2010年10月31日日曜日

ハロウィンライブ

 今年の2月と9月に歌わせていただいたライブカフェから、三たび誘われた。今回の実施日はちょうどハロウィンと重なる10月末日。前回終了後すぐにお誘いがあったので、しばらくお会いしてなかった知人にも声をかけ、構成には充分な時間をかけて臨んだ。
 開場は前回より少し早まって午後2時30分。自宅でのリハと機材の準備を済ませ、勤務先に妻を迎えに行くと、予定になかった同僚のNAOさんも急きょ参加とのことで、3人で会場に向かう。
 この日の演奏者は前回のゲストアクト3組で、私とハモニカ&ギター弾き語りのTUMEさん、そしてマンドリン&ギターユニットのレッド&ブラックさん。全員がメインアクトという位置づけである。
 この日は私とオーナーのJUNさんのピアノとで、2曲一緒に演奏することになっていた。打合せはネット音源を使ったものだけだったので、早めに会場に入り、少しだけ音合わせをした。

 あいにく出演を予定していたJUNさんの友人ピアニストが不幸があって来られず、JUNさん一人で準備進行、飲物の接待、演奏の3役をこなすのは厳しい様子だった。開演は午後3時を予定していたが、あれこれ手間取って、結局3時20分過ぎまでずれこんだ。


 出演者を含めた参加者は11名。くしくもこの日は、6年前に私が主催した及川恒平さんの時計台コンサートと全く同じ日である。当時、スタッフとしてご尽力いただいた方2名とその友人の方にもご参加いただき、ちょっとした記念のライブとなった。

 演奏順はJUNさんの負担を早めに減らすべく、1番に私が立候補。2番にレッド&ブラックさん、3番にTUMEさんという順になった。
 私のセットリストは、以下の通り。

《1巡目》
・秋の日に(36年前のオリジナル)
・菩提樹(JUNさんのピアノとコラボ)
・さくらんぼの実る頃(JUNさんのピアノとコラボ)

《2巡目》
・切ない夕暮れ(5年前のオリジナル)
・懐かしい暮らし(及川恒平さんの曲)
・雨が空から降れば(六文銭の曲)
・Top of the World(私のオリジナル訳詞)


 全体的に秋から冬への季節の移ろいを意識した曲でまとめた。一発勝負に近く、かなり不安だったJUNさんとのコラボは予想以上にうまく合って、辛口評価の妻からも及第点。

 前回と唯一重複した「さくらんぼの実る頃」は本来ワルツで歌うが、JUNさんのピアノイントロが思いのほかスローで、ワルツでは歌えない。直前のリハでもこの曲は互いのテンポが合わなかった。私は早いリズムで歌いたいが、JUNさんはゆったり弾きたいらしい。
 中断してやり直しすべきかと一瞬迷ったが、歌い直しや言い訳は場を白くするのは自明の理。咄嗟に4/4拍子に転拍子し、スローなペースでそのまま歌った。結果として前回とは全く異なるアレンジとなり、「災い転じて福」である。
「雨が空から降れば」は予定には全くなかった曲だが、6年前の及川恒平さんのコンサートの1曲目というメモリアルな曲でもあり、MCの中でふと思いついて歌った。演奏者が少なかったので、進行にはかなり余裕があり、この種のワガママが許される。
 オリジナルでは「切ない夕暮れ」に手応えを感じた。当初は1巡目の最初に歌うつもりでいたが、当日になって気が変わり、夕暮れ時と重なる2巡目の最初にもってきた。前回、明るい時間に夜のイメージの曲を歌って失敗した反省からだったが、この判断は正しかったと思う。


 他のパフォーマーも前回同様に熟練の演奏を披露していただき、最後にシングアウトとして「若者たち」を参加者全員で歌った。リード役は今回もレッド&ブラックのBさんで、休憩時に用意した楽譜で全員に歌唱指導をし、完全二重唱でやるという念のいれよう。
 本番では私がギターとボーカル、JUNさんがピアノ、TUMEさんがハモニカと、各自得意のパートを担当したが、これが見事に決まった。

 終了後にNAOさんが、「ただ聴くだけでなく、自分もライブに参加した気分になれた。もっと歌いたかった」と喜んでいた。いにしえの歌声喫茶風だったが、私が企画構成するライブでは、まずあり得ない手法。非常に参考になった。
 ほぼ予定通り、午後5時半過ぎに終演。「今年中にぜひもう一回」と、JUNさんから提案があったが、年末は別のライブ予定がいくつかあり、仕事や雑事にも忙しい。ひとまず今年はこれで締め、次回は年明け早々にでも、ということに落ち着いた。
 参加者同士の顔や名前も覚え、交流の輪が一段と広まった感のハロウィンライブである。

2010年10月30日土曜日

夕陽の霊園

 日中の気温がほぼ平年並みに戻ったので、思い切って車のタイヤを冬用のスタッドレスに交換した。これまで10月中に換えた記憶はないが、何せ今年は異常気象である。打てる手は早めに打たねば。
 春の交換時には殺人的な仕事の嵐に見舞われ、生涯初めて外注に出したが、今回は充分に時間がある。交換費用を節約すべき時期である。


 新車に換えてすでに丸2年が過ぎたが、まだまだマニュアルなしでの交換はできない。以前の車にはなかったホーイルが夏冬ともについているので、その脱着にも時間がかかる。
 2本を交換し終えたところで、空腹のためダウン。いったん休憩し、昼食後に再度試みて、ようやくやり終えた。正味の作業時間は1時間で、外注に出すと2,000円也。しかし、その価値は充分にある面倒な作業だ。暇だからやりますが。
 その後、冬ごもり前の最後の墓参りに行くことにする。山間部にある霊園周辺はまだ雪が残っているとの情報があり、急きょ冬タイヤに換えた大きな理由がこれだった。
 勤めから帰った妻も一緒に行くというので助手席に乗せ、途中で花を買ったり、ガソリンスタンドでタイヤの空気圧を調整したりして、すっかり時間を食ってしまった。

 ようやく霊園に着いたのが、午後4時半近く。日没前ギリギリセーフである。墓地周辺は10センチを超える積雪で、薄い夏靴でやってきた妻を嘆かせた。


 当然のごとく、墓地には誰もいない。手稲連峰にまさに夕陽が沈む瞬間で、淡い雪景色と相まって、荘厳な雰囲気を作っている。しばし見とれていたら、
「おじいちゃん、いい所に眠っているね」と、期せずして妻が言う。どうやら妻も同じことを考えていたらしい。
 帰路は西側に迂回して実家に立ち寄る。誰も住んでいない空家だが、真冬になる前に5カ所ある排水トラップに不凍液を注入し、凍結による器具の破壊を防止しなくてはならない。
 締めてあるはずの元栓がなぜか緩んでいたりし、作業にちょっと手間取ったが、「冬季間使用禁止」の紙を念のため貼り、備え終了。休む間もなく家に戻り、時間ぎりぎりに町内会の定期役員会にすべりこむ。
 墓参りを済ませると、車のメーターは軽く70キロを超える。実に遠い場所だが、生きている間の子の務めだろう。

