2014年1月31日金曜日

思い出に区切り

 子供たちがまだ家にいた20数年前まで、年に数回はやっていたキャップ道具一式が、このところ全く出番がないまま、押入れ奥の段ボール箱に眠っている。その中にある小型のまな板が、ひょっとして日常生活でも使えるような気がし、久しぶりに出してみた。
 大きさは手頃だが、実際に使ってみると軽すぎて、ステンレストップの上では滑ってしまう。裏に重しとなる合板などを止める必要がある。

 キャンプ用具一式を収めた箱から、専用の救急箱が出てきた。菓子の空き缶を利用したもので、ハサミやガーゼ、各種常備薬まで入っているが、薬の大半はすでに使えない。他の備品もこの際、旅行用などに転用することにした。
 キャンプ用品でいまでも現役なのは、スベアの石油ストーブ。暖房ボイラ故障時の非常暖房や、室内でのジンギスカンに重宝している。他は今後使うかどうかも分からない。日帰りの炊事遠足のような形でなら、出番があるかもしれない。


 押入れをかき回しついでに、他のダンボール箱もいくつか開けてみた。今後使えるほどのものは入ってなく、すでに大半が思い出以外の価値がないシロモノ。傷みのひどいキャンバス地のバックと帽子2つを処分することにした。
 学生時代にかぶっていた毛糸のハンチングも出てきて、こちらはいまでも使えそうな感じがする。母の手編みだが、デザインしたのは私。ただ、かぶってみるとベージュ系の色が若向き。グレー系に染めると使えるかもしれない。ちょっと検討してみよう。

 時の流れと共に、モノの価値もゆるやかに変わってゆく。思い出は大切だが、どこかで区切りをつけないと、たちまちモノに押しつぶされる。昨年末から始まった断捨離作業、まだまだ進行中である。

2014年1月30日木曜日

過去2番目の売上げ

 今月4度目となるチカチカパフォーマンスに参加。月に4度のパフォーマンスは過去に例がない。この日も当初の予定にはなかったが、枠が空いていいたので、急きょエントリーした。

 3日前の記録的な大盛況が、果たして一時的なフロックであったのか否か?を確かめたかったのがひとつ。2月は雪まつり系イベントで会場枠の割当てが少なく、当分パフォーマンスがやれないこと。さらには、ストレス度が最も少なくすむチカチカパフォーマンス自体を、今年の弾き語り活動の中心軸に据えたいことなど、もろもろの事情が背景にあった。
 この日も会場は北4条広場。3組の共演で持ち時間があまりなく、時間枠を有効に使いたい。ロスを少なくするべく、普段よりもかなり早く家を出た。
 4月上旬の暖かい陽気で、雪はどんどん解け、道路は乾いている。13時40分には会場入りしたが、まだ誰も来ていない。すぐに準備し、余裕を持ってスタンバイした。
 14時ぴったりに歌い始め、およそ30分で以下の9曲を歌う。

「ジョニィへの伝言」「もしもピアノが弾けたなら」「恋のしずく」「花の首飾り」「男と女のお話」「抱きしめて(オリジナル)」「青春時代」「まつり」「熱き心に」


 この日も第1ステージは最も受けが良い昭和歌謡でまとめた。当初の予定では「青春時代」で終わるつもりが、次のパフォーマーが会場に現れないので、自己判断で2曲を追加。この追加分を含めたラスト3曲で大いに盛り上がったので、いい判断だったと思う。
 全体としては3日前よりも集客は減ったが、売上げ自体に大きな変化はない。やはりこの方向性で間違いはないと自信を持った。
(あとでまとめてみたら、過去2番目の売上げ記録。つまりは、3日前に次ぐ数値であった)

 ひとつだけミスったのは、ギターの音がPAから出なかったこと。1曲目を終えて気づいたが、原因が分からない。シールドケーブルの断線と思い込み、あきらめて生ギターに徹した。
 持参したオベーションはヤマハよりも生音が劣ると思っていたが、音はそれなり。大きなハンデには結果としてならなかった。怪我の功名というヤツか。
 相次いで現れたジャグラーの方に場を譲り、休憩中にギターのケーブルを調べる。すると、ジャックのRとLを逆に挿していた。モノクロ音源なのでLのジャックに入れるべきで、ちゃんとテープでマーキングもしてある。なのに間違えた。
 記念すべき第1回のチカチカパフォーマンスでも似たような間違いをしでかしたが、またやってしまった。
(帰宅後、あまり使わないRの端子にテープで蓋をした)

 2人のジャグラーのパフォーマンスをはさみ、15時45分から第2ステージ開始。前回はここにフォークを持ってきたが、今回はマニアックなシャンソン系の曲で構成した。ぜひとも歌ってみたい気分だったのだ。
 およそ25分で7曲を歌う。

「ろくでなし」「バラ色の人生」「冬よ来い(オリジナル)」「わかっているよ」「雪が降る」「夕凪ワルツ(オリジナル作詞)」「Godfather 愛のテーマ」
 いつものことだが、前半に比べて集客も売上げも激減した。このジャンルは、あきらかにフォークよりも反応が劣る。まあ、後半はいつもこんな感じなので、自分の好きな歌を通りを吹く風のようになって歌う、という気持ちで演るなら、このやり方でよい。
 しかし一方で、前半なみの集客や売上げを期待するなら、ここでも昭和歌謡で臨むべきではないか?とも思う。曲目を大幅入替えすれば、気分も変わる。

 後半のステージをある種の「捨てステージ」のように捉えるのか、はたまた貪欲に集客や売上げを追求してゆくべきか、もう少し試行錯誤してみたいが、今後悩ましき選択になりそうな気配。

2014年1月29日水曜日

無料Wi-Fi「7スポット」

 眼科医院に連れて行って欲しいと、昨日から妻に頼まれていたので、午前中からあれこれ準備。起きると外は激しい地吹雪だったが、朝食を食べているうちにカラリと晴れた。
 外に出て車庫回りの様子をみると、あちこちにかなりの吹き溜まり。手作業はあきらめ、今年13度目の電動除雪機を出動させる。20分ほどで終了。

