2016年11月30日水曜日

施設を移るストレス

 老健施設への転居のため、朝早く起きて母の暮らす施設へと向かう。長姉の都合が悪くて立ち会えないというので、急きょ妻に代役を頼んだ。一夜にして10センチ近くの雪が降ったが、幸いに通行に支障はなく、9時ちょうどに到着。挨拶もそこそこに作業を始めた。
 まずは事務室で退居に伴う書類に記入なつ印する。家賃等の精算後、入居時に納めた敷金の一部が戻ってくるらしい。
(ちなみに、老健施設への敷金や入居費は不要だった)

 まずは母を探すが、いつもいる食堂に姿は見えない。事務室でダンボール箱と台車を借り、部屋に行ってみると、母はベットで寝ていた。
 退居手続き時に知らされたが、母は昨夜未明に部屋を抜け出して、別の部屋に入り込んだらしい。動機は不明だが、転居を職員から知らされたことによる動揺が、徘徊につながったのかもしれない。移るギリギリまで心配させるが、それももうすぐ軽減される。
「おはよう」と声をかけてすぐに荷物をまとめにかかったが、母は「今日は何するの?」とキョトンとしている。心配していた抵抗は全くなく、やや拍子抜け。
 10時には出発したかったので、あまり余裕はない。思っていたより荷物が多く、考えずにどんどん放り込んだら、段ボール箱5つにもなった。そのほかに大型のプラ引き出しもあり、大人3人と荷物全部を載せるには、非力な軽自動車ではとても無理だった。
 事情を話し、急を要しない荷物はあとから取りに来ることにする。

 ともかくも荷物を詰め込んで借りていた車椅子も返し、10時には出発した。車に乗って3人になった途端、母は急に普通の様子に戻って、「車がいっぱいで、にぎやかだねぇ」とか、「○○子さん(妻の名)は元気?」などと聞いたりする。
「後ろに乗ってるよ」と応ずると、「あら、そうだったっけ」ときた。作業時に顔を見て妻を思い出し、ついでに名前まで思い出したようだ。妻はしばらくぶりの顔見せなのだが…。


 約束の10時半少し前に新しい施設に到着。ここでは荷物をすべて台車で職員(ボランティア?)の方が居室まで運んでくれた。その扱いの違いに驚かされる。
 居室は2階の陽当たりのいい南部屋。トイレが目の前で、厨房にも近い。母の様子を事前に充分調べ、場所も配慮してくれたらしい。

 その後1時間ほど、ケアマネジャーや看護師、栄養士、リハビリ担当の方が入れ替り現れ、挨拶やら細かい打合せをする。その間妻は荷物の整理に励んでいたが、収納スペースがやや少なく、衣類が全く整理されていなかったので、煩雑さに悲鳴をあげていた。
 母もいろいろな人と初対面の挨拶を交わし、昨夜からの緊張もあったのか、途中で疲れた表情を見せ始めたので、カーテンを閉めて昼食までベットで横になってもらった。
 面会時の手順の説明を受け、(手の消毒のほか、体温を測って書類記入。さらにはマスクを常時つけることが義務)いったん自宅に戻って昼食をとった。
 居間のベンチでちょっと横になったが、前施設に荷物を残してきたことが気になり、仮眠できない。結局午後から取りに行くことになった。

 傷んでいた衣類をまとめて途中でリサイクルショップに置き、前施設に残っていた3つのダンボール箱を積み込む。月末なので帰路にあるトライアルで定番食材をついでに買い込む。不足していた母の衛生備品も100均で買った。
 ようやく終わって家に戻ったら、あたりはすでに薄暗い。再度届ける備品は急を要しないので明日以降と決め、その後も黙々と荷物の整理を続けた。

 移動距離も比較的短く、作業の手が2つあったにも関わらず、思っていたよりも時間がかかってしまい、さすがに疲れた。腰痛が回復傾向で、痛みが出なかったことが幸い。
 病院を除き、この7年間で母にはこれが3つ目の施設となるが、居場所が変わるというのは、本人にとっても家族にとっても相当なストレスになるものと悟った。

2016年11月29日火曜日

母が老健に転居

 かねてから申請していた母の別施設への転居が、昨日正式に決まった。週2回通っている通所リハビリデイケア施設に併設されている老人保健施設(老健)への入居で、部屋に空きができたという。
 11/30、つまりは明日入居という急な話だが、善は急げとばかり、必要な打合せは昨夕済ませてきた。支払いや連帯保証人等の書類は、通所リハビリ利用時にすでに済ませているので、打合せはごく簡単だった。
 新施設は自宅から3キロ弱。車なら10分もかからない。歩いても30分で着く。


 年内入居は難しいものと覚悟していただけに、まだ雪が少ないうちに決まって、本当にラッキーだった。住宅型有料老人ホームという形態の現施設に比べ、歩行のリハビリ訓練や介護の対応など、いろいろな面で安心できる。
 老人保健施設なので、半分は病院のような環境。ずっといられるわけではなく、あくまで仮住まいという位置づけだ。最終的には特養ホームの空き待ちとなるが、それまで介護対応が急に変わるという不安はない。

 まだ転倒の恐れが解消されたわけではなく、転居による不慣れの問題も今後あるだろう。しかし、母にとっていい方向の環境が整ったことは間違いない。
 年末を目前にし、ずっと抱えていた懸念事項がひとつ減った。

2016年11月28日月曜日

ライブ写真また引っ越し

 3ヶ月ほど前にライブレポ写真をヤフーボックス内に全てまとめてしまうことを書いたが、その後暇を見つけては地道な作業を続け、全420本余りのライブ記録のうち、およそ300本分を整理した。
 写真の幅も統一し、仕上がりに不満のある写真は再編集。アーカイブとしてのホームページ記録分のほか、関連するブログの写真も同時に画像アドレスを修正するから、作業量はかなりのもの。
 当初は600枚くらいと見込んでいた写真数は、予想をはるかに上回って、700〜800枚あたりに達する気配。よくぞ撮って、よくぞ歌った。
 すでに2/3に相当する整理を終え、先は見えていたはずだが、ここにきてトンデモナイ問題が起きた。https経由でセキュリティも万全。ストレージ容量が50Gもあり、ファイルの整理もやりやすくて万全と思えたヤフーボックス経由の画像表示が、突然おかしくなっていることに気づいた。

