2011年9月30日金曜日

晴れてゴールド免許

 予報通り朝から雨なので、ウッドデッキの補修工事は中断。疲れが溜まっているので今日はゆっくり家にいようと思っていたが、免許証の更新が済んでいないので、雨なら空いてるかも?と思い直し、昼食もそこそこに出かけた。
 家から試験場まで20キロ、35分。5年間無事故無違反で安全運転に努めたゴホウビで、めでたくゴールド免許の優良運転者。講習はわずか30分であっという間に済んだ。

 帰路、近隣のカフェに寄り、先日のチカチカパフォーマンスの際に前半だけ聴きにきてくれたマスターとママさんにお礼を言う。PAなしの前半だけで帰ってしまったので、整ったPAでは聴いていない。しかも座っていたテーブルが、私から最も遠く、案内アナウンスの真正面だった。
 あのアナウンスの中での音楽ライブは厳しいのではないか、というのがマスターの意見。あの条件下だとそういう評価になるのかもしれない。しかし、2時間ずっと聴いてくれた女性は、私の真正面のテーブルに座っていた。つまりは条件次第だ。だから次回もまたそこで演る。


 昨日のブログ話題に関連し、別のシーンを思い出した。かなり前のことだが、若い男女が都心の交差点でタクシーに乗ろうとしている。男女の立つ位置は横断歩道の真横。そこは駐停車禁止区域なので、タクシーは5メートルほど前に停まり、ドアを開けて男女が乗り込むのを待っている。

 ところが、男女は一向に動こうとしない。正確に書けば動こうとしないのは男のほうで、「俺達は客なんだから、タクシーがバックしてくるのをここで待てばいいんだ」と女に言い張っている。法律のことなど、無頓着の様子だ。
 要は女の前で虚勢を張っているだけのように見えたが、タクシーは法を順守し、ひたすら待つのみ。女のほうは、ねえ、行って乗ろうよ、と男の腕を引くが、男は頑として動こうとせず、虚勢を張り続ける…。
 この男女とタクシーとのにらみ合いがどう決着するのか、非常に興味深かったが、仕事の用があったので、見届けることはできなかった。
 道徳観が大きく異なると思われるあの男女は、その後うまくやっているだろうか?それとも、バックしてくるタクシーを待って、いまでもあの交差点に立ち続けているのだろうか…。

2011年9月29日木曜日

人生で目指すもの

「横断歩道を人が渡っているとき、左折車(右折車)が曲ってきて手前で停止している」という状況は、街角では多く見かける。先日の夕方、私が車に乗って左折しようとした際、同じ状況になった。
 道路交通法ではこの場合、車は歩行者が渡り切るまでじっと待つよう義務づけられている。だが、そこは広い片側3車線の道。渡ってくる若い男は、停まっている私など意に介さない様子で、まるで散歩のように悠然と歩く。

 約束の時間が迫っていたが、ここはひたすら待つしかない。時間にしておそらく数十秒。どうということもない時間だが、男がようやく渡りきったあとに走りだして、何かすっきりしないものを心に感じた。
 同じ状況に私がなった場合、間違いなく足を早めるか、時には小走りになる。待たせている車に気遣いをするからで、たとえ歩行者が法律で擁護されている立場とはいっても、それが自分の中での「常識」と信じていた。

 あるとき、ふと不安になって妻に同じ状況でどうするか尋ねてみた。すると、妻の応えは私と同じである。妻の場合、車の運転者に小さく頭を下げることもあるそうだ。そう言われて気づいたが、私も車に乗っていて同様に歩行者に会釈されたことがある。(多くは中年女性)
 妻はスーパーのレジでお釣りとレシートを受け取る際も、必ず「どうもありがとう」とレジ係に声をかけている。私の場合、レジでは会釈して「どうも」と言うくらいで、さすがに妻のようにはできない。
 同じシーンで他人がどうしているのかつぶさに観察したことはないが、会釈したり声をかけたりするのは、かなり特殊な例のような気がする。(あくまで日本人の場合である)
 横断歩道とレジでの対応の仕方、これがてんでバラバラだと、恋人関係、もしくは夫婦関係は、あまりうまくいかないような気がする。
 幸いなことに、私も妻も横断歩道で左折車が待っているときには小走りし、レジでお釣りとレシートを受け取る際も会釈する側の人間だった。同じ価値観、道徳観で結びついている。人生で目指すものに大きな隔たりがないわけで、だから37年近くもやってこられた。

 この関係を友人や親戚にまで広げた場合、果たしてどうなるのか?折をみて「取材」してみたいと思ってはいるが、ちょっと怖くて二の足を踏む。

2011年9月28日水曜日

ウッドデッキ柱を交換

 今日も早く起き、午前中からホームセンターで材料の買い出し。予定通り、38×140、2420長のツーバイ材2本を買う。以前にふれたが、この長さなら手持ちの軽自動車に楽々積める。自分で運べば最安値の店で買えるので、1本につき500円も安くなることを知った。結果として4本で2,000円も節約したことになる。これは大きい。本当に大きい。
 家に戻ってすぐに切断加工し、昼食前には保護塗料を塗り終えた。

 気温はぐんぐん上がって25度近く。まるで真夏のようだ。昼食後、塗装が乾くのを待つ間、30分ほど仮眠。連日のDIY作業でかなり疲れが溜まっている。もしかすると、月に7本という過去最高記録を更新したライブ疲れも残っているのか。


 1時半から作業再開。腐った柱(100×100)を外し、新しい柱と交換する。ビスで仮固定してみたら、意外に安定する。屋根を載せる予定はないので、筋交い等の補強はせず、このままで充分もちそうな感じだ。

 腐食防止のため、木材の先端に鉄板を小さく切って釘で止めた。小口からの雨水侵入を少なくしようというのだ。その後、ツーバイフォー用専用金具を使って柱と斜梁とを固定する。
 水平器で鉛直をぴったり出し、最終固定しようとしたが、部材を壁に固定する段になって、どうしても一人では無理なことが分かった。家にいた妻に緊急SOSを出し、柱を壁側に強く押してもらう。

 こうして南側の部材はようやく交換を終えた。日が暮れてきて、腰にも張りを感じ始めたので、今日の作業はこれまで。手前に未交換の北側柱が写っているが、今度こそ先が見えたと信じたい。予報では明日も晴れ。DIYはまだまだ続く。

2011年9月27日火曜日

木材の耐用年数

 好天が続くので、ウッドデッキの補修工事を継続。これまでは柱とパーゴラ用の梁とを10ミリのボルト2本で固定していたが、2本の木材を接着固定して雨ざらしにすると、経年によって腐食しやすいことが分かった。
 そこで固定方法をツーバイフォー工法用の専用金具に変えることにした。金具が一部足りなくなったので、午前中からホームセンターに調達に行く。ついでに近くの土木センターにも出向き、町内会の街灯移管手続き書類を受け取る。仕事はなくとも、何かと忙しいのだ。
 戻るとただちに材料の加工開始。15時くらいに終わったので、お茶を飲んだあと、すぐに塗装処理を済ませる。やれやれこれで加工は終わったぞと、何気なく柱の根元付近を見ると、一部に穴が開いているではないか。ドライバーでつつくと、虫に食われて内部はスカスカ。
 あわててもう片方も確認すると、こちらもほぼ似たような状態である。場所は12年前に材料をケチって柱を継ぎ足した部分。やはり雨にさらされる接続部分が木材の大きな弱点である。