 眼科医院近くのヤマダ電機に資源回収として出すため、不要になった蛍光灯管を床下収納から取り出し、使用済みインクカートリッジやボタン電池と一緒にまとめる。さらには、近くのイトーヨーカドーで無料Wi-Fiスポットの接続テストをしてみようと、ノートパソコンを小型バックに入れる。
 全ての準備が終わって昼食をとっていたら、妻がいつもより早めに帰宅。ただちに車で出発した。


 妻を眼科医院でおろし、その足でヤマダ電機へ向かう。ボタン電池の回収箱だけが見当たらない。店員に聞いたら、回収していないとのこと。やむなくイトーヨーカドーへ回るが、ここにも見当たらない。
 持参したMacBookを店内のフードコーナーに持ち込み、さっそく起動させてみた。すると「接続したいネットワークを選んでください」とリストが表示され、その中から事前に調べてあった「7SPOT」を選ぶと、パスワード入力もなしで一発でつながった。

 そのままツイッターやGmailをチェック。特に問題なく閲覧できたが、なぜかヤフー関連サイトにアクセスすると、「7SPOT登録サイト」に強制的に導かれてしまう。いったんあきらめて、ツイッターでちょっとだけツイートし、場所を変えて再接続を試みた。
 2階にある休憩用の椅子でも普通に使えたが、やはりヤフー系サイトだけはつながらない。やむなく登録作業に入る。確認のメールで本登録をし、(無料)ここからログインしてみると、「1日3回、1回60分以内」という条件が表示され、ようやく全てのサイトにアクセス可能となった。
_理由ははっきりしないが、会員登録せずにアクセス可能なサイトも確かに存在する。Gmailに限定すれば、無制限で使えるかもしれない。
 ただ、「1日3回、1回60分以内」という条件下でも充分に満足できる。自宅から車で10分、営業時間も長くて気兼ねなく使える。いい場所に無料Wi-Fiスポットを見つけた。落雷等による不意のモデム事故のときも、これで安心できる。

 札幌にも公衆Wi-Fiスポットは多数存在するが、「無料」となると、ごく少数。大半は月額数百円の使用料が必要だ。
 私が知っている公的空間の無料Wi-Fiは、札幌地下歩行空間(チカホ)くらい。ネット全盛のご時世に、国際観光都市札幌が泣く。少なくとも主要JR駅や地下鉄駅、主要観光スポットには、全て無料Wi-Fiスポットを用意すべきではないか。
 公的機関は全くアテにならず、頼れるのは民間のカフェや、今回確認したイトーヨーカドーとセブンイレブン系列の商業施設。時代の先を読んでいる。今後も応援したい。他の商業施設は見習うべし。

2014年1月28日火曜日

歯の大治療

 昨日のチカチカパフォーマンスで、オリジナルCDの在庫がほぼゼロになったので、急きょ増刷に励む。こんなときに限ってプリンタの調子が悪く、赤インクの出が悪い。何度かクリーニングを繰返して、ようやく使えるレベルに達したが、まだ薄い赤が滲んだ感じになる。
 薄青と薄赤のインクは消耗が少なく、この2つだけが使われずに2セットも余っていた。
(もしかして、古くなったインクが詰まっているのかも…)と思いつき、取説を読んでインクカートリッジの強制交換を試みた。

 これでようやく正常に戻る。プリンタは用事がなくとも、週に一度は使ってやるのがインク詰まりを防ぐのに効果的、との記事をネットで読んだ。使わないと詰まる、極めてまっとうな論理だ。純正ではないインクを使っているので、インク詰まりは要注意である。
 昨日の売上げが、ある種のフロックである可能性も否定できないが、同じことが今後も続く可能性も同時にある。後者の場合を想定し、今日は一気に8枚のCDを増刷した。乾燥時間を充分にとっているので、完成は明日。
 廉価版の紙ジャケCDもつい先日増刷したばかりで、何かと追われる。プリンタやPCを使ってはいるが、基本的に手作業なので非常に煩雑。しかし、報われればやりがいもある。


 夕方に予約してあった歯科医院に行く。実は昨日のライブ終了後、機材を家に置くと、ただちに歯科医院に走った。先週の金曜から右上犬歯の歯茎がズキズキ痛み、食事も満足にとれない状態。
 朝食と昼食は柔らかい食べ物で凌ぎ、夕食時には痛み止めの頓服をまず1錠飲んでから、ようやく食べる、という有り様だった。

 歯根と骨の接合部がほとんど溶けていて、化膿しているらしい。ぐらつきがひどく、歯科医の診断は「抜きます」。麻酔を何本も打たれ、モゾモゾやっていたかと思ったら、もう抜けていた。ほとんど根がない状態だったので、痛みは何も感じなかった。
 抜歯後に傷口を糸で縫い、そのまま家に戻ったが、麻酔が切れ始めた頃になって、脳天に突き抜けるような強い痛みに襲われた。たまらず頓服を服用。1時間ほどしてようやく痛みが和らぎ、食事がとれた。
 今日は傷口の消毒と、今後の治療方針の相談。特に上の歯がボロボロで、満足な歯はわずか5本という悲惨な状態。大規模な治療が必要らしい。使える5本を活かし、全体にU字形の入れ歯を作って、すっぽりかぶせる案が現時点では最有力。
 ガンの転移や再発の検査と同時に、歯の治療が今年の大きな課題になりそうな気配濃厚である。喜んだり悲しんだり、それが人生ではあるが。

2014年1月27日月曜日

ターニングチカチカ

 今月3度目のチカチカパフォーマンスに参加。出掛けにちょっともたついてしまい、会場の北4条広場に着いたのが14時10分。すでに開始時刻を過ぎている。急ぎ準備し、14時19分から歌い始めた。
 前々回からPAを床に置くようスタイルを変更したのに伴い、この日は看板やCDの陳列方法などを大幅に変えた。
 PAの下に吊るしていた看板は、始めた頃のように譜面台に吊るしていたが、いまいちスッキリしない。そこでキャリーカートの取手上端から吊るすようにし、CD陳列棚と一体化させて聴き手から見やすくした。