2010年10月29日金曜日

それなりに秋模様

 外は相変わらず寒く、最高温度が9度ほど。まだまだ平年より4度近く低いが、幸いにカラリと晴れた。いわゆる秋晴れ。

 昨日に引き続き、2階にある6本の柱と傾斜天井の貫通部分の気密補修に励む。残るは4カ所で、かなり慣れてきたが、月末なので1カ所を仕上げたところで銀行から郵便局、そしてスーパーへと順に歩いて買物に出かけた。おかげで1時間ちょっとの時間ロス。
 しかし、たまには歩かないと身体に毒なので、ひたすら歩いた。おかげで気分爽快。やっぱり散歩はいい。

 帰ってから残る3カ所の補修部分を急ピッチで仕上げる。途中で日が暮れたが、スポット照明を天井向きにして作業継続。何とか終わらせた。ついでに火打梁周辺2カ所にもテスト的にコーキング処理をしてみた。こちらも同じ要領でやれそうだ。

 日没後、いつもなら急速に室温が下がり、夕食前には暖房を点けるのが常だが、この日は一向に下がらない。暖房をずっと点けないまま、午後11時になっても、まだ21度強を保ったままだ。
 気になって外気温を確かめたら、すでにマイナス1度。真冬なみの寒さである。陽射しは昨日も今日も同じような感じだったので、もしかすると気密補修の効果が、早くも出ているのかもしれない。
 室内最高部分の、熱が最も逃げやすい箇所だったので、劇的に効果が出てもおかしくはないが、にわかには信じがたい。これに関しては、今後もう少し経過を見る必要がある。

2010年10月28日木曜日

自宅の気密補修

 自宅2階の気密補修をした。問題があった箇所は、柱が傾斜天井を貫通している部分。天井材として使ったOSB合板が経年変化により収縮し、写真(中)のように、最大で5ミリもの隙間ができてしまった。
 2階の傾斜天井は二重になっていて、屋根との間にはわずかな空間がある。空間には350ミリの吹込みグラスウールを充填し、室内側には防湿気密シートを貼って、柱との貫通部分は気密テープで補強処理してある。
 しかし、OSB合板の収縮が部分的に激しく、天井支持枠と柱との気密は完全に損なわれているのが現状だった。


 以前に同様の問題があった住宅の改修工事をしたことがあり、補修手段は分かっていた。隙間を専用樹脂コーキング材で充填し、さらに細い木材で全周を固定する。これによって気密は格段に改善される。
(ちなみに、周囲の木材は収縮による影響の少ない柱側に固定する)

 対象となるのは合計6カ所。他にも火打梁が外壁を貫通している部分が合計12カ所あったが、こちらは背面に空間が全くなく、収縮量も少ない。
 まず最初に台所の大型換気扇を使って、怪しい箇所の漏れ具合をチェックした。パッシブ換気口や窓、ドアをすべて閉じ、トイレと浴室の換気扇も同時にオンにする。以前にも同様のテストをしたことがあるが、今回もやはり柱の貫通部のエア漏れが激しく、手をかざすと風の動きがはっきり分かるほど。
 火打梁周辺も念のため調べたが、漏れは感じられず、こちらはコーキング材による充填のみにとどめることにし、ひとまず最も作業の面倒な柱周囲を処理することにした。
 写真では分かりにくいが、天井が20度ほど傾斜しているので、周囲に固定する木材もその微妙な傾斜にぴったり合うよう、ノミで削って加工しなくてはならない。ここが最も難しい部分だ。
 2階の最も高い位置にあるので、脚立の昇り降りを何度も繰り返しつつ、部材の加工を進める。欄間部分に張ってあるスダレの着脱処理や、ついでに天井回りの大掃除までした関係で、夕方までに2カ所を処理し終えるのがやっとだった。

 実は補修部材一式は1年も前に買ってあった。しかし、作業は暑い夏場では無理。何やかやで、ここまでずれこんだ。気密が改善されると、家の断熱性能がさらに向上する。この冬の灯油消費量がさらに減るかも?

2010年10月27日水曜日

木が倒れた

 朝起きると一面の雪景色。うっすらとだが、平地や道路にも雪が積もっている。ふと西側隣地を見ると、空地に勝手に根づいたらしい木の1本が、昨夜来の強風でバッタリと倒れ、我が家の敷地まで越境している。
 西側には充分に余裕をもって建てたので、幸いに壁や窓ガラスへの実害はない。しかし、枝の一部は庭木にもたれかかっていて、放っておくわけにはいかなかった。

 隣地の所有者は関東在住らしいと以前に聞いていて、この11年で一度も顔を見せたことがなく、雑草は伸び放題、雑木も生え放題である。この種のトラブルが生じた場合、市の宅地課などに連絡すれば持ち主を探し出し、手を打ってくれることは知っていたが、なんだか気が進まなかった。


 何より、もし正式な手続きを踏んだ場合、西側にある他の樹木もすべて伐採され、完全な空地になってしまう恐れがあった。
 現状の木は我が家の敷地外にあるが、夏はよい木陰を作ってくれ、通りむこうからの視線も遮ってくれる。夕暮れ時には室内の壁に心地よい葉の影を踊らせる。出来ればそのまま借景として残っていて欲しい。
 午後になって雪も止んだので、外に出て様子を調べてみた。太いと思っていた幹は中間部では5-6センチほどで、手持ちのノコで何とか切れそうな感じがした。そこで軍手長靴作業着に身を固め、自力で撤去することを決意した。
 厳密にいえば、おそらく自宅外にある樹木を勝手に切ってはいけないのだろう。だが現実問題としてこの11年間、西側空地の雑草刈は、かなりの範囲で私が一人でやっている。腐って倒れて我が家に入り込んできた雑木を取り去っても、あまり問題なかろうと判断した。

