2010年11月16日火曜日

記憶のブラスバンド

 我が母校の札幌市立白石中学校吹奏楽部が第58回全日本吹奏楽コンクールで最高の金賞に輝いたという。実は私ははこの吹奏楽部のOBである。つまりは、後輩の栄誉ということで、めでたい。
 10月末に墓参りに行った帰路、たまたま母校の横を通って実家に向かったが、グラウンドの金網に「祝!吹奏楽部全国大会出場」との横断幕が掲げてあり、「あれま、後輩たちががんばったみたいだよ」と、助手席の妻と話したばかりだった。
 私が在籍したのは中2の夏からで、およそ47年前のこと。当時は部員数が極端に少なく、パート毎に2人をキープするのがやっとの有様だった。
 6月に転校してきた私を誘ってくれたのが、同じクラスだったS君。S君はパーカッション担当で、「オレが教えるから、入れ」と強く入部を勧められた。
 音楽は嫌いではなく、それまで経験のなかった打楽器も悪くはないかと、軽い気持ちで入部した。S君とは何となく馬があったので、より深い友人関係を築けるかもしれないという期待もあった。

 部はその後も部員不足に悩み、入部したての私も4月ではないのに、新入部員募集のポスターを描いて学校中に貼った記憶がある。
 私とS君、そしてクラリネット担当の二人は一日も休まずに部活動に励んだ結果、その後わずかながら部員も増え、吹奏楽部はどうにか消滅の危機を脱した。S君と私には、消えそうな部の存続を必死で支えた自負のようなものがあったかもしれない。
 当時は無名だったその部が、全国の頂点に達したという。実に感慨深い。

 担当の先生は数学が専門で、活動は大半が自分たちで進めざるを得なかったが、独学で身につけた楽譜関連の基礎知識や音楽全般の感覚は、いまでも確かに役立っている。
 高校で進路が別れたS君とは、次第に会うこともなくなったが、40数年を経た昨年、突然「覚えていますか?」とメールがあった。その気になれば、ネットで古い友人を簡単に探し出せる。いい時代である。
 S君は私の人生に大きな影響を与えてくれた一人なので、もちろん忘れるはずがない。結婚後も、「実は中学時代にこんな友人がいた」と、年に何度かは妻に語っていた。

 先日の小学校同窓会で50年ぶりに再会したT子さんもそうだが、長い人生の中でずっと記憶に残り、身近な人に語り継がれる存在の人が、何人かは必ずいるものだ。
 妻も年に数回は「小学校のときに頭の良かった○○君」のことを懐かしそうに話し、私はウンウンとうなずきながら、いつも同じ話を初めて聞くように耳を傾けるのだ。
 生者のあらん限り、記憶の中で人は生き続ける。あなたもきっと、どこかで誰かの記憶に刻まれていることだろう。