 これまでキャリーカートに止めたパイプ上端に空缶を取り付け、案内状とコイン入れにしていたが、これをスッパリやめ、案内状はCD陳列棚の手前に置き、予備のCDとお釣り用コインは、キャリーカート背面の布袋(マイクスタンド運搬用)に収納。
 CDの売上げ金を入れる箱は、別に折畳式の専用箱をダンボールで自作し、マイク前の目立つ位置に置く。
 第1ステージはオーソドックスな昭和歌謡が中心。およそ30分で以下の9曲を歌った。

「時の過ぎゆくままに」「池上線」「恋のしずく」「白い想い出」「つぐない」「男と女のお話」「抱きしめて(オリジナル)」「グッドナイト・ベイビー」「まつり」


 この日はそう人通りは多くなかったが、2曲目くらいから立ち止まってくれる方が出始め、曲を重ねるごとにじわじわと増えた。
 それに比例してオリジナルCDが飛ぶように売れ、500円のCDに対し「お釣りはいりません」という方が続出。床に置いた作りたてのダンボール箱は、たちまち千円札であふれた。

 うれしかったのは、オリジナルの「抱きしめて」で、人がどんどん増え始めたこと。「いまの歌、このCDに入ってます?」と確かめて買ってくれた方が多数いた。
 ラストまで聴き手は途切れず、およそ30名ほど。持参したCDは在庫が少なくなり、1ステージだけであっさりと過去の売上げを更新した。
 ストリートでは初めて歌った「恋のしずく」「まつり」は、どちらも受けた。介護施設でしか歌ってない曲を、もっとストリートで歌ってみるべきだと思った。
 途中で会場に現れた弥勒さんとバトンタッチ。寒さ対策でこの日もタイツをはいてきたが、それでも寒い。持参した携帯カイロを急きょ腰に貼り付ける。
 休憩をはさんで、15時45分から第2ステージを始める。フォークを切り口に、およそ30分で8曲を歌った。

「季節の中で」「神田川」「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「風」「サボテンの花」「風来坊」「サクラ咲く(オリジナル)」「傘がない」

 毎度のことだが、中高年が帰宅を急ぎ始める夕方の時刻は、私にとっては厳しい時間帯である。第1ステージに比べて聴き手は半減したが、比較的若い世代にも受けがいいフォークを歌ったこともあって、まずまずの集客。
 ラストの「傘がない」は久しぶりに歌ったが、かなりの人が集まってくれた。さすがにこの曲は強い。
 どのステージでも同じ傾向があるが、人が集まり始めるのは、概ね3曲目あたりから。1~2曲目は開始を周囲にアピールする「捨て曲」と思って歌い始めるのが無難である。4~5曲目あたりに自分の得意曲を並べ、ラスト前にオリジナルを歌い、最も強くて盛り上がりそうな曲でラストを締める。
 最近はこのパターンで全体を構成することが多く、この日もその例外ではなかった。新しいセッティングもうまく機能し、当面はこの方向でやっていける自信がついた。今後のチカチカパフォーマンスの方向性を決める、ターニングポイントとなる日であったかもしれない。

2014年1月26日日曜日

EPレコードを額装

 昨年末の大規模な断捨離により、2階スタジオのコーナー部ベンチ上がすっきりと空いた。これまで置いてあったMDコンポは、プリンタやレコードプレーヤーのあった南西角に移動。代りに収まったのは、以前にカエルヤ珈琲店のガリ箱アートで展示した「カエルの森」。

 その横に置いたのは、これまた使ってなかった木製額縁に入れた古いEPレコード。就職して上京した23歳のころ、休日に通ったパチンコ店の景品でもらった数枚のうちのひとつだが、いったん断捨離ゴミ袋に入れたものの、何だか惜しくなって拾い直した。
 当時売り出し中の井上陽水が2枚、なぜかダ・カーポも1枚ある。


 額装したのは、ジャケットとポリドールレコードの袋、そしてレコード本体である。この3つをバランスよくレイアウトして入れた。
 いずれもCDやネット配信全盛のいまでは、中古品でしか手に入らない品。ちょっと懐かしくて、ちょっとオシャレではないかと、一人悦に入っている。

2014年1月25日土曜日

彼は真の"ヘヴン"を見たのか?

 川上未映子の「ヘヴン」を読んだ。NHKのドキュメント番組内で若い女性が「魂が救われた」と絶賛していて興味を持った。

 400枚の長編力作だが、正直に書くと、読後感は5年前に読んだ芥川賞受賞作「乳と卵」よりも劣った。人生の持つ根源的な命題に真正面から迫る作者の真っ直ぐな姿勢には、相変わらず好感を持つが、全体的に長すぎて冗漫に陥っているように思える。
 作者の力量ならば、同じテーマをあの半分程度にまとめられるはず。文芸誌への掲載が最初だったので、何らかの制約があった可能性がある。惜しい。

「乳と卵」も確かそうだったが、中学生の男女が主人公である。(語り手は男子生徒)テーマはこの2人に共通するイジメである。作品の大半をイジメと、それを互いに慰め合う2人の描写が占める。
 このイジメをどう受け止め、どう対峙するかが作品の核である。世界が見えているのは「コジマ」という名の女子生徒、そしてイジメる側の「百瀬」という名の男子生徒。この2人が主人公に、まるでオトナのような語り口でからんでくる。

 現実の大人は登場するが、印象がやや希薄。この点も私には物足りなかった。テーマとタイトルとの関連づけも、やや説明不足の感。
 詳しくは書かないが、ラストは2通りの受け取り方があるように思える。私には男子生徒が人生で大切なモノを失った「敗者」と思えてならなかった。
 今回の「ヘヴン」は「乳と卵」と同様に、図書館への返却前に妻も読んだ。
 妻の意見は私と少し違っていて、ラストでの主人公の重要な「選択」を、素直に「よかったね」と捉えている。その「選択」により、首尾よく「向こう側」に渡ることが叶い、美しい世界が見られたことを。

 大多数の人々はこの「美しい向こう側の世界」を目指してゆくものなのだろう。たとえばいまの日本を取り巻く世情も、それを端的に裏付けている。
 しかし、作者が指し示す「ヘヴン」とは、決してそれではない。主人公の「選択」により、「あなたはもう仲間じゃない」と去っていった女生徒コジマの持つ精神世界に、真のヘヴンは在る。
 敗者と勝者はウラオモテ。現代人に真の「ヘヴン」を目指す覚悟はあるや、なしや?