 先端部から少しずつ切ってゆき、およそ30分ほどで作業終了。朝見たときは(ひょっとしてチェンソーが必要かも?)と一瞬思ったが、やってみれば案外あっけなく解決した。


 先日の同窓会の余韻がまだゆらゆらと頭の中に漂っているが、各自の自己紹介のなかで、音楽活動をしている方が私も含めて4名いた。私以外の男性2名はいずれもロック系のバンドの一員とか。自営の事務所の一角にスタジオを作ったり、ライブハウスに通ったりと、それなりに音楽活動を楽しんでいるようだった。
 女性でただ一人音楽活動をしている人は、40年間ピアノ教師を続けているという、いわばプロだ。ピアノが達者だったあのT子さんは、家に置いてあるがいまは弾くことはないそうだ。しかし、息子さんの一人がギターのプロをめざしているとか。残念ながらジャンルは聞き漏らした。もしかすると弾き語り系かもしれない。
 50年ぶりに40人もの同級生が集まると、話題が互いに交錯し、とても4時間では話しきれない。
 いずれにしても、介護施設系の場で歌っている人は皆無だった。「介護施設系の場で弾き語り活動をしたいが、どうすればよいか?」と、相談のメールをいただくことが時折ある。これだけネット社会が発達しても、情報があまり存在しないそうで、つまりはやっている人が少ないからだろう。
「音楽ボランティア活動をしたい」という方は最近多いが、大半はグループによる器楽アンサンブル。弾き語り、しかもソロとなると、皆無に近い。

 私も活動を始めようとした6年前にネットで調べたが、見つかったのは長崎のいちろうさんだけだった。極端に少ないのには、おそらく理由がある。6年歌ってみてだいたい想像がつくが、フツーとはちょっと違う価値観がないと、たぶんやらないしやれない。
「フツーって何だ?」と問われると、答えに窮するが。

2010年10月24日日曜日

記憶のスクリーン

 昨夜は一気に50年もタイムワープして脳がよほど忙しかったとみえ、明け方近くにパッチリ目覚めてしまい、1時間近くも寝つかれなかった。おそらく他の参加者も同じ気持ちでいたに違いない。感性のよい刺激になった。
 一日過ぎて思ったが、私は学校では存在感の薄い人間だったということ。「いまの姿とイメージが一致しない」という評価は、つまりは過去のイメージが薄かったからだろう。リーダー的資質は皆無で、クラス討議では一切意見を言わず、目立ったのは歌の場面だけという存在である。

 しかし、「よくそんな細かいことまで覚えているね」と、抜群の記憶力だけは驚かれた。私の場合、印象的な出来事には、映画のスクリーンのようなものが頭の中に刷り込まれる。(ちなみに、カラー映像である)
 映画なので、動きや音声もちゃんとついている。シーンの冒頭から記憶再生させれば、会話や表情の類いまで、いつでも鮮やかに再現可能なのだ。もしかするとこれはひとつの特技かもしれないな、と昨夜の会話で感じた。
 今日は都心のホテルでアコーディオンコンサートがあるとの案内が音楽仲間のNAKAさんからあり、妻と二人で出かけた。実はこの日、別の音楽仲間のチロリンさんからもライブ案内があったが、全く同じ開始時刻である。芸術の秋たけなわだが、歌う場でも聴く場でも重なったときは先着順が基本である。

 少し早めに家を出て、しばらく顔を出してなかった母の施設にまず向かう。暑い夏だったが、施設はエアコン完備で、自宅よりはるかに快適な夏を過ごせたらしい。血色もよく、すこぶる元気であった。
 持参したミカンを食べつつ、仲良しのK子さんを交えて、しばし昔話にふける。


 40分ほどいて、次なる目的地のコンサート会場に向かう。母の施設に長居しすぎて開始からは少し遅れたが、出入り自由の無料コンサートなので、第2部の冒頭から聴いた。
 前半が演歌、後半がシャンソン中心の構成だったが、やはりアコーディオンにはシャンソンが似合うと個人的には思う。演歌の場合、どうしてもNHKのど自慢の印象になってしまう。

 一人一曲が原則で、プログラムは実に効率よくサクサクと進んだ。演奏者によるMCが皆無に近いので、フォーク系のライブとは全く趣が異なる。進行自体は私の好みだったが、演奏者のテクニックがやや不揃いだった。
 会場は150席ほどで、ほぼ満席。聴き手も演奏者も平均年齢は60歳を軽く超えていたので、技術のバラツキはやむを得なかったか。私も妻もライブに求めるものが少し厳し過ぎるのかもしれない。

2010年10月23日土曜日

長くて短い時間

 小学校の同窓会が都心の京王プラザホテルで催された。およそ同窓会やクラス会と名のつくものに参加したことは一度もなかったが、すでに還暦を越え、人生の総まとめの時期でもある。高校や中学校ではなく、ギャップの大きい小学校の同窓会ということもあって、初めて参加した。
 先生も含め年齢層が高い集まりなので、開始は早めの午後5時。受付に座っていたのは間違いなく同窓生だが、名前は全く思い出せない。名札と座席券をもらって指定された席にむかうと、見覚えのある女性が横にいる。
「T子さんでしょ?」

 東京在住で、この日は不参加と聞いていた、あの懐かしきT子さんだった。聞けば、飛行機とホテルを予約してはるばるやってきたとか。50年ぶりの再会だが、ネット掲載の高校同窓会で近影を見ていたこともあり、すぐにT子さんと分かった。
「誰だか分かりますか?」とこちらが尋ねても、首をひねるばかり。名前を名乗っても、まだよく記憶が蘇らない感じだった。


 ともかくも席に着き、見回すと同じクラスの参加者はわずか5名。全体で生徒39名、先生が3名の参加だから、最も少ない参加クラスである。
 横に座ったのはクラス代表だったA君で、あまり印象が変わっていず、すぐに分かった。他の二人の男子はかなり様子が変わっていて、直ちには判別不能。名札を確認して、ようやく思い出す感じだった。

 担任のI先生にもしばらくぶりにお会いしたが、高齢ということもあり、こちらもすぐには分からなかった。しかし、話が進むうち、じょじょに昔の空気感を取り戻す。
 生徒39名のうち、女子の参加は13名で、男子の半分。結婚で名字が変わっている人が多く、私のような電話帳やネット検索での発見が難しかったらしい。しかし、総勢250名の卒業生のうち、連絡先の分かった方が80名、その半分が参加したというから、50年ぶりとしては上出来であろう。T子さんのように、札幌以外からやってきた人が半数近くもいた。
 一次会は午後7時で終了し、休憩を挟んで同じ場所で二次会という段取り。この二次会の会費も、最初の受付で同時徴収という手際の良さだった。
 全員の自己紹介に卒業時の写真がプロジェクターで表示されたり、一次会終了後の校歌伴奏や記念撮影の準備など、抜かりない幹事の進行に感謝した。