 今回の大整理で、画像幅は原則として横400ピクセルに統一させたが、その表示がなぜか拡大されていて、全体がぼやけている。調べてみると、20%拡大の横480ピクセルになっていた。


 いろいろ調べてみると、ヤフーボックス経由の画像は大きさに関わらず、横480ピクセルにサムネール表示されてしまうらしい。しかし、作業を開始した当初は、ちゃんと原寸大表示されていた。それがここにきて突然の表示異変。なぜだ?

 理由はさておき、画像は原寸大表示が最も美しくなるよう調整されている。強制的に横400ピクセルで縮小表示させてみるが、元画像の美しさからは程遠い。
 こうなれば残された手段はひとつ。そう、全画像を他のオンラインストレージに再転送させるのだ。
 当初の候補にあったドロップボックスとGoogleフォトのうち、https経由での表示が可能で、容量にも余裕のあるGoogleフォトを使うことを即断。ファイルの整理方法にやや問題はあるが、テストしてみた結果、表示そのものには問題ない。同じグーグル系なので、グーグル系のブログであるBloggerとの相性もよい。

 手始めにヤフーボックスにまとめてある600枚近くの画像をダウンロードし、Googleフォトにアップロードする作業から始めた。ひとまず200枚分の作業を終えたが、ホームページとブログへの反映はこれから。
 アップロード分の編集修正はすでに終えているので、手を動かすだけの単純作業。以前にやったヤフージオシティーズからBloggerへの全記事転送作業の苦行から比べると、手間としてははるかにマシなのだが、なんともはや。

2016年11月26日土曜日

油量計フロート決着

 平年値からは程遠いが、この2日間まずまずの陽気。時折太陽も顔を出すので、昨日に続いて灯油タンク油量ゲージの修正作業をやった。

 フロートにつける重さを15〜40gの範囲で調整すればいいことは分かったので、まずは25gを試す。このあたりが程よいはずだったが、なぜか重すぎる。フロートの先端に装着したので、支点からの距離が長くなり、想定よりも効いてくるようだ。


 いろいろ材料を変えて試すうち、フロートを固定しているストッパーが外れてしまった。いい機会なのでいったん抜き取り、曲がっていた支持棒を直線に近づける。フロートの固定は、ビスを穴に直接ねじ込んでやることにした。

 試行錯誤のすえ、ようやく適当な位置に止まるポイントを見つけた。2種類つけたL字金具とビスの合計重量は15gほどだが、すべて支持棒の先端に配置できたので、テコの原理で軽くても充分効果的らしい。


 昨日の最終写真と比べると分かるが、赤い指標の上端が数ミリ下がり、ほぼ適正値を指している。(灯油業者は満タン以上に給油するのが常である)
 結果として、計算した浮力の1/3程度の重りで済んだが、重りをつける位置がかなり影響するようだ。支持棒やフロート自体の重さも関わってくるので、軽めの重りから順に微調整するしかない。

 満タン時の場合はこれでOKだが、問題は半分以下に減ったときの表示。かなり前に「支持棒を途中で折り曲げる」という手段で満タン時の指標を合わせたことがあるが、半分以下になると誤差が激しくなり、使えなかった苦い経験がある。
 今回は支持棒自体をいじってないので、理論的には油量が少ないときにも誤差は生じないはずだが、実際にどうなるかは来月末あたりまで分からない。

《2016.12.30 追記》
 その後1ヶ月を経て、油量計指標が半分ほどを指した。そこで給油口から重りをつけたヒモをタンク内に直接垂らし、油面を実測。その結果、ほぼ指標通りの残量であることが判明した。


 これにより、満タン時と半分に減ったときの両方で実量に近い表示が得られることを確認。写真ではヒモが灯油で濡れた範囲が分かりにくいので、金色のワイヤーひもでしばってある。

2016年11月25日金曜日

灯油タンクゲージに重り

 3日前に今冬初めて灯油ホームタンクへ給油した。毎年同じ時期に満タンにしているので、その年の灯油消費量の増減が把握できるが、今回は例年よりもやや多めだった。

 今年1月から燃焼効率が向上するという灯油添加剤を試験的に使い始め、暖房ボイラも最新式に換えたばかりだが、目立った削減効果は出ていない。10月からの異常低温で、普段よりも暖房ボイラの運転が格段に増えた。これにより、いろいろな節減要素が一気に吹き飛んでしまった可能性が高い。
 次回給油予定は1月上旬なので、もう少し様子を見る必要がある。それまでに気象が平年値に戻ることを祈りたいが。


 灯油タンクの油量ゲージを交換して以来、表示が実際の量と一致しないという問題をずっと引きずっていて、およそ半分の量を基準に、だいたいの目安で油量を推測しているのが現状。
 実際の量に近い表示に近づける手段がないか、ずっと考えていたが、油量ゲージのフロートに重りをつけてやれば、多く表示されてしまう欠点を修正できるのでは?と思い立った。
 特に誤差が大きいのが、満タン時の表示。フロートに重りをつけ、下方向に数センチ沈めてやれば、実情に近づくはずだった。
 まず油量ゲージを抜き取り、フロートの浮力を調べる。直径36×長さ55で、体積がおよそ56ccとなる。灯油の比重は0.8なので、56×0.8≒45gの浮力が働いているはず。フロートを下げるには、45g前後の重りをつければいいことになる。