2014年1月24日金曜日

団塊が消える

 一通の寒中見舞いが先日届き、脱サラ直後に同じアパートの2階に住んでいて、何かと世話になった同年代の奥さんが、突然亡くなったことを知った。昨年の賀状には「またいつか会いたいですね」との添え書きが確かに本人の筆跡であり、そんな予兆も全くなしに、いったいなぜ?

 我が家と同じ3人の子供がいて、長男と先方の長女が同い年。よく一緒に遊び、その子は「大きくなったら、…ちゃんのお嫁さんになる」と言っていたもの。その願いは実現しなかったが、ご主人の仕事の都合で互いの住まいが遠く離れたあとも、ずっと賀状のやりとりは続いていた。
 死因は分からない。残されたご主人とはそう親しくなく、ちょっと電話では確認しずらい。いずれにしても、あまりに若すぎる。
 最近、同年代の有名人や知人の訃報が相次いでいる。いわゆる「団塊の世代」と呼ばれる年代ばかりで、ガンを始めとする突然の病死ばかりである。
 そんな私もつい先日、ガンを宣告されたばかり。転移や再発の検査はこれからで、災がいつ我が身にふりかかってもおかしくない。とても人ごとではない。


 幼き頃より、好むと好まざるとにかかわらず、ずっと競争を強いられてきた団塊世代である。まるで死ぬことまで競っているようだ。
 インスタント食品や肉を多く食すようになったのも我ら団塊世代。そんな食生活のツケが寿命に大きく影響し始めると、予言していた記事をいつかどこかで読んだ。だから、粗食に耐えた大正昭和初期の世代は長生きを謳歌できるが、それに続く団塊世代は、長寿の恩恵は受けないだろうと。

 我が身を振り返ってみても、その可能性は充分に考えられる。上を目指してアクセク働き、現役時代に収めた多額の年金で大正&昭和初期世代の年金生活を支え、いよいよ自分たちが年金世代になったとたん、払った分を受け取ることもなく、早々と死んでしまう。もしかすると、そんな近未来が待ち受けているのかもしれない。
 戦争の落し子である団塊世代、まるで社会的悪者のように扱われることもあるが、そんなものを産んだ社会的背景、つまりは侵略戦争を許したニホンジンの資質そのものに目をむけてみよ。
 早々とこの世から姿を消してしまえば、以降の世代に負担をかけずに済む。誰も文句は言うまいが。

2014年1月23日木曜日

リモコンキー電池交換

 買って6年目に入った軽自動車、ekワゴンのリモコンキーの効きが、このところ悪い。厳寒時は特にひどく、手のひらでしばらく温めると、ようやく復活する。
 どうも電池切れらしく、交換をディーラーに頼むとすると面倒だな…、と思ったが、ネットで調べてみると、自力交換も可能のようだった。

 電池はボタン型のCR1616。近くの100円ショップダイソーに行ってみたら、奇跡的に1個だけ在庫があった。パッケージの用途には「車のリモコンキー」との記載がちゃんとある。
(全車種これを使っているかどうかは不明)




 キーの中央あたりに小さなプラスネジがあるので、これをドライバーで開けると、中からリモコンのユニットが取り出せる。
 裏側(赤いプラスチックの側)を上にし、横にある溝をマイナスドライバーでこじ開けると、中に電池が入っている。取り出してプラスマイナスに注意して、新しい電池に交換。
(ekワゴンの場合は、プラス側が下)
 逆の順番で元に戻して、おしまい。

 本日のDIY難度、5段階中最低レベルの1。電池はアマゾンでも送料込み140円で売ってました。
(自信のない方はディーラーに依頼されることをお勧めします)

2014年1月22日水曜日

ついに雪下ろし

 一晩で20センチほどまた降った。今冬、何度目かのドカ雪である。居間のテラス窓は、取手の上まで雪が積もった。
 これまでじっと辛抱を重ねてきたが、遠くから観察すると、車庫屋根の積雪深が1メートルを越したようにも見える。迷ったが、雪がやんで青空が見え始めたのを機に、「今冬最初で最後」のつもりで、雪下ろしを敢行することにした。

 まずは玄関前に除雪車が置いていった固い雪山を電動除雪機でどかす。およそ40分で終了し、この時点で時計は14時。妻の帰宅を待って屋根に昇ろうと思ったが、こんな日に限って帰りが遅い。
 一人で雪下ろしをするのは禁物、というのが北国の常識。なぜなら、たかが3メートルの平屋根であっても、万一の落下事故で大怪我をしたり、時には死んでしまうこともある。つい最近も近くの住宅で、中年女性が除雪中に落雪に巻き込まれ、命を落としたばかりだ。


 しかし、待てど暮らせど妻は戻らない。身体も冷えてきた。そのうち、隣の奥さんともう1軒隣のご主人が外に出て除雪を始めた。チャンス到来。万一事故が起きても、すぐに助けを呼んでくれるに違いない。

 念のため、携帯をポケットに入れて屋根に昇る。念入りに屋根のポリカ波板まで除雪するのはやめ、10~20センチほど残して雪を下ろすことにした。時間を短くすること、そして波板で足を滑らせて落下するリスクを避けてのことだった。
 積雪は1メートルを越えたと思っていたが、実際に上がってみると、最深部でちょうど1メートルだった。先日長さを改良したスノープッシャーを雪下ろしにも使ってみたが、ひと押しで屋根の端まで届くので、非常に効率がよい。雪庇落とし以外にも充分機能する。
 30分ほどで作業終了。終わりかけた頃に妻が戻る。下に降りて散らかった雪の塊を再度電動除雪機で排除する。
 家に戻ると、ちょうど2時間が経過していた。着ていたシャツや肌着類は汗でびしょ濡れ。風邪の元なので、全部脱いで着替える。

