2017年1月2日月曜日

じいさんの分岐点

 60代後半を迎えて孫娘との関わりが不意に始まり、期せずして「じいちゃん」の仲間入りを果たした。いまのところ「じいちゃん」と呼ばれるのは、長男のお嫁さんが会話のできない孫娘の代役としてコメントする場合のみ。
「あら、じいちゃんに遊んでもらって、よかったね」などといった感じで、直接会話をする際は、これまで通り「お義父さん」である。

 私の妻の場合も確か同様の使い分けだった。子供が生まれてからは、もっぱら子供の代弁者として私の父を「おじいちゃん」と呼んだ。私を呼ぶ際も、それまでの名前呼びから「お父さん」に一気に変わったのと同じだ。
 男に限定しても、第三者が呼ぶ一般名称は「ボク」→「お兄さん」→「おじさん」→「おじいちゃん」という具合に、加齢と共に変遷してゆくように思われる。
 それではその呼称の分岐点は、いったいどのあたりにあるのか?

 以前に探偵ナイトスクープという番組で、「お姉さんとオバサンの境界は何歳くらいですか?調べて下さい」との調査依頼が視聴者からあり、20〜50歳くらいの女性を1歳きざみに集めて順に並べ、7〜8歳くらいの子供数人に順に尋ねる、という面白い企画があった。
 不思議なことに、どの子供もお姉さんとオバサンの線引をするのは、38歳くらいの同じ女性だった気がする。実年齢とは無関係に、全体的な雰囲気から直感的に子供は線引をしているようで、これはおそらく全てに当てはまる普遍的な評価基準ではないだろうか。


 DNAでつながっている孫や代弁者としての親から「じいちゃん」と呼ばれるのは何も抵抗がないが、肉親とは無縁の第三者からいきなり爺さん呼ばわりされると、かなりショックだろう。
 小学校時代に習った「船頭さん」という唱歌で、「今年60のおじいさん」という歌詞があり、子供心に漠然と(60歳は爺さんなんだ…)と思っていたが、いざ自分がその年代を通り過ぎてみると、あまり実感はない。
 介護施設でのライブ活動では、80歳をはるかに超える先輩方に数多く接するが、聴き手を「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼んだことは一度もない。肉親でもない単なるボランティアシンガーにそんな呼び方をされると不快に思う方がいるだろうと想像するからで、最近は路上ライブも含めて、聴き手は全て「お客さん」「みなさん」という一般名称で通している。
 逆に聴き手からは「お兄さん」と呼ばれることがけっこうある。相手にとっては息子のような年代だが、肉親ではないので「お兄さん」となり、理にかなっている気がする。

 髪は次第に薄くなり、歯はすでに部分入れ歯状態だが、いまのところ第三者から爺さん呼ばわりされた経験はない。
 人を型にはめた呼び方をしたがる人々は好まず、なるべく避けるようにしているが、「真のじいさん」への分岐点は、いずれ否応なしにやってくるはず。それまでの時間をできるだけ長く保つべく、せいぜい歌の練習に励んで、少しでもハリのある声を保つよう心がけるとするか。