 さっそくいろいろな重りをつけて試した。条件としてはフロートの支持棒に縛りつけやすい細長いもの。55gの鉄棒をまず試したが、重すぎてダメ。50gのパイプ支持金具や、40gのキャンプ用ペグと順に試したが、いずれも重すぎる。
 フロートや支持棒自体の重さもあり、もっと軽くてよいことを知る。一気に15gのL字金具で試すと、さすがに軽すぎて指標がわずかに下がるだけ。まだ腰が本調子ではなく、寒い中での脚立の昇り降りが辛くなってきたので、作業はここで打ち切った。

 感触としては、25〜30gあたりがいいバランスになりそうな感じで、方針としてはたぶん間違っていない。近いうちに、再挑戦しよう。

2016年11月24日木曜日

記録はあとで活きる

 相変わらず気温が上がらず、2日連続の真冬日となった。雪もかなり積もって、近隣の土木センターでは積雪深7センチ。今冬の累積積雪量がすでに46センチで、平年値の3倍もある。このまま根雪になってしまうのか?悪夢だ…。
 難しい仕事も昨夜未明に納品し、特にスケジュールはない。久しぶりにゆっくり寝て、さあ起きようと身体を伸ばしたとたん、なんと布団の中で腰がギクッときた。まだまだ完治には程遠い。

 こんな日は家でじっとしているに限るが、あいにくホッカイロを切らしていて、昨日ライブ帰りに買ってくるのを忘れた。しばらく寿司を食べていないので、昼食をかねて平日90円回転寿司に車で行く。
 うまい具合に隣にツルハがあったので、帰りに寄って10個203円のホッカイロを買った。家に戻ってさっそく患部に貼る。慢性化した腰痛はこれに限る。


 来月のライブに関し、バタバタと新しい動きがあった。近郊都市にあるサ高住から、2日間にわたって計3本のライブ依頼が先日あったが、演奏ボランティアの受入れ経験が乏しいらしく、その内容を決めるのに時間がかかっている。

 昨日のライブで不在中にFAXがあり、細部に関して今日打合せたが、ようやく方向性が固まった。介護度の重い施設では30分、軽い施設では45分をベースに構成することになる。
 まず私のソロで30分やり、その後は場の要望に応じてアンコールをかねたリクエスト。ラストに全員で歌声ふうシングアウトというのが、最近の傾向。それに準じたものだ。
 その後、別の障がい者施設からも電話がある。来月中旬に予約が入っているデイサービスの系列で、同じ日に施設の別の階で、時間をずらして歌って欲しいとの打診だった。
 移動は5分で可能なので、基本的には問題ない。しかし平均年齢が若く、嗜好がバラバラなのがこの種の施設の難しいところ。デイサービスと同じ構成では演れない。過去の経験等を話し、好みを事前に充分調べてもらうことをお願いした。
 いろいろあって、来月のライブ数は12本に膨らんだ。1日に2本が2度あるので、日数としては10日。それでも多いことは確か。請われること自体は嬉しいが、う〜ん…。

 実は来月上旬、数年ぶりに子供相手に歌うことも決まっている。町内会子供会のイベントで、運営は母親が中心になってやるが、聴き手の主役は未就学児〜中学校低学年の子供たち。
 子供が対象のライブはおしなべて苦戦していたが、数年前に地元の養護学校を対象にしたライブでは、新発想で臨んで非常にうまく運んだ。その際の構成や場の反応を伝えると、初めての依頼だった先方は、かなり安心した様子。
 子供を対象にした演奏ボランティアは、なかなかいないのが実情。実施は少し先だが、当時の記録を引っ張り出し、何をどう歌うか軽く調整した。当時のノウハウがきっと活きると思う。

2016年11月23日水曜日

寒いけど熱い

 年に数回招かれる近隣のデイサービスで歌った。特にイベントはなくとも定期的に声がかかり、職員さんや入居者の方々ともすっかり顔なじみ。2014年に最初の依頼があって、今回が通算7度目のライブ。互いの厚い信頼関係が築かれつつある。
 11月の下旬だが、折悪しく真冬並みの低気圧が上空に居座っていて、最高気温がマイナス2度、最低気温がマイナス7度という、時期外れの厳寒真冬日だった。積雪はそれほどでもないが、とにかく寒い。凍てついた道を慎重に車を走らせる。

 幸いに車で15分の近距離で、開始15分前に無事に到着。テーブルの配置はそのままにし、入り口付近の空いたスペースで歌うことになる。
 予定ぴったりの14時から始め、職員参加の歌や数度のアンコールなどあって、予定オーバーの1時間5分で18曲を歌った。


《前半〜ソロ》
「高原列車は行く」「瀬戸の花嫁」「お座敷小唄」「ちいさい秋みつけた(リクエスト・初披露)」「うちのお父さん(勤労感謝企画)」「おかあさん(勤労感謝企画)」「長崎の鐘」「銀色の道」「舟唄」「矢切の渡し」「熱き心に」

《後半〜職員とのコラボ》
「時の過ぎゆくままに」「雪國」「サボテンの花」「また逢う日まで」
「あの素晴しい愛をもう一度」「青い山脈(アンコール)」

《アンコール→私のソロ》
「夜霧よ今夜も有難う(リクエスト)」
 前回好評だった職員さんとのコラボ演奏を今回も採用。曜日が異なるので、コラボ演奏は同じ曲目でやることになり、従って事前のリハは省略した。
 前半35分ほどは私のソロ。ライブ記録を調べ、ある程度の季節感も意識しつつ、過去にあまり歌ってない曲、初めて歌う曲を中心に構成した。


 開始前から複数の入居者の方から声がかかり、歌い手としては非常にやりやすい雰囲気だった。曲ごとの声援や拍手にも熱いものがあり、外の寒さを吹き飛ばす勢い。
 中間部に施設長さんと事前に打合せた「勤労感謝特別企画」を入れる。お父さん、お母さんに感謝しましょう、という売りだったが、この日は何をやっても受ける状況で、介護施設では難しいと思われたフォーク「うちのお父さん」にも手拍子喝采が続く。