 二次会直前の短い休憩時に、50年近くずっと気になっていたことをT子さんに伝えた。T子さんのピアノ練習の音を、家の外でそっと聴いていたことがあること。中1のとき、同じクラスの複数の男子から、(実はT子さんが好きだ…)と打ち明けられ、当惑したこと。それにまつわる不良とのいざこざのことなど…。
 いまとなってはただ懐かしい思い出ばかりだが、T子さんから届いた年賀状のことだけは黙っていた。するとT子さんのほうから、
「年賀状のやり取りをしてましたよね?」と言われた。なんだ、覚えていてくれたのかと、ちょっとうれしかった。
 二次会を含めてあっという間の4時間が過ぎ、散会。カラオケが持ち込まれることもなく、ただ静かに話すだけだったが、とても楽しい時間を過ごせた。
「菊地君はあまりに変わっていて、どうしても小学校時代のイメージと結びつかない」と最後まで言われ続けたが、喜ぶべきなのか、はたまた悲しむべきなのか?
 参加できなかった方からのメッセージで、「親の介護があって夜間の外出が叶わず、どうしても出席できない」という方が複数いた。そういう年代なのである。

 都合9度の引越にも耐え、大切にとってあったクラスの卒業文集をこの日持参したが、なくした人や存在そのものを忘れている人が大半で、とても驚かれた。
 この時書いた「将来の夢」欄で、私は「一級建築士」と記したが、もう一人だけ同じ「一級建築士」と記したのが、他ならぬクラス代表のA君。驚くべきことにA君もその夢を実現させていて、東京で設計コンサルタントを経営しているという。
 私はその夢のことをずっと覚えていて、日々の励みにしてきたが、A君はすっかり忘れていたらしい。「その文集、ぜひ欲しい」と頼まれ、後日コピーを送る約束を交した。

 あれこれと自分の足跡を確かめた時間、50年の長くて短い時間である。

2010年10月22日金曜日

買物日和

 朝刊を広げると「コーチャンフォー」という、道内では11店舗を持つ大型書店の広告が載っている。来年のカレンダー類を中心にしたセールの知らせで、妻は仕事が休みで、私は仕事明け。外はうらうらと眠くなるような秋日和である。
「見に行こうか?」と妻を誘うと、すぐに乗ってきた。

 調べると車で20分ほどの場所に新しい店舗ができていて、今回はそこに行くことにした。広大な店舗に驚きつつ散策。店内には書籍類のほか、各種文具や雑貨も多数置いてある。
 まずは小型のシステム手帳に使うカレンダーの調達である。表裏で2年使える便利な代物だが、かなり特殊な製品なので、都心でしか入手できなかった。しかし、あっさり発見。探してみるものだ。
 その後、妻と「残ったひとつ」の大型カレンダーを見繕う。さすがに100円ショップとは比べ物にならないほど種類が多いが、価格も数千円するものばかり。買わずに帰るつもりでいたら、出口付近でフェルメールの絵をあしらった名画カレンダーが1,050円で売っている。絵は2ヶ月毎に6枚あり、シートに別印刷されていて、どれも美しい。
 フェルメールファンの妻を呼ぶと、「私が買う」という。サイズがあまりに大きすぎて居間の壁を圧迫しそうな不安もあったが、結局買った。


 さらに店内を散策すると、高級和風文具で有名な鳩居堂のコーナーを発見する。その中に年賀縁起物のブースがあり、来年の干支であるウサギを中心とした縁起グッズが多数並んでいた。
 普段ならカエルグッズを見繕うが、干支の縁起物だけは別。今年は末息子が持ってきた虎のミニ置物を靴箱の上にずっと飾ってある。それに代わる縁起物として、愛らしいウサギの置物を525円で買った。
 1時間近くも遊んで、来年に向けた品々を多数入手。帰り際、10年前に出た私の本の在庫を店内パソコンで検索してみたら、ちゃんとあった。わざわざ確かめに行ってみたら、ちょうど目の高さの見やすい場所に並んでいる。
 この店では発売後10年間、どの店舗でも常に置いてくれている。もしかして、隠れたロングセラー?


 帰路、近隣のホームセンターに寄り、昨日動かなくなった古い腕時計を見てもらう。腕時計の電池を自分で交換する人を知っているが、私にはとてもできない技。525円で新しい電池に換えてくれた。
 この時計、見るからにアナログ的で日付の更新はすべて手作業だが、セイコークウォーツ初期の優れものである。20代後半に買ったが、当時で2万円近くもした。一度電池を換えると10年は軽く持つ。今回で3度目の電池交換。この間一度も故障せず、時間は極めて正確。本当によく働いてくれる。

 いまや携帯やデジカメにも時計機能がついていて、腕時計をする機会も減った。しかし、弾き語りライブなど、さり気なく時間を確認する必要がある場では必須のアイテム。まだまだ使い続ける。

2010年10月20日水曜日

ミュート奏法

「ミュート奏法」というギター奏法を見よう見まねで練習中。きっかけは昨日書いた「サンタルチア」の伴奏からで、カンツォーネの特質なのか、同じフレーズが何度も繰り返され、終わり頃になると気分が冗漫になりがち。
 これを避けるため、この種の曲には間奏を挟んだり、2番から転調したりするなど、カバー曲やオリジナル曲を問わず、あれこれ工夫する。

 同じカンツォーネの「ナポリは恋人」など、1番しか存在しないが、2番は同じ歌詞を単純に半音転調させ、ラストだけ「ナポリ フォルテュナ ミア」を2度繰り返し、スローダウンさせて終わる手法をとっている。
 オリジナルならば好き勝手やり放題だが、カバー曲の場合は自ずと制限がある。そこで時には、ギターの弾き方で雰囲気を変える手法をとる。アルペジオでゆったり始めた曲の途中で部分的にストローク奏法を入れたりするのだが、ここに「ミュート奏法」を使おうというのだ。
 先日の高橋真樹さんのライブで、この「ミュート奏法」をうまく使っていた。基本はアルペジオ奏法だが、途中でその音の余韻(サスティーン)を残さず、わざとプツプツ切ってしまう。
 全部それだと耳障りだが、要所で入れると非常に効果的なアクセントに成り得る。「サンタルチア」なら、2度目の繰返しとなる「友よ来たれ 船は待てり」の部分。ここを「ミュート奏法」で弾きたい。

 実は高橋真樹さんのライブでは音楽仲間のギタリスト、西やんの隣に座った。何度目かのミュート奏法の際、曲間に小声で「あれは左手で音を切ってるの?」と確認すると、「いや、あれは右手で押さえながら弾いてるんです」と西やんはいう。
 よく考えると、左手だけでは開放弦で弾く部分の音が切れない。なるほど。

 その後、いろいろ調べてみたら、「右手の小指側の腹で、ブリッジ付近の弦を押さえながら弾け」とのお達しに遭遇した。やってみると、確かに切れる。切れ具合は押さえ方で調節可能だが、集中すると歌がおろそかになりがち。なかなか難しい技だ。
「初心者には難しいテクニックなので、よく練習せよ」ともあるが、モノにしたいですな。

