2016年2月21日日曜日

フェルマータ

 市内のやや遠方にあるデイサービスで歌った。昨年10月にネット経由で初めて依頼され、今回が2度目。初回ライブが利用者と職員の両方で評判がよかったそうで、いわゆる「最も強い2度目の依頼」というパターンだった。

 構成には少し迷った。抜群の手応えだった最初のライブは、ごくオーソドックスなものだった。回を重ねると飽きがくるのは避けられず、2度目の今回は最近しばしば試みている「定番を無視した新しい構成」で臨もうかと一時は考えた。
 しかし、反応がよかった初回のパターンを、あまり大きく変えるのも考えもの。大転換はライブに頭打ち感が出てからでも充分ではないか?そう考えなおし、重複曲を避けた定番曲に一部新しい曲を混ぜる、という構成に落ち着いた。
 未明に8センチの雪が降ったが、湿った春の雪で解けるのも早い。大きな渋滞もなく、45分で先方に着く。
 前回は隣接するグループホーム居住者も聴き手に加わっていたが、今回は30名ほどのデイサービス利用者のみ。予定より5分早く14時25分から始め、35分で12曲を歌う。

「北国の春」「宗谷岬」「真室川音頭」「二輪草」「二人は若い」「365日の紙飛行機」「仰げば尊し」「お座敷小唄」「虹と雪のバラード」「浪花節だよ人生は」「また逢う日まで」「丘を越えて(アンコール)」


 曜日が異なることもあってか、前回とは微妙に場の気分が違っていた。施設側の方針として、2曲目からタンバリンや鈴などのパーカッションを各自に持たせ、曲に合わせて一斉にリズムをとるという趣向。
 賑やかさという面では歓迎だが、曲調によってはリズムがとりにくい場合もあり、1曲毎にリズムパターンを事前に手拍子と歌で説明する、という進行になった。

 6曲目には「釜山港へ帰れ」を予定していたが、事前にタイトルを告げても、場の反応はいまひとつ。リズムがとりにくい曲なので、その場の判断でニギヤカ系の「365日の紙飛行機」に差し替えた。
 7曲目の「仰げば尊し」は年が明けてからしばしば歌っているが、一緒に歌う人も多数いて、おおむね反応はよい。しかしラストのフェルマータが長すぎて、タイミングが合わない、という欠点があった。
 そこで今日はフェルマータを短めにして歌った。これによって場の歌声とのズレは回避できたが、終了後に一人の男性から、「後半のフェルマータをなぜ省略する。この歌はフェルマータを使わなくてはダメだ」と、かなり厳しい口調で指摘される。
 楽しく進んでいた場の空気が、一瞬凍りつくのが分かった。正論だが、こうした場で声高に指摘するような問題とも思えない。短めにはしたが、全くやらなかったわけでもない。

 勢いに気押されたのか誰もとりなす雰囲気はなく、やむなく「ただいまのご指摘は…」と、ラストのフレーズを歌い直す。「フェルマータは承知しておりますが、今日はみなさんの歌のタイミングに合わせました」と言い添えた。
 音楽用語をよくご存じですね、もしや音楽の先生をやられていましたか?と問いかけたが、かの男性はコワイ顔をして押し黙ったまま。これ以上引っ張っても場の雰囲気が悪化するだけなので、打ち切って次なる曲へと進んだ。

 たまたまニギヤカ系の曲が以降続いたので救われたが、この出来事が弾んでいた場の気分に水をさしたのは間違いない。
 チカチカパフォーマンスやライブハウスなどでも、過去にこの種の指摘を受けたことがある。いわく、「メロディが違っている」「リズムパターンが違っている」「(オリジナル曲の)歌詞の一部が不自然」等々。
 決して偶然ではないと思うが、指摘は全て男性からのものだった。ちなみに、私の聴き手の7〜8割は女性なので、その比率が突出している。

 私も同じ男性だが、男はおしなべて場を楽しむ術に欠けている。歌を聴きながら目を光らせて、アラ探しに勤しむばかり。女より6年以上も寿命が短い理由のひとつが、このあたりにもありそうだ。