 山を越えたと思ったとたんの出来事で、かなりヤル気をなくした。よく考えてみると、昨年はウッドデッキの床梁を、今年はパーゴラの梁をそれぞれ腐食で交換に至っている。10センチ角とはいえ、柱の接続部も疑ってみるべきだった。修行が足らん。


 日が暮れてしまったので、明日以降の対策をじっくり検討した。同じ10センチ角の柱2本を買い換えれば済むが、2400長が必要なのでかなり高価。仕事の薄い今年はその出費が辛い。
 いろいろ考えるうち、梁と同じ38×140のツーバイ材で何とか代用できそうだと分かった。長方形部材は力学的に短辺方向の力に弱く、柱に角材が使われる理由はそこにある。
 しかし短辺方向は床梁など3本の梁で固定されるので、大きな問題はない。費用もこれが最安である。

 ようやく方向が見えて少し気が晴れたが、マツ系の材料を雨ざらし状態にした場合、たとえ保護塗料を塗ったとしても、11~12年が耐用限度である。それだけ持てばいいじゃないか、との考えもあるが。

2011年9月26日月曜日

ありがとう・MJ50

 たまに顔を出す居酒屋ライブハウス「歌謡倶楽部ありがとう」の定例イベント「ミュージックジャンボリー・MJ」に昨夜参加した。今回は数えて50回の記念すべき節目である。2004.12の初回から丸7年、よくぞ続いた。
 事前情報では、出演者は過去最高の19組。開始は20時なので、イベント終了は深夜になることは確実。昼間にDIY作業をやったせいか夕方に疲れを感じ、パワーを温存するべく少し眠って備えた。

 時間ぴったりにライブ開始。今回は見学者や団体参加者が少なめで、参加数の多い割に店内はゆったりしていた。
 まずは古株のSさんのリードで「あの素晴しい愛をもう一度」をオープニングとして全員で歌う。以降、店内に貼り出されたエントリー表に従って各自の演奏が繰り広げられた。


 私の出番は程よい中程の9番目。「ありがとうforever」というこのイベント用に作ったオリジナル曲があり、数年前の20回記念イベントではトリを務めさせていただいた。
 今回もその流れで同じような話があったが、最近は施設訪問ライブ等に忙しく、このイベントからも足が遠のいている。謹んでご辞退し、還暦シンガーにとって無理のない順序にしていただいた。
 入替え時間を短縮するべく、「MCは簡潔に」「次の出演者は前者が演奏中にそっとスタンバイ」を徹底させた関係で、ライブはトントンと進んだ。
 普通のライブハウスでは考えられないような50回という長寿記念イベントなので、出演者の層も多彩。完全皆勤のマスターは別格として、「ほぼ皆勤」の49回出場者が2名もいて驚かされた。
 私はちょうど1/3となる17回の参加。第2回目からの参加だが、この間途切れそうで途切れず、細々と顔を出していた。

 お店で最初に歌ったのがちょうど7年前。長い中断期間のあとなので、場のさばきも怪しげなヒヨッコの私を成長させてくれたのも、このお店の存在が大きい。
 7年の間にいろいろな人が消え、そして新たに加わった。人の流れを振り返るとまるで人生そのものを見るようで、非常に感慨深い。


 21時50分くらいから私のステージ開始。今回は「50回にふさわしい選曲」という申し合せがあったので、割当て分2曲のうち、前述のオリジナル曲「ありがとうforever」は必須。残る1曲はかなり迷った。
 お店で最初に歌った「雨が空から降れば」にするのが順当だったが、そうなると2曲とも「懐かしく過去を振り返る」という切り口になってしまう。記念イベントなのでそれでも構わなかったが、持ち前の偏屈心が頭をもたげ、何か新しい曲に挑戦してみたくなった。

 いろいろ調べるうち、お店にたまに顔を見せる女性が以前に歌った「別れのうた」が気になり始めた。女性は道北在住なので、今回のイベントへの出場は難しい。
 内容はまさにこの種のイベントそのものを歌っていて、「過去を懐かしく振り返りつつ、そして新たなるスタートへ」という主旨にふさわしい。これでいこうと決め、何ヶ月も前から練習に励んだ。
 数ヶ月ぶりの参加なので、1曲目はちょっと上がった。ギターのピッキングが一部怪しいのはそのせいか。モニターが少し聞き取りにくかったが、いつものように勘で歌う。ギターはともかく、ボーカルの出来はまずまず。
 最近よくやる手法だが、ところどころテンポを無視し、揺らぐようにあえて歌った。曲の持つメッセージを的確に伝えようとすると、どうしてもこうなる。シャンソンではごく普通の歌唱法だが、フォーク系の曲や唱歌などでは、もしかすると邪道かもしれない。しかし、これが目下の自分流。聴き手に寄り添いやすいことも実証済みで、しばらくは続けるつもり。

 2曲目のオリジナル曲は過去に何度も歌っている定番曲なので、古株のメンバーはサビの部分をいっしょに歌ってくれて、大いに盛り上がった。50回記念にふさわしい楽曲であった。
 その後、新旧のメンバーがそれぞれの想いをこめて楽曲を披露。あっという間に時は過ぎ去り、全員で「翼をください」をシングアウトし終えたときには深夜0時半を回っていた。

2011年9月24日土曜日

風のような歌

 予報によると3、4日は好天が続くそうなので、中断していたウッドデッキパーゴラ補修工事の続きにとりかかった。
 まずは11本あるパーゴラの取り外し。傷みは少ないので、このまま再利用が可能。順に鉛筆で番号をふり、脚立に上って取り外してゆく。一部錆びて硬いビスもあったが、何とか成功。

 次に梁についている小さな部材を外し、最後に梁3本を固定してある8本のビスを外そうとしたが、固く締まっていてどうしても外れない。どうにか外せたのは1本だけで、今日の作業はここまで。
 3本とも腐食している部材なので、端部をすっぱりノコで切り落としてしまうしかなさそうだ。やや手間取りそうな気配。作って12年も雨ざらしになっていたので、やむなしか。新しい梁の固定は補助金物を使うのが無難かもしれない。


 一昨日の札幌駅前通地下歩行空間での街角ライブが予想外に好感触だったので、さっそく次なる準備にとりかかった。
 まずは10月の日程予約。3ヶ所の会場があって、今回やった北3条交差点広場は案内アナウンスの音問題はあるが、場所が広く、テーブルセットなどが配置されていて、聴きやすい条件は整っている。
 他の2会場も調査したが、両方とも地下鉄の改札口に近く、アナウンスとは別のざわついた雰囲気がある。北3条交差点広場の位置は歩き出してほどよい中間地点にあり、(おや?何かやってる…)と、足を止めやすい感じがする。

