2008年10月1日水曜日

あかずの踏切り

 井上陽水が35年近く前に歌った「あかずの踏切り」という曲がある。最初は「もどり道」というライブ版LPの中で歌われ、同じ年のLP「氷の世界」でも、A面1曲目に収録された。
 どちらも同じ曲かと思いきや、実は最初のバージョンはバラード系のワルツで、次が激しいロック調。歌詞は同じだが、全く別の曲に聞こえる。
 圧倒的に売れたアルバムは「氷の世界」だから、世間でよく知られているのは、おそらくこちらに収録されたロック版のほうだろう。

 ひとつの詩に二つの曲がついているという事例は皆無ではないが、そうあるものでもない。井上陽水では、私の知る限り、この曲のみ。
 私自身も若い頃に一度、最近になって一度作った例がある。詩の発するメッセージがどうしてもひとつに絞りきれない場合、こうしたことが稀に起こる。

「あかずの踏切り」の場合、最初の緩やかな曲調が詩の持つオーラに合っているようにも思えるが、私個人としては、「氷の世界」収録の激しいビートを好む。ロック調に変えたことで、激しく行き交う電車の前でただ呆然と立ちすくむ、微力な若き主人公の姿が、より鮮やかに立ち上がっているように思える。
 実はこの「あかずの踏切り」の舞台となった地に、1年近く住んでいたことがある。妻との結婚を控え、住まいとなる適当な場所をあちこち探し回り、ようやくたどり着いたのが、この踏切から南に歩いて20分ほどの新築アパートだった。

 場所は東京都小金井市で、踏切は小金井街道と中央線が交わる地にあり、JR武蔵小金井駅の真横である。
 妻の実家からは1時間以上もかかったが、当時担当していた現場がこの沿線近くにいくつかあり、通うのに楽であるという単純な理由から選んだ。ここがかの有名な「あかずの踏切り」の舞台であることを知ったのは、かなりあとのこと。
 妻との新婚時代の甘い思い出が詰まっている懐かしい地だが、現在は中央線が高架化され、グーグルのストリートビューで確かめてみても、昔の面影はすでにない。

 アパートは線路の南側にあったので、踏切を渡らずにすんなり通勤できたが、買い物は踏切の北側にあるスーパー西友に行くことが多く、踏切を渡るのが一仕事だった。
 歌詞にもある通り、日中はほとんど閉じているような状態で、開いた直後に間髪をいれず鐘がまた鳴り出すことも多く、渡るには決死の覚悟が必要だった記憶がある。


 駅陸橋を渡れば踏切はパスできたが、当時の武蔵小金井駅は高架化されておらず、陸橋を渡るには入場券が必要だった。安月給だったので、利用した記憶は一度もない。
 何しろ、当時手取り7万くらいの月給で、アパート家賃が3万5千円という途方もないもの。よくやっていけたものと、いまさらながら感心する。名曲「あかずの踏切り」の地で、微力な若き日の私たちも未来に確固たる指針を見い出せないまま、必死で生きていた。
 踏切のむこうに、おいしい珈琲ショップがあり、給料日直後には妻と二人でよく飲みに行った。この店では珈琲豆の直販もやっていて、好きな豆をブレンドしてくれる。大の珈琲党だった私たちは、普段はここで豆を買い、家で入れて飲んだ。厳しい家計のやり繰りで晩酌など一切できず、これが唯一のゼイタクらしきものだった。
 陽当たり抜群のアパート2階で、二人でよく陽水の歌をギターで歌った。金はなかったが、充分シアワセで豊かな時間を過ごせた。

 同じく踏切のむこうには桜で有名な小金井公園があるが、あいにく行くチャンスを逸した。余談だが、フォーク歌手、高田渡の追悼コンサートが行われた小金井市公会堂は踏切の南側、歩いて5分ほどの場所にある。文化的で成熟した街だった。

 写真は当時のアパート室内を写した唯一のもの。棚や机類は得意のDIYによる手作り。帰宅後、ここでコツコツと夜遅くまで建築士試験の勉強に励んだ。
 タンスを含め、いまだに使っている家具備品類がいくつか見えるのは、まさに脅威。(残念ながら、踏切の写真はありません)