 35分経過後から、職員さんとのコラボ演奏に突入となる。同年代の送迎担当の方とまず4曲歌い、最後に施設長さんと1曲を歌う。私はマイクなしで伴奏が役目だが、要所では歌の入りやハモリで参加した。
 どの施設でもそうだが、職員さんとのコラボには外れがない。普段の接触時間が長く、親しみの度合いが違うので当然といえば当然か。
 予定を終えると、ヘルパーさんが中心になってアンコールの要求。半分はお約束アンコールのような形だが、ここは3人一緒に「青い山脈」を歌詞指導つきで全員でシングアウトした。
 時計はぴったり15時。コルセットとホッカイロでガードして臨んだので、恐れていた腰痛も起こらず、ヤレヤレと撤収にかかろうとしたら、またまたアンコールの声あり。全くの想定外だったので驚き、では何を歌いましょうかと、場にお伺いをたてた。

 すると、最前列にいた女性から「夜霧よ今夜も有難う」をぜひに、とのリクエストあり。これが聴きたくて本来の利用日を飛び越えて、わざわざ参加したという。そこまで請われると応じないわけにはいかない。
 ところが、かの女性が歌の途中で涙をポロポロこぼし始めた。周囲の人にも涙が広がり、場が一種異様な雰囲気になった。あとで知ったが、亡くなったご主人が大好きだった曲だそうで、いい供養になりました、ありがとうございますと、何度も頭を下げられた。
 ラストがしんみりし過ぎた感がしないでもないが、自分の歌で泣いてくれるのは、歌い手冥利に尽きるというもの。長い付き合いのある場なので、こんな終わり方もたまにはよい。

2016年11月22日火曜日

再びのギックリ

 私にしては早い7時半に起き、母の暮らす施設へと向かう。先月に引き続き、骨折して入院手術後の2度目の通院だった。
 うっすら雪が降り、気温は零度ほどと寒い。9時に施設に付き、母にコートを着せて持参の毛糸帽子をかぶせる。通院は家族の役目なので、先月同様に私の軽自動車で病院へと向かった。
 9時10分に施設を出たが、やや渋滞していて、30分かかった。後部座席を倒して積んでおいた車椅子を取り出し、ロックをセットしようと屈んだとたん、腰に激痛。例のギックリ腰で、症状が改善されてきたので、この日は油断してコルセットもホッカイロもつけていなかった。

 痛みを必死でこらえ、母を載せてひとまずは病院に入る。ただちにレントゲン撮影となったが、待っている間も腰が痛むので、周囲に人がいないのを幸いに、床にしゃがんで急きょ腰痛体操をやった。
 母の通院で整形外科にやってきたはずが、診察して欲しいのは自分という情けない状態。このところの多忙とストレス、そして低温とが遠因になっているのは間違いない。明日のライブをこなせば、しばらくスケジュールが空くので、養生しなくては。


 母の症状はかなり改善されていて、すでに痛みは訴えない。先週施設で椅子から落ちたそうだが、特に問題とはなっていない。
 大腿骨と肘の患部かなり修復されているそうだが、残念ながら左肘のギブスを外すには、時期尚早とのこと。今日こそはギブスが外れ、通院引率の煩わしさから解放されると期待していたので、ちょっとガッカリした。

 しかし、高齢ということもあり、骨の復活には時間がかかるというので、仕方がない。当分は親や子供、そして孫まで、幅広く気を配らなくてはならない。これも持って生まれた宿命と覚悟を決めるか。
 腰をかばいつつ母を施設まで送り届けて、この日の役目は何とかやり終えた。自宅に戻ってただちにホッカイロを腰に貼る。昼食をとってどっと疲労感に襲われ、予備ベットで2時間ほど仮眠。
 その後、夕方まで進行中の仕事を続けたが、ホッカイロが効いたのか、かなり楽になった。明日のライブではまた機材を運んだりするので、コルセットをつけて臨むことにしよう。

2016年11月21日月曜日

ギックリ腰の要注意時期

 実は2週間前からずっと腰の調子が悪い。例年秋から冬にかけての寒い時期に突然やってくるギックリ腰の症状である。最近は気配を察知すると、いち早く腰コルセットを装着したり、冷湿布を貼ったり、はたまたネットで見つけた秘伝の腰痛体操を試みたりする。
 おかげで以前のように寝返りも満足にうてない激痛は回避しているが、無理をすると悪化するので、ずっと用心していた。

 じょじょに症状は緩和されてきたが、朝起きて布団をたたもうとすると、一瞬ギクッとくる。まだ油断は禁物だが、すでに初期の段階は過ぎているので、最近はホッカイロで温める温熱療法に切り替えている。完治はもう少しだ。
 ずっとかばい続けてもよくないので、散歩も少しずつやっているが、今日は午前中に3キロ離れた郵便局まで歩いていった。自宅からだとさすがに無理があるので、中間地点にある地区センターに駐車し、そこから歩く。
(帰りに地区センターでも用足し)
 先日住宅メーカーからの依頼で設計資料を焼いたCDを集配局で直接出した。先方が急いでいる感じがしたからだが、案の定家に戻ったら、催促の電話があった。
 ついでにゆうちょ銀行に入金される年金の一部を、光熱費用の別銀行に預け変える。年に2回くらいやっている作業だが、だんだん面倒になってきたので、光熱費や税金関連の引き落としは、全てゆうちょ銀行に切り換えるべきだろうか。ちょっと悩む。