 ヤレヤレ終わったと、暖かい室内で珈琲など飲んでいたら、この日2度目の除雪車が地響きをたててやってくる。日に2度の除雪はめったにないこと。せっかくきれいにした玄関前に、またしても固い雪山が出来てしまい、夕方になってイヤイヤ再度の除雪に励む。
 雪はもう飽き飽きしたが、まだ簡単に終わりはやってきそうにない。まあ、冬の間の生活改善の一環、散歩代りの運動と考えるしかないが。

2014年1月20日月曜日

レア物瓦せんべい

 少し前のこと、携帯に突然NHKから連絡があった。昨年11月にちょっとだけ「出演」した、Eテレの「団塊スタイル」という番組の制作スタッフだという。番組出演の謝礼(記念品)を受け取ったかどうかの確認だった。
 なんでも、当時担当していた方が配属替えとなり、謝礼の手配が滞っている人がいるのだとか。確かに50数枚の写真を数回に分けて撮影・送信はしたが、謝礼の話は全く聞いてなく、そんなつもりもなかった。
 しかし、ぜひお送りしたいと先方は言うので、ありがたくお受けした。
 ラジオやテレビ、地域FMなど、いろいろな放送媒体に過去出演しているが、謝礼をいただけるのは、全道放送のラジオかテレビに限られていた。地域FMは予算がないのか、謝礼の類は一切ない。
 では全国放送はどうなのか?出たのは今回が初めてなので、正直よく分からなかった。NHKなので、全くないことも充分にあり得たし、そもそも出演時間が短すぎる。出られただけでよし、そんな意識はあった。


 その謝礼の品が今日届いた。過去の数例と同様、食べ物である。少し違っていたのは、包装紙がNHKロゴの入ったオリジナルであったこと。さすがだな、と思いつつ包を解くと、中から出てきたのは、美味そうな瓦せんべい。
 NHKらしく、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の絵葉書も同封されている。ブログに使おうと写真を撮ったら、何か様子が違う。よく見ると、瓦せんべいそのものにも、NHKのロゴと「軍師官兵衛」の文字が焼きこんであるではないか。
 つまりは、「軍師官兵衛・オリジナル瓦せんべい」ということだ。

 普通では入手不可能なレア物的記念品に、ちょっとうれしくなり、アップで写真を追加撮影。「食べさせて」と、横で妻がしきりにねだるので、1袋だけ開けた。
 3枚入りの1枚だけ試食してみたが、卵の味が濃厚で、非常に美味い。めったに手に入らないと思えば、なおさら美味く感じるから不思議。
 先月からいろいろな頂き物が延々と続いているが、その波がいまだに途切れない。人生、こんな時期もある。
 その「団塊スタイル」の私が出た放送、「もっと充実!散歩生活」が、アンコール再放送されることが決まったとか。まだサイトには反映されてないが、担当者からの直接の伝言なので、間違いないはず。
 放送予定は2014/3/28(金)。放送時間は聞きもらしたが、通常放送と同じなら、20:00~20:45となる。

2014年1月19日日曜日

終わりよければ全てよし

 車で40分ほど離れた市内の有料老人ホーム、誕生会余興に出演。施設長さんとは別施設にいたころから長いつきあいがあり、1年近く前にも一度訪問している。
 依頼は大腸ポリープ摘出手術直前に受けていたが、術後の経過がどうなるのか、その時点では、はっきりしてなかった。事情を率直にお話しし、病理検査が出る期日もお伝えして、ひとまず保留扱いとなった。

 他の方に出演交渉する時間も充分にあったはずが、3週間後の検査翌日に再度の依頼電話が入って、ちょっと驚いた。すでに担当医の了解も得ていたので、ありがたくお受けすることに。これも何かの縁である。


 全国展開の施設で、市内の系列別施設でも何度か歌わせてもらっている。ある程度傾向はつかんでいたつもりが、1年ほど前にうかがった際は、ちょっと難しい印象がした。全体的に反応が弱いのだ。その経験をふまえ、今回は明るめの曲を多くして臨んだ。
 誕生会なので、まず施設側のイベントがある。14時15分から始まって、10分ほどそれが続いた。施設長さんの交代挨拶などもあって、歌い始めたのは、14時28分あたりから。終了は15時と聞いていたので、やや押している。無用のMCを極力省き、およそ32分で以下の11曲を歌う。

「ろくでなし」「知床旅情」「真室川音頭」「宗谷岬」「幸せなら手をたたこう」「おかあさん」「白い想い出」「人生いろいろ」「月がとっても青いから」「丘を越えて」「まつり」

 年が明けたので冬から春にかけての曲を中心に構成したが、いざ歌い始めてみると、やはり前回同様、いまひとつ反応が弱い。3曲目に洋楽の「ウィンター・ワンダーランド 」を予定していたが、難しいと判断して飛ばした。
「幸せなら手をたたこう」で少し気分が乗ったが、その後の「白い想い出」「人生いろいろ」の流れが、やや大人しすぎたかもしれない。ようやく熱くなりかけた場の熱を、冷やしてしまった感じは否めず、どちらかを「お富さん」あたりに差し替えるべきだった。


 前半の予定を1曲減らしたので、別の曲をどこかで埋める必要があったが、明るい曲調の「月がとっても青いから」をラスト近くに入れることにした。ラスト2曲は予定通りで、遅まきながら場もじょじょに盛り上がってくる気配。
 ラストの「まつり」を歌う前に少しMCで間をおき、紅白のことなどを聴き手の方々とキャチボール的に話す。その後一気に歌へとなだれこんだが、ここで場の盛り上がりは最高潮に達した。少なくとも北海道でのサブちゃん人気は確かなものがある。
 歌詞のラストは例によって、施設名を入れて終える。ここでも思惑通りに大喝采。本当に苦しいときに使える曲だ。こうも受けると、次は路上ライブでも歌ってみたい誘惑にかられる。
「終わりよければ全てよし」ということに結果としてなったが、たとえ系列が同じ施設でも、施設ごとに入居者や職員の気質は異なり、求める色も違うのだということを、改めて学んだ。

2014年1月18日土曜日

ふと思いつく

 家にある雪かきスコップの柄を長くしてみようと、ふと思った。
 この「ふと思いつく」という発想は非常に大切で、いろいろな事象に関心を持ち、現状にある何かしらの不満のタネを、少しでも改善できないか…、と常に意識下で考えているうち、突然いいアイデアが閃いてくるものなのだ。
 つまりは、天からのある種の「ゴホウビ」に近い。

