400枚の長編力作だが、正直に書くと、読後感は5年前に読んだ芥川賞受賞作「乳と卵」よりも劣った。人生の持つ根源的な命題に真正面から迫る作者の真っ直ぐな姿勢には、相変わらず好感を持つが、全体的に長すぎて冗漫に陥っているように思える。
作者の力量ならば、同じテーマをあの半分程度にまとめられるはず。文芸誌への掲載が最初だったので、何らかの制約があった可能性がある。惜しい。
「乳と卵」も確かそうだったが、中学生の男女が主人公である。(語り手は男子生徒)テーマはこの2人に共通するイジメである。作品の大半をイジメと、それを互いに慰め合う2人の描写が占める。
このイジメをどう受け止め、どう対峙するかが作品の核である。世界が見えているのは「コジマ」という名の女子生徒、そしてイジメる側の「百瀬」という名の男子生徒。この2人が主人公に、まるでオトナのような語り口でからんでくる。
現実の大人は登場するが、印象がやや希薄。この点も私には物足りなかった。テーマとタイトルとの関連づけも、やや説明不足の感。
詳しくは書かないが、ラストは2通りの受け取り方があるように思える。私には男子生徒が人生で大切なモノを失った「敗者」と思えてならなかった。
今回の「ヘヴン」は「乳と卵」と同様に、図書館への返却前に妻も読んだ。
妻の意見は私と少し違っていて、ラストでの主人公の重要な「選択」を、素直に「よかったね」と捉えている。その「選択」により、首尾よく「向こう側」に渡ることが叶い、美しい世界が見られたことを。
大多数の人々はこの「美しい向こう側の世界」を目指してゆくものなのだろう。たとえばいまの日本を取り巻く世情も、それを端的に裏付けている。
しかし、作者が指し示す「ヘヴン」とは、決してそれではない。主人公の「選択」により、「あなたはもう仲間じゃない」と去っていった女生徒コジマの持つ精神世界に、真のヘヴンは在る。
敗者と勝者はウラオモテ。現代人に真の「ヘヴン」を目指す覚悟はあるや、なしや?