2010年10月8日金曜日

人生のやり残し

 下旬に実施予定の小学校同窓会の会場が変更になった、との連絡が幹事からあった。予想をはるかに超える参加者となり、当初の会場が手狭になったそうで、今度はなんと京王プラザホテルでやるという。
 女子の参加表明が多いとの事前情報を実は聞いていたが、なんで?と、その理由を追求してみると、「小学校時代に気になっていた××君が、どんなふうにカンレキを迎えたのか、この目で確かめたい」のだそうな。

 へえ〜、そんなものかと感心させられたが、そんな私も、ちょっと気になっていたT子さんには会ってみたいと気持ちが動いたのだから、似たようなものだ。
(そのT子さんは東京在住で、今回は不参加らしい)


 以前に50代女性から、「人生に何かやり残した気がする…」という、ちょっとシリアスな話を聞いたことがある。
 ごく普通に恋愛し、ごく普通に結婚し、ごく普通に子供を育て、ごく普通の晩年を迎えようとしている境遇の方である。世間一般の基準から見れば平凡だけどもシアワセに見えるその方が、いったい何を人生にやり残したのか、当の本人さえも分かっていないように思われた。
 幸福感は本人だけの感覚だから、傍目から見た第三者がとやかく言うのは意味がない。しかし、経済的充足や社会的地位がその幸福感に必ずしも結びついていないのは明らか。
 カンレキ世代の同窓会には私も含め、この「人生のやり残し」があったのかなかったのか、一気にタイムワープして確かめてみたい、という潜在願望があるのかもしれない。