2010年10月19日火曜日

我も我も

 昨日午後に入った急ぎの仕事に明け方まで追われているが、昨夜は本当に冷えた。寝しなにアメダスで調べると、何と1度強。ほぼ真冬なみの気温である。いったん眠りについたが、あまりに冷えるので、トイレに目覚めたついでに暖房ボイラを微小燃焼させた。

 明けて今日も終日仕事に打ち込む。今年分の最低ノルマ(ギリギリ食べてゆける分)はすでに達成しているが、仕事のあるうちが華である。手取り年金額はあまりアテにならないので、万一余剰分が発生したときは、ささやかでも自衛用老後資金として蓄えておくとするか。


 最近は洋楽を好んで歌っているが、「Top of the World」「真珠貝の歌」「カレンダー・ガール」「菩提樹」などに続き、「サンタルチア」をこのところ練習している。有名なナポリ民謡(カンツォーネ)なので、ちゃんと日本語歌詞はある。
 40年くらい前だが、姉の結婚式でも同じカンツォーネの「オー・ソレ・ミオ」を歌った。カンツォーネの朗々とした旋律は昔から好きで、自分に向いていると思う。

 私のギター弾き語りのルーツは間違いなくフォークだが、以前にどこかで「我も我もとフォークを歌い始めたら、フォークを歌うのをやめるかも…」と書いた記憶がある。団塊の世代がじょじょに社会の第一線を退き、(昔やっていたフォークでも…)とギターを取り出した昨今が、もしかするとその「我も我も…」の時期到来なのかもしれない。
 そういえば最近は「介護施設で音楽ボランティア活動をしたい」という方々もめっきり増えた。背景にあるのはおそらく似た事情だろう。音楽ボランティア活動もすでに演奏者が選ばれる時代になっている。
 他の同年代の方々が新たな生き甲斐として音楽活動を選ぶことにとやかくは言わないし、言えないが、「みんなと同じ」という生き方が元来好きではないヒネクレ者なので、どうしても本流とは別の方向にベクトルが向いてしまう。

 シャンソンを含めた洋楽は身の回りにあまり歌う人がいないので、いまのところヘソ曲がりの私向きだ。万一「我も我も洋楽」となった場合は、その時にまた考えよう。

2010年10月18日月曜日

ハマナス狂い咲き

 車の12ヶ月点検のため、朝一番で整備工場の方が来るので、珍しく早めに起きた。ついこの前買ったつもりでいた車だが、早くも丸2年経った。この間、わずか7500キロしか乗ってない。
 月換算で300キロ強。乗った距離に応じてコストが安くなるというネット任意保険への切り換えを検討すべきかもしれない。

 敷地西の境界線近くに植えたハマナスをふと見ると、紅色の花が一輪だけ咲いている。もうすぐ冬だというのに、何をトチ狂ったか。しかし、寒々とした周辺の中で、実に色鮮やかである。
 この時期にハマナスが咲いた記憶はなく、単に異常気象によるものだろうが、吉兆かも?と、素直に喜んでみよう。


_とあるサイトで、「指定したサイト内のみを限定してグーグル検索する」という、素晴らしい技術を見つけた。よく調べると、基本的な手法やリンク画像はグーグルで提供している。
 さっそく自分のサイトに取り込み、ブログとメインサイトにそれぞれ分けて検索ボックスを作った。
(アドレスが異なるので、同時検索は不可)
 いろいろ試してみると、なかなか便利である。たとえば、過去にライブで歌った特定の曲名を記憶だけで調べるのはもはや困難だが、「サイト内部検索」を使ってタイトルを入力してやると、スルスルと表示される。
 ブログ内部検索なら「去年は大根をいつ干したか?」なども、「大根 干す」と複数キー入力してやれば、これまたたちどころに各種データが表示される仕組み。
 ただ、ブログ検索の場合はブログのタイトルまでマメに拾ってしまうようで、タイトルと同じ言葉の検索は要注意である。たとえば、「縄文」というキーワードで検索してみると178件も表示され、絞り込まないとかえって混乱する。
 うまく使えば、かなり便利であることは確実。

2010年10月17日日曜日

ニカド電池長持ち術

 いま使っている電気カミソリは、確か生涯5台目のものだ。数ヶ月だが、生前の父が入院中に使っていた、いわば唯一の形見のようなもの。たまたま4台目が壊れた時期と重なって重宝しているが、切れ味は抜群である反面、電源コード式だったこれまでとは違う充電式であるのがやや難点。
 充電式の宿命で、使用中に突然電池切れになってしまう。19歳の時にバイトの金で初めて買ったのはブラウンの乾電池式だったが、仮に切れても予備電池さえあれば、何とか剃り続けられた。

 社会人になって買ったのは、ナショナルの充電式の製品。乾電池の消耗が激しいのに嫌気がさしたのが買い換えの理由だったが、こちらもやはり突然の充電切れに悩まされた。
 電気カミソリに充電残量の表示がないのはなぜ?と思って調べてみたら、高級品にはすでについているらしい。ガックリ。


 もともとヒゲが薄いので、サラリーマン時代に朝の充電切れに遭遇しても、少々の剃り残しなど気にせず、そのまま出社したものだ。父や二人の息子はかなりヒゲが濃いが、どういうわけか、私だけが一族の中でエアポケットのようにヒゲが薄い。
 しかし、狩猟の必要がない現代では、ヒゲが薄いほうがたぶん生きやすい。パソコンで仕事を続けるうち、未来人のヒゲはおそらく消えてしまうに違いない。
 充電式の機器はいくつか持っているが、ニカド電池の場合、切れたと思っていても、ごくわずかにパワーが残っている。この「わずかに残ったパワー」がくせ者で、構わずそのまま再充電してしまうと、次第に充電池の寿命が短くなる。
 残ったパワーが蓄積され、充電池の容量が次第に小さくなってしまうためだが、この欠点を少しでもカバーするべく、可能なものはスイッチを数時間オンのままにしておき、充分に放電させてから再充電している。
 電気カミソリで試してみると、1時間オンにした場合では、まだパワーが残っていた。(その後オフ状態で放っておき、再びオンにすると、しばらく回転することで確認できる)電気的な残量を完全にゼロにするのは難しいが、5-6時間オンにしておけば、少なくとも機械的な回転はゼロになる。

 充電式ドライバーの場合も同様にガムテープで強制オンにして数時間放置してから再充電している。おかげで買って10年経っても、使用時間は短くはなったが、まだ電池の交換はせずに済んでいる。
 携帯電話に使われているリチウム電池の寿命についても気になったが、調べた範囲では、ニカド電池のような欠点はないようだ。
(ただし、リチウム電池にも寿命はある)