 熟慮のすえ、次回も全く同じ場所の同じ時間帯にエントリーすることにした。アナウンス音には一定の波があるので、音が大きいときには歌をとめるなり、ストロークで弾ける曲にするなど、対処方法はある。
 ライブの一部始終を静かに見届けた妻が言うには、「あなたのシャンソンは、あの街角によく合っている」という好意的なもの。妻の評価はかなり信頼できるし、実は歌っている本人もそう感じていた。
 シャンソンのルーツはそもそもお高くとまったものではなく、パリの街角などで吟遊詩人が楽器を手に歌うように語ったものが始まり。その原点に近い形で歌ったのだから、それは似合うはずである。

 第2ステージではがらり構成を変え、日本の叙情歌を中心に歌ったが、強い手応えを感じたのは、後半に連発した唱歌だった。歌を聴きつけた中高年の女性がどんどん増えてきて、壁や柱にもたれかかり、じっと目をとじて旋律に合わせて身体を揺らせたり、いっしょに口ずさんだりしているのだ。
 介護施設や地区センターのように、用意された場に集まってくる人々なら納得できるが、単なる通りすがりの人々にそれが起きたことに驚きを感じた。シャンソン系の曲と唱歌、当面はこの路線でいけそうだ。

 ツイッターではすでにふれたが、通りを流れる人に自分の歌声が風のように寄り添い、ふれあってゆく得難い感覚を味わうことができた。これまで経験したことのない、あたらしい世界である。

2011年9月22日木曜日

チカチカ思わぬ手応え

 札幌駅前通地下歩行空間での最初のチカチカパフォーマンスを無事に終えた。前夜から大型の台風が接近し、実施そのものが危ぶまれたが、未明に降りだした雨は明け方にピタリやんだ。気温が15度くらいしかなく、まるで晩秋の寒さだが、地下なので実施に支障はない。
 一緒にやる予定だったジャグリングのパフォーマーの方が、前夜になって急きょキャンセル。午後の3時間枠を一人で受け持つことになったので体力を温存するべく、練習は軽めに済ませた。休暇で家にいた妻を伴い、13時過ぎに家を出る。


 機材一式は私が一人で持って会場までの道を歩く。充分な軽量化を図ったはずが、いざ歩いてみるとかなり重い。多少高くても近い駐車場にすべきか。

 地上5階の事務所にまずパフォーマー用看板を取りにゆく。そこで開始の挨拶と日報の記入を済ませる。ただちに地下に降り、機材をセット。看板を組み立てると、物珍しそうに人が集まってきた。すぐに始めようと音のテストをするが、なぜかマイクの音が出ない。
 ギターは何とか音が出るが、普段より極端に音のバランスが悪い。10分近くも悪戦苦闘したが原因が分からず、見切りをつけてギターの音を小さめにし、ボーカルはノーマイクでやることにした。


 公園などで歌うときはいつもノーマイクだが、運悪く会場に設置された広報用のアナウンスがかなり大きい。この音に負けないように歌うのは至難の業だった。
 しかし、ここでくじけてはならぬと、14時20分くらいから開始。第1ステージは世界の叙情歌を中心に、40分で以下の11曲を歌った。

「サントワマミー」「詩人の魂」「オーソレミオ」「さくらんぼの実る頃」「パダン・パダン」「鱒」「サンタルチア」「思い出のグリーングラス」「この道」「ここに幸あり」「ブンガワンソロ」

 途中、何度かマイクの調子を確かめるが、音は復活しない。ノーマイクなので普段はあまり使わないパワーを出して歌ったが、それなりに人は集まってきて、ちゃんと聴いてくれた。
 驚いたのは1曲毎に聴いている方々が拍手をくれたこと。小さなテーブルセットがいくつか置いてあり、ちょっとしたライブ会場という雰囲気はあったが、予想外の反応である。
「しばらく休憩します」と宣言し、再びマイクの調整を試みる。妻が近寄ってきて、声はそれなりに出ていたので、そのままでもいいようなことを言う。
 しかし、せっかくそろえた機材が肝心なときに役立たないのは納得できず、あれこれいじるうち、ふとマイクとギターのケーブルを入れ換えてみようと思った。すると、何のことはなし、普通に音がでる。ギターの音も正常。買ってからずっとケーブルをつないだままにしておいたのが悪かった。いざ本番で逆接続という失態をやらかした。

 ともかくも問題解決。15時15分から日本の叙情歌を中心に第2ステージ開始。45分で以下の14曲を歌った。

「女ひとり」「見上げてごらん夜の星を」「北の旅人」「ゆりかごの歌」「瀬戸の花嫁」「廃墟の鳩」「宗谷岬」「浜辺の歌」「埴生の宿」「荒城の月」「赤とんぼ」「ダンデライオン」「いい日旅立ち」「夢路より」


 PAが正常になり、音が広報用のアナウンスにも負けなくなったせいで、多くの人が足を止めてくれるようになった。
(あとで事務局に確認すると、広報の音を消すことはできないそうだ)
 聴き手は当初の予想通り、中高年の女性が中心。しかし、中年男性もかなり聴いてくれる。なぜか若いカップルもけっこう足を止めてくれた。

 驚くべきことに、最初から最後まで間近でずっと熱心に聴いてくれた方がいた。一人の平均滞在時間は、10~15分といったところ。1曲だけ聴いて去る方も当然いる。一期一会の出会いだが、それなりにふれあいは感じられる。
 会場は人が絶えず流れている印象で、常時いる人数は5~20人ほど。曲によって波がある。これまでさまざまな場所で路上系、街角系のライブを試みたが、これほど手応えのある場は初めてだった。
 16時近くになり、喉にも限界を感じ始めた。ギターを押さえる左手の握力も下がっている。曲紹介もMCもないので、負担はかなりのものだ。最後の曲で普通のライブのように挨拶をした。
「今日は最後までお聴きいただいて、ありがとうございます。ご縁がありましたら、またお会いしましょう…」
 思わぬトラブルもあり、心身ともに非常に疲れたが、それに見合う手応えを感じた。今後も何とか活動を続けられそう。魅力ある場だ。

2011年9月21日水曜日

3度目の壁

「仏の顔も三度まで」ということわざがあるが、同様に弾き語り系ライブにもプロやアマチュアを問わず、3度目の壁というものがあるように思う。
 私の中心活動である施設訪問ライブを例にとってみる。ネットや口コミなどの経由でまず最初の引合いがあり、スケジュール面での問題がない限り、最初の1回は確実に歌わせていただける。
 ここでトンデモナイ醜態をさらすか、余程先方の好みに合わないなどの問題があった場合、2度目の依頼はまずない。7年前に活動を始めた頃、こうした施設がいくつかあり、自らを省みて軌道修正と創意工夫をした結果、「一度こっきり」というケースは最近では少なくなった。
 さて、このあとである。先方に喜んでいただくと、たいていは2度目の依頼がある。しかもその間隔は短いだろう。「最初がとてもよかったので、次回もぜひに」、そう考えるのが普通の思考回路だからだ。
 頼まれると歌い手は当然うれしい。そこでまた受ける。ところが、2度目ともなると、どのような歌でも最初の感激は薄れる。残酷だが、人の感性とはそういうものだ。これを避けるため、歌い手はあの手この手で工夫をこらす。私の場合なら、最初とは全く違う歌を歌うとか、ハモニカやタンバリンの飛び道具を使うとか、歌謡劇のような趣向こらすなど。