 で、スコップである。一番長い手押しタイプの雪かき(スノープッシャー)が、あまり使われずに家にある。長さが約130センチ。一方、壊れたスコップの柄と、不要になった鯉のぼりポールを組み合わせたツララ落としモドキがあって、こちらの長さが約100センチ。
 この2つを組合せればかなりの長さになり、地上からでも車庫屋根の雪庇が楽に落とせるのでは?との発想である。


 スノープッシャーの取手を外し、鯉のぼりポールの先端を差し込んでみる。しかし、一回り太い。スコップ側の柄にガムテープを巻こうと一瞬考えたが、何か丈夫な布切れをかぶせてやればいいことに気づく。
 端布ストックの中から古いジーパンの切れ端を発見。丸く切り抜いてあてがってみたら、ぴたりはまった。
 こうして長くなったスノープッシャーは220センチ。試してみると、地上から車庫屋根3方向の雪庇が、45度の角度で軽々と落とせた。おかげで、雪の量が1~2割は減ったように思える。
 本来ならハシゴをかけて本格的に落とせばよいのだが、今年は雪下ろしをせずに何とか冬を過ごすのが目標。あと3週間ほどで冬も峠を越す。もう少しの辛抱である。

2014年1月17日金曜日

パトス新年会

 札幌地下鉄東西線・琴似駅地下にある公的空間、パトスにて実施された新年会に参加。厳密には、昨年から不定期に開催されている「パトス・オープンステージ」の新年特別版である。
「1組2曲、10分以内」「マイク&PAなし」「予約不要」「途中参加、途中退出可」「入場無料(ワンオーダー)」「食べ物持込み自由」という基本路線は同じで、この日は新年に相応しく、参加者と主催者が一体となった大喜利をライブ後に楽しもう、という趣向。

 本格ライブとは異なる自由なスタイルで、練習をかねた度胸試しにはまたとない機会である。最近弾き語り活動を始めた音楽仲間のミツルさんにも声をかけ、一緒に参加した。


 18時10分ほど前に会場に着いたら、ミツルさんはすでに到着していた。スタッフの方々に紹介などするうち、すぐに開始時刻の18時となる。
 1番手はクラシックのギタリスト、伊藤ケンイチさん。過去に2度ステージをご一緒している顔なじみである。出演順は特に決まってないが、会場に着いた順に演ずるのが慣例になりつつある。
 この慣例通りだと2番手はミツルさんとなるのだが、あまり場慣れしていない身なので、私が先に歌うことにした。
 前回は全4曲を暗譜して歩きながら歌う、という私にしては離れ業を試みたが、この日は普通にステージとして設定された場所で、電子譜面を見ながら歌った。
 ギターは生音での鳴りがよいヤマハのエレアコAC1Mを持参。1巡目はビートルズのオリジナル日本語訳でまとめ、「イエスタデイ」「オブラディ・オブラダ」を歌う。
 実はギタリストの伊藤さんが最初に「イエスタデイ」を演奏していた。他のビートルズに差し替えようか一瞬迷ったが、趣向としては逆に面白いのでは?と考えなおし、予定通りに歌った。

 慣れた場なので、出来としては可もなく不可もなし、といった感。参加者はじょじょに増え始め、スタッフを含めて10名ほどといったところ。これもいつものシーンである。


 3番手にミツルさんが登場。我が家で先月セッションをやってはいるが、それはあくまで仲間内の楽しみの範ちゅう。この日が事実上の初ステージで、かなり緊張している様子がうかがえた。
 叙情演歌が得意のミツルさんらしく、曲目は「別れの一本杉」と「細雪」。ボーカルはよく通り、譜面を準備していたので歌詞のミスも皆無だったが、緊張からか、ギターのタッチミスが多少あったように思う。しかし、全体としては堂々の初ステージである。
 その後、臨時ユニットによるギター弾き語り、キーボード弾き語り2組が続き、1巡目終了。時計はおよそ19時あたりで、合計6組が1時間で演じ終えたことになる。まさにドンピタの正確な進行で、なかなか気分がいい。
(時間に厳密であることは、ライブ企画運営の基本と私は考える)


 2巡目に参加したのは、ギタリストの伊藤ケンイチさん、私、そしてミツルさんの3組で、他に新たなユニットが1組参加した。
 私の2巡目は19時10分あたりから。「サン・トワ・マミー」「雪が降る」のシャンソン2曲を歌った。この日は全て洋楽でまとめたが、これは叙情演歌を歌うミツルさんとのメリハリを意識してのこと。
 ミツルさんは私と同世代で、他の参加者から見れば、2人の年齢が突出した存在。似たような曲調はなるべく避けたかった。

 2曲とも完全暗譜しているのでステージを離れ、スタジオ横の空きスペースをゆっくり動きつつ歌った。昨年やったスタイルと同じだが、やはり譜面を見ずに歌うのは、自由度が高い。そのせいか、声も1巡目よりは出た。
 その後、ミツルさんが2巡目として鳥羽一郎と三橋美智也の「達者でナ」を歌う。場にもかなり慣れた様子で、1巡目よりも気分が乗っていた。譜面から時折目を離し、会場をうかがう余裕も見られた。やはり慣れ、場数は大事である。
 19時45分にステージが終わり、20時から仲間内での大喜利が始まる。シナリオが用意されているのかと思いきや、各自アドリブ連発で対処していた。
 用事のあるミツルさんはステージ後に帰り、私はオーディエンスに徹して、カフェ名物のおでんなど美味しくいただきつつ、最後まで楽しませてもらった。

 大喜利の終了は21時10分で、厳しい氷点下の道を急いで帰宅。術後初めてマイクなしの場で思い切り歌ったが、全く不安なく演れた。この日で術後のリハビリは終了、と考えていいような気がする。その意味では、まさに「快気祝ライブ」であった。

