手前にある共同炊事棟でBBQをやっていた30代の男性と目があった。
「こんにちは」
すかさず声をかけると、向こうもすぐに「こんにちは」と返してきた。
そのまま木道を進んで、手前のバンガロー前で火を起こしていた4〜5人の学生風の若い女性にも「こんにちは」と声をかける。ところが、今度は何も返ってこない。返ってきたのは、(何だ、この妙に親しげなオヤジは…)とでも言いたげな、無言の冷たい視線だけ。
その時点で、(しまった!)と気づく。長いブランクのせいで忘れていたが、少なくとも北海道のキャンプ場では、出会った人にやたら挨拶するものではない、という暗黙ルールがあったことを。
その日は100人近いキャンパーに遭遇したが、以降は面倒を避けて、隣人にもあえて挨拶することなく過ごした。
結果として、挨拶を交わしたのは最初の男性一人のみ。やはり暗黙ルールは活きていた。
自転車旅行や軽登山など、キャンプ以外にも多くのアウトドアを嗜んできたが、同好の士に対する挨拶のルールは、種類や地域などによって微妙に違うように感じる。
40年前までの自転車旅行の場合、地域を問わず、互いに挨拶する割合は100%近かった。時にはライダーまでも片手を挙げて挨拶してくれる。これはたぶんいまも変わらない習慣ではないか。
軽登山(日帰り程度)の場合、関東では挨拶の確率が高く、北海道ではやや低い傾向にあった。
アウトドアに限らず、たとえば家の前の道を犬を散歩させる人がいたとして、たまたま玄関先で鉢合わせになることがある。こんなシーンでの対応は真っ二つに分かれるもので、早めにソッポを向いて(挨拶したくない…)との暗黙の意思表示をする人と、顔を合わせた瞬間に挨拶を交わす人。(会釈を含む)
挨拶したくない人と無理に挨拶しようとも思わないので、気まずい空気が早く過ぎ去るのをひたすら待つしかないが、こんなことを卑屈に考えているのは、もしかしてこちらだけか。
祖先が狩猟民族である欧米では、見知らぬ人と遭遇した際の挨拶の位置づけが、(あなたとは戦う気持ちはありませんよ)との意思表示だと聞く。祖が農耕民族である我が日本人は、その縄張り的DNAが見知らぬ人との挨拶を拒否させるのか。
挨拶するしないの判断基準は、その地域の民度と関わっている気がしてならない。交通機関や情報網の飛躍的進化により、人と人とのつながり方も変わらざるを得ないはずだが、何ともやり切れないハナシである。