 しかし、歌う人間が同じである限り、これでも聴き手はやはり飽きる。最も効果的なのは、同じ場所では1年以上歌わないことだ。ところが、2度目の依頼に1年以上間隔が空くことはまずない。繰り返すが、最初の感激が薄れないうちに同じ感激をまた得ようとするのが、これまた普通の人間の思考回路なのだ。
 何らかの理由により、この2度目の依頼をうまくこなせたとすると、ようやく3度目の依頼が届くだろう。冒頭で「3度目の壁」と書いたが、正確に書くと「2度目と3度目の間に高くそびえる壁」である。
 過去8年近くの活動記録を調べてみた。すると、この間に何と19回も依頼されているグループホームがある。次点は6回の有料老人ホームで、どちらも図抜けている。この2施設が私が乗り越えた「3度目の壁」である。
(ほかにも乗り越えた施設はあったが、いまでも途切れずに関係が続くのはこの2施設のみ)
 両者とも責任者との信頼関係が厚く、これだけつきあいが長く続くと、ほとんど家族のような間柄である。歌というよりむしろ、人間としてウマが合うか否かの問題にも思えてくる。そう、「3度目の壁」を乗り越える大きなポイントは歌そのものではなく、この人間的な相性にあると断言してもよい。

 実はこの2年ほどで、この「3度目の壁」の対象となっている施設がかなりある。歌い手としては同じ場で2度も歌わせていただけたら、万々歳とすべきなのかとも思う。
 札幌だけでも介護施設の数は数百を下らないはずで、何らかの芸能ボランティアをする人の数も、これまたかなりの数にのぼるだろう。聴き手に常に目新しい芸を提供する意味では、「3度目の壁」はあってしかるべきなのかもしれない。

2011年9月19日月曜日

笑いと涙の歌謡寸劇

 連続4日目となる上砂川町グループホームでの敬老会ライブが無事に終了。札幌から車で2時間ほどかかる遠方で、今回が初訪問だった。
 依頼されたいきさつが非常に特殊で、7月末に参加した被災地支援ライブ「ALIVEミュージックフェスティバル」を客席で見ていた方が、たまたまグループホームの責任者。私が介護施設訪問ライブをやっていることをMCで知り、ネットで連絡先を調べたすえ、「ぜひとも私の施設に」と突然のメールをいただいたことが発端である。

 これほど遠く離れた場所を訪問したことはかってなかったが、私を強く買ってくれたことは間違いなく、歌い手冥利につきる話だった。その時点で空いていたのが、たまたま9月19日の敬老の日。なんとも不思議な縁ではないか。
 さすがに疲れが溜まっていて目覚めが悪く、練習での声の張りもいまひとつ。休暇で家にいた妻に、「起き抜けだからよ。着く頃にはいつもの声に戻ってるわ」と励まされ、機材一式を積んで家を出た。
 札幌から上砂川へは普通は国道12号か高速を使う。しかし、高速無料化もなくなり、どうしたものかと地図を広げてみたら、以前に何度か通った国道275号を思い出した。いわゆる裏道で狭いが、空いている。ここを通って向かった。


 予想通り、道はガラガラ。信号もほとんどなく、75Kmの道のりを1時間40分で先方に着いた。あまりに早すぎて、途中のコンビニでゆっくり昼食をとる余裕。
 予定では13時開始だったが、早めにセットが終わって12時55分から開始。「元気のよい歌を好みます」との事前情報を得ていたため、3日前のグループホームでのセットを参考にし、以下の13曲をまず歌った。

「高原列車は行く」「北国の春」「夕焼け小焼け」「紅葉」「赤とんぼ」「炭坑節」「きよしのズンドコ節」「あなたにメロディ(オリジナル)」「男はつらいよ」「瀬戸の花嫁」「お富さん」「二人は若い」「上を向いて歩こう」
「定番曲はある程度歌ってください」とメールにあり、この時期には普通歌わない「北国の春」を、「童謡もぜひに」との要望から、秋の童謡3曲をメドレーで、さらには「オリジナルも1曲」とのことで、「あなたにメロディ」をそれぞれ歌った。


「北国の春」を歌い終えると、ヘルパーさんの一人が千昌夫の物真似で舞台袖から登場し、場を沸かせる。以降、随所でこの突発的なアドリブ歌謡寸劇が飛び出し、ヤンヤの喝采を浴びた。
 場が否応なしに盛り上がるので、歌い手としては大変やりやすい。昨日のライブとは正反対の雰囲気だったが、場によってはこのようなライブがあってもよいと思った。

「男はつらいよ」は初披露だが、実は昨日一日しか練習していない。一昨日の地域センター敬老会で、三味線でこれを演じた方がいた。その際、会場から自然に歌声が上がった。(これはもしかして受けるかも…)と閃き、急きょ覚えた次第。
 直感は当たり、ヘルパーさんが鞄と帽子の小道具を持ち出し、「お兄ちゃん、また行ってしまうの?」「おう桜、あばよ、達者でな」などと、寅次郎と桜役をセリフ付で完璧に演じてくれた。
 セリフの長い部分は私がギター伴奏で適当に引っ張る。いわば即興の歌謡寸劇といった感じで、こんなことが打合せなしに一発でやれるのだからすごい。自宅ライブで時折「歌謡劇」と称して似たようなことを試みるが、まさか介護施設でそれができるとは。

 大笑いの連続ばかりでなく、「瀬戸の花嫁」では静かに聴いていた入居者の一人が、歌詞の途中で感極まっている。ヘルパーさんが歌に合わせて肩を叩くと、こらえきれずに泣き出してしまった。ヘルパーさんがハグでそれをなだめている。
 それを見ていた別の方にも涙が伝染してしまい、そちらにもヘルパーさんがハグに走る。一方では花嫁と弟役のアドリブ寸劇も進行していて、笑いと涙が同居する実に不思議な光景だった。
 普段より少し長い35分で終了としたが、熱くなった場が簡単に収まらない。ホーム長さんの要望で、アンコールとして「高校三年生」をフルコーラス歌う。ちょっと懐かしめの旋律で、思惑ではこれで熱が冷め、場はお開きとなるはずだった。
 ところが寸劇担当の元気のいいヘルパーさんが、もうひと芝居(?)したいような口ぶりである。え~、まだですかぁ?と、一瞬たじろいだが、それではとっておきの曲、「ソーラン節」を歌いましょうかとすぐに準備。このあたりは臨機応変だ。

 予期せぬダブルアンコールで、45分15曲という私にとっては長くて濃いライブとなったが、施設の方々には大変喜んでいただけた。長く記憶に残りそうな会心のライブである。

