2010年11月28日日曜日

社福協・年忘れ交流会

 本日中に2本あるうちの最初のライブ、「社福協・年忘れ交流会」が無事終わった。社福協、すなわち区の社会福祉協議会・太平南支部の主催で、9月の地区センターでの敬老会関連で、代表のMさんから依頼された。
 聴き手は近隣の高齢者で、歌の構成は介護施設に準じたものを、との要望である。

 会場はMさんの自宅。食事やゲームなどのイベントの中で、私のステージ枠を40分ほどとっていただいいた。
 お昼の12時くらいに来て欲しいと頼まれていたので、早めに起きて調整を重ね、15分前に出発。買物などによく行く地域なので、簡単に探し出せると思っていたが、10分ほど迷った。
 食事がちょうど終わったところで、聴き手の準備は整っている。ただちに機材をセットし、12時25分からライブ開始。


 聴き手は35名ほどで、広い居間と和室をぶち抜いた大空間が人で一杯。大半が床に座っているので、聴き手の視線に近づけるようこの日は椅子を用意していただき、この種の場では珍しく座って歌った。

 1曲目の「上を向いて歩こう」から調子良く手拍子をいただいたが、途中で突然Mさんが立ち上がり、曲に合わせて手話を始めた。以前に落語家の林家とんでん平さんが「どんぐりころころ」を手話で歌っているのを見たことがあるが、この曲では初めて見る。
 これがなかなか素晴らしく、終了後のMCで確認するとアドリブではなく、以前から習って知っているそう。事前に打ち合わせた訳でなく、ただの偶然だが、いかにも社会福祉協議会主催らしい幕開けになった。

 その後3曲歌ったところで、Mさんから「何かみなさんで歌えるものを…」と印刷した歌集が会場に配布された。その存在は前日の電話で聞いていたので、予定曲の順をいったん棚上げし、中にあった「二人は若い」をひとまず歌う。
 場の空気が次第に手拍子ニギヤカ系になり、その後散発的にリクエストが飛び出し始め、応えられるものは順に歌っていった。
 最終的に40分で13曲歌ったが、結果としてリクエストで歌った曲が7曲もあり、用意していった主に叙情系の曲は、大半が歌わずじまい。これほどまでにリクエストに応えた記憶はかってなく、それも場の流れに身を任せたせいだが、みなさん大変喜んでくださったので、よしとすべきであろう。
 持参したハーモニカも結局使えなかったが、「真室川音頭」で使ったフットタンバリンはなかなかよい感じで、今後確実に使えるメドが立った。

 リクエストで戸惑ったのは、「ビリーバンバンの曲を何か」と、見るからに若そうな方から頼まれたこと。弾き語りでは一度も歌ってないが、20歳のときに姉の結婚式で「白いブランコ」を無伴奏で歌ったことがある。
 譜面はもちろんなかったが、40年前の細い記憶をたぐり、1番だけをCのキーで何とか歌い終えた。

 応えられなかったリクエストは、「青い背広で」(あまり知らない曲)「東京ドドンパ娘」(譜面の持参がなく、歌詞もうろ覚えなので断念)。
「突発リクエスト」「ニギヤカ手拍子系」など、傾向としては苦手な部類の場だったが、幸いにショウガ湯で調整した喉の調子はピークに近く、うまくさばけたと自己評価している。