2014年1月15日水曜日

ショルダー式ハードケース

 ふと思い立って、手持ちのギターハードケースにショルダーベルトをつけ、直接背負えるよう改造することにした。

 このところ軽くてフットワークのよいオベーションのギグバック(ギター購入時に付属)をずっと使ってきたが、移動時の事故のことなど考えると、やはりハードケースである。
 40年前に渋谷の道玄坂にあるヤマハで、確か2万円近くも出して買ったギターケースがある。多少傷みはあるが、まだまだ使える。(写真手前)


 以前にS.yairiのエレアコを買った際に同時購入したセミハードケースがあり、(写真奥)こちらは最初から背負えるようになっているが、なにせ図体がでかい。重さを量ってみたら3.0Kgで、ハードケースの3.4Kgと大差ない。
 問題は厚みで、ハードケースの155ミリに対し、セミハードケースは210ミリもある。その差55ミリで、地下鉄での移動時などを考えると、この差は大きい。熟慮のすえ、付属のショルダーベルトのみを利用することにし、フックはハードケースを加工して自力で取り付けることにした。
 まず、必要な材料の吟味。ハードケース本体はベニヤ板で出来ていることが分かっていたので、ここに直接ドリルで穴を開け、フックをビスで両側から止めてしまおうと考えた。

・径5ミリ×長さ11ミリ、なべ頭ビス:3本
・平座金6枚
・幅25ミリ×長さ70ミリ、手芸用布テープ:3本
・25ミリ、手芸用Dカン:3個


・ギターケースにドリルで径5ミリの穴を3つ開ける。穴の位置は既存のケースに準じた。
(ケース下端から下の穴まで210ミリ、下の穴2つの離れは250ミリ、下の穴と上の穴との離れは590ミリ)

・Dカンを入れて布テープを2つ折にし、テープ端部はホワイトボンドで固める。(糸ほつれ防止)Dカンから10ミリ下に手芸用ポンチで穴を開け、穴周辺をホワイトボンドで補強。

・なべ頭ビスのビス側とナット側にそれぞれ平座金を入れ、ビスをケース内側から穴に差し込み、Dカン付きテープを外側から通して締め付ける。

・ケース内側にあるビスの頭をフェルトの小片で埋める。(ギター傷つけ防止)

・既存のショルダーベルトをDカンに引っ掛けて完成。


 実は「ケースポーター」という名で、既存のハードケースをしばって背負える専用品が4千円強で市販されている。ケースを傷つけるのに抵抗がある人は、そちらを購入しましょう。

 今回のDIY難度、5段階中の2。技術的に難しい部分は特になく、手持ちのケースに穴を開ける決断が一番のハードルかも?

2014年1月14日火曜日

青空に雪庇

 久しぶりの快晴。気温はまだマイナスだが、限りなく零度に近く、太陽の熱で屋根の雪がどんどん解ける。午後から今冬9度目となる電動除雪を実施。昨夜もやったばかりで、除雪車が置いていった雪山を飛ばすだけなので、15分ほどで終了。
 今冬はいまのところギックリ腰の兆候はなく、電動除雪機の効果てきめんである。電気代が心配なので、使った日をカレンダーに記録している。目標は20分平均で通算30回、8Kwh~200円以下である。


 今年から雪止め金具を設置した母屋南側屋根の状況は、写真の通り。北西からの風で、東側に長い雪庇が飛び出しているが、下に垂れ下がる状態ではない。

 未だに一度も雪下ろしをしていない車庫屋根の積雪深は、60~100センチといったところ。こちらも北側からの風で、長めの雪庇が真横に突き出している。いわば「雪が横に積もる」状態だ。
 最も雪が多い母屋側には、大梁下に補強柱を昨年入れてあるので、いまのところ梁に大きな変化はない。道路側の2段梁のたわみがやや大きいが、しばし様子を見たい。

2014年1月13日月曜日

突発リクエスト

 いくつか試したいことがあって、今年2度目のチカチカパフォーマンスに参加。3連休ラストの午後枠にぽっかり空きがあって、急きょエントリーした。
 激しい雪による交通渋滞が予測されたので、初の試みとして、最寄りの地下鉄駅近くの駐車場に車を停め、そこから地下鉄経由で会場入りした。
 スーパーで買物をすれば3時間まで無料なので、真冬には便利と思われたが、駐車場から地下鉄駅までの歩道は除雪が充分でなく、キャリーカートは雪上を「引きずる」感じである。

 あれこれ手間取って、家を出てから会場に入るまでの時間は、直接都心に車を乗り入れる場合と大差なかった。ガソリン代や地下鉄代、駐車料金等を総合的に考えると、かかる費用も大差ないが、豪雪時のライブには有効な手段である。


 この日のパフォーマーは3組で、私より先に会場入りしていた小樽のプロギタリスト、浜田隆史さんがまず最初に演奏。休日午後の割当て時間は11~14:30だが、午前の部が少し押していて、始まったのは14時40分。
 20分ほどで浜田さんが切り上げようとしたので、横で聴いていた私が「もう少しやってください」と進言。もう一人のパフォーマー、鼻笛の互久楽さんはまだ会場に現れず、聴き手も集まり始めたころだった。
 その後3曲ほど演奏し、2番手の私にバトンタッチ。14時17分から歌い始め、「演歌」を切り口に、25分で8曲を歌った。

「柳ヶ瀬ブルース」「ラブユー東京」「夜霧よ今夜も有難う」「つぐない」「宗右衛門町ブルース」「氷雨」「寂しくなんかない(オリジナル)」「人生いろいろ」
 この日もうひとつ試したかったのは、小型の乾電池式PAを直接床に置いて歌うこと。これまでずっとカメラの三脚に取り付けて歌ってきたが、会場がマルチビジョンのない北4条広場。5日前に大型のPAを直接床に置いて歌い、まずまずの結果だったことに勇気を得て、思い切ってやってみた。
 専用の支持金具を自作し、自宅スタジオで充分テストしてあったが、予想以上に歌いやすくて驚いた。ハウリング皆無で、集客にも大きな変化はない。今後はずっと床置き式でやれそうな感じがする。