 さらなるついでに、スーパーに寄って衣料品コーナーを物色。冬用の靴下が欲しかったが、3足300円の廉価品を発見。迷わず買う。
 横にある100均Seriaにも寄って、ライブスケジュール専用の机上カレンダーを買う。銀行が3つとスパー、100均、ツルハ等が固まっているので、一気に用事を片づけられる。
 いろいろ用足しして家に戻り、昼食を食べたら、急に睡魔に襲われた。2階予備ベットで毛布をかぶってウツラウツラしていたら、突然のピンポン。階下に妻がいるはずだが、一向に出ようとしない。やむなく起きて応対したら、近郊の街に住む学生時代の友人夫婦だった。
 2〜3年会ってないので、実にしばらくぶり。予告なしの訪問だったが、ブログを読んで孫娘へのプレゼントを持ってきたそう。細かい気遣い、ありがとう。
 居間のベンチで昼寝していた妻もようやく起き出してきて、しばし旧交を温める。メールでときどき連絡はとっていたが、メールやブログには書けないことや載せられない写真等も多数あり、2時間ほど楽しい時間を過ごした。

 今年は9月にも別の学生時代の友人夫婦がやってきたばかり。65歳を過ぎて、少しずつ現役を引退し始める時期で、お互い時間がとりやすくなっている背景もありそうだ。

2016年11月19日土曜日

40年ぶりの子守り

 午後から長男夫婦と近隣のイオンで待合せた。テナントで入っている写真館に寄って、仕上がったお食い初めの家族写真を受け取る。額に入った立派なものを2つもいただいた。
 いつもは緊張で写真映りのよくない妻が、珍しくよく撮れていた。他のメンバーも善男善女の顔がそろっている。いい記念になった。

 帰路は長男夫婦の求めに応じ、西松屋に寄ってベビー用品を調達。紙オムツや衣類が中心だが、握ると水が飛び出すアヒルのオモチャが売っている。お風呂用のオモチャがないというので、プレゼントで買ってあげた。
 最初に生まれた自分の娘にも、お風呂用の泳ぐ恐竜のオモチャを最初に買った記憶がある。娘はエラく気に入ってくれ、お風呂以外でもずっと遊んでいたもの。そんなことを思い出す。
 家までの道のりは、先日買ったベビーシートを初めて試した。ミッフィーの人形でテストずみで、問題なく載せられた。後部座席限定なので、横にはお嫁さんが座って見守る。自宅に着くとシートベルトを外し、取手を持ってそのまま運び込んだ。
 以降は7時間近く、オムツ交換とミルク時以外はずっとゆりかごとして寝かせておいたが、なかなか便利に使える。


 妻はお茶や夕食の準備に忙しく、子供をあやすのは必然的に私の担当。まずは30年前に買ったカシオの自動演奏キーボードを引っ張り出し、子供用の歌をBGM的にエンドレスでかける。
 飽きると我が子が小さかったころを思い出し、「変顔」を作ってあやしたが、これは受けた。ゲラゲラ声をあげて笑っている。40年経っても、子供が喜ぶものに違いはない。

 途中からはギターを引っ張り出し、子守唄やら童謡を思いつくままに弾き語る。まだ4ヶ月足らずの孫娘、じっと見つめて聴いている。すごい集中力だ。
 歌い続けている限り、決して泣くことはないが、歌う方も休みなしだと、さすがに疲れる。しかし、ギターでの弾き語りが立派に子守りとして通用することが分かった。
 子供が加わると、全ての行動が子供中心になるものだと再認識したが、これが家族としての新しい在り方なのだろう。

2016年11月18日金曜日

やめ時

 かっては多くの仕事を貰っていたが、ここ数年はとんとご無沙汰だった取引先から、突然の電話があった。なんでもこの4月に30数年続けたデザイン会社を解散し、全ての業務から手を引いたという。
 私より3つ年下だが、ほぼ同年代である。60歳を過ぎたころには、「オレは70歳まで働くよ」と、胸を張っていたはずが、引退するには少し早すぎる。
 電話の要件は、かって手がけていた市内の住宅メーカーの完成画像を保存していないか、というもの。長く同じメーカーの仕事を続けていたので、仕事をやめてもまだ問合せがあるらしい。
 仕事関連の資料はすでに全て廃棄したか、散逸しているという。10年以上も前からの仕事だから、処分しても仕方がない。

 図面が紙に手書きだった時代の資料は大半を処分してしまったが、CAD化されて以降の資料は場所をとらないこともあり、全てを保存してある。その旨を告げると、メーカーの担当者と直接打合せて、資料一式を先方に送って欲しい、ということになった。
 あいにく引退した理由は聞きそびれたが、「仕事をやめたら、菊地さんみたいに書くほうで何かこの世に残したいと思ってる」とかねてから聞いていたので、おそらくはそっち方面に打ち込むのではないだろうか。


 頼まれた仕事は丸一日かけて資料を整理し、CDにまとめて焼いた。依頼台帳を作って現場ごとに情報をまとめてあるので、どの画像がどの現場であるかのリストも年代別に作製し、CDに同梱。
 パースを主とする完成画像は120点もあった。随分とたくさんの仕事を貰ったものだと、感慨にふける。長年のお礼にと、対価なしのサービス業務である。
 開業依頼、細く長く34年続いていたお付き合いが、またひとつ途切れた。
 同じ日の昨日、近くの地区センターに長く勤めていた女性から、突然のメールが届いた。実は8月に地区センターを退職したが、ブログで私の名を見つけ、何かとお世話になったので退職挨拶のメールを送る気になったという。
 主にロビーコンサートを担当してくれた方だが、適切な気配りと機転とで随分と助けられたもの。さっそく感謝の言葉を送ると、ただちに返信があり、いまは介護施設で働き始めたばかりで、いつかきっと菊地さんに歌の依頼ができるよう、がんばりたいと記してあった。
 地区センターから介護施設への転身とは珍しいが、心中期する何かがきっとあったのだろう。

 それが能動的なものか受動的なものかは別にし、どんなことにも必ず終わりはある。続けることも大切だが、同時にスッパリやめる踏ん切りも大事。私のこれまでの人生にも、多くの「やめ時」があった。
 幸いに、倒産や解雇、リストラ等の受動的なものはなく、全て自分の意思で打ち切ってきたものばかり。
 能動的とはいっても、実はやめる時期はむこうからやってくるものだと、年を重ねてみて思う。ひとつ終わるとひとつ始まる。それが人生。やめ時を見誤って、恥をさらさないことが肝心か。

