」がルーツだが、当時をよく知る人々(70〜80代)には、カラオケとは全く異なる新鮮なイメージとして再認識されているのかもしれない。

 理由や背景はどうでもよいが、要望は現実にあるので、歌い手としては取り入れざるを得ない。つい先日の介護予防センターライブでも、ラスト2曲に歌声ふう展開を試み、かなりの盛り上がりだった。
 施設によっては、単純に聴いてもらうだけの構成もまだまだ多い。しかし、介護度が低く、年齢層が60〜70代あたりで若くなると、何らかの形で聴き手もライブに参加する形式を取り入れないと、支持は得られにくい状況になりつつある。
 さらなる新しい胎動を感ずるのが、聴き手がマイクを握ってしまう展開だ。弾き語りシンガーがマイクを奪われ、ついにはギター伴奏に甘んじてしまうわけだが、現状ではまだライブのアクセントに過ぎないので、求められれば応じている。
 しかし、今後カラオケ代わりにギター伴奏の要望が増えてくるようだと、「歌いたい」「聴かせたい」という野望が根源にある歌い手にとっては、ちょっと困るかもしれない。招かれた歌い手として主役の座を奪われぬよう、日々精進を重ねるしかない。