2010年10月15日金曜日

暖房ボイラ試運転

 朝から気温が上がらず、正午になっても外気温は9度前後。陽が全く差さないので室温も19度あたりから上に行こうとしない。
「暖房をつけようか?」と、休暇で家にいた妻に水を向けても、「ガマンできるからいい」と、乗ってこない。それから数時間、互いにガマン比べの時を過ごした。

 そうするうち、外は小雨がパラつきだした。この3日間、町内にある児童公園の掃除当番に当たっている。今日は引継ぎ日なので、最後の巡回と掃除をするため、ヤッケと長靴で身繕い、デッキブラシを手に一人出かける。
 予想外に枯葉が多く、手間取ったが、何とか終わらせた。家に戻ると身体が冷えたせいか、やはり肌寒い。も〜ガマンならぬと、ついに暖房ボイラのスイッチを入れた。記録を調べると、去年は10/8、一昨年は10/16とあるから、まあ、平均的な暖房開始日だ。
 3時間ほどで家中が暖まったので、ただちにオフ。我が家の暖房開始基準は「陽が差さず、日中で2階室温が20度以下」これである。


 今年は家庭菜園の大葉(青ジソ)の元気がよく、この時期になってもまだ葉をつけている。さすがに夏場の勢いはなく、サシミのツマにするほどではない。しかし、何とか別の使い道はないかと探してみたら、あった。
「シソ味噌」という代物で、シソをみじん切りにし、鍋で溶かした味噌とみりん、砂糖の中に入れて白ゴマと共に炒めるだけ。先日試しに30枚分ほど調理してみたら、非常に美味い。妻と奪い合いにあり、あっという間に胃袋に消えた。

 今日は小さくなった葉をかき集め、再度挑戦した。基本的には酒の肴だが、ご飯のおかずでもいける。こんなに美味いなら、旬の時期にもやってみる価値は充分ある。

・シソ(青or赤)30枚  ・白ゴマ、大さじ2   
・味噌、大さじ3  ・砂糖、大さじ2  ・みりん、大さじ1

2010年10月14日木曜日

シーツ類の更新

 結婚以来、寝具はごく普通の和式布団で、床がアパート時代の畳から、マンション時代のジュータン、そしていまの戸建住宅でのOSB合板に変貌しても、それは変わることはなかった。
 妻はベット嗜好が強いが、使わないときにはただ邪魔なだけの機能性が狭い日本住宅には根本的に不向きで、再三のリクエストにも「いつか足腰が不自由になったその時にでも」と、かわしてきた。

 たたんで押し入れにしまうと、そこがたちまち全く別の部屋として機能する、まるでカラクリ屋敷のような和式布団だが、布団やシーツ類の傷みはけっこう早い。打ち直しや買い換えを含めた定期的なメンテナンスは欠かせない。


 最近になって私のシーツ類の黄ばみがひどく、長いものは10年近く使っているので、思い切って一式交換することにした。敷き布団カバーが2枚、シーツ1枚が対象である。
 シーツは客用の予備をスライドするだけで済むが、敷き布団カバーは予備がない。予算は1,000円以下だが、昨日近隣のディスカウント衣料店で670円の適当な品を発見した。何店か調べたなかで、最も安い。
 品質がやや不安なので、チェック柄の品を試しに1枚だけ買い、取り替えてみたら、なかなか案配がよろしい。今日は歯科治療の帰りに、色違いをもう1枚買い足した。これでまたしばらくはもつ。

 ちなみに、妻のシーツ類は傷みが少ない。「あなたは寝る時間が長いからよ」と、妻からは皮肉られるが、平均8時間が果たして長過ぎるのだろうか?睡眠時の寝返り圧力や、身体の新陳代謝量の違いだと思うのだが。

2010年10月13日水曜日

カレンダー・ガール

 昨日に引き続き、新しい洋楽を仕込む。つい先日、妻が「カレンダーガール〜♪」と鼻歌を歌っているのを小耳に挟んだ。妻の鼻歌は新しく曲を仕込む際、おおいに参考にしている。すっかり忘れていたが、なかなかノリのいい曲である。
「それ、いただき!」と、さっそく歌詞やコードを調べた。

 いわゆるオールディズと呼ばれるジャンルで、タイトルはずばり「カレンダー・ガール」。1959年にニール・セダカが歌って大ヒットした。私が10歳の頃で、日本でも坂本九とパラダイスキング(パラキン)が歌っている。
 日本語歌詞は簡単に見つかったが、どうもピンとこない。全体的にやぼったく、致命的なのは「イカす」(魅力的)という、いまでは死語と化した言葉が含まれていること。
「イカす」は当時やたら流行った言葉だが、いまでは使う人はもとより、意味を理解できる人も少ないのではないか。


 既存の日本語歌詞はあきらめ、またまた独自の訳詞に挑戦した。ただ、イントロとサビの部分はカッチリ決まっていて、下手に訳すと曲本来の持つ魅力を損なう。そこでこの部分はそのまま英語で歌うことにした。
 訳したのは季節毎に変わる行事や行動のリフレイン部。原曲では1月から12月まで続いているが、これまたそのまま日本語歌詞をあてはめると、まるでやぼったく、使えそうにない。
 日本語歌詞ではこの部分を、「春の日、夏の日…」と、うまく四季に置き換えている。3回繰り返すとちょうど12回分になるので、このアイデアだけ借用し、行事や行動はオリジナルで作り直した。

 大枠はほぼ完成したが、「C#dim」という、いままで一度も弾いたことのない難解なギターコードが1カ所あり、手持ちのコードブックにも存在せず、ネットでようやく探し当てた。
「C7」でもやれそうだが、何とか原曲通り弾いてみる。

2010年10月11日月曜日

神仙沼紅葉狩

 妻がこの日休暇なので、かねてからの予定通り、ニセコにある神仙沼湿原に紅葉狩と洒落こんだ。毎年この時期にはどこかしらに紅葉狩(平たくいえば、紅葉見物)に出かけるのが恒例である。
 ニセコ周辺は紅葉の名所だが、札幌から片道100キロは優にあるので、これまでなかなか行く踏ん切りがつかなかった。しかし、今年8月の摩周湖旧婚ドライブで片道500キロ弱の単独運転を2日続けて乗り切ったのに自信をつけ、少し行動範囲を広げてみる気になった。

 かなり前からネットで周辺情報を収集していたが、ニセコにいくつかある湿原のうち、評判のいい神仙沼湿原をメインターゲットにし、近隣のカフェや日帰り温泉をいくつかピックアップして備える。