2011年9月18日日曜日

場の熱冷まし

 連続3日目のライブとなる市内有料老人ホームでのお誕生会余興出演を無事に終えた。開始は午後からだったが、午前中に予定曲をざっとおさらいしたら、さすがに声に伸びを欠く。歌い込むうちに徐々に回復したが、喉に疲れが溜まっているのは間違いなかった。
 あまり無理せず、適当なところで切り上げる。外は小雨のパラつくはっきりしない天気。自宅からの機材の積み込みは雨に一切濡れずにやれるが、先方の駐車場から屋内への搬入が問題だった。肌寒いので長袖シャツに着替え、祈る気持ちで出発。およそ50分で着いたが、どうにか濡れずにやれた。
 開始直前になって施設長さんから突然、「菊地さん、『ハッピーバースデー』の伴奏をギターでやっていただけませんか?」と頼まれた。
 ときどきこうした依頼があるので、ある程度準備はしているが、胸騒ぎがしたのかつい先日、コードとキーのおさらいをしたばかり。(3カポのC)「いいですよ」と快諾し、PAなしでギターを準備。同時に歌詞と繰り返し回数の確認をする。
 普段はCDでやっているそうで、「やっぱり生演奏は全然違う」と、喜ばれた。


 14時15分から私の出番。機材をセットしたがPAの音が全く出ない。昨日の悪夢が一瞬頭をよぎったが、ミキサーの電源が入らないせいだとすぐに気づく。電池の蓋を開けてみたら、位置がずれて接触不良になっていた。エネループ電池にしてから収まりが微妙に悪い。入れなおしたらすぐに回復、事無きを得た。

 この施設に招かれるのは実に6回目。施設長さんの信頼が厚く、年に一度は呼んでいただく。
 叙情系の歌が好まれる場で、手拍子や歓声はほとんどないが、いつも静ひつで熱い反応のある場だ。この日は2日前のグループホームとはがらり構成を変え、叙情系の曲を中心に臨んだ。アンコールを含め、歌ったのは以下の11曲。

「高原列車は行く」「女ひとり」「浜辺の歌」「ナポリは恋人」「見上げてごらん夜の星を」「おかあさん」「瀬戸の花嫁」「この道」「ブンガワン・ソロ」「いい日旅立ち」「宗谷岬(アンコール)」

 前日までのライブとの重複曲は「高原列車は行く」「瀬戸の花嫁」の2曲だけで、「ナポリは恋人」「見上げてごらん夜の星を」が初披露、「ブンガワン・ソロ」が2度目という、大冒険を結果として試みた。
 いつものように強い手応えを感じつつライブは進んだ。初披露の曲も大きな問題なく、ある程度使えるめどがついた。
「浜辺の歌」では、1番を終えたところで、会場からさざ波のような拍手が巻き起こり、あまりない経験なので、背筋が思わずぞくぞくした。静かな曲では曲間にMCは入れにくいが、思わず「ありがとうございます」と、頭を下げた。過去にはない歌い方ができた感じがする。
 この日は全体的に気持ちが強く入っていたように思う。「おかあさん」でも、2番になってから自然に手拍子がわき起こり、それが最後まで途切れなかった。
 いずれも職員さんのリードではなく、自然発生したもの。最初に拍手や手拍子があり、曲の進行と共に次第に消えてゆくことがよくあるが、それは歌っていてさみしい。だから聴き手に拍手は強いないようにしているが、自然発生ならば非常にうれしい。

 施設長さんの了解をとり、「いい日旅立ち」をラストに歌って30分ちょうどで終わりとしたが、ちょっと場の空気がおかしい感じだった。私があまりに気持ちを入れすぎたせいで、会場がシンとお葬式のように静まり返ってしまったのだ。
 すると突然、施設長さんが「アンコ~ル!」と両手で拍手し始めた。ううむ、やはりそうかと、これまた事前に了解をもらって「宗谷岬」を歌う。意識して軽い感じのストローク奏法で歌った。イメージとしては場の熱冷ましである。
 終了後、事務室で施設長さんに「アンコールって、珍しいですよね?」と水を向けると、「いや、ちょっと場がしんみりしてたもんでつい…」無理お願いしちゃって、とすまなそうに言う。
 叙情系にこだわる余り、ライブの終わり方に対する配慮が少し足りなかったかもしれない。非は私にあったが、施設長さんの一瞬の判断でうまく収まってくれた。さすがである。
 数年前にも別の施設で一度だけ似たような状況になり、やはりアンコールで凌いだことがある。ライブの終わり方、収め方は本当に難しいと再認識。今日もまた学んだ。

2011年9月17日土曜日

社福協・敬老演芸の集い

 近隣の太平百合が原地区センターでの社会福祉協議会主催、敬老演芸の集いに参加した。昨年も同じ場所の同じイベントに招かれている。
 30度近い暑さだった昨日から一転して、最高気温が20度という肌寒い天気。午前中まで小雨がずっと降っていて、我が「ライブ晴れ男」のツキも、もはやこれまでと覚悟を決めていたら、出かける直前になってピタリ雨がやんだ。
 開始ギリギリに会場に着いたが、来賓挨拶などがあり、13時10分くらいから演芸は始まった。140席用意された椅子は当初70%ほどの入りだったが、開始と共にじわじわ増えて満席となり、すぐに20席ほどが追加された。

 今年のメイン出演者は津軽三味線の竹内獅士丸さん。スケジュールの都合とかで、トップバッターとして登場した。達者な芸と巧みなトークで、50分があっという間に過ぎる。
 メリハリの効いた曲の構成、クイズ形式を取り混ぜたMCなど、プロとしての場のさばきが非常に参考になった。


 その後、地元中学校合唱部から始まり、舞踊、カラオケ、フラダンス、マジック、剣舞など、多種多彩な芸が休みなく続く。
 地区センターで練習を重ねている地元のグループから、幅広く活動をしているプロに近い方など、その芸のレベルもさまざま。しかし、時にキラリ光る芸に出会ったりする。いたるところに芸あり、である。
 15時50分から私の出番となる。全11組のラストで、最後に会場の聴き手と一緒に懐メロを歌い、そのリード役を務めるという、重要な役どころだった。
 この時点で時間が10分強押していた。本来は16時が終了時間で、事前の連絡ではシングアウト2曲のほか、他に2曲歌う手はずになっていた。しかし時間が気がかりだ。直前に責任者の方に確認すると、時間は気にしないで予定通り4曲歌って構わない、という。

 前の出演が終わると素早く機材をセットし、幕を開けてすぐに始めようとしたが、どうもマイクの音が小さい。リハなしのぶっつけだが、モニターがないので気のせいかと続けていたら、担当者が舞台袖からすっとんできて、マイクのスイッチを入れてくれた。気づかなかった…。
(この日はPAの関係でギターもマイク取りで、使ったのはモーリス)
 気を取りなおしてライブ開始。時間を詰めるため、MCはほとんどなしでトントン進める。まずは「上を向いて歩こう」、続けて「瀬戸の花嫁」を無難に歌う。多くの人が口ずさんでくれて、反応は上々だ。
 最後にプログラムに歌詞が載っている「青い山脈」「世界の国からこんにちは」をシングアウトとして歌う。2曲とも昨年と同じ曲だが、今年は時間がないので会場との練習は省き、歌が始まる箇所の掛け声だけで一気に進めた。

 終了は16時5分。20分の予定を10数分でうまくおさめ、ほぼ予定通りに終わることができた。大きなミスもなく、主催者にも喜んでいただけた。あわただしいスケジュールのなかでは、まずまずの結果である。

