2011年9月29日木曜日

人生で目指すもの

「横断歩道を人が渡っているとき、左折車(右折車)が曲ってきて手前で停止している」という状況は、街角では多く見かける。先日の夕方、私が車に乗って左折しようとした際、同じ状況になった。
 道路交通法ではこの場合、車は歩行者が渡り切るまでじっと待つよう義務づけられている。だが、そこは広い片側3車線の道。渡ってくる若い男は、停まっている私など意に介さない様子で、まるで散歩のように悠然と歩く。

 約束の時間が迫っていたが、ここはひたすら待つしかない。時間にしておそらく数十秒。どうということもない時間だが、男がようやく渡りきったあとに走りだして、何かすっきりしないものを心に感じた。
 同じ状況に私がなった場合、間違いなく足を早めるか、時には小走りになる。待たせている車に気遣いをするからで、たとえ歩行者が法律で擁護されている立場とはいっても、それが自分の中での「常識」と信じていた。

 あるとき、ふと不安になって妻に同じ状況でどうするか尋ねてみた。すると、妻の応えは私と同じである。妻の場合、車の運転者に小さく頭を下げることもあるそうだ。そう言われて気づいたが、私も車に乗っていて同様に歩行者に会釈されたことがある。(多くは中年女性)
 妻はスーパーのレジでお釣りとレシートを受け取る際も、必ず「どうもありがとう」とレジ係に声をかけている。私の場合、レジでは会釈して「どうも」と言うくらいで、さすがに妻のようにはできない。
 同じシーンで他人がどうしているのかつぶさに観察したことはないが、会釈したり声をかけたりするのは、かなり特殊な例のような気がする。(あくまで日本人の場合である)
 横断歩道とレジでの対応の仕方、これがてんでバラバラだと、恋人関係、もしくは夫婦関係は、あまりうまくいかないような気がする。
 幸いなことに、私も妻も横断歩道で左折車が待っているときには小走りし、レジでお釣りとレシートを受け取る際も会釈する側の人間だった。同じ価値観、道徳観で結びついている。人生で目指すものに大きな隔たりがないわけで、だから37年近くもやってこられた。

 この関係を友人や親戚にまで広げた場合、果たしてどうなるのか?折をみて「取材」してみたいと思ってはいるが、ちょっと怖くて二の足を踏む。