 天気予報通り、前日までの雨はピタリ止んだ。陽射しが差してきたのを機に、早めの8時40分に家を出る。5時間ほどしか寝てないが、8月の長距離ドライブもこんなものだった。眠気覚ましの珈琲アメなどしゃぶって凌ぐ。

 今回は高速を一切使わず、地道に一般道を走る。石狩から小樽へと順調に走って、10時過ぎには早くも余市に到着。その後岩内経由でニセコに入る。予定よりもかなり早く、11時過ぎには神仙沼に着いた。
 ところが、湿原入口の駐車場には長蛇の列。考えることはみな同じのようだ。最後尾は軽く1キロ近くあり、駐車はあきらめて路肩に車を停め、湿原入口まで山道を15分ほど歩いた。
 街の紅葉はまだまだだが、湿原はかなりの高地にあり、まさに見頃。しかし、異常気象のせいかいつもより赤の色が薄く、全体に黄色が強い印象だった。
 入口からさらに湿原までの道を歩く。木道が整備されているが、かなりの人であふれていて歩きにくい。海からの霧が厚く流れてきたり、時折青空ものぞいたりと、気ままな空模様である。


 15分くらい歩いて湿原に到着。不思議なことに着いたとたん、霧がさっと晴れ、沼の奥に一筋の陽射しが差し込んできた。この機を逃してはならじと、近くの家族連れに写真を写してもらう。
 湿原の草は大半が枯れていたが、それはそれで風情があり、妻はすっかり気に入った様子。情報では、初夏の湿原は緑にあふれているそうなので、次回はぜひともその時期に訪れたい。

 しばらくいて、来た道を再び戻る。またまた霧が深くなり、青空も消えてしまった。束の間の晴れ間であった。


 その後近くの名所、五色温泉に行くが、駐車場にはこれまた車が一杯。出かける前はここで日帰り温泉につかる予定だったが、気が進まないと妻がいうので、周囲の紅葉だけ眺め、次なる予定地の森のカフェに向かう。
 ニセコのど真ん中、深い森の中にある目当てのカフェ「Grove」はすんなり見つかったが、ここにもかなりの先客がいて、頼んだピザと珈琲が並ぶまで20分ちょっと待たされた。しかし、待ったかいあって、どちらも非常に美味しくいただいた。
 このカフェには1時間近くいて、14時半ころから帰路につく。途中、妻にとってちょっとしたゆかりの地である倶知安で紅葉に染まる羊蹄山の見事な景勝を楽しみ、余市の道の駅で土産物を買ったりして、18時ちょうどに北区の自宅に帰宅。

 この日の走行距離は265キロで、油量計でチェックしたおよそのガソリン消費量は11Lだった。実質燃費は脅威の24キロ/L。ほとんどハイブリッド車なみの数値だ。
 夏に久々に高速道路を長時間走り、エンジンの汚れが飛んだせいか、あるいは2年走って車自体がなじんできたせいか、このところ燃費がすごくいい。いまや縄文暮らしには欠かせない「孝行車」である。

2010年10月10日日曜日

LEDナツメ球の評価

「お宝の山」、100円ショップネタが続く。

 就寝時などにホンノリと点灯しておく5Wのナツメ球を、試験的に100円ショップで売っているLED電球に変えてみたことは以前に書いた。それからおよそ2ヶ月経ち、結果らしきものが出た。
 当初の予想より電気料の削減は大きく、前年同月と比較して7〜8KWほど減っている。金額にして、およそ200円。買った2個分の元はすでにとった。これがすべてLEDナツメ球によるものとは断言できないが、2ヶ月続けて同じような減少量だったから、かなり信頼できる。


 この勢いで、残る2カ所の常夜灯もLEDナツメ球に変えようと思った。単純計算で、4個だと年間3,000円前後の節約になる。
 実は先に買ったLEDナツメ球の色が真っ白で、妻からちょっとだけクレームがついた。色にこれまでの電球色のような暖かみがない、というのだ。情報を集めると、LED球は同じ消費電力でも白色が最も照度が強く、お得だという。
 最初に買った2個はコンセント兼用のセンサー付常夜灯だったので、照明カバー内部に手持ちのオレンジ色の透明シートを貼って対処したが、居間のペンダント灯はむき出しなので、それができない。
 ネットで得た情報を信じてはいたが、物は試しと、同じ100円ショップで赤色のLEDナツメ球を1個だけ買った。
 ところがいざ使ってみて驚いた。「単なる赤みがかった暖色系」くらいに考えていたその色が、正真正銘の真っ赤なのだ。まるでキャバレーかクリスマスの電飾のよう。しかも、情報通りに光が弱く、白色と比較すると半分くらいしかない。

 扱いに困り、クリスマス専用か、単なる予備にしようかと悩んだが、試しに居間にある2つの常夜灯を白と赤のツインにしてみた。すると、これがなぜかアヤシク映える。色も照度も程よく混ざっていい案配。ひとまず使ってみることにしますか。

2010年10月9日土曜日

万歩計なるもの

 先日、100円ショップを徘徊していて、万歩計を発見した。ずっと欲しいと思ってはいたが、何百円も投資する気はなく、ねらいは100円ショップ。ボタン電池のデジタル式で、1万歩どころか10万歩まで計測可能だそうで、迷わず買った。

 知りたかったのは、「自宅が仕事場」という特殊環境下で、いったいどれほどの歩数がカウントされるのだろうか?という点。さっそく起床時から肌身離さず装着し、調べてみた。


 その結果である。初日が約2800歩、2日目が約2600歩という数値。(3000歩くらいか?)という見込みよりやや少ないが、だいたい当たっていた。
 30代のころ、正確に計測した歩幅(外靴)はおよそ78センチだったから、1日で2キロ強しか歩いていないことになる。
 計測した日は両日ともDIYに励んでいるし、軽く20往復くらいは階段の昇り降りをしている。家事雑事もあれこれやっている。家にいる人間としては、かなり動いているほうだと思う。それでもこの程度の数値だ。

 3日目、たまたま銀行に行く用事があり、いい機会と出発時に万歩計をリセットし、歩数を調べてみた。郵便局経由だったが、往復で5000歩を軽々と突破。距離にして約4キロだ。これに家事雑事分を加算すると、およそ8000歩。「万歩計」の基準に近づく。
 実際に計って分かったことは、外出せずに家の中でいくら動き回ってみても、ちょっとした散歩には到底かなわない、という簡単な論理である。
 試みに、「1日1万歩」の意味についても調べてみたが、絶対的な根拠は存在しない。日本人の平均摂取カロリー値と、実際に消費する平均カロリー値の差、およそ300カロリー分を、歩くことによって燃焼させ、蓄積させないようにするには1日1万歩ほど、という計算になるそうな。
 つまりは、平均よりもカロリー摂取量が少ない人はそんなに歩かずともよい、という理屈になる。(カロリー摂取過多の人はその逆)私の場合、おそらく平均よりも少ないと思われるので、「家事雑事の合間に、ときどき散歩」という、いまのペースが程よい気がする。