2011年9月16日金曜日

育てるボランティア

 市内グループホームでの敬老会余興に出演。昨年12月にネット経由で引き合いがあり、クリスマス会余興に呼んでいただいた。今回が2度目なので、聴き手の好みは充分把握している。
 平日だが、先方のたっての希望である。平日サービスが基本のディサービスを併用した施設が増えてきて、平日の要望がじわじわ増えつつある。活動日は土日祝が原則だが、仕事が立てこんでいず、自宅から30分前後で移動可能な近隣であれば、お受けするケースもある。

 しかも今回は午前中の依頼。元来朝が苦手で、特に午前中は声がよく出ない。原則として午前の活動はやっていないが、こちらも先方の強い要望なので、結局はお受けした。


 早めに起きて入念に喉の調整をする。彼岸も間近というのに、妙に暑い。屋外寒暖計を見ると、午前10時ですでに27度もある。(その後29度まで上がった)体調を崩してはいけないので、珍しく車のエアコンをつけて施設に向かう。
 11時少し前に到着し、素早く機材を設置。予定より5分早く11時10分からライブは始まった。この日歌ったのは、以下の11曲。前回の経験から、3対1の割でニギヤカ手拍子系の歌をそろえた。

「高原列車は行く」「世界の国からこんにちは」「マル・マル・モリ・モリ」「瀬戸の花嫁」「炭坑節」「きよしのズンドコ節」「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」「お富さん」「丘を越えて」「上を向いて歩こう」
 聴き手は職員を含めて20名強。前回同様、1曲目から調子よく手拍子や掛け声をいただく。職員さんの盛り立ても上手で、実にやりやすい場だった。
 3曲目に歌った「マル・マル・モリ・モリ」は、歌う前に「トトロとマルモリのどちらかを歌いたいのですが…」と会場に尋ねたら、迷わず「マルモリ!」と返ってきた。トトロには無反応だったので、ここでもマルモリは強かったということ。

 途中にはさんだ「瀬戸の花嫁」「赤とんぼ」は、あらかじめ「みなさん、少し手拍子をお休みください」と告げてから歌った。他とは全く質の違う歌だが、別の意味で反応はよかった。全体の中でよいメリハリになった感じだ。


 この日、最も強い反応があったのは、「隠し玉」と位置づけていた「炭坑節」である。あまりに反応がよいので、予定になかった4番まで歌ったほど。
 過去に1度しか歌ったことがないが、ニギヤカ系を求める場では間違いなく受ける。今後、「ソーラン節」「真室川音頭」に続く民謡の定番曲としたい。

 反省は「上を向いて歩こう」で譜面を見ずに歌っていたら、「悲しみは雲の上に…」の部分で、2度とも「空の上」と歌ってしまった。過去にも確か同じミスを犯したことがあり、私のウィークポイントだ。
 特に介護施設では譜面をあまり見ずに、極力会場を見渡しながら歌うよう努めているが、歌詞のミスはいけない。歌い慣れた曲、という油断があったかもしれない
 小さなミスはあったが、最後まで聴き手との一体感を強く感じた場であったことは間違いない。
「オトウサン(私のこと)いい声だね!」「いい歌をありがとう!」そんな掛け声が終始絶えなかった。「オカアサン(入居者の方)もありがとうね!」そんな掛け声をアドリブで私からも返した。恵まれた場であった。

 終了後、じっと耳を傾けていた同年代の女性が近寄ってきて、実は地域の福祉ボランティアをしているが、年末の地域高齢者の餅つきイベントで、今日のような歌を歌っていただけないだろうか、と打診された。名刺を交換したが、来賓として施設に招かれた方らしい。
 昨年あたりから、こうした施設に属さない地域の高齢者の集まりへの出演依頼が増えていて、そのうちのいくつかはすでに実現している。芸能ボランティアのニーズは急増し、そして多様化しているのは確実だが、活動日と時間、場のニーズへの柔軟な対応、身軽な活動体勢と場への気配りなど、ボランティア側の質と量、そして体勢がそれに追いついていない印象がする。

 ただ自分を磨くだけでなく、芸能ボランティア活動そのものを啓発し、後進を育てることにも今後目を向けるべきかもしれない。やるべきことは山積みである。

2011年9月15日木曜日

車に積める材料の長さ


 ウッドデッキのパーゴラを補修することにした。作って12年で、3箇所ある主要な梁が腐食している。交換するなら今年中が限度だ。
 パーゴラは洗濯物干し場をかねており、11本ある小梁をいったん分解しなくてはならない。一気にはできないので、まずは梁の材料であるツーバィ材を昨日買いに行った。

 近くのホーマックで下調べはしてあったが、柱となる短いほうの材料2本が売り切れだった。秋になると急にツーバィ材が売れ出すのだという。暑い時期にDIYはやりたくないが、涼しくなると冬が来る前にやり終えたくなるのは誰も同じ。
 やむなく大梁用の3640長の材料1本のみを調達。軽トラックは1時間以内なら、無料で貸してくれる。

 買いそこねた材料がいつ入荷するのか、はっきりしない。別の大型ホームセンターでは常時在庫があるが、その店は軽トラックの無料レンタルをやってなく、配達料300円が別途かかる。
 実は昨日借りた軽トラックで、そのホームセンターに回って足りない材料を買い足そうかと一瞬迷った。しかし、同業他社マークが大きく入った車を別のホームセンターに停める度胸がなく、仁義にも反する感じがしたので、やめた。

 思いついて自分の車にどのくらいの長さの材料が積めるのか、チェックしてみた。1820長の材料が車内に積めることはすでに確認済み。しかし、足りない材料の長さは2440だ。
 いろいろ試した結果、まず助手席のシートを真後ろに倒し、次に材料先端を足元深くに斜めに差し込み、後部シートは逆に倒さずに支持台として使うと、2500長まで積めることが判明した。これにより、足りない分はいつでも調達可能である。

 ルーフキャリアを装備すると簡単なのは分かっているが、かなり高価だし、風圧をモロに受けて燃費が悪くなる。冬に積もった雪をどかすのも手間。車の屋根には何もないのが望ましいのだ。

2011年9月12日月曜日

出口が見えない

 500枚入る名刺ケースがちょっと窮屈になってきたので、不要と思われる分を思い切って処分した。その数、40枚弱。
 すでに退職した方、勤務先が倒産した方、一度だけお会いしたが、もう二度とご縁はないと思われる方…、いろいろある。眺めているだけで、独立開業後の30年の月日が夢のように思い起こされる。
 私はいまだにシブトク事業を継続してはいるが、いつまで続くことか。しかし、感傷は禁物。弾き語り関連の新しい名刺が続々と増えているではないか。捨て去る思い切りもまた必要である。


 歯科検診の帰り、しばらく顔を出してなかった近隣のカフェに行った。午後4時過ぎの混む時間だったが、駐車場に車はない。ドアを開けると、珍しく店内に客は誰もいず、「今日は全くヒマなんです」と、マスターとママさんは所在なげだった。
 景気の先行きについてしばし雑談を交わしたが、最近になって客足に大きな波ができつつあるらしい。開店後約2年で、これまでは順調な経営だったが、さすがに震災後の不景気の影響がで始めているのだろうか。
 近隣の別のカフェが経営不振で最近閉店したことを伝えるとかなり驚いていたが、あらゆる分野で難しい時代に差し掛かっている実感はする。

