2016年11月18日金曜日

やめ時

 かっては多くの仕事を貰っていたが、ここ数年はとんとご無沙汰だった取引先から、突然の電話があった。なんでもこの4月に30数年続けたデザイン会社を解散し、全ての業務から手を引いたという。
 私より3つ年下だが、ほぼ同年代である。60歳を過ぎたころには、「オレは70歳まで働くよ」と、胸を張っていたはずが、引退するには少し早すぎる。
 電話の要件は、かって手がけていた市内の住宅メーカーの完成画像を保存していないか、というもの。長く同じメーカーの仕事を続けていたので、仕事をやめてもまだ問合せがあるらしい。
 仕事関連の資料はすでに全て廃棄したか、散逸しているという。10年以上も前からの仕事だから、処分しても仕方がない。

 図面が紙に手書きだった時代の資料は大半を処分してしまったが、CAD化されて以降の資料は場所をとらないこともあり、全てを保存してある。その旨を告げると、メーカーの担当者と直接打合せて、資料一式を先方に送って欲しい、ということになった。
 あいにく引退した理由は聞きそびれたが、「仕事をやめたら、菊地さんみたいに書くほうで何かこの世に残したいと思ってる」とかねてから聞いていたので、おそらくはそっち方面に打ち込むのではないだろうか。


 頼まれた仕事は丸一日かけて資料を整理し、CDにまとめて焼いた。依頼台帳を作って現場ごとに情報をまとめてあるので、どの画像がどの現場であるかのリストも年代別に作製し、CDに同梱。
 パースを主とする完成画像は120点もあった。随分とたくさんの仕事を貰ったものだと、感慨にふける。長年のお礼にと、対価なしのサービス業務である。
 開業依頼、細く長く34年続いていたお付き合いが、またひとつ途切れた。
 同じ日の昨日、近くの地区センターに長く勤めていた女性から、突然のメールが届いた。実は8月に地区センターを退職したが、ブログで私の名を見つけ、何かとお世話になったので退職挨拶のメールを送る気になったという。
 主にロビーコンサートを担当してくれた方だが、適切な気配りと機転とで随分と助けられたもの。さっそく感謝の言葉を送ると、ただちに返信があり、いまは介護施設で働き始めたばかりで、いつかきっと菊地さんに歌の依頼ができるよう、がんばりたいと記してあった。
 地区センターから介護施設への転身とは珍しいが、心中期する何かがきっとあったのだろう。

 それが能動的なものか受動的なものかは別にし、どんなことにも必ず終わりはある。続けることも大切だが、同時にスッパリやめる踏ん切りも大事。私のこれまでの人生にも、多くの「やめ時」があった。
 幸いに、倒産や解雇、リストラ等の受動的なものはなく、全て自分の意思で打ち切ってきたものばかり。
 能動的とはいっても、実はやめる時期はむこうからやってくるものだと、年を重ねてみて思う。ひとつ終わるとひとつ始まる。それが人生。やめ時を見誤って、恥をさらさないことが肝心か。