2015年6月14日日曜日

歌いたい曲聴きたい曲

 札幌南端にある有料老人ホーム誕生会イベントに出演。2007年に最初の依頼があってから、年1回ペースで招かれる施設で、今回が実に9回目。まるで職員か家族のような、長いおつき合いが続いている。
 片道およそ25Kmあって、車でも1時間弱を要する。昼食もそこそこに出発。裏道を通って順調に走り、開始15分前の13時45分に着く。

 施設側の催し物がまずあって、14時10分くらいから私の出番となる。聴き手は50名ほどで比較的広い場なので、PAは迷わず2台を使用した。
 足掛け9年も通っていると、知った顔も多数。まるで自宅で歌うような感覚だが、怖いのは「慣れ」による気の緩みと、聴き手に飽きられること。
 同じ介護施設系でも、デイサービスのように顔ぶれが激しく入れ替わる場なら、飽きられる不安はあまりないが、有料老人ホームやグループホームは入居者の大きな入れ替わりはないのが特徴である。
 数日前から過去のライブレポを読み返し、どのような構成で今回臨むべきか、慎重に対策を練った。

 昨年のライブレポに「次回はもっと古い歌もぜひお願いします」と、終了後に入居者から声をかけられたとあり、そうだったかと、いったん決めていた定番曲中心の構成に、大きな修正を加えることに。
 これまで冬眠状態にあった古い曲を揺り起こし、目下練習中の懐メロも思い切って歌ってみようと考えた。


 自分としては苦手な曲もあり、大きな冒険でもあったが、練りに練ったこの日のプログラムは以下の通り。(※は初披露)

「リンゴの唄」「忘れな草をあなたに」「君恋し」「青葉城恋唄」「幸せなら手をたたこう」「たなばたさま」「われは海の子」「長崎の鐘※」「エーデルワイス」「旅の夜風」「誰か故郷を想わざる※」「東京ラプソディ」

 トップの「リンゴの唄」から始まり、12曲中8曲が私が生まれる以前の曲で、最も古い曲は1910年(明治43年)の「われは海の子」である。アクセントとして入れた新しい曲(あくまで他と比べて)は別にし、大半の曲に一緒に歌う方が続出。当初の不安は吹き飛んだ。
 冒頭の施設長さんの挨拶で、入居者の平均年齢は87歳であることを知った。昭和10年代に青春を送った世代である。なるほど、この時期の歌が受けるはずだ。


 実は「長崎の鐘」「旅の夜風」「誰か故郷を想わざる」は、他のデイサービスで以前にリクエストのあった曲だった。当時は全く歌えなかったが、その後苦労して会得した曲。後半にもってきたこともあって、いずれも強い反応があった。

 同じ経緯での候補として「野崎小唄」もあったが、残り3曲となった時点で聴き手に何が聴きたいか、ずばり曲名とさわりを歌って尋ねてみた。その結果、「野崎小唄」だけが脱落。古ければなんでもいい、ということではない。これは心に留めておきたい。
 ラストの「東京ラプソディ」では手拍子と歓声、そして笑顔が会場いっぱいに広がり、フィナーレに相応しい大変な盛り上がり。1週間前のデイサービスでも同じ傾向だったが、この曲は本当に強い。
 終了後も「懐かしい歌が聴けた」「涙が出たわ」と、しばし余韻が収まらない様子。「た〜のし都ぉ〜♪」と、ラスト曲のサビを繰り返し歌っている方もいた。

 今回つくづく思ったのは、「自分が歌いたい曲」「得意な歌」イコール「聴き手が聴きたい曲」では決してないということ。正直に書くと、歌った曲には苦手な曲やピンとこない曲も多く含まれている。しかし、聴き手の反応は過去9回の中でも、ベストに近いものだったように思える。
 リクエストをライブの中心軸にし、「聴き手の求めに応じて歌うこと」を最近の歌うコンセプトに据えているので、これも自然な流れなのだろう。