2016年11月17日木曜日

手堅くまとめた

 1週間前に歌ったばかりの有料老人ホームで再び歌った。前回と同じ誕生会余興だが、建物と歌う時間が異なる。
 前回は介護度がやや重い「介護棟」と呼ばれる建物で、今回は介護度の低い「一般棟」と呼ばれる建物。当然ながら聴き手は全く異なり、歌う時間帯も前回の午前中から夕食後のデザートの合間に、という設定に変わった。

 介護施設で夕方開始のライブは過去に例がなく、食事中という設定も数少ない。歌い手の条件としては厳しいが、全く同じ構成でも構わないという。準備そのものは楽だった。
 開始予定は17時15分だったが、かなり早めの16時35分に施設に着く。会場となる食堂に人が集まり始めた時間で、設営のタイムロスを少なくするべく、控室で機材を予め組み立てて準備した。
 食事がやや遅れ、17時30分から歌い始める。イベント開始からすでに45分が経過し、場はすっかりリラックスムード。そんな気分を壊さぬよう、慎重に進めた。アンコールを含め、およそ25分で8曲を歌う。

「高原列車は行く」「二輪草」「愛の讃歌」「幸せなら手をたたこう」「高校三年生」「星影のワルツ」「青い山脈(全員で)」「また逢う日まで(アンコール)」


 1週間前と全く同じ構成で構わない、とは聞いていたが、施設長さんの話などを参考にし、以下の3点に変更を加えた。

1)2曲目「瀬戸の花嫁」をカラオケ色の強い「二輪草」に。
2)「幸せなら手をたたこう」の3番の歌詞「ほっぺつねろう」を難易度の高い「笑いましょう」に。
3)アンコール「月がとっても青いから」をPOP風の「また逢う日まで」に。

 聴き手の介護度が低く、カラオケ好きが多いとの事前情報から加えた変更だが、結果として2曲目はどちらでも大差なかったような気がした。


 聴き手はおよそ50名。運営母体が同じせいか、全体的な場の雰囲気は1週間前の介護棟と比べて大きな違いはなく、じっくりと歌に耳を傾ける「傾聴型」である。
「幸せなら手をたたこう」を機にじょじょに乗ってくる展開も同じだったが、最初に「ぜひご一緒に口ずさんでください」と声をかけたこともあってか、一緒に歌う声は数多く耳に届いた。
 ラストの「青い山脈」では、完全に歌声サロン風の雰囲気。アンコールは職員さん中心の「お約束アンコール」だったが、ここでは思いついて前回歌った「月がとっても青いから」と「また逢う日まで」の二択を場に求めてみた。
 すると思いがけず「また逢う日まで」の声が圧倒的。ラストは自然発生の手拍子と歌声が広い吹き抜けホールに響き、楽しいシングアウトとなった。

 喉の調子がいまひとつで、体調は必ずしも万全ではなかったが、前回と同じく職員さんや入居者の方に数多く声をかけていただき、手堅くまとめられたと思う。

2016年11月16日水曜日

排水栓ゴムパッキンの劣化

 新築時から17年間使い続けている洗面台の排水栓ゴムパッキンが、経年劣化で止水できなくなった。TOTOの「ワンプッシュ排水栓」と呼ばれるもので、シンク内にあるボタンを押すと排水栓が閉じて水が溜まる仕組み。
 毎日の洗面は流水でやるので支障ないが、たまにやる手洗いでの洗濯時には排水栓を閉じてシンクに水を溜めるので、水漏れがあると役に立たない。

 症状が現れ始めたのは数年前から。冬物をまとめて洗濯するときなど、やむなく台所用ラップなどを使って強引に排水口を遮断していたが、不便このうえなかった。


 排水栓のゴムパッキンを交換すれば改善するのは分かっていたが、探し方が悪いのか、外径46内径27のゴムパッキンがネットでは見つからない。

 別の素材、たとえば版画用のゴム版などを加工して自作しようかとも考えたが、ふと思いついて排水栓のヘアーキャッチを緩めてゴムパッキンを外し、裏返して再セットしてみた。

 すると、ウソのように症状が消えた。どうやら裏側のゴムは形状が変化してなく、水の遮断が可能らしい。



 この方法、あくまで一時的な対症療法で、文字通り「裏技」である。やはり新品のゴムパッキンに交換すべきだろう。
 しかし、このまま症状が治まるなら、ズルズル使い続けそうな気もする。

2016年11月14日月曜日

「続・深夜食堂」を観た

 深夜のテレビ番組で見つけ、すっかりファンになった「深夜食堂」の映画版続編を、妻と再び観に行った。
 テレビの3シリーズ30話は全て観ていて、昨年2月に公開された映画版も観た。テレビでの新シリーズを心待ちにしているが、なかなか実現しない。しかし、映画版でも出演者の顔ぶれや舞台は全く同じ。充分満足できるだろう。

 異常気象も一段落し、晩秋らしい穏やかな陽気。上映館は前回と同じ札幌JRタワー東棟にあるステラプレイス7Fの札幌シネマフロンティアだった。どう行くべきか迷ったが、都心近くの量販店駐車場に車を停め、JRの高架下遊歩道を歩いて向かうことにする。
 チカチカパフォーマンスで時折利用するルートだが、妻を伴って歩くのは初めて。とても雰囲気のある道ねと、妻はすっかり気に入ってくれた。