 実はつい最近、親しくしていた工務店が倒産した。30年の歴史があり、手堅い経営を続けていたが、「オール電化」を経営の柱に据えていたことが裏目に出たらしい。
 北海道におけるオール電化住宅の比率は最近急増していて、2009年度の新築住宅では60%を越えている。多くの建設業者が力を入れてきたのもうなずける。
 しかし、東日本大震災による原発事故により、オール電化住宅の市民レベルでの評価が一変した。厳しい節電や将来的な電力供給に対する不安感から、導入に二の足を踏む感情の流れができてしまったようだ。
 私が過去に設計監理を手がけた住宅でオール電化はひとつもない。私の設計思想は無用なエネルギーを極力使わない、縄文的な器作りと暮し方の啓発で、現在もそれは自宅にて実践中である。
 灯油消費量と消費電力量は、いずれも平均値の50%強。原発がいますぐ完全停止しても、とりあえず生活は成り立つ。

 オール電化住宅は際限なき上昇指向のもたらしたシンボル的設計思想のように思えるが、今回の震災により、出口の見つからない致命的な打撃を受けたように感じる。
 いま最も人心を引きつける住宅は、ずばり太陽熱発電を取り入れたものだろう。しかし、設置コストが高く、縄文的住宅思想には程遠い。回収するのに20年はかかり、同じく20年でパネル寿命がくるものを、そう簡単に取り入れられるだろうか?
 現実的なのは気密断熱を強化し、エネルギー消費そのものを小さくしたパッシブ的思想に基づく住宅で、エネルギー源が石油でも電気でも受ける影響は少なく、設置コストもそう多くかからない。気密断熱材の寿命も相当長いことが立証されている。
 以前からこうした考えを取入れている方々は、今回も大きなダメージは受けていない。太陽熱もよろしいが、パッシブ系住宅の優れた部分に気づいて欲しい。

2011年9月11日日曜日

ずっと歌っていたいPA

 ネット通販のサウンドハウスで買った乾電池駆動のPA「Roland MOBILE CUBE」が昨日届き、さっそくいろいろ試してみた。
 まずは当初の予定通り、手持ちの三脚への取付けである。本体にはマイクスタンド用の取付穴がついているが、3/8インチと5/8インチのみ対応。(3/8はアダプターで調整)このままでは1/4インチの三脚には取付けできない。
 そこで5/8→1/4のアダプターを190円で同時に購入。PA本体についていたアダプターを外し、こちらに付け替えた。


 次に単3のエネループ電池6本を本体に入れる。三脚はエレベータ部分を上げずに使った。これでも高さがおよそ105センチあり、PAを載せるとさらに高くなって、使用には充分である。

 使った三脚は中型カメラ用(日本製)で、耐荷重は不明。同じ型の製品だと1.5Kg程度なので、2.5KgあるPAだとオーバーということになるが、実際に載せてみた感じでは安定している。
 5段ある脚を4段に縮めるとさらに安定し、その場合の高さが91センチ。それでもマイクスタンド使用よりかなり高く、このほうが安全かもしれない。(真似をされる方は各自の判断でお願いします)


 さて、実際の音である。普段通りのミキサー経由と直結の両方を試してみたが、音が安定するのは断然直結方式だった。この点は同じローランド製のCM-30と正反対の結果。
 マイク用とギター用の入力があり、ボリューム調整もそれぞれできるのはどちらも同じ。CM-30と違っているのは、出力値とリバーブをかけられることだが、このリバーブがなかなかよい感じである。これまでのヤマハVA-10のボーカル音とはまさに雲泥の差。ギター専用に作られたVA-10と比べること自体にそもそも無理があるが。
 音量も充分なので、狭い会場ならわざわざ重いCM-30を運ぶより、ミキサーも不要なこのMOBILE CUBEでやるのが得策かもしれない。
 歌っていて気分がいいので、昨日から今日にかけ、かなり長い時間歌い続けた。おかげで「チカチカパフォーマー」のイメージがじわじわ固まってきた。以前にCM-30を買った際に書いたかもしれないが、歌は場で変わり、さらにPAでも変わる。そんな予感のするPAである。


「乾電池PA体勢」に必要な機材一式を手持ちのショルダーバックにセットしてみたら、小物類も含めた一切が余裕で収納できる。これまで使っていたダンボール箱では一人での移動が難しい感じだったが、これならやれそうだ。
 この1年近くずっと続けてきた機材軽量化の試み、今回のPA一式2.2Kg減量にてほぼ終わった。あとは実戦で試すのみ。ちょっと楽しくなってきた。

2011年9月10日土曜日

マルモリ強し!

 9月最初のライブとなる近隣のグループホームでのイベントが無事に終了。6年前の冬から本格再開した弾き語り活動の当初から、ずっとお付き合いのある施設で、依頼は2ヶ月ほど前にあった。
 時期が9月ということで、てっきり敬老会だとばかり思い、ずっとそのつもりで準備してきた。ところが念のため前日に電話で確認すると、お祭り形式で屋台を出し、近隣の住民を招いてオープン形式でやるという。つまりは苦手なお祭り系イベントライブなのだった。

 思惑が外れ、急きょ決めてあった構成の修正を図る。室内の場合は叙情系とニギヤカ系をおおむね半々で構成するが、屋外イベントとなると、叙情系は難しい。予定していた「この道」をやめ、「丘を越えて」と差し替える。
 子供が来る可能性があるというので、迷っていた「となりのトトロ」をフルコーラス歌うことにし、予備として「マル・マル・モリ・モリ」を準備した。
 明け方まで雨が降っていたが、起きると次第に晴れ間が広がってきた。晴れと雨の両方の体勢でいたが、やはり私は晴れ男であるらしい。屋外の晴れメニューでやろうと腹をくくった。
 午後1時少し前に会場に到着。陽射しは暑いほどだが、風がかなり強い。施設西側にある庭を会場に、1時15分からライブ開始。以下の10曲を30分で歌った。

「高原列車は行く」「となりのトトロ」「マル・マル・モリ・モリ」「瀬戸の花嫁」「世界の国からこんにちは」「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」「高校三年生」「丘を越えて」「上を向いて歩こう」


 先月末にやった子供相手のお祭り系イベントライブで大きな失敗をしているので、始めるまでは正直気乗りがしなかった。お祭り系ライブに対する自信喪失もあった。
 今回もライブ開始と同時に焼きそばやトウモロコシ、飲み物などが配られたのは、他のイベント系ライブと全く同じである。
 会場には3人の子供(小学校低学年)がいて、子供向きの歌が受け入れられる要素はあった。それを見越し、子供向きメニューを早めに用意したが、最初の「となりのトトロ」が、予想外に大人も子供も反応がよい。
(これはもしかして…)ちょっと元気になって、隠し玉の「マルモリ」をここで使ってみる気になった。
 しかし、いきなりはさすがに怖い。そこで率直に「次の曲はみなさんがご存知でしたら歌います」そう前置きし、タイトルを告げると、子供はすぐに反応したのは当然としても、中高年の集団から予想外の歓声が上がった。
 理由ははっきりしないが、あとで妻が言うには、テレビドラマの主題歌(「マルモのおきて」)なので、ドラマそのものを見ていたのでは?とのこと。私も妻も全く見ていないが、確かにそれはありそうだ。