 豪雪と3連休最終日、さらには成人式が重なったせいか、通りを往く人の数は多いが、若い人が中心。私のターゲットである中高年は除雪疲れで、街に繰り出す人は少なかったようだ。
 そんな中での演歌構成は、やや無理があったかもしれない。幸いに「聴き手ゼロ」の時間帯はなかったが、最大で10数人という静かな雰囲気だった。休憩中に浜田さんとも話したが、集客に一喜一憂せず、淡々と自分のペースで演るのがストリートライブの極意ということである。
(浜田さんは小樽運河で、数百回のストリートライブ経験がある)
 他の2ステージをはさみ、16時45分くらいから第2ステージ開始。奇しくもこの日は、エントリーした3組がすべて音楽系。チカチカパフォーマンスが始まった3年前には考えられなかったことで、ちょっとした音楽ミニイベントの感である。

 第2ステージは趣向をガラリ変え、久しぶりにシャンソンを中心に歌い進めた。予定では全8曲をシャンソン系でまとめるつもりでいたが、4曲を歌った時点で、最初からずっと聴いてくれていた中年夫婦から、突然声がかかる。
「リクエストしてもいいですか?」
「なんでしょう、曲にもよりますが…。シャンソンですか?」
「それが、フォークをぜひ聴きたいです。《ふきのとう》か《かぐや姫》を…」

 虚をつかれた感じがした。この時点で歌い終えていた曲は「ろくでなし」「バラ色の人生」「冬よ来い(オリジナル)」「詩人の魂」。正統派シャンソンである。だが、譜面台に吊り下げた看板には、確かに「フォーク」の文字も書いてある。一瞬迷ったが、せっかくのリクエストなので、応えることにした。
 まずは得意の「風来坊」をフルコーラス歌う。すると、若い人もじょじょに集まってきた。実はオリジナルの「冬よ来い」あたりから、声の調子がだんだんよくなってくるのを感じていて、この曲で一気に気分は乗った。
 出入口そばにある広場は非常に寒く、用心してタイツをはいていたが、それでもギター弾く手が凍えるほど。歌い進むことによって、ようやく体温が上がってきたらしい。
 その後、「あてもないけど」「うちのお父さん」「突然さよなら」と、かぐや姫を3曲続けて歌う。「うちのお父さん」はご主人のリクエストで、5年ぶりにくらいに歌ったが、大きなミスなく演れた。
 奥様の好みはふきのとうで、この2組の歌は多くの場でリクエストを貰う。突然の要請だったが、電子譜面を駆使して対応し、喜んでもらえた。

2014年1月12日日曜日

紙製シェード

 電球LED化の一環として、台所にあるスポット灯の電球を試験的にLEDに替えてみた。予備室用に買ったLED灯は使用頻度が低いので、もし使えるようなら、普段は台所につけておくのが合理的である。

 しかし、やってみると明らかに光量が足りない。これまでは60Wの白熱スポット電球を使っていたので、直下の照度はかなりのもの。新たに買ったLED灯はあいにく広配光タイプで、全体は明るいが、真下への光量は少ない。
 やはり無理か…、とあきらめかけたが、ライブ用スポット灯で自作した紙製シェードのことを思い出した。シェードをつけてやれば、改善されるのでは…?


 まずはB5版の画用紙をセロテープでつなぎ合わせ、テストしてみた。なかなかいい案配である。そこでクラフト紙を使って原寸型紙をとり、本格的に作ることにした。
 試行錯誤の結果、紙を20センチ×76センチに切り、端部を台形状にカット。台形の短辺側は68センチとし、反対側の長辺中央を切り欠き、円錐状に曲げて糊付けしてやると、レセップにピッタリ合うことが分かった。

 手持ちの白いワトソン紙?を裁断。型紙をとってからやったので、すんなりと完成した。紙が電球の熱で万一焼けてはいけないので、金属製の小さな傘を内部につけてある。
 紙から光がぼんやりと抜ける感じが、なかなかいい。傘の下部はあえて切り揃えず、非対称形のデザインとした。真下にあるシンクも、ギラギラせずにほどよく明るい。

2014年1月11日土曜日

続・床置きPA

 先日のチカチカパフォーマンスで初めて試した床置き式PAが、思っていたよりも使い勝手がよく、ならばもうひとつある電池式のPA(ローランドMOBILE CUBE)も同じように床に置いて使えるのでは?と思った。
 さっそく試してみる。何事も同じ場所に漫然と留まっていては、進歩から遠ざかる。改良すべき点があるなら、すぐに実行すべきであろう。

 MOBILE CUBEもCM-30と同様に、底部に3/8インチのネジ穴がついているが、CM-30に比べて奥行きが全くないので、ここにネジを取り付けても、30度に傾けて立てることはできない。
 何らかの手段で、写真立てやイーゼルのような支えを作ってやる必要があった。


 目をつけたのが、本体背面にある組立て用のネジ穴。深さ30ミリ、直径が15ミリほどあって、ここに棒状のモノを差し込み、ちょうど60度に傾くよう調整してやればいいはずだ。
 鉛筆、サインペン、角材など試すが、どれもいまひとつしっくりこない。穴の径が底に近いほど小さくなっていて、ガムテープなどで巻いても、うまく収まらないのだ。
 一番しっくりきたのが、手持ちのステンレス丸棒とボルトナットを組み合わせたもの。外径は10ミリほどしかないが、単に差し込んだ状態でもボルトのネジを調整してやれば、ちょうど60度になる位置があった。(写真上)

 まずはこれで実際に歌ってみた。3メートルほど離れた位置に立ち、実際のチカチカパフォーマンスでの聴き手に近い条件で歌い、自ら聴いてみた。
 すると、三脚に固定した場合よりボリュームを絞った状態でも、ちゃんと聴ける。理由は不明だが、床から直接伝わる音が関係しているのかもしれない。以前に試した「マイクスタンド宙吊り方式」のように、デリケートなハウリングの不安もない。
 充分使えることは分かったが、問題は支持棒の固定のこと。設置&撤収時に素早くPAを移動させた場合、ただ差し込んだ状態だと脱落してしまい、思わぬ手間を食う元凶である。
 固定する手段を試行錯誤するうち、不要になった額縁材の一部を加工してやると、抜き差しも簡単で、離脱もしにくいことが判明。(写真下)この部材での音のテストはまだやってないので、結果次第ではこちらを実戦で使うことにする。
(充分使えることをその後確認)