 前回、時間ギリギリに行って満席に近く、最前列での鑑賞を余儀なくされた。同じ失態は避けたかったので、今回は事前にネットで席を予約し、カードで決済という新手段を初めてやってみた。通常1人1,800円が1,100円になる「夫婦50割引」も普通に利用できる。
 フロアに設置の自動精算機に決済したカードを差し込むと、予約分のチケットがスルスル出てくる仕組み。これは便利だ。
 開始が13時10分のお昼どきだったので、事前にイオンで買っておいたオニギリ1個で軽く腹ごしらえ。席についたのは開始5分前だったが、中央やや後ろの特等席に悠々座れる。これぞネット予約の恩恵である。

 前回同様、3話のオムニバス風構成になっていて、各話のおよその内容は以下の通り。

・第1話「焼肉定食」(約30分)河井青葉、佐藤浩市
・第2話「焼きうどん」(約30分)キムラ緑子、小島聖
・第3話「豚汁定食」(約50分)渡辺美佐子、多部未華子


 全体を貫くキーワードがあって、ズバリ「死」がそれである。死の悲しみを、生の象徴である「食べる」ことで癒やす、といった趣向か。
 そうビッグな俳優は出演してないが、個性派俳優がそれぞれいい味を出している。前作の第2話に登場の多部未華子が今回も第3話に同じ役で登場し、好演していた。彼女はテレビ版には出ていないが、この作品にはピッタリはまっている。次回作にも期待しよう。

 テレビ版のラスト同様に、今回のラストも深夜食堂に常連が集って、楽しく年を越す、という大団円。やはりこの作品には、こんな終わり方が似合っている。
 寒い時期に身体もココロも、何となく暖かくなる。ファンの期待を裏切らない映画だ。

2016年11月13日日曜日

暖房ボイラ循環液水位

 早い冬の訪れで、17年ぶりに新しくした暖房ボイラ(温水ボイラ)がフル稼働中だが、まだ使い慣れていないせいか、調整に日々腐心している。

 リモコンはこれまで同様にタイマー付きのものを設置したが、時間設定が分単位で可能だった従来品と違って、1時間単位でしか設定できない。主に深夜にやっていた微小燃焼への自動切替えも不可能で、あまりに大雑把だが、他メーカーのリモコンは使えないので受け入れるしかない。

 タイマーはデフォルトの時間設定のほか、3つの時間帯が自由に設定できる。まだ手探り状態だが。いまのところ以下のような運転法をとっている。
朝7時に運転開始〜深夜0時に終了のタイマー運転が基本。
(0〜7時の間は完全オフ)

・先に起きた妻が「暑い」と判断した場合、その時点で手動による運転オフ。
 窓からの日射が強い場合がそれで、およそ9〜19時まで切る。
 再点火後はタイマー運転を継続し、0時に自動オフ。

・陽射しがなく、日中温度が低い場合は、そのままタイマー運転を継続。
 途中で陽が出てきた場合は、その時点でオフにすることもある。

 だいたいこんな感じで、自動運転は開始時と終了時のみだが、いまのところうまくいっている。陽射しが全くない場合の日合計運転時間は17時間、陽射しが強い場合は7時間ほどか。
 真冬になって外気温がさらに下がった場合は、朝の運転開始時間を早めるかもしれない。


 一時期困ったのが、ボイラの運転音。設置工事終了後の試運転では気にならなかったが、本格運転を開始したとたん、細い笛のような異音が断続的に混じるようになり、前蓋を開けてボイラの再リセットを試みたが、改善しない。
 対症療法として、高音の遮断に効果があるというプチプチ緩衝材をボイラ周囲に張ったり、ボイラの置いてあるユーテリティの引戸を閉めたりもしたが、根本解決には程遠い。

 不良品の疑いもあり、メーカーにクレームを入れようかとも考えたが、よく調べると循環液の水位が基準の上限値よりもかなり高く、これが原因かもしれない…、と疑った。
 設置時には上限と下限の中ほどあたりにあったが、後日現れた給湯ボイラの交換業者が、「これでは水位が低すぎる」と、上限まで追加したもの。もともと暖房ボイラを設置してくれた業者なので、信用していたが、以降から停止時の水位が上限を上回るようになり、異音がし始めた時期と一致する。
 物は試しと、床下にある予備ヘッダーのバルブを開けて液を200ccほど抜き取り、循環液水位を元の位置に下げた。すると、気のせいか、音は試運転時に戻った気がする。
 その後1週間ほど様子を見たが、なぜか循環液が冷えた状態でも、日によって水位は上がったり下がったりする。
(テープを貼った位置が当初の水位で、写真では1センチほど上がった状態)

 しかし、ともかくも音は気にならないレベルに戻った。今後も水位は要観察だが、循環液は基準より多すぎても少なすぎてもよくないらしい、というのが現時点での結論。

(循環液の補充調整は素人でも可能で、以前の機種は15年間自力でやった)
(半密閉式システムの場合、自然乾燥で減った循環液の定期補充は必須)
(コストは上がるが、密閉式システムの場合は循環液の補充は不要)

2016年11月12日土曜日

マニアック・リクエスト

 来月分のライブ依頼が延々続いていて、12月としては過去最高の10本に達した。中旬には4日連続ライブがあり、「同じ日に同じメニューで場所を移動して2回歌う」という、過去に2度しか例がない珍しい依頼もある。

 そんななか、「介護予防センター」なる組織から初めて依頼があった。札幌市の運営するもので、主に介護認定は受けていない高齢者(65歳以上)を対象とした介護予防事業である。歴史は比較的新しいようだが、さまざまな活動のなかに歌も含まれているらしい。
 ネットで私を探し当てたという担当者のメールによると、聴き手の趣向は多種多様で、高齢者としては非常に元気がいいという。
 その後もメールでの細かい打合せが続いているが、実施日は12月下旬というのに、早くもリクエストが出ている。いまのところ6曲だが、今後もいくつか出るかもしれない。
 演奏時間が1時間と長いので、「ミックス構成のソロ演奏35分」「リクエストタイム15分」「みんなで歌おう歌声タイム10分」という、3部構成を目下提案中。