 結果的に最も受けたのはこの曲である。要するにいまが旬のようで、今年はこの曲で引っ張るべきかもしれない。
 意外に反応が薄かったのは叙情系の童謡2曲。室内だと圧倒的に受けるが、声が風に飛ばされる屋外では、この種の曲は難しい。ラスト前に同じ叙情系の「北の旅人」を準備していたが、無理と判断して歌わなかった。

 そのほかで反応が良かったのは、「世界の国からこんにちは」「高校三年生」「上を向いて歩こう」など。こうした場では、やはりテンポのよい手拍子系の曲が好まれる。
「高校三年生」は珍しく3番まで歌った。「上を向いて歩こう」は子供たちも手拍子をくれた。さすがに強い。「震災ソング」と位置づけられている今年は、極力歌うべきだろう。
 終了後、いろいろな人が声をかけてくれたが、特筆すべきは、2~3年生と思われる女の子。機材を片づけていると、そばにきて利発そうな目で何か言いたげに私を見つめている。ライブ中にも目を輝かせてじっと聴いてくれていた子で、終始反応がよかった。
 余程音楽が好きなんだなと思っていたので、頬笑みを返すと、「とても上手ね」と声をかけてくれた。「ありがとう、また聴いてね」と返すと、うれしそうな顔をしている。完全に孫の年頃だが、子供からこの種の声をかけてもらうのは初めてのこと。非常にうれしい。
 大人から指図されたわけでなく、自分から進んで声をかけてくる。幼くしてすでに人生の扉の開け方を心得ているのだ。心豊かな女性に成長することだろう。

2011年9月9日金曜日

禁酒禁煙ライブ

 車検に出してあった車は、14時に戻ってきた。代車は結局一度も乗らずじまい。費用は重量税が「エコ減税」の対象とかで、半額。最初の見積りよりさらに3,800円安くなって、合計6万弱で済んだ。とにかく安上がりな車だ。
 車や電気製品は「長く使う」ことも大切だが、技術の進歩によってどんどん効率のいい製品が登場してくる。減税の恩恵も受けられる。買い換えの見極めが非常に重要だということ。
 音楽関係の知り合いの方が、「禁酒禁煙ライブ」という、いまどき珍しいストイックなライブハウスをブログで紹介していた。明日、ここで歌うらしい。
 世の中全体の流れからすれば、「公的な場(飲食店を含む)では禁煙」は、もはや避けられないことは承知していた。しかし、禁酒までとなると、そうザラにはない。
 禁煙のカフェは徐々に増えてきているが、煙草OKのカフエもまだまだ多い。行ったことはないが、札幌市内で「完全禁煙」のライブハウスを一軒だけ知っている。これが「禁酒」となると、全く知らない。おそらく札幌には存在しないのではないか。

 個人的には自分の歌が叙情系であることもあって、ライブは禁酒禁煙が望ましいと思っている。しかし、徹底できるのは自宅系ライブ、路上系ライブ、介護施設系ライブまで。大半のライブハウスは酒タバコOK(歓迎?)がフツーである。「酒がなきゃ、歌えネェ~」という方も多い。
 そんな中で、先のライブハウス(東京の調布市にあるらしい)、もしかして、時代の最先端を突っ走っているのではナカローカ?

2011年9月8日木曜日

地球とサイフに優しい

 今日明日が3年前に買った軽自動車の車検日である。月末までに更新すればよいが、中旬以降のライブスケジュールがタイトであり、9月は免許証の更新も重なっているので、早めに頼んだ。朝9時に約束していたが、車屋さんがやってきたのが8時58分。実に正確だ。
 代車はないはずだったが、ピカピカの黒い新車でやってきて、それが実はダイハツ・ムーブコンテという代車。

 苦手なオートマ車で、キーを持って近づくだけでロックが解除され、さらには持っているだけでエンジンがかけられるという、実に不思議な仕組み。燃費をあげるため、信号待ち時には自動的にアイドリングストップとなるという。
 ちょっと興味があったが、何だか乗るのが恐れ多く、車庫にずっと置いたまま。明日夕方には車検が終わるので、一度も乗らないかもしれない。


 今回の車検の見積り、自賠責保険や重量税も含めて63,000円ほどで、これで3年分。以前に乗っていた1300ccのライトバンは毎年車検だったが、平均して費用が1回6~7万円。
 いま乗っている軽自動車は、車検のない年に1万円ほどの点検費がかかるが、これを考慮しても、経費は1/3ほど。抜群の燃費も含め、実に地球とサイフに優しい車である。
 ネット通販で先日購入し、「納期1ヶ月」と連絡のあった電池式のPA「Roland MOBILE CUBE」が、今日になって「発送しました」との再連絡が突然あった。メーカーが納期を3週間も前倒ししてくれたらしい。
 下旬のチカチカパフォーマンスは古いPAでやる覚悟を決め、練習もそれでやっていたが、何とか新しいPAでやれそう。まずはよかった。

2011年9月7日水曜日

スイッチキッカー

 全日本女子サッカー代表選手(なでしこ)には、状況に応じて両足を自在に使い分ける、いわば「スイッチキッカー」が複数いる。私の知る限りでは、澤選手、宮間選手、川澄選手あたり。
 もっといるかもしれないが、テレビで確認できたのはこの3選手で、いずれもチームには欠かせない存在である。(その後、鮫島選手も左右を使い分けていることを発見)やってみれば分かるが、試合という修羅場で、瞬時の判断で両足を使い分けることがいかに難しいことか。
 先日のオリンピック予選オーストラリア戦での川澄選手、最初のチャンスで右足でシュートし、相手キーパーの攻守に阻まれると、次のチャンスではキーパーの動きを冷静に見極め、いとも簡単に左足で流し込んだ。
 ゴール瞬間の写真を見ると、鬼のような形相でも泣きそうな顔でもなく、表情に全く力みがない。まるで子供相手のお遊びサッカーのように穏やかな顔をしている。この落ち着きが川澄選手の真骨頂で、他のフォワードにはない優れた特質だ。

 その冷静さを支えるひとつの技が、先のスイッチキック。野球ならばスイッチヒッターとなり、相手の出方に応じて、自在にプレイを切り換えられる強みがる。こんな選手が主力でチームに3人もいるのだから、それは強いはずだ。


 午後から少し晴れ間が見え始めたので、妻の求めに応じ、都心近くにある眼科に出かけた。7年ほど前に目の手術を受けた病院での、定期健診のようなもの。大きな病院で患者も多いので、待ち時間が長い。妻を病院で降ろし、近くにあるジャズ系カフェに久しぶりに行った。
 珈琲は美味いが、マスターは寡黙な方。客は私だけだったが、インテリア系の面白い雑誌を本棚に見つけたので今日はほとんど話もせず、ずっとそれを読んでいた。学生時代に通いつめた喫茶店も同様に寡黙なマスターだったなと、ふと昔を思いだした。