 ただ、歩くことにはカロリー消費以外に気分転換やストレス解消、節約など、別の効用があるようだ。散歩した日はよく眠れ、不整脈も治まり、夜中のトイレにもあまり起きなくなる。やはりほどほどには歩くべし。

2010年10月8日金曜日

人生のやり残し

 下旬に実施予定の小学校同窓会の会場が変更になった、との連絡が幹事からあった。予想をはるかに超える参加者となり、当初の会場が手狭になったそうで、今度はなんと京王プラザホテルでやるという。
 女子の参加表明が多いとの事前情報を実は聞いていたが、なんで?と、その理由を追求してみると、「小学校時代に気になっていた××君が、どんなふうにカンレキを迎えたのか、この目で確かめたい」のだそうな。

 へえ〜、そんなものかと感心させられたが、そんな私も、ちょっと気になっていたT子さんには会ってみたいと気持ちが動いたのだから、似たようなものだ。
(そのT子さんは東京在住で、今回は不参加らしい)


 以前に50代女性から、「人生に何かやり残した気がする…」という、ちょっとシリアスな話を聞いたことがある。
 ごく普通に恋愛し、ごく普通に結婚し、ごく普通に子供を育て、ごく普通の晩年を迎えようとしている境遇の方である。世間一般の基準から見れば平凡だけどもシアワセに見えるその方が、いったい何を人生にやり残したのか、当の本人さえも分かっていないように思われた。
 幸福感は本人だけの感覚だから、傍目から見た第三者がとやかく言うのは意味がない。しかし、経済的充足や社会的地位がその幸福感に必ずしも結びついていないのは明らか。
 カンレキ世代の同窓会には私も含め、この「人生のやり残し」があったのかなかったのか、一気にタイムワープして確かめてみたい、という潜在願望があるのかもしれない。

2010年10月7日木曜日

縄文DIY

 天気がよいので、玄関ポーチと基礎の間にできた1センチほどの隙間を補修することにした。

 11年前の新築時、あまりの緊縮予算で玄関ポーチを作るお金がなく、ブロックやレンガ、そしてセメントをホームセンターで買い集め、自分で玄関ポーチを作った。基礎に砂利を転圧し、ブロックをベースにして一番上にはレンガを敷き詰めた本格的なもの。モルタルを練って目地も自分で処理した。

 できあがってみると、仕上がりは粗いが、家本体とのデザインバランスも程よく、それなりに見られる。「素人とは思えない」などと、工務店の担当者にもおだてられ、まんざらでもなかった。
 月日が流れ、この玄関ポーチの沈下がじょじょに進んだ。家本体は支持地盤まで深く打ち込まれた24本の杭で支えられているが、玄関ポーチは単に砂利を転圧しただけなので、経年によってどうしてもズレが生じる。
 小さなクラックはその都度モルタルでふさいできたが、いよいよ本格的な補修が必要になった。


 まず、写真上のような状態だったポーチ端部の目地モルタルを、タガネで叩いて完全に砕く。1センチ以上の隙間が全体にできるので、その隙間を完全に埋める必要があった。
 手っ取り早いのはここでモルタルを大量に練り、まんべんなく流してしまうことだ。しかし、アンバランスな沈下は今後も続くはずで、基礎壁とポーチとを必要以上に強固に固めても、あまり意味がない。

 そこでこの隙間を小さな砂利と砂でまず埋めることにした。いわゆる「骨材」というものだが、ホームセンターで買うとバケツ1杯単位で、それなりの値段である。いまどき、砂も石もタダで手に入るわけでなく、すべてお金である。
 しかし、最近になってこの「骨材」をタダ同然で入手する方法を見つけた。写真中がそれで、不要になったコンクリートブロックのかけらを、漬け物石の上で丹念に砕くのだ。下にシートを敷けば、細かい砂も同時に手に入る。
 こうして得た骨材をシート毎運び、隙間に流し込んでゆく。ブロック半分ほどで隙間は埋まったので、水を流して固く締め、最後にセメントを1センチくらい充填し、霧吹きで水を軽くかけてから目地コテで押さえて作業終了。
 上端だけをモルタル状にしたのは、砂が風で飛ぶのを防ぐためと、見栄えの2点から。完全なモルタルを目地に埋めるのは相当のキャリアが必要だが、素人レベルで無難なのはこの方式。縦積みの目地には使えないが、横積みならOK。通路のレンガにも同じ手法を使った。

 せっかくのDIYも、湯水のように金をかけてはツマらない。普通はゴミとして捨てる物をうまく活用し、節約と資源保護の両方を目指すのが「縄文DIY」の極意である。

2010年10月6日水曜日

何もしない時間

 屋根の頂点まで達したツタの剪定のため、新たな投資をせずに長いハシゴを調達する方法を考えていた。
 手持ちのアルミ脚立の両側に木製アタッチメントを装着する方法は、持ち上げる際にハシゴがあまりに重すぎて扱いが困難と知った。だが数日経って、(木製アタッチメントを両側でなく、片側だけに2個装着しては?)と、突然思い当たった。

 問題が行き詰まったとき、有効なのはずっと解決法を考え続けるのではなく、ある一定の「何もしない時間」を置くことだ。デザインでも文章でも同じで、この「何もしない時間」が不思議なことに新しいアイデアを生んだり、これまでの問題点を暴き出したりする。


 その特製ハシゴ、さっそく修正作業をやってみた。足りない材料は昨日買ってあり、今回は既存のアタッチメントの下部内側に、新たに木製の「脚」を木用ビスで固定する方式である。
 ハシゴの幅はこれまでよりさらに広がるが、支えの横棒も追加してあるので、強度的には問題ない。
 だいたいイメージ通りに出来上がり、試しに南側壁に立ち上げてみる。「下は重いが上は軽い」というバランスは、予想通り格段に扱いやすい。一人で問題なく立てかけられた。
 上端は2階窓まで達しているので、伸びすぎたツタの剪定も楽々。長いので昇る際に少し揺れるが、体重50キロ代前半の身軽な身であるので、大きな問題はない。
 総費用はおよそ600円で済んだ。(1820のタル木3本)やっぱり手作りです。

 終了後は追加した「脚」だけを二つに分解し、物置に収納。既存の木製アタッチメントはこれまで通りウッドデッキ外に架け、アルミ脚立は屋内に収納する。木製アタッチメントの塗装作業がまだ残っているが、冬が来るまでにゆっくりやる。