 そのリクエスト6曲だが、「青い山脈」「高校三年生」「函館の女」までは、一般の介護施設でもよく歌う定番曲で、当然ながらレパートリーにもある。
 驚いたのは残る3曲で、「ああ上野駅」「晴れたらいいね」「お前と水割り」という、過去に一度もリクエストを受けたことのないマニアックなもの。当然ながらレパートリーにはなく、「歌えません」と断るのは簡単だが、まずは試してみる必要がある。

 YouTubeを主とするネット情報を駆使し、全ての曲の歌詞とコードを探し当てた。その後、毎日歌い込んで反復練習し、どうにか人前で歌えるレベルに達した。
 調べてみたら、「お前と水割り」は今年5月に出たばかりの曲。いったいどんな人がリクエストしたのか、ちょっと興味がある。

2016年11月11日金曜日

干し大根の緊急避難

 珍しく建築デザイン系のまとまった仕事が入った。前回は3月だったので、およそ8ヶ月ぶりか。
 いちおうはこれが本業だが、3年前に大腸ガンを患って以来、心身の負担を減らすべく、営業らしきことは全くやっていない。
 たいした額ではないが、2年前から夫婦そろって年金が満額支給となり、住宅ローンもすでに完済したしで、アクセクする動機づけがなくなった。

 趣味としての音楽活動の「営業行為」(歌う場の拡張)は定期的にやっているが、本業のほうは古い知己から時折仕事が舞い込むくらいで、完全にあなた任せ。
 ここ数年は、かねてからの目標である年間100万円シンプル生活に肉薄しているので、こんな暮しでも充分事足りる。
 とはいえ、ちゃんと締切もあるので、納期は厳守である。昨日はライブの疲れもあって、WindowsのCADソフトをエミュレータから起動させ、必要な素材やひな形ファイルを整えたところで終了。
 今日は疲れで昼までコンコン眠っていたが、仕事のことを思い出してようやく起き出し、午後からひたすらデータ入力作業に励んだ。

 夕方までかかってようやく1件分を終える。ブランクが長いので、勘を取り戻すのに時間を要する。明日以降の短縮化に期待しよう。


 漬物用の大根を干す時期が大幅に遅れたが、干し始めて以降も不順な天候は一向に回復せず、連日の氷点下で、夜はシートでカバーをかけているにも関わらず、大根が凍ってしまった。以前にも確かこんなことがあったが、凍らせるとパリパリ感がなくなり、味が落ちる。
 どうしたものかとネットで調べてみたら、氷点下のときは毛布などで保温するか、いっそ屋内に取り込んでしまうのが正解とか。
 そこで昨日から気温の下がり始める夕方には、室内に取り込むことにした。例年より数が少ないので、椅子を利用してテラス近くの窓際に置いておく。
 今日は10時くらいに気温がプラスに転じ、太陽も出てきたので、外のウッドデッキに移した。夕方にはまた室内に取り込んだが、外でも毎日夕方にはシートをかけ、翌朝には外していたので、手間としては大差ない。

 この方法なら少なくとも凍結の恐怖からは解放される。異常気象からの緊急避難だが、こんな年もあるさ。

2016年11月10日木曜日

ゆっくり盛り上がる

 ネット経由で依頼された介護付有料老人ホーム誕生会で歌った。人前で歌うのは久しぶりの気がしたが、実は先月もチカチカパフォーマンスで2度歌っている。しかし、当たりハズレのある路上ライブの宿命で、場は閑散としていた。つまり、きちんと用意された場で歌うのは9月下旬以来である。

 苦手な午前中ライブだったので、早めに起きて準備。発声練習を中心に軽めのリハで備える。
 施設はやや離れた都心近くにあったが、先週会場調査に行ったので、大きな問題はない。路面は一部凍結していたが、渋滞に巻き込まれることもなく、40分強で現地に着いた。
 施設には一般棟と介護棟の2つがあり、同じ構成で2週に分けて歌うことになっていた。この日は介護棟の誕生会余興。演奏時間は普段より短めの20分である。

 11時少し前に会場に着いたら、すでに多くの方々が集まっていた。その場で機材をセットし、11時10分ころまでにスタンバイ。当初は11時20分開始の予定だったが、聴き手も職員の方々もすでに全員集まっている。予定を10分前倒しして始めることになった。


 アンコールを含め、およそ25分で8曲を歌う。

「高原列車は行く」「瀬戸の花嫁」「愛の讃歌」「幸せなら手をたたこう」「高校三年生」「星影のワルツ」「青い山脈(全員で)」「月がとっても青いから(アンコール)」
 聴き手は30名ほど。初めて歌う場なので、構成での大きな冒険は避けた。3曲目の「愛の讃歌」は介護施設ではあまり歌わないが、シャンソンとしては広く知られているし、最初の打合せで担当職員の方から望まれて入れた曲だった。


 出だしの数曲は手探りの進行で、反応もやや弱い。場のタイプとしては明らかに「傾聴型」である。そんな静かな場が大きく動いたのが、4曲目の「幸せなら手をたたこう」から。
 施設の形態から、静かな展開はある程度予想していたので、全7曲の中ほどに唯一参加型のこの曲を配置したが、なかなか効果的だった。施設長さんを先頭に職員さんも積極的に参加誘導してくれて、場は大いに盛り上がる。以降はその勢いでラストまで上り詰めた印象だった。
 ラストの「青い山脈」は施設側が準備してくれた歌詞カードを全員に配り、曲間での歌詞指導もあわせて行った。
 アンコールは事前に施設側と打合せてあったもので、いわゆる「お約束アンコール」だったが、場の雰囲気には充分沿うものだった。
 職員さん主導の手拍子も入り、この日最高の盛り上がり。展開次第ではシットリ系の「ここに幸あり」で歌い納めることも考えていたが、その場の判断でこちらを選択して正解だった。

 終了後、「いい歌でした」と、入居者や職員の方々から喜ばれる。短時間の午前中ライブという難しさはあったが、無難に乗り切れた。